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『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その3)
善か悪か、愛しいか嫌いか、このように分別したり選択したりすることがあれば、そこに心が生じる。本当は心なんてどこを尋ねても存在しないのに、生じた心によって、人は苦しむ。
2024/07/31 12:13
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その2)
禅の言葉は、自分の心境や禅機を託すものもあるが、弟子や相手に与えて考えさせるものもある。禅は言葉に捉われること嫌うが、悟りに向かうその方向を示唆してくれるものが言葉である。
2024/07/28 12:07
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その1)
鏡が、ありのままを映し出すことは禅の話の中によく出てくる。鏡には、作意が無いからだ。そこで、鏡とは何かといえば、それは境界(=私たちの周りを取り囲む、自然界や人事の世界)を映し出す、私たちの心のたとえなのだ。
2024/07/22 11:59
ゴルゴ13の脚本
以下の話は架空のものであり、実在する国、人物、事件とは一切関わりはございません
2024/07/20 13:57
『碧巌録』より 第八則 翠巖夏末示衆 (その3)
禅において悟境を述べたり、人を唱導したりする言句は短い一句であるが、その一句を述べるそこにどれだけの大力量が込められていることだろうか。
2024/07/17 13:33
『碧巌録』より 第八則 翠巖夏末示衆 (その2)
禅の宗匠は、人を死地に追い込み、そしてそこから生きて出てくる道を探らせる。もしそこで、言えなかったら、死地から帰還することはできない。どうやって人を死地に追い込むのか。それは、「駆耕夫之牛、奪飢人之食」という語句に示されている。人が固執していることを、厳しく奪い去るのだ。
2024/07/13 11:09
2024年7月 (1件〜100件)
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