生きづらいものが生きていくために。回復とサバイバルについて考えていきます。
生きづらさは重い負荷ですが、それにより自分が生きるために必要なものへの意識や関心が深くなります。生きづらい人は誰のためでもなく、自分が生きていくために世間にまだ存在しないものを創りださなければいけない切実さを抱えています。生き抜くことは全く保証されていない。それにも関わらず生き残ろうとする人たちの創造は、通じる課題を持つ人たちの力となり、そして自身だけでなく、周囲の世界も回復させる力を持ちます。
読書会や話の場で思うこと。 人権や尊重という言葉はあっても中身は空洞化されている。人権とは何か、尊重とは何かはなんとなくのニュアンス以上に知る必要もないと認識されているに等しいだろう。かたちだけの言葉はむしろ実態を後退させ、現状を変えないものとして機能する。 読書会でフリースクールについての発表がある。学校とは何かをあらためて根本的なところから問うやりとりになった。 学校を終えれば学ぶことは終了するのか。学びとは学校ですることなのか。どれだけよりよい学校に通うかでその後の生の豊かさ、社会的地位や成功が決まるのか。学校とはそのための場所なのか。学校はそこを出た後に「学ばないこと」を正当化する理由…
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