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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 4%金利で毎年40兆円の利子 2022/10 再

    萬晩報伴武澄高知発元共同通信経済部アメリカの長期金利の利率は4%。普通の金利に近づいている。日本は20年以上ゼロ金利が続いている。失われたものはとてつもなく大きい。金利上昇には当然メリットとデメリットがあるが、日本に金利が戻った場合のメリットについて話したい。日銀が6月27日発表した資金循環統計(2022年第1四半期)によると、家計金融資産額は前年同期比+2.4%の2,005兆円と過去最高となった。このうち、現金・預金が1,088兆円で、全体の54%を占めている。この1000兆円だけでもアメリカ並みの4%で運用されると国民は40兆円の新たな資金を手にすることになる。まずこれは消費市場において政府がこれまで打って来たどんな経済対策より強力である。次にこの40兆円には20%の税金がかかる。8兆円である。政府収...4%金利で毎年40兆円の利子2022/10再

  • 観人の妙「飼い犬に手を咬まれる」とき

    同郷、道縁、政治で言えば派閥などでよくあることだが、ここでは、゛咬まれた゛ときの咬むほうと、咬まれた側の応答に、愚かさと賢さをみるときがある。時代の推移と共に老、壮、青、小が入れ替わり、夫々のステージが変化してくるのは常ではあるが、無常観(一定ではない)をどのように消化するかは栄枯盛衰の流れを、どう捉えるかによって大きく左右され、不消化は怨嗟、反目になり、うまく消化すれば人生に重層された許容なり度量として賢く自身に内包される。一方、咬んだほうは高邁、狡猾になり、人との関係を計算高く見るようになる。とくに理解が半知半解であっても歓心を買うことにずる賢くなり、たとえ相手に道理が整っていなくても利のために追従し、かつそのような考察や行動が習慣化して軽薄な人物になってしまう。また、一方では往々にして理想を語り、大...観人の妙「飼い犬に手を咬まれる」とき

  • 少々昂じた書生論のようだが・・・ 2008 あの頃から

    ベンガルの哲人タゴール中華民国(台湾)のカウンターは北朝鮮か。ブッシュ政権末期、台湾は国民党政権になり新任の馬総統は大陸との関係交流を一段階上げたようにみえる。その台湾と貿易関係にある北朝鮮は米国ヒル代表に対して核開発の凍結を伝え、ライス国務長官は敵対的関係と制裁の解除を予告している。それに呼応するように外務省は北朝鮮交渉当局者との会談に入り、どのような経緯か拉致家族や関係者には分からぬまま、国民には唐突に思える制裁解除の手続きを始めた。しかも、その舞台装置はヒル次官補が再三にわたり事前会見に、おいて「拉致」を条件とする、いや日本政府になり代わって拉致家族に伝えるメッセージのように聴こえたのは妙に回り舞台の駆動に似た感じがした。これは北朝鮮を影響下におき、世界のATMと揶揄されている日本の助力で陣営の間断...少々昂じた書生論のようだが・・・2008あの頃から

  • 税と警察の姿で国民の信を得ることができる 14 1/20再

    岩木神社税と警察には政治家も腰をひく。目の細かい投網のような選挙法は警察のさじ加減でどの様にもなる。税も同様にサジ加減が利くが、警察の正義、税の公平が崩れたら国は自ずと融解する。国会でそのような分かり易い国家の根源的な論議は聞いた事はない。議員ですら口を封じ、いや問題意識すら抱かない、それよりか見て見ぬふりが現状なのだろう。1989北京近ごろはこの様な元気すらない日本。やはり仕方がない諦めか。標記は漢学者の安岡正篤氏の筆者につぶやいた呻吟でもある。くわえて子息正明氏もその経歴にある税務大学校長の経験から父の言をなぞっている。筆者も一方は自宅書斎で、正明氏からは小会(郷学研修会)で同様な社会観察、歴史考察から同様な憂慮を聴いた。当時、安岡氏の周囲には多くの集いがあった。何を意図しているかわからない経済人、政...税と警察の姿で国民の信を得ることができる141/20再

  • 還りたい あの頃のつずり あの頃 08 9/25

    夏が過ぎると候を待ち臨んでいたかのように草花が甦ってくる。古より、「天高く・・」と詠まれているが、首(こうべ)を巡らせると透き通った円空が目の前の海に溶け込んでいるかのように水平線が混色している。そこから海原を渡り水際から足元に眸を転じると、不思議かな視界が狭くなり,仕舞いには黙想状態になる。日頃世俗の事象に追いかけられているものにとっては、一瞬であろうが、言いようも無い独悦の刻でもある。それは、ことさら憂いや悩みがあることではない、ただ還ってみたいと思い立ったのである。世間知らずのガキが憧れの車を駆って、よく訪れた処で、同じ情景を味わいたかった。時を違えているがガキのころの気持ちと何ら変わってはいない。あの頃は嬌声に囲まれ騒いでいたが、今は浮世の戯言の訪れに口耳四寸を駆使するくらいにはなったが、゛独り゛...還りたいあの頃のつずりあの頃089/25

  • 投票前提 吾は社会そのものなり. 9 8/20 再

    以下は前コラム「国賊的・・・」に対する東夷学徒さんのコメントに対する応答です。東夷さんの了解を得る手段もありませんが、拙文の趣意に免じて参考掲載いたします。「われ未だ木鶏たりえず」(東夷学徒)2008-09-1401:44:14こんにちは。私の質問に対し、いつもご丁寧に返答頂き誠にありがとうございます。自民党総裁選と並んで、今国民の視線が注がれている問題として、大相撲の外国人力士の大麻汚染疑惑?問題が挙げられます。「われ未だ木鶏たりえず」という名言を残した角聖・双葉山の『心』の師であった安岡正篤氏がもし生きておられたなら、角界の一連の不祥事をどのように受け止め、一体どのような改革・再生に乗り出されたか、天上の安岡氏に聞いてみたいと思うばかりです。弛緩(孫景文)2008-09-1413:01:51国家が弛緩...投票前提吾は社会そのものなり.98/20再

  • 裕福な家のメイドより、貧乏でも自由が欲しい. 15.8/13 再

    ある在日の若き韓国女性の呟きごとだ。姉は結婚もせず事業に邁進しているが、独りよがりな強引さに妹は鬱陶しくなっている。姉も淋しがりやだが性格なのか他人を信じない。また金で人はついてくると考えている。別段、何に追いかけられているわけでもないが、つねに頭から事業が離れない。姉妹は普段は人情もあり仲は良いが、喧嘩するとパトカーが来る激しさがある。日本に来てスッキリしない自分の国の問題と情緒に染みついている感情は、ときに嫌になる。他人に烈しくみえるのは、我が解らない、いた堪らないなのかもしれない。今まで周りは「我」として生活してきた。「自分」という考え方が習慣化されていないようだ。本当の自分を知って広い心で周りの人をみるべきだろう。だが、そうしなければ生きられなかった地域の諦観(あきらめ)なのでしょう。儒教でもかた...裕福な家のメイドより、貧乏でも自由が欲しい.15.8/13再

  • 人間考学 歴史の静止考証と動態活学 08 3/18 再

    枝頭の梅花によって春の訪れを知る(師からの便り)《殺伐とした欲望と偽善の環境は、ときに素晴らしい情感を潤いとしても表現することがあるという。我が国の男文化の昇華は、戦国時代、幕末、敗戦直前の死生観から生じていると・・・、それは、実直、真摯、洒脱、大らかにも見える義挙への靖献の清々しさであろう。》以下珍奇な切り口ですがこのところ起きる様々な事件、事象を歴史に記述するにあたって、その因果関係を考証するに旧約聖書の預言に求めたり、地球が宇宙の構成要因として物体の経年上避けてとおれない大気の変質や基盤変化などが、人間の所作である歴史の現象に深くかかわっているような論を聞くことがある。分派、分裂してボスと、その他一同を抱える学派にはみることはないが、これも人間の「識」(道理)の変遷とすることを歴史考証の成り立ちとし...人間考学歴史の静止考証と動態活学083/18再

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の六

    中央は若かりし頃の邦彦氏(下中邸観桜会)下中邸は国道二号線の池上を過ぎたあたりを右折した小高いところにあった。閑静な住宅街のなか、石垣塀に囲まれた高台に広々とした芝生の庭が続き、玄関を覆い包むように桜の大木があり、和洋折衷の家屋がカネの手に作られている。観桜会はライオンから生ビールのケータリングと邦彦さん好物の瓶覗きという壺酒が用意され、新筍の照り焼きや混ぜ飯、そして主人の鍋奉行でおでんが提供された。参会者は各々庭で歓談しているが、主人は開け広げの縁側で楽しそうに眺めている。和服姿の麗人もいるが、さすがに飲み仲間の杯は早い。ともあれ、あの出版界の怪物と謳われパル博士と義兄弟の契りを結んだ下中弥三郎が思索を廻らした庵である。好物の銘酒カメノゾキを傍らに鍋奉行を任ずる亭主の箸捌きに具が踊る。「弥三郎釜の桜の会...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の六

  • 財流は欧州から米国、そして孔子の国へ 2009,9 再々稿

    色、食、財、三欲、とくに財の欲望は、あらゆるものを誘引し、同化する。肌の色は違えど、その欲望の指向するところ、具体的には似て非なるような興隆と衰亡の循環は、軌道を同じくして同衾に近い状態に導くだろう。それは表層の政治状況とは異なる裏面の戯れのように進んでいる。半藤さんの読みは鋭い。さまざまな意図を推考するあまり本質を見失うことがある世はインテリジェンス流行りだが、相手の本意と次の行動を予想して策を労するようだが、知識があっても胆力なく、小欲があっても大欲なく、いわんや連帯と調和を失くした国家には対応力もない。本質は事象の探索ではなく、人間の問題から発する欲の行く末と観れば容易に見当がつく。歴史からみれば一過性だが、米国は中国に向かう。それが財の目的、支配の意図、だとしても現世利益優先のグランドは大陸に向か...財流は欧州から米国、そして孔子の国へ2009,9再々稿

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の五

    《銀座ライオンビヤホール》下中邦彦氏との機縁と淡交友誼松坂屋の新橋寄りにライオンビヤホールがある。戦前からの古めかしい建物だが一階のビヤホールは天井も高く、照明は今ではアンティークになるドイツ製、正面のモザイクタイルで描かれた裸婦の壁面は戦時中、乳房が隠されてたというエピソードがあるくらいハイカラな内装である。戦後の一時期は進駐軍に接収されバーベキューの燻りでホール全体が煤けているが、それも変遷の激しい銀座の路面店では珍しい歴史の名残として絶妙な雰囲気がある。モザイク壁画を背にしてビヤカウンターがあるが、ウェートレスが忙しく運ぶビールの飛沫が掛かろうかという場所に常連席がある。週末は入り口に列を作るほどの盛況さだが、その脇をすり抜けて常連席に着く人たちがいる。互いに氏性を聞くでもなし、ましてや出自や社会的...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の五

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の四

    日本の青年へ端緒数年前、ことさら畏まった日ではなかったが九段の杜で刻を過ごしていた。この域は別段の想いを懐く処でもあるが、騒がしい世情から脱した時空を思い描き、時の経過を自省するには謂うに言われぬ潤いを感じさせるところである。また昂揚するも、それが還って鎮まりを請来させるような雰囲気を漂わせるまさに鎮護の杜の佇まいである。その参道の門前にテーブルを並べて書籍を販売する一団が在る。掛けられた襷には英霊の会と墨記され、見受けると老齢ではあるがかくしゃくとした健児のように眼を輝かしている。一冊の本が目に留まった。〔パール博士の日本無罪論〕、アジア人らしき人物の写真が表紙を飾っている。靖国のそれらしき本かとベージを捲ると、裁判の判決文や著者の考察があり、終章には思わず引き寄せられる稿があった。「日本の青年へ」とし...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の四

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の三

    パル・下中記念館の回想神奈川県箱根町、国道のつづら坂に沿って見落としがちな小道が旧道に向かって入り込んでいる。端には壊れた外国のスポーツカーが朽ち錆びて棄てられている。鬱蒼とした径に歩を進めると急に視界が開ける。広場のようになっているが、もとは芝生だったのだろう。周りには夫々異なった種目の建物が囲んでいる。右奥は低層のリゾートマンション風、左は二階建て研修道場風の建物があり、左手の小高く造成された石段を登ると拝堂がある。何かを鎮座するためのものだろうが、手入れの行き届かない周辺の様子ではある。それでも何かの意思を持って構成された建造配置であることが分かる。振り返ると広場の入り口の左手に自然石で作られた碑がある。和文とベンガル語によって記されている碑面は、雑草が蔽い風雨に晒され判別が難しい。拝堂の裏手の奥ま...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の三

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の二

    『日本の寺は博物館のようだ』京都に訪れたときの感想である。寺は人が集まる場所、という意味があるが、僧侶が観光ガイドとなり、拝観と称して入場料をとり、はたまた落語会、演奏会などイベント会場として用をなしている。寺とは僧侶の学習の場所であり、目的は民衆を救済することにある。パル博士には寺院がそのように観えたのだろう。インドの司法家ラダ・ビノード・パル勝者が敗者を裁いた極東軍事裁判(東京裁判)の判事として、また唯一裁判の無効性を唱え独自の見解を残したパル判決文でも有名な人物である。出身はインドの哲人、賢人を多く輩出したベンガル。ここでは東京裁判や靖国問題など、言論思想界に登場するパル博士ではなく、ヒューマニティあふれるパル博士の人柄と日本人の交流を取り上げたい。なぜなら、巷間パル博士の言動は戦争の惨禍の後にある...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の二

  • 義理と人情に やせ我慢

    あの暴れん坊将軍の松平サンバ?演じる徳川吉宗の御世、大岡越前とめ組の鳶頭が活躍した頃のことである。当時の江戸は「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるくらい火事が多かった。花街は吉原が有名だが、以前は日本橋に在った。夜は行灯ロウソクの不始末を恐れて昼の営業だった。真昼間から!!!さらに驚くことは、当時の武士は夜間外出が禁止されていたため、もっぱら武士の花街通いはマッ昼間だった。つい最近までは霞ヶ関も昼の接待ゴルフと夜のノーパンしゃぶしゃぶにと、玉遊びと覗きに高学歴の似合い趣味だが、あの剣豪と謳われた武蔵も常連だった。江戸開府当時は町民の7~8割が独身だと杉浦女史も記しているが、女郎さんも忙しかったに相違ない。昨今、義理は古くて人情は野暮と言われているが、庶民のやせ我慢の伝統は生きている。女はシナをつくり、男は形...義理と人情にやせ我慢

  • 文は読むこと、読まれることではない 読者所感

    まさに、筆者としては恥ずかしながらの収受した読者の希文ですが、ご了解を戴き掲載させていただきます。氏は鹿児島県出身の元治安官僚です。拙文ながら御賢読いただき、ときおり顔を見せては洒脱な話をします弘前城公園ブログを拝見し、僭越ながら私の感想を述べさせていただきます。前書き(ブログ全体を通し、)今の時代の数々の問題を、枝葉は気にせず根本的に、いろいろな方向から客観的に分析し、回答まで導いており、見識の深さと肩を張らない自然体で物の見方を教えてくださり読む人に問題意識をもたせるブログと感じました。全体として博愛主義で、多くの人と交流するが、どのような人にあっても、どのような場面でも人を差別せず、同じ目線で来る者は拒まず、去る者は負わず、自主性に任せる、実に懐が深いお考えをもたれ、うらやましい限りです。私などは直...文は読むこと、読まれることではない読者所感

  • オンナが求める 金と面白さと易しさ 04 あの頃

    よく「ヤサシイ男性が好き」とはあるが・・・「優しさは」人を憂う(心に留める)と書くが、「易しい」は相手の能力程度に合わせてくれる心地よさでもあろう。優しいことは相手のために厳しさともなったり、別離さえあるがが、易しい人はの関心は、無関心、事なかれ、あるいは別の理由があるのかもしれない。今回はオトコではなく、オンナです。最近の女性へのアンケートだが、年代によって優先順は入れ替わりがあるが、女性にとっての三大用件は標記のようだ。例題の出し方が露店に並べられたバナナの口上ならまだしも、「裏も表もバナナだよ」と言いくるめられて妙に納得する見物客のようで面白い。あくまで男子への興味と付き合いの条件だが、旦那元気で留守がいい、と言われて久しいが中年は総じて金だ。つぎは吉本興業の若手芸人なみの面白さだが、レベルに合った...オンナが求める金と面白さと易しさ04あの頃

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