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  • 本願寺国府別院(新潟県上越市国府1丁目7番1号)

    訪問日令和10月13日本願寺国府別院浄土真宗本願寺派の直属寺院親鸞聖人国府配所この地域には4・5回訪れていたがこの寺の存在は知らなかった偶々この寺の前を通った時に「親鸞聖人」の文字が目に入った親鸞聖人が「竹之内草庵」に1年間しか住んでいなかった事を初めて知った信仰心は希薄だが浄土真宗の家系に育ったため、親鸞聖人の本を読んだり、縁の寺などを回ってきた本堂<文化2年(1805年)建立><歴史を少し>承元元年(1207年)専修念仏停止の法難(承元の法難)により、親鸞聖人は35歳の時、越後国府に流罪になった居多ヶ浜に上陸後約1年間は、現在の国分寺境内「竹之内草庵」にそこから「竹ヶ前草庵(たけがはなそうあん)」に移った越後国府での配所御草庵の地が、現在の国府別院の地となる建暦元年(1211年)に流罪赦免になったが、...本願寺国府別院(新潟県上越市国府1丁目7番1号)

  • 安国山 華蔵院 国分寺<五智国分寺>(新潟県上越市五智3丁目20−21)

    訪問日令和4年10月13日安国山華蔵院国分寺<五智国分寺>天台宗の寺院奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された越後の国分寺山門(上越市指定文化財)承元元年(1207年)に親鸞が越後国に流罪になった際、境内に草庵(竹之内草庵)を結んで住んだ仁王像この寺の仁王像は写真写りがいい三重塔(新潟県指定文化財)この塔もこの寺の魅力の一つだ本堂永禄5年(1562年)春日山城主上杉謙信によって、現在の場所へ現在の本堂は昭和63年焼失後の平成9年に再建されたもの本尊:五智如来(阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、宝生如来、釈迦如来)中央に大日如来親鸞閼伽石碑親鸞聖人御真筆とある親鸞像竹之内草庵承元元年(1207年)専修念仏禁止の弾圧により、親鸞聖人は越後の国に流罪となった国分寺住職は、聖人とは比叡山で同学の友で、国司に...安国山華蔵院国分寺<五智国分寺>(新潟県上越市五智3丁目20−21)

  • 道の駅「マリンドリーム能生」(新潟県糸魚川市能生小泊3596-2<国道8号線沿い>)

    訪問日令和4年10月12・13日道の駅「マリンドリーム能生(のう)」「海の見える駐車場」で休んでいると急に外が騒がしくなった何だろうと外に出てみると目の前の海に夕陽が沈んでいくではないか慌ててカメラを持ち走った日本海に面して広場があるが、そこにオブジェが点在していた沈んだ夕陽をバックに撮ってみた昨夜は気付かなかったが、駐車していた近くにもあった散歩をしながら探してみることにした芸術家の発想にはいつも驚かされるこのような作品を見ると何故かほっとする遠くから見ると分からないが……近づくとこのようになっている旧能生水産高校(現海洋高校)実習船「悦山丸」最後は愛車との一枚撮影令和4年10月12・13日道の駅「マリンドリーム能生」(新潟県糸魚川市能生小泊3596-2<国道8号線沿い>)

  • 道の駅「マリンドリーム能生」(新潟県糸魚川市能生小泊3596-2<国道8号線沿い>)

    訪問日令和4年10月12・13日道の駅「マリンドリーム能生(のう)」「海の見える駐車場」で休んでいると急に外が騒がしくなった何だろうと外に出てみると目の前の海に夕陽が沈んでいくではないか慌ててカメラを持ち走った日本海に面して広場があるが、そこにオブジェが点在していた沈んだ夕陽をバックに撮ってみた昨夜は気付かなかったが、駐車していた近くにもあった散歩をしながら探してみることにした芸術家の発想にはいつも驚かされるこのような作品を見ると何故かほっとする遠くから見ると分からないが……近づくとこのようになっている旧能生水産高校(現海洋高校)実習船「悦山丸」最後は愛車との一枚撮影令和4年10月12・13日道の駅「マリンドリーム能生」(新潟県糸魚川市能生小泊3596-2<国道8号線沿い>)

  • みなとオアシス海王丸パーク(富山県射水市海王町8番地)

    訪問日令和4年10月12日みなとオアシス海王丸パーク寺社巡りが中心の旅であるが悪天候が続いているので気分転換に船でも見に行こうと車を走らせたこの周辺は何度も走っているが訪れたのは初めてである遠くに見える「新湊大橋」がとても美しい帆船海王丸海王丸は、商船学校の練習船として、誕生した帆船昭和5年(1930年)1月27日に進水した第1船は「日本丸」同年2月14日に進水した第2船は「海王丸」と名付けられた海上保安庁の巡視船PL04「やひこ」平成25年4年より「伏木海上保安部」に配属されて富山新港・海王丸パークに係留されている私は巡視船の方に興味があったが、立入禁止で遠くから眺めていた「やひこ」には海上保安官約30人が乗り込み、潜水士は5人が配属されているヘリの発着のため揺れを抑える機能や航空燃料が給油できる装備も...みなとオアシス海王丸パーク(富山県射水市海王町8番地)

  • チューリップ四季彩館(富山県砺波市中村100-1)

    訪問日令和4年10月12日チューリップ四季彩館朝からの雨で何処へ行こうか迷っていたところ、「散居とチューリップのまち」の看板が目に入ったこの道の駅は4~5回利用させてもらっているが「チューリップ」が有名だとはまったく知らなかった調べて見ると屋内施設で、一年中花が咲いているようだ花には興味がないので、駐車場で雨が止むのを待ったが、諦めて入館することにした入館料:310円<シニア料金250円>名前は分からないが、アフロヘアーのような形が面白い平成8年(1996年)4月20日にオープンチューリップを主体とした植物園・博物館チューリップパレス1年中チューリップが鑑賞できることを象徴的に表した、高さ3.7mのタワー型オブジェ約500本のチューリップの切花を1年中展示している地面に咲くチューリップしか知らない私だが、...チューリップ四季彩館(富山県砺波市中村100-1)

  • 高岡大仏<大佛寺>( 富山県高岡市大手町11−22)

    訪問日令和4年10月11日高岡大仏(鳳徳山大佛寺)浄土宗の寺院創建年や開基については不詳(1221年か1609年頃?)仁王像時鐘(高岡市指定文化財)もともとは江戸時代に町民に時間を知らせるために金屋町の鋳物職人によって造られたもの銅造阿弥陀如来坐像(高岡市指定文化財)奈良大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大仏を称する昭和8年(1933年)歌人の与謝野晶子が高岡を訪れた際高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとも伝わり、端正な顔立ちの大仏と言われる写真を撮っていると「そのカメラはデジタルカメラかい」と地元の高齢の男性に声をかけられたコマーシャルフォトグラファーで名機「ハッセルブラッドHasselblad」を使用していたという地元のことについて語っていただいた加賀藩政時代を起源とする高岡銅器の伝統産業が高岡大仏...高岡大仏<大佛寺>(富山県高岡市大手町11−22)

  • 高岡山 瑞龍寺(富山県高岡市関本町35)

    訪問日令和4年10月11日高岡山瑞龍寺曹洞宗の寺院開基は前田藩前田家3代目当主前田利常、開山は広山恕陽総門(重要文化財)瑞龍寺は、前田家2代目当主、前田利長を弔うために、3代目当主前田利常が建立した前田利長は実子ではなく、異母弟の前田利常に家督を譲ったこの二人の関係が好きで北陸に来たら必ずこの寺に立ち寄ることにしている以前訪れた時、住職から全ての建物が見えると案内された場所である前北海道知事の高橋はるみ氏は高岡市出身で実家は寺の近くだとも知らされた整備された参道は美しい山門(国宝)現在の門は文政3年(1820年)に竣工したもの仁王像回廊(重要文化財)大伽藍を囲む周囲約300mの回廊で、北回廊、南東回廊、南西回廊からなる回廊の左右の壁は、規則正しく並んだ柱と、白壁、格子枠の障子戸が特徴である高さ約140cm...高岡山瑞龍寺(富山県高岡市関本町35)

  • 国分山 医王寺(石川県加賀市山中温泉薬師町リ-1)

    訪問日令和4年10月9日国分山医王寺高野山真言宗の寺院創建は奈良時代の天平年間(729~748年)行基菩薩がこの地を訪れた際、山中温泉を発見し、薬師如来像を彫像し一宇を設けて安置したのが始まり温泉街を見下す高台にある大きな観光ホテルが遠くに見える車旅を始めた頃に一度訪れたことがある山門ネット等でも情報が少なく、この「お寺の沿革」が参考になった手水舎包丁塚詩碑滝不動北陸滝霊場第27番「滝不動」緑に囲まれた参道観音像多宝塔平安時代の承平年間(931~938年)に兵乱の兵火により堂宇が焼失し温泉も荒廃した建久年間(1190~1192年)に鎌倉幕府の御家人長谷部信連が地頭としてこの地に赴任薬師如来の化身の御告げにより山中温泉を再興、医王寺も再建した本尊:薬師如来現存する多宝塔などの建物は昭和初年の大火で焼失後、昭...国分山医王寺(石川県加賀市山中温泉薬師町リ-1)

  • 越前竹人形の里(福井県坂井市丸岡町上久米田63-1)

    訪問日令和4年10月9日越前竹人形の里1986年(昭和61年)に越前竹人形協同組合が運営する形で開業水上勉の小説「越前竹人形」と同名の施設に興味を持ち、最初に訪れてから14・5年は経つ小説『越前竹人形』が芝居や映画になって以降、小説に登場する「玉枝」の竹人形が出回るようになったという尾崎欽一が作品を次々と発表して「越前竹人形」はさらに知名度を上げ、ホテルや土産物店に並ぶようになった1階店舗に入る購入できそうな価格帯もあるが……高価な物もある同じデザインでも大きく価格が異なるその理由を店員に尋ねてみた説明文にもあるように「煤竹製」が高価になっているとのこと1階店舗では最も高価な作品(95万円)越前竹人形工房「篝」入館料:300円(入館料は職人育成を目的)竹は節の形や色がすべて違い、素材を活かしたデザインを考...越前竹人形の里(福井県坂井市丸岡町上久米田63-1)

  • 白山神社<白山平泉寺・平泉寺白山神社>(福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63)

    訪問日令和4年10月8日白山神社<白山平泉寺・平泉寺白山神社>大瀧神社を訪れた時にボランティアガイドの女性から白山神社も素晴らしいので是非訪れてほしいと言われたことがある数年後になったがその時がやってきた一の鳥居白山は、古くから信仰の対象だったその白山信仰の越前での拠点として、養老元年(717年)に泰澄によって開かれたと言われているのが「白山平泉寺」最盛期の戦国時代には8000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時の日本では最大規模の宗教都市となり繁栄した天正2年(1574年)に越前一向一揆勢に攻められ、全山が焼失芭蕉句碑「うらやましうき世の北の山桜」白山平泉寺散策マップ白山神社由緒明治維新の神仏分離令により、神仏習合の姿を脱し「白山神社」になった社務所手水舎先の見えない参道を歩くがとても気持ちがいい木々に加え...白山神社<白山平泉寺・平泉寺白山神社>(福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63)

  • 福井県立恐竜博物館(福井県勝山市村岡町寺尾51-11)

    訪問日令和4年10月8日福井県立恐竜博物館連日の雨対策として屋内施設でも十分楽しむことのできる恐竜博物館を選択した2013年に一度訪れたことがあるが、コロナの影響で予約による入場ということに変わっていた平日の午前中にもかかわらず駐車場は満車状態で県外ナンバーの車が多い様子を見ていると、予約時間に関係なく入場している常設展観覧料:730円(一般)10年ぶりの入館になる入館して驚いたのが人の多さ、一方通行で流れにのって歩くという感じであるゆっくり写真を撮っていると流れが滞って迷惑をかけるこの恐竜は動いて面白い目の前に本物の恐竜がいるような感じがするこれには高さを含め圧倒される大人でも十分楽しめる展示内容だ撮影令和4年10月8日福井県立恐竜博物館(福井県勝山市村岡町寺尾51-11)

  • 喜見山 摩尼寺(鳥取県鳥取市覚寺624)

    訪問日令和4年10月6日喜見山(きけんさん)摩尼寺(まにじ)天台宗安楽律法流の寺院開山:承和年間(834年頃)円仁(慈覚大師)麓から仁王門を経て本堂まで303段の石段が続く疲れると周囲の石仏を撮り呼吸を整えるようにしている仁王門(鳥取県指定文化財)文禄3年(1594年桃山時代)に島根県隠岐島の焼火(たくひ)権現より移築と伝えられる階下に金剛力士、階上に釈迦如来と十六羅漢を安置金剛力士像階段が続く個性的な石仏が多い感じがする仁王門を見下ろすほどの急な石段鐘楼が見えてくると間もなく山門が近づいてくる山門(登録有形文化財)山門の正面に本堂があるが、団体の巡礼者が堂内にて説明を受けていたので他のお堂を回ることにした鐘楼(登録有形文化財)閻魔堂扁額の文字も個性的だが……閻魔像も周囲の像もユニーク鐘楼と閻魔堂三祖堂(...喜見山摩尼寺(鳥取県鳥取市覚寺624)

  • 砂の美術館・エジプト編 その4(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

    砂の美術館・エジプト編その4砂の美術館・エジプト編その4(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

  • 砂の美術館・エジプト編 その3(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

    砂の美術館・エジプト編その315ハトシェプスト女王葬祭殿16古代エジプトの神々17クレオパトラ18イスラムの時代19ナポレオンのエジプト遠征とロゼッタストーン20バステト<屋外>21ミイラと来世信仰22ツタンカーメン次回に続く砂の美術館・エジプト編その3(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

  • 砂の美術館 エジプト編 その2(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

    砂の美術館エジプト編その2砂像は「砂と水」だけで圧縮した砂のかたまりを彫刻して造形している展示室内に展示してある作品は、のり等の凝固剤は使用されていない7カディシュの戦い8ギザのピラミッドと大スフィンクス9アブ・シンベル大神殿10アブ・シンベル小神殿11ツタンカーメン王の発掘12アレクサンドリアの風景13聖なる動物14古代エジプトの宗教死者の書次回に続く砂の美術館エジプト編その2(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

  • 砂の美術館 その1(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

    訪問日令和4年10月6日砂の美術館その1毎年訪れている「砂の美術館」一期一会のアート「砂像」発信している現在は既に崩されていると思っていたが、2年連続開催と今知った来月出発する旅で訪問しようと考えていただけに計画が狂った(落胆)砂で世界旅行・エジプト編を担当する「砂像彫刻家」<世界11カ国20名>1ルクソール神殿2カイロのバザールの風景3ナイル川4古代エジプトの生活5古代エジプトの宗教死者の書6アクエンアテン王とその家族次回に続く撮影令和4年10月6日砂の美術館その1(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

  • 養父神社(兵庫県養父市養父市場840)

    訪問日令和4年10月5日養父神社但馬国三宮、式内社(名神大社2座、小社3座)で、旧社格は県社「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として知られる石鳥居この日は一日雨予報で移動日に決めていたが、途中小雨になったこともあり立ち寄った紅葉の名所としても知られている随神門随神像参道の正面に拝殿が見える由緒によれば紀元前66年に鎮座と書かれている拝殿(兵庫県有形文化財)江戸時代末期の造営狛犬額には「養父大明神山野口大明神」拝殿と本殿本殿(兵庫県有形文化財)祭神:倉稲魂命、大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆足尼命御霊神社摂社五社神社(兵庫県有形文化財)琴平神社社殿を離れた場所から眺める神馬迦遅屋神社厳島神社摂社山野口神社(兵庫県有形文化財)紅葉の名所としても知られているが、この境内も朱色に染まるのだろう社務所へと続く...養父神社(兵庫県養父市養父市場840)

  • 深山 飯盛寺(福井県小浜市飯盛145-1)

    訪問日令和4年10月4日深山飯盛寺(はんじょうじ)高野山真言宗の寺院元正天皇の勅願により養老年間(720年)の草創(田徳山椿林寺)文和年間(1352年)に後光厳院の勅願所として覚能法印が建立、深山飯盛寺と改めた初めて訪れる寺院で、飯盛山の山腹にある麓集落からお寺までの約1kmは車のすれ違いが困難の場所も多く緊張した山門石柱には「深山飯盛寺」縁起と境内図本堂からの帰りにこの門の存在を知った四天王のうち二天が祀られている多聞天(北の方角を守護)広目天(西の方角を守護)参道を歩き本堂を目指す左手には石塔こちらの石仏は観音像か鐘楼本堂(重要文化財)文明16年(1484年)火災に遭い、本堂・塔頭・什物すべて焼失現在の本堂は、延徳元年(1489年)の建立<平成10年の解体修理によって判明>自然石の石垣積基壇にたつ本堂...深山飯盛寺(福井県小浜市飯盛145-1)

  • 岩屋山 妙楽寺(福井県小浜市野代28-13)

    訪問日令和4年10月4日岩屋山妙楽寺高野山真言宗の寺院養老3年(719年)行基が本尊を彫り延暦16年(797年)空海が諸国を廻っていたときに本尊を拝して堂舎を建立したと伝えられている受付所から本堂までの参道は長くも短くもなくちょうどいい距離で周囲の自然も美しい山門(仁王門)安永6年(1777年)の再建額には「大悲閣」仁王像の姿も見える寺の歴史と文化財仁王像本堂(重要文化財)参道を歩き進めると木々に囲まれた本堂の姿が見えてくる鎌倉時代初期の建立桁行5間・梁行5間のほぼ正方形の寄棟造檜皮葺厨子には永仁4年(1296年)と銘があり、若狭における最古の建造物本尊:木造千手観音立像(重要文化財)平安時代中期の作、檜の一木造。長く秘仏であったため、現在も金箔に覆われている印象の残るとても美しい観音像だ堂内は撮影禁止で...岩屋山妙楽寺(福井県小浜市野代28-13)

  • 石照山 多田寺(福井県小浜市多田27-15-1)

    訪問日令和4年10月4日石照山多田寺高野山真言宗の寺院天平勝宝元年(749年)孝謙天皇の勅命によって勝行上人が創建したと伝えられる10年ほど前になるが、道の駅の資料をみて「小浜八ヶ寺」巡りをしたことがある<神宮寺、明通寺、多田寺、國分寺、圓照寺、羽賀寺、妙楽寺、萬徳寺>そのなかで、多田寺だけはちょっとした受付の方とのトラブルで拝観できていなかった山門(仁王門)仁王像トラブルもあり、二度と訪れることはないと思っていたが、来てしまった由緒鐘堂ちょっとしたトラブルがあったと書いたが、私のこの鐘の撞き方に問題があったようだ各寺を巡り何度も打鐘し、この寺も注意書きを読んでいつものように撞いたつもりだったが……受付の方が飛び出してきて「壊すつもりか」と怒鳴られてしまったのだ釈明しても理解は得られず拝観できずに戻ること...石照山多田寺(福井県小浜市多田27-15-1)

  • 両界山 横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原1160)

    訪問日令和4年10月3日両界山横蔵寺天台宗の寺院国の重要文化財を含む多数の文化財を有し、「美濃の正倉院」とも呼ばれる紅葉の名所でもあり秋の行楽シーズンには特に多くの参拝客が訪れる境内案内図訪れた10月上旬の1ヶ月後には紅葉の時期を迎える寺門(揖斐川町文化財)仁王門(岐阜県重要文化財)延宝3年(1675年)完成檜皮葺の楼門、三間一戸(正面の柱間が3間で中央の1間が戸口)額の字が読めない重要文化財の仁王像は瑠璃殿(宝物殿)の入口の左右に置かれている門の左右には奉納された大草鞋階段を上ると2階には梵鐘があり、鐘楼門となっている高い場所から見ると、その梵鐘が確認できる三重塔(岐阜県重要文化財)檜皮葺寛文3年(1663年)完成美しい塔だが塔全体を撮れる場所が少ないのが難点だ本堂横から本堂(岐阜県重要文化財)寛文11...両界山横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原1160)

  • 谷汲山 華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23)

    訪問日令和4年10月3日谷汲山華厳寺天台宗の寺院創立延暦17年(798年)開祖大口大領豊然上人日本最古の観音霊場「西国三十三所観音霊場」の第三十三番札所で結願・満願のお寺として知られている仁王門総門から約1Km程の緩やかな上りの参道が続く(結構辛い)前日の午後に参拝しようと訪れたのだが、日曜日は参道への車の乗り入れができず翌日になった実は仁王門の横に駐車場があり楽をしようと考えたのだ扁額には山号の「谷汲山」仁王像境内案内図参道緩やかな坂道と階段が続く百度石百度詣は神様や仏様に願い事を聞いて頂く為に100日間続けるという厳しい作法のお詣りお百度は通常、参道の入口から(百度石があればそこを基点として)本堂までの間を往復する一日で完結させる方法として百度石が使われたという手水舎正面の建物が本堂である階段で疲れる...谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23)

  • 宝雲山 来振寺(岐阜県揖斐郡大野町稲富398)

    訪問日令和4年10月3日宝雲山来振寺(きぶりじ)真言宗智山派の寺院霊亀元年(715年)行基菩薩により法相宗真福寺として開山神亀2年(725年)寺の裏山の白山に黄金色の雪が降り積もった(黄金色の雪は加賀の白山権現菊理媛神天下る)これを伝え効いた聖武天皇の勅号により「来振寺」と改称承平7年(937年)真言宗に改宗した*黄色の雪が降るという現象が発生し、寺名を黄降(きぶり)と、その後「来振」の字を当てるようになった大師堂堂内の様子本尊:弘法大師賓頭盧尊者弘法大師像納経所水子子育地蔵尊山門(鐘楼門)扁額には山号の「宝雲山」山門に四天王の姿が見える「四天王」は、須弥山中腹の四方を居所とし、山頂の帝釈天に仕える仏法の守護神持国天(東方)増長天(南方)広目天(西方)多聞天(北方)観音堂(本堂)中世には、多くの僧兵を二百...宝雲山来振寺(岐阜県揖斐郡大野町稲富398)

  • 臨滹山 大仙寺(岐阜県加茂郡八百津町八百津4345-1)

    訪問日令和4年10月2日臨滹山(りんこざん)大仙寺臨済宗妙心寺派の寺院10年前近くを走行中「宮本武蔵」の文字が見えたので立ち寄った寺院。今回が2度目である寛正元年(1461年)如幻尼によりに臨済宗南禅寺派の「不二庵」として開かれる美濃守護代の斎藤氏一族や、地元の豪士である古田彦右衛門を檀越として栄えた東陽英朝禅師が住職を勤める際、木曽川を中国の滹沱河にたとえたて、山号寺号を臨滹山大仙寺と改め開山した第八世愚堂東寔禅師に至って、寛永七年(1630年)より七年間を有し、寺を現在地に移転し、堂宇を新築した愚堂東寔が住職の時代に沢庵宗彭の勧めにより宮本武蔵が訪れたとされ、その際に座禅をしたという石が残っている惣門延宝7年(1679年)建立椿の参道両脇に何種類もの椿が並んでいる。昔は「椿寺」と呼ばれていた「大仙寺」...臨滹山大仙寺(岐阜県加茂郡八百津町八百津4345-1)

  • 杉原千畝記念館(岐阜県加茂郡八百津町八百津1071)

    訪問日令和4年10月2日杉原千畝記念館1940年、ナチス・ドイツの迫害から逃れるために集まったユダヤ人避難民にビザを発給6千人以上の尊い命を救った元外交官・杉原千畝の人道的行為を顕彰する記念館初めて訪れた2014年10月、イスラエル人職員の説明を聞き感動したことを思い出し再訪したその時は館内の撮影は一部を除きできたが、今回は全館撮影禁止になっていたSNSにより多くの人に知ってもらえる機会を失っていると思うと残念である以前発信した写真を添付「杉原千畝記念館」👈をクリック人道の丘公園「杉原千畝之像」日本通過ビザを受け取った避難民は、シベリア鉄道を使いシベリアを横断し、ウラジオストクより敦賀に上陸その後日本国内を通過し、神戸や横浜を経て世界各国に避難していった杉原が日本政府(外務省)の命令に反してビザを発行した...杉原千畝記念館(岐阜県加茂郡八百津町八百津1071)

  • 虎渓山 永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町1-40)

    訪問日令和4年10月1日虎渓山永保寺臨済宗南禅寺派の寺院永保寺はもと国主土岐氏の居館であったが、正和2年(1313年)土岐氏の招きを受けた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創した写真家土門拳氏の「臥龍池無際橋」の写真に感動し訪れたのが最初あれから十数年経過し、今回が5度目の訪問になる平成15年(2003年)9月10日、本堂、大玄関、庫裏が火災で焼失平成23年(2011年)までに庫裏、方丈、大玄関が再建された大玄関大玄関入口受付所鐘楼黒門初めて訪れた時にはこの門の存在は知らなかったが、ある老人に案内され説明を受けたその老人は陶芸家で人間国宝荒川豊蔵氏の弟子だったと話してくれた石に刻まれた「虎渓山永保寺」の文字は荒川豊蔵氏ものだという裏面に名前が刻まれているというが、荒川豊蔵の文字は無かった「斗出庵」...虎渓山永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町1-40)

  • 多治見市モザイクタイルミュージアム(岐阜県多治見市笠原町2082-5)

    訪問日令和4年10月1日多治見市モザイクタイルミュージアム建築家藤森照信氏の設計による不思議で魅力的な建物である。今回が3度目の訪問になるタイルの原料を掘り出す採土場をモチーフにしているという初めて訪れたとき「どうですか」と声をかけられたのが設計者の藤森氏であったことをHPの写真を見て今知ったいつの間にか、岐阜県のおすすめデートスポットの一つになっていた確かにアベック(古い)の姿が多い大きなカメラを持った孤独な爺は私一人だ建物の壁には陶器の欠片がバランスよく貼られていて遠くから観るととても美しい観覧料は310円(3・4階展示室)階段を4階展示室まで上がり、そこから下りてくるという流れになる階段途中にある展示物階段は4階へと続く4階壁面にはモザイクタイル画が展示されている「桜井の別れ」楠木正成・正行父子の今...多治見市モザイクタイルミュージアム(岐阜県多治見市笠原町2082-5)

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