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亀の川登gooさんの人気ランキング

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  • 先程はありがとうございました。

    先程はありがとうございました。

    いつもの朝の散歩です。リンゴの花盛りです。リンゴ園一面に桜が咲いたように見事だった。ただ、写真の映りが悪いのが残念。雪が降り積もったようで見事だった。山から降りてきたら、車の中からいきなり声がした。「先程は、どうもありがとうございました」アレなにかいいことしたのかな?山からの帰り道、一台の車が止まっていて何かしていたので、ちょ掛けてみた。「おはようございます。何をなさっているのですか。」「いや、ちょっと竹の子を2・3本と思いまして」「そうですか、それはいいですね」立った二言、三言喋っただけ。それが、どこが気に入ったのか。お礼を言われるようなことは一言も話していないのに。声を掛けてもらえたことが嬉しかったのか、それとも何か企みでもあったのか。そう、黙って通り過ぎるより、なにか一言・二言声を掛けてもらう方が嬉...先程はありがとうございました。

  • 誰が買うの このランドセル

    誰が買うの このランドセル

    先日の高砂大学OB歴史会で「河合谷村の禁酒物語」という講義を受けた。大正15年というから、今から約100年前の話。河合谷村で小学校の校舎がボロボロになったので建て替えなけれと言う話が持ち上がった。当時のお金で4万五千円かかるというのでどうしたものかと村人か頭を抱えた。現在のお金にして、約3億5千万円。それを約300所帯しかない村人たちで捻出しなければいけない。とてもまかなえる金額ではない。それで、考えだされたアイディアが好きなを酒を断って、飲んだつもりで貯金をしようという、お酒が好きな村人にしては大変なことです。でも、彼らは見事に達成しました。その話を世界に発信した人がいました。忽ちその話題が世界中に広がりました。その日の講師年齢は88歳というから驚きです。ご高齢だけにあまり上手い講師とは言えなかったが、...誰が買うのこのランドセル

  • はなまつり

    はなまつり

    昨日の法話会は1日遅れのはなまつりだった。9日はいつもの法話会の日。机の上にプリントが1枚置いてあった。前には豪華な花で覆われた作り物があった。今日は何があるのだろ。「4月8日はおはなまつりです。今日は老人会の皆さんと1日遅れのおはなまつりをしたいと思います」「皆さん順番にお釈迦様の像にあまちゃをかけてやってください」お花に覆われたちっちゃな池の真ん中に、確かにちっちゃな立像があった。よく見えないけど、これにあまちゃをかけるのか。池の中にあるのはどうやらあまちゃのようだ。屋内でやるので水(あまちゃらしい)をちいさなしゃくでよく分かんないけど「頭はどこじゃいな」水が?飛び散らないように注意しながらあまちゃ?をかけた。まさかこんなものがあるとはしらなかった。可愛い可愛いお釈迦様(失礼)です。「お誕生日おめでと...はなまつり

  • お地蔵さん全滅

    お地蔵さん全滅

    この前野田山の加賀藩前田家の墓地を訪れた時に撮りそこなった墓があるのでもう一度訪問した。加賀藩第12代藩主前田泰広(なりなが)公の墓のすぐ隣に泰広公の墓地に匹敵大きな墓地がある。藩主の長女直姫の墓である。そのすぐ前に6体のお地蔵さんがある。能登半島地震で6体ともにお倒れになられた。お地蔵さんも大層驚かれてお倒れになったのだろうか。このお地蔵さんがちゃんと立っていた時の写真がどっかにあった筈だがいくら探しても見当たらない。健在なときも首がなかった。泰広の長女直姫は豊前小倉藩の小笠原忠徴(ただあきら)第7代藩主の婚約者だったが、早世してしまったのだった。その後同じく泰広の四女寛姫が忠徴に嫁いだ。そのために、わざと首を落としたのか、それとも誰かのいたずらか。いずれにしても長い間首のないままの状態だった。その謎を...お地蔵さん全滅

  • 前田家の墓地へ行く

    前田家の墓地へ行く

    能登半島地震で前田家の墓地も被害を受けたと報じられたので行ってきた。藩祖利家の墓地もやられた。墓標も傾いている。多くの燈籠が根元から倒れてばらばらになっている。おや、豪姫の五輪の塔が無くなっている。さては、盗まれたか。今年は令和6年なのけど。前田家の墓地は観光地なのだけど。ほとんど手入れがされていない。木製の玉垣も壊れたままになっている。前田家の墓地はほかの大名家の墓地とは違い皇族の墓と同じ形式を取っている。前田家のご先祖様は菅原道真公だからだそうな。他の墓はどこも被害を受けていないのに何で前田家の墓地だけが。それは利家は尾張の人で余所者だから地元の神様がお怒りになっているのかな。前田家の墓地へ行く

  • 四十万八幡神社

    四十万八幡神社

    久し振りに四十万八幡神社を訪れた。定しめ縄が下がっていて何を書いてあるのか分からない。捲ってみると一車馬ヲ乗入ル事一魚鳥ヲ捕ル事一竹木ヲ伐ル事右條々於境内令禁者也と書いてある。手水所の前にこんな大きな石がある。立札には馬のヒズメは確認できなかった。神社では忠魂碑をよく見かけるが、この碑の上にはこんなものが乗っている。地球儀の上にハトを乗せて世界の平和を願ったものだろう。誰も戦争をしたくない。でも、独裁政権下ではそうもいかない。ロシアがそうである。プーチンはこんな大きな戦争になるとは思わなかっただろう。戦争は一度始めたら簡単にはやめられないのだ。かつての日本もそうだった。国民は本当のことを知らされずただ、軍のいうことに従わされざるを得なかった。もうそんなことがないようにとこの忠魂碑は願っている。神馬戦勝願い...四十万八幡神社

  • 避難所

    避難所

    久し振りにラジオ体操に行った。能登の避難民はまだ大勢いるのでこの老人福祉施設はまだ当分の間使えそうにない。ガラス窓には貼り紙が一杯。中が覗けません。まだ大勢いるようで元気で体操していた。簡易トイレがずいぶん減った。避難民が帰ったのか、それとも使う人が少なかったのか。真新しい洗濯機が並んでいた。奥に体育館用の洗濯機が写っている。数日前に熊が出たという。物騒だ。避難所

  • 伊東小室桜

    伊東小室桜

    見晴らし台の昇って来た。下から見ていても花などどこにも見当たらないのに。山に登って行ったら、素晴らしい花が咲いていた。伊東小室桜と言って数年前に植樹された花で、悪さをする人がいて、苗木がいたるところで折られ育つかどうか心配していたが見事に成長して立派な桜になった。早咲きの桜でもう満開の時期が済んだのかもうチラホラ花弁が下に落ちていた。ソメイヨシノはまだツボミもみあたらない。花見客もちらほら見られるようになって、頂上には韓国人らしき若者が5,6人大きな声でしゃべっていた。大きな声でしゃべっていても韓国語が分からないのでない荷をしゃべっているのか分からない。韓国人は周りに人がいようがいまいが関係なく大声でしゃべる国民のようだ。もう少ししたらソメイヨシノの花が咲いて花見客で一杯になる。伊東小室桜

  • 今年初の法話会

    今年初の法話会

    今年初の法話会です。3カ月ぶりの法話会というのに何だかそんな感覚がない。前回の法話会はついこの間だったようなきがする。歳をとったら時間の感覚がマヒしてしまっているようだ。今回は住職の話だった。能登半島地震のあった後なのでその避難民の話から始まる。災害が起きると人の本性が分かるという。親切にしてくれる人、冷たい人。普段は見向きもしない人がとても親切にしてくれたり、良い人だと思っていた人に裏切られたり。他所から来た人が親身になって面倒を見てくれたり。その人がどんな性格の人なのか其時初めて知るってこと。能登は過疎に悩んでいる。災害が起きても助けてくれる人がいないのだ。まして今回は千年に一度という大きな地震。被害が大きすぎて手が回らない。能登には被災者を受け入れる施設が足りないので金沢にも多くに人が避難している。...今年初の法話会

  • 一升桝は叩くもんじゃないよ

    一升桝は叩くもんじゃないよ

    能登半島地震から早2カ月が過ぎた。あっちこっちでひびわれができた。古い写真を見ると、やはり道路面にひび割れが写っている。能登半島地震で出来たもんだとは限らない。古いものは間に泥が詰まっている。新しいものはひび割れの底が見えない。それで区別がつく。ところが最近その新しいひび割れが広がってきているように見える。底が見えるようになってきた。所によっては段差ができている所もある。その昔、伯父が言ってた。「一升桝は叩くもんじゃないよ。叩くといくらでも米が入る。叩かずさっと手で均すだけでけでいいんだ」おそらくお米をはかる時私は一升桝をポンポンと叩いていたのだろう。それを見た伯父が注意してくれたのだろう。道路の中心ではもっと広がっている所もあるが、車通りが多いために撮影はできなかった。震源地から100キロ以上あるという...一升桝は叩くもんじゃないよ

  • 久し振りに萬願寺山に登って来た。

    久し振りに萬願寺山に登って来た。

    九万坊さんその昔高岡で修業していた修験者の枕元に菩薩さまが立たれ「お前は加賀の国にある窪というところにある萬願寺山で修業し当地に住む民の助けになるがよい」と言われこの地に移り住んできた。初めは気ちがい扱いされ誰も相手にいませんでした。ところが彼の予言がよくあたり、病も治ったと評判になりっその修験者を頼ってくるものが多くなった。その修験者が創立したのがこの久万坊大権現である。その謂れを教えてくれた人が金沢市の野町にあるその名も知られた忍者寺のすぐ前にある大きな寺「西方寺の前住職」だった。かれは現職を離れここで管理人を務めていた。それを聞いたのは大分前だったので今はもういないかもしれない。その人が住んでいた家がここに写っているこじんまりした建物。手入れしている様子がないのでもう住んでいないのかもしれない。ここ...久し振りに萬願寺山に登って来た。

  • 兼六園に行ってきた

    兼六園に行ってきた

    久しぶりに兼六園に行ってきた。先に金沢城に行こうとしたら、あっちこっちにバリケードがしてあり入れなかった。能登半島地震で相当被害が出ているらしい。玉泉院丸庭園の石垣も被害に遭ったらしい。行ったのは夕方ではない。なのにカメラにはずいぶん暗く写っている。金沢城の石垣もあっちこっち崩れているようです。兼六園の梅園では冬桜という木が有った。冬でも咲く桜があるんだね。観光客はしきりに写真を撮っていた。燈籠の冬の衣装ももうすぐとれます。もうすぐ春だというのに花見橋がありません。能登半島地震で落ちたのでしょうか。カメラが壊れたのかずいぶん暗く写っています。ここに兼六園のシンボルことじ灯篭が写っているはずだが。カメラがまだ普及してなかった当時、ここ霞ヶ池の前に記念撮影のための大きな台がありました。その前に写真屋さんが常に...兼六園に行ってきた

  • いつもの林道散策

    いつもの林道散策

    ラジオ体操が終わってからみんなで山登りします。でも、このところ長いこと参加してないので、今日は天気も良いことだし日中にいつもの滝の所まで登って来た。折り返し点で近くに水飲み場があります。いつの間にがパイプが一杯増えていた。コップも増えているように思う。能登半島地震のせいか洞穴のようなものが出来ていた。大きな岩が道をふさいでいる。どうやら元日に起きた能登半島地震の直後に落ちたらしい。いつもはこの時期林道は雪が一杯で長靴でなければいけなかったが、今年は真冬だというのにどこにも雪がない。いつも林道の世話をしているおじさんに出会った。スコップを持ってうろうろしてしている。「何をしているんですか」と聞くと一寸川の掃除をしている」とのこと。どこにも掃除が必要なほど汚れている所がないのだが。彼は、頼まれもしないのに林道...いつもの林道散策

  • 17000歩歩いた

    17000歩歩いた

    今日天気が良かったので久しぶりに長距離の散歩に出た。真ん中の取っ手を引っ張り出せば立派なゴミステーションになります。ゴミ置き場も進歩しました。使わないときは畳んでおけば邪魔になりません。芋堀藤五郎夫婦の石像です。その脇に小さな石像がありました。これは何の像でしょうか。手に持っているのは砂金の袋。金沢の地名の謂れは砂金が沢山採れたから、といいます。芋堀藤五郎はこの地で芋を掘っていると砂金が出てきたという。これを兼六園の片隅にある泉で洗ったそうです。その洗った場所が兼六園の隣りにあり「金城霊沢」と言って、毎年百万石まつりで使われます。熊じゃなくマムシが出るとかいてあります。芋堀藤五郎像のある山科町のすぐ隣に大きな公園「大乗寺丘陵公園」というのがあります。今日も多くの市民が散歩を楽しんでいました。そこにこんなお...17000歩歩いた

  • 法事

    法事

    今日は家内の母の23回忌だった。法要は旧松任市の大きなお寺であった。正面から見るとそう大きくは見えないけど中に入ると物凄く広くて迷子になりそうなお寺だった。お御堂はそんなに広くなかったが三つ並んだ達磨ストーブ。全然暖かくなく無いのと同じだった。それだけ今日は寒いのかなー。道路は狭く入って行ったのはいいけど帰りは工事用のトラックがどんと邪魔をして、出てこられない。工事中の看板も立てず。何の挨拶もなく、さも当たり前のようで堂々としていた。市には届けも出さず悪びれた様子もない。今は白山市を名乗っているけどそんなことが平気で出来るような田舎町なんだなと思った。幸いにも別の道もあったので良かったが。お昼には場所を移動して鶴来地区のお寿司屋さんで食事。本来ならお酒が出る場面だがみんな車で来ているのでノンアルコール。ワ...法事

  • 通いなれた施設が避難所に

    通いなれた施設が避難所に

    能登半島地震が発生して25日たった。いつも謡曲教室で使っている老人福祉施設が避難所となった。今朝、久し振りにラジオ体操に行った。いつもは暗い福祉施設に明々と明かりが点いている。能登半島地震の避難所となったのだ。そのため当分教室はお休み。被害が大きいので能登の施設では賄いきれずとうとうここまで能登の被災者がやってきた。いつもラジオ体操をやっている体育館も被災者に開放されている。まだ朝が早いため誰も出てこない。出てくればちょっとお話してみようと思ったのだが。能登の人たちにとって金沢は金沢から東京に行くくらい遠いだろう。まるで都会に出てきたぐらいに思っているのでは。こんなことでもなければ県都金沢に出てくることはない。いい思い出?になるのかなと思った。もう少ししたら能登で仮設住宅が出来帰れるようになります。それま...通いなれた施設が避難所に

  • 能登半島地震その後

    能登半島地震その後

    元旦の午後4時10分、いきなりぐらっとゆれた。始めは自分の頭の中が揺れた、とうとう頭がおかしくなったと思った。その内ガタガタと物凄い音がして、家が大きく揺れ出した。これは本物だ!と急に恐怖が襲ってきた。外へ出てみると家内が「何しとったがいね」と責める。「何も言わずに外へ飛び出したお前が悪い」と言いたかった。テレビで能登半島で震度7の地震が発生したといって、その後の通常番組が全部中止。地震速報ばかりになった。山が崩れたと有線放送が入った。その後余震がつづいて10日余りが過ぎた。家内はお風呂のおちおち入れないとこぼしている。こんなに余震が続く地震は今まであっただろうか。今日は天気が良かったので、崩れたという山を見に行った。いつもは竹が密集していて暗い山がいきなり明るくなった。ちょっと様子がおかしいぞ。道が大き...能登半島地震その後

  • 藤原氏

    藤原氏

    藤原姓氏の一つ。天児(あまのこ)屋根(やねの)命(みこと)の裔と伝え、文化改革の功臣中臣鎌足が、居地の大和国高市郡藤原に因んで藤原姓を賜ったのに始まる。姓(かばね)は朝(ちょう)臣(しん)。鎌足の子不比等は文武天皇の頃から政界に趣をなし、その子武智麻呂・房前・宇合・麻呂の4兄弟はそれぞれ南家・北家・式家の4家の祖となる。北家はもっとも繁栄し、その一族は平安時代から江戸時代まで貴族社会の中枢を占めた。なお、奥州藤原氏はもと亘理(わたり)氏で、別系。藤原鎌足(かまたり)619-669藤原氏の祖。始め中(なか)臣(とみ)氏。鎌子という。中大兄(なかのおおえ)皇子をたすけて蘇我大臣家を滅ぼし、大化改新に大巧をたて、天智天皇の時、大織冠・内大臣。談山神社に祀る。中臣鎌足。藤原不比等659-720鎌足の次子。右大臣。...藤原氏

  • 源氏の武将

    源氏の武将

    クレヨンで源氏の武将で義の名が付いている者を拾って書いてみました。一番先に出てくるのが源頼義988~1075平安中期の武将。源頼信の子。陸奥守兼鎮守府将軍。武芸に秀で、坂東武士の多くを門客として組織。陸奥の安倍頼時・貞(さだ)任(とう)・宗(むね)任(とう)が反乱を起こしたとき、10余年にわたって苦戦を重ねたが、出羽の清原氏の援護を得て鎮圧に成功。この戦いを通じて東国の源氏の地位を確立。源義家1039~1106平安後期の武将。頼義の長男。八幡太郎と号す。幼名、不動丸・源太丸。武勇人に勝れ、和歌も巧みであった。前9年合戦には父とともに陸奥の安倍貞任を討ち、陸奥守兼鎮守府将軍となり、後三年合戦を平定。東国に源氏勢力の根拠を固めた。源義綱河内源氏2代棟梁・源頼義の次男。母は平直方の娘で、兄の源義家(八幡太郎)、...源氏の武将

  • 教会の話を聞く

    教会の話を聞く

    いつも謡曲教室でお世話になっている老人福祉施設で月に一度「教養講座」というものがある。今月は何故かそれが2回あった。今回はその二回目だった。今年最後の講演である。「日本基督教団」とある。その見慣れない基督の横に(キリスト)とルビが打ってあり、普段は仏さまの話ばかりだったので興味を持って行ってきた。参加者は私を含めて3人だけ、全く人気がない。講師は男だと思っていたら女の人だった。例の如く女の講師は作文を読むように話していた。これは、講演というよりテレビのニュース解説のようでわざわざ出て来るまでもなかった。今日のテーマは「苦難から解放でもなく、諦めでもなく、~キリスト共に生き、死に向かう~」という何とも長ったらしい題名だった。元看護士をしていた人らしく、今日は死に直面した患者の話が中心だった。キリスト教では人...教会の話を聞く

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