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加西市
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加西市
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2014/10/30

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  • 目も寿命かな

    草刈り機がいきなり止まった。それっきりうんともすんとも言わなくなってしまった。近くのJAに持ち込んだが、修理するより買い換えた方が良いとの診断。確かにあるべき部品が破損して使い物ならないのは明らか。寿命ということで諦めることにしたが、草がひっきりなしに成長する季節。何とかしなければならないが、ここしばらく高額出費が続き、すぐ間に合いそうにない。ここは慌てず騒がずでいくしかなさそうだ。源ちゃんはすっかり許へ戻った様子。好きなボール遊びにも興味が戻ったようだ。暫く遊んで、明日からの企画展の用意に掛かった。企画に必要な文献を開いたが、目が思うように働いてくれない。小さい字が見えないのはきつい。なんとか必要な項目を読み終えたものの、自分の限界に思い知らされた格好である。「目がわるくなるから、暗いところで本を読むな」両親...目も寿命かな

  • やれ嬉しや

    早朝、源ちゃんの家を覗くと、「クーン」と昨日より元気。とはいえチョッピ復活といった感じ。散歩をして、ペットフードをすこし食ってくれた。ひとまず安心である。好物のはずのささみ肉は見むきもしなかった。もしかしたら、このささみが源ちゃんに悪さをしたのだろうか?玄関先にパッと開いた花が、源ちゃんの回復を祝ってくれているかのようだ。心配事も去り、7月に「まちライブラリーアトリエ」で企画の、「羅漢寺豪さんのふるさと写真展」と、加西市図書館で10月から開始の、「かさい文芸創作展2021」と、チラシ制作のために、加西市まちづくり観光協会へ後援の依頼へ。事務手続きを済ませてすぐチラシを作った。今日はその配布に回る予定である。同時に動かなくなった草刈り機の修理に、JAに回る予定である。ただ源ちゃんのその後も気を配ってやらなければ。...やれ嬉しや

  • 家族として

    昨日から源ちゃんの様子がおかしい。嘔吐を繰り返し元気もない。夜も彼の様子が気になって、眠れなかった。朝すこし元気を取り戻していたが、本調子には程遠い。濡れ縁の下に入り込んで、実に大人しい。心配で何分か沖に様子を窺っているが、顔を見れば、のそっと出てきてくれる。もう少し様子を見て、ペット医さんの厄介になるか決めるつもりだ。子供の頃から、8匹ぐらいの犬と触れ合ってきている。マリ・コロ・トト・モモ・二代目マリにコロ・三代目コロ・そしてタロ……みんな私の家族だった。犬小屋で一緒に寝たこともある。マムシに噛まれて頬をパンパンにはらしたコロを抱きしめて、泣きべそをかいたのも覚えている。タロの時代まで犬猫っ病院など身近になかった時代。マムシに噛まれたコロは、自分で山の中へ入り、帰ってきたら泥だらけだった。どこか泥沼に浸かりで...家族として

  • 暑さをしのぐ

    暑い日が続いている。桔梗が最初の花を咲かせて、束の間、暑さを忘れさせてくれた。「結婚できない男」で阿部寛が、ワンちゃんにきゅうりを食べさせていたが、「はーはー」舌を出している源ちゃんに、与えてみたら、えらく気に入ったらしい。夜は時折家の外へ避暑する。屋内よりひんやりと気持ちいい。昔なら床机を引っ張り出して、浴衣を着て涼むところだ。蚊取り線香と丸団扇が必須アイテムだったっけ。祖父と両親、兄と家族勢ぞろいで、のんびりとした時間を楽しんだ。私以外の家族はみんな天国へ行ってしまったが、あのしあわせだった時間の記憶は健在である。暑さをしのぐ

  • 水草はいまもむかしも

    2021創作祭(加西市図書館パネルギャラリーにて)に向けて、作品の用意を急ピッチで進めている。久しぶりに時間を忘れて徹夜してしまった。眠いが畑へ。そしてすいか発見。今年の一番成りだ。カラスの餌食にならないように、籠をかぶせといた。畑は毎日違う表情を見せてくれるので飽きることはない。周囲の田んぼも稲の苗が順調に育っている。米作りは雑草との闘いでもある。今は除草剤などを併用して、楽になった感があるが、昔は完全な手作業。ゴブリ(うろおぼえで確かではないが)、手押し車の形状をした水草とり機を、苗と苗の間を進めていたのも覚えている。当然、子供も駆り出された。水田に入り、素手や簡単な道具を使い水草と格闘したものである。暑くなる時期だから、そら大変だった。でも、同じ田んぼに親子4人がはいずり回る姿は、今考えれば貴重な体験だっ...水草はいまもむかしも

  • コエタゴ?

    昨日は赤カナメの植垣の剪定をした。5mほど植え込んだものだが、垣根にもってこいの成長の早さだ。それは逆に手入れが大変だということになる。いつも上部をかなり刈りこむが、身長の1.5倍近くの樹高とあって、かなり悪戦苦闘する。植木屋が使ってるような脚立はないし、安い切り込みバサミはすぐに切れなくなる。1mぐらい切り込むと小休止。その繰り返しで、なんとか三分の二が終わった。夕方5時半には畑に向かう。水やりである。雨が降れば泥田になるのに、好転が続くと水の補給が欠かせないという皮肉。畑の中に何か所かポリバケツを埋め込んで、水の中継地にしているが、水を使えば減った分を補う。近くの水路から灯油用タンクを使って運ぶことになる。思いタンクをぶら下げて運ぶのも、暑さが加われば「ヒーヒー」ものだ。運ぶのに難儀しながら思い出す。子供の...コエタゴ?

  • わが人生のパートナーは眼鏡

    昨日は草刈り。途中夕立に見舞われずぶぬれ。ナイロンコードカッターを使っての作業だったので、細切れになった草と泥が一緒になって飛び散り、服もズボンも顔も、そして、いつもの通り眼鏡も草泥が水玉状にくっ付き、視界を邪魔すること夥しい。小学校で眼鏡をかけるようになって、モテ期にコンタクトの時期はあったものの、眼鏡はわが人生の必須アイテムと化してしまった。今や眼鏡を外すと、数メートル前に立つ人の顔が見分けられない。0.01の世界をさまよっているようなものである。この眼鏡、実に扱いが厄介。汗をかけば曇る。冷凍倉庫に入ったら真っ白け。顔や頭を振ればタイミングよく吹っ飛ぶ眼鏡。置き所が分からなくなると探すのも見えないから一苦労。グシャッ!とお尻や足の下で不気味な音を立てたら、眼鏡の蔓はひん曲がり、酷いときはレンズが割れる。(高...わが人生のパートナーは眼鏡

  • 剪定にひと汗

    朝食はクレープ巻きと抹茶スティック。クレープは昨夜焼いて冷凍しておいた作り置き。パンケーキもホットケーキも手作りの作り置きを冷凍してある。今朝はクレープに、スクランブルエッグと野菜をまいてみた。3本も食べてしまった。そして後は庭木の剪定に掛かった。畑仕事と並行しての作業である。暑い中、いやはやきつい。集中力も散漫で、剪定のレイアウトもまとまらない。まあいつものことだが、ええ加減な剪定になってしまった。傍で源ちゃんは相手にしてくれないので、暑さ用に用意していたペットボトルに、悪さをして遊んでいた。お茶なしで半日過ごす羽目になった。それでも憎めない源ちゃんである。傍にいてくれるだけで、作業効率が上がるのだから。(ウン)剪定にひと汗

  • 幼きころ

    10月に予定している、図書館パネルぎゃらりーの展示、「2021文芸祭」に出品の、写真の部「甲斐犬源ちゃん日記」の写真を整理していたが、幼犬の源ちゃんの可愛い写真が出てきて、しばし眺めていた。まだ生後1年もたたない源ちゃんの今を見れば、信じられない写真ばかりだ。私の子供時代の写真も引っ張り出したが、人も犬も小さいときの可愛さと言ったら。無事に成長させるべく、神様の思し召しと考えればいいのかも。源ちゃんいかめしい風貌になってしまったが、私には目に入れても痛くないかわいさにメロメロである。(笑い)幼きころ

  • 雨の通学路

    この間の雨で、畑のあちこちが水たまりになっている。水のたまっているところへ長靴で踏み込むと、泥沼状態でズボッ。乾燥するまで下手に手を出せない惨状だ。水はけをよくするための溝堀りの工事は頼んでいるが、まだかかれないようだ。今は我慢で待つしかなさそうである。水たまりといえば、子供の頃の通学路がそうだった。当時は県道と言えども舗装などされていなかった。乾けば土埃が舞い、雨が降ればぬかるむという道だった。通学路に使われていた農道などデコボコ道もいいとこだった。へっこんで穴のようになったところが雨が降ると水たまりになった。下校時は水たまりの水を長靴で踏み飛ばして楽しんだものだ。学校で用意されていた油紙の番傘を回して水を飛ばしたりと、家に帰りつくころにはぐっしょり濡れネズミだった。傘は何の意味も持たなかった子供の世界。久し...雨の通学路

  • がむしゃら

    コロナ関係の仕事につく知人。連日おそくまで働いている。暫くは休日もシフトを組み直し不規則だという。そこに働く人たちには感謝しかないし、敬服するしだいだ。これからもコロナ収束に向けて頑張ってほしいと願うばかり。仕事といえば、私が初めて働いたのは、加古川駅前にあったG書店。本が好きということもあって選んだ仕事だった。当時の個人商店、時間があってないといってもよかった。休みは月~2回。それがなくなる月もあったっけ。勤務時間もお客さん次第というところがあった。夜11時過ぎまでなんてことはしょっちゅう。それもすべて、今でいうサービス残業だったなあ。それでも若さってすごい。くたくたになりながらも眠ると翌日は復活、朝8時出勤(加古川まで通勤時間を考えて5時半には家をでてたと思う)そして平均して夜10時ころまで勤務。馬車馬状態...がむしゃら

  • おじぞうさんがつなぐ父と息子のいま

    先日何年振りかの帰郷を果たした息子が、「懐かしかった。あのお地蔵さん、まだあった」えらく感激してみせた。最寄りの駅から我が家まで、50分ちかくかけて歩いたらしい。途中母校である小学校に立ち寄り、通学路を散策しながら辿り、路傍にある古いお地蔵さんを見つけ、記憶を蘇らせたのだ。「お父さんと一緒に歩いたんだ」帰り道で、季節の草花にふれたり、畔で寝転んでみたり、時間をかけて楽しんで帰ったものだった。中でもお地蔵さんを前に、お話を聞かせたのが一番記憶に残っているという。「毎日挨拶していくんだぞ。お地蔵さんはお前たちを見守ってくれているんだから。大人になっても、お父さんたちに代わって守ってくれるんだ」なんてことを話したらしい。「俺、毎日お地蔵さんに挨拶してたんだ」父の知ったかぶりうんちくを、真面目に聞き取り実行していたのは...おじぞうさんがつなぐ父と息子のいま

  • キューリを丸かじり

    暑い!じっとしていても暑い日が続いている。それでも畑に足を運ぶのは止められない。怠れば野菜は見捨てられたも同然だから。昨日はキューリを何本か収穫した。トマトはまだ薄緑の実が顔を出したばかりだ。キューリを一本ゴシゴシ手で拭い、齧った。みずみずしさが口に広がる。最近は丸かじりする機会は滅多にないが、子供の頃はおやつ代わりだった。キューリは塩をまぶすこともあったが、殆どは巣の儘を丸かじりしていたなあ。どちらにしても美味かった。トマトもおやつ代わりの丸かじり。普段着だった白いランニングシャツがぐっしょり濡れるのも気にならなかったっけ。暑い時期は下も白い半ズボンが田舎の子供の定番だった。さあ家でキューリを、きのう作りおいた肉みそで食べるとするかな。(笑)キューリを丸かじり

  • 梅雨の晴れ間

    かなりの雨に閉じ込められた後、久々の晴れ間。庭に出て花たちとご挨拶。次々と主役が入れ替わる花たちは、私につかの間の安堵をくれます。(?)白い花が咲いたばかりなのに、葉っぱに穴がポツポツ。虫食い発見!いつもするようにピンセットを取って来て、葉っぱの裏側についている虫を捕獲……(あれれ)思うように摘まめません。集中を心掛ければかけるほど、ピンセットの先がかすかに揺れ出す始末。なんとか虫を摘まみ取りましたが、ため息が。これも加齢のなせる業なのでしょうか。(笑)梅雨の晴れ間

  • 父の日を前に

    孫は連れずにきのう長女がやって来た。介護福祉士の彼女、コロナワクチン接種を受けて、臨時の休日ができたかららしい。そう思っていたら、「はい。父の日の前倒しよ」差し出したのはサーティワンアイスクリームのケース。実はアイスクリームは大好物。冬の寒い時期でも食べてしまうほど。「死んだら棺にアイスクリームを入れてくれよ」日頃からジョーク半分に言っている。だから父の日のプレゼントってわけだ。感動に浸りかけると、「さあみんなで食べよう。お母さん何がいい」現実に戻った。私一人のためじゃないのは分かっていたが、オイオイ、ネタ晴らしが早すぎるぞ。しかし、この娘のおかげで、私は父親なんだと自信を持ち続けられる。誕生日は勿論、私の記念日は忘れずに、なにがしかで祝ってくれる。息子二人は論外だが、末の娘も若いから、そこまで気が回らない。た...父の日を前に

  • 取り換え顛末

    応接間の天井照明が切れた。サークル型の電球を替えればいいと外したが、店もネットもなんと同じ形態のものが売っていない。仕方なくしばらく放っておいたが、帰郷した息子が暗いのを見かねたのか、前のマンションで使っていたLEDのが余っているというので、早速送ってくれた。そこまではよかったが、取り換え作業が悪戦苦闘。天井を見上げての作業が昔のようにはいかない。足元がふらつくのは何とかなるが、上を向きっぱなしは辛いきつい!しかも前の照明器を取り付けたのが相当前のこと。外し方は度忘れ。ネットで調べて何とかなったが、天井に設置の部品が劣化、欠けてしまった。購入に出向くのもすぐには叶わず、今や待機状態。いつになtったら明るい応接間を取り戻せることやら。照明器の取り換えもさることながら、年齢を取り換えられたなあと、ため息をつきながら...取り換え顛末

  • 地獄のち天国

    夜中、いきなりの強い雨。収まる気配もない中、ゴロゴロと遠雷。(カミナリ!)体が緊張する。子供の頃はカミナリが怖くてたまらなかった。雷光に雷鳴、逃げ惑う私。蚊帳の中のど真ん中で布団をかぶりブルブル。学校の授業中でも、頭を抱えてブルブル。生きた心地のしない時間を送ったものだ。長じた今も変わらない。表向きは平気を装っても、震えを隠すのに必死といった塩梅。光った時から鳴り渡るまでの時間が短くなると、地獄のの閻魔様の前に引っ張り出されたようなものだ。大体からして、雷鳴雷光には敏感だ。スワっとなり、ブレーカーを落とし、アンテナやコンセントは全部引き抜いて回る。家族に顰蹙を買っても、恐怖心が成せる行動だからやむを得ない。することがあったのに、布団で震えているうちに寝入ってしまったようだ。今朝はウソみたいに晴れている。玄関策の...地獄のち天国

  • 麦刈り

    今どきの麦刈りはコンバインでラクラク。子供の頃は手刈り。家族総出、それに手伝いの人が加わった。左手で株を握り、右手の鎌でザクッ。4株ほどをひとまとめに刈り終える。年季が入った人ならリズムよく、ザクザクザクッ!子供には4株を握れず何回か分けて刈った。炎天下だと暑いし、汗だくだくの大変な作業になる。腰をかがみっぱなしだから、腰がすぐ痛くなる。子供ながら、やはりみんなに負けないようにと気張るが、経験がある兄や父にはしょせん勝てっこなかった。刈り終えた麦を束にするのも、大人の巧みな手さばきに感心するばかりだった。麦刈り

  • 父ゆずり

    鏡を見ると、亡き父と相貌がそっくりになっていることに気付く。昔から母親にそっくりと言われ続けてきた私の中に、ちゃんと父が居すわっていたのだなあと感慨深い。そういえば、私の性格も父譲りと言っていいかも知れない。寡黙で働く姿しか思い出せないような父。家族4人、その団らんの場から、いつも一歩も二歩も距離を取って、自分の家族の談笑を眺めていたと思う。今の私がそうなのだ。家族が集まって賑やかにやっている場に、私はいない。家族のために料理を作っているか、目的もなくパソコンに向かいながら、ちらちらと家族の様子を窺いながら、ひとりほくそえんでいる。それで十分幸せな父親である。父もそうだったのだ。(ウン)父ゆずり

  • 畑の水やり

    暑い日が続き、畑の水やりも欠かせなくなった。水道設備が揃っているわけではない畑、まずは水運び、近くの用水路からバケツに入れて「ヨイショヨイショ」野菜の水やりが終わったころは、暑さと筋肉の痛みが。昔も今も水やりは重労働である。この間帰郷した長男がいみじくも言っていた。「ちんまい頃、兄弟4人総動員されて水を運んだけど、水いっぱい入ったバケツリレー、小学校に上がったかぐらいの子供には無理やったで。水はこぼれて、野菜にかけてやる時は半分以下やったやんか。いま考えたらめちゃくちゃな話やんか」炎天下、庭の草木や畑の野菜の水やりは、家族そろってわいわいキャーキャーと、それでも楽しかった思い出だ。今はもうやりたくてもやれなくなった。白髪のおじいちゃん一人が「エッチラオッチラ」(ハァ~)傍で源ちゃんも呆れてみている。(?)日差し...畑の水やり

  • 日々うつろう

    昨夜は「ねひめ広場運営会議」の定例会。コロナ禍で短時間の集中審議(?)ボッチャの最終確認と、新企画の検討も。コロナが影響して、企画もなかなか難しい感じ。しかし止まるわけにはいきません。まちライブラリー通信が出来上がり、また配布に回りました。年齢的にも機動力が欠ける一方で、配布先も少なくなりました。まあこれが限界ということでしょうか。そんな私を癒し励ましてくれるのは、庭の花と、そう!源ちゃんです。明日への活力を取り戻させてくれます。感謝です。日々うつろう

  • 蚊帳

    昨日書いた蛍の思い出に頂いたコメントに、蚊帳の中に蛍を放した話が多くありました。昔は蚊帳が重宝されていました。蚊が発生する暑い時期には、必ず寝間いっぱいに青い蚊帳が張られたものです。家族4人が並んで寝ても十分すぎる広いものでした。この蚊帳何かにつけて役立ってくれました。蚊を防ぐのは勿論、雷が鳴ると飛び込んでど真ん中でブルブル震えながら、雷の過ぎ去るのを「くわばらくわばら」と待ったものです。最近はすっかり姿を消した蚊帳。記憶の中で今も活躍しています。蚊帳

  • 蛍の記憶いつまでも

    夜10時前。ベランダ越しに目を凝らすと、見つけました。淡い光、蛍です。排水路に沿って、フワーッとした感じで、舞い上がりました。たった1匹の蛍。もちろん草の陰に隠れていたかもしれません。しかし私の目の中を妖精のように舞っているのは、正真正銘一つきりのひかりでした。子供の頃は、家の外に出ると、蛍の光の輪に包まれるほど、限りなくたくさんいたんでしょうね。団扇でやった蛍とり。そーっと宙に突き出すと、ふんわりと団扇に留まったのです。子供ながらとても優しい気持ちになれた気がしました、あの瞬間。蛍の記憶いつまでも

  • わが暮らし……ふぅ~

    目が覚めたのは9時過ぎた。やはり疲れていたんだ。昨日は午前中、知人がくれた黒豆の植え付け作業、午後は田んぼの中を草刈りに汗を流した。ひとりだと遅々として進まぬ作業もなんとかやり終えた。陽があ地たのを見計らって今度は水運び。暑いと水運びは欠かせない。タンクを下げて運ぶのも、歳と共にキツくなる。(苦笑)帰宅すると、待ち構えていた源ちゃんの猛攻撃。よほど寂しかったのか、まとわりついて来る。腹を見せてはしゃぐ姿は、赤ちゃんと同じだ。癒しの時間である。とはいえ疲れは取れていなかったようだ。11時から歯医者の予定で、ゆっくりもしていられない。のんびり自適を夢見る平穏な暮らしは、やはり夢のまた夢のようである。(ウン)わが暮らし……ふぅ~

  • 麦ごはん

    家の周囲の麦畑の刈り入れはすっかり終わって、田植え準備に移っている。麦わらも必要分を分けて頂いた。麦は重宝だが、今どきは麦を炊飯することは滅多にない。健康食で見直されてはいるが、一般家庭では小麦粉ぐらいなものだろう。そんな麦も昔は主食の位置にあった。私が物心ついたころ、家のご飯は白米ではなく裸麦がメインだったかな。どんな割合でコメとブレンドしていたかは知らないが、黒っぽくてモソモソッとした食感だった気がする。家で食べる分には気にならなかったが、小学校でお弁当の時間にになると大変だった。醤油と和えたおかかを表面に敷きつめて、麦ごはんは見えなくても、弁当の時間になると、弁当の蓋や手で隠して食べたものだった。おかかの醤油がしみだして、包んでいた新聞紙が醤油まみれになったりと、弁当の時間は楽しいどころではなかった。弁当...麦ごはん

  • お片付け

    昨日ひさしぶりに作ったカレー。新玉と新ジャガは勿論入っている。カレー粉を心持ち減らしてみたら、家族に大受けなものに仕上がった。玉葱などを収穫した畑は、昨日の大雨で反乱?状態。小雨になったのを見計らって、畑の排水溝に手を入れた。埋まったところはスコップとジョレンを駆使。古いU字溝を使って水の流れを良くしたりと、いやはや雨の状況をにらみながら、半日以上かけての作業となった。本来怠け者の私も、「さあやるか!」と思いつけばとことんやる。自分の部屋もそんな感じで片付ける。つまりは片付けるに至るまでは、ゴミ屋敷ならぬゴミ部屋というわけだが。考えてみれば私の人生もそんな感じだったかなあ。(笑)お片付け

  • 不器用もんだから

    自分でコメや麦を作らないので、藁やもみ殻は営農頼りである。翌日が大雨とかで懸命な作業に終始した。運び終わって、畑を眺めると、前日に草刈りを終えた畑は、いい感じに仕上がっている。犬と自由に触れ合いながらの野菜作りをテーマーにした「わん・ラン・マン農園」だ。柵作りから、畑の区画分け、排水の溝堀……、遅々と進まぬ作業を根気よく続けている。何をするにしても不器用な私。時間がかかるのは仕方がない。私の転職である調理師になるために、23で書店員を退職、調理の専門学校に通い始めた。当時は外食産業が脚光を浴び始めた時期。料理なら僕にだってと安易な転身だったと思う。しかし調理実習はもう四苦八苦。運動神経が人より劣る私、フライパン返しや、包丁のサバきなど……いやはや。実習仲間は年齢もバラバラの男女。定年者も、中学校卒業性も、水商売...不器用もんだから

  • 変われるのは自分

    暑い!畑仕事を日中やるのもきつい日が続いている。時々源ちゃんをそばで遊ばせながら作業をしているが、「ハーハー」とみていられない。そこで農具の置き所と隣り合わせに、日陰の別荘(?)を作ってやった。思ったら吉日で、何でもやっつけてしまうようになったのは、高校時代の体験がきっかけになった。高校と言っても、最初通った地元の進学校は中途退学で、受験し直して入ったのが工業高校。別にモノづくりが好きで選んだ学校ではない。新設校で合格は間違いなしとされたからだった。目標がないから、勉強も実習も実が入らない日々が、当然のように続いた。落ちこぼれだと自覚しながらもどうするすべもなかった。どん底の私を救い上げてくれたのが、国語の教科担任のT先生。何を思われたのか、人見知りで根暗な私に、校内弁論大会出場させてくれたのだ。優柔不断な私が...変われるのは自分

  • ほーほー、ほーたるどこやねん?

    日暮れてすぐベランダに立った。薄闇を眺めていると、不思議に落ち着く。一日の疲れを吸い取ってくれるようだ。(えっ?)ふいにほたるが目の前をよぎると、ツィーっと流れるように消え去った。元気なやつだと感心する。あとは目を凝らしてもほたるは姿を見せる気配はなかった。一匹狼いや一匹ほたるか?かっこいい。いやいや自然の危機の一端かも知れない。子供の頃、ほたるの乱舞は私が生まれ育った田舎では普通だった。家の中に侵入されることはしょっちゅうだった。根っからオビンタレだった私は、兄引っ張られていったほたる見物で、光のシャワーの中に立ち尽くしたことを覚えている。綺麗と思う前に怖さが先行したのだろう。いまや一匹のほたると遭遇するのが幸運といえる時代なのかも知れないなあ。ほーほー、ほーたるどこやねん?

  • 好きなら諦めないこと

    10数年ぶりの帰郷を果たした息子。妻や娘らとの話に耳を傾けているとなんと息子は最近絵を描いているという。「やっぱりお父さんの子じゃ。お父さんもおじいちゃんの絵心を受け継いでるし、やっぱり遺伝じゃね、これは」思いがけない息子の変化。中学高校はバレーボール部のセッターで、運動大嫌いの私との接点は全くない息子だったのだ。コロナで挫折の羽目に陥り、転職してガンバているが、前職の居酒屋チェーンの店長時代は、毎日店のお品書きを描いていたという。それが絵への興味につながったのだろうか。どうあろうと、父に似てきたといわれる息子の姿が、私を幸せな父親の醍醐味を味わっている。ただ面と向かって話せないのは昔も今も寡黙な親子関係は変わらないが。ちなみに息子の居酒屋時代の晴れ姿。マグロの解体ショーの写真がある。調理師の先輩である父親は洋...好きなら諦めないこと

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