趣味の史跡巡りと歴史のことを書きます。 戦国時代の細川・三好政権期、畿内と西国が多め。
ブログの内容には素人の根拠無い想像が混ざってるのでお気をつけください。 好きな戦国大名は朝倉英林、好きな将軍は足利義材、好きな守護家は赤松家、好きな右京兆は細川政元、好きな主従は多すぎて書けません。
「流れ公方」足利義稙の執念が生んだ「阿波公方」(前編) 義尹上洛から船岡山合戦までを明応の政変も振り返りつつ
前回の記事『将軍・足利義輝の弑逆「永禄の変」から探る三好政権分裂の実情』 では、松永久秀が三好三人衆との対立に至った経緯について考えてみました。 しかし、それ以前の三好長慶がまだ細川晴元の麾下にあった天文年間、「天文の錯乱」を経て足利義晴を将軍と認めたはずの細川讃州家がなぜ「阿波公方」足利義維・義栄父子を庇護し続けたのかという疑問が湧き、讃州家当主の細川持隆の室と義維の室が共に大内義隆の姉妹、つまりかつて足利義稙の上洛を支えた大内義興の娘であったことや、義稙の死後に大内義隆がその肖像画を制作したこと、また畠山式部少輔父子のように義稙の父義視の代から義栄まで扈従し続けた忠臣の存在などを知るにつれ…
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