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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 侠客が郷に入ること 09,11再

    以前、安岡正篤氏と恩師の席のことだった。大勢の参会者があったが懇話しているときに凝視せざるを得ない容像の人物が近寄ってきて慇懃に頭を垂れた。大柄ではないが強固な体躯で白髪、目じりが細く荒ぶれた様子はないが、畏怖を感じるような重厚さがあった。いつものことながら安岡氏は丁寧な礼を返していた。どうも安岡氏の傍にいると政治家、財界人、官僚、浪人、侠客など人別をこだわらない、しかもその道の人物が近寄ってくる。かといって誰でも近寄るわけではない。民主党の黄門と自称している渡部氏も当時は竹下氏に連れられて来ていたが言葉すら発することが無かった。当時は田中角栄氏が裏面の権勢を振るっていたが、ある席で、゛別席に安岡先生がいらっしゃっていますが・・゛と女将が促すと、身を縮めてセンスを振っていたという。安岡氏が「一夜、沛然とし...侠客が郷に入ること09,11再

  • 時節は儒を除けて墨を得る 其の二 14 10/4 再

    山田良政青森県弘前市中国近代化の魁となった辛亥革命に挺身、日本人として最初に殉難した。日中提携して欧米植民地化によって抑圧されたアジアを再興する意志があったその一からその意味で身近な長の存在を考えてみたい。その背景は出自や元々の財力もあっただろうが、附属的には官製学校歴という数値選別による地位だ。また安定職、給与も担保されている立場だ。しかし、畏敬の存在で結婚式には雛壇に並んでいた彼らが、昨今の真偽交えた情報の氾濫で重箱の隅を突っつかれる対象となった。出てくることは金と女と便宜利得の隠れた話題だ。一種、数多の欲望の整理と制御を担った人間的威厳が汚され、亡失した。野生動物の群れはリーターを自然推戴する。群れが草を食んでいれば一頭なり一匹のリーダーは獲物なり穀物を食む整理をしながらでも、つねに危険に対して、た...時節は儒を除けて墨を得る其の二1410/4再

  • 時節は儒を除けて墨を得る 其の一 14 10/3 再

    好き勝手のようだが、言いたいことではなく、言うべきことを備忘したい。2014年の旧稿ですが、当時は憲法の解釈変更で集団自衛権が可決されたり、スタップ細胞問題で社会が少しづつ変容している年であった。いまから思えば,いつの間にか・・、何となく・・・、まるで惑わされたかのように、いや、それさえも考える事なく人は流動している。気が付く人だけでもと、隣国の故事にある偉人を倣いとして、いずれ取りつく島にるかと2014年の備忘とした。多くは難渋すると、財貨や流行り情報、はたまた他国の威力を頼りにするが、ここでは土壇場に現れ、尽くして欲しがらず、施して求めないような世俗的欲望を棄てた稀有な人たちが存在したことをお伝えし、世上の政治家、知識人、経済人と比較して、本来あるべき人物の見方を、自らが慎重に考えていただきたい願いも...時節は儒を除けて墨を得る其の一1410/3再

  • 「女厲(じょれい)」 女性が派手で烈しくなる現象 10 6/9再

    平和と平等と人権を、ときにファショのように操る女性が増えてきた。かよわき男は阿諛迎合して易しく同調する。草食系といわれるオトコが多くなったというが、゛易しい゛オトコが殖え、゛優しい゛オトコが男を発揮できなくなったと聞く。また男がおとなしくなったというが、理解しがたい女性を呆然と眺めているのである、と聞く。女偏のつく文字のおびただしい数は、それだけ重要な役割と責任がある“性”なのであろう事は疑う余地はない。とくに陽(男)と陰(女)の調和が生命を誕生(産む)させるという神秘的な行為に対する感謝、崇拝が、かくも多様な文字を作り上げたと言っても過言ではない。このように両性扶助(調和)は人間界の繁栄と維持に欠くことができない条件ではあるが、歴史はその時々にその還元力を試したり、互いの必須条件を確かめるかのように愛憎...「女厲(じょれい)」女性が派手で烈しくなる現象106/9再

  • アジア的 経世済民の要を考える 10 7/24 あの頃も

    カイワレを食べ、放射能処理水を飲んだり、真新しい作業技を着せられる総理?経世済民・・・国の運営は民の救済にあるいつの間にか・・と、考える国民が等しく自省すべき問題に「己れを知る」ということが有る。複雑な要因で形成された国家という代物に、民族という名において棲み分けられている夫々の国は、政治や経済という運動体によって維持され、そこから観察する多少高低や速度が繁栄バロメーターとして測定されている。また,それが唯一の計測方法として定着している。また、単にその要因だけでは集合体は成り立たない。そこには人々の情緒性や、あるいは精霊の在り処を生き様に溶け込ませてこそ国家として成さしめることでもある、という考え方がまるで無理解、無感覚のように忌諱されている。「人が人でなくて、どうして国が国として成り得ようか・・」と清末...アジア的経世済民の要を考える107/24あの頃も

  • 同胞の民癖と是々非々

    後藤田正晴氏紛争地派遣に前のめりな総理に「国民に覚悟がないのに海外派遣などとんでもない」と。是非を問うてあれこれと他人からすれば、かまってる暇もないが、備忘録として記してみたい。ベンガル子供新聞(バングラデッシュ)独立戦争好奇心、阿諛迎合、四角四面、笑顔で包む嫉妬と猜疑心。よく負け犬のようだともいわれる、良くも悪くもある習慣性だ。強いものに媚び、弱いものをいじめる、見ないふりをする、逃げる、劣性が際立つとそのようになる。だが、歴史は劣性を覆い隠す優性が文化として浸透していた。勤勉、正直、礼儀、忍耐、そして訪れるものへの優しさだ。人々の関係では、それが日本人の向ける客観的観察だけでなく、あえて当てはめようとすれば、人間なるもの似たり寄ったりの姿がある。ここにお人好しと楽天的が添えられると、海外評では分かりづ...同胞の民癖と是々非々

  • 交誼録 加藤三之輔翁 其の二「一献歌」 2014 7 再

    頭山満翁とタゴール以前のブログで加藤三之輔翁との交誼録を書いた。http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/e/c9cddd6a8f1a766b88a17a53bacbcb22世間は翁を右翼、民族主義者と譬えるが、決して固陋で偏狭な運動家ではない。むしろ実直で寛容な姿が映る。日本人の在野の情緒によく見る面倒見の良いお節介焼きの兄さんが、人知れず学問に励み、かつ、鷹揚に見えて繊細、度胸(胆力)の背景には結末を洞察する緻密な深慮が翁にはあった。ときに、短慮軽薄な徒には皮肉にも聞こえる忠告もあり、氏の畏敬する頭山満に倣う薫醸された風儀があった。「稲生から相談があって、西鉄の池永のことで追放を解除したいとのことなんだが・・」プロ野球を震撼させた黒い霧事件で連座した池永投手の永久追放のことで...交誼録加藤三之輔翁其の二「一献歌」20147再

  • 「人間考学」 津輕のノン・リケットな風評 2015/4

    「ノン・リケット」判別の真偽不明の意ラテン語長い備忘文ですすが・・・・3・11の地震で福島第一原子力発電所が被災、その際、放射能セシュームが広範囲に拡散したと情報が広がった。青森県津軽地方の主農産物であるリンゴもその風評にさらされ、主な輸出先である台湾では輸入ストップした。一概に風評とは言うが「噂」の類とは異なるようだ。「人の噂は七十五日」といわれ邦人の諦観のようになっているが、「火のないところには煙も立たない」となると、多くは人の心に留まるようだ。この時は輸出ができないという実利被害だった。筆者は人生恩師の縁で二十数年前から毎年墓参を兼ねて津輕を訪ねた。そして多くの人を知った。地域作興、歴史の学び、青少年の問題、など各界から一報があればお節介のためにも随時訪れた。奇縁は妙なところから始まった。備忘録「津...「人間考学」津輕のノン・リケットな風評2015/4

  • 金沢八景 「野島の松」 再

    神奈川県横浜市金沢区あたりには風光明媚な場所がある。古人は八景として親しんだ。ペリー提督は江戸湾を調べ、この辺りをセントルイス・ベイと名ずけて錨を下ろしている。維新の成り上りも競って別荘を建てている場所でもある。鎌倉へ抜ける西方の朝比奈峠におちる「朝比奈の夕陽」、鎌倉北条氏の縁(えにし)、称名寺の梵鐘を「称名寺の鐘」、昔は陸続だった野島の海岸に多くみられる松を「野島の松」、時の流れで海浜は護岸され、夕陽はマンションの頭越しになって遠望は変わったが、名残(なごり)は、昔と変わらない朝夕の潮風と山風にあたると、妙に当時の縁(えにし)を瞑想させてくれる。あの幕末の黒船四艘が錨を下したのは金沢湾の沖、いまの八景島シーパラダイスの沖だが、幕府の右往左往を横目に江戸湾の測量をしている。そして彼らの故郷の名前をそれぞれ...金沢八景「野島の松」再

  • 羊飼いの犬に追いかけられた夢 2007 06 再

    もう何年も前の初夢で犬に追いかけられた犬は「自由と民主主義が社会を瓦解させてしまうためには、商工業を投機的基盤に置かなくてはならない」と。現代人が至上の価値としている自由や民主主義を用いて、人間の欲望を喚起させ、経済システムを、株、為替など、恣意的(人為)コントロール可能な基盤に誘導するという。たしかに好き勝手でまとまりにない人間を誘導するスローガンは、情報に触発された財貨の収集であり、しかも容易に成立するようなグランド(社会構造)を、収集される側の人間によって、成功価値を含めて創らせることだ。彼らはそれを成功のための唯一のグランドとして考え、異なる意見を排除して、肉親や友人との連帯すら融解させるだろう。お節介なもので皆に知らせたことがある何のことやら解らない人、なかには映画のストーリーかと言われた近頃は...羊飼いの犬に追いかけられた夢200706再

  • 「謝ったら過ちを認めたことになる」と、ここから人の連帯は劣化した 再

    児玉神社言い訳上手の謝り下手「智は大偽を生ず」今どきの学び舎エリートは、学び舎で得た知識や討論技法を言い訳に使う者が多くなった。国会でも一部の弁護士資格者の詭弁によって混迷の度を深くしているが、弁護士資格を持った議員同士の騒論は醜い争いとして議会のみならず、日本人そのものの劣化の象徴例として政治を暗澹としたものにしている。当然ながら国会は相手の罪状認否あるいは追求の場ではなく、国家をいかにして運営するか、協議する場である。国民も安心して任せられないのか、それとも劇場と揶揄されるように、判りやすい悪役、善人や派手な原色スーツ姿のパーティーホステスの嬌声をバラエティー番組を観るかのように楽しんでいるフシもある。異文化かぶれは別として日本人は昔から「謝ったら過ちを認めたことになる」との反応はなかった。たしか筆者...「謝ったら過ちを認めたことになる」と、ここから人の連帯は劣化した再

  • また、津軽に夏がきた 2018

    雪が恋しい季節です。゛雪は大変ですね゛と問うと、゛雪は汚れたものを覆い隠してくれる゛と。その汚れた?ものが顔を出すと、引っ込み思案の津軽衆も元気に動き回り、オンナ衆はそれに輪をかけて、春の到来に冬と異なった解放感を見せてくれます。津軽にも足かけ三十年になると季節の変化とともに、人のうつろいも様々な姿を見せてくれます。寒気が肌を刺すころの岩木山は鉛色の雲に覆われますが、ときおり見せる青空は下界の銀雪とほどよくマッチングして黎明な景色を作りだします。明治の言論人陸羯南は、「名山のもとに名士あり」と詠み、この地は多くの賢人を育んでいます。最近、三沢の航空自衛隊で幹部指揮官の講話に度々訪れる。津軽には縁があるのでよく足を延ばす。北部航空警戒管制団幹部指揮官講話平時から有事へ、緊張の度合いが増した隊員のための講話は...また、津軽に夏がきた2018

  • 郷学の学び 『大学へ行くのか・・・』 15,2/2再

    無いよりは有った方が良い類のことである。それが偽装身分を構成するものだとしても「人格」を代表することはない。障子を透かす陽光が背中から射して碩学の顔がどこかかげっている。それは現役進学時の虚な疑問から、恩師がせっかく綴ってくれた数部の内申書を破り捨てた時と同じような頭をめぐらす納得であり、世俗の簡便な成功価値から離れる一瞬のことだった。その頃から進学校、いや大型塾の様だった学び舎は生徒に冒険を促した。なかには要らぬ敗北感落ち込む者もいた。教師も数値を上げるために「滑り止め」と陳腐な試みをする教員も多かった。それさえも父兄は温情と受け取った。本人の志望は別として進学校は安全パイと称する大学を羅列して内申書を書くことあった。みると六大学の有名校のようだが、華も咲かない枯れ木にしか見えなかった。明治以降の学校の...郷学の学び『大学へ行くのか・・・』15,2/2再

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