葉っぱの落とす影がふいに目に飛び込んでくる。梅雨とは思えないほどの暑さに影の濃さも夏仕様。こんなに暑くても一つ足りないのは蝉の声。いつも気象庁の発表を待たずとも蝉が鳴いたら「梅雨明け」と勝手ながら決めている。この暑さに土の中までも高温になってしまい根野菜が軒並み地中で傷んでしまうという。。。土の中で眠っている虫の子どもたちは大丈夫だろうか。絵本「根っこのこどもたち目をさます」をふと思い出す。蝉の子どもたちも地面の下でどうかがんばって。地面の下のこどもたち
ココロの風通し的散文です。思うこと/アート/本/映画/音楽/自然など、日常の写真を添えて綴ります。
すきなもの。たいせつなこと。ココロに風を通すと見えていなかったたいせつなことがあぶり出されてきたりします。
2024年今年も間もなく終わり、新しい年が始まる。人混みの初詣はニガテ。なので、今年は大晦日の午後一年のお礼を伝えに近所の神社にお参りしてきた。境内は今夜からの参拝客のための夜店の業者さんが準備に大わらわ。大晦日の神社って初めて来たけれどなかなか活気に溢れていていいね。この時間の方が凛とした空気が張りつめているように感じる。まだ夜店の食べ物のにおいが漂っていないせいかな。同じようにお参りに来ているひともちらほら。手水場ももう新年の装い。今年もヒヤヒヤハラハラいろんなことがあったけれど、とりあえず皆元気で居られたらそれでもう十分。2025年世界中の平和を祈りつつちゃんとジブンの足元も見ながら、一歩一歩進もうと思う。明日は明日の風が吹く!✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩今年も書きっぱなしのわたしの拙い文章を読みに立ち寄...お礼詣り
スーパーの生花コーナーにフリージアを発見。年々早くなるような気がするなぁ。母のすきだったフリージア。母の誕生日にはいつもフリージアとモンブランを届けていたあの日々はもう遠い。亡くなった後は、毎年伯父にフリージアの花束を送って母の眠るお墓に供えてもらっていた。その伯父の亡き後は送ることもなくなり今ではフリージアは我が家で香る。やさしい甘い香り。沈丁花の次、世界で2番目に好きな花。フリージア
語呂合わせと言えば、先日とてもとても驚く案件あり!ムスメの、とあるカードの暗証番号4桁を聞いて耳を疑う。なぜに???わたしのとあるカードの暗証番号と全く同じ数字!聞いてみれば、彼女のとある推しの名前の語呂合わせなのだという。全く違う意味合いの語呂合わせで選んだとはいえ、母親とドンピシャ同じ4桁だなんて天文学的確率なんじゃないだろうか?これぞミラクルな偶然!こんなことってあるのねぇ。母娘ってふしぎだ。語呂合わせ
最近、記憶力を鍛えるジブンなりのゲームをしている。ゲームといっても日常に於けるジブンの脳との小さな勝負の遊びだ。ひとつは停めた自転車の駐輪場のナンバーの記憶。例えば買い物に出たスーパーの自転車置場。駅前の駐輪場。朝停めて夜帰る時までちゃんと覚えておけるかゲーム。停めた場所を見れば済むことなんだけれどね。覚えていたらちょっと脳をホメてあげる。もうひとつは本の読みかけのページ数の記憶。電車で移動中の乗り換えや降車で閉じる度に栞を使わずページ数を記憶するゲーム!大抵語呂合わせでページを覚えておく。例えば158なら「行こーや!」とか253なら「煮込み」とかね。語呂合わせと言えば、母はいつも電話番号に名前を付けるみたいに語呂合わせをするひとで、子ども時代引越しで番号が変わる度に皆に語呂合わせで憶えさせたものだ。お陰...記憶力を鍛えるささやな遊び
どこまでもどこまでも思いのままにまるで紅いレース編みのよう。今年もまっかに染まりました。すきな壁
自分がリュックを背負っていて誰かに忘れ物を入れてもらったり、または何かをリュックのポケットから出してもらうという時…。クラクラするほどの懐かしさに捲かれるのはわたしだけだろうか。瞬時にランドセルを背負っていた約半世紀前のジブンにタイムスリップしてしまうのである。小学生の頃、よく通学直前の玄関先で背中に背負ったままのランドセルのフタを母が開けて忘れ物を入れて貰ったり何かを取り出して貰ったりした。体が憶えている背中に伝わる振動や感覚がそのままに甦り、思い掛けずちいさいジブンを追体験してしまうのだ。懐かしさと切なさのないまぜになった感情…。こうして今尚誰かがそばにいてくれるというありがたさに何だか胸が熱くなってしまう。我ながら幾つになっても感受性が強すぎるせいなのかもしれないけれど〜!小学生のキモチに瞬時に戻っ...小学生のジブンにタイムスリップする方法
近年、AppleMusicであえて新しいグローバルな音楽を流し聴いて気に入る曲をプレイリストに入れている。聴いているうちに、なんだろそれ?と聞いたことのないとあるフレーズが気になって調べてみた。Whiskyneatウィスキーニートとはなんぞや。生(き)で飲むウィスキーってことらしい。へえ。そうなんだ〜。「生で呑む」といえば、うちの父はウイスキーを瓶からラッパのみするひとだったので、子どもの頃からそれを見慣れていたわたしは社会に出てから世の中のひとがウイスキーをたっぷりの水で割って飲むのを見て逆にビックリ仰天したものだ。それにしても、なんだか最近ウイスキー流行りなせいか、洋楽の曲中にwhiskyという言葉をよく聞くような…?気のせいだろうか??ところで、そのwhiskyneatというコトバが出てくる曲は、H...ウイスキーニート
懐かしい鳥取弁で書かれた注意喚起の文言にニンマリ。コレいいねえ。子どもの頃、毎年夏休みを鳥取で従姉妹たちと過ごすうち、鳥取弁と大阪弁、互いに感化されて言葉がミックスされたものだ。「いけん」と「あかん」ちょっとの差なのにねぇ。ニホンゴっておもしろい。ここは鳥取砂丘。先月、姉と一緒に久しぶりに帰った両親の故郷鳥取。やっぱり来たからには砂丘も見に行かなくちゃね。いつ見ても大きいなあ。鳥取砂丘、すきだなあ。若い頃の両親のモノクロ写真を思い出しながら砂の上を暫し歩く。さすがに今回は馬の背を越えて歩きはしなかったけれど。父や母が幼い頃にもこうしてここにこの風景は拡がっていたわけで。砂に積もる悠久の時間を想う。。。空もうつくしい大きな自然。。。日中はひとが多いけれど、夜には様々な動物が訪れるという。タヌキ、イノシシ、鹿...いけんとあかん
先月、とても久しぶりに母のお墓参りへ。コロナがあったから何だか誤魔化されちゃう。5年振りくらいかと思っていたら9年も経っていたのね。ごめんねお母さん!子ども時代、毎年夏休みを過ごした母の里。伯父は4年前に亡くなり伯母を従兄妹たちが介護中。世代交代が進んでいく…。優しくてかわいいおばちゃん。認知症はあるけれど、かろうじて私たちのことを分かってくれた。元気な内に…と思っていたので今回思い切って訪ねて良かった。母の一族は皆ケラケラとよく笑いよく喋る陽気な太陽一族。いつもこちらまでケラケラが伝染る。ここへ帰ると本来の自分を取り戻すような心地良さを感じるんだなぁ。親戚っていいもんだなぁと改めて思う。従兄妹たちも子どもの頃と変わらずいつもあたたかく迎えてくれる。別の従姉妹たちもやって来て皆忙しい合間を縫って手分けして...父を故郷に還す
ススキを撮ったら鳥が写っていた!小さいことだけれどとてもうれしい偶然。その後、噴水の池で水浴びしているカラスに出会った。バシャバシャと気持ち良さげ。12月に入ったというのにコートなしで歩けるような陽気。日向では軽く20℃を超えていたに違いない。カラスも暑かったのか水から出たり入ったり。カラスの行水、実写版?あまり見たことのない光景だ。どこを歩いても晩秋の木々は本当にきれい。ドウダンツツジの美しさといったら!!期間限定のスターですね汗ばむ12月
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葉っぱの落とす影がふいに目に飛び込んでくる。梅雨とは思えないほどの暑さに影の濃さも夏仕様。こんなに暑くても一つ足りないのは蝉の声。いつも気象庁の発表を待たずとも蝉が鳴いたら「梅雨明け」と勝手ながら決めている。この暑さに土の中までも高温になってしまい根野菜が軒並み地中で傷んでしまうという。。。土の中で眠っている虫の子どもたちは大丈夫だろうか。絵本「根っこのこどもたち目をさます」をふと思い出す。蝉の子どもたちも地面の下でどうかがんばって。地面の下のこどもたち
雨上がりの早朝のさんぽがすきだ。SNSに投稿した朝のヒカリのこの写真を観た南の国のともだちが「描きたい!」とすぐ絵にしていた。若い頃から趣味でイラストを描いていた彼は今ではすっかり南国の画伯だ。遠くてもつながってる。ありがたいことだな。いつもの森もあたらしい朝のヒカリを浴びて大きく伸びをしているよう。ねぼすけヒメジョオンも起き出す時間。今年もメタセコイアの新芽が輝かしい。こんなに地球はうつくしく植物たちは懸命にその命を輝かせているというのに。ニンゲンは。。。と、ニュースに憂う。憂いでいても埒が明かないのでさぁ!今日もよりよく生きよう!あたらしい朝
知る人ぞ知る1970年代の名著ともいえるレコード絵本「ドレミファブック」世界文化社発行ドレミファブックを検索してわたしのブログに辿り着いてくださる方も多くいらっしゃることを思うと、幼少時代に親しんだものって大人になってもかけがえのない宝物となるのだなぁとしみじみ実感します。わたしも正にそのひとり。折に触れドレミファブックでよく聴いたうたや絵が今でもふいにココロに蘇ります。しとしとと降る雨に「あめふりくまのこ」のことを想う雨の午後。。。ドレミファブック「あめふりくまのこ」のページをとても久しぶりに開きました。うたはとっても覚えているのだけれど、絵はうろ覚えだったみたい。あめふりくまのこは小さい頃とてもすきでレコードを聴きながらくまのこが行動する姿を幾度も想像したものです。とりわけ「おみずをひとくちのみました...ドレミファブック「あめふりくまのこ」を想う
この日は貴重なオールフリーデー。アート三昧の日と決めて家を出て先ずは天王洲アイルWHATMUSEUMへ。(前出記事)素晴らしい作品に栄養をいただいた後は汐留Panasonic美術館でルドンを観ようとモノレールと山手線で新橋へ。着いてみたら…予想以上の大行列。平日だからと甘く見過ぎていました。1時間以上並ぶ時間はないし、以前ルドンはたっぷり観たことあるしなぁ。。と潔く諦めて銀座線と東西線で竹橋「東京国立近代美術館」へ。観たいと思っていたヒルマ・アフ・クリント展こちらは少しだけ並んでチケット購入。色彩はとてもうつくしくてとても勉強になるなあ。でも、正直なところスピリチュアル色が強くてなんというか少し違和感。美しい色の洪水を漂ったあとは常設展も緩急つけながら堪能〜。今まで知らずにいた版画家/清宮質文氏の作品にコ...アートハシゴの一日
WHATMUSEUMRebornいのちを織りなすアーティストたちへ先週お邪魔してきました。素晴らしい展示の数々!水田典寿氏の流木アートにすっかりこころをもって行かれてしまいました。いきているものいきていないものその区切りはあいまいに思えてきます。永沢碧衣氏の圧倒される絵たち。。熊の吐息が感じられるほど…狩猟者でもある作者は実際に解体もされるそうで熊の絵には熊膠が、猪の絵には猪膠が使われているとキャプションに。そんな手法があるのですねぇ。驚きました。それでこんなに絵が肉薄して感じられるのかも、と納得です。巡るいのちに改めて想いを馳せることのできる作品たち。ダンボールを再生して生み出すアート、牡蠣の殻を素材として細やかな絵を描くアート、などなど素晴らしいアーティストの作品が並んでいます。凄い展覧会でした。行け...WHATMUSEUMReborn〜いのちを織りなすアーティストたち
独学で3年掛かりで保育士資格を取得した49歳から気づいたら10年。50歳の春に幼稚園の預かり保育の新米先生になってからなんともう10年目に突入だ。この10年いろんなことがあり過ぎて正に光陰矢の如し。気持ちはまだ新米先生なんだけどな。最初の頃から「せんせいなんさい?」の質問に常に「500さいだよ」と答え続けているうちにあれ〜?そろそろ「600さい」に更新しなきゃね。想うところもあり何度も転職を考えたものだが、家業の仕事、モノづくりの仕事と幼稚園の仕事、三足のワラジを履き続けるには、今の職場のように融通の利く場はそうそうない。おまけに義父母の介護が毎日のルーティンとなり綱渡りのような日々の現在、ちびっこたちと過ごす時間はすっかりエネルギーチャージタイム!と化しているのが現実。時にハード過ぎて脳疲労状態となる日...だいすきというコトバ
「時間のしずく」にお立ち寄りくださり誠にありがとうございます。gooブロク終了を機に潔くブログ卒業しようかなとも考えておりましたが、気付いたら16年も綴ってきたあれやこれやをデジタル世界のブラックホールにポイ捨てすることは忍びない!と本能が答えを出しました。拙い文章でもわたしの人生の記憶の記録ですから。幾つかの引っ越し先候補の中、noteにお引越ししようと思ったら記事は全て下書きとして引き継がれると判明。そして大量の記事データの移行には不向きとのこと。。そんなこんなで「はてなblog」さんへのお引越しを決定し、引越し手順に従って3000近い記事データを無事移すことができました。ほっ。しか〜しはてなブログさんの使い方がまだ右も左もわからない状態。gooblogさん終了間際まで二刀流で行こうと決め、ゆっくりは...時間のしずく/おしらせ
先日久しぶりに大江戸骨董市へ。凄い賑わい!お客さんの半分以上が外国の方々なのでは。すれ違う人々が様々な言語で話していて、私の方が異国に居るようなキモチになる。かわいいものもいっぱい。ハンガリーの絵本にひとめ惚れ!1983年発行。80年代はついこの前に思えるけど約40年ものなのね。気付けばジブン自体もすっかりアンティーク。いや〜やっぱり蚤の市はわくわくしてすきだなぁ晴れた日曜日の蚤の市
代官山で開催中のミナペルホネン30周年の展覧会「羽花」へ。皆川明氏のデザインやイラストがとてもすき。お洒落で洗練されているのだけれど、なんだかクスッとほっこりする可愛さがあるんだなぁ。作品はとてもとても気軽に手の出せるお値段ではないので、もっぱらわたしには目とココロの保養〜。ショップにも久しぶりにお邪魔しました。こんなすてきなアトリエでミシンを踏みたいもんだなぁとゆめみたいなことを考えていました。あ〜すてき。(許可をいただいてから撮影しています)ここ代官山ヒルサイドテラスにずっと前からあるChristmasグッズの専門店「ChristmasCompany」まだ学生の頃に父のバイクの後ろに乗って連れて来られたことのある懐かしの店。多分まだ出来たばかりの頃で、広尾や麻布に明るいアソビ人だった父がオシャレな街を...ミナペルホネン「羽花」へ
再び訪れた朝倉彫塑館。屋上庭園のバラが曇り空にしっとりと美しい。ここは日暮里駅から5分ほどの谷中の閑静な住宅街に位置している。都会に居ることを忘れてしまいそうだ。屋上庭園からスカイツリーが遠くに見えて、そうだ谷中に居るんだったと思い出す。ここの中庭の池がまた素晴らしく、叶うことなら一日中眺めていたい。中庭に向かって開け放たれた和室の畳みに寝転んで水音を聞きながらうとうとしてみたいものだなぁ、なんてひとり妄想しながらゆっくり館内を鑑賞。館内は撮影禁止なのが残念。見上げるほど大きな彫像が立ち並ぶ朝倉文夫氏のアトリエは、広々として天井が高くこれまた圧倒される。この建物は明治40年から増築や拡張を経て昭和10年に現在の形に完成したそうで、国指定名勝・国登録有形文化財に指定されている。以前初めて訪れたのは確か暑い季...朝倉彫塑館再訪
ビックリ!モシャモシャ!メラレウカ・リナリフォリアというのだそうです。上野動物園で遭遇。フシギな木だなぁ〜。義父母はデイケアの日。午後からはわたしの自由時間。日暮里への仕入れついでに足を伸ばして上野動物園。今回は弁天橋口から入って西園のみのショートカット。コビトカバの赤ちゃん、運良く見れるかなぁと立ち寄ってみたのだけれどお母さんのナツメさんだけ。赤ちゃんのコブシくんは室内でおひるねタイムだったのかな。また今度行ってみよう。不忍池のほとりをぐるり。蓮の葉っぱがすきだ。暑い暑い夏が来る頃にはまたいっぱい花をつけていることでしょう。動物園のモシャモシャ!
シゴト前のヨリミチ公園。新緑の今、ほんの数分間木々のトンネルをくぐって歩くだけで十分リフレッシュできる。ふと目に入った木の葉の形に釘付け。同じ枝から生まれる葉なのに丸いのや尖ってるのがある!この木の葉は丸からだんだんに形を変えていくのね。オモシロイなあ。少しずつ変化しながら成長する…まるでニンゲンと同じだ。赤ちゃんから幼児へ幼児から少年少女へ。5月の若葉は眩い成長期の子どもみたいだ。秋に色鮮やかに黄色橙色赤色にとグラデーションを見せてくれていた葉はいつの間にか姿を消し緑色たちに世代交代している。木もヒトもおんなじだなぁ。。。と気付かされる。ニンゲンも自然の一部だってことを私たち現代人はすっかり忘れて生きている。忙しい時にこそヨリミチ5分!おすすめです。いろんなことを教えてくれる木々に感謝です。変化とヨリミチ
東京都写真美術館開館30周年記念TOPコレクション「不易流行」大好物な赤瀬川原平さん!そして植田正治氏の写真の数々。そしてNASAの撮った月面に置かれた家族のポートレートの写真にきゅ〜ん。。。コレクション展は思いがけない作品との出逢いがあるからすきだ。この日昔の会社の女子会が恵比寿だったのでその前に写真展へぶらり。写真展の中に会社があった目黒駅近くの、丁度共に過ごしていた時代の写真が!1987年の目黒駅前ごっちゃごっちゃしていて美味しいお店がいっぱいあったっけなぁ〜懐かしいな写真は、切り取られた確かな時間の欠片。。。「不易流行」TOPコレクション
先日買った古本を開いたらチケットの半券が挟まっていた。今までにも昔の栞が挟まっていたことは何度かあったけれど、チケットの半券は初めて!ちなみに1985年6月20日木曜日、都響第217回定期演奏会会場は東京文化会館アナログなハンコのナンバリングが味わい深い。紙もケント紙くらいの厚みがあり、これは確かに栞にぴったり!一階13列19番。確かにここに座ったどなたかがこの本を所有していらしたのねぇ。今はこうしてわたしの手の中にあるフシギ。。。1985年6月20日わたしは何をしていたかしら。わたしは19歳の学生で、まだ家族一緒に東京湾の見える品川区のマンションで暮らしていた頃だ。そして6月20日は弟の誕生日。彼はまだ中学生だったから、この日はきっと皆で誕生日ケーキでも食べていたかもしれないな。ふいに現れたチケットの半...古本タイムトラベル
「…お父さーんっ!!」自分の大きな寝言で真夜中に目覚めた。夢の中で、暗がりの植込みから突然男が現れて接近してくる。恐怖のあまり固まる若そうなわたし。辛うじて声を振り絞って上げた言葉が「お父さーんっ!!」だった。恐怖で声が出ないあの感覚…。わたし、前世で体験してるのかしら。今までにも「お母さん!」と寝言で叫んだことは何度かあるのだけれど、寝言で父を呼ぶのは人生で初めて。だと思う。めずらしい。20年前に母を2年前に父を亡くし、自分が母となってからも間もなく三十年経つ程にオトナのくせして今でも親を呼ぶわたしって。。。笑このところ通り魔や若者の犯罪の不穏なニュースが多すぎるせいかも。。。ユメの中のジブンはうら若き二十代。思い出した。二十代で一人暮らしをしていた頃、イタズラ電話が来ると撃退法として何度か使った手があ...父を呼ぶ
2009年6月にブログを始めてからなんともう丸16年が経とうとしている。母を亡くした後、なんとも身の置所のない気持ちを自分なりに整理したくてココロの風通しをするみたいに綴り始めたこのエッセイブログ。時に思いの丈の捌け口に。時に懐かしい記憶の掘り起こしに。そして様々な出来事の健忘録にとなんの気負いもなく書き続けてきたのだけれど、振り返ってみれば子どもたちの成長記録でもあり、長い長いエンディングノートのようでもあり、気がつけばわたしの人生の一部になっていた。コメント欄も設けず、いつからか始まったリアクションボタンにも参加せずまったく気の向くままに綴った文章にもかかわらず、たくさんの方に読みにきていただき心から感謝しています。ここでいきなり御礼申し上げます!ブログ人口が減る中、gooblogさんは頑張ってくれて...ブログ閉鎖にもの想う。。。
先日思い立って娘と懐かしい場所へ。小さい頃よく来た竹林と川。夫は子どもたちと休みが合わない為、土日にわたしが3人を連れて電車で川遊びによく来ていた場所。子どもたちもそしてわたしもだいすきだった場所。昔は子どもたちは水着で、わたしは短パンでザブザブ一日中遊んでいたものだ。ここは湧き水の出るとてもきれいな川なので子どもたちは魚やザリガニをよく捕まえていたっけ。ここへ来るのはいったい何年ぶりだろう〜川遊びに来ていたのは娘が低学年くらいの頃までかな。ついこの前のようだけれど、13〜4年は経っているはず。変わらずうつくしい竹林。清々しい空気。昔みたいに川の中を歩きたい衝動に駆られつつ、ぐっとガマン。お水に手をつけるだけにしておきました。変わらないうつくしい場所
父の2回目の命日。5時前に目覚めてしまったのでまたもや早朝さんぽへ。いっそ日課にしちゃおうか。神社ねこが朝日を浴びて気持ち良さげ。いいね。わたしも真似して一緒に座ろうか。朝は全てのものの生命力が一番輝いてみえる。今日もしっかり生きようと思えてくる。ジブン優先にすきなように人生後半を生ききった父を見習うのも良きかな、と近頃思う。お昼前の空。父が空へ昇ったのもこんないいお天気だったなぁ。空からはどんなふうに視える??空から。
先日の昼下がり。森の空気か吸いたくて自転車を飛ばす。数時間の現実逃避だ。案の定、道に迷う。こっちに違いない、と思い込みすぎる傾向あり。方向音痴を自覚しているのにね。森の中、かつて幼稚園が所有していたらしい遊園地に行き当たった。草ぼうぼうで荒れ放題の遊具たちがなんだか物哀しい。今はもう、目には視えない小さき者たちの楽園となっているに違いない。こうしてフシギな場所に迷い込むのも方向音痴の恩恵だ。構わず進む。だんだんいつもの森へ近づいたようだ。この日は雨が上がって五月晴れのよき日和。空の色はもう夏だ。森の主に出会った。やっといつもの社に出られた。どうやらひと山向こうへ遠回りしてしまっていたようだ。この神社の杜でひとに会ったことはほとんどない。ひとよりもくまでも出そうだ。深い山ではないので熊はいなさそうだけれど。...また森へ迷い込む
なぜか5時前にパッキリと目覚めた朝。咲夜の雨はすっかり上がっているらしい。よっしゃ!久しぶりの朝さんぽだ。義父母に3食運ぶようになってから朝さんぽはとてもとてもムリ。起床とともに朝ご飯を準備してからオムツ替え&お着替えに。中庭を挟んですぐ裏なので朝から行ったり来たり。こんな時、距離のある介護は大変なことだろう…。すぐそばでも大変だけれど、お盆で食事を運べることをありがたく思う。雨上りの晴れた朝はだいすきだ。ナニモノカが、ご褒美にわたしを起こしてくれたのね。(と思いたい。笑)雨に洗われた草花が朝の光を浴びてなんてきれいなんだろう!モミジのプロペラもなんてかわいいの。新緑の季節。かわいいキミドリの若葉を見るといつも母を想う。春、昔暮らした家の庭の柿の木の芽吹いた若葉にそれはそれは愛おしそうに触れていた母の横顔...雨上りのキミドリたち
ひとには幾つもの顔がある。それはウラとかオモテとかではなく、どれもそのひとなのである。ひとのココロは多面体ではなく球体なのだ。というわたしなりの持論。我が身に於いても。今日は母の命日。いつも亡くなった時刻に覚醒してしまう。出来れば泥のように眠ったまま過ぎてしまいたいのに。そしてまだ生きていた母のココロを想う。母もまたわたしの知らない顔をたくさん持つひとりのヒトだったのだ。わたしの「母」である以外のヒトとしての彼女。わたしが「ただのアタシ」でありたいと時に思うように母もまたわたしの知らない「ただのアタシ」を持っていたはずなのだから。母のすきだった蒼い紫陽花。あちらにも紫陽花は咲いているのだろうか。それとももう別の姿になって此の世で今年の紫陽花をみているのだろうか。19回目の命日間もなく午前4時。道路に響く新...六月の球体
木の花って豪快だ。想いもよらないカタチの花を突然咲かす。何度も通った道でいつも素通りしていた街路樹がにわかにスターに変身だ。モシャモシャのふわふわのお花をつけておしゃれしているのはネムノキ。ネムノキってこんなフシギなお花をつけるのねぇ。以前から思っていたけれど、ネムノキとオジギソウって葉っぱのカタチがよく似ている。親戚なのかな。ネーミングも何だか同じにおいがする。一度認識すると、途端に目に飛び込んできやすくなるもの。たまに通リかかる公園のこの木もふわふわのおしゃれさんに束の間へ〜んしん!スターに変身!
またまた都会のジャングルに吸い込まれて来ました。ここは近年とてもお気に入りの場所、南青山にある「岡本太郎記念館」先日乃木坂駅近くのギャラリーに行った後、あまりの良い天気青い空にわたしの脳裏に浮かんできたのは緑の大きな葉の繁る南国のようなあの庭。歩こうと思えば歩けそうな距離ではあるけれど方向音痴のわたしには辿り着けそうにないので潔く一駅電車に乗っていつもの表参道下車。思えば初めて訪れたのも丁度この時期。バショウのバナナみたいな実の成る季節に久しぶりに会ったトモダチと訪れたのでした。この庭には太郎氏の立体作品が所狭しと置かれていて、時間とともに草に覆われているのがまたいい感じなのだ。太陽の塔に親しんで育った大阪のコドモだったわたし。太郎さんの作品は平面より立体やタイルの作品が好み。油絵はちょっと強すぎるものが...引き寄せられる場所
ものづくりの活動を拡げていくなかで出逢ったひとびとがこの10年余りでたくさんいる。それぞれに魅力的な作家さんたち。わたしがすきになるひとは皆自分の分野で日々切瑳琢磨し、向上心がありながら謙虚さを忘れないひとたち。そして何よりものづくりがスキで作家活動をたのしんでいることが皆の共通点だ。この日は丁度同じ方面に3人それぞれの作家さんの展示が重なっていたのでお昼前から夕方まで三件ハシゴしてきた。一件はカフェ展示だったため美味しいものをいただきながらおしゃべりは尽きず、その場でまた輪が広がっていく。コロナ禍を越えてこうしてまた普通に集うことが出来るようになったことを改めて実感する。こうして他愛のないおしゃべりができるってしあわせなことだ。コロナ禍の数年、正に「不要不急」の代表格だったアートの世界。先の見えない時代...ひととひと、つながる時間
真夜中に目覚めてしまい眠ろうとしているのに勝手に思考が彷徨う子どもの頃夜更けに母が戸締まりを確認しにそっと子ども部屋に入ってくる光景を何故かふいに想い出す。母は毎夜窓の鍵を確かめカーテンをきちっと閉めてからベッドで寝ているわたしたちのふとんを掛け直してくれた。近づく母の気配。ふとんを掛け直してくれた時の手の重み。ドアを出ていく逆光の後ろ姿のシルエット…あたたかなしあわせなこどもの頃の想い出思春期くらいになってからも真夜中に母の気配を感じると小さいころみたいにふとんを掛け直してとんとんしてほしいな…と感じていたことも覚えている。そう言えば子どもたちが小さいころ、絵本を何冊も読んだ後で寝かしつける時にわたしも同じようなことをしていたなぁ。3人の子どもたちに順番に布団を首まで掛け直すとみんな「ぎゅっぎゅってして...夜の子ども部屋
かかりつけ医難民となって数年。年一の健康診断もさぁ今年は何処へ行こうかと迷う有り様。かつていつも診ていただいていた町医者の先生はとても大らかな御方で、毎年話をしながら気になる検査項目を増やしたり臨機応変に対応してくた。検査結果も細やかに説明してくださり最後に「合格!」と太鼓判を押してもらえると、スキップして帰りたくなるような気持ちになったものだ。ご病気で急に休業されたあと、あっという間にお亡くなりに…。まだ60代だったと思われる。とても残念だ。今でもそう思っている人はかなりの数に上ることだろう。あの先生にかかっていた友人知人皆同様に「かかりつけ医難民」だ。さて、今年行ってみた病院は長男を出産した産院併設の内科。近年立派に建替えられ健診も多く受け入れていると聞いて行ってみた。問診にあたった先生は健診の為だけ...かかりつけ医難民
マイケル・ケンナ氏の写真展へ数年前、写真美術館での展覧会を拝見してからすっかりファンに。少し前の代官山で展示は行けなかったので、今回こそは!と滑り込み。乃木坂のGalleryArtUnlimitedさんへ。以前とても惹かれたこの1枚。(この木はもう伐採されてしまっているのね…。)この写真がまた観れてうれしい。すぅーとココロに入ってくるマイケル・ケンナ氏の写真の数々。スキに理由はないんだなぁ。MICHAELKENNA50YEARS&JAPANありがとうございましたMICHAELKENNA氏の写真
夢をみた夢のなかでわたしはすっかりおばあさん。同じく歳をとった友達らしき仲間とビンテージなおもちゃ屋にいる。棚にずらりと魅力的なソフビやら置物やらが並んてる。なんて魅惑的な光景。そしてなんていい味わいの色の洪水。皆で懐かしがって見ている。ガラスの置物を欲しがる友に欲しいなら買ってしまいなさいよと勧めてるわたし。お金はふんだんにあるようだ。そして自分も昔欲しかったリスのソフビ人形を手に入れようか迷ってる。(現実では見たことないけれど)けれども同時に自分のものにしてしまっても年齢的にこの先長く持てるわけではない…と身に沁みて感じて躊躇している。何だか掲示的なゆめだ。実は潜在意識では断捨離を望んでいるのか。いよいよ必要な時期に来ているのかもしれない?近頃あちこちカラダにガタが来ているせいでジブンが年寄りになった...夢の中のジブンの姿
先日池袋の東京芸術劇場のギャラリーへ。Instagramで知り合った知人のアートを観に。公募入選のいろんな作家さんの現代アート展。つくづくアートって幅広いなぁと感心しつつ眺める。アートってなんだろね。自分がアートと思えばヒトが何と言おうとそれはアート。なあんて考えていたら奄美の孤高の画家田中一村の言葉を思い出した。「自分のこころを納得させるために描く」奄美旅行で訪れた田中一村記念美術館。静かな時間の流れる広々としたとても素敵な佇まいだったな。丁度ツバメが建物のそばを舞っていて、絵の中から出てきたような…フシギな錯覚を今でも覚えている。あの濃厚な奄美旅行、ついこの前のように思い出せるのに考えてみればもう12年も前の4月。。。月日の流れる早さと言ったら!!奄美の空気を吸いにまた行きたいものだなぁ。アートの泉
早朝にぱっきり目覚めた日は朝さんぽへ時折霧雨が風に舞う気持ちの良い朝。近所の神社の小さいお稲荷さんたち。わたしのお気に入りさん。かつては境内の古い小さなお社の暗がりに鎮座していた彼ら。近年一新されみんな並んでアウトドア生活に!笑日を浴び雨にも雪にも打たれどんどんいきいきとしてきたようにみえます。少しずつうっすらと緑をまとってきてこれから時間をかけて苔むすお稲荷さんへと味わいを増すことでしょう。ちびお稲荷さんたち
紫陽花。初夏の咲き始めの初々しさはなんとも可憐だ。これから時間をかけて滋味深い秋色へ、そして天然ドライになるまで季節を超えてずっと魅惑的なお花ってそうそうないんじゃないかなずっと観察していたいのに大概花盛りの後バッサリ伐られちゃう。。。何だか若さばかりもてはやされるニンゲン界の駄目なところに似ているようで残念だなぁ。なぁんてしみじみ思ってしまうのはジブンがいつの間にか人生の晩秋ど真ん中にいるからなのでありましょう。滋味深い秋色にちょびっとは染まっているだろうか〜。う〜む。紫陽花に人生を思う!
ヴェネチアングラスの置物長男Sとお嫁ちゃんNちゃんからのイタリア土産。わかってるなぁ。長男が幼い頃、デパートで催された「イタリア展」で本場のガラス細工職人さんの実演を観たことがある。その時に彼が気に入って選んだのも鳥の置物だった。その時のことを覚えていたのか定かではないけれどこういうのスキなことに変わりはないね。そして、きっとわたしが気に入るだろうとふたりで選んでくれたことが何より嬉しい。他のものを入れていたレトロな棚をガラス細工専用飾りにしつらえました。ヴェネツィア繋がりでモネのヴェネツィアの絵も一緒にね。そして!先月もうひとりのムスコモドキYくんからいただいた香川旅行のお土産もガラスの鳥さんなのでありました。この偶然もふしぎなものだなあ。このコもケースに一緒に入れましょうね。ヴェネツィアングラスの鳥たち
久しぶりのピンク空にうっとり。夏の夕空だなぁ。日本の季節感、もうめちゃくちゃだ〜。4月の夏日、5月に30℃とかなんやそれ。紫陽花が咲き始めたのを見てそう言えば梅雨ってこれからなんだっけと思い出す。紫陽花も年々早まっている。母の命日頃にしっとりいい色のなるはずなんだけどな。よそのお宅の紫陽花を通りすがりに毎日鑑賞。暫く前に見たかわいい紅葉プロペラたちはもう旅に出たかしら。ピンク空
雨上がりヨリミチ公園水たまりの空の欠片がすきだ。水の中逆さまに生える木々覗き込んだら真っ逆さまに落ちていきそうフシギな束の間の別世界水たまりワールド
なんてかわいい!ユリノキの花。実は毎年見ているのに花が咲いているところは初めて見た。よっぽど時期が短いのだろうか。不思議な南国フルーツのようなムードの大きなお花。ユリノキはどの季節に見ても存在感あるなぁ!ユリノキのハナ
メタセコイアの若葉西陽を浴びてなんてきれいなんだろう見上げるとこころがスゥ~と透明になるよありがたやありがたやウエスタンなヒカリ
きみに出逢ってからもう30年になるんだ。わたしのすきな木。近年は「鹿の木」と呼んでいる。長く伸びた幹が鹿の後ろ姿みたいだから。春過ぎて、きみが緑の葉に包まれるのを見るとほっとする。今年も元気そうだ。たくさんの想い出が沁み込んでいる木。子どもたちが小さい頃、ここで母が握ってきてくれたおにぎりを皆で食べたよね。子どもたちが木登りをすきになったのはあなたのおかげ。(約20年前の子どもたちと鹿の木)いつも変わらずそこにいてわたしたちを迎え入れてくれた。わたしには特別な木。そして、驚いたことにこの木の話をしたこともなかったのに亡き父のパソコンの中に一枚のこの木の写真があったのだ。10年程前、弟の家に大阪から泊まり掛けで上京した時のもの。そういえば、早起きして公園を散歩したと言っていたことがあったなあと思い出す。大き...鹿の木と積もった時間
早起き恒例朝さんぽへ。暦がぐるりと巡って父が旅立った朝から一年。一年前の前夜、新幹線に飛び乗って夜中に病院に着いた時「なんだ、来たんか」とちょっと嬉しそうに苦笑いした父。「死ぬんはムズカシイなぁ」と父らしく軽口。「大丈夫だよっ」と言うわたしに「だいじょうぶ言うな」となだめるように静かに笑った。。姉とふたり、朝まで父の手を握って過ごした。だんだん、だんだん、遠くへいくのがわかった。最期に自分の口から出る言葉はありがとうしかなかった。何度も何度もありがとう父の最期を思い出しながら朝の緑の空気を胸いっぱい吸い込む。公園のすきな場所をぐるりと歩いて自転車を停めたベンチまで戻ると…えっ?ベンチにぽつんとレイバンのサングラス。目を疑う。レイバンは父の代名詞ともいうべきサングラス。さっきはなかった。よね?それとも気づか...Ray-Ban
新婚さん長男夫婦が可愛がっている石亀の亀吉。彼らがイタリア旅行に行っている間、うちでお預かり。可愛くてつい水槽から出して遊んじゃう。今は世界のどこにいても簡単に連絡ができる。珍しく息子からLINE。イタリアの様子でも知らせてくれるのかなと開いてみたら、一言「亀吉げんき?」亀吉溺愛されています。笑亀吉は心配いらないよー!それより写真でも送ってと返信したらローマでにっこり微笑む可愛いお嫁さんの写真が送られてきた。しあわせねぇ。それにしても世界はホントに近づいたんだな。30年前、丁度息子たちと同じ歳にわたしたちもヨーロッパを40日余り旅をした。いろんな街から、いつ届くとも知れず、両親や友人に絵はがきを書き送ったものだ。街から街へ列車で移動し、あんなに毎日疲れることもなくたくさん歩けたのは若かったからなんだなぁ〜...預かり亀の亀吉
ひやしあめ。久しぶりだなぁ。やっと飲めた!大阪のコドモだった頃、母について市場へ行くと時々冷やしあめを買ってもらって一緒に飲んだ。あの頃は商店の軒先で一杯50円くらいでよく売られていた。懐かしいな。八百屋さんの軒先にぶら下がるカゴの光景まで思い出した。お釣りはぐい〜んと引っぱったカゴから取って渡されたものだ。天王寺公園。ここは今や「てんしば」と呼ばれるすてきな公園。広い芝生広場、お洒落な店が並びLIVEなども行われるそう。昔、両親のマンションが近くにありこの公園は何度か通ったことがあったけれど、当時は公園に住んでおられる(?)人も多く少し近寄りがたい場所だった。時代は変わりました。通天閣界隈の新世界も昔は女性独りではとても歩ける場所ではなかったもの。今や外国人ひしめく観光地。昭和レトロが売りなのかゲーム感...想い出のひやしあめ