九一職の御曹司におはしますころ、西の廂に(104)その42019.12.30「これいつまでありなむ」と、人々、のたまはするに、「十よ日はありなむ」ただこのころのほどを、ある限り申せば、「いかに」と問はせたまへば、「正月の十五日までは候ひなむ」と申すを、御前にも、「えさはあらじ」とおぼしめしたり。女房などは、すべて「年のうち、つごもりまでもあらじ」とのみ申すに、「あまり遠くも申してけるかな。げにえしもやはあらざらむ。ついたちなどぞ申すべかりける」と、下には思へど、「さはれ、さまでなくと、言ひそめてむ事は」とて、かたうあらがひつ。◆◆中宮様が「この雪山はいつまでありおおせるだろうか」と仰せあそばすと、女房たちは、「十日あまりはありおおせましょう」と、いちずにこの日あたりの期間を、そこに居る全部の者が申し上げるので、...枕草子を読んできて(104)その4
九一職の御曹司におはしますころ、西の廂に(104)その32018.12.26その後、また尼なるかたゐの、いとあてやかなるが出で来たるを、また呼び出でて物など問ふに、これははづかしげに思ひてあはれなれば、衣一つ給はせたるを、伏し拝まむは、されどよし、さてうち泣きよろこびて出でぬるを、はやこの常陸の介、行きあひて見てけり。その後いと久しく見えねど、たれかは思ひ出でむ。◆◆その後、また、尼の乞食で、とても品の良いのがでてきているのを、また呼び出して物などを尋ねると、この尼はきまり悪そうに思っているようで、しみじみ可哀そうなので、着物一つをお下げ渡しあそばしているのを、伏し拝むのは、それはそれでよいとして、そうして泣いて喜んで出て行ったのを、早くもこの常陸の介が、行き会って見てしまったのだ。それから後は、すねてしまって...枕草子を読んできて(104)その3
九一職の御曹司におはしますころ、西の廂に(104)その22018.12.22若き人々出で行きて、「男やある」「いづこに住む」など、口々に問ふに、をかしき事、そへごとなどすれば、「歌はうたふや。舞などはすや」と問ひも果てぬに、「まろはたれと寝む、常陸の介と寝む。寝たる肌もよし」。これが末いとおほかり。また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つ」と頭をまろばし振る、いみじくにくければ、笑ひにくみて、「いね、いね」と追ふに、いとをかし。◆◆若い女房たちが出て行って、「亭主はいるか」「どこに住むのか」など、口々に聞くと、おもしろいことや、あてつけの冗談口などを弄するので、「歌はうたうのか・舞なんかするのか」と聞きも終わらぬうちに、「(俗謡)まろはたれと寝む、常陸の介と寝む。寝たる肌もよし」と歌い始める。この歌の先がたいへ...枕草子を読んできて(104)その2
九一職の御曹司におはしますころ、西の廂に(104)その12018.12.19職の御曹司におはしますころ、西の廂に不断の御読経あるに、仏などかけたてまつり、法師のゐたるこそさらなる事なれ。◆◆職の御曹司に中宮様がおいであそばすころ、西の廂の間で不断の御読経があるので、仏の画像などをお掛け申し上げ、法師の座っているのこそは、その尊さは言うまでもない。◆◆■職(しき)の御曹司におはしますころ=長徳四年(998)末から翌年長保元年正月までのことであろう。■不断の御読経(ふだんのみどきょう)=一昼夜12人の僧に一時ずつ読経させる法要。二日ばかりありて、縁のもとにあやしき者の声にて、「なほその御仏供のおろし侍りなむ」と言へば、「いかでかまだきには」といらふるを、何の言ふにかあらむと立ち出でて見れば、老いたる女の法師の、いみ...枕草子を読んできて(104)その1
九〇さてその左衛門の陣、行きて後(103)2018.12.16さてその左衛門の陣、行きて後、里に出でてしばしあるに、「あさぼらけなむ常におぼし出でらるる。いかでさつれなくうちふりてありしならむ。いみじくめでたからむとこそ思ひたりしか」など仰せられたり。御返事に、かしこまりのよし申して、わたくしには、「いかでかめでたしと思ひはべざらむ。御前にも、さりとも『なかなるをとめ』とおぼしめし御覧じけむとなむ思ひたまへし」と聞こえさせたれば、立ちかへり「『いみじむ思ふべかンめる仲忠が面伏せなる事をば、いかでか啓したるぞ。ただ今宵のうちに、よろづの事を捨ててまゐれ。さらずはいみじくにくませたまはむ』となむ、仰せ言ある」とあれば、「よろしからむにてだにゆゆし。まして『いみじく』とある文字には、命もさながら捨ててなむ」とてまゐり...枕草子を読んできて(103)
八八里にまかでたるに(101)その32018.12.13かうかたみにうしろ見語らひなどする中に、何事ともなくて、すこし仲あしくなりたるころ、文おこせたり。「便なきこと侍るとも、契りきこえし事は捨てたまはで、よそにてもさぞなどは見たまへ」と言ひたり。常に言ふ事は、「おのれをおぼさむ人は、歌などよみて得さすまじき。すべてあたたかきとなむ思ふべき。今は限り、やがて絶えなむと思はむ時、さる事は言へ」と言ひしかば、この返事に、くづれするいもせの山の中なればさらに吉野の川とだに見じと言ひやりたりしも、まことに見ずやなりにけむ、返事もせず。さて、かうぶり得て、とほたあふみの介などいひしかば、にくくしてこそやみにしか。◆◆こうしてお互いに世話をしたり、親しく話したりなどしているうちに、何がということもなく、少し仲が悪くなってい...枕草子を読んできて(101)その3(102)
八八里にまかでたるに(101)その22018.12.11夜いたくふけて、門おどろおどろしくたたけば、何の、かく心もとなく、遠からぬほどをたたくらむと聞きて、問はすれば、滝口なりけり。左衛門のかみとて、文を持て来たり。みな寝にたるに、火近く取り寄せて、見れば、「明日、御読経の結願にて、宰相中将の御物忌に籠りたまへるに、『いもうとのあり所申せ』と責めらるるに、ずちなし。さらにえ隠し申すまじ。さなむとや聞かせたてまつるべき。いかに。仰せにしたがはむ」とぞ言ひたる。返事も書かで、布を一寸ばかり紙に包みてやりつ。◆◆夜がすっかり更けてから、門をひどく恐ろしげにたたくので、一体何者が、こんなふうに気がかりなように、遠くもない距離にある門を叩くのだろうと、人を出してたづねさせると、北面の武士であった。左衛門のかみ(この当時則...枕草子を読んできて(100)その2
八八里にまかでたるに(101)その12018.12.1里にまかでたるに、殿上人などの車も、やすらかずぞ人々言ひなすなる。いとあまりに心に引き入りたるおぼえ、はたなければ、さ言はむ人もにくからず。また夜も昼も来る人をば、何かはなしなども、かかやきかへさむ。まことにむつましくなどあらぬも、さこそは来めれ。あまりうるさくもげにあれば、このたび出でたる所をば、いづくともなべてには知らず、経房、済政の君などばかりぞ知りたまへる。◆◆里に退出していると、殿上人などの車が家のそばにあるのをも、おだやかでないように人々が話をこしらえて言うとのことである。私はひどくこだわって隠れ忍んでいる人間だというような世間の評判も、まったくそうではないので、そういうだろう人も別ににくらしくはない。また夜も昼も来る人を、どうして「いない」など...枕草子を読んできて(101)その1
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