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2014/10/29

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  • 人生展望(Ⅵ)(総括・・苦渋・賞賛・家族・未来)

    〇高専から離れて一段落し、思い起こすこと:(1)在学中は自分の研究情勢、学校の業務処理、担任業務、講義・実験・卒研などで多忙を極め、一番気になって来たのは研究進展のはかどりであった。ここまで来たからには引くにひけぬ、誠に体力と気力との葛藤であった。(2)平成7年7月、59歳で名古屋大学から博士(工学)を頂いた。平成11年3月に63歳で高専を定年退職した。高専での業務評価と学位取得により、平成13年地元の福井工業大学に常勤教授として採用頂き、有意義な日々を過ごすことが出来た。平成20年3月に72歳で定年退職した。引き続き福井県美容製菓専修学校に非常勤として、平成29年3月まで勤めた。(3)平成26年11月、「瑞宝小授章」を家内同伴で宮中に出向き、日本国天皇から頂いた。東京浜松町のホテルに2泊3日宿泊した。章は高専...人生展望(Ⅵ)(総括・・苦渋・賞賛・家族・未来)

  • 人生展望(Ⅴ)(土地購入・新築達成)

    昭和43年4月、福井高専に転職し鯖江鳥羽町の公務員宿舎二階に住んだ。二間と台所・浴室・トイレの狭いところであった。そこに13年間住んで、昭和55年新しく新築を計画した。それ迄の経緯を紹介する。(1)昭和55年(1-1)5月1日(木)朝10時校長室にて教授昇格への辞令が渡された。計4名、内3名は50才、小生は44才であった。仏壇に献上した。給料は262,500円から277,900円に少し上がった。(1-2)土地の購入:近くの不動産屋に探してもらい、公務員宿舎から徒歩5分ほどの空き地80坪があった。値段も手ごろ、だが農地なので道路と同じ平面で、5m先に一級河川があり、もし洪水など川が溢れたら水びたしになる可能性が指摘された。盛り土をする必要があり、業者に頼んだ。盛り土を囲む壁が必要になり、家内の父親が土建業を営んで...人生展望(Ⅴ)(土地購入・新築達成)

  • 人生展望(Ⅳ)(定年後のことごと)

    (1)平成11年3月、63歳に達し高専を定年退職した。高専電気を定年退職したT先生(その後福井工業大学に常勤勤務、そこも定年退職)から、平成12年秋に工大経営情報工学科主任から声が掛かったと連絡があった。早速、履歴書・諸論文・学会発表などの資料持参し、ご自宅に出向き説明をさせて頂いた。T先生は工大時代からこの主任とは良い交流関係を持っていた。とんとん拍子で事態は前に進み出した。説明資料はT先生から直接主任に渡されて、翌年正月あけに大学から呼び出しがあり、学長の父親である理事長、学長、学科長及び学科主任と合同面談した。誠に緊張したが、ある種和んだ雰囲気の中であった。この選考にもう一人の若者KT君がいた。理事長とお付き合いのあった父親の息子で、山口大大学院博士課程を出て博士(工学)号を取っていた。自分の次に応募面接...人生展望(Ⅳ)(定年後のことごと)

  • 人生展望(Ⅲ)(結婚、転職、定年)

    (1)昭和40年3月に院を修了し、4月に岐阜・実験航空隊に二等空尉(昔の大尉・中尉・少尉ランクの中尉)で着任した。電子通信分野の試験業務に着き、航空機への通信試験を実施し、東京本部に報告書を提出し良き内容だと褒められた。42年夏に京大松原先生から結婚相手を紹介された。先生の従妹で25才の福井県内に住む北電勤務の女性であった。知的雰囲気があり、一見豪邸に住むお嬢さん風であった。以後数回、岐阜・福井でデートし事態はどんどん進展し、12月には大谷先生ご夫妻の仲人により京都で結婚式を挙げた。住まいは岐阜基地近くの古民家の一軒家を借りた。(2)翌43年1月、大谷先生から「国立福井工業高等専門学校・電気工学科」に行くよう誘われた。高専電気主任の藤本先生から「電気の新教官に京大出の若手を是非お願いしたい」との京大電気出身の藤...人生展望(Ⅲ)(結婚、転職、定年)

  • 人生展望(Ⅱ)(就職)

    (1)昭和36年春の卒業を前に、前年の秋に就職先を決める段階になった。当時は高度成長時代で工学部出身者は引く手あまた、成績はほどほどでも大手電気メーカーに就職できた。自分の成績はトップクラスだったが、3年の遅れと病歴により大手から断られた。中小企業には行けたがその気になれなかった。この時期、安保闘争で東大生を初め企業組合員が街頭で活動しており、政府・国民の間では彼らに違和感を持ち、自衛隊に対しても嫌悪の気風があった。そんな中、就職する技術関係の学生達は、大企業への志向が強く自衛隊には全く興味を示さなかった。自衛隊は技術関係の学生を採用したく、大学の就職担当者に有効な手段を駆使して接触して来た。就職半年前からの奨学金貸与(勤務期間に応じて、返却無し)、大学院への進学(受験勉強させる)など入隊を誘って来た。3年間の...人生展望(Ⅱ)(就職)

  • 人生展望(Ⅰ)(生誕から成人まで)

    (1)昭和10年台に東京都品川区荏原西小山町に生まれた。親父は二男で大工職、長崎県島原市深江町出身、嫁に行った実姉の家に入籍し姓を変えた。それが何の理由か上京し東京に住み着いた。腕は良く家屋の健築、修理など引く手あまたであったようだ。戦後焼け野原になった東京で大工として働き、仕事で多忙を極めた。一生懸命に取り組み、仕上がりは請負人に大変良く評価された。小生も数件のお宅に伺い、棟梁の長男と言われ大変歓迎された。住まいは借家、6・4・4畳の部屋、狭い台所と風呂場、その中に両親と6人の子供が同居、全く寝る場もないほどの貧乏屋敷であった。(2)昭和20年8月の敗戦で、職も食も貧しくやっとの思い出で食べて寝起きする日々であった。昭和初期、日本は戦國時代、軍事強化し近隣諸国に進出し、諸外国と衝突を繰り返して、国内も産めよ増...人生展望(Ⅰ)(生誕から成人まで)

  • 「気がかりなこと」への資料収集、そのⅤ

    (1)「食べれば食べるほど若くなる法」菊池真由子著、三笠書房:「セロリ」は睡眠不足、疲れ、ストレスを一気に解消してくれる頼もしい食材である。またセロリ独特の香り「アイピン」は、自律神経をリラックスさせる効果がある。また、「鶏むねとかぶの葉」は抜群の疲労回復食であると言う。そこで、近くのスーパーに行って、セロリと鶏のむね肉を買い、夜食はひたすらそれら中心の料理を作り食べた。セロリは血流をさらさらにし、鶏のむね肉は活性酸素を減らす「イミダぺプチオ」が豊富にあると言う。この二つを毎日欠かさずに食べてきた。約半年ほど経過した2019年11月末に、何でか大便に赤血が混入することに気ずいた。数日続き、この年4月~5月に起こった血便と同じ状況に驚き、同じ病院に出向き診察を受けた。即入院と言われ、そのまま入院治療した。どうも、...「気がかりなこと」への資料収集、そのⅤ

  • 「気がかりなこと」への資料収集、そのⅣ

    (1)糖質制限ダイエットで痩せる理由は、“糖質の摂取が減ったから”だけではない自らも糖質制限ダイエットで15kgの減量に成功した、糖質制限を指導する医師、亀川寛大先生に糖質制限ダイエットの基本を伺った。・糖質制限の効果はどれくらいで現れるのか・糖質制限ダイエットをやる際、食事メニューのおすすめは?・コンビニや外食では何を食べるべき?【亀川寛大(かめかわ・かんだい)】2017年に熊本市のなごみクリニック院長、2018年に糖尿病再生医療研究所所長に就任。元外科医として、がん患者が増え続ける現状に疑問を持ち、予防医療を推進。患者への糖質制限指導を始める。(2)そもそも糖質とは炭水化物から食物繊維を引いたものを指す。糖質が含まれる代表的な食べ物には、お米やパン、パスタなどの主食や、スイーツ、ビールなどが挙げられる。糖質...「気がかりなこと」への資料収集、そのⅣ

  • 「気がかりなこと」への資料収集、そのⅣ

    (1)糖質制限ダイエットで痩せる理由は、“糖質の摂取が減ったから”だけではない自らも糖質制限ダイエットで15kgの減量に成功した、糖質制限を指導する医師、亀川寛大先生に糖質制限ダイエットの基本を伺った。・糖質制限の効果はどれくらいで現れるのか・糖質制限ダイエットをやる際、食事メニューのおすすめは?・コンビニや外食では何を食べるべき?【亀川寛大(かめかわ・かんだい)】2017年に熊本市のなごみクリニック院長、2018年に糖尿病再生医療研究所所長に就任。元外科医として、がん患者が増え続ける現状に疑問を持ち、予防医療を推進。患者への糖質制限指導を始める。(2)そもそも糖質とは炭水化物から食物繊維を引いたものを指す。糖質が含まれる代表的な食べ物には、お米やパン、パスタなどの主食や、スイーツ、ビールなどが挙げられる。糖質...「気がかりなこと」への資料収集、そのⅣ

  • 「気がかりなこと」への資料収集、そのⅢ

    (1)「どんな人が」「どんな場合に」糖化を起こしやすいか。体にAGEができやすいのは食後1時間。これは食後30分から1時間で血糖値が上がるため、その時に糖化が起こってしまうからだ。一般的な健康診断で測定されるのは、空腹時血糖値とヘモグロビンA1cである。しかしこの2つが正常値であっても、食後の血糖値が150や200を超えている場合は糖化が進んでしまう。つまり糖化を防ぐには、食後の血糖値が問題なのだ。普段から食後血糖値を測るのは無理、と考える人も多いだろう。でも、血糖値を測らずに推測できる兆しはある。それは、食後2時間程度で空腹感を覚えて、その1~2時間後に空腹感が収まったりしたことがないかどうかだ。食後30分から1時間で血糖値が上がるので、インスリンが分泌される。インスリンの作用で血糖値が下がるため、一時的に低...「気がかりなこと」への資料収集、そのⅢ

  • 「気がかりなこと」への資料収集、そのⅡ

    (1)糖質過多が引き起こしていた自律神経症状:不眠や動悸、不整脈、むくみ感など体調不良の一番の原因は、糖質過多による血糖値コントロール不全だったと思う。通常、血糖値は食後ゆるやかに上がり、今度はゆるやかに下がって、3~4時間たつと空腹時の数値に戻る。しかし、糖質を摂り過ぎると、食後の血糖値は急激に上がり、ピークに達すると今度は急激に下がって、低血糖になる。そこで、血糖値を上げるためにさまざまなホルモンが分泌される。自律神経のうち、交感神経を刺激するアドレナリンやコルチゾールもそんなホルモンであるが、それらが大量に分泌されれば、交感神経が優位になり、不眠、動悸、不整脈といったことが起こってくる。自分の場合、寝る前に甘いものを食べることで血糖値はドーンと上がり、寝ているあいだにその反動で急降下、低血糖になっていた。...「気がかりなこと」への資料収集、そのⅡ

  • 「気がかりなこと」への資料収集、そのⅠ

    (1)青春出版社:大友通明著「疲れない!痛まない!骨折しない!」、寝たきりを防ぐ「栄養整形医学」、大友医師の体調不老:5年前に、起床時に顔や手にむくみを感じようになり、その後仕事のストレスもあって眠れなくなり、夜中に起きることもたびたびという状態になった。気分的にも不安感やあせりを覚えるようになり、車でクリニック向かう途中で手が冷たくなる感覚に陥り、いったん駐車して休むといったことも起きて来た。「低血糖なのかな?」と考えて、バナナをかじったりしたがまったく改善しなかった。やっとの思い出クリニックにたどり着く日々を送っていたが、診療も午前はなんとかこなしていたが、昼食をとって午後を迎えると急に不整脈が出てくるようになった。そんなことが数か月間続いて、ある日の夕方突然めまいに襲われた。血圧を測定したところ、180m...「気がかりなこと」への資料収集、そのⅠ

  • 寿命 Ⅱ、「寿命を延ばすには」

    朝日新聞、2019/6/14(金)朝刊1面「血液中の酵素で寿命が延びた」(日米チーム確認、老マウスの毛並みツヤツヤ動きも活発に)(1)加齢で減少する血液中の蛋白質の一種(酵素)を若いマウスからとり、老化したマウスに注射すると、身体活動が活発になり、寿命を延ばすことを日米研究チームが突き止めた。ヒトでも、加齢でこの酵素が減ることを確認しており、健康寿命を延ばす抗老化法の開発につながる可能性があるという。3面=見えてきた仕組み14日、米専門誌セル・メタボリズム電子版に発表する。加齢で様々な臓器の働きが衰え、病気の原因になる。その一因に、加齢で減る「NAD」という物質がある。NADは、酵素によって体内で合成される。NAD(nicotinamideadeninedinucleotide,ニコチンアミド-アデニン-ジヌク...寿命Ⅱ、「寿命を延ばすには」

  • 寿命 Ⅰ、「寿命のメカニズム」

    日本抗加齢医学会総会の大会で、今提唱しているのが「幸福寿命」。その考え方に沿って数々の新機軸を打ち出している。以下会長の意見、その内容を記す。(1)抗加齢医学を捉え直す時期に来ている。これまでアンチエイジングというと、どうしても見た目を若く見せるために、シワをなくすとか、シミをとる、といった小手先の医療をイメージしがちだったと思う。もちろんそれも抗加齢医学の一部だ。しかし、人生100年時代と言われるようになり、もっと本質的な抗加齢というものを学会として提唱していかなくはならないタイミングだと感じている。6月に横浜で開催される日本抗加齢医学会総会で大会長を務めさせていただくが、テーマを「異次元のアンチエイジング」としたのは、そういう意図だ。これまでのアンチエイジングの活動を拡充、拡大するのではなく、まったく違う次...寿命Ⅰ、「寿命のメカニズム」

  • Ⅲ、平成から令和(今後の気がかり)

    (1)6月中旬、大腸憩室症で入院後、約2か月「高血圧治療薬」を飲んでなく、血圧値が心配で朝起きがた測定したら、最高・最低値とも従来の値より+10ほど高く気になっていた。そこで、掛かり付けの医院に出かけ、入院治療の様子の主要資料をA-4の約10ページにして提出した。医院の主治医はよく理解され、従来出していた高血圧薬と入院時の薬1種を加えて出してくれた。血液検査により、貧血は解消され入院時の薬は中止された。当方の考えていた赴きになり、気分的にほっとした。(2)退院後に禁止されていたアルコールは、退院して約1か月も過ぎ、ここらでと思い飲み始めた。それも量と禁酒日を導入して、気分良く飲み始めた。入院前の飲酒と食べ物の驕りに返らぬよう細心の心構えで行きたいと考えてきた。(3)この入院をする前、色々精神的な打撃を受け、体調...Ⅲ、平成から令和(今後の気がかり)

  • Ⅱ、平成から令和(思いもかけぬ事あり)

    平成から令和に変わった頃に思いもかけぬ事が起きた。(1)平成も終わる31年4月末、トイレで便とともに赤い液が出て極めて驚いた。その後、便と共に血液と思われる鮮血が出ているのに気ついた。今まで83年生きて来て便に鮮血が混入して出て来たのは初めての経験で、前日食べ過ぎたいちごのせいかとも思いながら仰天した。肛門系医科のある近くの病院を探した。4月26日(金)に病院肛門外科に行き、2種の検査を受けた。①肛門内視鏡、②肛門X線、いずれも検査前浣腸してトイレで便を出し検査台に仰向けになった。②の検査ではお腹にガスが異常に溜まって激痛が走り、何度も叫びもがき、みっともないと思いつつ「止めてくれ」と何度も叫んだ。(2)診断の結果、大腸の下部肛門に近い部分に大腸の表面にぶつぶつの膨れがあり、そこが破損して血液が飛び出して来たと...Ⅱ、平成から令和(思いもかけぬ事あり)

  • Ⅰ、平成から令和(忘れない思い出)

    平成末から令和にかけて、忘れられない思い出がある。情けないやら、出来たら書きたくないのだが、これも生きている証拠と思い直し記述する。80才台にもなって、体も思うように動かず、歩行もよろよろ誠に情けなし。このまま終るのか、いや再起する意欲が沸き返って来ることを念じる。(1)平成27年10月末の水曜日、晴れ時々曇り、最高24度~最低13度、朝9時より美容専修学校へ行き、「美容のための物理化学」の授業をした。女子生徒の半数以上はずっと居眠り、腹立って気もそぞろ怒鳴ってしまった。当方は朝から風邪気味で体調優れず、でも授業は予習十分、真剣に説明し世間の話も入れて引き付けた授業をしたつもりであったが。授業が終わっても気分は打ちのめされ、誠に不愉快千番であった。昼近くなり、近くのスーパーでお酒とつまみを買い、出口の腰かけで飲...Ⅰ、平成から令和(忘れない思い出)

  • 我が生きざま(Ⅷ)「寝たきりを防ぐ運動と生活習慣」

    (21)ゴムチューブを使った簡単筋トレを次に紹介する。立って行うエクササイズ:▼スクワット(1)中腰の状態で、ゴムチューブを両足で押さえて固定し、手で両端を持つ。(2)腰を真っ直ぐに伸ばし、ゴムチューブを伸ばす。この動きを自分のペースで30秒ほど繰り返す。▼カニ歩き(中腰で)。立った状態で、ゴムチューブを両足で押さえて固定し、手で両端を持つ。右側に足を動かし、横移動する。同時に左側にも横移動する。この動きを自分のペースで30秒ほど繰り返す。▼腰を前後に動かす(中腰で)。(1)中腰の状態で、ゴムチューブを両足で押さえて固定し、手で両端を持つ。(2)手でゴムチューブを伸ばしながら、腰を前にスライドさせる。(3)手でゴムチューブを伸ばしながら、腰を後ろにスライドさせる。以上の3種の動きを自分のペースで30秒ほど繰り返...我が生きざま(Ⅷ)「寝たきりを防ぐ運動と生活習慣」

  • 我が生きざま「寝たきりを防ぐ運動と生活習慣」(Ⅶ)

    (17)加齢による運動機能の低下を防ぐ:高齢者の運動機能に関する課題は、その衰えを出来る限り先延ばして、100歳まで自分の足で歩ける体に近ずけることだ。運動機能の代表的な障害を次に説明する。(17-1)ロコモ:筋肉、骨、関節、軟骨、椎間板と言った運動器のどれか一つ、あるいわ二つ以上に障害が起こり、立つ・歩くと言った機能が低下している状態を言う。英語で衰弱・老衰を表すFrailty(フレイルティー)を語源とする。その意味は、加齢に伴う老いや衰弱があり、もはや機能はもとに戻らない状態、と言うことでなく、何か適切な手段(例えば運動)を講じれば、機能が維持、向上できる状態のことである。(17-2)サルコペニア:加齢によって骨格筋肉量と骨格筋力が進行的に、あるいは、全身に渡って低下することで、身体的な障害や生活の質の低下...我が生きざま「寝たきりを防ぐ運動と生活習慣」(Ⅶ)

  • 我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅵ)

    (15)ビタミンB群:「代謝ビタミン」と呼ばれ、食べたものをエネルギーに変える(代謝)上で不可欠な栄養素である。例えば、ビタミンB1は糖質の代謝に、B2は脂質の代謝に、B6はアミノ酸(蛋白質)の代謝に、それぞれ関っている。(15-1)ビタミンB1が不足すると、糖質(ブドウ糖)の代謝がうまく行われなくなり、言わば不完全燃焼を起こして、乳酸として蓄積される。これが疲労や筋肉痛、肩こりの原因となる。B2は糖質の代謝に使われ、老化を進める過酸化脂質が出来るのを防ぐ。整形外科のトラブルにつながる老化を防止するためにも、十分なB2の摂取が必要である。ビタミンB3は炎症の沈静化に働き、変形性関節炎の軽減、関節の稼働域の改善が期待される。(15-2)食事で摂った蛋白質は、いったんアミノ酸に分解されて吸収され、体内で必要な形に再...我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅵ)

  • 爪のチェックをしましょう

    爪のチェック:「ツメを見ると、その人の健康状態がわかります。糖尿病などの生活習慣病や動脈硬化、心疾患など病気を見つける手がかりにもなります。ツメは、ケラチンという皮膚や髪の毛と同じタンパク質からできています。また、ツメの下には末梢の血管が多く集まっているため、血液循環の影響を受けやすく、栄養不足や貧血、心臓や肺などの内臓疾患の異常に伴う変化が表れやすいのです」そう話すのは、千春皮フ科クリニック・渡邊千春院長。自分の手のツメをふだんは特に気にかけることもなく、マニキュアをしていて自分の地ツメを最近きちんと見ていないという人も多いのでは?かく言う本誌記者も、ツメが伸びてきたら切るくらいで、状態まで気にしてはいない。「わかりやすいのはツメの色。大病を患っているときは、色の変化が比較的顕著に出やすいです」(渡邊院長・以...爪のチェックをしましょう

  • 年末ぎりぎりの思い出

    作家の津村紀久子さんは、「一年で一番好きな日は、たぶん大晦日だと思う」とエッセーに書いている。お正月はとても楽しい。けれど2日はもうただの休みだし、3日なんか明日から会社かと、げんなりする。以下、追記を記述する。▼しかし大晦日は違う。「待つ」ことの楽しさが凝縮されているのだ。「たかが新しい年になるだけだ。三十数年も生きると、別に新しい年になって何かが劇的に変わると言うことが無いのも知っている。それでも、待つことそのものを味わうのだ」と。▼家の掃除をし、お正月の買い物をし、年賀状を書く。そんなことをこなして迎える、何げないひととき。新年を待つだけの不思議な瞬間である。▼人間には二通りの時間の感じ方がある。一つは、未来に向かって直線に進んでいく時間。もう一つは、毎年毎年、循環する時間である。「直線」の感覚からすれば...年末ぎりぎりの思い出

  • 我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅵ)

    (13)ビタミンC:ビタミンCは美容や健康にいいのは確かだが、栄養整形医学の分野でも注目すべき栄養素である。骨や腱はコラーゲン繊維で作られており、そのコラーゲンの原料は蛋白質、鉄、ビタミンCだからである。多くの哺乳類は、ブドウ糖を使ってビタミンCを体内で合成できる。例外的に作れないのが人間とモルモットである。合成に必要な酵素が無いからだが、いずれにしても食品から摂取する以外にない。(13-1)ビタミンCが豊富な食べ物として、果物がある。みかんなどの柑橘類はビタミンCのすぐれた供給源である。甘い果物の摂り過ぎは糖化を招くため厳禁だが、果物からビタミンCを効率よく摂るためにはちょっとしたコツがある。みかんやグループフルーツなどの柑橘類をどのように食べているか、きちんと皮をむいて食べているのだろうか。ビタミンCは空気...我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅵ)

  • 我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅴ)

    (13)ビタミンC:ビタミンCは美容や健康にいいのは確かだが、栄養整形医学の分野でも注目すべき栄養素である。骨や腱はコラーゲン繊維で作られており、そのコラーゲンの原料は蛋白質、鉄、ビタミンCだからである。多くの哺乳類は、ブドウ糖を使ってビタミンCを体内で合成できる。例外的に作れないのが人間とモルモットである。合成に必要な酵素が無いからだが、いずれにしても食品から摂取する以外にない。(13-1)ビタミンCが豊富な食べ物として、果物がある。みかんなどの柑橘類はビタミンCのすぐれた供給源である。甘い果物の摂り過ぎは糖化を招くため厳禁だが、果物からビタミンCを効率よく摂るためにはちょっとしたコツがある。みかんやグループフルーツなどの柑橘類をどのように食べているか、きちんと皮をむいて食べているのだろうか。ビタミンCは空気...我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅴ)

  • 我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅳ)

    7、「コレステロールは悪者」という考え方はもう古い:肉や卵はコレステロールを増やす元凶。古くからそんな言い方がされて来た。しかし、コレステロールに関する考え方は大きく変わって来た。2703(7-1)体内のコレステロールの多くは肝臓で合成されている。コレステロールの内、食べ物由来のものは全体の約20%に過ぎず、あとの80%は肝臓で合成される。肝臓は我々が生きていくために必要な蛋白質を作ってくれている大切な臓器である。その肝臓がわざわざ合成しているのがコレステロールなのだ。しかも、肝臓はコレステロールの総量を管理していて、食べ物から作られるコレステロール量が増えると、肝臓で作られている量を減らすよう調整している。よって、コレステロール値を気にして肉や卵を食べないでいることは、残念ながら余り意味がないのである。実際、...我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅳ)

  • 我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅳ)

    7、「コレステロールは悪者」という考え方はもう古い:肉や卵はコレステロールを増やす元凶。古くからそんな言い方がされて来た。しかし、コレステロールに関する考え方は大きく変わって来た。2703(7-1)体内のコレステロールの多くは肝臓で合成されている。コレステロールの内、食べ物由来のものは全体の約20%に過ぎず、あとの80%は肝臓で合成される。肝臓は我々が生きていくために必要な蛋白質を作ってくれている大切な臓器である。その肝臓がわざわざ合成しているのがコレステロールなのだ。しかも、肝臓はコレステロールの総量を管理していて、食べ物から作られるコレステロール量が増えると、肝臓で作られている量を減らすよう調整している。よって、コレステロール値を気にして肉や卵を食べないでいることは、残念ながら余り意味がないのである。実際、...我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅳ)

  • 我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅲ)

    (6)胃にも「筋トレ」が必要(6-1)小生も最近、若い頃のように食事が進まなくなった。昔は肉をガッツリ食べることが出来たのに、最近はどうも胸焼けがする、食事の量も全体に少なくなってきた。加齢に加えて体の機能が低下していくのは致し方ないことだが、胃も例外ではない。でもそれは年齢だけの問題だろうか。高齢者の中には胃の不調を訴えて内科で診てもらい、「萎縮性胃炎」と診断された人が多い。これは胃に炎症が起こって粘膜が萎縮し、薄くなっている状態で、胃の動きが悪くなり、胸焼けなどの症状が出る。そのような症状を「逆流性食道炎」と呼ばれ、処方されるのが胃酸を抑える薬である。(6-2)「お薬手帳」を見ると、整形外科疾患を抱えている多くの患者はこの薬を飲んでいる。実はそのことが胃の機能低下につながっている。消化のメカニズムについて話...我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」(Ⅲ)

  • (3)糖質とのつきあい方を見直す

    (3-1)高齢者の食事は、主食をパンにしている人があまりにも多い。その理由を聞くと「ご飯を炊くのは面倒くさい」「袋から出せばすぐに食べられる」という答えが多い。これにはちょっと問題がある。パンの原料は小麦だが、小麦製品に含まれるグルテンという蛋白質は、人が消化できない難消化蛋白質のひとつで、腸の粘膜を荒らす元凶とされているからだ。パンを主食としている人は、ご飯に替えよう。ご飯を炊くのが面倒なら、市販のパックご飯をレンジで「チン」するだけで手間はかからない。ご飯もそのままでなく、卵かけご飯やチャーハンにするのがおすすめ。卵や油でコーティングすることで、消化に時間がかかり、急激な糖質の吸収が抑えられるからだ。食べる順番にもコツがある。副食、おかずを主体にご飯より先に食べる。おかずをお腹にある程度入れてから、最後にご...(3)糖質とのつきあい方を見直す

  • 我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」

    「寝たきりを防ぐ「栄養整形医学」骨と筋肉が若返る食べ方」、大友通明著、青春新書。この本を読み我ながら合点行く思いが痛烈にしたので、その要点を述べたい。(1)「体にいい」食べ方が、骨や筋肉を弱らせていた!?(1-1)整形外科を訪れる患者さんは、手術が必要でないが慢性的な不調を抱えている人が殆んど。特に高齢者に様々な治療をしても良くなるどころかどんどん悪くなる。その根本的な治療法が「栄養整形医学」であった。整形外科的な不調の多くは、栄養と深くかかわっている。色々な検査をしても原因が見当たらない人達に共通する食事の傾向がある。(1-2)1:食事はご飯、パン、麺類などの糖質が中心、2:果物を良く摂る(バナナ、リンゴなど)、3:野菜ジュースや果物ジュースをよく飲む。以上に当てはまる人は糖質過多タイプ・・・糖質の摂り過ぎで...我が生きざま「骨と筋肉に必要な食べ方」

  • 我が生きざま「最近、気になったこと」

    ▼90歳で亡くなったノーベル化学賞受賞の下村先生(1)平成20年にノーベル化学賞を受賞した下村脩さんの人生を思い出す。先生は米西海岸の小島に十何年も通い、来る日も来る日もオワンクラゲを採集した。計85万匹。抽出した液が偶然にも流し台で海水と反応。光る仕組みを解き明かした。(2)前日まで研究は暗礁に乗り上げていた。仮説は崩れ解明の糸口は尽き、米国人教授との仲も険悪に。思考を乱されぬよう妻子とすら何日も口を利かず、小舟でひとりこぎ出し、波の上で考え抜いた。クラゲ、ホタル、イカ、ヒトデ、キノコ。地球に自ら光を発する動植物は多いが、発光生物の研究に生涯を捧げる学者は少なかった。(3)なぜあれほど長く、あれほど一心に打ち込むことができたのか。90歳で亡くなったと聞き、自伝や講演録を開いてみた。「皮肉にも原爆が私に化学者と...我が生きざま「最近、気になったこと」

  • 我が生きざま「私立大学&専修学校」

    Ⅰ:我が生きざま「私立工大」(1)平成13年4月に私立福井工業大学に就職した。高専時代の恩師の口利きで「経営工学科」に常勤の教授として迎えられた。博士の学位を持ち、業績も評価され教授として赴任できた。従来高専からこの工大へ来た方たちは助教授として迎えられその後何年か経って教授になっていた。自分は初めから教授として迎えられた。大学生は成人として扱われ、親を呼び出す機会は殆ど無く、本人の責任で対応出来た。全く高専と違う赴きであった。その点、指導の面では楽であり、自分のことに集中出来た。これが高専とは違う体制であり、研究主体でそれを活用した教育であった。高専の体制とは根本的違うことに唖然とする思いがした。(2)卒業研究に来た学生、卒業年度の授業料が払えなくなり、真剣な面持ちで訴えて来た。その後母親に付き添われながら、...我が生きざま「私立大学&専修学校」

  • 我が生きざま「31年間の高専」

    (1)昭和43年4月に高専に航空自衛隊から転職した。高専1期生が4年生になる年、専門教育が主体になり、電気では電子工学・電磁気工学・電気回路工学・情報理論・電気電子基礎実験・計算機システム・実験・情報処理等々、多彩な科目が目白押し、学生も教官も気の抜けない日々が続いた。自分の今までの経験を生かして、充実した講義が出来た。学生の評判も良く、質問に責められ戸惑う日々でもあった。5年生になると卒業研究があり、我が班には6名の学生が来た。それぞれ研究テーマを与えて、勉学・外部への研修など多種済々の指導をした。時期を見計らって、我が家に招待し乾杯の祝杯を挙げ、カラオケなどで大いに盛り上がり実に楽しい一時を過ごした。正しく自分が京大の研究室で、大学の卒研生および研究室長と鍋で飲み食い乾杯した思いと合い通じて、懐かしく楽しい...我が生きざま「31年間の高専」

  • 我が人生「大学卒から自衛隊退職までの生きざま」

    (1)航空自衛隊からの誘いに乗るよう例の担任から勧められた。世間的に評判の悪い自衛隊ではと思うと、誠に二の足を踏む話であった。しかし、条件は良かった。4年生の秋から奨学金を出し、入隊後大学院に行かせるとのことであった。時たま、同期で住まいも近い都立大崎高校出の友人が応募するのを聞き、行く先不明の自分にとって仲間が出来るのを心強く思い応募し合格した。結局、技術幹部候補生として航空自衛隊に合格したのは、我々2名、福井大・金沢大・大阪府立大卒の3名と合わせて計5名であった。昭和36年4月1日、航空自衛隊奈良幹部候補生学校に赴任した。文系卒の大学生は30人ほどで、修練機関は我々の3か月に対し10か月であった。朝6時に起床、8時には国旗掲揚、午前講義、午後は体育・教練、夕方5時に国旗降下、6時に夕食・入浴、10時に就寝、...我が人生「大学卒から自衛隊退職までの生きざま」

  • 我が人生「小学校から大学までの生きざま」

    (1)昭和10年10月に生まれ、小学校入学時我が国は昭和16年12月8日にハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。日本が米国に宣戦布告した時であった。米国の相当な戦艦が攻撃沈没され、日本は万々歳の威勢であった。そこから米軍の反撃が始まり、日本本土への空襲、主要都市は惨禍の目に会い、最終的に広島・長崎への原爆投下により降参した。昭和20年8月15日、天皇陛下の降伏宣言放送を涙で聞いた。我が家は東急目蒲線(目黒―蒲田)の目黒から3番目の西小山にあった。おやじは長崎・島原の出、次男でもあり東京に大工の職で生計を立てていた。大工の手腕は良かったが、金儲けは駄目だった。人が良く相手先に工事費用を誇張して、お金を儲けることは出来なかったようだ。4畳6畳の借家、子供6人の計8人が住んでいた。その内1番年上と1番年下の女性2人は、上は肺...我が人生「小学校から大学までの生きざま」

  • 平成最後の年、人生を振り返りたい

    (1)改めて若かりし頃のことを思う(1-1)博士号取得までの苦労昭和43年4月、恩師である京大の教授の取り計らいで、地元の国立高専電気工学科に転職した。その前年12月8日に、地元在住の25才の女性と結婚した。元々修士課程の指導者に当たる当時助手の声掛けで、その親類の女性とお見合いし結婚に至った。本来、修士から博士課程に進むつもりでいたが、実現できずに高専に身を寄せた。その後、10年後恩師の指導教授が高専の校長に就任した。当時、推薦して下さった教授もいずれ大学か企業の研究所に転職したらと考えていたようで、教授からは高専には5年でも居たらと言われた。高専に行ったその年に、京大の先輩から勤務先の大手電気メーカーの研究所に来ないかと誘われた。奮い立ったが、恩師教授の世話でここに来たとの思いもあり、断るはめになった。高専...平成最後の年、人生を振り返りたい

  • 日誌2017年(平成29年)の思い出

    1月:(1)1日、新年の挨拶に親類縁者を呼び祝杯をした。天候は雨・曇り・晴れがあり気温も零度以上の過ごし易い日が続いた。しかし中頃から零度以下の寒い日があり、でも除雪をするほど降雪は無かった。昨年から引き続き地元の整骨院に通った。中旬以降、雪混じりの日々があり、ひたすら家にこもり過ごした。(2)中旬の頃、雪も降りだし気温も零度以下に下がり気味だったが、徐雪するほど積もらず過ごすせることが何よりだった。日経新聞に「何でもランキング」に「小型マッサージ電動」が紹介された。以前から腰痛に苦しめられていたので、amazonのネットら注文した。2月:(1)確定申告が16日からあり、その準備に取り掛かった。税務署からのメールから申告書を出力し記入した。この月電動アシスト自転車をこぎ、歩き回ったが、足先から太ももにかけての疲...日誌2017年(平成29年)の思い出

  • 日誌2016年(平成28年)の思い出

    1月:気温は10度前後から一けた温度に推移し、月末にちらっと雪模様になった。昨年末に腰部骨折し地元の公立病院に通院治療、腰痛をいたわりながらの生活であった。2月:(1)月1回病院に行き、診察・投薬・注射を受けた。立ち続けたり座り続けると腰痛があり、湿布とコルセットをしていた。(2)この時期、確定申告に取り掛かり、必要な書類など市役所に取りに行った。電動アシスト自転車で約20分かかり、計2度も行った。e-taxで申告しようとしたが、電子証明書の再発行が期限切れとなり個人ナンバーが必要になった。そのカードは3月に交付郵送とのこと、残念ながら書面で提出することにした。家内の国民健康保険証を再発行してもらい、昨年は4.7万円であったが、今年は4.84万円になっていた。(3)この月中旬の土曜日に、福井市フェニックスプラザ...日誌2016年(平成28年)の思い出

  • 日誌2015年(平成27年)の思い出

    1月:(1)正月元旦から2日にかけて大雪に見舞われ、平地で約20~30㎝も積もった。気温も一日中0℃と低く、家の周りの除雪に追われた。1月6日(火)美容製菓専修学校へ初講義に行った。教職員は玄関前や駐車場の除雪に出かけ、事務室には誰もおらず施錠され入れず立ち尽くした。幸い担任が駆けつけてくれ入ることが出来た。1限目(9:00~9:50)、2限目(10:00~10:50)美容師科2年生の講義、3月の美容師国家試験(筆記試験)に向けて過去に出た問題を行った。3限(11:00~11:50)及び4限目(12:00~12:50)に1年生の講義をした。4~5名の学生は私語多く、きつく注意したがその時だけ黙るが、しばらくするとまた喋る。ほとほと嫌になり、誠に疲労困憊であった。(2)悪天と低温の中、除雪に追われ寝つきも悪くトイ...日誌2015年(平成27年)の思い出

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