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  • シリーズ塔(中国・四国地方)6-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(中国・四国地方)6-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>島根県(清水寺)広島県(佛通寺、西國寺、浄土寺、厳島神社、耕三寺、向上寺、明王院<追加>)32島根県32-01瑞光山清水寺(島根県安来市清水町)三重塔(島根県指定文化財)戦国期の城郭を思わせる石垣。高さ33.3m33広島県33-01御許山佛通寺(広島県三原市高坂町許山)多宝塔(登録有形文化財)昭和初期の建築で、軒周辺の材料に反りをもたせせ、整った塔姿が特徴の近代の多宝塔33-02摩尼山西國寺(広島県尾道市西久保町)三重塔(重要文化財)永享元年(1429年)室町幕府6代将軍足利義教の寄進により建立された案内板によると、三間三重塔婆・本瓦葺の記載がある復古式建築の純和様の重量感ある美しい塔33-03転法輪山大乗院浄土寺(広島県尾道市東久保町)多宝塔...シリーズ塔(中国・四国地方)6-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(関西地方)5-3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(関西地方)5-3<三重塔・五重塔・多宝塔他>大阪府(叡福寺、慈眼院)兵庫県(鶴林寺、福祥寺、斑鳩寺<一部追加>、一乗寺、如意寺、伽耶院、太山寺、石峯寺、温泉寺、朝光寺)27大阪府27-01磯長山叡福寺(大阪府南河内郡太子町太子)宝塔(重要文化財)承応元年(1652年)の再建本尊は東面に釈迦・文殊・普賢の三尊像、西面に金剛界の大日如来を安置<追加>大悲山願成就寺慈眼院(大阪府泉佐野市日根野)多宝塔(国宝)6つある国宝の多宝塔の一つ文永8年(1271年)建立高さ約10mで、屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小石山寺、金剛三昧院の塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとされる内部には大日如来坐像(大阪府指定有形文化財)を安置28兵庫県28-01刀田山鶴林寺(兵庫県...シリーズ塔(関西地方)5-3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像(中国・四国地方)6-2

    シリーズ仁王像(中国・四国地方)6-2香川県(長尾寺、志度寺、屋島寺、讃岐国分寺、善通寺、観音寺、本山寺<追加>)徳島県(霊山寺)愛媛県(石手寺、太山寺、南光坊<追加>)高知県(岩本寺、竹林寺、国分寺)35香川県<追加>35-01補陀洛山長尾寺(香川県さぬき市長尾西653番地)仁王像<追加>35-02補陀洛山志度寺(香川県さぬき市志度1102番地)木造金剛力士立像(香川県指定文化財)天正11年(1583年)の春、志度寺に攻めこんだ長宗我部元親を走らせたという山門の仁王像は鎌倉時代「運慶」の作<追加>35-03南面山屋島寺(香川県高松市屋島東町字屋島峯)仁王像作者も年代もわからないが、迫力ある仁王像である四天王像持国天像(東)増長天像(南)広目天像(西)多聞天像(北)<追加>35-04白牛山千手院国分寺<讃...シリーズ仁王像(中国・四国地方)6-2

  • シリーズ塔(関西地方)5-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>5-2(関西地方)京都府(仁和寺、神護寺、清凉寺、円隆寺、智恩寺、金剛院、淨瑠璃寺、岩船寺、海住山寺、東寺、醍醐寺、穴太寺<追加>)26京都府26-01大内山仁和寺(京都府京都市右京区御室大内)五重塔(重要文化財)寛永21年(1644)建立。塔身32.7m、総高36.18m26-02高雄山神護寺(京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町)<多宝塔>26-03五台山清凉寺(京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)<多宝塔>26-04慈恵山円隆寺(京都府舞鶴市引土)多宝塔(京都府指定文化財)宝暦元年(1751年)の建立26-05天橋山智恩寺(京都府宮津市字文珠)多宝塔(重要文化財)明応9年(1500年)、府中城主延永修理進が自分の病気全快を感謝し、一の宮の別当大聖院の智海に託して建立...シリーズ塔(関西地方)5-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(関西地方)5-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(関西地方)5-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>三重県(大宝院)滋賀県(西明寺、金剛輪寺、石塔寺<一部追加>、石山寺、常楽寺、園城寺、延暦寺、総見寺、宝厳寺、長命寺<追加>)24三重県24-01恵日山観音寺大宝院(三重県津市大門32番)<五重塔>平成13年(2001年)三重県下初の木造五重塔が完成25滋賀県25-01龍應山西明寺(滋賀県犬上郡甲良町大字池寺)三重塔(国宝)総高23.7m檜皮葺き鎌倉時代後期の建立で釘が使われていない相輪は銅製とすることが多いが、本塔は鉄製である25-02松峯山金剛輪寺(滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺)三重塔(重要文化財)寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立塔の扉が開かれ、大日如来が安置され拝観することができた<一部追加>25-03阿育王山石塔寺(滋賀県東近江市石...シリーズ塔(関西地方)5-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像(関西地方)5-1

    シリーズ仁王像(関西地方)5-1三重県(大宝院、正月堂)滋賀県(西明寺、金剛輪寺、渡岸寺観音堂、浄厳院、櫟野寺、長命寺<追加>)京都府(神護寺、仁和寺、清凉寺、出雲寺、桂林寺、如意寺、萬福寺、醍醐寺、穴太寺、観音寺<追加>)大阪府(叡福寺)24三重県24-01恵日山観音寺大宝院(三重県津市大門32番)24-02普門山観菩提寺<正月堂>(三重県伊賀市島ヶ原)金剛力士像(伊賀市指定文化財)楼門の本堂側の像(詳細不明)25滋賀県25-01龍應山西明寺(滋賀県犬上郡甲良町大字池寺)二天像<持国天・増長天>(甲良町指定文化財)25-02松峯山金剛輪寺(滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺)二天像<持国天・増長天>25-03渡岸寺観音堂<向源寺>(長浜市高月町渡岸寺50番地)木造金剛力士像(滋賀県指定文化財)25-04金勝山浄厳...シリーズ仁王像(関西地方)5-1

  • シリーズ塔(中部地方)4-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(中部地方)4-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>岐阜県(横蔵寺、日吉神社、真禅院、圓鏡寺、新長谷寺、日龍峰寺、飛騨国分寺<追加>)愛知県(興正寺、龍泉寺、妙厳寺<通称:豊川稲荷>、日泰寺)21岐阜県21-01両界山横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原)三重塔(岐阜県指定文化財)21-02日吉神社(岐阜県安八郡神戸町大字神戸)三重塔(重要文化財)現存のこの塔は正世年間1500年の初め、斎藤利綱(春日局の伯父)が再建約70年後の天正13年(1585年)に稲葉一鉄(春日局の叔父)が修造したもの21-03朝倉山真禅院(岐阜県不破郡垂井町宮代)三重塔(重要文化財)寛永19年(1642年)建立。明治初年に南宮神社境内から移築<追加>21-04池鏡山圓鏡寺(岐阜県本巣郡北方町北方)三重塔平成1年(1989年)の...シリーズ塔(中部地方)4-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像 2-2(関東地方)

    シリーズ仁王像2-2(関東地方)群馬県(妙義神社)千葉県(新勝寺、龍正院)東京都(浅草寺、本門寺)神奈川県(清浄泉寺、總持寺、川崎大師<追加>)10群馬県10-01妙義神社(群馬県富岡市妙義町妙義)境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれている。総門は、旧白雲山石塔寺の仁王門11千葉県11-01成田山新勝寺(千葉県成田市成田)「密迹金剛(みっしゃくこんごう)」「那羅延金剛(ならえんこんごう)」裏には広目天と多聞天の二尊「広目天」「多聞天」11-02滑河山龍正院<滑河観音>(千葉県成田市滑川)13東京都13-01金龍山浅草寺(東京都台東区浅草)<二天門>増長天・持国天(慶安時代作・東京都重宝)増長天持国天13-02長栄山大国院本門寺(池上本門寺)(東京都大田区池上)<本殿内安置>モデルはアントニオ猪木とか14...シリーズ仁王像2-2(関東地方)

  • シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>2-2(関東地方)

    シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>2-2(関東地方)千葉県(新勝寺、福聚院)東京都(浅草寺、本門寺、寛永寺)神奈川県(川崎大師<追加>)11千葉県00-01成田山新勝寺(千葉県成田市成田)三重塔(重要文化財)<平和の大塔>1984(昭和59)年に建立された平和の大塔は、真言密教の教えを象徴する総高は58mの塔根来寺の大塔の大きさに驚いたことがあったが、さらに20mも高い11-02天応山観音教寺福聚院<芝山仁王尊>(千葉県山武郡芝山町芝山)三重塔(千葉県指定文化財)12東京都12-01金龍山浅草寺(東京都台東区浅草)<五重塔>12-02長栄山大国院本門寺(池上本門寺)東京都大田区池上)宝塔(重要文化財)日蓮聖人御入滅の折の御荼毘所円筒形の塔身に宝形屋根を載せた宝塔形式の塔で、内部空間を有するものは他にほ...シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>2-2(関東地方)

  • 城谷山 諦應寺(福井県三方上中郡若狭町安賀里33-1)

    訪問日令和4年6月5日城谷山諦應寺曹洞宗の禅寺永正3年(1506年)の創建開山は順翁慶随和尚道の駅のポスターの写真に衝撃を受け訪れたのが最初で、今回が2回目の訪問になる前回も今回もそうだが、カーナビの案内では何故か辿り着かない周辺を走っていると小さな寺の案内板があり、今回もそれが頼りになった禅宗の寺院の門前に建っている石柱「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」という結界石が多いが「境内」になっている山門と大銀杏左の太い銀杏の木が訪問の大きな目的だが、詳細は後で鐘楼付山門(若狭町指定文化財)高さ7m、幅6m、総欅造二階建、入母屋造、桟瓦葺2階が鐘楼になっている本堂側から本堂本堂に近づくと堂内の清掃していた女性から元気に挨拶された堂内の様子撫で仏も光り輝いている本尊:釈迦如来座像(江戸時代の造...城谷山諦應寺(福井県三方上中郡若狭町安賀里33-1)

  • 若狭姫神社(福井県小浜市遠敷65-41)

    訪問日令和4年6月5日若狭姫神社(下社)若狭国一宮若狭彦神社は、上社・下社の2社からなり、上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」という別称として郡名から「遠敷明神」とも呼ばれる鳥居木造「明神鳥居」との説明もある手水舎社務所遥拝所上宮・若狭彦神社と鵜ノ瀬・白石神社*鵜の瀬は東大寺二月堂のお水取り縁の場所楼門(福井県指定文化財)寛保3年(1743年)の造営楼門(随神門)の先には神門楼門(随神門)の左右には説明によると「吉祥八人」八躯を祀る方式は全国唯一若狭姫神がこの遠敷(おにゅう)の地に鎮座の時の眷属神祭神豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)の説明文*豊玉姫は初代天皇とされる神武天皇の祖母イザナギとイザナミから生まれた豊玉彦命(綿津見神)の娘とされている「遠敷神社(おにゅう)」の額下社にあたる若狭姫神社は、養...若狭姫神社(福井県小浜市遠敷65-41)

  • 建康山 空印寺(福井県小浜市小浜男山2)

    訪問日令和4年6月5日建康山空印寺曹洞宗寺院境内に八百比丘尼入定の洞穴があることで知られている薬医門(小浜市指定文化財)薬医門のいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める「矢食い(やぐい)」からきたといわれているまた、かつて医者の門として使われたことからとも門の脇に木戸をつけ、たとえ扉を閉めても四六時中患者が出入りできるようにしていたもといわれている京極高次が関ヶ原の戦いの論功行賞により若狭国主となったが、高次没後、息子の京極忠高が京極高次の牌所とし「泰雲寺」を建立京極家は寛永11年(1634年)松江へ転封となる後に若狭国小浜藩の初代藩主酒井忠勝により父酒井忠利の霊骨を移して「建康寺」と称す酒井忠勝は、第3代将軍・徳川家光から第4代将軍・徳川家綱時代の老中・大老であった2代藩主酒井忠直が酒井忠勝の七回忌法要を...建康山空印寺(福井県小浜市小浜男山2)

  • 凌霄山 常高寺(福井県小浜市小浜浅間)

    訪問日令和4年6月5日凌霄山常高寺臨済宗妙心寺派の寺院浅井三姉妹の次女「初」、京極高次の正室(常高院)の祈願により建立された山門戦国時代、絶世の美女といわれたお市の方と近江の小谷城主浅井長政の間には三人の娘がいた「戦国悲劇の三姉妹」として有名な、淀殿、お初の方、お江の方だ常高寺は次女「気遣いの人」お初の方(京極高次の正室、後の常高院)の寺三姉妹のなかでは地味な存在ではあるが、以前訪れた時に資料を読み感動し再訪した本堂旧本堂は大正年間に焼失現本堂は平成13年(2001年)に落慶した歴史ある建築物が好きなので、最初観た時にはがっかりしたことを思い出した屋内に入る常高院系図によると京極高次の母と三姉妹の父の浅井長政は姉と弟で、いとこの関係京極高次京極高次の妹京極竜子が秀吉の側室になったことで高次も取り立てられた...凌霄山常高寺(福井県小浜市小浜浅間)

  • 福知山城(京都府福知山市字内記)

    訪問日令和4年6月4日福知山城福知山城は丹波国を平定した明智光秀によって築かれた城(横山城を石垣づくりの城として改修)江戸時代には福知山藩の居城駐車場からはこの橋を通って城内に入る織田信長は、豊臣秀吉と明智光秀に中国攻めを命じた豊臣秀吉は山陽道から進軍したのに対して、明智光秀は山陰道側より入った丹波国を平定した明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を城主とした天守は三重三階の大天守と二重二階の小天守が昭和61年(1986年)に復元された石垣の転用石五輪塔・宝篋印塔・石仏・石臼・灯籠などが利用されている美しい石垣だがよく見ると「転用石」が使われていることが分かる銅門(あかがねもん)番所城の周辺を散策する(石垣を注視してしまう)「野面積み」「乱石積み」と呼ばれる未加工の自然石が積み上げられているこの石段を上がり城内...福知山城(京都府福知山市字内記)

  • 補陀洛山 観音寺(京都府福知山市観音寺1067)

    訪問日令和4年6月4日補陀洛山観音寺(あじさい寺)高野山真言宗の寺院寺のHPや案内では「華観音寺」になっている関西花の寺二十五霊場第1番札所(丹波のあじさい寺として知られている)美しい境内図仁王門金剛力士像(京都府暫定登録文化財)日差しがガラスに反射して苦労した参道は一方通行で、紫陽花の季節には早すぎたようだ所々に申し訳なさそうに花が開いている華観音寺の見所庭に放されている「鶏」もこの寺の名物護摩堂七観音めぐりのお寺病気平癒や縁結びなどの諸願成就を祈祷してお参りすると数々の奇跡が起こっているとのこと途中にある石仏(わらべ仏)とその言葉にも癒やされる①千手観音菩薩②馬頭観音菩薩無常橋③十一面観音菩薩④聖観音菩薩所々に紫陽花が咲いている観音様の霊力で眼病が治り、再び光明を得たお礼にと七色に変化する光の花あじさ...補陀洛山観音寺(京都府福知山市観音寺1067)

  • 竹田城(兵庫県朝来市和田山町竹田)

    訪問日令和4年6月4日竹田城(別名:虎臥城)平成25年11月に一度訪れたことがあるGoogleのCMで竹田城跡が取り上げられることにより、観光客が約60万人に激増した時期である当時書いたブログの一部だが朝の7時半頃には竹田城へと続く道にたどりついたが、車が渋滞していてというよりまったく動かないUターンできる場所もなく、反対車線に入り強引に引き返した車中泊した道の駅から近かったこともあり、現在はどのような状況なのか確認したくて立ち寄った駅内にある観光課の女性に話しを聞き、立雲峡(城の南東)を目指すことにした以前は狭い砂利道の山道で危険回避のためタクシーを利用した場所である現在は舗装され道幅も広く快適に走れるようになっている環境整備協力金300円を納め山道を歩く運動不足で直ぐ呼吸が苦しくなるすると、休息するの...竹田城(兵庫県朝来市和田山町竹田)

  • 姫路城(兵庫県姫路市本町)

    訪問日令和4年6月3日世界遺産姫路城(別名:白鷺城)この日の朝には予定していなかったが急遽変更し姫路城を選択した朝にタイヤがバーストしてホイールにも傷が入り応急処置はしてもらったが不安があったので人の多い場所を選んだ2年前に5つある国宝の城廻りを終えたが、最後が姫路城だった国宝に指定された古い順だと、姫路城→松本城→彦根城→犬山城→松江城となる日本最古の天守は丸岡城。日本三大名城となると、名古屋城・熊本城・姫路城のようだ池田輝政が築いた姫路城は、全体がらせん式の縄張りになっていて、内曲輪、中曲輪、外曲輪に分けられているその面積は約233㌶。甲子園球場の約60倍の広さを持つ右側が本丸で左側が西の丸撮影場所を探して歩いていると、多くの小学生が絵を描いている場所があった子供達の感性は鋭い、その場所から撮ってみた...姫路城(兵庫県姫路市本町)

  • 斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤709)

    訪問日令和4年6月3日斑鳩寺聖徳太子開基1400年の歴史をもつ寺院天台宗の寺院旅に出る際、また旅行先では不慮の事故のことは常に考えて行動している今回は残念だが前を走る車が急に停まり右折しようとした車体との接触を避けようと左側に回避タイヤの横の部分が縁石に接触し前後輪ともバーストしてしまった片側1車線の道路で通勤時間ということもあり、不注意から大渋滞を起こしてしまったパトカー3台による交通整理で事なきを得たが、対応していただいた警察官はとても親切で感謝の気持ちでいっぱいだ警察官・レッカー車の運転手・トヨタの整備員など多くの方々の一隅を照らす活躍により半ば諦めていた旅も継続できるようになった(大感謝)仁王門(兵庫県指定文化財)寛文13年(1673年)の再建仁王像今回の仁王像は私の心境を察してか、何時になく寂し...斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤709)

  • 武蔵の里(岡山県美作市宮本)

    訪問日令和4年6月2日武蔵の里宮本武蔵生誕伝承地宮本武蔵ゆかりという伝承があるとされる旧跡、名所、顕彰施設などがある吉川英治文学祈念碑剣聖宮本武蔵は天正12年(1584年)宮本村(現美作市宮本)に生まれた文武両道の達人で郷土の誇りとして語り伝えられてきた昭和に入り、朝日新聞連載小説「宮本武蔵」によって、一躍日本の、いや世界の宮本武蔵になった武蔵の生家父は平田無二斎、祖父平田将監は十手術の達人で、武蔵は幼少の頃から武術にたけていた13歳の時、新当流の有馬喜兵衛に勝利し生家を出て生涯戻ることはなかった昭和17年(1942年)火災にて焼失し現在の家になる大黒柱の位置は昔と変わっていないという奥に見える家は武蔵の姉の嫁ぎ先の西尾家武蔵の幼名は辨助(べんのすけ)大好きな武蔵坊弁慶名前をもらって「武蔵(たけぞう)」と...武蔵の里(岡山県美作市宮本)

  • 真木山 長福寺(岡山県美作市真神414)

    訪問日令和4年6月2日真木山長福寺真言宗御室派の寺院天平宝字元年(757年)に鑑真が孝謙天皇の勅命により開いたという寺は現在の真木山麓ではなく、山上にあった案内板鐘楼門本堂側から宝蔵庫手水鉢本堂弘安8年(1285年)円源が天台宗の寺院として再興した再興後、僧坊は65坊を数え最盛期となった天台宗と真言宗に宗派が頻繁に入れ替わったが、明徳年間(1390年–1393年)に真言宗の寺院になった昭和3年(1928年)に長福寺は山上から現在の地に移転した山上に残されていた三重塔、真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現なども昭和26年(1951年)に現在地に解体移築された本尊:木造十一面観世音菩薩立像(重要文化財ー伝行基作)境内は綺麗に整備され、花に囲まれている釈迦如来坐像(美作市指定文化財)昭和32年(1957年)...真木山長福寺(岡山県美作市真神414)

  • 中山神社(岡山県津山市一宮695)

    訪問日令和4年6月2日中山神社美作国一宮社伝(『中山神社縁由』)では、慶雲4年(707年)4月3日の創建鳥居<中山鳥居>寛政3年(1791)の建設。高さ8.5m、幅は7m弱、花崗岩製で柱は2分割、笠木は3分割されている角貫に木鼻がなく、笠木と島木に反りをもたせて壮大美を強調しているこのような形は他県にあまり例がなく、特に中山鳥居として一形式をつくっている名木百選ムクノキ樹齢500年だそうだ愛嬌のある神牛、ワンカップがお好きなようだ(笑)案内板鳥居から真っ直ぐ伸びた参道狛犬1手水舎狛犬2こちらの方が時代が古そうだ風雨に曝され、柔和な表情になっているような気がする神門(津山市指定重要文化財)津山城二の丸にあった「四脚薬医門」を明治初頭に移築した社務所神楽殿拝殿前の門拝殿拝殿内部拝殿を横から本殿(重要文化財)天...中山神社(岡山県津山市一宮695)

  • 栃社山 誕生寺 その2(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808)

    訪問日令和4年6月2日栃社山誕生寺その2法然上人生誕地に建立された浄土宗の寺院建久4年(1193年)熊谷直実、法然上人の弟子となり「蓮生」と改める。同年、誕生寺を創建する御影堂(重要文化財)石造五輪塔(岡山県指定文化財)応永32年(1425年)の供養塔両幡の椋無垢橋(登録有形文化財)大正9年(1920年)建造。片目川に架かる石橋。長さ7.3m、幅2.6m片目川勢至堂法然上人の両親の霊廟法然上人産湯の井戸五輪石塔(岡山県指定文化財)津山城主関係者の墓無垢地蔵(山陽花の寺霊場)守護大仏(岡山県指定文化財)延享2年(1745年)鋳造高さ6.42m、重量450kg岡山県下で一番大きな仏像である勢至丸(法然上人)の旅立ち見守る母・秦氏君(はたうじのきみ)その秋、37歳の若き身をもって病没宝物館宝物館の扉が開いていた...栃社山誕生寺その2(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808)

  • 栃社山 誕生寺 その1(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808)

    訪問日令和4年6月2日栃社山(とちこそさん)誕生寺その1法然上人生誕地に建立された浄土宗の寺院浄土宗には総本山・大本山・本山・特別寺院があり誕生寺は特別寺院4寺のうちの1つ山門(重要文化財)正徳5年(1716年)の建造付帯する筋塀は安政4年(1857年)伏見宮家より寄進された今回が2度目の参拝になるが、「熊谷直実」の名に目が止まった毘沙門堂山門右手にあり毘沙門天を祀る公孫樹(岡山県指定天然記念物)久安3年(1147年)15歳の勢至丸(法然上人)が比叡山に旅立つ際に杖とされた銀杏の枝をさしたところ正着繁茂したという公孫樹の先に御影堂が見えてくる御影堂(重要文化財)過去に二度損壊し、現在のものは元禄8年(1695年)の建造この寺の場所は法然上人が長承2年(1133年)4月7日に、父漆間時国、母秦氏の子として生...栃社山誕生寺その1(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808)

  • 最上稲荷山 妙教寺<最上稲荷>(岡山県岡山市北区高松稲荷712)

    訪問日令和4年6月1日最上稲荷山妙教寺<最上稲荷>最上稲荷(さいじょういなり)は、日蓮宗の寺院麓の駐車場を利用すると「最上稲荷参道口」の看板が目に入ってくる参道両側には商店が並んでいるが、この日はほとんどが閉店していた本堂近くにも駐車場がある龍王山の懐に抱かれた最上稲荷は広大な敷地を有し、大きく三段に分かれる本殿の建つ正面中央の台地は「祈祷ゾーン」、旧本殿の建つ右奥の上段部分は「文化財ゾーン」、根本大堂の建つ右下の下段部分は「供養ゾーン」と称される<祈祷ゾーン>御水舎御水舎の龍像は、工芸家・加茂霊峰の手によるもの境内図金色小判絵馬本殿(霊光殿)開山千二百年記念事業として計画され、5か年の歳月を経て昭和54年(1979年)に完成した年間約300万人もの参詣者を迎える巨大な賽銭箱古風な「おみくじ」結界廊<文化...最上稲荷山妙教寺<最上稲荷>(岡山県岡山市北区高松稲荷712)

  • 北海道 道北の旅 その2(道の駅・野寒布岬・朱鞠内湖)

    訪問日令和4年9月5日道の駅「わっかない」国道40号の終点の位置にある日本最北端の道の駅「JR稚内駅」と、再開発ビル「キタカラ(KITAcolor)」などが一体となった建物で「道の駅」としての機能も担っている駅舎の前で記念写真を撮っている人が多かったので近くに寄ってみると……「日本最北端の線路」があった「JR稚内駅」を突き抜けて駅前広場へレールが続いているこのレールの続く先には(痕跡から)……北埠頭へと続く稚内港北防波堤ドーム北埠頭は旧樺太航路の発着場として使われていた北防波堤ドームは、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年(1931年)から昭和11年(1936年)にかけ建設された防波堤稚内公園から見える稚内港北防波堤ドーム設計者は、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してき...北海道道北の旅その2(道の駅・野寒布岬・朱鞠内湖)

  • 北海道 道北の旅 その1(宗谷岬・稚内公園)

    訪問日令和4年9月4日宗谷岬(北海道稚内市宗谷岬)自宅から国道231号-232号-40号-238号を約360km走る(北海道は広い)先ず驚いたのは地元なのに読めない地名が多いことだ(恥)読めますか(答えは最後に)①花畔②生振③若生④知津狩⑤聚富⑥正利冠⑦望来⑧発足⑨安瀬⑩濃昼第5回日本最北端わっかない平和マラソン2022だったが、影響を受けずに2時過ぎに到着した40数年ぶりの宗谷岬になる間宮林蔵像江戸時代後期の徳川将軍家御庭番樺太(サハリン)が島である事を確認し間宮海峡を発見した文化5年(1808年)4月13日、幕府から命を受けた間宮林蔵(当時29歳)は、松前奉行支配調役・松田伝十郎とともに、第1次樺太探検に出発したこのとき、林蔵は郷里から持ってきた墓石を海岸に建て、探検への覚悟のほどを示したといわれてい...北海道道北の旅その1(宗谷岬・稚内公園)

  • 景光山 観音寺<不洗観音寺>(岡山県倉敷市中帯江820)

    訪問日令和4年6月1日景光山観音寺<不洗(あらわず)観音寺>真言宗の単立寺院寺伝によれば、稽文会・稽主勲父子が刻んだ観音像を天平年間(729年-749年)に行基と菩提僊那が当地に安置し開基したおまいり道山門わらべ地蔵手水舎影向の松(ようごうのまつ)倉敷市指定天然記念物推定樹齢200年。当寺院の義雲和尚が移植したと伝わる黒松枝が円形に張り出しており周囲は約60m薬師堂地蔵堂鐘楼大師堂扁額の文字が読めない「遍照○」遍照窟なのか世の中を平和にするため、幸せの火をあまねく(遍)てらす(照)道場(窟)の意味絵馬の石段唐門の彫刻子宝と安産祈願の参拝者が集まるので「コウノトリ」なのか?良縁祈願と安産祈願の絵馬が並んでいる石段を上がると本堂なのだが熱心にお参りしている人がいたので右側に移動した正面には「十一面観音像」、上...景光山観音寺<不洗観音寺>(岡山県倉敷市中帯江820)

  • 日照山 国分寺<備中国分寺>(岡山県総社市上林1046)

    訪問日令和4年6月1日日照山国分寺<備中国分寺>真言宗御室派の寺院聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、備中国国分寺の後継寺院にあたる初めて訪れた時、五重塔に目を奪われ手前の遊歩道を車で乗り入れ顰蹙を買った(冷汗)山門客殿寺号「國分寺」の額勅使門本堂本尊:薬師如来寺伝では、廃寺となっていた国分寺を天正年間(1573年-1592年)に備中高松城主・清水宗治が再興したが衰微江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)に再建されたとされる大師堂経堂(岡山県指定文化財)石仏礎石の上に立っている鐘楼五重塔(重要文化財)南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m塔跡が残る)を焼失1821年(文政4年)に位置を変えて再建を開始弘化年間(1844年-1847年)に完成した高さは34.315m岡山県内唯...日照山国分寺<備中国分寺>(岡山県総社市上林1046)

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