「岩倉卿と芹沢さんの結び付きは固いですね。どちらかと言えば、岩倉卿が芹沢さんに惚れ込んでいる様子で、芹沢さんは上手く岩倉卿を立てながら、今の状況を利用しようしている様に見えます」 山崎の言葉に、大きく頷いたのは加納だった。会津藩や幕府の要人から情報を得た山崎に対して、加納は薩摩や長州など倒幕派から情報を集めている。だが、立場が異なる者達でありながら、その意見は殆ど同様だった。 「2人を結び付けて…
服部や毛内ら御陵衛士の分離派は、当面の屯所として戒光寺の一角を借り受ける事となった。 戒光寺の堪念和尚は、御陵衛士の立ち上げの際にも少なからず尽力してくれた、謂わば衛士の恩人とも言える人物だ。今回も、細かな訳を聞く事もなく、服部達分離派の為に宿と食事を提供してくれたのだった。 さて、問題はここからだった。 少数の部隊にとって、情報は生命線でもある。御陵衛士は勿論、新撰組、更には左幕派、倒幕派それ…
御陵衛士としての活動を主張した伊東と、新撰組局長の近藤勇の間で交わされたのは刀を持たない立ち合いだった。土方も含めて自身の感情を抑えつつ、互いに双方の利を解く一種の心理戦を繰り広げたのだ。 皮肉なことに、あの時の苦労を今度は伊東が味わったという事になる。但し、これが本当の分離であればの話ではある。 土方は、事態をそこまで単純には捉えていなかった。分離云々は一種の駆け引き、謂わば政治だ。それに対し…
「御陵衛士が分裂しただと?」 「正確にいうなら、御陵衛士から一部の隊士が分離したと言うべきですね」 隊士が増え、組織が大きくなるに従って、恐怖と規律で縛らざるを得ない状況にあるのが新新撰組の実情である。それに対して御陵衛士は、伊東甲子太郎を筆頭に一枚岩に見えた。それは土方からすれば羨ましくもあった程だ。その彼らが分裂するなど、予想もしない事態だった。 問題が発生したのは、京都天狗党の話が流れてか…
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