人の命はこうして消えていくのかもしれない。3日3晩まるで食べ物を受け付けない。右脇腹の痛みは日増しに耐え難く、寝返り打つにも青息吐息。這うことすら難事業になってしまった。無理やりでも食べて治す主義は破綻した。朝、起きたら病院へ行く。そう思ったら、なにやらサイレンが家の前で止まった。階下にいくと救急隊の若者と目が合った。「担架がありますが」「いや、歩いて行ける」救急車だけは勘弁してほしい。大騒動になる。家人には頼み込んでいた。案の定、ご近所が心配げに見守る。こんな時でも、サービス精神が出る。軽く手を上げて「申し訳ない」と会釈。あと1週間の30日に75になる人生初の担架に乗せられ救急車搭乗だ。「生年月日、お名前、今日は何日、どこが痛むか、どんな症状か、、、」若い隊員から矢継早の質問。大谷のナショナルズ戦だから...救急搬送2度!死線さ迷う緊急手術