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  • 前田家の墓地へ行く

    能登半島地震で前田家の墓地も被害を受けたと報じられたので行ってきた。藩祖利家の墓地もやられた。墓標も傾いている。多くの燈籠が根元から倒れてばらばらになっている。おや、豪姫の五輪の塔が無くなっている。さては、盗まれたか。今年は令和6年なのけど。前田家の墓地は観光地なのだけど。ほとんど手入れがされていない。木製の玉垣も壊れたままになっている。前田家の墓地はほかの大名家の墓地とは違い皇族の墓と同じ形式を取っている。前田家のご先祖様は菅原道真公だからだそうな。他の墓はどこも被害を受けていないのに何で前田家の墓地だけが。それは利家は尾張の人で余所者だから地元の神様がお怒りになっているのかな。前田家の墓地へ行く

  • 四十万八幡神社

    久し振りに四十万八幡神社を訪れた。定しめ縄が下がっていて何を書いてあるのか分からない。捲ってみると一車馬ヲ乗入ル事一魚鳥ヲ捕ル事一竹木ヲ伐ル事右條々於境内令禁者也と書いてある。手水所の前にこんな大きな石がある。立札には馬のヒズメは確認できなかった。神社では忠魂碑をよく見かけるが、この碑の上にはこんなものが乗っている。地球儀の上にハトを乗せて世界の平和を願ったものだろう。誰も戦争をしたくない。でも、独裁政権下ではそうもいかない。ロシアがそうである。プーチンはこんな大きな戦争になるとは思わなかっただろう。戦争は一度始めたら簡単にはやめられないのだ。かつての日本もそうだった。国民は本当のことを知らされずただ、軍のいうことに従わされざるを得なかった。もうそんなことがないようにとこの忠魂碑は願っている。神馬戦勝願い...四十万八幡神社

  • 避難所

    久し振りにラジオ体操に行った。能登の避難民はまだ大勢いるのでこの老人福祉施設はまだ当分の間使えそうにない。ガラス窓には貼り紙が一杯。中が覗けません。まだ大勢いるようで元気で体操していた。簡易トイレがずいぶん減った。避難民が帰ったのか、それとも使う人が少なかったのか。真新しい洗濯機が並んでいた。奥に体育館用の洗濯機が写っている。数日前に熊が出たという。物騒だ。避難所

  • 伊東小室桜

    見晴らし台の昇って来た。下から見ていても花などどこにも見当たらないのに。山に登って行ったら、素晴らしい花が咲いていた。伊東小室桜と言って数年前に植樹された花で、悪さをする人がいて、苗木がいたるところで折られ育つかどうか心配していたが見事に成長して立派な桜になった。早咲きの桜でもう満開の時期が済んだのかもうチラホラ花弁が下に落ちていた。ソメイヨシノはまだツボミもみあたらない。花見客もちらほら見られるようになって、頂上には韓国人らしき若者が5,6人大きな声でしゃべっていた。大きな声でしゃべっていても韓国語が分からないのでない荷をしゃべっているのか分からない。韓国人は周りに人がいようがいまいが関係なく大声でしゃべる国民のようだ。もう少ししたらソメイヨシノの花が咲いて花見客で一杯になる。伊東小室桜

  • 今年初の法話会

    今年初の法話会です。3カ月ぶりの法話会というのに何だかそんな感覚がない。前回の法話会はついこの間だったようなきがする。歳をとったら時間の感覚がマヒしてしまっているようだ。今回は住職の話だった。能登半島地震のあった後なのでその避難民の話から始まる。災害が起きると人の本性が分かるという。親切にしてくれる人、冷たい人。普段は見向きもしない人がとても親切にしてくれたり、良い人だと思っていた人に裏切られたり。他所から来た人が親身になって面倒を見てくれたり。その人がどんな性格の人なのか其時初めて知るってこと。能登は過疎に悩んでいる。災害が起きても助けてくれる人がいないのだ。まして今回は千年に一度という大きな地震。被害が大きすぎて手が回らない。能登には被災者を受け入れる施設が足りないので金沢にも多くに人が避難している。...今年初の法話会

  • 一升桝は叩くもんじゃないよ

    能登半島地震から早2カ月が過ぎた。あっちこっちでひびわれができた。古い写真を見ると、やはり道路面にひび割れが写っている。能登半島地震で出来たもんだとは限らない。古いものは間に泥が詰まっている。新しいものはひび割れの底が見えない。それで区別がつく。ところが最近その新しいひび割れが広がってきているように見える。底が見えるようになってきた。所によっては段差ができている所もある。その昔、伯父が言ってた。「一升桝は叩くもんじゃないよ。叩くといくらでも米が入る。叩かずさっと手で均すだけでけでいいんだ」おそらくお米をはかる時私は一升桝をポンポンと叩いていたのだろう。それを見た伯父が注意してくれたのだろう。道路の中心ではもっと広がっている所もあるが、車通りが多いために撮影はできなかった。震源地から100キロ以上あるという...一升桝は叩くもんじゃないよ

  • 久し振りに萬願寺山に登って来た。

    九万坊さんその昔高岡で修業していた修験者の枕元に菩薩さまが立たれ「お前は加賀の国にある窪というところにある萬願寺山で修業し当地に住む民の助けになるがよい」と言われこの地に移り住んできた。初めは気ちがい扱いされ誰も相手にいませんでした。ところが彼の予言がよくあたり、病も治ったと評判になりっその修験者を頼ってくるものが多くなった。その修験者が創立したのがこの久万坊大権現である。その謂れを教えてくれた人が金沢市の野町にあるその名も知られた忍者寺のすぐ前にある大きな寺「西方寺の前住職」だった。かれは現職を離れここで管理人を務めていた。それを聞いたのは大分前だったので今はもういないかもしれない。その人が住んでいた家がここに写っているこじんまりした建物。手入れしている様子がないのでもう住んでいないのかもしれない。ここ...久し振りに萬願寺山に登って来た。

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