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アヴァンギャルド精神世界 https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧

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2013/11/11

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  • 古代インドのアートマン、ブラフマン-2

    ◎創造されたことのないブラフマンインドラの師匠プラジャー・パティ(創造主)は次のように語る。『この肉身は死すべきものであり、死に捉えられている。しかし、それはこの不死で肉身のないアートマンの住処である。肉身を具えた者は実に好悪の二者によって捉えられている。肉身を具えている以上、好悪の二者を絶滅することは不可能である。しかし肉身のない者には、好悪の二者も触れることはない。〔二〕風は肉身のない者である。雲、稲妻、雷鳴など、これらの者も肉身を持たない。あたかもこれらの者があの虚空から上昇して、最高の光明に到達し、それぞれの形で出現するように、〔三〕まさにそのとおりに、完全な心の平静はこの肉身から上昇して、最高の光明に達し、自己の姿で出現する。彼は最高のプルシャで、彼はそこで食べ、遊び、女ども、車駕の類あるいは親...古代インドのアートマン、ブラフマン-2

  • 古代インドのアートマン、ブラフマン

    ◎不死であり無畏であるブラフマンアートマンとブラフマンの関係について、チャンドーグヤ・ウパニシャッドでは、次のように書かれている。(ブラフマは中心太陽)『「この肉身から外に出て、最高の光明に合一したのち、自己の姿で出現する、かの完全な心の平静、それがアートマンである。」と彼は言った。「これは不死であり無畏である。それはブラフマンである。」と。』(世界古典文学全集/ヴェーダ・アヴェスター/筑摩書房のチャンドーグヤ・ウパニシャッドP225から引用)つまり二者の関係について明確には書かれていないのだ。さて、創造主プラジャー・パティが「アートマンを見出して認識する者は一切の世界を得て、すべての欲望を満足させる」と唱えたのを聞いて、神々代表としてインドラが、悪魔代表としてヴィローチャナが、アートマンを認識するべく、...古代インドのアートマン、ブラフマン

  • セフィロトの二つの相

    ◎変化と不変第六身体の表象であるセフィロトには、二つの相がある。一つは変化や変容が起こる相であり、もう一つは永久不壊、不変の相である。この二つは相い矛盾する性質であり、そうだろうと察してはいたが、なかなかこの二つを並列する記述には出会えなかった。(参照:カバラー/チャ-ルス・ポンセ/創樹社P88)OSHOバグワンの第六身体の説明でも、創造と破壊が起こるなどと変化の相は語るが、宇宙全体、世界全体の永遠不壊、イデアの不滅の相の側はあまり同時には語っていない。「創造と破壊そのすべてがあなただ」などという言い方である。これも神人合一の一つのアスペクト。さてセフィロトには、十球バージョンと十一球バージョンがある。もっとも古いセフィロトの一つ1516年バイルス・リキウスの「光の門」のそれは、十球バージョン。いつの頃か...セフィロトの二つの相

  • ユダヤ教、エンソフとセフィロト

    ◎本質でも、永遠でも、時間でもないユダヤ教では、エンソフが無の側で、セフィロト(十球=生命の木)が有の側。エンソフは言葉では定義できないが、その流出がセフィロトだなどと煙に巻くような表現をとっている場合が多い。まずエンソフの、理解を隔絶している様は次のようなものである。『「あらゆる事物の原因は、たましいでもないし、知性でもない。それは、想像力、意見、理性、知恵でもないし、言葉で語られたもの、思考されたものでもない。数でも、秩序でも、大きさでも、小ささでも、同等でも、不等でもない。それは立ってもいないし、動いてもいないし、休んでもいない。本質でも、永遠でも、時間でもない。知的接触さえ無縁である。科学でも、真理でもない。尊厳でも、英知でもない。唯一でも、統一でも、神性でも、善でも、私たちに分かっているような精...ユダヤ教、エンソフとセフィロト

  • アートマンから中心太陽(ブラフマン)へ

    ◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-5第七身体について、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の散文で『私は終わって、ありとあらゆる戯れそれ自身だ。』(「ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ」P73から引用)と述べているが、これは、ダンテス・ダイジのオリジナルではなく、ユクテスワの見方でもある。『このようにして聖霊と一体になった人は、ついに不生不滅の永遠の父そのものと一つになって、サティヤ・ローカにはいる。そこで彼は、すべての創造物が、本質的には、自分の“属性”をもって映し出した単なる観念の遊戯にすぎず、また、宇宙には自分以外に何物も存在しないことを悟る。この一体化の状態をカイヴァリヤ(唯我独存)という。』(聖なる科学/ユクテスワ/森北出版P70から引用)※サティヤ・ローカ...アートマンから中心太陽(ブラフマン)へ

  • クンダリニーとは、ニルヴァーナがマーヤーを仮現せしめるための一直線の光り輝くエネルギー

    ◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-4ダンテス・ダイジは、頭頂から離脱し、一直線に金色の光線となって、第六身体を通過して、第七身体である中心太陽に突入する。そしてありとあらゆるものそれ自身となる。『私は、すべてを見た。それは、私の最初にして最後の個別性であった。さて、私であるところの一つながりの光線は、第七番目の究極の中心光明へと連なっていた。私は、その第七番目、つまり中心太陽の只中に突入した。何と表現したらよいのだろうか?私は終って・・・・・私はもともとなく、ありとあらゆる戯れそれ自身だ。・・・・・これは、詩的表現ではない!私は、ありとあらゆるものそれ自身だ。ニルヴァーナと、一本の鼻毛とは同じそれ自身だ。あいうえおは、ニルヴァーナだ。ニルヴァーナは、オナラ・ブーだ。スモッグは、ニルヴァー...クンダリニーとは、ニルヴァーナがマーヤーを仮現せしめるための一直線の光り輝くエネルギー

  • ニルヴァーナ直前のサマーディ

    ◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-3◎冥想の効用のない部分-4第六身体アートマンから第七身体ニルヴァーナへ入っていくことは、究極の死であり、棄てることだと、OSHOバグワンは唱える。さらに誰も言及していないことを彼は言っている。その間で起きるサマーディのことである。なおサマーディには、見ている自分が残ったままのトランス的なサマーディと、見ている自分が存在しないタイプのサマーディがある。『実のところ、サマーディにはいろいろなタイプがある。あるサマーディは、第四と第五身体の間で起こる。覚えておきなさい。サマーディは、ひとつの次元の中での出来事ではない。それはいつもふたつの次元の狭間、黄昏時に起こる。黄昏は昼に属すのか、夜に属すのかと尋ねるのももっともだが、黄昏は昼にも夜にも属さぬ、その狭間の...ニルヴァーナ直前のサマーディ

  • 第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-2

    ◎冥想の効用のない部分-3第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性についてOSHOバグワンは、最も詳しく説明している。『第六から第七へ入っていくことは、究極の死だ。これを知ったらあなたは驚くだろうが、アチャリアとは、古くは最後の死を教える者という意味だった。「教師(アチャリア)は死だ」という格言がある。だから、ナチケタが死の神に至った時、彼はアチャリアに至った。死の神は死の事以外、何も教えられない。アチャリアとは、ただ、死滅、崩壊、消滅だけを説くことができる者への名称だ。(中略)第六から第七に入る時に、放棄は起こる。そこではあなたというものを投げ捨てる―なぜならあなたには、それ以外に何もないのだから。あなたはまさに、自分の実存を捨て去る。唯一、意味ある放棄は、第六から第七の次元に入ることだ。それ以...第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-2

  • 死んでいく恐れ、生きていく恐れ

    ◎恐れから解き放たれますように今般さる事情で、キリスト教系のホスピスあるいはターミナルケアをやる場所を訪れた。そこの多くの職員が、死を抵抗なく受容するという一点について迷いなく入所者の世話をして、その上であの世に平静に恐れなく送り出していることを感じて、恐れ入った。さて釈迦は、すべての人にあらゆるタイミングで死が到達することをまず述べる。『母親のお腹で死ぬ者も、生まれるとき死ぬ者もいる。這うことができるようになって死ぬ者も、歩けるようになって死ぬ者もいる。年老いた者も、盛りの者も、ひとり、またひとり、果実が地面に落ちるように、人は死んでいく。―――仏陀』(ダライ・ラマ死と向きあう智慧/ダライラマ14世/地湧社P113から引用)パンチェン・ラマ一世が、死んでいく恐れ、生きていく恐れがあることについて語る。『...死んでいく恐れ、生きていく恐れ

  • 幽霊見えます、エーテル体の凝縮

    ◎端倪すべからざる霊的感覚親族の死などでは、その幽霊を見た話題が出ることがある。経験的に幽霊を見れる人は10人に一人程度と思う。また人間の霊への感覚という点では、霊を見れるタイプの人と霊を感じるタイプの人がいる。なぜ人は幽霊が見えるのかということについては、以下の引用文で、エーテル体を見るケースとアストラル体を見るケースがあることが示されている。エーテル体は写真に写るが、アストラル体は写らないというところか。『物質の原子をもっとも細かい粒子に分解したものがエーテルだ。同様に、エーテルの原子をもっとも細かい粒子に分解すると、アストラル体となる。そのうちそれらの関連は見出されるだろう。この三つの身体は、明らかに互いにつながっている。幽霊が写真に写るのはこのためだ。幽霊には肉体がない。その半透明の姿はエーテル体...幽霊見えます、エーテル体の凝縮

  • 死そのものを迎える時点で何を思うのか

    ◎死の準備、死の瞬間と人間の見方のバリエーション人間は、肉体とエーテル体(神経系にかぶる半物質)、アストラル体、メンタル体などでできている。そうした中で、人間は一個人がそのまま同一の一人として転生するという見方と、そうではなくてちょっとアレンジされた一人として転生するという見方がある。さらには、そうした霊、あるいは微細身自体の存在について、肉体がメインで霊がサブであるという見方を採らず、霊がメインで肉体がサブという見方も存在する。さらには、霊+肉体=人間という見方ですら絶対のものでなく、無数にある現実の見方の一つにしかすぎないという見方がある。例えば、人はいくつかの天体を渡り歩く渡り鳥のようなものであると見たり、ドンファンのように光輝く球体と見たりというようなことがある。そうした中で、死に際してまず肉体が...死そのものを迎える時点で何を思うのか

  • 只管打坐で身心脱落すればニルヴァーナ

    ◎修証義第一章総序修証義は、正法眼蔵エッセンスなどと言われている由。その第一章総序から第一節を和訳すればこんな感じでしょうか。『第一節生とは何かを明らかにし、死とは何かを明らかにすることは、仏教徒として最大の課題である。生の中に死の中に仏のさとり(ニルヴァーナ)があれば、生も死も無くなる。ただ、生も死もつまりは涅槃(ニルヴァーナ)だと心得、生だから死だからといって嫌うべきではなく、涅槃だからといって願うべきでもない。この時、初めて生死を離れた境地となる。これこそが、最大の課題なので究め尽くすべきだ。』只管打坐は、生の側から極め尽くす坐法であって、死の側から極め尽くすものではない。死の側から極め尽くす坐法は、密教やクンダリーニ・ヨーガだから。敢えて道元が、死も極める(正法眼蔵の生死の巻)と言っているのは、只...只管打坐で身心脱落すればニルヴァーナ

  • 世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-2

    ◎社会主義を沢山加味した宗教世界統一勢力と国家意識のせめぎ合いに関する出口王仁三郎の追加意見。『出口氏『矢張り然し、人類愛の上から見ても、世界に対する所謂人類愛と、国家に対する愛と、郷里に対する愛と、家族に対する愛と、個人に対する愛といふ様に、段々小さくなつて来る。日本国民としては国家に対する愛が必要であり、又広汎的に云へば世界一般の人間に対する愛が必要である。焦眉の急を要する問題として一番どれが主であるかと云へば、自分の祖先の墳墓の国である。これを愛するのが一番急務であり、大切な事であると思ふ』』(出口王仁三郎全集第1巻皇道編第6篇第6章挙国更生から引用)これは、大地震や大災害時に誰を真っ先に救うかという議論の延長線上にある見方である。誰か一人しか救えないとすれば、まず最も身近な者を救うのではないかと示...世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-2

  • 世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-1

    ◎赤いフリーメーソン最近、GAFAなどのグローバルIT企業、無国籍企業で有力な企業(食品、石油など)が世界で大活躍。将来のワン・ワールドを意識してか知らずか国籍や国境がないことの方がよいような宣伝報道がメディア、ネットに散りばめられていることにお気づきだろうか。mars火星は赤で、顔の赤い猿のような者の世界統一は、さまざまな予言で見かけるものであって、赤い楯もその流れ。その統一の先に次のステップがあることも言われている。世界を統一しようとする動きには、当然にその統一に逆らうパワーのメカニズムが働く。それが国家意識。最終的には万人が神知る社会となることを前提に、出口王仁三郎は国家意識について、次のように述べている。『出口氏『それはな、国家意識のない宗教は自然消滅しなければならぬ。今に神の政治になつてくるから...世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-1

  • 冥想の効用のない部分-2

    ◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-1◎冥想の効用のない部分、ある部分-3第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性については、何も説明しない場合が多いのだが、OSHOバグワンとダンテス・ダイジだけはかすかに説明している。ダンテス・ダイジの説明の一つが以下。『無限生命の絶頂を完全な解放を意味するニルヴァーナというサンスクリット語はアトランティス当時の正確な発音ではニーバーナとしたほうが良いであろう。ニーバーナとは、ニーが無、バーナが有を表し、これはアメンと同じ意味の真言(言霊)であった。無有(タオイズム、禅仏教)ニーバーナ(主にインド・ウィグル)メンア(主に古代エジプト・アトランティス)メンアー(キリスト教)ムオー(サンスクリットのマントラ・オーム)ウンア(真言密教)カミ(日本古神道...冥想の効用のない部分-2

  • 冥想の効用のない部分-1

    ◎概説◎冥想の効用のない部分、ある部分-2冥想の効用のある部分については、損得と便利優先マインドの大勢の現代人に向かってあまり一生懸命説明する必要はないと思う。冥想の効用のある部分とは、現世利益、願望成就であって、わかりやすいからである。だから現代人にとって、本丸は冥想の効用のない部分である。冥想の効用のない部分とは宗派によって、なにもかもなし、非実在、非実存、非在、ニルヴァーナ、エンソフ(アインソフ)、無、第七身体、天御中主神、大日如来などといろいろな呼び名がある。言葉で表現できない沈黙という表現の仕方もある。人間にとっていわゆる神とは、宇宙全体、世界全体であるところのものも神でもあるが、正統な宗教では、その宇宙全体、世界全体が更に死ぬのが、この第七身体であることも示す。これによって、世界全体宇宙全体の...冥想の効用のない部分-1

  • 冥想の効用のない部分、ある部分-1

    ◎冥想の効用のある部分若い時に、初めて「効果を得ることを目的とした冥想は邪道である」と指摘され、非常に驚いたものだ。当時は社会人になって数年ということで、学生にありがちなあるべき世界観と理不尽な現実の相剋に日々悩み、その一方でフルタイムの仕事の後は、仕事の勉強、恋愛、冥想修行と睡眠時間を削って暮らしていた。勿論往復は満員の通勤電車。ケータイもメールもない当時。今SNSを見れば、リラックス、ストレス軽減、うつ対策、血行改善、気の巡り促進、恋愛成就、引き寄せ、身代わり、恭喜発財、コロナ退散、願望成就、など効果効用を求める冥想ばかりが多い。これも便利と損得を優先に考えることに飼い慣らされてきた結果であるが、これをアメリカではプラグマティズムと言い、中国では性悪説的実利主義と言い、決して新しいものではない。だがこ...冥想の効用のない部分、ある部分-1

  • どんな不信仰な人でも耳を傾ける年

    ◎凡夫の耳も菊の年新約聖書外伝のペテロ行伝の最初に、回心者パウロが人々にパンと水を分け与えていた時、ルフィナという女性が近づいてきた。パウロは、「彼女は聖餐を受けるのにふさわしくないに受けようとしている」と咎めた瞬間に、彼女は左半身不随になって口もきけなくなった事件が出ている。これを見た周囲の人は、恐れおののいて、自分の心の在り方を再チェックすることになった。ルフィナが倒れたのも奇蹟の一種であって、そうした突発事件を見せて、パウロがこれは人々の行動を採点する神の仕業であると説明すれば人々は容易に信じる時代の手法。時は下り1970~80年代は、人間の外的欲望が実は無形のものへの欲望であって神への希求が隠されていることを、聖者(クリシュナムルティ、OSHOバグワン、ダンテス・ダイジなど)が複数出て盛んに説いた...どんな不信仰な人でも耳を傾ける年

  • ペテロの逆十字と動的な無用の用

    ◎初めて誕生した人間の模写ペテロは、イエスの使徒の一人にして最初のローマ教皇。彼が十字架にかかる時、逆さ磔になったのは、イエスを憚って逆さにしたなどと言われるが、聖書外典ペテロ行伝では、この姿を『初めて誕生した人間の模写』だと表現し、十字架の縦木と横木の交わった場所に打たれた釘こそ回心・悔い改め(悟り)だとしている。逆さはりつけで、右のものは左になり、左のものは右になり、上のものは下になり、下のものは上になる。これは、ヘルメス・トリスメギストスのエメラルド・タブレットを連想させる言い回し。世俗王は南面し、聖者は北面する。実際に対面した例が達磨や大徳寺の大燈国師にある。対座こそ十字架の釘。左右上下逆転の姿は、逆転という死からの再生を経て、それまで有用とされたものが無用となり、それまで無用とされていたものが有...ペテロの逆十字と動的な無用の用

  • 遠日点と地軸

    ◎不信心ぶりは以前よりひどい太陽の周りを公転している惑星などの天体は、一般的に楕円形に近い軌道上を運動しているが、その軌道上で太陽から最も遠くなる点のこと。宗教でいえば、最も神に近い時代が近日点で、最も神に遠い時代が遠日点。インドのユクテスワの地球サイクルで見れば、今から1200年ほど前が遠日点であって、その時が最低の時代だった。だから、1980年代のクリシュナムルティ、OSHOバグワン、ダンテス・ダイジ、ケン・ウィルバー、チベット密教のリンポチェたちなどの活躍と同時代に生きていた我々は、時代全体が近日点に近づいている勢いというものを、疑いもしなかった。だが、40年たってみると、twitterなどのSNSに顕著だが、悟り、ZEN(禅ではない)、クンダリーニ、ニルヴァーナ、有力世界宗教の諸神仙の名は、モバゲ...遠日点と地軸

  • 衝撃のスマホ電子メール出現の予言

    出口王仁三郎、百年前に時期もバッチリ幻視す出口王仁三郎は、空中のスマホを右の指でかなをポチポチしてメールが送れ、読み上げまですることが、21世紀の初期に始まることをバッチリ幻視している。『言依別『吾々は神代の文字は知っていますが、今日の時代は文字も大変異っていましょう』松彦『昔のように今日の時代は、毛筆や、鉛筆や、万年筆などの必要はありませぬ。唯指先を以て空中に七十五声の文字を記せば、配達夫は直に配達してくれますよ。私が一つ手本を見せましょう。この交通機関は21世紀の初期から開始されたのですよ』と右の指を以(もっ)て空中に七十五声の片仮名を綴(つづ)って、一つの語を作り、『サア、これで手紙が書けました。文字が言語を発する時代となって来ました』と言って笑っている。四人は耳を傾けて珍らしい文字の声を聞こうと努...衝撃のスマホ電子メール出現の予言

  • NHKドラマ正直不動産の映す現実の深刻さ

    ◎起業や投資は儲かる?合法と違法の説明のはざま正直不動産の山Pは、泉里香さんへの告白シーンで、結婚する気がなく肉体目当てであることを自白し、大きく張り倒された。泉里香さんは、「彼氏は馬鹿正直でない方がよい」と言っていたが、正直に言えば相手が大きく傷つく場合は、言わなかったりほのめかしたり、善言美辞のオブラートということはあるものだ。商売でも契約でも人間関係でも、適宜デメリットを言わずにメリットだけを言うのは、知的に進化した現代人にとって常道となった。合法だが違法ではない、などと思って。そうした説明の最たるものを二つ挙げると、その一つは若者はどんどん起業しましょうというもの。これは経験的に起業の9割は失敗するものだという常識が隠されている。ベテランの起業の自営の人は皆知っているのだろうが、中年以下の人は意外...NHKドラマ正直不動産の映す現実の深刻さ

  • 茨城県石岡市立東小学校で毎日マインドフルネス瞑想

    ◎義務教育での冥想必修NHKで、茨城県石岡市立東小学校で毎日マインドフルネス冥想を、登校するとすぐ毎日5~10分行っていることを紹介していた。アニメ動画の案内に従い子供たちは他の事を考えず、流れてくる音声や自分の呼吸に意識を集中させる。この音声がこおろぎなど秋の虫の声であり、私も好きな音だった。その他は、吐く息吸う息の呼吸を見つめるヴィパッサナー風らしいがそこは放送されず、瞑想の効用の紹介となった。以前ならすぐかっとなっていたのが、冷静になって一歩おくことができるというようなことを小学生たちが語っていた。さて、学校で冥想をやらせるには宗教臭がないことが必要だというのはわかる。マインドフルネスはアメリカ渡来の心理療法の一つで、ハタ・ヨーガの教室でもやっていることがあり、日本でも徐々に認知されるようになってき...茨城県石岡市立東小学校で毎日マインドフルネス瞑想

  • 二十三四歳の出口王仁三郎愛犬を死なす

    ◎真実に対して徹底した性格-3二十三四歳の頃、出口王仁三郎の飼い犬が発病してびっこをひき、百日余りで斃死した。井上獣医は気管支炎と診断したが、王仁三郎は心臓糸状態虫(フィラリア)と断じた。南陽寺の飼い犬なので、境内の墓地に住職が手厚く葬った。王仁三郎は、斃れた犬の病状を探ろうと闇夜の墓地に忍んでいった。照明をつけて犬の墓を掘り解剖服にてメスを振り、心臓部目がけて解剖刀をぐさりとさせば髪の毛がよだった。心臓を解剖すると糸状虫がウヨウヨとしてわいていた。だが「獣医にわれは勝てり」と会心の笑みを夜間にもらした墓地。灯りに照らされて笑う出口王仁三郎の顔を寺の小僧が便所からながめて驚いていた。心臓をえぐり出して新聞紙に包み、ふたたび死骸を葬った。出口王仁三郎は、切り取った心臓を家に持ち帰り、井上獣医の目の前に出した...二十三四歳の出口王仁三郎愛犬を死なす

  • 小学生の出口王仁三郎ひどいイジメに遭う-2

    ◎真実に対して徹底した性格-2ある暖かい春の日に、吉田先生は全級の生徒を校庭に集めて、体操を教えておった。王仁三郎(喜三郎)もその中に加わって稽古を受けた。たまたま隣村の雪駄直しが、学校の前を「直し直し」と呼びつつ通過した。吉田教員はたちまちこれを指さして、生徒に向かって、「お前らよく見よ。今、学者生徒の喜三郎さまのお父上がお通りだ」と大声あげて、王仁三郎が父の家は貧窮下賤であると諷刺した。無心無邪気な生徒は吉田と共に手をうって笑った。王仁三郎は悔しさ残念さを堪えて黙していた。吉田先生はなお虫が治まらぬと見え、学校のトイレを指さして、「あああそこに見よ、喜三郎さまの立派なお家が建ってある」と、我が家の倭小にして不潔である事を諷刺し、又手をうって笑う。生徒もまた一緒になって機械的に笑った。それからというもの...小学生の出口王仁三郎ひどいイジメに遭う-2

  • 小学生の出口王仁三郎ひどいイジメに遭う-1

    ◎真実に対して徹底した性格-大岡忠相出口王仁三郎は、あまりにもエピソードが多く、かつまた戦前に邪宗のそしりを受けたものだから余計にその性格は知りがたい。注目すべき若い時分のエピソードが二つある。まずは、小学生の頃に先生に徹底していじめられた件。出口王仁三郎(喜三郎)は十歳で小学校に入学。校長は亀山藩の旧藩士で出口直道。ある時、吉田有年と云う先生が『小学修身書』の授業で、大岡越前守忠相という字句を「タダアイ」と読んだ。王仁三郎は余りにおかしくて聞いていられず、直ちに椅子を立って「吉田先生、これはタダアイじゃありません、タダスケです」と注意した。すると無学にしてかつ頑固な吉田先生は王仁三郎の言を打ち消して、満場の生徒に向かい「喜三郎は、彼は馬鹿だからそのような事を言うのである。聞いてはいけない」といった。何に...小学生の出口王仁三郎ひどいイジメに遭う-1

  • バガヴァッド・ギータのブラフマンとアートマン

    ◎肉体を離れようとする最後の瞬間に考えることは、すべてがいつかは実現するウパニシャッドを読むと、ブラフマンとアートマンの定義は揺れている。だが、バガヴァッド・ギータでは、大聖クリシュナの定義は単純明快。※ブラーマンはブラフマンのこと。『スリー・クリシュナーブラーマンは不滅であり、万物を超越している。ブラーマンが個人に宿ると考えるとき、これをアートマンと呼ぶ。ブラーマンの創造力は万物の発生の源泉である。相対界の性質は変化してやまない。個性は自我の意識である。私だけがこの肉体の内にあって行動をつかさどる神である。人が死んで肉体を離れる時、私に意識をおいていなければならない。そうすれば私に合一する。これを疑ってはいけない。肉体を離れようとする最後の瞬間に考えることは、すべてがいつかは実現する。このことは一生を通...バガヴァッド・ギータのブラフマンとアートマン

  • 稀有な体験をした者はその体験を語らねばならない

    ◎宇宙飛行士野口聡一さんの言葉など元宇宙飛行士野口聡一さんの言葉で印象に残ったのは2点。一つは、生きて帰って来るのが大事。一つは、宇宙飛行のような稀有な体験をした者はその体験を語らねばならない。スペースシャトル・コロンビアが2003年2月1日、大気圏再突入中時に空中分解し、乗員7名全員が死亡した事件が発生。彼は、三回宇宙飛行をしたが、その最初が、再開後初の飛行となった2005年スペースシャトル・ディスカバリー号への搭乗。さてどんな宗教宗派でも、その体験とは言えない体験については、一つは、生きて帰って来るのがポイントの一つ。二つ目は、中心太陽突入あるいは神人合一のような稀有な体験をした者は神が許し給えば、その体験を語ることもできる。最初の生還ということについては、インドでは、生還をファイナルステージとは考え...稀有な体験をした者はその体験を語らねばならない

  • 上海、実質的なAI監獄を解除

    ◎とある外出禁止実験2022年6月1日、ゼロコロナ対策による上海の都市ロックダウンが2か月たってようやく解除された。人口2千万にして公共交通の発達した街を2か月外出禁止にすると、外面的には上海ディズニーランドが雑草雑木ぼうぼうの荒れ果てた庭園になってしまったということも報道されたが、それだけでは済みますまい。衣食住あらゆる物資とゴミの流通が不全となり、怪我人、病人、死人の移送まで、滞ったのだろうと思われる。2年前の武漢のロックダウンでは、コロナ罹患者が大量に火葬されたのではないかとおぼしき画像まで登場していたが、上海では、コロナの怪しい人を大量に郊外に移送するという動きもしていたかもしれない。報道ぶりは二都市で全く異なる。上海ではどのようなコロナ対策であったかということよりも、むしろ2か月間2千万都市を外出禁止...上海、実質的なAI監獄を解除

  • 金人、肉体なきマスター

    ◎紫磨黄金のボディ夢に金人が現れて、指導を行ってくれることはある。まず空也。『播磨の国は揖穂郡に、峰合寺があり、そこには一切経が収蔵されていた。空也上人はこの寺に止住して、何年もの間、一切経をひもとき、学習に専念する生活を送った。経典の文句で意味がよく分からないところがあると、いつも夢に金人が現われて教えを授けてくれた。夢から醒めて、改めて同輩の智者にその不明の個所の意味を尋ねてみると、果たして金人の教えとまったく同じであった。(『空也誄』(くうやるい)、『日本往生極楽記』一七)さらに、聖徳太子が『維摩経』や『法華経』の疏を作成中、夢に金人が現れて教えを授けたと言う。その金人のボディの色は、紫磨金色であっただろう。黄金中の最高とされる紫を帯びた黄金色、すなわち紫磨黄金。密教系、道教系、クンダリーニ・ヨーガ系の相...金人、肉体なきマスター

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