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80歳での考えや行動の為になるオモシロ日記 https://blog.goo.ne.jp/k1931i

80歳・写真・旅行・囲碁が生活です。お迎えを待つ身ですが日本が悪い方に走っているので心配ですね〜

岩佐和義。私の名前で検索してください、動画や写真・会社勤めの自分史等生活のすべてが解ります。

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2014/11/27

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  • 仏教を判り易く知る資料(28)

    心多歓喜(しんたかんぎ)の益まず笑顔せよみな笑顔する(7)心多歓喜(しんたかんぎ)の益大悲の願船に乗ずれば、嬉しいおもいが多くなることをいいます。親鸞聖人の主著『教行信証』も、「慶ばしきかな」で始まり「慶ばしきかな」で終わっていることからも、知られるでしょう。以下は、その文証です。慶ばしきかなや、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に遇いがたくしていま遇うことを得たり(『教行信証』総序)慶ばしきかな。心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。―乃至―慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し(『教行信証』後序)心ゆたかな喜びの生活には、難度の海にも七色の虹が立つ。嬉しい心は自然の笑顔となる。笑顔は周囲を明るくし良い印象をあたえて、その人の魅力を2倍にも3倍にも割り増しするものです。そして山彦のように、笑顔が返って...仏教を判り易く知る資料(28)

  • 仏教を判り易く知る資料(27)

    (6)心光常護の益第六は、心光常護(しんこうじょうご)の益です。「心光」とは阿弥陀仏のお力(光明)のこと。「常護」とは常に護られている安らぎを言います。大悲の願船に乗じた者は「冥衆に護持」され「諸仏に護念」されることは、前述しました。それに増して無上仏の阿弥陀仏に常に護られ、無上の安心・満足に生かされるのが「心光常護の益」です。阿弥陀仏の光明の照らさぬところはどこもなく、欲や怒り妬み嫉みなどの煩悩そのままで、多くの人の災厄や苦難を救うお力があると、釈迦は説かれています。以下は、その文証です。神力大光を演べて、普く無際の土を照し、三垢の冥を消除して、広く衆の厄難を済う(『大無量寿経』上巻)無上仏に護られる人は、五つの怖れがなくなるとも、『華厳経』に説かれています。一つには、不活の怖れなし、とあります。食べて...仏教を判り易く知る資料(27)

  • 仏教を判り易く知る資料(26)

    (5)諸仏称賛の益褒められると、心が潤い励まされ、心に残る十種の利益の中の第五は、諸仏称讃(しょぶつしょうさん)の益である。大悲の願船に乗じた人は、大宇宙の無量の諸仏から異口同音に褒めたたえられる、喜びと誇りをいう。釈迦は『大無量寿経』に偉大な智恵者(広大勝解者)と褒め、『観無量寿経』では、泥沼に咲きながら泥に染まらぬ白蓮華と讃えられる。また、わが親友とも呼びかけられている。以下は、その文証である。この信心の人を釈迦如来は、「わが親しき友なり」とよろこびまします(『末灯鈔』二通)善導大師の『観無量寿経疏』には妙好人じゃ、希有人じゃ、分陀利華、最勝人、無上人、上上人だと褒め言葉を尽くされている。「豚もおだてりゃ、木に登る」といわれる。「お若く見えますね」と言われてさえ、うっとりする自惚れ屋だから子供に褒めら...仏教を判り易く知る資料(26)

  • 囲碁の終局でのトラブル・私が間違っていました

    囲碁の終局でのトラブル・私が間違っていました昨日のコミュニティセンターの囲碁で大先輩との対局でダメを詰めが終わり私の番になりましたので『有りません』と言いましたら大先輩が何を勘違いされたのか、即盤面を壊されたので思わず私が『どうして壊されたのですか』と聞きましたら『貴方が【ありません】と言われたので【ありません=負けました】ですよ』と言われたので、私はいつも礼儀作法として私より下手な人にはお互いに終局をするには『有りません』『有りません』と言い合って終局になるのが礼儀であると教えていました。日本棋院ではどのようにするのかスマホでしらべました『終わりですね』相手『終わりました』の挨拶で終局するとありました。終局はダメ詰めの場合は必ず数え終わって終局にするのが礼儀であるとも書いてありました。日本の伝統の競技で...囲碁の終局でのトラブル・私が間違っていました

  • 仏法を判り易く知る資料(25)

    (4)諸仏護念(しょぶつごねん)の益“大悲の願船に乗じ南無阿弥陀仏を称うれば、大宇宙の無量の仏方(諸仏)は、最高に幸せな人だと寿ぎ、百重・千重に取り巻き喜び護ってくだされるのである”南無阿弥陀仏を称うれば十方無量の諸仏は百重千重囲繞してよろこびまもりたまうなり(現世利益和讃)イヤイヤでもなければ、付き合いでもない。百重・千重に取り巻く諸仏は、喜び護ってくださるのです。限りなく幸せな宣言ですが、これでもか、これでもかと十方衆生(すべての人)の深い疑いの闇を開かんとする、親鸞聖人の信念の冴えでもありましょう。さればどんな人も恐怖観念や孤独感から解放され、心おだやかに安住できる。病気なども静養できて、全快も早まるに違いありません。雛が育って飛び立てば、巣は空っぽになり老人だけが残される。年寄りをさいなむ虎狼は孤...仏法を判り易く知る資料(25)

  • 仏教を判り易く知る資料(24))

    信心獲得するとどうなるか親鸞聖人(3/10)(3)転悪成善(てんあくじょうぜん)の益悪が転じて善となり、苦しみがそのまま楽しみとなる。辛い事実も幸せの種に変わるという、常識破りの利益をいいます。「私ほど不幸なものはない」「オレほど業な人間はいない」と、他人を恨み世を呪っていた者が、その涙の種が幸せ喜ぶ種となり、逆境に微笑し輝く世界が拝める不思議です。「シブ柿のシブがそのまま甘味かな」大悲の願船に乗じて、暗い難度海の人生が光明の広海に浮かんで、一変する。流れた苦しい年月も、過去形で語れる至福です。世間でも、こんなことが言われます。「見れば見るほど頼もしそうな添うて苦労がしてみたい」どんな物好きな人でも、苦労を好むはずがありません。見れば見るほど頼もしい相手となら、苦労がそのまま喜びになるからでしょう。親鸞聖...仏教を判り易く知る資料(24))

  • 仏教を判り易く知る資料(23)

    信心獲得するとどうなるか親鸞聖人(2/10)2.至徳具足の益十種の利益の第二は、至徳具足(しとくぐそく)の益です。「至徳」とは、阿弥陀仏が大宇宙の宝を結晶された無上の功徳、「南無阿弥陀仏」のことです。親鸞聖人は「功徳の大宝海」(大きな宝の海)と『正信偈』に讃仰されています。蓮如上人は易しく、こう言い表されています。その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり(『御文章』五帖目十三通)「南無阿弥陀仏」は、限りなき大宇宙の宝の海なのである。「具足」とは、一体になったことをいいます。真っ赤になった炭のような有様です。炭のままが火であり、火のままが炭。炭と火を分離できない状態を、具足といいます。江戸時代の浮世草子...仏教を判り易く知る資料(23)

  • 仏教を判り易く知る資料(22)

    信心獲得=大悲の願船に乗ると、どの様な身になるのか(1/10)冥衆護持の益、諸天善神ことごとくよるひるつねにまもるなりまず、冥衆護持(みょうしゅごじ)の益から解説しましょう。冥衆とは、こちら側からは見えないけれど、向こう側からは、よく見えるものを言います。向こう側とは、天神・地祇(天の神、地の神)や梵天・帝釈(ともに仏法を守護する最上位の神)など、仏法を守護するものです。こちらからは見えませんが、それらの方からはこちらが良く見えて、護ってくれることです。『教行信証』行巻には、経典から引用して、大悲の願船に乗じた者を阿弥陀仏は菩薩方を遣わして、いつでもどこでも悪神や悪鬼から護らせると説かれています。『歎異抄』に親鸞聖人は、「大悲の願船に乗じた念仏者は一切が障りにならぬ、絶対の幸福者である。なぜならば大悲の願...仏教を判り易く知る資料(22)

  • 仏教を判り易く知る資料(21)

    親鸞聖人の一枚看板である平生業生とは阿弥陀仏の本願に救い摂られ、正しい信心を獲得した人は、絶対の幸福に生かされます。その世界を親鸞聖人は、次のように教えられています。“大悲の願船(大船)に乗じて見る難度の海(人生)は、千波万波がきらめき、至福の風が静かにそよいでいる。禍の波も福と転ずる、不思議な劇場ではないか”大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず(『教行信証』行巻)苦しみの絶えない人生を「難度の海」に例えられた親鸞聖人は、その海を明るく楽しく渡す弥陀の本願を「大悲の願船」と呼ばれています。大悲の願船に乗じた人は、この世から不可称・不可説・不可思議の無上の幸せ(絶対の幸福)が身に満ちあふれると、親鸞聖人は説かれています。「不可称・不可説・不可思議」とは、言うことも説くこ...仏教を判り易く知る資料(21)

  • 仏教を判り易く知る資料(20)

    親鸞聖人の御遺言親鸞聖人の御遺言は、御臨末の御書(ごりんまつのごしょ)として知られています。我が歳きわまりて、安養浄土(あんにょうじょうど)に還帰(げんき)すというとも、和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり(御臨末の御書)<間もなく親鸞、今生の終わりが来るだろう。一度は弥陀の浄土へ帰るけれども、寄せては返す波のように、すぐさま戻ってくるからな。一人いる時は二人、二人の時は三人と思ってくだされ。うれしい時も悲しい時も、決してあなたは一人ではないのだよ。いつもそばに親鸞がいるからね>親鸞聖人が亡くなられて750年、聖人が極楽におられたことは一日もなかったでしょう。それどころか、寄せては返す波の...仏教を判り易く知る資料(20)

  • 仏教を判り易く知る資料(19)

    五欲とは七慢とは五欲○食欲食べたい、飲みたい欲。○財欲金や物が欲しい欲。○色欲異性を求める欲。○名誉欲褒められたい、悪口言われたくない欲。○睡眠欲眠たい、楽がしたい欲。七慢○慢自分よりも劣った相手を見下す心。○過慢同じ程度の相手なのに、自分の方が優れていると誇る心。○慢過慢自分よりも優れた相手なのに、そうとは認められず、自分の方が上だと思う心。○我慢自分の間違いに気づきながら、どこまでも自分の意見を押し通そうとする心。(一般に使われる「忍耐」の意味ではない)○増上慢覚りを開いてもいないのに、覚ったと自惚れる心。○卑下慢己のお粗末さを謙遜しながら、その謙遜さをニンマリ鼻にかける心。○邪慢自惚れる値のない、とんでもないことを自慢する心。●これらの自惚れ心から、我々は離れることができない。(続く)仏教を判り易く知る資料(19)

  • 仏教を判り易く知る資料(18)

    煩悩とは人間は百八の煩悩のかたまりであるから、煩悩具足の凡夫と言われる、中でも三つの恐ろしいものを三毒の煩悩と言われ、ついで恐ろしい三つを加えて六大煩悩と言う。●煩悩我々を煩わせ悩ませるもの。苦しませるもの。全部で百八つある。【六大煩悩】・貪欲無ければ欲しい、有ればもっと欲しいと、際限なく求める欲の心。・瞋恚欲が妨げられると、カッと腹が立つ怒りの心。・愚痴愚も痴も「バカ」という字。因果の道理が判らぬところから起きるウラミ・ネタミ・ソネミの心。・疑人や物を疑う心。我々を苦しめる疑心暗鬼の心。・慢仏道修行者を最後まで苦しめる自惚れ心。・悪見悪くしか見れない心。(続く)仏教を判り易く知る資料(18)

  • 仏教を判り易く知る資料(17)

    三世因果の教え○汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。(因果経)・過去人間に生まれる以前の総て。とりつめれば去年であり、昨日であり、前の一時間であり、吐いた息が過去である。・現在生まれてから死ぬまでの80年乃至100年余りの人生。とりつめれば今年であり、今日であり、今の一時間であり、今の呼吸が現在である。・未来死んだ後の永遠。叩けば来年であり、明日であり、一時間先であり、吸わんとする息が未来である。●三世とは、吸う息・吐く息の中にある。即ち、念々のうちに三世がおさまっていることになる。ゆえに現在の自己を徹見すれば、過去の自己も未来の自己もすべて分かる。現在は過去と未来を解く鍵である。(続く)仏教を判り易く知る資料(17)

  • 仏教を判り易く知る資料(16)

     死後どうなるか(霊魂と言う固定したものが存在するのか存在しない無か)○因果応報なるが故に来世なきに非ず、無我なるが故に常有に非ず。(阿含経)【解説】●「断見」「常見」の「見」は、見解・考え方・思想の意。「外道」とは、仏教以外の総ての宗教をいう。・断見外道「死後は無になる」という教え。「無の見」ともいわれる。・常見外道「死後、肉体は滅びても、常一主宰(固定不変)の霊魂が存続する」という教え。「有の見」ともいわれる。●当時インドに九十五種類の外道があったが、「断見外道」と「常見外道」に大別される。仏教はいずれでもないことを、釈迦が明言されているお言葉である。・因果応報蒔いたタネは必ず生えること。・来世死後。未来世。・無我固定不変のものは存在しない、ということ。経文の意味は、こうなる。蒔いたタネは必ず結果を生...仏教を判り易く知る資料(16)

  • 仏教を分かり易く知る資料(15)

    仏教の根幹は因果の道理です○善因善果○悪因悪果○自因自果【解説】●「因」とは「原因」、「果」とは「結果」のこと。「道理」とは、三世十方を貫く真理。すべてのことは、「原因」があって「結果」がある。これは、億分の一、兆分の一の例外もない大宇宙の真理である。特に、私たちの最も知りたい「幸福」と「不幸」についての、原因と結果の関係を、「善因善果・悪因悪果・自因自果」と釈尊は教えられている。「因」とは我々の「行為」のことであり、「果」とは分かりやすく言えば「運命」のこと。○善因善果善い行為が、善い運命(幸福)を生み出す。○悪因悪果悪い行為が、悪い運命(不幸)を生み出す。○自因自果自分のやった行為が、自分の運命を生み出す。「自業自得」ともいわれる。仏教では、ご自分の運命はご自分の行為が決めると教えられています。(続く...仏教を分かり易く知る資料(15)

  • 仏教を分かり易く知る資料(14)

    仏教の目的は抜苦与楽である四苦八苦とは○抜苦与楽・抜苦苦しみを抜くこと。・与楽幸せを与えること。●仏教は「慈悲」の教えである。「慈」は「苦しみを抜く」働き、「悲」は「幸せを与える」働きをいう。【四苦】・生苦・老苦・病苦・死苦【八苦】・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦四苦と合わせて八苦と言う。【解説】●いつでもどこでも人間の受けねばならぬ苦しみを、8つにまとめて教えられたもの。・生苦生きる苦しみ。・老苦老いの苦しみ。・病苦病の苦しみ。・死苦死の苦しみ。・愛別離苦愛する人や物と別れる苦しみ。・怨憎会苦会いたくない人や物と会わねばならぬ苦しみ。・求不得苦求めるものが得られぬ苦しみ。・五陰盛苦「五陰」は肉体のこと。肉体あるがゆえの苦しみ。前七つを総括されたもの。(続く)仏教を分かり易く知る資料(14)

  • 仏教を分かり易く知る資料(13)

    親鸞聖人の教えに私見はない=親鸞聖人の教えはお釈迦様の教えのみである○更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり。(御文=蓮如上人のお手紙)【解説】・珍らしき法今まで誰も教えなかった新しい教え。・如来の教法釈迦如来の教え=仏教。・ばかりなりそれ以外にない、それだけである。●「親鸞聖人の教え」「浄土真宗」と聞くと、「今まで誰も説かなかった、親鸞聖人独自の教えだろう」と思う人もあろうが、聖人は常に「親鸞の伝えていることは、仏教以外に何もない」と宣言されている。「親鸞、さらに私なし」とも仰っている。(続く)仏教を分かり易く知る資料(13)

  • 仏教を判り易く知る資料(12)

    七高僧とは●七高僧弥陀の本願を正しく伝えてくだされた、インド・中国・日本の七人の高僧のこと。親鸞聖人は「七高僧」と仰がれている方々。(1)龍樹菩薩約1900年前、インドの人。釈尊がお経に、「私の死後700年のち、南インドに龍樹という者が現れ、大乗無上の法を伝えるであろう」と予言されている、その通り大活躍された方。今日「小釈迦」と呼ばれるほど、仏教の諸宗派から尊敬され、『御文章』にも「八宗の祖師龍樹菩薩」(一帖目十四通)と言われている。『十住毘婆沙論』に、仏教を「難行道」と「易行道」に分けられ、易行の「弥陀の本願」を勧められている。「仏道を求むることは、三千大千世界(大宇宙)を持ちあぐるよりも重い」と教えられた。(2)天親菩薩約1700年前、インドの人。「世親菩薩」ともいわれる。『浄土論』は、『大無量寿経』...仏教を判り易く知る資料(12)

  • 仏教を分かり易く知る資料(11)

    覚如上人・蓮如上人の御著書●覚如上人親鸞聖人の曽孫、本願寺三代目の善知識。○執持鈔弥陀の救い(執持名号)を明かされた書。○改邪鈔邪説を破り、真実の教えを明かされた書。○口伝鈔如信上人(二代目)を通して、直に教授された聖人のお言葉が記されている。・他に『御伝鈔』(本願寺聖人親鸞伝絵)などがある。聖人の御一代を、文章と絵で伝えられたもの。●蓮如上人親鸞聖人の子孫、八代目の善知識。聖人の教えを全国に伝えられ、浄土真宗を再興された。「中興」上人ともいわれる。○御文章ご門徒や僧侶へのお手紙を、5帖80通に編纂されたもの。『御文』ともいわれる。一帖~四帖は書かれた年代順におさめられ、五帖には日付が記されていないものがまとめられている。○正信偈大意親鸞聖人の『正信偈』を、大まかに解説された書。(続く)仏教を分かり易く知る資料(11)

  • 仏教を判り易く知る資料(10)

    お釈迦様が説かれた人間の実相エジプトの砂漠に千古の沈黙を守るスフィンクスは、「始めは四本足で歩き、中ごろは二足となり、終わりに三足となる動物は何か」と旅人に問いかけ、答えられない者を食い殺したといいます。人間に向かって、「人間とは何ぞや」と問うたのです。政治も経済も科学も、医学、文学、哲学、宗教も、この問いに答えんとしている、といえるでしょう。一人一人がこの問いに、答えなければなりません。この人間とはどんなものか、の答えを、お釈迦さまは『仏説譬喩経』に、譬えで教えられています。ロシアの文豪トルストイは、その例え話を知り、「まさしくこれは真実の、論じ合う余地のない、すべての人が知っている真理なのだ」と、絶賛しました。それはどんな例え話なのでしょうか。ある時、聴衆の中にいた勝光王という王に向かって、お釈迦様は...仏教を判り易く知る資料(10)

  • 仏教を判り安くする資料(9)

    浄土真宗=仏教浄土真宗は宗派ではなく仏教そのものです 「浄土真宗」は、約800年前、親鸞聖人が明らかにされた教えです。浄土真宗とか、親鸞聖人の教えと聞くと、親鸞聖人独自の特別な教えがあるように思われがちですが、そうではありません。それは、親鸞聖人が常に仰っていたお言葉から分かります。更に親鸞珍らしき法をも弘めず如来の教法を我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり<親鸞は、今まで誰も説かなかった「珍しき法」を弘めているのではない、釈迦如来の教えを、親鸞、間違いないと信じ、そのまま皆さんにお伝えしているだけである>ここからも分かるように、親鸞聖人は、ご自身の考えた独自の教えではなく、お釈迦さまの説かれたことだけを、自分の考えを一切入れられず、忠実に伝えられたのです。つまり、「浄土真宗=仏教」なのです。普通なら、...仏教を判り安くする資料(9)

  • 仏教を判り安くする資料(8)

    親鸞聖人の御著書○教行信証親鸞聖人の教えの全てが書かれている主著。教・行・信・証・真仏土・化身土巻の六巻から成る。浄土真宗の根本聖典。「御本典」ともいわれる。52才の時、稲田の草庵にて完成されたが、終生、手元に置かれ修正加筆された。○愚禿鈔浄土真宗の教義と信心を、上下二巻に体系化されたもの。『二巻鈔』ともいわれる。○三帖和讃和讃とは、「和語讃歌」の略。平仮名まじり(和語)の詩で、弥陀の本願とその教えを褒め讃えられたもの。次の三つをまとめて、『三帖和讃』といわれる。『浄土和讃』………阿弥陀仏とその浄土を讃嘆されたもの。『高僧和讃』………七人の高僧を讃嘆されたもの。『正像末和讃』……弥陀の本願のみが救われる道であると教えられたもの。○末灯鈔お手紙やお言葉を集めたもの。○一念多念証文一念(一回の念仏)で救われる...仏教を判り安くする資料(8)

  • 仏教について判り易い資料(7)

    親鸞聖人の御一代親鸞聖人は約800年前(1173年)、京都にお生まれになる。ご幼名は松若丸。(後に範宴、綽空、善信、親鸞、と名前を変えておられるが、分かりやすく「親鸞」のお名前で統一されている)お父様は藤原有範、お母様は吉光御前といわれた。(1)出家せられた年……九才4才で父君が、8才の時には母君が亡くなり、"次に死ぬのはオレの番だ。死ねばどうなるのか"真剣に考え込まれた聖人は、真っ暗な後生に驚かれる。何とかこの後生一つ明るくなりたいと、9才で出家されて20年間、比叡の山で法華経の修行に打ち込まれた。大曼の難行までやり遂げられたが、後生暗い魂の解決ができず、泣き泣き下山されたのは、29才の春であった。(2)信心決定せられた年……二十九才どこかに、この暗い後生の解決の道を教えて下されるお方はないかと、京都の...仏教について判り易い資料(7)

  • 魔の交差点で事故の起こる原因を身をもって証明します

    魔の交差点(桜木北1-2-1)で事故の起こる原因を身をもって証明私は50年以上中型免許2種です免許は勿論ゴールドです。動態検査・視野検査・認知症検査を受けたばかりです。85歳になり『自分が原因の事故を起こしたら即免許を返還する』と家族に言い『運転に少しでも異常を感じたら即、指摘してくれ』と頼んでいます。先月暮れの28日午前10時33分に私がいつも事故を見て通る交差点があり勝手に【魔の交差点】と呼んでいました。その交差点の右折で衝突事故を起こしました。とっさには直進車を見落として直進車の乗用車の横に軽く接触したと判断しました。自分の車の右前を見ましたが接触の跡は見当たりません。相手の乗用車の側面を見てもかすりきずはありませんでした。相手の乗用車は右先端がへこんでいました。再度、自車を点検すると正面のナンバー...魔の交差点で事故の起こる原因を身をもって証明します

  • 仏教についてわかりやすい資料(6)

    大乗仏教と小乗仏教●「大乗」「小乗」の「乗」は、「乗り物」のこと。○小乗仏教「自分さえ助かればよい」という我利我利の教えをいう。それでは全ての人が救われないから、小さな乗り物に例えて「小乗」仏教といわれる。仏教の聞き誤りである。○大乗仏教全ての人が救われる教えが真の仏教であるから、大きな乗り物に例えて「大乗」仏教といわれる。仏法を他人に伝えて幸福に導くままが、自分の幸せになる、自利利他の教えをいう。「阿弥陀仏の救い」は「大乗の中の大乗」であると、親鸞聖人は言われている。(続く)次回からは親鸞聖人について仏教についてわかりやすい資料(6)

  • 仏教についてわかりやすい資料(5)

    如来とは菩薩とはお経とは 如来の意味○真如より来現した人という意味・真如何時でも何処でも変わらない大宇宙の真理。「真理」といっても、科学的真理、数学的真理ではなく、「すべての人が幸福になれる真理」を、仏教では「真如」といわれる。・来現現れ来ること。「来生」ともいう。●「仏覚をえた人(仏)」とは、真如を体得し、我々を真実の幸福に導くために現れ来られた方だから、「如来」ともいわれるのである。(参考)・離言真如……「真如」は本来、説けない(言葉を離れている)こと。「真如」そのもの。・依言真如……「真如」を言葉で表現したもの。菩薩の意味○菩提薩埵ということで、真実の仏教を求める人を言う。●「菩薩」は「菩提薩埵」の略。「菩提」とは真実の幸せ、仏のさとりのこと。「薩埵」は求める人のこと。ゆえに「菩薩」とは「真実の幸せ...仏教についてわかりやすい資料(5)

  • 仏教について判り安い資料(4)

    ”さとり”とは●「さとり」は、漢字では「覚り」「悟り」などと書く。低いさとりから高いさとりまで、五十二の位がある。(『華厳経』などに説かれている)(1)十信………10段目(2)十住………20段目(3)十行………30段目(4)十回向……40段目(5)十地………50段目(1)~(5)は50段目までの名前。・例えば、8段目は「八信」、26段目は「六行」、41段目は「初地」。(6)等覚……51段目「仏のさとり」とほとんど等しいさとり故に、「等覚」といわれている。菩薩の最高位。有名な弥勒菩薩や地蔵菩薩、観音菩薩は、等覚の菩薩である。(7)妙覚……52段目最高の、妙なる覚り。仏覚をいう。これ以上のさとりはないので「無上覚」ともいわれる。『阿弥陀経』によく言われている「阿耨多羅三藐三菩提」も「仏覚」のこと。親鸞聖人は略...仏教について判り安い資料(4)

  • 仏教について素晴らしく判り安い資料(3)

    釈迦とは仏教とはお釈迦様は印度の人父─浄飯王、母─マーヤー夫人の子で成仏前の名前を悉達多太子と言うカピラ城の生まれで、四月八日ルンビニー園と言う花園で出生された。「お釈迦さま」「釈迦」「釈迦牟尼世尊」ともいわれる。「牟尼」は無二(二人とおられない)の意。他に「釈迦如来」「釈迦仏」「世尊」ともいわれる。マーヤー夫人が実家・クリ城へ向かわれる途中の花園。出生時、四方に七歩ずつ歩かれ、右手で天を、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊三界皆苦吾当安此」と言われたと伝えられている。この言葉は、釈迦が「自分一人偉い」と仰ったものと世間では誤解されているが、正しくは、「大宇宙広しといえども、われわれ人間だけが果たすことのできる、尊い使命がある」という宣言である。(1)出城の年……二十九才二月八日悉達多太子は、真実の幸福...仏教について素晴らしく判り安い資料(3)

  • 仏教について素晴らしく判り安い資料紹介(2)

     親鸞聖人出家の動機盛を誇った平家一門も、清盛入道が悶死、狼狽ひとかたでないころであった。若くして両親に死別するということは、人生の大きな不幸である。そして世間は、まるで修羅道のような有り様。見るもの聞くものことごとく悲惨の極みで、松若丸(親鸞聖人の幼名)は人生内外の悲哀に直面されたのであった。9歳で出家激しい無常を感じられ養和元年、9歳の春、松若丸は出家得度の意を固め、範綱卿に手を引かれて、若葉に染まった京都東山の青蓮院を訪ねられた。範綱「どうしても、出家したいのか」松若丸「はい、次は私が死んでいかなければならないと思うと、不安なんです。何としても、ここ一つ、明らかになりたいのです。どうか、お許しください」範綱「そうか……。分かった。もう、何も言うまい」青蓮院は比叡山62代の座主であり、松若丸の遠縁にあ...仏教について素晴らしく判り安い資料紹介(2)

  • 仏教について素晴らしく判り安い資料(1)

    仏教=親鸞聖人について素晴らしく判り安い資料がありましたので今後連載いたします一緒に勉強しませんか?(1)無常に驚かれ、9歳で仏門に入られた親鸞聖人は、29歳までの20年間、法華経の修行に全身全霊打ち込まれる。比叡山天台宗は、約1200年前に、伝教が開いた。インドの霊鷲山、中国の天台山と並び、法華経の三大道場の一つに数えられる。比叡山には、千日回峯行という難行がある。真夜中の2時に起き、山上山下の行者道を30キロ歩くのだ。この間、堂塔伽藍や山王七社・霊石霊水など、300余ヵ所で所定の修行をする。もちろん、雨が降ろうが、風が吹こうが、雪が積もってでもやめられない。病気になっても、這い上がって走らねばならぬ。しかも山道はとても細く、ボーッとしていると、たちまち谷底へ転落してしまう。雪が積もって、道が見えなくな...仏教について素晴らしく判り安い資料(1)

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