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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 当世知識人の「言、二貨無シ」 再

    言うことに二貨はない、つまり「掛け値の無い値段」ですよ、という意味だが、二貨はないが、三貨、四貨は有るとのことだ。良いも悪いも無い、面前応答を楽しんでいるのである。『大人(タイジン)、まけとくよ』終いには半値、七掛けまで値下げして、『大人には参ったょ』、と破顔笑する店の主人の愉しそうなこと。ついつい要らぬものまで手を出してしまうことがある。たとえは変わるが、時の経過に集積された事例を根拠とした肴をネタに、言や文という表現方法によって虚を実のように思い込ませる技を生業にしている知識人と称する一群がいる。それは、単なる無知と有知の違いだが、土壇場の勇智にならないのが常である。縁と機によって修得した「知」が、いつの間にか「識」となり、食い扶持の「職」となったものたちだが、真の知に格たる教養の有無を問うわけでもな...当世知識人の「言、二貨無シ」再

  • 衰亡の歴史を感知する習近平の国内政策 その①

    ものごとは、是は是,非は非と分別されなければならない。ロシアや中国の行うことはダメ。米国や西欧圏の唱えることは善。あるいは独裁国家だから自由がない国民は可哀そう、自由のある米国や日本は幸せとの感覚も同様にある。もしも、そのような印象でみれば、努力更新すらすべて歪んで感覚でしか見えない。筆者がはじめての訪問時に遭遇した天安門事件の頃、当時、日本人の浅薄な中国への印象は、汚い、遅れている、自由がないと。地方から都会に来て、しばらくすると同郷人を田舎者と嘲ることに似ている。あるいは戒厳令下の小学校訪問での印象を帰国後説明した際のこと、休み時間は文具か机の右側に揃えられ、パソコン教室は種類の異なるメーカーのディスプレイに白い布で覆われ、整理整頓、清掃が行われていた。なによりも教師に対して尊敬し従順だった。天安門で...衰亡の歴史を感知する習近平の国内政策その①

  • 至る処 青山在り 07 5/31 あの頃

    人は生地は判っていても、死に場所までは解からない。ただ三島氏のように死に場所を決めて、その自裁する意味を最後の言葉として発する華々しさもあれば、一瞬な事故や他人から殺害されたり、あるいは、自宅の床や病院で死を待つ最期もある。ここで記す革命家の死を想定した覚悟は、たとえ誰にも見取られない側溝泥水や異郷において斬首されることも想定しているが、彼らには肉体消滅に勝る覚悟が本懐となっている。死生観など望むべくもない昨今、説法や語りもの、あるいは医学的に骸となった死に意味合いを持たせ、知った、覚えた、類の知学と理解はしているが、生命や行為に死というすべてが無に帰す時と存在、あるいは生きた証を利他に提供する気概は、キナ臭くなった近未来に新たな課題として現代人に問いかけている。謳われる平和や自由は、どこに、本当に在るか...至る処青山在り075/31あの頃

  • 対支二十一箇条要求をたどり観る 2009 12 再

    20214/13日刊ゲンダイ連載で保坂正康氏が、対シ二十一カ条要求は大陸シナの植民地化と書いている。以前、安岡正篤氏道系の埼玉県東松山にある郷学研修所で保坂氏とお目にかかったとき「国際問題研究所」の私冊子をお渡ししたことがある。それは当事者から直接、佐藤慎一郎氏が聴取した内容である。泥沼化、日本軍部の横暴、北進から南進、政治の動向、いろいろ記載するも、その謀略企図や、それによる情勢の変化などは参考とされなかったようだ。国民党幹部の聴取もある中で、蒋緯国氏の記述もあるが、来日時には佐藤氏と自身の出生についての秘話など語り合っている。また、氏の著書にもある孫文と山田兄弟の逸話は、山田純三郎氏子息の保管していた資料からの転用記述ではあるが、この資料は行動を共にした佐藤慎一郎氏の膨大な資料の一部子息に寄託されたも...対支二十一箇条要求をたどり観る200912再

  • 可愛い女傑たち 2017 2 再

    可愛いか、可哀いのかはそれぞれだが、事と次第によっては熱狂と偏見、悲壮感さえ漂う雰囲気がある。街中では歩けないような原色スーツで身を装い、赤絨毯を闊歩する女性閣僚たちの予備軍のような方々であった俗人は「贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む」という。しょせんロシュフーコのいう自己愛の観察なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・・との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、おおよそは当てはまる心の深層だろう。まして逆に考えれば、己が幸せの羨望を集め、嫉妬されるような幸福感を求めていることなのだろう。以前、政治評論家の板垣英憲氏の主催で「可愛い女傑たち」というパーティーに誘われた。普段は政治の裏側や政策評論などを生業としていた板垣氏の呼びかけだったが、参加者はそれなりの女性だが...可愛い女傑たち20172再

  • 家督と家業、そして国家を担うこと 2016 8 あの頃

    昨今の権利意識は家督と家業を混在させ血縁親族が相争う様相である。とくに、「経済生活での競争は人情薄弱な世の中をつくるだろう・・」と、以前に拙章で記した社会の構成と流れがその因だろうが、民主と自由という恣意的な喧伝は人々を、゛易きに流れる゛方向に向かわせている。つまり家督でいえば、親子や兄弟姉妹の分裂を招き、「個」の発揮というこれまた自由の屏風をたてに個別財の確保、あるいは家財の分散確保に向かうようだ。もちろん財を税務管理する「法」を建前として個別権利、個別相続といったことがしごく当然といった考えで個々の齟齬を発生させ、より分断や分裂を進捗させている。ここでは成文法の「清規」と掟や習慣にある「陋規」の分別の無理解であろうが、そのことの有ることすら認知しない人々の煩い事でもある。よく長兄の家督というが、商人の...家督と家業、そして国家を担うこと20168あの頃

  • 嵌って慣らされる、課題(えさ)には喰いつくな。 あの頃 23 2/7

    嵌って・・・ハマって読者からの資料を含む友人の税理士から届いた知らせを転載しますQ&A(質問と応え)これは課題ではなく、今の時点では仮題である。消費税そのものを論ずることは課題だが、想定問答を徴収するする側が仮題であってもクイズもどきの質問と答えを出されると従順と随う民癖には、さぞ丁寧に感ずる国民もいるはずだ。最近、国家を具体的に表す権力為政者の姿は、それに問題意識もなく面従腹背を従順に装う役人、ここでは税官吏の無謬性(間違いがないとの前提)が疑われている昨今、たとえ仮のケースであっても、クイズもどきにして混乱を整える作為には、とこか腑に落ちない。代議士が争論談合して、なんとなく決まったようだが、国民の多くは、どうにかなるだろう、これも慣れるしかないと、種々繰り出される政策同様な諦観(あきらめ感)をもって...嵌って慣らされる、課題(えさ)には喰いつくな。あの頃232/7

  • 北から、東からは大軍が押し寄せるという預言 そのⅡ 旧稿

    数年前から幾度となく掲載していますが・・・今回、中東イスラエルで起きた戦争を機に、聖書の黙示録に記されているエゼキエル戦争について多くの識者から様々な論文がだされています。伊勢の式年遷宮(20年ごとに更新)同様、聖書にも7年周期が記されています。7✖️7の49年、およそ50周年がヨベル年、それが今年の9月16日からその年といわれています。最終的にはイスラエル(カナンに聖地)に北からロッシ(ロシア)東から大軍、以前は異教徒のイラン(ペルシャ)、トルコ(オスマン帝国)でしたが、最近は一路一帯を掲げ大国となった中国もありますが、書かれた当時の預言ではそのように記されています。それが旧約聖書に書かれている最終戦争ですが、惨禍消滅ではなく人間世界の更新とも読めます。中国と記しましたが、現在はユーラシア大陸を横断する...北から、東からは大軍が押し寄せるという預言そのⅡ旧稿

  • 民情を変質させる面前権力である税と警察の自堕落 10 11/26

    末尾次章に安岡正明氏「地方行政官の心得」掲載税吏の職務日誌抄【電子書籍】[五十目寿男]江戸の仇は長崎で・・・・狡猾な官吏は時を置き、場を変え、しかも大義を謳って仇を返す、昔は江戸の恥をかたちを変えて長崎で遂げるそんな譬えだろう。官吏同士ならまだしも、こと官吏と庶民の関係にあろうものなら庶民は抗弁する間もなく残酷な苦しみを味わうことになる。こうも煩雑で怪奇な法を駆使されて懐中を召し上げられると、つい反論したくなる。諸情報に例を引くと、曰く・・・裏金、便宜供与、交番勤務が専ら切符切り、選挙法による議員のコントロール、関係現業への天下り、親族の就職登用の便宜、等まさに紫禁城の宦官のような「禁ずるところ利を生ず」の有様だ。税官吏も同様だ。己の源泉税を操作して背任横領、OBの税理士斡旋や恣意的節税ならず帳簿偽装、成...民情を変質させる面前権力である税と警察の自堕落1011/26

  • 「教員の待遇を良くして給料を上げよ」と、北野たけしさんは言うが・・ 15 8/8 再

    北野武さん≪3/10また教員が頭を下げている。≫筆者がガキの頃、毎月爺さんと浅草に行った。本堂の足場が架かっていた頃だが、普段は教えもしなかった爺さんは「あの瓦の裏には名前が書いてある」とぼそぼそ語っていた。どこに行くのも、いつも、゛なっぱ服゛を着ていたせいか、本堂から六区に行く途中の路地の呑み屋で一杯入れていくが、店の婆さんが『税金の都合でお銚子一本になっているんで・・』と、浅草でも着なりをみるのかと不思議になった。爺さんは孫の前で恥かしそうだったが、余分にスズメという串刺しの小魚をたのんでくれた。六区では石井きん、大江美智子、浅香光代、大宮デンスケの人気者が看板を掛けていたが、総なめした。そのうち明治座で曾我廼家五郎八まで連れて行ってくれた。ロック座があったようだが、爺さんは早足で劇場側を歩いて見せな...「教員の待遇を良くして給料を上げよ」と、北野たけしさんは言うが・・158/8再

  • 外交とは・・・日本人はどこに 08 1/02 再

    【請孫文再来】寶田時雄著より(kindle版著名天下為公)≪日本人はどこに・・≫山田純三郎はことごとく曲解され,命まで狙われた純三郎の心には、そんな肉体的衝撃の危機にも増して,孫文に付き従い恵州で捕らえられ「日本人」だと告げれば死を免れたが、あくまで「支那人だ」と言い張り斬首された兄,良政の意志を、孫文に共鳴する独りの日本人の志操というだけではなく、独立した真の日本人としての矜持をもってアジアの将来に献じたものだと映っている。孫文は革命に殉死した兄・良政の志操を懐かしみ、終生、弟・純三郎を側近において、ときには叱り、あるときは激励して共に歓喜した孫文は、純三郎にとって革命の指導者であり、人生の師であり慈父のような存在であった。それゆえ、国際人となった純三郎なりの先見の推考で提言しても、日本に受け入れられな...外交とは・・・日本人はどこに081/02再

  • 舌鋒火を噴くベンガル魂

    東條英機首相少々間を置いた寄稿だったが、他ならぬ理由があった。以前、ベンガルの虎のことを記した。そして近代史の中でベンガルの有志と交流のあった岡倉天心とタゴール、頭山満とビハリーボーズ、下中弥三郎とラダ・ビノード・パル、東條英機とスバス・チャンドラ・ボースとの交流でベンガルと日本の関係の深さも記した。その関係史とインド亜大陸のなかでのベンガル地方の教育と、輩出した英雄や賢人などを紹介する「知ってる、知らない日本」という本が在日20年のシャーカー氏の筆で出版された。政治、経済、はたまた江戸文化吉原まで、彼曰く、゛下座観゛を駆使して記されているという。今回はベンガル語の出版だが、予定では英文、和文と作られる。本来、ODA(政府開発援助)による援助に添えて前記した貴重な人間関係を讃え、感謝する関係になりそうなも...舌鋒火を噴くベンガル魂

  • ひと括りに、「暴力団」といわれて久しいが 08/7再

    清水の次郎長暴力団といわれるが、これを以ってすべからく犯罪集団と思えない現象があった。通称、犯罪集団は各々の行為を冠して、詐欺団、窃盗団、集団行為に痴漢、ワイセツはないが、強盗あるいは暴走族など犯罪種別によって団や族に括られているようだ。あの族議員も同様な意味を含んでいる。余談だが「党」もある。旧字では「黨」、賞と黒だが、黒を賞する。隣国の古老の語りだが、党は悪党はいても善党とは言わない。党はそのような徒の集まりだから善いことをは行わない。近頃では、秋葉原事件など「堅気(かたぎ)」の凶悪犯罪が多発しているが、昔は刀剣、銃といった道具を用いるのはプロの仕事とされてきた。それは、あくまで気質の如何が重要視されたものだが、そこの境界を、゛義理と人情とやせ我慢゛で分けたのが、渡世をはるものの矜持だった。清水次郎長...ひと括りに、「暴力団」といわれて久しいが08/7再

  • 再読 2001年には多くの反論を頂いた拙論だが・・

    「名山の元に名士在り」と詠われた青森県岩木山2001年初頭の寄稿で「今、地方への下放の時代?」という題名だった。今、地方は疲弊しているという。そして都市に人々が集まってくる。何かおかしい、近代国家日本・・・以下、本文糜爛(ビラン)文化の写し絵でありながら中央思考の強い雑薄な人間が集い、情報というガセネタが飛び交う東京を中央と勝手に呼び、その他の地域を身勝手にも地方と錯覚している。地方といえば「文化程度が低い」はたまた「インフラ整備が遅れている」だから「食っていけない」などと評価したり、そんな御仁に限って隣国やアジア地域を「遅れている」「後進国」などと呼称している。地図上の呼称である「何々地方」はあるが、都会人が哀愁なのか、それともたまに出かける物見遊山の想い出からか、「地方の文化」などと褒め上げても鼻白む...再読2001年には多くの反論を頂いた拙論だが・・

  • 彼らの低俗で卑しい手段と態度 11.11再

    「なでしこ」関係サイトより転載よく政治家が庶民に親しむと称して記者を引き連れ居酒屋談義をする。似たようなことだが、台風や震災などにみまわれた災害地に現地視察と称して真新しい作業着を羽織って、行列を組んでいる。作業着が慣れないせいか、生地がなじんでなく恰好悪い。着心地良くするには、一度洗濯してから着るのが普通だ。なかには襟を立ててファッションを気取っているが、国会で作業着ファッションとはさまにならない。たしかに自衛隊は制服の隊員として被災地で神々(こうごう)しい姿を魅せたが、一方の制服マニアにはその風はない。民主主義の国民代表は大衆から選出され、議員としてその任に就いている。内閣を組閣すれば官僚を統括し戦闘命令さえ出せる負託された権力をもっている。その代議員になるためには平身低頭、街頭に立ち笑顔を振りまき、...彼らの低俗で卑しい手段と態度11.11再

  • その人は任侠の薫がした 13 4/9

    青森県は県下を南部とよばれる地域と西方の津軽とよぶ二分する地域があるが、その津軽氏を藩祖とした城下町に弘前という市がある。あの「名山のもとに名士あり」と詠んだ明治の言論人陸羯南の生地でもある。その弘前で幾度か訪れた居酒屋でのことだった。「わっ(我)が作った漬物だ、旨いよ」カウンターの隣に座った客が近ごろ心地よくきけるになった津軽弁で女将に持ち込んだ漬物をしきりにすすめる。酔客にもこだわりを持たないせいか、また旨かったためか話がはずみ、カラオケが始まった。この地域の人たちは歌が巧い。よく男は陰気で頑固、足の引っ張りが特徴だと津軽の女性はいうが、ここには威勢よく威張るような、あるいは開けっぴろげで粋な江戸っ子のような軽妙さは少ない。だが、腹は同じだとおもえる素振りがみえる。女に好いかっこしい、酒が好きで歌が巧...その人は任侠の薫がした134/9

  • 試されている 2008 1/9 再

    昨年の雑感と未だつかみ処のない今年の在り様は、自らの甲羅に合わせて穴を掘るという蟹にも及ばない状況だ。そもそも己の甲羅の大きさや背中を見ることの出来ない感覚では穴さえも掘れなくて当然ともいえる。そんな至らぬ若輩でも背中を押してくれた先輩諸氏がいた。しかし明治の気風を醸し出した多くの先達も年次を追うごとに姿を隠してしまった。それも、゛話し相手゛、といっては失敬だが、無位無官に加えて無名浅学な小僧相手に口の渇くのも忘れて押し込まれたものが牛の反芻のように身体を駆け巡る、そんな期が訪れたようだ。ある老人は「恩讐を超えて復(フタタ)縁は甦る・・」と縁の断絶による良知の習得の不可を説き、市井の哲人は「貪らざるを寶と為す」と書をしたため、大陸浪人は「知識の馬鹿は無学の莫過(甚だしく能力がある意)より始末が悪い」と喝破...試されている20081/9再

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