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降りていくブログ https://kurahate22.hatenablog.com/

生きづらいものが生きていくために。回復とサバイバルについて考えていきます。

生きづらさは重い負荷ですが、それにより自分が生きるために必要なものへの意識や関心が深くなります。生きづらい人は誰のためでもなく、自分が生きていくために世間にまだ存在しないものを創りださなければいけない切実さを抱えています。生き抜くことは全く保証されていない。それにも関わらず生き残ろうとする人たちの創造は、通じる課題を持つ人たちの力となり、そして自身だけでなく、周囲の世界も回復させる力を持ちます。

ヨネ
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北区
出身
新居浜市
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2014/09/24

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  • 11/28ワーキンググループのあとに考えたこと

    世間が当事者に発言の資格を認めるのは、当事者が痛みを持っているからだと思う。たとえ傍観者となっている人でさえ、痛みが発露されるその瞬間には釘づけとなり一体となってそこに没入してしまう。それは自身が自身から乖離させた痛みをその人が自分の代わりに引き受け、自身の内奥で止まってしまった時間をその瞬間だけ動かしてくれているからではないか。 「観客席」という言葉が提示される。常野雄次郎さんの言葉からのものだという。「観客席」に座っている間、自分は世界でおこっていることと自分が一体であることを乖離させる。あれは自分が直接関わることではない誰かのことであり、自分にはそこに関わる資格もないし、また義務もない。…

  • 11/20ワーキンググループをふりかえる

    今日行われたワーキンググループで考えたこと。 1 べてぶくろ、近代、社会運動内部において繰り返される人権侵害、当事者からの経験の簒奪などについて → 浦河べてるの家の存在から自分自身は多くを得た。しかし性暴力被害の隠蔽に当事者研究を使い、被害当事者や自らのあり方の再吟味に向かいあわない姿勢に大きな疑問と失望を感じた。当事者が制度に奪われた主体を取り戻していくのが当事者研究だったはずだが、主体を持っているのは「リーダー」たちであり、当事者たちは受動的に「リーダー」たちの作った枠組みに従っていたり、従わされているのだった。誰かに作られたものを繰り返すのではなく、思考の主体性、自律性を取り戻していか…

  • 11/8 リードイン 感想

    リードイン。 リードインは鶴見俊輔がやっていたとされる集まりで、他者の言葉と自分の言葉を持ち寄って場にシェアするもの。(しかし実際の場に出たことがないので、決まったかたちを知らず、色々実験的にやり方を微調整しながらやっている。) 今回は自分が一参加者の立場で新しい人たちと出会う。 持ち寄られたことばは全くバラバラであるようで、場にはぼんやりとだが、名づけられない星雲がかたちづくられていくようなプロセスが生まれている。 場に出てくることばによって自分に残っている問いをもう一度考える。緒方正人さんが重要だと考える「ひとりであること」とはどういうことなのか。タゴールは、誰も呼び声にこたえなくても/ひ…

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