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  • 一升桝は叩くもんじゃないよ

    能登半島地震から早2カ月が過ぎた。あっちこっちでひびわれができた。古い写真を見ると、やはり道路面にひび割れが写っている。能登半島地震で出来たもんだとは限らない。古いものは間に泥が詰まっている。新しいものはひび割れの底が見えない。それで区別がつく。ところが最近その新しいひび割れが広がってきているように見える。底が見えるようになってきた。所によっては段差ができている所もある。その昔、伯父が言ってた。「一升桝は叩くもんじゃないよ。叩くといくらでも米が入る。叩かずさっと手で均すだけでけでいいんだ」おそらくお米をはかる時私は一升桝をポンポンと叩いていたのだろう。それを見た伯父が注意してくれたのだろう。道路の中心ではもっと広がっている所もあるが、車通りが多いために撮影はできなかった。震源地から100キロ以上あるという...一升桝は叩くもんじゃないよ

  • 久し振りに萬願寺山に登って来た。

    九万坊さんその昔高岡で修業していた修験者の枕元に菩薩さまが立たれ「お前は加賀の国にある窪というところにある萬願寺山で修業し当地に住む民の助けになるがよい」と言われこの地に移り住んできた。初めは気ちがい扱いされ誰も相手にいませんでした。ところが彼の予言がよくあたり、病も治ったと評判になりっその修験者を頼ってくるものが多くなった。その修験者が創立したのがこの久万坊大権現である。その謂れを教えてくれた人が金沢市の野町にあるその名も知られた忍者寺のすぐ前にある大きな寺「西方寺の前住職」だった。かれは現職を離れここで管理人を務めていた。それを聞いたのは大分前だったので今はもういないかもしれない。その人が住んでいた家がここに写っているこじんまりした建物。手入れしている様子がないのでもう住んでいないのかもしれない。ここ...久し振りに萬願寺山に登って来た。

  • 兼六園に行ってきた

    久しぶりに兼六園に行ってきた。先に金沢城に行こうとしたら、あっちこっちにバリケードがしてあり入れなかった。能登半島地震で相当被害が出ているらしい。玉泉院丸庭園の石垣も被害に遭ったらしい。行ったのは夕方ではない。なのにカメラにはずいぶん暗く写っている。金沢城の石垣もあっちこっち崩れているようです。兼六園の梅園では冬桜という木が有った。冬でも咲く桜があるんだね。観光客はしきりに写真を撮っていた。燈籠の冬の衣装ももうすぐとれます。もうすぐ春だというのに花見橋がありません。能登半島地震で落ちたのでしょうか。カメラが壊れたのかずいぶん暗く写っています。ここに兼六園のシンボルことじ灯篭が写っているはずだが。カメラがまだ普及してなかった当時、ここ霞ヶ池の前に記念撮影のための大きな台がありました。その前に写真屋さんが常に...兼六園に行ってきた

  • いつもの林道散策

    ラジオ体操が終わってからみんなで山登りします。でも、このところ長いこと参加してないので、今日は天気も良いことだし日中にいつもの滝の所まで登って来た。折り返し点で近くに水飲み場があります。いつの間にがパイプが一杯増えていた。コップも増えているように思う。能登半島地震のせいか洞穴のようなものが出来ていた。大きな岩が道をふさいでいる。どうやら元日に起きた能登半島地震の直後に落ちたらしい。いつもはこの時期林道は雪が一杯で長靴でなければいけなかったが、今年は真冬だというのにどこにも雪がない。いつも林道の世話をしているおじさんに出会った。スコップを持ってうろうろしてしている。「何をしているんですか」と聞くと一寸川の掃除をしている」とのこと。どこにも掃除が必要なほど汚れている所がないのだが。彼は、頼まれもしないのに林道...いつもの林道散策

  • 17000歩歩いた

    今日天気が良かったので久しぶりに長距離の散歩に出た。真ん中の取っ手を引っ張り出せば立派なゴミステーションになります。ゴミ置き場も進歩しました。使わないときは畳んでおけば邪魔になりません。芋堀藤五郎夫婦の石像です。その脇に小さな石像がありました。これは何の像でしょうか。手に持っているのは砂金の袋。金沢の地名の謂れは砂金が沢山採れたから、といいます。芋堀藤五郎はこの地で芋を掘っていると砂金が出てきたという。これを兼六園の片隅にある泉で洗ったそうです。その洗った場所が兼六園の隣りにあり「金城霊沢」と言って、毎年百万石まつりで使われます。熊じゃなくマムシが出るとかいてあります。芋堀藤五郎像のある山科町のすぐ隣に大きな公園「大乗寺丘陵公園」というのがあります。今日も多くの市民が散歩を楽しんでいました。そこにこんなお...17000歩歩いた

  • 法事

    今日は家内の母の23回忌だった。法要は旧松任市の大きなお寺であった。正面から見るとそう大きくは見えないけど中に入ると物凄く広くて迷子になりそうなお寺だった。お御堂はそんなに広くなかったが三つ並んだ達磨ストーブ。全然暖かくなく無いのと同じだった。それだけ今日は寒いのかなー。道路は狭く入って行ったのはいいけど帰りは工事用のトラックがどんと邪魔をして、出てこられない。工事中の看板も立てず。何の挨拶もなく、さも当たり前のようで堂々としていた。市には届けも出さず悪びれた様子もない。今は白山市を名乗っているけどそんなことが平気で出来るような田舎町なんだなと思った。幸いにも別の道もあったので良かったが。お昼には場所を移動して鶴来地区のお寿司屋さんで食事。本来ならお酒が出る場面だがみんな車で来ているのでノンアルコール。ワ...法事

  • 通いなれた施設が避難所に

    能登半島地震が発生して25日たった。いつも謡曲教室で使っている老人福祉施設が避難所となった。今朝、久し振りにラジオ体操に行った。いつもは暗い福祉施設に明々と明かりが点いている。能登半島地震の避難所となったのだ。そのため当分教室はお休み。被害が大きいので能登の施設では賄いきれずとうとうここまで能登の被災者がやってきた。いつもラジオ体操をやっている体育館も被災者に開放されている。まだ朝が早いため誰も出てこない。出てくればちょっとお話してみようと思ったのだが。能登の人たちにとって金沢は金沢から東京に行くくらい遠いだろう。まるで都会に出てきたぐらいに思っているのでは。こんなことでもなければ県都金沢に出てくることはない。いい思い出?になるのかなと思った。もう少ししたら能登で仮設住宅が出来帰れるようになります。それま...通いなれた施設が避難所に

  • 能登半島地震その後

    元旦の午後4時10分、いきなりぐらっとゆれた。始めは自分の頭の中が揺れた、とうとう頭がおかしくなったと思った。その内ガタガタと物凄い音がして、家が大きく揺れ出した。これは本物だ!と急に恐怖が襲ってきた。外へ出てみると家内が「何しとったがいね」と責める。「何も言わずに外へ飛び出したお前が悪い」と言いたかった。テレビで能登半島で震度7の地震が発生したといって、その後の通常番組が全部中止。地震速報ばかりになった。山が崩れたと有線放送が入った。その後余震がつづいて10日余りが過ぎた。家内はお風呂のおちおち入れないとこぼしている。こんなに余震が続く地震は今まであっただろうか。今日は天気が良かったので、崩れたという山を見に行った。いつもは竹が密集していて暗い山がいきなり明るくなった。ちょっと様子がおかしいぞ。道が大き...能登半島地震その後

  • 藤原氏

    藤原姓氏の一つ。天児(あまのこ)屋根(やねの)命(みこと)の裔と伝え、文化改革の功臣中臣鎌足が、居地の大和国高市郡藤原に因んで藤原姓を賜ったのに始まる。姓(かばね)は朝(ちょう)臣(しん)。鎌足の子不比等は文武天皇の頃から政界に趣をなし、その子武智麻呂・房前・宇合・麻呂の4兄弟はそれぞれ南家・北家・式家の4家の祖となる。北家はもっとも繁栄し、その一族は平安時代から江戸時代まで貴族社会の中枢を占めた。なお、奥州藤原氏はもと亘理(わたり)氏で、別系。藤原鎌足(かまたり)619-669藤原氏の祖。始め中(なか)臣(とみ)氏。鎌子という。中大兄(なかのおおえ)皇子をたすけて蘇我大臣家を滅ぼし、大化改新に大巧をたて、天智天皇の時、大織冠・内大臣。談山神社に祀る。中臣鎌足。藤原不比等659-720鎌足の次子。右大臣。...藤原氏

  • 源氏の武将

    クレヨンで源氏の武将で義の名が付いている者を拾って書いてみました。一番先に出てくるのが源頼義988~1075平安中期の武将。源頼信の子。陸奥守兼鎮守府将軍。武芸に秀で、坂東武士の多くを門客として組織。陸奥の安倍頼時・貞(さだ)任(とう)・宗(むね)任(とう)が反乱を起こしたとき、10余年にわたって苦戦を重ねたが、出羽の清原氏の援護を得て鎮圧に成功。この戦いを通じて東国の源氏の地位を確立。源義家1039~1106平安後期の武将。頼義の長男。八幡太郎と号す。幼名、不動丸・源太丸。武勇人に勝れ、和歌も巧みであった。前9年合戦には父とともに陸奥の安倍貞任を討ち、陸奥守兼鎮守府将軍となり、後三年合戦を平定。東国に源氏勢力の根拠を固めた。源義綱河内源氏2代棟梁・源頼義の次男。母は平直方の娘で、兄の源義家(八幡太郎)、...源氏の武将

  • 教会の話を聞く

    いつも謡曲教室でお世話になっている老人福祉施設で月に一度「教養講座」というものがある。今月は何故かそれが2回あった。今回はその二回目だった。今年最後の講演である。「日本基督教団」とある。その見慣れない基督の横に(キリスト)とルビが打ってあり、普段は仏さまの話ばかりだったので興味を持って行ってきた。参加者は私を含めて3人だけ、全く人気がない。講師は男だと思っていたら女の人だった。例の如く女の講師は作文を読むように話していた。これは、講演というよりテレビのニュース解説のようでわざわざ出て来るまでもなかった。今日のテーマは「苦難から解放でもなく、諦めでもなく、~キリスト共に生き、死に向かう~」という何とも長ったらしい題名だった。元看護士をしていた人らしく、今日は死に直面した患者の話が中心だった。キリスト教では人...教会の話を聞く

  • 平家一族

    クレヨンで歴史の勉強をしています。今回は平家物語に登場する人物を書きました。平家一族

  • 加賀騒動について学びました。

    昨日は雪の中高砂大学OB歴史会に行って加賀騒動について学びました。小説では大槻伝蔵はえらい悪人になっているそうですが、どうやらそうでないことが最近の研究で分かってきました。大槻伝蔵は加賀藩の財政改革のために多大な功績を残していたことが分かった。6代加賀藩主の側用人になった大槻伝蔵は藩主吉徳に可愛がられ、周りの重役たちから煙たがられたそうだ。藩主の言ったことは大槻から告げられ、周りの重臣たちが藩主に物申すときは必ず大槻を通さなければならず。大槻伝蔵が嘘を言っていても誰も分からないからだ。藩主吉徳が亡くなったら途端に大槻伝蔵は罪人にされて五箇山に閉じ込められたようだ。いつの時代も改革を試みると保守派が必ず抵抗するようだ。加賀騒動について学びました。

  • いま幸せだと思う人

    参加者が200人ほどいる会場で講師が「いま幸せだと思う人て手を上げて」というと、8人から手が上がりました。これを8人しかいないのか、と思う人、8人もいるのかと思う人。あなたはどちらですか。昨日の教養講座での話、これは受け売りですが。最近訪れた講演会場では連続3回、誰も来なかったそうです。市は家に引籠りがちな老人を何とか外に引き出そうと一生懸命です。でも、出てくる人はほとんどいない。今回の教養講座でも参加したのは私を含めてたったの4人。講師はお寺の住職さんです。普通はお坊さんだから仏教の話をする者です。今日のお坊さんは仏の話はなし、1時間ほどくだらぬ世間話を一人で喋って終わりました。今日のお坊さんはどんな仏さんの話をするのかと期待して参加したのだが、これでは何のために来たのか分からない。早めに会場に入ると何...いま幸せだと思う人

  • 葛城(謡曲教室)

    先生はまだ風邪気味でよく治っていないそうです。今日はをならいました。大和のの雪路で山伏たちは一人の女に出会う。女は自分の庵に案内し、しもとを焚いてもてなし、祈祷を願う。女は葛城の女神であった。を架けよとの役の行者の命令を果たせなかったために(醜い容貌を恥じ夜にしか仕事をしなかった)葛城で身を縛られの苦しみのあることを告げて姿を消す。山伏の勤行に現れた女神は、縛めの様を示し、葛城の高天の原で、天岩戸のを、白一色の世界の中で舞う。やがて、舞終えるた女神は岩戸の中に入って行く。ーNETより。分からない単語は手元の電子辞書で調べてみました。羽黒山山形県羽黒町にある山。出羽三山の一つで標高414m。平坦な山頂にある出羽三山神社は、古来羽黒山三伏で知られる修験道場。擔頭頭上に物をのせること。真柴柴の美称。五障女人が持...葛城(謡曲教室)

  • 今は夜?昼?

    眠りから覚めた。ここはベッド?。どうやら寝ていたらしい。それにしてもここどこ?何でここに寝てるの。ゴーゴー、カチャンカチャンと音がする。どうやら機械の中に閉じ込められているらしい。そうだ。頭の断層写真を取りに来たんだった。家内が耳の後ろが腫れている。蜘蛛膜下出血じゃないかと脅すもんだから、穏やかじゃない。だったらどうしよう。この前から左手や左足が突然痛くなって力が入らなくなることがある。暑くもないのに顔が火照ってまるで火の側にいるようだった。さすがに心配になって、神経外科に走った。医院は満員。地元新聞に「ドクター・ワッシー」と名乗って毎週コラムを書いているだけあって評判がいい。断層写真を見ながら「どこも悪くなっていないよ。この前と同じです」と言われ「そうですか」と引き下がるしかなかった。昔はレントゲン写真...今は夜?昼?

  • お寺で何故かクリスマスケーキ

    講師の前にクリスマスケーキクリスマスでもないのに・・・何々人とはどういう意味。同じ人間なのになぜか何々人と人は区別します。ユダヤ人とパレスチナ人が醜い争いをしています。何々人というけど同じ人間です。どこが違うかというと宗教が違うということだけのようです。西洋の宗教は一神教と言って神様が一人だけで二人いるのはおかしいと考えるようです。他の宗教を認めない。それが西洋人の考え方のようです。それで各地で醜い争い起こしています。それに比べ日本は他宗教国家です。キリスト教が入ってきても八百万の神様の一つで、敵対することはしません。それで仏教とは何の関係もないあちらさまの習慣を抵抗なく取り入れています。クリスマスとはどんなお祭り?日本人はキリスト教でもないのにクリスマスを祝っています。おかしいとは思いませんか。それは商...お寺で何故かクリスマスケーキ

  • 実は昨日風邪をひいてしまいまして・・・。

    今回は邯鄲を習いました。唐土の国に住む盧生という者、楚の国にえらいお坊さんがいると聞いて教えを受けようと旅に出ました。邯鄲の里に着いて泊まった宿に仙人が置いて行ったという枕を借りて寝ていた。楚国から勅使がきて王位を譲ると言われ輿に乗って宮殿に行った。仙人が飲むという酒を呑まされ、素晴らしい舞を見て月日はあっという間に過ぎて・・・・・・。目が覚めた。それは夢だった。先生「実は昨日風邪をひいてしまいましてね・・・・・・。」先生は生徒と違い今日は都合が悪いからと簡単に休めません。体調の悪い先生は思うように謡えません。途中で静かになったり。みんなどこを謡っているのか分からなくなったようです。適当にぼっかけて何とか教室を終えました。「先生。本がなかったので友人から謡本をいただいたのですけど、この本上の小さい文字を書...実は昨日風邪をひいてしまいまして・・・。

  • 日本海で異変

    朝刊の一面の下部にいつも「時鐘」という囲み記事が載っている。その新聞社を代表する記者が時事記事を載せている。それを書き写して新聞社に送ると何か貰えるらしい。挑戦するつもりはないが書き写いてみた。温暖化の影響で日本海で異変が起きているらしい。季節風が弱まってくると海水がかき混ざらなくなって海水温が上がり生態系に影響を及ぼすようだ。炭酸ガスが増えると貝殻が溶けるそうだ。日本海で大変なことが起きているらしい。温暖化対策を急がなければいけない。自分なりに考えてみた。●油を使う車はなるだけ使わないようにして公共機関のバスや電車を使うようにしよう。●暖冷房は出来るだけ使わず我慢して身体を自然の気候に馴らすようにしよう。●飛行機も油をたくさん使うらしい。旅行で飛行機の使用はできるだけ避けよう。●ロケットを一回打ち上げる...日本海で異変

  • 駆け足

    いつものラジオ体操をしている体育館の前にある公園の木。紅葉が見事です。犬の散歩に出て、今日は調子が良さそうなので走ってみた。意外にうまく走れバテなかった。怪我をして以来走ったことがなかった。コウ🐩もうまくついてきてくれた。おしっこをする暇もない。犬も不思議に思ったかもしれない。いつもは何度も途中でオシッコする犬も一回だけだった。この頃、何とも気分がすぐれず、疲れっぽかった。頭がぼ~っとしていて、目にうつるものも何だかまぼろしのような気がしていた。ああ、もう自分の人生も終わるのかな、そろそろ子どもたちにも心構えをするように伝えなければと真剣に考えていた。でも、これだけ走れればまだ大丈夫。パソコンに文章を打ち込むのにも誤字だらけでうまく打てない。もうブログもおしまいにしなければいけないのかな。でも今日は意外に...駆け足

  • おさらい会で春栄の役をやった。

    弓手とは弓を持つ手のことで種直は右手の肩に矢が刺さりました。その矢を抜くためその場を離れました。そこへのこのこと現れた春栄は敵につかまってしまいます。宇治橋の合戦で生け捕りされた幼き春栄は源氏方の高橋権の頭家次の元に預けられた。それを知った兄種直は家次の元へ行き春栄に合わせてくれと頼みました。家次は春栄を種直に合わせようとするが春栄はそれは兄ではないと会おうとしません。種直は自分が身代わりになるから、幼い春栄を帰してほしいと頼みます。そうしているうちに鎌倉から早打ちがきます。高橋権頭家次は囚人早く殺せということか、と思ったら、恩赦があって7人囚人を赦免するという。その中に春栄の名がありました。めでたく春栄は釈放された。家次は春栄の家族思いに感激して、戦いで喪った我が子の代わりにと春栄を養子にしました。今日...おさらい会で春栄の役をやった。

  • おさらい会【春栄】

    おさらい会で春栄の子方をすることになった。春栄は宇治橋の合戦で深入りし遂に捉えられた生け捕られた。京都府宇治市にある宇治川に架かる橋。兄の種直が春栄を預かっている高橋権頭家次の元に会いに行った。春栄は身内に禍が懸ってはまずいと、これは兄ではない家人(奉公人)だと嘘をつく。種直は弟(春栄)を不憫に思い一緒に死のうと覚悟してきたのに弟は会ってくれない。仏法が東方に伝わること。鎌倉から早打ちが来た。恩赦があって7人の囚人が赦免されるという。その中に春栄の名があった。高橋権頭家次は兄を思う春栄に感激し、春栄を養子に迎えた。実は家次はわが子を合戦で喪っていたのだった。嘉辰令月めでたい日と月。兄の種直は喜びの舞を舞った。子方は謡では最も軽い役。先生は耳の悪い私に気を使って最も楽な役をあてがってくれた。このところ連日の...おさらい会【春栄】

  • やりたくてやっているのではない。

    孫が残していったクレヨンがもったいないのでそれでお習字をやっています。今回は邯鄲をを習った。邯鄲(かんたん)蜀(しょく)昔、中国の蜀という国に、盧生という男が住んでいました。彼は、日々ただ漠然と暮らしていたのですが、あるとき、楚の国の羊飛山に偉いお坊様がいると聞き、どう生きるべきか尋ねてみようと思い立ち、旅に出ます。羊飛山(ようひさん)羊飛山への道すがら、盧生は邯鄲という町で宿を取りました。その宿で女主人に勧められて、粟のご飯が炊きあがるまでの間、「邯鄲の枕」という不思議な枕でひと眠りすることにしました。邯鄲の枕は以前、女主人がある仙人に貰ったもので、未来について悟りを得られるといういわくつきの枕でした。邯鄲の枕さて、盧生が寝ていると、誰かが呼びに来ました。それは楚の国の皇帝の勅使で、盧生に帝位を譲るため...やりたくてやっているのではない。

  • 邯鄲

    孫が残していったクレヨンでお習字しています。邯鄲邯鄲唐土蜀に住む盧生(ろせい)という者、日々為すこともなくてただ茫然と暮らしていたが、ある時、楚(そ)の国の羊飛山(よおひざん)に偉いお坊さんがいると聞き、身の後生を訪ねんと思い立って、楚国に到り邯鄲の里にてある旅亭に一宿した。宿の主の勧めによって、夕餉の粟飯をの炊ける間を、邯鄲の枕に委ねて一睡する。ここに勅使が表れて、盧生を祖国の王位を譲る旨を告げ、そのまま盧生は玉の輿に乗せられて宮殿に導かれた。庭には金銀の砂を敷き、雲龍閣や阿房殿は光彩満々としてきらびやかに、千顆萬顆の宝は山と積まれ、まこと名に聞きし都喜見城も斯くやと思ふばかりの美しさには、まったく驚くばかりであった。この時大臣が進み出て、一千年の齢を保つという天の濃漿(こんず)と沆瀣(こうがい)の盃と...邯鄲

  • 難しい謡曲用語

    経政先日の定例能のチラシより。仁和寺お室の御所に仕える僧都行慶(ぎょうけい)が出て、守覚法(しゅかくほつ)親王(しんのう)の寵愛が深かった平經政がこのたび西海(一の谷)の合戦で討たれたので、かつて下賜された琵琶の名器青山を据え管絃講(かげんこう)を営むことになったと述べます。夜更け方かすかな灯火(ともしび)に人影が揺れて、声を聞けば経政の幽霊が、妄執消えやらず住み慣れた御所に帰参したのでありました。亡者のためには何よりの手向けと、僧都の合図で奏者たちが楽を調べ経政も琵琶を奏で、折からの時雨や松風も和して幽明界を超えた夜半楽の合奏が実現します。夜游(やゆう)を喜びつくろいだ経政の心にやがて修羅道の瞋恚(しんに)(怒りの心)が戻って、激戦し苦悶し、その姿を照らす灯火をけそうと夏虫のごとく飛び入って暗(くら)紛...難しい謡曲用語

  • 可愛い能役者

    定例能の劵をもらったので、今日その能を見に行った。「土蜘」という演目で、大江山の鬼退治で出てくる源頼光(みなもとのらいこう)が死の病で苦しんでいる所に蜘蛛の精が僧に化けて頼光のもとに現れる。それが蜘蛛の精だと見破った頼光が剣を抜いてやつけるという。重い病で病床の身である頼光が刀を抜いて闘うという現実離れの話。その蜘蛛の化け物を演じたのが、故能楽師の渡辺容之助の娘さん松田若子さん。この化物は男なのか女なのか分からないが。とても可愛いかった。普通は女の能楽師は女役になって女面をつけて出てくるのだが。男役?で出ることもあるのかな。能で登場する女性を演じるのは普通男であるので女に化けるときは女面をつけて出てくる。ところが今回のシテ(蜘蛛のお化け)は面を付けずに素顔で出てきた。さて、主役は女なのかなと思ってネット検...可愛い能役者

  • ろうそく能「葛城」を見にいく。

    ろうそく能に行ってきた。金沢の町は久し振りなので、まずは金沢城に。二の丸はどうなっているかな。発掘現場は相変わらず塀に囲まれていてそのままだった。次に兼六園に。金沢のシンボルになっている徽軫灯籠(ことじとうろう)とその隣にあるイロハ紅葉を撮るつもりだったが、まだ紅葉はしていなかった。それより昨日の兼六園は無料開放とあって物凄い人でとても写真を撮れる環境でなかった。葛城(かづらき)【あらすじ】旅の山伏が葛城山で吹雪に遭っている所へ山女が通りかかる。女は一行を庵に招き入れ火を焚いてもてなすうち、自分が葛城の神であり役行者の命に背いた咎めで戒を受ける身となったことを明かし、祈祷を頼んで消える。やがて祈祷する山伏の前に、女神が現れ喜びの大和舞を舞う。ーパンフレットより。その昔、霊験の世界を見せるため、夕方、あたり...ろうそく能「葛城」を見にいく。

  • 久し振りの高尾城址

    朝,雨が降っていたが、昼からいい天気。久し振りに高尾城址まで散歩です。桜の名所として知られているが今は花はなくただの森です。麓には石川教育センターがあります。屋上に天文台があります。昔、子供の天文観測会があるというので、子供と一緒に上ってきました。生憎の天気でお星さまは見れず、望遠鏡の説明を聞くだけで終わりました。高感度地震観測施設があります。地下800mに地震計があります。地上付近では車の振動を拾ってしまうので、地上の影響を受けない所まで掘り下げて観測するのだそうです。遠くに宝達山が見えます。前田利家と佐々成政が激戦を繰り広げたところです。肉眼では良く見える所ですが、なかなか写真には写らなかったがやっと撮れました。宝達山は能登の入口です。この山に利家と成政が激戦を繰り広げた末森城がありました。結構離れて...久し振りの高尾城址

  • 突然告げられた意外な病気(肝臓病)

    いつもの通り病院にイベニティの筋肉注射(骨密度を上げる筋肉注射)を打ちにいた。「今日は血液検査があります」全然頭になかった予定に戸惑った。1時間ぐらいして結果が出た。「AST,ALT,rGTが高いですね。肝臓が悪くなっていますね。…でも前回よりあまり高くなっていないので、ま、いいか」酒も飲まないのにどうして肝臓病になるのか、想像すらしていなかった。とくに、rGT(rGTP)という与えが161とつでもない高い数字。上限値が40と書いてある。その4倍も高いのだ。ただごとではない。これはとても無視できない。早速、ネットで調べてみた。肝臓病は初期の内は症状が出ないのだそうだ。気付いたときはもうそうとう病気が進んでいるそうだ。お酒を呑まなくても肝臓病になる。と書いてある。これは症状が出ないので血液検査をして見つける...突然告げられた意外な病気(肝臓病)

  • 春栄 (謡曲教室)

    春栄は42pもある長い曲です。時間にして約50分。春栄は宇治の合戦で深入りして遂に生け捕られた。兄の種直は、弟を不憫に思い家来一人連れて会いに行くが春栄は兄を巻き添えにしたくないと、会おうとしません。兄は弟と一緒に死のうと覚悟してきたのに春栄に分かってもらえません。長い縦線がページ全体に引かれています。ここは狂言方と問答をするところで能では謡うが謡曲教室では謡わない処です。普通は数行だけですがここでは26行もあります。こんなに多くある謡本はありません。処刑されることになっていた春栄は突然鎌倉から早馬が来て恩赦されることになった。春栄を預かっていた高橋權頭家次は必死に兄をかばう春栄に感動して養子に迎えることになった。この前、生意気にも先生に楯をついたので、さぞ、先生に嫌われているだろうと思ったが、意外にも先...春栄(謡曲教室)

  • 分かりやすい講座

    毎月一回行われる高砂大学「OB歴史会」の講座について書いてみた。今回は「蓮如と吉崎御坊」という課題だった。講師は市内のお寺の住職さんらしい。課題は「蓮如と吉崎御坊」。なのに史料は「御文」と書いてあるものだけだった。資料の御文お寺の住職だというのに仏教じみた話ではなく歴史に関するものだけだった。嫌味がなく非常に分かりやすい話だった。耳の悪い私にもその内容がよく分かった。加賀一向一揆というと有名。石川と福井の県堺に吉崎という町がある。何故か一つの町のはずなのに福井県と石川県に分かれている。そこに蓮如上人が北陸の布教の拠点として吉崎御坊という大きなお寺。でもそこにいたのは6年だけっだという。彼は何か都合の悪いことが起きて吉崎にはおられなくなって京都に帰ってしまったという。何があったんだろうか。その部分はよく聞き...分かりやすい講座

  • 謡曲教室 「岩船」

    今回は「岩船」時の天皇は摂津の国住吉に市を立てて、高麗(朝鮮)と唐土(中国)と貿易を始め、彼の国の宝を色々買い取るべしと宣旨を下した。勅使が市に行ってみると。銀盤(銀の器)に玉を据えて持ってくるものがいた。何者かと問えは「天の探女」だという。帝が宝を集めているというので、天の貢物(喜見城の宝物)を帝に捧げるのだという。その貢物を運んできたのが岩船なのである。岩船とは(岩のように堅固な、天空を行くという船)と手元の辞書に載っている。前回に先生と一寸やりあった。今回は、先生が反省したのか、私が指摘した通り謡っていた。以前にならっていた先生がそのまた先生に盾を突いていたという。普通は稽古でおかしな点を見つけても先生に遠慮して誰も何も言わない。ところがその先生は嫌われるどころか教室で一番大事にされたという。疑問に...謡曲教室「岩船」

  • おさらい会「大江山」

    おさらい会で「大江山のシテをやった」大江山(おおえやま)京都府の北の方で兵庫県との県境付近に大江山という山がある。その山に酒呑童子という鬼がいるという。時々都の上って悪さをするので、時の天皇から源の頼光に退治してこいと勅命が下り、頼光は五十余人の手下を連れて大江山の鬼退治に出かけた。源の頼光(みなもとのらいこう)酒呑童子(しゅてんどうじ)謡曲「大江山」のシテ「酒吞童子」は4ページの終わりから登場する。とてもこわ~い鬼なのでそれにふさわしい謡い方をしなければとしっかり練習をした。「シカシカ」と書いてある部分はシテが狂言師と対話する場面で相手のセリフは書いてない。都から酒呑童子にさらわれた女が洗濯をしていたところに山伏に変装した頼光の一行が道に迷ったから泊めてくれという。その洗濯女が酒呑童子に取り次ぐ場面であ...おさらい会「大江山」

  • 雀がいない

    スズメ数日前農協から新米が来て、小分けしていたら。体のどこかが米袋に触れたのか立ててあった米袋倒れて米を床にばらまいた。そんな汚いコメは食べれないとちり取に集める。雀の餌にすると言って外に出しておいたが、いまだに雀が来ない。米粒が減っていないのだ。今までだったらくろだかりになってあっという間に米粒がなくなっていたのだが。そう言えば最近雀どころかカラスもすっかり見られなくなった。温暖化の性なのだろうか。考えてみれば建築材料が良くなって、雀の巣作りする所がなくなった。燕もほとんど見なくなった。鳥たちはどこに行ったのだろうか。やがて人もいなくなってしまうのではと考えたら、何だか恐ろしくなってくる。温暖化の影響で世界で6億人が住家を追われたという。さらに温暖化が進むと人間の住むところがだんだんなくなってくる。その...雀がいない

  • 山道の工事

    今日は朝雨が降っていたのでいつものラジオ体操に行かなかった。日中晴れ間があったので久し振りに山道に散歩に出た。数カ月前に山に行った時大きくえぐられ大工事をしていた現場はどうなっているのか気になったからだ。果たして来年のタケノコシーズンまでに間に合うのだろうか。お役所仕事はダラダラ工事が多いので気になって仕方がなかった。それが今日行ってみて驚いた。見事に補修されて綺麗になっているのだ。案ずることはなかった。やればできるんです。帰りは途中で雨になりこれは大変なことになりそう。でも、何のためにこれほど大きな工事をすることになったのか。どこも崩れているような場所がなかったのに、不思議でしょうがない。これもお役所仕事というものか。何とか大降りにならないうちに家に着いた。だが、その後で土砂降りになったらしい。もう少し...山道の工事

  • 俊寛(しゅんかん) 「謡曲教室」

    久し振りに墓へ行ったらこんな有り様。誰も訪れなくなったお墓が増えている。俊寛今日は俊寛をならった。平家滅亡の計画が露見して俊寛や康頼、成經が鬼界(きかい)ヶ島に流された。中宮がおめでただというので安産祈願のため恩赦があるという。鬼界ヶ島にも使者が遣わされた。俊寛はこれで帰れると喜んだが、そこには俊寛の名前がなかった。同じ罪で流されえたのに何で自分だけ名前がないんだと、赦免状の隅から隅まで探したがどこにも俊寛の名前がない。悲しんだ俊寛はせめて向こう岸まででも乗せていってくれないかと必死に船にすがったが・・・・・・。櫓櫂で突き放された。船は去って、俊寛は一人鬼界ヶ島に残ることになった。今まで3人いたから何とかやっていけたが、これからは一人ぽっち。どうやって生きていこうかと途方に暮れた。中宮のもとで生まれたその...俊寛(しゅんかん)「謡曲教室」

  • 謡曲教室 「三輪」

    敬老の日が済み今日は謡曲教室です。男2人が欠席して女ばかりのお稽古でした。女の人は声が小さいので合唱するのが大変。まだ外は暑いのに冷房無しです。窓を開放したら結構涼しい風が入ってきました。今日は三輪の後半です。何故か天岩の話が登場してきます。天照大神が天の岩戸の中に籠ってしまいました。当りは真っ暗になりました。神さまは何とか大神を外に出そうと岩戸の前で賑やかに舞を舞い始めました。何事が起こったのかと気になった大神は扉をそっと開いて外の様子を伺いました。待ってましたとばかり天の神様たちは無理やり扉をこじ開けて大神を引き出しました。パッと当りが明るくなって元の世界に戻りました。神様たちの作戦が成功しました。謡曲教室「三輪」

  • 敬老の日

    今日は敬老の日。施設の催しで日頃の成果(謡曲教室)を発表することになりました。トップを切って、自慢のノドを披露しました。出し物は「鞍馬天狗」「紅葉狩り」鞍馬天狗はワキ(東谷の僧)。出てくる場所は、1ページと2ページだけ。僅かだけの出番。東谷の僧とな何者かよくわからず。それでも何とか無事に終えました。次は紅葉狩りのキリの部分だけ皆で謡いました。平維茂(たいらのこれもち)はある日鹿狩りに出かけました。途中で上臈たちが幕を張って花見の宴を催していました。維茂は女たちにつかまって散々飲まされ、酔っ払って寝てしまいました。「その女は鬼神だ、寝ている場合じゃないぞ」と夢のお告げがあり、維茂驚いて飛び起きました。維茂は見事に戦って鬼神をやつけました。この部分だけみんなで合唱しました。ミスッてはいけないと必至に練習しまし...敬老の日

  • 三輪 (謡曲教室)

    敬老の日に発表する「鞍馬天狗」と「紅葉狩り」を練習した後、三輪を習いました。三輪(みわ)大和の国三輪の山に住む玄(げん)賓(ぴん)僧都(そうず)の庵に毎日、仏に供える花と水を持ってくる里女がいました。不思議に思った玄賓は、女がやって来たら素性を問うつもりでいます。今日も訪れた女は、秋も夜寒になったので衣が欲しいと玄賓に願い出ます。玄賓が衣を与え、住家をたずねると、女は三輪の里、山のふもとに近い所に住んでおり、「我が庵は、三輪の山と恋しくは」という歌にも詠まれていると答えます。そして不審に思うならば「杉立てる門」を目印に尋ねてきなさいと言い残し、かき消すように消え失せてしまいました。三輪大明神に参詣した里の男が神木の杉の衣が掛かっているのを見つけます。しかも衣の褄(つま)には「三つの輪は清きぞ唐衣、来ると思...三輪(謡曲教室)

  • 斬新なアイデアで信者に迫る

    先日の法話会で9の字は一般には良く嫌われている。その9をあえて選んで法話会をやっているお寺がある。その日が土曜だと別院の偉いお坊さんがお説教にやってくる。中々説得力のあるお説教をするお坊さんで、注目されている。その9の字の日(9日)にそのお坊さんがわが愛するお寺にやってきた。資料は「親鸞聖人御消息」というA用紙のプリントである。以前、当ブログで書いたことのある「悪人正機」というのがある。親鸞聖人が言った言葉らしい。意味は「阿弥陀仏の本願は悪人も救うことが目的であり、悪人こそ往生するにふさわしい機根(きこん)であるという説(電子辞書より)」。悪いことをする人こそ救われるという意味で捕らえられ、どんな悪いことをしていいんだ、と捉えられ悪いことをする人が多くなった。そこで困ってしまった親鸞聖人が上記のような文章...斬新なアイデアで信者に迫る

  • もうやめようか。

    敬老の日に発表する部分を練習しました。私が受け持ったのは「鞍馬天狗のワキ(東谷の僧)です。時は春、所は山城国鞍馬山。鞍馬山の桜が今は盛りと聞き、花見に出かけました。時間が限られているので出足の部分1P~6Pだけです。私の出番はたったの8行だけです。その後すぐ例の小謡「花酒場~」になります。「先生どうですか。総評を聞かせて下さい。」という人がいた。先生は困ったような顔して。仕方なさそうに評価をして下さった。「ワキですが、ちょっと、・・・・・・・」手を大きく振ってなんとかいった。耳の悪い私には、よく聞こえなかったが、どうやら声が高さのことをいっているらしい。その後「耳が悪いから無理もないと思うが、私たちの中にも(嘱託会)耳の悪い人がいておかしな謡い方をしている人がいる。一応補聴器をつけてはいるんですがね。本番...もうやめようか。

  • 清経 (謡曲教室)

    毎日クレヨン習字をやっているがなかなか上手くいかない。今回は源平合戦で敗れた。「清経」を習った。平家の一門が西海へ落ちたがついに敗れた。時に重盛の第三子、中将清経は、到底味方に利なしと見極め、豊前の国柳ヶ浦に入って失せた。その時船の中に形見として鬢の髪を残していった。清経の家臣淡津の三郎は形見の鬢を清経の妻を訪ねて清経の最期の有様を告げ、持参した形見の品を手渡した。帰り道に雑兵にかかるよりはと入水して果てた。先週は旧盆でお休みだったので、2週間ぶりのお稽古です。稽古をさぼっていたので、今回はさっぱりついていけなかった。練習は続けていかなければすぐ謡えなくなります。9月の敬老の日にこの老人福祉施設で発表会があります。私は鞍馬天狗のワキ(東谷の僧)の役が当たりました。来週はそのお稽古です。練習をサボってはいら...清経(謡曲教室)

  • 久し振りに街に出た。

    高砂大学60周年記念行事があり、山野之義前市長の講演があるというので、久しぶりに街に出た。会場は超満員。肝心の前市長さんの話はよく分からなかった。耳が悪いって悲しいね。記念演奏会があり、うるさいだけの音楽を聞かされた。つかの間の休憩時間があり、会場内でガヤガヤ、何を言っているのかさっぱり分からない。耳の中では、只、ゴーとかなんとかやかましいだけの騒音しか聞こえない。会場の外に出たら、同じように凄い騒音。どこから降ってくるのか、こんなうるさい中を皆気にと留めずに歩いているのかな。改めてそう思った。都会っていうのはこんな感じなのか。今日は何のために出かけたのか。草茫茫の田んぼもう、稲刈りのシーズンになった。宅地の中にポツンと田んぼがあって、草なのか稲なのか分からないような田んぼが増え、作付け面積が減って手が掛...久し振りに街に出た。

  • 謡曲教室 紅葉狩

    紅葉狩クレヨンは先が尖っていないのでどこが紙についているのかさっぱりわからない。中々字がととなわない。難しい。毛曩炎で教室を一回休んだ。今回は何をやるんだろう。いろいろ謡本を選んで持って行ったつもりだが。今日は紅葉狩りです。といわれてビックリ。頭になかったので準備してこなかった。今日も先生の本をお借りした。紅葉狩りとはよく上演される曲だ。鹿狩りに出かけた平維茂(たいらのこれもち)が数人の侍女を連れた上臈(じょうろう)が幕を張って宴を開いていた。維茂は邪魔をしてはとそっと通り過ぎようとした。ところが女が出て来て無理やり宴にさそった。酔っぱらった維茂はその場で寝てしまった。これを見た女たちは姿をけしてしまった。維茂は何もない野原で寝ていたのである。夢の中で石清水八幡の御神託を授かった。今いた女はこの山の鬼女で...謡曲教室紅葉狩

  • 橋弁慶

    橋弁慶の文字が格好いいのでクレヨンで書いてみた。NHKFM能楽堂で橋弁慶を放送するという。橋弁慶の謡本が手元になかったので教室から借りて来て、コピーしました。左は本物、右はコピーしたもの。手違いで白黒のなってしまったが、本物より素晴らしいものができた。ところで、肝心のFM放送をうっかり聞きもらしてしまった。ま、いいか。またの機会もあろう。童謡「牛若丸」♪今日の五条の橋の上大の男の弁慶は長い薙刀ふりあげて牛若めがけて切りかかる・・・・・♪となっているがどうやら謡本では悪者は弁慶じゃなく牛若丸になっているらしい。牛若は弁慶をからかってみようと思い、行き違いしなに長刀の柄元をぽんと蹴り上げた。弁慶は遂に降参して牛若の家来となります。小文字で「地ロンキ」と書いてあるところがある。ここは普通シテと地が掛け合いで謡う...橋弁慶

  • 賽の河原

    40年前に買った本に「死後の世界観光案内」という本が出てきたので、ちょっと遊んでみました。これはこの世のことならず死出の山路裾野なる賽の河原のものがたり聞くにつれても哀れなり二つや三つや六つ七つ十のならぬ幼児(おさなご)が賽の河原に集まりて苦しみうくるぞ悲しけれ娑婆とちがいて幼児が雨露しのぐ住家(すみか)さえなければ涙の絶え間なし西に向いて父こいし東を見ては母こいしこいしこいしと泣く声はこの世の声とはことかわり恋しさ骨身を透(す)かすなりここにあつまる幼児は小石小石を持ち運びこれにて廻向(えこう)の塔を積む手足石にて擦れただれ指より出づる死の滴身体(からだ)を朱(あけ)に染めなして一重積んでは幼児(おさな)が紅葉のような手を合わせ父上菩提と伏し拝む二重積んでは手を合し母上菩提(ぼだい)廻向(えこう)する三...賽の河原

  • 肝心かなめのテキストを忘れた。

    「今日は何をやるんだっけ」「鞍馬天狗」持ってきたと思っていた鞍馬天狗。どこを探してもありません。さあ、大変。会場に保管してある謡曲の本。この日に限ってありません。さあ、どうしよう。しょうがない。黙って聞いていようか。前の日、この日のために予習をしていた。どうやら、カバンに入れ忘れたようだ。長いこと謡をやっているがこんな事初めて。幸い先生が鞍馬天狗の予備を持っていたようで、借りることができた。合唱しているとき時々行間違いすることがある。すると途端にどこを謡っているのか分からなくなる。さあ大変どうしよう。耳が悪いので発音がよく分からず迷子になると今謡っている所を見つけるのが大変。おかしなもので、慌てていることもあるが、まだ謡っていない先へ先へと探してしまう。見つかるはずがない、まだ謡っていないのだから、でも慌...肝心かなめのテキストを忘れた。

  • ぽち

    孫が使っていたクレヨンがあったのでもったいないからそれでお習字をやってみようと思います。明治生まれの日本語と言う本から拾いました。ぽち明治34年に出版された『教科書適用幼年唱歌』初編下巻に掲載されてる「はなさかぢぢ」の一部です。歳のせいか、脳梗塞なのか中々真っ直ぐに書けないので罫線を引くが、その罫線もどうしても平行に見えません。ちゃんと定規をつかっているのですが・・・クレヨンも先を尖らせて使わないので、紙に落としてもどの部分が紙に当たっているのか分からないので、なかなか思うようには書けません。こんな話も載っていた。中むかしの事なるにあるいなかに正じきぢぢばばとけんどんぢぢばばとすみけり正じきばば川へせんたくに出けるが折ふし川上よりちんころ一疋ながれくる正じきばばふびんにおもひかのちんころをひろいつれかえり...ぽち

  • 謡曲 鞍馬天狗

    京の五条の橋の上で戦った牛若丸と弁慶とはどうやら童話の世界で真実ではないらしい。鞍馬天狗は3年ほど前に取り上げましたが、今、謡曲教室で習っているのでもう一度書いてみたい。源氏の御曹司が鞍馬山に預けられているのでいずれ平家討伐に動くだろうとよんだ大天狗たちが鞍馬山に集まって牛若を出しにして修業を重ねていた。牛若が平家打倒に立ち上がると牛若(義経)を統領にしてひと暴れしてやろうと企んでいます。どうやら弁慶の輩の話ではなさそうです。彼らは戦(いくさ)がしたくてうずうずしています。牛若はこれらの大天狗たちに乗せられて、大きくなったら坊主にならずに蔵馬寺を出奔しました。鞍馬山で修業してめっぽう強くなって源平合戦では大活躍しました。けれど、戦には強いけど政治向きのことは一切分からず。頼朝の命を待たずに勝手に戦って平家...謡曲鞍馬天狗

  • 集中豪雨

    謡曲教室が終わって施設の玄関に出たら、ものすごい豪雨だった。いつもは水が流れていない用水が荒れている。グレーチングの隙間から水が溢れている。家に帰ったらどこに雨が降ったかといった顔をしている。ほんの数㌔離れているだけなのに片方は大雨、もう一方はカラカラ。これは昨日の話。今日は病院へ行く日。医師の話が聞き取りにくいので補聴器を持って行った。看護士さんが「〇〇番の方」と呼んでも誰も出てこない。そこで「失礼ですが、お名前で呼ばせてもらいます。〇〇さん」と読んだらすぐ出てきた。どうやら自分の番号が分からないらしい。看護士と患者の会話が内容が聞き取れた。今日はどうやら耳が良くなったらしい。午後から施設で教養教室があった。補聴器を忘れていったのに話の内容がききとれた。今日も大雨の予報だった。家内がうるさいので傘を持っ...集中豪雨

  • おさらい会 「八島」

    昨日の謡曲教室はおさらい会でした。私は「八島」のツレをやることになりました。謡本に記されているとおり私は一番右側の椅子に座りました。私は右の耳が聞こえないので出演者が左にいると助かります。ツレとはシテ(漁師)の従者でシテと同吟で声を合わせて謡うところが多いのです。八島では6ヶ所もありました。シテの謡に合わせて謡う、結構大変です。でもそのシテが隣にいて声も大きかったので助かりました。いつもより大きな声を出して歌えました。謡は声が小さいと謡にならないのです。やっと謡曲らしい声が出ました。旅の僧が八島の浦にやってきました。あたりが暗くなってきたので近くの民家で一夜の宿を頼みました。が、その宿とは青空天上で草の寝床。とんでもない宿です。能ではそんな場面が多い。まともな家には泊めさせてくれません。夜になると決まって...おさらい会「八島」

  • 勧進帳

    謡曲教室で「安宅」をやるというので、この前習った時貰った「勧進帳」のプリントを探したがどうにも見当たらない。今回の教室で先生にお願いして見たところ、持ち合わせのプリント貰うことができた。謡本「安宅」の一部で(勧進帳)といって特別に取り上げて謡う部分。小書きで何か特別なセリフがあると思ったら、同じ謡本の一部を抜き出しただけのもので、謡い方を記した節を赤ペンで補填してあるだけだった。先生は違うものをくれたのかと、良く調べて見たがこの前貰ったものと同じだった。無理してお願いするまでもなかった。耳が悪いと聞いてても内容が良くわからず、つい、特別のものと思ってしまう。ただの思い込みだった。15世紀初期に作られた義経記の各地での事件を一つにまとめ、15世紀後期に観世小次郎により能「安宅」が作られる。これが三世並木五瓶...勧進帳

  • 難波(謡曲教室)

    三熊野を信仰するある一人の臣下が、年籠りを終えて摂津の難波の里まで帰ってきました。見るとそこに老人と若者が、しきりに梅の木陰を掃き清めているのに出会います。その様子がいかにもすがすがしかったのでその梅は名木かと尋ねます。すると老人は、難波の里に於いてこの花を名木かと尋ねるのはいかにも心ないことであると、名高い難波の梅について、仁徳天皇と縁の深いことなどを教えます。老人はさらに、仁徳帝の仁成について詳しく物語・・・・・・。仁徳天皇は最初に難波に都を移した天皇。高台に上り、まわりを見渡したところ、竈の煙がどこにも上がっていないのに気付き庶民の貧しい暮らしを知り、3年間税を免除することにしました。老人とは百濟国から日本にやって来た王仁という占い師の化身。その王仁が仁徳天皇の徳を称えるという話。日本最大の古墳は仁...難波(謡曲教室)

  • イノシシだ‼

    今日はいつもの折り返し点まで上った。体に元気が出たのかようやくここまで登ってこられるようになったが、今年は猪による被害が多い、いたるところで地面が掘られている。それも半端でない。道路工事でも始まったのかと思うほど大掛かりなものだ。なにかが山の上でガサガサやっていると見上げたら、見事なイノシシがかかっていた。こっちを見ているようです。本物の猪を見るのは初めて、誰か回収に来るまでこのままなのか。バタバタ暴れていた猪も山から下りて来る頃にはすっかりおとなしくなっていた。どうやら今しがた罠にかかったみたい。うちの飼い犬を見ているようでかわいい。崖崩れで大きな木が山の斜面からそのままの姿で滑り落ちてきたようだ。まるで道路上に生えているようだ。ここはいしなの山でちょっとした雨でもすぐ崩れるのだ。イノシシだ‼

  • メモを取るということ

    昨日泌尿器科に行ってきた。いつものように排尿記録表を印刷して看護婦に渡した。「凄いですね。コンピュータ関連の仕事をしていらっしたのですか」。「いえいえ、自分で考えだけです」看護婦には凄いことに映ったのでしょう。なかなかここまでしてくる患者さんはいないだろう。いくら、表の作り方が立派でも、それを先生が理解してくれなければ何の意味もない。そう思った私はその印刷物の余白に表の読み方や日頃感じて思っていることを下手な字で書き綴った。こんな下手くそな字を果たしてどこまで先生が理解して読んでくれるだろうか。あまり期待していなかったが。診察の順番が来て先生の前に座ったところ・・・。いつもの先生ではなかった。「もう一度、頻尿の薬を飲んでみますか」。「新しい薬がでましたか」「いえ、でもあなたが望むのなら、お薬を出しましょう...メモを取るということ

  • 八島 (謡曲教室)

    一ノ谷の戦いで敗れた平家軍は海を渡り四国の讃岐の国、屋島に陣を敷いた。義経は嵐の中をわずか5艘150騎ばかりで四国阿波の国に渡り平家軍を背後から衝いた。海からやってくると思っていた平家軍は突然陸からやって来た義経軍に狼狽した。観世流では屋島となっているが宝生流では八島となる。八の字は末広がりで縁起を担いだようです。八幡神社も縁起が良いと武将たちは戦勝祈願に良く利用したそうです。謡は難しくてついていくのが大変。うっかりしているとどこを謡っているのか分からなくなります。耳の悪い私は大きな声を出すと、自分の声が耳に響いて周りの人の声がよく聞き取れなくなります。そこでどうしても声が小さくなってしまいます。声が小さいと口の中に十分な空気が行きわたらず、発音がはっきりせず弱弱しく聞こえます。大きな声を出すと口の中の隅...八島(謡曲教室)

  • おさらい会で老松のワキを謡いました

    おさらい会で「老松」のワキを謡いました。ワキというのは最初の間だけで後の方にはあまり出番がないのだか。途中で突然出て来て戸惑いました。まさかの、のところで出番があったのだ。練習してないどうしよう・・・。でもなんとかこなした。老松とは、都の北の天神に侵攻の厚い梅津の何某が或る日に筑紫の安楽寺に詣でよとの霊夢を見た。それで、彼は霊夢に従って筑紫に行った。そこで、で出会った老翁に案内されて飛梅とゆう銘木の所に案内された。やがてあたりが暗くなり、名木の下で寝ていると、梅の霊が表れて舞を披露するという話。その都から遥々九州の筑紫まで旅をした。その梅津の何某というのがワキの役。能では物語の進行役のようなものだ。比較的楽な約割りだが大事な役でもある。謡曲とは腹の底から声を出して謡う物だが中々でない。声が小さいとどんなに...おさらい会で老松のワキを謡いました

  • 武士には念仏は不要

    これはと思う新聞記事をパソコンに書き写しています。今回は2011年に連載された五木寛之作の「親鸞」から拾ってきました。平時は武芸の鍛錬に汗を流し、いったん事あれば弓矢をとって合戦にはせ参じる。戦いの場では身命を賭して相手を倒し、敵を殺す。それがしもこれまで何人、何十人の敵を斬ってきた。殺されたくなければ、相手を殺す。武運つたなく敵に殺されようとも、それこそ武門の誇りというものだ。我ら坂東武者は、親が倒れれば親の屍(しかばね)をふみこえ、子が殺されれば子の屍をこえて敵を倒す。一人殺すごとに、武名があがり、家は栄える。そのことをやましく思うたり、殺生の罪を犯したなどと気に悩んだことは一度もない。心はつねに朝日のような光に満ち、花と散ることを喜びとする。そこには一点の闇(やみ)もないのだ。このようなわれら武士に...武士には念仏は不要

  • 死んだらどこへ行く

    新聞の連載をパソコンに写しているが、面白いことを書いてあったのでちょっと書いてみる。「それは、後生、ということだった」「ゴショウって、なんだっぺな」前列に坐った女がきいた。親鸞は答えた。「後生とは、死んだ後のことをいう。そなたは自分が死んだあと、どこへいくと思うていなさる?」「どこさもいがね。死んだ者は谷さかっぽられ、鳥やけものの餌だっぺよ。そんで腐って骨だけのごっぺ」「そじゃ、ねえ」と、うしろのほうからこがらな老人が声をあげた。「人は死んだらあの世さいくべ。あの世で、先にいっちまった爺(じっじ)婆(ばっば)や、親や、兄弟、友達などと会って,ながよく暮らすべ」宇都宮家の武士の一人が、ひとりごとのようにいう。「偉い坊さまから前に聞いたところでは、われらは死んだあと、極楽か地獄のどちらかへいく、ということであ...死んだらどこへ行く

  • 乱輩(らっぱ)

    10年前の地方紙に連載されていた歴史小説、堺屋太一作「三人の二代目」をパソコンに写しているが、読んでいるだけではなかなか理解できない歴史小説は書き写しているとよく頭に入る。書写とは凄いなと思っている。宇喜多秀家の従兄弟の詮家(あきいえ)は、生来の狂騒人(きょうそうじん)。戸川達安(みちやす)は筆頭家老を降ろされた大物。共に分権主義者で日蓮宗徒だ。朝鮮出兵や政治工作に費用をかけ、収入増の為に領国検地を進める秀家のやり方は気に喰わない。実力大老徳川家康にとって、彼らの不満に火をつけるのは簡単だ。旅の僧や商人になりすました乱(らっ)輩(ぱ)を送り込み、「宇喜多様の大阪詰めの御家老中村治郎兵衛様はなかなかのお方、キリシタン寺に多額の金銭を御寄付になり、諸大名家の御女中らを次々と改宗されておられる。秀家様やお豪様も...乱輩(らっぱ)

  • 領地替え

    地方紙に載っている小説をパソコンで書写している。堺屋太一作「三人の二代目」を写している。2010年から1年間連載された3人の二代目(毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景虎)について書かれたもで、参考になりそうな記事だけ切り抜いて貯めてあった。唯3人の武将の生涯をつづったものだと思っていたが、それは豊臣政権を鋭く追求する物だった。7月13日、小田原城に入った秀吉は、この戦いでの論功(ろんこう)行賞(こうしょう)を行った。それには、「北条家の旧領関東七カ国を、東海甲信の5カ国に替えて織田信雄に与える」の二項があった。秀吉側近に情報網を築いていた家康は、事前にこのことを知っていて承諾したが、そうではなかった信雄は大いに驚き、「尾張、伊勢は父信長以来の領地故、動き難い」と抵抗した。秀吉は激怒、信雄を追放し、家康旧領は、秀...領地替え

  • びんそぎ

    安部龍太郎の「銀嶺のかなた」をパソコンに写しています。「そうであろう。何しろ上様の姫君だからな」しかもまだ8歳なので、子どもを預かったようで気骨が折れるだろう。利家はそう案じていた。「今日は永姫様がお食い始めをなされた日だそうでございます。それに合わせて婚礼をするように、上様がお申し付けなされました」「もう会ったのか、姫さまに」「三日前に局を訪ね、親しく話をさせていただきました」「どんな方だ」「実に利発で愛らしいお方でございます。会って話をなされたなら、父上もきっと驚かれるでしょう」「さようか。織田家は美形の血筋ゆえ、さぞお美しい事であろう」「お前さま、まだびんそぎもすませていない童(わらべ)でございますよ」美しいという言葉は大げさだと、まつが口をはさんだ。びんそぎとは女子の元服式で、14,5歳に行うのが...びんそぎ

  • 新聞の小説

    新聞に載っている小説を切り抜いてスクラップをしていたがなんだかごじゃごじゃして邪魔になってきたので、今度はパソコンに転写することにした。安部龍太郎の「銀嶺のかなた―利家と利長」を写しています。今日の記事は、信長の娘永姫と前田利家の息子利勝(利長)が結婚することになりました。今回はその披露宴の席でのことです。この日、利家は朝から落ち着かなかった。これで前田家は織田家の一門衆に準じた地位を与えられる。それは信じられないような幸運、身にあまる厚遇で、嬉しさのあまり地に足が付かない感じがする。まるで雲の上を歩いているような心地だが、それと同時に立場が変わることへの言いようのない恐れがあった。一門衆になったなら、これまで以上に苛烈な働きが求められる。織田家の対面を汚すことは絶対に許されないので、不様なことを仕出かし...新聞の小説

  • まさかー

    お寺の駐車場で絵にかいたような花があった。そしてその花の上にそれ又素晴らしい絵にかいたような蝶が止まっていました。スマホを近づけても逃げようとしません。この前、タケノコ山へ行った時無理をしたのか急に胸が痛くなりました。10日程経っても治らないので病院へ行ってみてもらいました。「一寸治りが遅いので一度骨密度の検査をして見ましょう」。ということで、見たことのない珍しい機械の上に乗って調べてもらいました。0.641g同年齢の81%結果が出ました。若年成人比較で61%と出た。立派な骨粗鬆症です。「骨はよく分からないけど折れているのかもしれないね」。と先生は言う。昨年正月に交通事故に遭って1年以上たっているのにまだ治らないのはこのせいかもしれない。骨を造る細胞と骨を壊す細胞のバランスが取れてないのです。魚、牛乳、納...まさかー

  • まだ、無理だったようだ。

    高尾城址公園の桜は毎年石川教育センターの駐車場の桜は奇麗なのだが山の上の方は今一だった。ところが今年は上も下も見事な桜だった。温暖化のせいだろうか。3月30日には見事な桜だった。が、その3日後に訪れた時は、アレッ、ここに確かに桜の木があった筈なのに・・・。花はどこにもなかった。木のそばによって確かめた、確かに桜の木だった。たった3日で見事な葉桜と化していたのだった。こんなに見事に変身するのか、あの花はどこに行った。下を見ても散ったと思われる花弁はどこにもなかった。狐につままれたようだった。昨日は謡曲教室のおさらい会で「張良」のワキを謡うことになっていた。ところが、その前日、山へ筍掘りに出掛けてどこかで無理をしたのか当日は体が痛くて動けなかった。申し訳なかったけど、教室は休ませてもらった。ベットに横たわって...まだ、無理だったようだ。

  • 新しいプリンターを買ったが・・・

    プリンターが壊れてきたので、新しいプリンターを買ってきたが、パソコンの中に取り込む方法が分からず苦労する。セットアップCDーROMというのが付いてきたが。中身の理解が出来ず大変だった。今までのCDのガイド版は図解があって分かりやすかったが、今度のはそんなものが全然なく意味の分からない専門用語が並んでいて年寄はついていけない。パソコンでプリントができるようにするのに丸一日を要した。たかがプリンターの設定でもうくたくた。何も手に付かない。もっと年寄に優しい電子機器ができないものか。携帯電話もかかって来た電話にどこを押したら会話ができるのか分からず、あっちこっち触っているとそのうち電話が切れてしまうことが多くなった。年は取りたくないものだ。新しいプリンターを買ったが・・・

  • おさらい会に「張良」のワキがあたった。

    かたぐるしい能の息抜きに、上演中に狂言師が舞台に出てきて物語の内容を説明する。謡本の巻頭でその内容を紹介している。3月26日の記事でも紹介したが、張良は古代中国の優秀な軍師だった。観音菩薩は大蛇となって張良の力を試した。張良は大蛇から沓を取り戻し黄石公の足に履かせた。黄石公は約束の兵法の秘伝を張良に伝え高山に消えた。その勇敢なる張良の役が回ってきた。気の小さな私にそんな役が務まるのだろうか。帰って練習したが思いの外出番が多く苦労する。謡には強吟と弱吟とがあり、弱吟は普通の歌のように比較的謡いやすいのだが、強吟はそうはいかない、性格が伴わないとなかなか声が出ない。特に闘いの部分は殆ど強吟だ。その部分を謡わなければいけない。うまく行くがどうか。謡曲教室は老人ばかりで頭の働きが衰えた人たちばかりで、謡の上手下手...おさらい会に「張良」のワキがあたった。

  • 写謡 嵐山

    嵐山(謡曲)嵐山は亀山上皇(1249~1305)が吉野の山は都から遠く行幸が大変なので吉野の桜の種を採り、それを都の嵐山に植えたのが始まり。高い山には神が住んでおり、そこに桜を植えて神木とした。物語はそこを守る翁(木守神)から始まる。嵐山は以前(2021)ブログで謡本をそのまま活字にしてみたが、旧仮名遣いを現代用語に変えてみた。嵐山前シテ(尉)。後シテ(蔵王権現)。ツレ(姥)。ツレ(子守神)。ワキ(勅使)。ワキヅレ(従者二人)。ワキ「吉野の花の種とりし。吉野の花の種とりし嵐の山に急がん」ワキ詞「抑(そもそも)是は當(と)今(ぎん)に仕へ奉る臣下なり。偖も和州(わしゅう)三吉野の千本(ちもと)の桜は。聞し召し及ばれたる名花なれども。遠万(えんまん)十里の外なれば。花見の御幸(みゆき)なる事かない給わず。さる...写謡嵐山

  • 見晴台の桜

    今日は日曜日。桜はもう散り始めてる。高尾城址公園は花見客で賑わっています。ブルーシートを広げて宴会でしょうか。天気も良く日本海も見えます。普段は入れない石川教育センターの駐車場にも花見客の車が一杯です。麓の神社の本殿横には見事な枝垂れ桜が咲いています。神社の風防のガラス映った枝垂れがとても印象的だった。余りにも綺麗だったので今日は杖を突きながら天辺まで無理して登ってきました。すれ違うのに苦労するほど多くの花見客が押し寄せていました。普段は老いぼれしかいない見晴台にはどこから湧いてきたのか若い人でいっぱいでした。風が強くて吹き飛ばされそうだったけど、何とか無事に帰ってきました。見晴台の桜

  • 高尾城址桜満開

    金沢市の桜が満開と発表。兼六園も金沢城も人でいっぱいです。高尾城址の麓の神社です。本殿ヨコの枝垂れ桜。神社裏から登ったところに見事な彼岸花があります。石川県教育センターの駐車場も一杯です。平日なのに花見客が大勢来ています。教育センターの裏にも桜が一杯です。下の通りから見ると山の上に多くの花見客がいるとはとても思えません。高尾城址桜満開

  • 久し振りの山登り

    身体が少し良くなったみたいなので久し振りにラジオ体操に参加した。彼岸も過ぎると大分日も長くなり明るくなって写真も撮れるようになった。桜も大分咲いてきて綺麗になった。ここから登っていく。この山のてっぺんまで登る。ラジオ体操が終わるとみんなで山登り、でも、ここはちょっと控えめにしておこう。ここはその昔、河原だったようで雪が降ると上から石がゴロゴロ落ちてきて道をふさぎます。大昔はここは手取川の河原だったようです。桜のトンネル。見事です。左側の建物は体育館でいつもこの前で体操をしています。久し振りの山登り

  • 謡曲 張良

    謡曲「張良」を習っている。張良とはどんな曲か。謡曲とは日本の平安時代や鎌倉時代の話だが、中には中国の話もあるようだ。間狂言とは能の上演の途中で出てきて物語の内容を説明する所。能というのは動きが少なく観客には分かりづらいので途中で狂言師が出てきて物語の内容を説明する。張良とは紀元前中国は秦の時代から前漢の時代に生きた劉邦の軍師として大活躍した人らしい。夢の中に黄石公という伝説上の人物が現れて沓を落として履かせよという。なんとも生意気な老人だと頭に来そうだったが、この老人はただ物ではないと思って言うとおりにした。5日後にここに来れば兵法の秘伝を授けようと言ったので5日後に指定された場所に行こうとしたがそこは意外と遠く約束の時間に間に合わなかった。怒った老人はさらに5日後に来いという。今度はまだ暗いうちに出掛け...謡曲張良

  • おさらい会【小袖曽我・草紙洗】

    小袖曽我蘇我十郎五郎の兄弟は、父の敵(工藤祐経)を討つ許しを乞うために母の元を訪れた。が、母は十郎には会うが五郎には会ってくれません。兄十郎は必死に母を説き伏せやっと会うことが出来たが。五郎を連れて行くことを許してくれません。諦めて帰ろうとしたろころ後ろから母に呼び止められやっと許可が下りました。今日はその五郎の役だった。草紙洗内裏の席で小野小町と大伴黒主が対戦することになった。小町が歌が上手なのでとても太刀打ちできない。こっそり小町の歌を立ち聞きし、それを万葉集に書き込み、それを小町が古歌を詠んだと嘘をつき、小町を貶めた。小町は必死言い訳するが通らない。小町が泣き泣き帰ろうとすると紀貫之が呼びとめ、王の許可を得て、小町にそれを洗ってみよという。見事歌は消え失せた。紀貫之は黒主に責任を取らせようとするが、...おさらい会【小袖曽我・草紙洗】

  • 熊坂(謡曲教室)

    謡本の巻頭に間狂言と言うものが出ている。能を演じている途中で狂言方が出てきて熊坂長範とは何者かを説明している。熊坂長範とはとんでもない悪党だった。旅の僧は美濃の国赤坂で一人の僧に呼び止められ今日はある人の命日だから弔ってくれと頼まれる。その僧がこの赤坂とはどんなところか説明する。この地に都から豪商が都の宝物を積んで通るという。とんでもない悪党、熊坂の長範は仲間を集め荷駄を襲ったが、そこにめっぽう強い17,8の若者がいた。それが牛若と知らず襲ったが・・・。70人ばかりの手下共々にがコテンパンにやられた。僧が弔ってくれとはこの長範のことだった。長範は加賀の人となっている。加賀市に熊坂という地名があるがそれが長範と関係があるのかどうかは定かではない。張良も習った。張良とは中国の話。能は日本の話ばかりではなく、中...熊坂(謡曲教室)

  • 草紙洗 (謡曲教室)

    明日、清涼殿の歌合わせで小町は大伴黒主と対戦することになった。小町は歌が上手なのでとてもかなわぬと思った黒主はひそかに小町の住家に潜り込んで盗み聞きした。当日、小町が詠んだ歌を古歌だという。信じてもらえない小町は泣き泣きその場を去ろうとした。その時、紀貫之が待ったをかけた。貫之は王の許可を得て小町にその草紙(書物)を洗ってみろと言う。文字は見事に消え失せた。黒主は自害をしようとするが、小町は間違いは誰にもあるものと黒主を許し、舞を披露した。書いたすぐの文字は簡単に消えるのである。大伴黒主とはそんな悪者だったのか、辞書で調べて見たら生没不明という。つまり生きていた時代がハッキリしないのである。小野小町と同じ時代の人かどうかは分からない。あくまでこれはお話なのである。能楽師の子どもが初舞台を踏むとき最初に演じ...草紙洗(謡曲教室)

  • 久しぶりの尾山神社

    和漢洋折衷の神門(神社境内から撮ってもの)日本と中国と西洋の建築様式を上手く組み合わせた御門です。てっぺんの避雷針は日本最古のものだそだそう。三階の窓にはギヤマンと言われる色ガラスが組み込まれています。ここに灯をともすと日本海を通る船の安全を見守る灯台の役割を果たします。今は高い建物が建っているので海が見えないが昔は見えたのでしょう。1階部分の石積みは戸室石といって金沢城の石垣の材料として使われた石と同じです。この神門は建築時に神社の門にはふさわしくないと反対する者が多くいました。ところが、それが市民の間でたいそうな人気で、一時は取り壊し案が出たが中止になりました。神門の中には大きな〇があります。直径が3.1mあるそうです。その昔、兼六園?にとてつもない大きな灯篭がありました。ある日そのおお大きな傘が倒れ...久しぶりの尾山神社

  • 久しぶりの金沢散策(兼六園・金沢城)

    玉泉院丸庭園玉泉院(利長の妻)が晩年を過ごした所。玉泉院の死後3代藩主利常が庭園として整備した。この奥に利家と松を祀ってある尾山神社がある。30間長屋現在屋根の修理中。石川門石原良純氏が昔修学旅行で訪れた時は前をバスで通っただけだったと言っていた。当時は石川門から奥には入れてもらえませんでした。金沢城の中は金沢大学でした。カマクラ?中にいるのが何?。緑蕚枝垂れ(兼六園の梅園)あっ!梅が咲いている。可愛い女の子が叫びました。撮ったつもりなのだが・・・。まだコロナ禍がおさまっていないのにものすごい観光客です。写真をたくさん撮ったつもりが写っているのが自分の手ばかりだった。だって、スマホのディスプレイが光って何が写っているのかさっぱりわからない。みんなどうやって撮影しているのかな。久しぶりで歩いた性か帰ったら脚...久しぶりの金沢散策(兼六園・金沢城)

  • おさらい会 船弁慶・竹生島

    今日のおさらい会は船弁慶のワキズレと竹生島のシテをやった。いつも謡曲教室に録音機を持ち込み録音して家に帰って再生。うまく謡えているか確かめるのだが、教室では一番うまく謡えたと思っていたが、録音を聞いてみると何故か一番下手くそに聞こえる。船弁慶ではワキヅレを謡った。義経は波風が荒いからとて逗留せよと言わせる。弁慶はこの場に及んで御逗留とは何たること、この前の平家誅滅の時も海が荒れていたではないかと納得がいかない。さては静に名残を惜しむためかと言われては義経も面白くない。しかたなしに船出したのだが・・・・。船弁慶ではワキズレ(一番軽い役)やったが、竹生島では一番重い役(シテ)をする。前半は漁師、後半では龍神の役。これは大変な役。いい加減には謡えない。教室ではうまく行ったつもりだったが、帰って録音を再生してみる...おさらい会船弁慶・竹生島

  • みんな言っているよ

    家内も時々口にする言葉「みんな言っているよ」「みんなってだれだれ」。と聞くと一人、二人の名前がでる。その外に誰が言ってるのかと聞くと「・・・・・・・」。「それってみんなじゃないじゃない」。今日の新聞にも出ていた。みんなって、魔法の言葉ですね。今日はいい天気、久しぶりに犬の散歩。痛みもだいぶ引いてきたと思ったが、まだ、ダメ見たい。腰がガクンガクンと気になる音を立てる。ドシンドシンという感じで、鉄人28号が歩いているみたい。大分腰が軽くなったような感じだったが、まだ、20㌔位の荷物を腰にぶら下げて歩いている感じ。もう杖とはおさらばしようと思っていたのに。警察に出した医師の診断書には2ヵ月の怪我だったが事故から1年過ぎているのにまだこんな感じ。早く金沢の街に出たいが・・・。みんな言っているよ

  • 弁財天は女の神様です。(竹生島)

    後醍醐天皇に仕える臣下が弁天島詣でようと、琵琶湖にやってきます。湖畔で出会った老いた漁師と若い女の釣り船に便乗し、竹生島にいきます。竹生島に着くと女人禁制のはずなのに女がいます。不思議に思った臣下は漁師に尋ねると、弁財天は女の神様で女でも参拝できると言います。若い女は巫女で老いた漁師は湖の龍神だった。今度のおさらい会にはシテ(龍神)の役をします。骨が腐っている先日整形外科に行ってMRIを撮ったら黒い影が映っていた。「本来ならこの骨は白く写るはずなのに黒くなっている。腐敗が始まっているのかもしれない。」と言われショックを受けた。「がんかもしれないから、一応血液検査をして見ましょう」。どうやらがんではなさそうです。ネットで調べたら、事故から1年過ぎた頃から腐食が始まるようだ。傷んだ骨が腐り始めているようです。...弁財天は女の神様です。(竹生島)

  • 大雪?

    大雪だ大雪だとやたらと騒ぐが、ほとんどはずれ!昨日朝、20センチぐらい積もっただけ。だけど、寒さだけは厳しかったらしい。金沢地方で―5.1°東北や北海道から見ればかわいいものだが、相当厳しかったようだ。能登地方ではかなりの地域に断水が発生水の出ない日が何日も続いている。金沢でも水が出ないという所があったとのこと。家内の友人の家でも水が出ないという家が続出した。水道管が破裂したという人もいた。家内は水道管が凍り付きそうな日は蛇口を少し開けて水をチョロチョロ出しておく。水道代がもったいないが仕方ない。ふと九州旅行のことを思い出した。九州はあったかいから雪は降らないだろうと思っていたら、3月というのにしっかりと雪が降っていたので驚いた。九州でも雪が降るんだ!深夜に大地震阿蘇山のすぐ近くの久住高原コテージという山...大雪?

  • 小袖曽我

    今日は謡曲教室で小袖曽我の稽古の予定だった。大雪との予報が出ていたので本日の教室はお休み。小袖曽我は2年前に記事にしたが、もう一度書いてみた。ツレが二人出てきて実にややこしい。中身を理解するのに苦労する。鎌倉殿が富士の裾野で大規模な狩りをするという。父の敵の工藤祐経も参加するに違いない。父の敵を取る絶好のチャンスと見た曽我兄弟は母のもとに分かれの挨拶に行った。ところが母は兄(十郎祐成)には喜んで会ってくれたが、弟の(五郎時致)には会わぬという。時経は物陰から母の姿を一目見ようとしたが、カーテン(御簾几帳)が下ろされていて姿を見ることが叶わず。兄の十郎祐成が気を利かせて、一緒に会いに行くことになったが母はご機嫌斜め。兄が母に向かって「周りの者が当然曾我の兄弟は父の敵をとると思っているのに、敵をとらぬと臆病者...小袖曽我

  • 今年初のOB歴史会

    今年初の高砂大学OB歴史会に参加しました。今回は加賀藩主前田家墓所というテーマでした。前田家墓所は初代藩主前田利家の要望で金沢城の南の丘陵地野田山に造られました。高台で金沢城から見えるそうです。近くなのでよく行きました。2代藩主利長の墓三段に土が盛られているのが特徴だとのこと。前の柱は利長の墓である事を示している墓標でその後ろにあるのが本当の墓。でも利長が埋葬されている墓は富山の高岡市にあり、この墓は形式だけで遺骨は入っていません。3代藩主の奥方玉姫様の墓2代将軍徳川秀忠の娘だけあって敷地が広く見事なお墓です。豪姫の墓利家の娘豪姫は宇喜田秀家に嫁ぎましたが、秀家が関ヶ原の戦いで敗れた為、八丈島に流され奥方の豪姫は加賀前田家に引き取られ金沢の地でなくなりました。利家の娘ですが嫁いだため前田家の人間ではありま...今年初のOB歴史会

  • 今年初の稽古です。

    正月も過ぎてもう新年の挨拶はいいだろうと、軽い気持ちで教室へ行ったら、「おめでとうございます」。とやられて、一瞬戸惑いました。まだ正月が明けていないようです。船弁慶と竹生島を稽古しました。〇船弁慶義経が頼朝と仲違いして船に乗って西国へ逃れようとしたが、嵐に遭い失敗。それで、義経は北陸路を通って北に逃れることにしました。弁慶は比叡山で勉強をろくにせず暴れてばかりいました。その為教養がなかったのでしょう。政治に疎い義経が豪傑の弁慶に頼ったのが間違いでした。〇生島竹都で醍醐天皇に仕える臣下が琵琶湖の竹生島に詣でようとお暇をいただき、琵琶湖にやってきました。ちょうどそこで釣り船と出会い乗せて行ってもらうことにしました。ところがこの釣り船の主は本当は神の化身だったのです。神様をワキにすることは出来ません。大した役割...今年初の稽古です。

  • 初詣(白山比咩神社)

    新年早々歯医者に行った。赤い実が生けてあった。今日は入れ歯の型を取る日。その前にガリガリと何かをやっていた。「何してんの?」と、聞こうにも口の中を治療中なので口がきけない。治療が終わってから聞こうと思ったがそのうちどうでもよくなって聞かなかった。口の中でポロッと何かが外れたように感じた。どうやら、埋め込んであった金具が外れたらしい。ブリッジをかけてあったので邪魔になって取り外したのだろう。「型を取ったので今度入れ歯が入ります、いつがよろしいですか」。ここ何十年も虫歯になっていないが、昔は歯の管理が悪くいい加減なことをしていたので、その付けが、今回ってきた。初詣に行ってきた。手水所から柄杓が消えていた。マスクをつけているので、口を濯ぐのはお預け。誰も口を濯いでいる人はいなかった、手水所は手に水をかけるだけ。...初詣(白山比咩神社)

  • コンビニで買った本で学んだ。

    先日、コンビニで「地政学の本」という本を見つけて990円で買ってきた。最初、コンビニで売られてる本だから大したことないと思って見出しだけ見てつらつら読み、やはり大したことないと思っていた。でも違っていた。最初から読んでみてはじめてよく纏まった本だと感心しました。世界の動きが実にうまく纏められている。本は最初から読まなければ本当の意味での価値が分からない。ということがよくわかった。本は頭から読むようにできているのだ。年をとると記憶力が亡くなって、昨日得た知識も今日もう無くなっている。ネットを見ていると世界のニュースが手に取るように分かるが、すぐ頭から消えてしまい中々身に付かない。最近は世界地図が離せない。ネットに出てくる地名がどこにあるかさっぱり思い出せない。ニュースを頭に叩き込もうと思っても、その場所が分...コンビニで買った本で学んだ。

  • 京に返される静御前 (船弁慶)

    判官源義経は頼朝の代官として平家を打ち亡ぼして偉功があったが、讒言する者があって兄頼朝との間に不和を生じ、一先づ都を落ちして西国へ赴かんと、弁慶以下近臣十余人を従え、悄々として摂津大物浦まで下ったのである。義経は弁慶に静が京に帰るよう説得するように命じた。静は弁慶を信じられず義経に会わせてくれという。静はこれが義経の本心だと分かり、泣く泣く都に帰るのである。弁慶とは京の五条の橋の上で弁慶は牛若に負けて家来になった。と、なっているが本当だろうか。ひらりひらりと身をかわす牛若を見た弁慶は、こいつは使えるぞと。源義朝の子どもだと知った弁慶はこいつは利用するにかぎる、とわざと家来になったのではないか。比叡山の暴れん坊僧弁慶は嫌われ者だった。大男で力のある坊主は暴れたくて仕方ありません。そこで出会ったのは、牛若だっ...京に返される静御前(船弁慶)

  • 謡曲 船弁慶

    大物(だいもつ)浦(のうら)での源義経と静御前の別れと、海上に現れた平知盛の怨霊を弁慶が祈り伏せることを描く。(電子辞書より)もう何十年も前の話になるが、正月だったかと思うが能楽堂に橋弁慶を見に行った。後半で弁慶と平の知盛の怨霊と対決の場面がある。能といったら静かに舞うものと思っていたが、違っていた。迫力満点の決闘シーン。怨霊に義経が殺されるのかとドキドキハラハラ、目が点になる。いつもお世話になっている謡の先生がそばに来て、「すごいでしょ!こんな能もあるのだよ」。と耳打ちした。弁慶が平の知盛を祈り伏せる場面子役の義経が平の知盛と剣を交えた戦います。弁慶はその間数珠を揉んで読経しています。次の週にここを習います。一番いい場面です。謡曲船弁慶

  • 謡曲 葵上

    光源氏の北の方である葵上が病臥の身になった。高貴の僧を招き色々な祈祷や医療を試みるも効果がない。何かの霊が憑いているに違いないと、その名の高い祈祷師(巫女)に占ってもらったところ、六条御息所の生霊が憑いていることが分かった。その霊を追い払おうと横川の小聖(修験者)を呼んだ。修験者は必死で数珠をもむ。勢いよく謡う場面だが、修験者が經を唱えているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。やたらと難しい文句が並ぶ。仏さんの名前らしい。經文は出ていない。月参りのお寺さんにこの謡本を見せて聞いてみた。「これは何宗ですか」。お坊さんはこれを読んで、「これは何宗ということなく、仏教全般に言えることです」。「修験者は数珠をもむ場面があるけど、数珠を揉むのは何宗ですか」。「これは、自力仏教で、真宗以外はみんな自力仏教です。...謡曲葵上

  • 突然の事故

    今年最後の高砂大学OB歴史会に参加した。事故のため長いこと参加出来なかった教室に初めて参加。寒い日だった。が、中は暖房が効いて暑いくらい。今日は市内にある著名な神社の宮司の話だった。講座が始まって15分ほどして突然目の前で老婦人がぶったおれた。どうやら起き上がれなくなったらしい。役員の方が数名駆けつけて様子を見ている。その時すぐ近くにいた私はただ見ているだけだった。何かできなかったのだろうか。ただおろおろとしてみているだけの自分が情けなかった。やがて救急車で運ばれたがその間、十数分間授業が中断。公演時間が半分になった。でも、ベテラン講師はうまくまとめて授業を進める。突然の事故で授業時間がカットされてもあわてないで、残された時間でうまくまとめるのには感心する。その日の外は非常に寒く、それに比べ室内は暑過ぎる...突然の事故

  • バンガロー風のメガネ屋さん

    お店を新しくして1周年、メガネを1万円引きにします。というので、ちょうど壊れたメガネがあったので訪れた。バンガロー風の建物でお店って感じじゃなかったので一瞬入るのを躊躇ったが、お客さんらしき人がはいって行ったのでつられるようにして中に入った。雰囲気が山小屋調でお店という雰囲気がない。でも、メガネが沢山陳列あったので、やはりメガネ屋なのかな。店員が制服でなく、例の大きな名札も着けていない。カウンターのようなものもない。ちょっと気が引けたので、あれこれ、展示してあるメガネを見て回っていたら、どこからか店員が近づいてきた。「どうされますか」。と聞かれたので、つかさず「こうなっちゃいました」。と蔓の取れたメガネを差し出した。「わかりました」。と持って行っていった。ネジ一本取り付けるだけなのにしたたか時間がかかって...バンガロー風のメガネ屋さん

  • おさらい会 養老

    養老美濃の国本巣の郡に霊泉が湧き出たという知らせがあったので、雄略天皇は勅使を使わせます。勅使がこの霊泉養老の瀧に着くと、老人と若者親子二人の樵に出合います。勅使が養老の滝の謂われを尋ねたところ、老人はその由来を語り始めます。あるとき山に入り、疲れた折にこの水を掬って飲んだところ、心もさわやかになり疲れもとれ、その後この水を両親に飲ませたところ、老いも忘れ元気になった。絶えず湧き老人を養うので養老の瀧と呼ばれていると説明します。感激した勅使が天子に報告するために急いで戻ろうとすると、にわかに天から光が差し音楽が聞こえ、花が降り始めます。やがてこの山を守る山の神が表れ、養老の滝をたたえ養老の舞を舞います。―(NHKfm能楽鑑賞より)謡本にはなぜか途中で中国の話が入ってきます。「春は酒甕の酒に濃い緑の影を宿す...おさらい会養老

  • 謡曲「杜若」を習った

    「杜若」と書いて「かきつばた」という。どう読んでも読めないんだが。例の旅の僧が三河の国に辿り着いたとき、杜若の花が一杯咲いていた。僧があまりに見事なので見とれていると、そこに自分が杜若の精だという女が表れ伊勢物語の話を始めた。平安の昔ここに在原業平(ありわらのなりひら)という高貴で歌のうまい色男がいたという。杜若は2020年8月11日のブログで書いたのでここでは書かない。耳の悪い私は自分の声がどこかで反響するのかものすごく大きな声になって聞こえる。その為、周りの人たちの声がほとんど聞こえないので声を合わすのに苦労する。毎回ボイスレコーダーで録音、家で聞いているが、周りの人と声があっているかどうか確かめているが、とんでもない所を謡っていることがある。仲間に悪いなと思っているが、ここの教室は素人ばかりで下手く...謡曲「杜若」を習った

  • 謡曲「杜若」を習った

    「杜若」と書いて「かきつばた」と読む。どう読んでも〝かきつばた″とは読めない。この杜若像が金沢に2か所もあると言いう。一つは県立能楽堂、もう一つは石川県庁にあるという。金沢は加賀宝生で有名だがどうして杜若なのか分かりません。杜若は例の旅の僧が尾張の国着いたときそこに素晴らしい杜若の花が咲き誇っていた。僧はそれを眺めていると、一人の女がやってきて私は杜若の精だといって、伊勢物語の話をりだした。伊勢物語は、平安の昔、在原業平という色男がいてそれがモデルになっているらしい。杜若の記事は令和2年8月11日に書いたのでここでは省略する。私は耳が悪いので自分の声が耳のどこかで反響するのか、ものすごく大きく聞こえる。それで、お隣で同じく謡っている生徒さんの声が良く聞こえな。そのためどこを謡っているのかよくわからず、声を...謡曲「杜若」を習った

  • 謡曲教室「経政」

    謡本「経政」は19pあります。謡曲教室は1時間半あります。今回はその本を一気に最後まで習いました。凄い強行スケージュールです。集まっている生徒さんは素人ばかりです。こんな教え方でいいのかな。早すぎてついていけません。赤ペンで沢山書き込みされています。親切なようで迷惑です。他人の付けた印はその意味が分からないので迷惑です。古本屋さんに行くとこんな謡本がたくさんある。書き込みのない本は千円以上します。書き込みがあると500円で買えます。新品だと3000円以上するのでちょっと買えません。新しく謡を習おうとする人は殆どいません。謡曲教室はいつ亡くなってもおかしくない人ばかりです。謡をやっている人たちが亡くなると、遺族の方は山と積まれた謡本を古本屋さんに持ち込みます。本人は売る気がないので好きなように書き込みをして...謡曲教室「経政」

  • 神様は人間に食べ物を与えました

    今日の法話は一休さんの話だった。一休和尚が野良仕事をしているとき、村人が呼びに来ました。一休和尚は野良着のまま出かけました。「和尚さん。いくら何でも野良着ってことないでしょう。ちゃんとお坊さんのかっこうをしてきてもらわないと」。一休和尚は「そうか」。と言ってお寺に帰り、今度はキンピカの豪華な衣装で現れました。お勤めが終わると、和尚さんは、やんわりとその衣装を脱ぎ、丁寧に畳んでそこに置きました。として言いました。「皆さんが呼んだのは私ではなくこの衣裳のようですね」。一休和尚は、ふんどし一貫で帰ったのでしょうか。耳が悪いので正確には分かりませんが、大体このようなお話だったと記憶しています。その後、副住職さんが後ろからお話しされました。「キリスト教では、神様が人間に食べ物を与えました。牛や羊でした。牛や羊は神様...神様は人間に食べ物を与えました

  • 秋です

    秋です。見事に柿がなっています。枝ぶりの良い木です。リンゴ園の柵が撤去された。大勢の作業員が下草刈りをしていた。明日リンゴの収穫するようです。額谷ふれあい公園はすっかり秋です。右側の大きな建物は体育館でこの前で毎朝体操しています。今日は足の具合がよさそうなのでちょっと遠くまで足を伸ばしました。今日の歩数は9949歩です。往復3.5km位歩きました。秋です

  • おさらい会(桜川)

    今日の謡曲教室はおさらい会だった。桜川のワキを謡った。うたい終わったら、後ろでシテを担当した女の人から、「私の謡うところを謡われてしまった」とクレームが来た。「どこどこ?」と尋ねてみたが、耳が悪いので彼女の言っている所がさっぱりわからない。悪いことしたな、と反省もするが、そんなことってあるのかな。コロナ禍のせいで長いことおさらい会をしなかったらしい。桜川とは、母子二人で貧しい家庭で育った桜子は母を助けようと自ずから自分の身体を人買いに売った。人買いはお金と桜子の手紙をもって桜子の母を訪ねた。驚いた母はいなくなった桜子を訪ねて日向国(宮崎県)を旅立った。三年の後桜子は常陸国(茨城県)の磯部寺の住職に弟子入りしていた。住職は花見をしようと桜子を桜川に連れて行った。そこで出会ったのが物狂いをした母親だった・・・...おさらい会(桜川)

  • 今回のお稽古は「養老」でした。

    美濃の国に不思議な泉が湧くという。それを聞きつけた雄略天皇が勅使を送りました。「長生の家にこそ・・・」おめでたい席で謡われる小謡(こうたい)の部分です。美濃の国で樵(ここり)の息子がこの水を掬って飲んだところ、たちまち疲れが癒えたという。そこで両親を連れていって飲ませた所、年老いた父母は忽ち若返ったという。美濃の国本栖の郡(こおり)とは今の岐阜県にあり、観光地になっているらしい。一度行ってみたいと思っていたが、機会がなかった。雄略天皇とは5世紀末の天皇で、名を大長谷(おおはせ)の命といって自分の兄弟やいとこを殺したという乱暴な天皇で朝鮮まで攻め上ったことがあるそうだがうまくいかなかったらしい。新しく入ってくる人はおらず、老人ばかり。体が弱ってこれなくなったり,亡くなったりでだんだん数が減っていく。今回も参...今回のお稽古は「養老」でした。

  • 謡を再開する

    ケガで長いこと休んでいた謡曲教室にいった。コロナ対策でいまだに各テーブルに一人だった。後ろでは先生の声がよく聞き取れないので最前列に出してもらった。今日は「桜川」と「小鍛治」だった。小鍛治日本武尊の草薙剣のシーンが載っている。敵に火をかけられ、ピンチになった尊は草薙の剣で払えば、火は忽ち敵を焼き殺すというシーンだ。小鍛治は、小鍛治宗近が稲荷明神と帝に奏上する御剣を打つ話。桜川は、女の子が貧しい母を助けるため自ずから人買いに身を売るという話。前に出してもらったおかげで先生の声がよく聞こえた。おかげさまで何とかみんなと声を合わせることが出来た。謡は人気がなく若い人が入ってこないのでだんだん寂しくなっていく。廊下にカモシカの写真があった。当施設に習い事をしている人が撮ったと書いてある。施設の敷地内にいたらしい。...謡を再開する

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