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  • 吉田山 薬王院(茨城県水戸市元吉田町)

    薬王院初めての寺院を訪れる際、国宝・重要文化財の建築物があることを優先している。薬王院は本堂が重文ということで選んだが、駐車場を探すのにかなり時間を要した。「仁王門(県指定文化財)」寄木造り、茅葺きの八脚門。仁王像が安置されているが、この状態では撮ることができないので諦めた。「松平亀千代丸五輪塔」水戸藩初代藩主徳川頼房の次男。二代藩主光圀の異母兄にあたる。四脚門から見た回向堂「回向堂」右手に書院・客殿がある。本堂(重要文化財)平安時代の大同2年(807年)桓武天皇の勅願によって伝教大師最澄が創建したと伝えられる。立派な本堂というより、大きすぎて24mmのレンズでも後方からでかければ枠にはいらない。カメラを構えていると、本堂前を清掃していた4・5人の係の人が休憩に入ってくれた。道具が…本堂は、大永7年(1527)...吉田山薬王院(茨城県水戸市元吉田町)

  • 涌石山 日院 仏性寺(茨城県水戸市栗崎町)

    仏性寺(ぶっしょうじ)駐車場から歩いていくと山門の前で仁王像に迎えられた。「石造金剛力士立像(市指定文化財)」仁王像は建物の中で本尊を護っていると思っていたので、この像を見たときには正直驚いた。石造りなので、これでもいいのかと考えながら、しばらく眺めていた。お墓の前にあるのは六道地蔵。「鐘楼堂」「水子地蔵」「仏性廟」左右に道が分かれるが、もちろん右の建物の方を選択。本堂(重要文化財)天長年間(824年~834年)に慈覚大師円仁によって創建された。説明書きの最後に、東日本大震災の被害に遭い解体保存修理を行ったとの記載があった。工事の際、本堂正面が東側だったのを、創建当時の南向きに復元された。高さ11mの全国唯一の八角円堂。周囲を歩いて扉のある面はここだけ。茅葺きの屋根は魅力がある。本尊は「大日如来坐像(県指定文化...涌石山日院仏性寺(茨城県水戸市栗崎町)

  • 大洗磯前神社(茨城県東茨城郡大洗町磯浜)

    大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)フェリーが到着した大洗に戻ってきた。気になっていた神社があったからである。「随神門」参拝者が多い神社で大きな駐車場も満車状態、離れた場所の片隅に駐車する。随神門の前も参拝者が絶えず数分待ってやっと撮ることができた。「福の神様」大洗磯前神社の大神である大国様と恵比寿様。「手水舎」拝殿前に参拝者が並んでいたので、周囲を歩いてみる。参拝者の多くが足を止め、絵馬を眺めていた。その数も凄いが、他の神社とは少し変わっている。『ガールズ&パンツァー』というテレビアニメのキャラクターに関係しているようだ。他人の願いを読むのは気が引けるが、多くの人が楽しそうに眺めている理由もわかった。「拝殿(県指定文化財)」時間をつぶしているうちに拝殿前が一瞬このような状態に。社殿は元禄3年(1690年...大洗磯前神社(茨城県東茨城郡大洗町磯浜)

  • 尸羅度山 西蓮寺(茨城県行方市西蓮寺)

    尸羅度山西蓮寺西蓮寺という寺名も全国各地にあるが、ここは茨城県にある天台宗の寺院である。仁王門(重要文化財)駐車場の横にある山門(仁王門)。近くにある施設から大音量で演歌が流れていて寺院の静寂な雰囲気を壊している。天文12年(1543)に建立したときは2階建・三間一戸の楼門であった。江戸時代の寛政年間(1789–1801年)に楼門の2階部分を取り壊し、1階建の山門となった。寺名「西蓮寺」の扁額。蟇股(写真)と蓑束の形に室町時代末期の地方的特徴がみられるという。「仁王像」安政7年(1860年)に現在の位置に移築されて仁王門に改められた。仁王像を撮るのはいつも障害物があるので難しい。仁王門の後ろ姿。「手水舎」左手にお堂が見えてくる。「常行堂」お堂の名前は定かではないが、「常行三昧会」の案内板で判断した。お堂に近づく...尸羅度山西蓮寺(茨城県行方市西蓮寺)

  • 箱根山 宝塔寺 来迎院(茨城県龍ケ崎市馴馬町)

    箱根山宝塔寺来迎院「来迎院」で検索すると全国各地に同名の寺院が数カ所ある。ここは、茨城県龍ヶ崎市にある、天台宗寺院である。門柱には寺名の「来迎院」迎えの来る日が1日でも遅くなるようにと願うことにしよう。コンパクトな境内でお目当ての多宝塔が視界に入ってくる。多宝塔(重要文化財)室町後期の建築物と思われ、関東以北唯一の古塔。当地の守護で江戸崎城主であった土岐治英の援助で弘治2年(1556年)に建立されたものとみられる。三間多宝塔で、屋根は杮葺き。初層内部は後方寄りに来迎柱を立て、須弥壇を設ける。「寝釈迦撫仏(帰命頂礼釈迦如来)」ふたたびこの世に生まれ変わりて罪深き浮世の人を救う尊さ「仁王門」「金剛力士像」金属の枠と金網でしっかり護られている。「本堂」弘治2年(1556年)延暦寺の覚仙が当地に伽藍を建立。寺名「来迎院...箱根山宝塔寺来迎院(茨城県龍ケ崎市馴馬町)

  • 滑河山 龍正院<滑河観音>(千葉県成田市滑川)

    滑河山龍正院(滑河観音)天台宗の寺院。通称は滑河観音。「宝篋印塔」道路沿いに並んでいる宝篋印塔。仁王門(重要文化財)八脚門で茅葺き寄棟造り、室町時代の文亀年間(1501~1504)の再建。桃山期の建築様式で、柱は六角になっている。大きな注連縄が低く垂れ下がっている。内陣には仁王像が安置されている。「仁王像」今回の旅では仁王像専用の小さなカメラを忘れてきた。大口径のレンズを突っ込み適当にシャッターを切る。足腰に負担がかかるが、何とか通過。右手には、芭蕉句碑と夫婦松。「銅造宝篋印塔(県指定文化財)」享保3年(1718)の鋳造。三段の石基壇の上に、鋳造製の宝篋印塔が精巧に作られ、美術的価値の高いものである。「手水舎」「本堂(県指定文化財)」銅板葺き、方五間の建物で、元禄9年(1696)の建立。山号「滑河山」の扁額。「...滑河山龍正院<滑河観音>(千葉県成田市滑川)

  • 天応山 観音教寺 福聚院<芝山仁王尊>(千葉県山武郡芝山町芝山)

    天応山観音教寺福聚院(芝山仁王尊)「芝山はにわ博物館」と併設されている天台宗の寺院である。先に博物館で興味有る埴輪を見学した。子供を対象とした展示内容であったが、私の知識も同程度なので十分楽しむことができた。「大黒堂」参道の階段を上がり最初にあるお堂。無人受付所のようになっていて、手作りの「参詣のしおり」を入手する。22ページある説明は十分すぎる内容で大変参考になった。熱心にお詣りするとすると、大国様がニッコリ笑い、願いが叶うという。「手水舎」「仁王門」明治15年に完成した総欅造りの建物。お堂形式の建物で、両側にある内陣(撮影禁止)の畳の敷かれた須弥壇に仁王堂が安置されている。この寺の別称「芝山仁王尊」はこの仁王像からきている。大きなわらじに目がいくが、その上にある彫刻もすばらしい。「仁王尊」の扁額彫刻が好きな...天応山観音教寺福聚院<芝山仁王尊>(千葉県山武郡芝山町芝山)

  • 正東山 日本寺(千葉県香取郡多古町)

    正東山日本寺千葉県には有名な鋸山日本寺があるが、今回訪れたのは香取郡多古町にある本山日本寺。「山門」駐車場から山門付近にくると境内の落ち葉を取り除く作業をしている人を多く見かけた。しばらく待機し、きれいになった山門に足を踏み入れる。山号「正東山」の扁額は本阿弥光悦筆で日本三額の一つ。山門、鐘楼とともに多古町の文化財に指定されている。参道を歩き本堂に近づくと、集められた落ち葉が焚かれ凄い煙が境内を覆っていた。50cm先もこのように、はっきり見えない状況である。本堂付近も煙が立ち込め息苦しくなってきたので一時退散。「仏舎利塔」「経蔵」「伝水戸黄門お手植え紅葉」本堂左手奥までくると匂いはあるが煙はこないのでしばらくこの場所で様子をみる。「岡田豊田稲荷大明神(夫婦稲荷)」「妙見七面宮」檀林時代には多くの学僧達に学業成就...正東山日本寺(千葉県香取郡多古町)

  • 雲富山 大慈恩寺(千葉県成田市吉岡)

    雲富山大慈恩寺道路地図によって立ち寄った寺であり予備知識もない。洒落た案内板によりおおまかな内容を把握するが、近頃数十歩歩くと記憶から抜けていく。「観世音菩薩」と刻まれた石仏。「勅使門」朝廷からの香取・鹿島神宮への例幣使だけが通行を許された門。勅使門に山号「雲富山」の扁額これも珍しい、タイルに寺の由来が書かれている。左が勅使門、右が山門。その中央にある小屋に置かれている石仏。参道を進んでいく。「利生塔礎石群」参道左に残された礎石群が点在している。「本堂」天平宝字5年(761年)鑑真によって創建されたと伝えられている。当初は慈恩寺と称していた。明徳2年(1391年)後小松天皇から「大」の一字を賜わり慈恩寺から大慈恩寺と改められた。本尊は釈迦如来。「大慈恩寺の板碑」「空海修行と布教の像」これまで見てきた空海像とは少...雲富山大慈恩寺(千葉県成田市吉岡)

  • 亀鶴山 長興院(千葉県成田市伊能)

    亀鶴山長興院国道沿いにある寺で幸運にも車の流れが少なくなり、比較的容易に右折することができ駐車場に着いた。昨日までの雨もあがり、久し振りに青空を見た。「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」の戒壇石くさいにおいのする野菜と、酒は、修行の妨げになるので、寺の中に持ち込んではならないという意味。参道の先に見えるのは山門である。山門(登録有形文化財)禅宗様の特徴をよくあらわした瓦葺の木造楼門。建築年代は不詳だが、その様式から江戸後期に建てられたものと推定される。主要部にはすべてケヤキ材が使われており、ほぼ建築当初のまま保存されている。上層部が高く、内部に十六羅漢を祀っていた(現在、十六羅漢は本堂内に移管)周辺の様子「観音堂」(字が読めず)他のブログを参考にさせてもらいました。このアンバランス感が何ともい...亀鶴山長興院(千葉県成田市伊能)

  • 妙光山 蓮華院 観福寺(千葉県香取市牧野)

    妙光山蓮華院観福寺(かんぷくじ)真言宗豊山派の寺院。日本地図で有名な伊能忠敬の墓所がある。「山門」朝食後に空模様と相談しながら、訪問地の候補を決めるのだが、時間的に無理があると諦めていた寺であった。ところが、宿泊先の道の駅に向かう途中、この寺の大きな案内板が目に入り立ち寄ることにした。山門には山号「妙光山」の扁額。「手水舎」参道から境内にかけて、春は枝垂れ桜、初夏は新緑、秋は紅葉と季節感あふれる趣を味わうことができるという。「大師像」拝観料のない寺はこのような案内板がとても参考になる。「本堂」寺伝によれば、寛平2年(890年)尊海僧正の開基という。文化8年(1811年)鐘眞和尚再建本尊は平将門の守護仏とされる聖観世音菩薩。元来、香取神宮の本地仏として安置されていた銅造懸仏4点が重要文化財に指定されている。(拝観...妙光山蓮華院観福寺(千葉県香取市牧野)

  • 香取神宮(千葉県香取市香取)

    香取神宮伊勢神宮、鹿島神宮とともに日本三大神宮の一つに数えられている。茨城県の鹿島神宮、息栖神社とともに東国三社の一社、この旅で三社を巡拝したことになる。「二の鳥居」駐車場から参道商店街を通り過ぎると大きな赤い鳥居がある。「神池」表参道を歩くと左手に神池が見えてくる。三脚を立てて写真を撮っている人がいたので、同じ場所から一枚。「三の鳥居」二の鳥居からしばらく歩くと、正面に大きな石造りの鳥居が立っている。「狛犬」「総門」重要文化財の門が工事中だったら嫌だなと思っていたら、ここではなかったということが後にわかった。「手水舎」「天皇陛下皇后陛下御親拝記念植樹」平成4年11月とある。楼門(重要文化財)元禄13年(1700年)に徳川幕府5代将軍の綱吉の命により造営された。楼上の額は東郷平八郎の筆。「楼門の狛犬」木造の狛犬...香取神宮(千葉県香取市香取)

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