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  • ヒュンネフェルト城館

    私の住むハノーファーから真西に3時間強走った所にある、北ドイツの平地に建つ水城に来ました。城へと続く道・複合施設の全体像(Wikipediaより)広大な森と草原と畑がある敷地の中、敷地を囲むように水路が走っています。この人家から離れてぽつんと建つ、堀に囲まれた城と農場から成る数棟の建物がヒュンネフェルト城館です。門が固く閉まっており"ビデオ監視"の表示もあり、非友好的な印象を受けます。城館1&2城館3この地に最初に建造された城塞が、12世紀の中頃にヒュンネフェルト領主の先祖代々の本拠地として古文書に言及されています。そして13世紀に2棟からなる堀のある城塞に建て替えられ、14世紀末の頃から16世紀末にかけて数度にわたり所有者がかわりました。農場と堀1&2城塞がヒュンネフェルト城館に改築されたのは17世紀の...ヒュンネフェルト城館

  • 旅館 「ツム・バート」

    「プールへの入り口」という、日本人の感覚では変わった名前の、レストランを併設した宿屋です。休暇で北イタリアに行く途中で一泊した町にある施設で、この町は〈泉と水車の町〉とアピールしています。複数の泉から湧き出る水を集めて流れる小川があり、水車がたくさん回っていて、水泳と水遊び用のプールが充実しているようです。水車妻と私が旅装を解いたのはこの家族経営の旅館なのです。そのレストランは清水がふんだんに湧き出る泉の上に建っていて、10年くらい前からミシュランのひとつ星を持っています。我々の部屋はいたってシンプルですが、必要なものは全部あります。旅館-レストラン・客室レストランでは、泉と小川が見える一番良い席をもらえました。自分の仕事に関して良く勉強していると思われる給仕のお兄さんも他の給仕スタッフも愛想がいいのです...旅館「ツム・バート」

  • ブルク城館

    デュッセルドルフで講演をした帰途に、同市の南東30㎞程の所にある、刃物で世界的に知られたゾーリンゲンの郊外に建つブルク城館に立ち寄りました。それにしてもブルク(城砦)城館とは変な名前です。実は、半年ほど前に訪れた時は大工事中で、ほとんど見学出来なかったのです。今もまだ工事は続いていますが一部は見学可能だし、いくつかあるレストランも屋外休憩所も開いてます。しかしながら、まだ建物内に入ることは出来ないし博物館も閉まっているので、外観だけの見学になってしまいました。観光用にかなり整備しているため、古びた趣はまったくありません。駐車場からの外観1&2さて、この城館の歴史は13世紀まで遡るようです。元々の建物はノイエンブルクという名の城砦でした。が、14から16世紀にかけて戦争技術が変化して来た為、防御機能が不十分...ブルク城館

  • カッツェンシュタイン城塞

    カッツェンシュタイン(猫石)城塞は、11世紀に現在のバーデン・ヴュルテムベルク州に建造された城塞です。私の住むハノーファーから真南に500kmのところにあります。貴族の間で所有者が何度も代わり、17世紀中頃からは30年戦争などの争いに巻き込まれ、スウェーデン人やフランス人に攻略されたり、火災で破壊されたりしました。19世紀の初めから一時的にヴュルテムベルク王国の管理下に置かれ、その後約100年間の空き家状態から再び個人所有の城塞になりました。何度も所有者が代わり、その都度改装がなされ、その間市民に公開されたりされなかったりの繰り返しだったのです。ところが、20世紀の末頃に火災で部分的に破壊された後、閉鎖されました。21世紀になって数年過ぎたころ、ある夫婦が大改築を行い、城の一部を使って飲食店とお土産品売り...カッツェンシュタイン城塞

  • ホー ・ コェーニクスブルク城塞

    フランス中部を流れるロワール川の流域にある古城は40年くらい前にいくつか訪れましたが、このブログを始めてからは初めてフランスのお城を見学しました。アルザス地方にあるホー・コェーニクスブルク城塞です。フランス語ではChâteauduHaut-Kœnigsbourgと書きます。シャトーなんじゃらかんじゃらブールと読むのでしょう。模型・航空写真(ホームページより)ドイツと国境をはさんで接しているアルザス地方にあるホー・コェーニクスブルク城塞は、12世紀に建造されました。標高約800mの高台にあり、この地域の交通の要所であるライン河の流域を見渡すことが出来ます。城塞からの展望城塞は15世紀の中頃に破壊されて半世紀後に再建されたあと、17世紀の前半までその全盛期を謳歌しました。ところが、30年戦争の時、スウェーデン...ホー・コェーニクスブルク城塞

  • ヴァイベルホェフェ城館

    フランクフルトから南東に約50㎞離れた所に、約10ヘクタールもの公園をもつヴァイベルホェフェ城館はあります。13世紀中頃に建造された狩猟用離宮で、16世紀中頃の第二次辺境伯戦争と呼ばれる戦争で破壊され、5年後に再建されました。その後17世紀の後半から1990年まで牧羊農場が営まれていましたが、最後の農場主が亡くなった後、次の所有者が農場の歴史的価値を十分に考慮しながら、ウェルネスに重きを置いたヴァイベルホェフェ城館ホテルに改築したのです。そしてそのホテルのレストランは、ミシュランの2つ星を得たそうです。2016年から2017年にかけて、史跡保護の観点を考慮しながら建物の修復が行われました。母屋・母屋の裏側中庭1&2中庭3名もない(私が知らないだけなのですが)村のはずれに、大農場の面影が残る広大な敷地と建物...ヴァイベルホェフェ城館

  • ライネ城

    ライネ城というのは私の住むハノーファー市にある擬古典主義の城館施設で、1962年からニーダーザクセン州の州議会が入っています。柱廊玄関があるライネ城の前面1&2じつは、ライネ川沿いのこの地には13世紀の末に創設された修道院がありました。その教会財産が16世紀前半に世俗化(国有化)された後に教会だけが残されて、その敷地に城館が新築されたのです。その後修理や改装や建て替えが行われたのですが、19世紀に正面玄関に6本の円柱が建造されて擬古典主義的な建物となりました。第2次世界大戦時の空襲では100発以上の爆弾が城館に命中し、外壁を残して破壊されてしまいました。そして戦後、残った外壁を利用して城館は再建されたのです。21世紀に入って何度か近代化工事が行われました。ライネ城の前面を違う角度から・ライネ城の手前にレス...ライネ城

  • オスナブリュック城館

    ハノーファーから西に160km離れたところにあるバロック風のオスナブリュック城館は、17世紀の後半に建造されました。19世紀の初めから行政官庁の建物として使われ、20世紀前半のナチズムの時代にはナチの秘密国家警察(ゲシュタポ)が城の西の棟に入りました。ゲシュタポは地下に囚人房と拷問部屋をつくり、ユダヤ人のオスナブリュック市民を強制収容所に送るまでの間拘留していたのです。留置場にはその他、外国人の強制労働者と政治犯がいました。第2次世界大戦の時に城は破壊されて外壁だけになってしまいましたが、戦後再建されました。そして20世紀の後半に複数のカレッジが統合されて新しいオスナブリュック大学として開学し、それ以来大学の事務局と一部の学部が城館を使用しています。城館の建物と付属の庭園は史跡保護の対象になっているそうで...オスナブリュック城館

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