chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel

お城でグルメ!さんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 03/28 03/27 03/26 03/25 03/24 03/23 全参加数
総合ランキング(IN) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,033,805サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
グルメブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 31,780サイト
海外食べ歩き 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 432サイト
海外生活ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 37,169サイト
ドイツ情報 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 860サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 03/28 03/27 03/26 03/25 03/24 03/23 全参加数
総合ランキング(OUT) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 38,993位 1,033,805サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
グルメブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,499位 31,780サイト
海外食べ歩き 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 10位 432サイト
海外生活ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 3,109位 37,169サイト
ドイツ情報 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 89位 860サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 03/28 03/27 03/26 03/25 03/24 03/23 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,033,805サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
グルメブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 31,780サイト
海外食べ歩き 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 432サイト
海外生活ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 37,169サイト
ドイツ情報 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 860サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
  • ピエトラ城砦

    ピエトラ城砦

    私たちが8泊したアパートメントは、プリミエロ谷にあるトランサックアという村にあります。ここはドロミテの南の方で、ドロミテ独特の奇岩の山々が見える地域の南端にあたります。トランサックア村は、川を挟んだフィエラという村や同じ川岸側にあるトナディーコおよびシロールの村々と共同体を成しています。奇岩の山々の一部朝・夕方フィエラ村1&2フィエラ村3&4フィエラ村5ピエトラ城砦はトナディーコ村にあるのです。北イタリアの他の地方に同じ名前のもっと立派な城塞がありますが、ここのピエトラ城砦は険しい岩山のてっぺんに築かれていて、今は廃墟なのです。ピエトラ城砦正面から・裏側から山を分け登って近づいて見ると巨大な岩にロッククライミングしている人たちがいます。ロッククライミング場自然の岩を利用した城壁の一部があり、上に登るのに鉄...ピエトラ城砦

  • 貴族の館 エルス・カルデラーズ

    貴族の館 エルス・カルデラーズ

    昨年のクリスマスから新年にかけて久し振りにスペインのマヨルカ島で過ごしました。過去に比較的頻繁に行った時期があり、今回は7か8回目ぐらいです。ドイツでフィンカと呼ばれるかつての農家を賃借して10日間過ごしたのです。近くに住む大家の犬と猫がしょっちゅう遊びに来たり隣の農場の羊やロバたちが寄って来たりして、たいへん楽しく過ごしました。フィンカ・フィンカの広大な庭マヨルカ島滞在の主な目的はトレッキングだったのですが、その土地の文化に触れることも忘れませんでした。その一環としてエルス・カルデラーズを訪れたのです。館の外観・その入り口立派な犬小屋外庭・中庭エルス・カルデラーズはマヨルカ島のかつての邸宅で、現在は野外博物館として利用されており、当時の部屋を見学することができます。この邸宅は13世紀の後半にカルデラー家...貴族の館エルス・カルデラーズ

  • マロースティカ城塞

    マロースティカ城塞

    ヴィツェンツァからドロミテの山間部のアパートメントに居を移す途中で、マロースティカという、人口一万四千人の小さな町を散策しました。旧市街の鳥瞰図見どころは、山頂にある上部城塞と平地にある下部城塞。そしてそれをつなぐ城壁が旧市街を完全に取り囲んでいる景観です。14世紀に築かれた数キロメートルの長さの城壁には、二十数本の防御塔があります。下部城塞(城壁の外から)1&2城壁(外側)教会と上部城塞1&2上部城塞1&2上部城塞3城壁1&2下部城塞(左)と城壁(真中と右)城壁の中には下部城塞の前にチェスボードを模した広場があり、数百年前から2年に一度、偶数年9月の第二週末に人間チェスが行われます。人間が中世の衣装を着てチェスの駒に扮するのです。下部城塞とチェスボード広場(コンサートの準備中)なぜ人間チェスが行われるよ...マロースティカ城塞

  • ローテンブルク・オプ・デア・タウバー

    ローテンブルク・オプ・デア・タウバー

    ノイシュバンシュタイン城やライン河下りと並んで最も知られたドイツ観光のハイライトのひとつが、南ドイツをヴュルツブルクからフュッセンへ縦断するロマンティック街道です。ロマンティック街道にある中世の町の中でも特に有名なのが、ニュルンベルク大都市圏の一部であるローテンブルク・オプ・デア・タウバー。市役所(左の建物)なぜこれほどまでに有名なのでしょうか?歴史的な町の中心部は要塞に囲まれ、タウバー渓谷の手付かずの風景に埋め込まれています。そしてほぼ完全に保存されている中世の旧市街に多くの歴史的建築物や文化財があり、第二次世界大戦による破壊と再建にもかかわらず、現代的な建物がほとんどありません。これがこの町の魅力なのでしょう。さらに、ローテンブルクは中世犯罪博物館など、いくつかの博物館でも知られています。私の姪が訪独...ローテンブルク・オプ・デア・タウバー

  • チッタデッラ と カステルフランコ ・ ヴェーネトの市壁

    チッタデッラ と カステルフランコ ・ ヴェーネトの市壁

    ヴィツェンツァの近くのチッタデッラという小さな町を見学しました。歴史的な地域が、ほとんど完全な形で残っている市壁で囲まれている興味深い町です。チッタデッラの中心部チッタデッラは13世紀前半にパドヴァの軍事的前哨地として築かれました。そして13世紀後半から14世紀末にかけて近隣地域での戦略上の重要性を持つようになり、その影響が及ぶ地域が広がっていったのです。現在北イタリアであるこの地方は、18世紀から19世紀にかけてフランスに占領されたりオーストリアの一部になったりした後、19世紀の後半にイタリア王国に属するようになりました。市壁と水掘・出入り口のひとつ(外側から)出入り口のひとつ(門の内部)・出入り口のひとつ(内側から)市壁は直径約450mのほぼ円形で、円周は約1.500mあります。高さは14mから16m...チッタデッラとカステルフランコ・ヴェーネトの市壁

  • マドンナ・ディ・カンピーリョ

    マドンナ・ディ・カンピーリョ

    海抜1552mの高さにある人口650人(2022年時点)のマドンナ・ディ・カンピーリョ村は、イタリア・アルプスで比較的大きな都市ボルツァーノの南西に位置しており、約100㎞離れています。同様の都市トレントから見ると北西にあたり、約70㎞の距離です。隣のボルツァーノ自治県にドイツ語話者が多いからでしょうか、この村にはドイツ語の名前もあり、ザンクト・マリア・イム・パインといいます。この場所は13世紀前半の文献に初めて、巡礼者や旅行者のために12世紀後半に建てられていた施設と共に言及されているとのことです。山から見たマドンナ・ディ・カンピーリョ村村の周辺の景色1&2村の周辺の景色3&4この施設が地域の観光の起源となっていて、650人の住民は主に観光業で生活しています。過去にはハプスブルク家のメンバー、特に皇后シ...マドンナ・ディ・カンピーリョ

  • ロミオとジュリエットの城塞

    ロミオとジュリエットの城塞

    北イタリアの旅行で次の目的地であるヴィツェンツァに行く途中、モンテッキオ・マッジョーレという町を通りました。そこで偶然に、〈ロミオとジュリエットの城塞〉があることを知ったのです。地元の人によると、シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の舞台になった町はヴェローナではなくてこのモンテッキオ・マッジョーレだ、とのことです。ロミオの城の実際の名前は〈CastellodellaVilla〉で、ジュリエットの城は〈CastellodellaBellaGuardia〉です。ウィキペディアの写真でロミオの城とジュリエットの城の位置関係がわかります。約300メートル離れているのです。二つの城の位置関係(ウィキペディアより)ロミオの城1&2ロミオの城からジュリエットの城を望むジュリエットの城1&2ジュリエットの城から...ロミオとジュリエットの城塞

  • 狩猟の館 〈森の平和〉

    狩猟の館 〈森の平和〉

    大きな森の真ん中にある〈森の平和〉と名付けられたかつての狩猟の館は、こんにちホテル&レストランになっています。施設の入り口・ホテルホテルの本館1&2ハンブルクのほぼ真北約30㎞の所です。この建物はある船主のスタイリッシュな家屋として20世紀初頭に建てられ、現在でもその元々の小ぢんまり、上質、ロマンチックといった魅力を保持しているのです。最高級ではないが高級ホテルが会員である〈ロマンティック・ホテル〉という組織に属するホテル本館、別館のゲストハウス、庭に点在する催し物を行うコテージから成る施設です。ホテルと庭・庭とコテージ別館のゲストハウス本館はディズニーランドにあるような可愛い建物です。レストランの一角がレセプションになっていて、中年おばさんがテキパキとチェックイン手続きをしてくれます。私の部屋・そのバス...狩猟の館〈森の平和〉

  • ロッカ ・ ディ・リーヴァ水城

    ロッカ ・ ディ・リーヴァ水城

    リーヴァ・デル・ガルダという町はマルチェージネとならぶガルダ湖観光の中心です。ガルダ湖の北端にあり、人口約一万六千人。町は1919年までオーストリア・ハンガリーに属していて、第一次世界大戦後イタリアに属するようになったそうです。むかしの町の防御施設の大部分がまだ残っていて、見学できます。町の中央広場・山の中腹の歴史的建造物そのひとつが、港にあるロッカ・ディ・リーヴァ水城です。12世紀に建造され、14世紀に初めて記録に現れるそうです。この手の城の運命なのですが、度重なる戦争により色々な国の軍隊に占領されたり、掠奪されたり、焼き払われたりして来ました。こんにちの姿になったのは19世紀で、第一次大戦後にこの地方の基礎自治体の所有になったとのことです。城塞は水堀とガルダ湖によって周りを水に囲まれています。20世紀...ロッカ・ディ・リーヴァ水城

  • バイヒリンゲン城館

    バイヒリンゲン城館

    バイヒリンゲン城館は私の住むハノーファーから南東に230km、旧東ドイツのテューリンゲン州にあります。城館の前庭と駐車場・入城門おそらく渓谷への重要な峠道を守るために建てられたと思われ、ある司教の11世紀初めの著書で初めて城として言及されました。それから数百年の間、武力紛争によって征服されたり破壊されたり再建されたりを繰り返すのみならず、貴族の間で売買されて来たようです。そして16世紀の中頃に、荒れ果てた城の基礎だけを残して利用する形でルネッサンス様式の城館に改築されました。その後も拡張と再建が続けられ、17世紀中頃の30年戦争によって受けた損傷も修復されました。城館がネオルネッサンス様式で根本的に再設計されて建てかえられたのは20世紀の初めです。城館施設内の建造物1城館施設内の建造物2&3第二次世界大戦...バイヒリンゲン城館

  • スカリジェロ城塞

    スカリジェロ城塞

    夏の休暇で山々に囲まれたイタリアで最も大きい湖、ガルダ湖に来ました。湖岸のマルチェージネという町に8泊するのですが、この町は人口約3.700人で、しばしば〈ガルダ湖の真珠〉と呼ばれる、ガルダ湖観光の中心のひとつです。マルチェージネの港・裏の山から城塞とオールドタウン今回紹介するスカリジェロ城塞は湖の交通を管理するのに良い位置、30mの高台にあります。最初の城塞建造は12世紀の前半と記録されているようです。何度も破壊と再建を繰り返してきて、18世紀から19世紀にかけてフランス人が占領したりオーストリア人が取ったり、はたまたイタリア王国に属したりしたのですが、1815年のウィーン会議の後オーストリア帝国に属するようになり、この時代、すなわち19世紀の後半に最後の根本的な改築がなされました。イタリアの独立戦争の...スカリジェロ城塞

  • シュヴァインスブルク城館

    シュヴァインスブルク城館

    私の住むハノーファーから南東に約350km、メッセで有名なライプツィヒから真南に約75㎞。旧東ドイツのこの位置にシュヴァインスブルク(豚の城)城館はあります。城館ホテルですので、昨年の夏ここに宿泊しました。昔は堀で囲まれていた城の建設は12から13世紀にかけて行われ、早くも13世紀中に城の所有者であり領主の家族は絶えたので、その後何度か所有者が代わりました。城は荘園の行政の中心地として機能し、15世紀後半からシュヴァインスブルクという名前が城に使用されるようになりました。17世紀中頃の30年戦争の際はスウェーデン軍の将軍の住居になったそうです。そして老朽化したシュヴァインスブルク城は18世紀の中頃バロック様式の城館に、さらに20世紀になってすぐの頃にネオ・バロック様式で改築と再建がなされたのです。城の外観...シュヴァインスブルク城館

  • B&B ホテル ベルクユヴェール

    B&B ホテル ベルクユヴェール

    ドイツのバイエルン州から国境を越えてオーストリアのチロル地方に入ると、山の中にフェルンシュタイン城塞があります。この城は13世紀の終わり頃に建造されたようで、おそらく、破壊、修理、再建、拡張などを経て現在に至るのでしょう。城に属するかたちで、美しい静かな湖があります。城はホテルになっているので、いつか宿泊してみたいと思います。フェルンシュタイン城塞・すぐ近くの湖妻と私はさらに南下し、〈ノイシュティフト・イム・シュトゥーバイタル〉という名前の村まで来ました。ノイシュティフトという地名はオーストリアにいくつかあるのでしょう。だから〈シュトゥーバイ谷にあるノイシュティフト〉というのです。この谷のことは妻も私も知らなかったのですが、奥の方に氷河が見える静かな良い谷です。さらに知らなかったことは、この村が草津町の姉...B&Bホテルベルクユヴェール

  • エフェンブルク水城

    エフェンブルク水城

    昨年の夏は北ドイツに行く機会が多く、その都度古城を見学したのですが、そのひとつがエフェンブルク水城です。北ドイツの都市ハンブルクからほぼ真西に直線距離で約200km、オランダとの国境まで20km弱のところに、庭園に囲まれて建っています。城に続く並木道1&2最初のエヴェンブルク城は17世紀の中頃にバロック様式の水城として建てられました。実に精巧に設計された建物だったようです。ところが城は200年後の19世紀半ばには住民のニーズに対して小さすぎ、時代遅れになっていて、広範囲の修繕が必要でした。そして新しい城は2年間の建設期間で拡張と再建が行われたのです。城の外観1&2城の外観3&4城の外観5その際、新しい城には古い城の周囲の壁、いくつかの仕切り壁、地下室の曲面天井、そして玄関の大理石の床が再利用されました。新...エフェンブルク水城

  • クレメンスヴェルト城館

    クレメンスヴェルト城館

    昨年の5月、妻と一緒にクレメンスヴェルト城館を訪れました。我々の自宅があるハノーファーから北西の方向に直線距離で200km程、オランダとの国境まで30kmのところにあります。城館とパビリオンの航空写真菩提樹の並木道・中央の城館クレメンスヴェルト城は18世紀前半に建てられた狩猟小屋です。並木道の延長線上にある中央の城館とそれを囲む8棟のパビリオンからなるこの複合施設は、ヴェストファーレン・バロック様式の主要作品の1つとされています。8つのパビリオンのうち7つはゲストハウスと農場の建物として機能していました。20世紀の前半に某私企業の所有となり、主に資材の倉庫として使われていて長い間修復作業はなされていませんでしたが、20世紀の後半になってやっと複合施設の包括的な改修と修復が行われました。城館とパビリオンの一...クレメンスヴェルト城館

  • ヒュンネフェルト城館

    ヒュンネフェルト城館

    私の住むハノーファーから真西に3時間強走った所にある、北ドイツの平地に建つ水城に来ました。城へと続く道・複合施設の全体像(Wikipediaより)広大な森と草原と畑がある敷地の中、敷地を囲むように水路が走っています。この人家から離れてぽつんと建つ、堀に囲まれた城と農場から成る数棟の建物がヒュンネフェルト城館です。門が固く閉まっており"ビデオ監視"の表示もあり、非友好的な印象を受けます。城館1&2城館3この地に最初に建造された城塞が、12世紀の中頃にヒュンネフェルト領主の先祖代々の本拠地として古文書に言及されています。そして13世紀に2棟からなる堀のある城塞に建て替えられ、14世紀末の頃から16世紀末にかけて数度にわたり所有者がかわりました。農場と堀1&2城塞がヒュンネフェルト城館に改築されたのは17世紀の...ヒュンネフェルト城館

  • 旅館 「ツム・バート」

    旅館 「ツム・バート」

    「プールへの入り口」という、日本人の感覚では変わった名前の、レストランを併設した宿屋です。休暇で北イタリアに行く途中で一泊した町にある施設で、この町は〈泉と水車の町〉とアピールしています。複数の泉から湧き出る水を集めて流れる小川があり、水車がたくさん回っていて、水泳と水遊び用のプールが充実しているようです。水車妻と私が旅装を解いたのはこの家族経営の旅館なのです。そのレストランは清水がふんだんに湧き出る泉の上に建っていて、10年くらい前からミシュランのひとつ星を持っています。我々の部屋はいたってシンプルですが、必要なものは全部あります。旅館-レストラン・客室レストランでは、泉と小川が見える一番良い席をもらえました。自分の仕事に関して良く勉強していると思われる給仕のお兄さんも他の給仕スタッフも愛想がいいのです...旅館「ツム・バート」

  • ブルク城館

    ブルク城館

    デュッセルドルフで講演をした帰途に、同市の南東30㎞程の所にある、刃物で世界的に知られたゾーリンゲンの郊外に建つブルク城館に立ち寄りました。それにしてもブルク(城砦)城館とは変な名前です。実は、半年ほど前に訪れた時は大工事中で、ほとんど見学出来なかったのです。今もまだ工事は続いていますが一部は見学可能だし、いくつかあるレストランも屋外休憩所も開いてます。しかしながら、まだ建物内に入ることは出来ないし博物館も閉まっているので、外観だけの見学になってしまいました。観光用にかなり整備しているため、古びた趣はまったくありません。駐車場からの外観1&2さて、この城館の歴史は13世紀まで遡るようです。元々の建物はノイエンブルクという名の城砦でした。が、14から16世紀にかけて戦争技術が変化して来た為、防御機能が不十分...ブルク城館

  • カッツェンシュタイン城塞

    カッツェンシュタイン城塞

    カッツェンシュタイン(猫石)城塞は、11世紀に現在のバーデン・ヴュルテムベルク州に建造された城塞です。私の住むハノーファーから真南に500kmのところにあります。貴族の間で所有者が何度も代わり、17世紀中頃からは30年戦争などの争いに巻き込まれ、スウェーデン人やフランス人に攻略されたり、火災で破壊されたりしました。19世紀の初めから一時的にヴュルテムベルク王国の管理下に置かれ、その後約100年間の空き家状態から再び個人所有の城塞になりました。何度も所有者が代わり、その都度改装がなされ、その間市民に公開されたりされなかったりの繰り返しだったのです。ところが、20世紀の末頃に火災で部分的に破壊された後、閉鎖されました。21世紀になって数年過ぎたころ、ある夫婦が大改築を行い、城の一部を使って飲食店とお土産品売り...カッツェンシュタイン城塞

  • ホー ・ コェーニクスブルク城塞

    ホー ・ コェーニクスブルク城塞

    フランス中部を流れるロワール川の流域にある古城は40年くらい前にいくつか訪れましたが、このブログを始めてからは初めてフランスのお城を見学しました。アルザス地方にあるホー・コェーニクスブルク城塞です。フランス語ではChâteauduHaut-Kœnigsbourgと書きます。シャトーなんじゃらかんじゃらブールと読むのでしょう。模型・航空写真(ホームページより)ドイツと国境をはさんで接しているアルザス地方にあるホー・コェーニクスブルク城塞は、12世紀に建造されました。標高約800mの高台にあり、この地域の交通の要所であるライン河の流域を見渡すことが出来ます。城塞からの展望城塞は15世紀の中頃に破壊されて半世紀後に再建されたあと、17世紀の前半までその全盛期を謳歌しました。ところが、30年戦争の時、スウェーデン...ホー・コェーニクスブルク城塞

ブログリーダー」を活用して、お城でグルメ!さんをフォローしませんか?

ハンドル名
お城でグルメ!さん
ブログタイトル
お城でグルメ!
フォロー
お城でグルメ!

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用