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アヴァンギャルド精神世界 https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧

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2013/11/11

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  • しゃきっと意識的に生きるのは大変だが

    ◎鈍感な人と繊細な人釈迦は、無意識を克服し意識だけになったので、平和と至福に生きている。だが余りにも意識的になったので、起こっているすべてのことを感じ続けるはめになり、そのことで人生は苦だという独特の哲学を創設した。だが、そもそも慈悲の極みとは、これ以上ないほど悲しいということである。OSHOバグワンは、誰もが至福のみに生きることはできず、そのような人は代価を払わされる。それが苦しみだなどということを言っている(究極の錬金術1/OSHOP519)。これは、彼にしては珍しく俗人からの視点で、語っている。鈍感であるということは、無意識であるということ。そうであれば、苦しみをあまり感じないから快適に過ごすことができる。つまり便利さのために、意識的であることを棄てているのだ。従って繊細であることは、この時代の苛酷な生存...しゃきっと意識的に生きるのは大変だが

  • 封衡-2

    ◎失われた冥想テクニック魏の武帝(曹操)がある日、封衡を朝廷に召して養性の法を問われた時、彼は答えて、人は身体を適度に働かして筋骨を煉り、食欲を節して清き心を養い、すべて飲食物は脂気の多いもの又は味の濃厚なものあるいは塩からいものは一切これを避け、また喜怒哀楽等すべて心神を傷(やぶ)るものは堅くこれを避けると同時に、女色を遠ざけて房事を慎みさえすれば、それがほとんど道に近いのである。古の聖人は、春夏の二季は、専ら陽気を養い、秋冬は主として陰気を養っていたのも、春夏は陽気の旺んな季節で、秋冬は陰気の積もる時節であるがためなので、要するに天地の運気に応じて造化発育の妙機に順って深くその根底よりして養性の道を修めたのである云々。彼にはどこへ行くにも始終二人の従者が常に随従して、一人は書笈と負い一人は薬笥を携へてあった...封衡-2

  • 封衡-1

    ◎ソーマ・ヨーガ封衡は、曹操の時代の人。封衡は字を君逹といい、隴西の人である。幼少の時から仙道を学んで終にその秘奥を悟る事が出来た。彼は初め五十年ばかりの間は専ら黄連を服していたが、その後鳥獣山に上って薬を採り、引き続いて百余年の間禾(こくもつ)を服していた。かくて郷里へ帰って来た時は年齢已に二百歳以上になっていたけれど、容貌を見ると、光澤両頬に漲っていてちょうど二十前後の人のようであった。そして誰か病気に苦しんでいるものがあると、知った識らぬに関わらず、その家ヘ出かけて行って、腰の竹管から薬を出して病人に与え、あるいは針を以て立ちどころにその病を癒していたので、多くの人々から神のように尊ばれていた。その後また彼は魯生女に逢って彼に還丹の秘訣と五岳真形図とを授け、それからあまねく天下を周遊して名山を訪ね、邪神妖...封衡-1

  • オウム真理教事件とは何だったのか?/一橋文哉

    ◎オウムの闇は日本の闇『オウム真理教事件とは何だったのか?/一橋文哉』。この本は、麻原が最初から宗教詐欺のカモを集めるためという意図も持って組織宗教を立ち上げ、最後は、教団がどうなっているかを描き出した衝撃の本。著者が問題にしているのは、百億円単位とされる資金と、製造されたり、輸入されたりした大量の武器と薬物、そして細菌兵器とレーザー砲、核兵器の行方である。これらは、本来の宗教とは、全く関係のない部分だが、この教団が、立ち上げ以前から暴力団と関係を有し、1995年の最盛期もその後もその関係は切れていないらしいこと。ロシアのエリツィン政権とは、深い関係を有していたこと。教団武装化の過程で、ロシア、欧州、アジアの闇商人との関係があり、特に北朝鮮との関係があること。ただこうした大きな構図はオウム・プロパーの人間だけで...オウム真理教事件とは何だったのか?/一橋文哉

  • 少年少女が社会に巻き込まれる時期

    ◎不安や恐怖、適切に学ぶ十代後半から二十代前半において、自分個人のあらゆる生活の側面が、人類の歴史全体に結びついているという単純で絶対的な真理に気がつくものだ。なにしろ中学や高校や学習塾で受験科目ばかり学んでいる中で、視野が徐々に広がっていき、個人の生活認識に属していない物事の方が圧倒的に多いことに気がつく。それは、社会や歴史や政治や経済への関心と衝撃に始まるのだが、宗教もその一つである。この時期、性欲を抜きにすれば、社会も歴史も政治も経済も宗教も、個人心理の無意識の濃霧の先に沈潜しているが、学ぶにつれて、その濃霧は晴れていくものだ。長年スピリチュアル・ヲタクを続けて行く中で、この時期にまともな宗教教育がなかったのが、その後の人生に大きく影を落としていることに思い当たる。宗教教育とは、『悟りへの道を適切に学ぶ』...少年少女が社会に巻き込まれる時期

  • 火水(かみ)と水火(いき)

    ◎人は火水(かみ)である天地にも人にも火水(かみ)と水火(いき)があって、火水はたましい、水火は息。大本言霊学から『天地(あめつち)の間に、眼に見えざる火水(ひみず)あり。これを火水(かみ)とも云う。神と唱うるは体にして、水火(いき)と唱うるは用なり。ゆえに陰陽と陰陽とを与(く)みて万物を産むなり。人間(ひと)の胎内に火水(ひみず)あり、これを霊火水(たましい)という。気(いき)ともいう。魂(たましい)と唱うるは体にして、息と唱うるは用なり。ゆえに息と息と与(く)みて言(ものいい)、気(いき)と気(いき)と与(く)みて人を産むなり。天地(あめつち)は、水火(いき)の凝りなり。ゆえに人の呼吸は、波の列(つらな)るに同じ。波の寄る時は音を為(な)して、引く時は音無し。人も出る息は音を為して、引く時は音無し。人、すな...火水(かみ)と水火(いき)

  • サンドウィッチマン 毎日が奇跡

    ◎オープン・マインドへNHKスペシャル仕事の流儀で『サンドウィッチマン』。全部を見たわけではないが、伊達の「毎日が奇跡」というのが良かった。32歳で売れ始めるまで、一度漫才をやめかけたが、最後にこの一年だけがんばろうと一念発起。最初のM1グランプリでは準決勝シリーズまでしか進めなかったが、翌年は敗者復活チームとして決勝シリーズに最後の一枠として進出。そしてその勢いで優勝。2007年の優勝した時は、たまたま生で見ていて、賞金1千万円なのだが、これで二人で一部屋に住んでいるのが、別々の部屋を借りて住めるとインタビューに答えていたのが記憶に残っている。おそらく今は一番売れているお笑いなのだが、常に売れなかった時代の初心を忘れることなく、謙虚に振舞う。お笑い系のMCと言えば、島田紳助や今田耕司のように人を食った立ち位置...サンドウィッチマン毎日が奇跡

  • 達磨と悟り

    ◎不条理を超える北関東では、達磨を名産とする地が多い。その達磨が人と悟りの関係を語る(四行論長巻子)。『三蔵法師(菩提達摩)はおっしゃった。「悟らないでいる時は人のほうが真理に迫っていこうとするが、悟る時は真理のほうが人に迫ってくる。悟ってからは心が景色を包んでいるが、迷っているうちは心が景色に包まれている。」(NGl,68)』(「悟り体験」を読む(新潮選書)/大竹晋/新潮社P43から引用)禅の十牛図では、見仏を第三図に置き、世間ではこれも悟りだと称するが、達磨は第八人牛倶忘だけが悟りであるとすることに迷いはない。悟ってからは、心がすべてを包み、悟る前は心がすべてに包まれている。これは、啐啄同機(そったくどうき)のようにまだ悟っていない時分を前提とした言葉とはまた異なることを言っている。世界は逆転したが、逆転す...達磨と悟り

  • オウム真理教村井秀夫

    ◎虹の階梯は物質科学レベルのものではないオウム関連書籍は、どうしても存命中の死刑囚や元信者の証言を元に構成するので、早々と暗殺されたオウム真理教ナンバー2の村井秀夫への印象は薄くなりがちだ。村井秀夫と言えば、TVカメラの動いている前でオウム真理教本部前において刺殺され、その際に『〇〇〇にやられた』と言ったことが現場にいたマスコミから伝えられている。村井秀夫の役割を大きく評価しているのが、心理学者のリフトン。リフトンは、朝鮮戦争後に米兵の多数が中国共産党の独特の思想洗脳にやられていることを指摘した人物。まさかリフトンがオウム事件に関する研究をするのかと、彼の「終末と救済の幻想オウム真理教とは何か/ロバート・J.リフトン/岩波書店」が出て来た時は、驚いたものだった。この本で示す村井秀夫像は、次のようなものである。1...オウム真理教村井秀夫

  • 神との対話はあり得ない

    ◎あなたがいるうちは、神はどこにいる?OSHOバグワンに弟子の一人が、質問した。『「超自然的存在との、あるいは神との対話はあり得ないのでしょうか?」ありえない!あなたがどんな対話を持とうと、それはあなたの想像であるだろう。あなたが存在するかぎり神はなく、神がいるときは、あなたがいないのだから――――そこにどんな対話がありうるだろう?対話には二人が必要だ。もしあなたが神と面と向き合って立てば、対話が可能だ。あなたがいるうちは、神はどこにいる?そして神がいる時、あなたはどこにいる?』(エンライトメント/OSHO/市民出版社P481から引用)『神との対話はあり得ない』ことは、あまりにも自明であたりまえ過ぎて、こんな質問が出てくることに驚かされた。人は、霊媒として神の容れものになるが、その場合、何が起こったかを自分で知...神との対話はあり得ない

  • 地下鉄サリン事件26年とオウム真理教

    ◎何も変わっていないオウム真理教事件があってから、世に宗教勧誘と聞けばそれだけで拒否反応を起こされるケースが多くなり、ヨーガ教室や能力開発セミナーなどの形で、カルトの勧誘は地に潜ったと言える。いまや半島系などの新興カルト信者も、家庭を作り子供を持ち、二代目信者三代目信者ができてきており、時々社会面をにぎわす事件報道として出ることがある。カルトの世襲の時代ということになる。日本では政教分離。国家神道が国家総動員、治安維持、戦争遂行の重要なエンジンとして機能した時代の教訓から政教分離となったのだが、某政党が公然と政教分離していないのは、これまではアメリカの意向があったのだろう。これからは知らない。カルトでは、百パーセント終末思想(世の終わり、末法)で人を脅し、十中八九現世利益で人を釣り、その宗教に加入する以外のベス...地下鉄サリン事件26年とオウム真理教

  • ラーマクリシュナがカーリー女神を棄てる

    ◎観想対象を一刀両断にするラーマクリシュナといえば、バクティ・ヨーガであり、ちょっとしたきっかけでカーリー女神の出現が起き、恍惚境に飛び込んでしまって、そこからなかなか出てこないことで知られる。彼の人生の終わりにカーリー女神を棄て去るという体験が起こる。とにかく自分のことは振り捨てて、カーリー女神にとにかく帰依するという行動を、常時とって行けば、自分とカーリー女神だけが残るが、その先へは行かない。そこでカーリー女神を棄て去る運命が当然に予見される。ある時高僧トータプリがラーマクリシュナのところを通りかかった。ラーマクリシュナは彼に、ここに留まって神と一つになれるように手助けしてくれるように頼み込んだ。ラーマクリシュナは、「目を閉じるとカーリー女神が浮かび、すぐその甘露におぼれてしまう習性がある。このままではいつ...ラーマクリシュナがカーリー女神を棄てる

  • アシュタヴァクラ

    ◎すべてを観照する意識アシュタヴァクラは古代インドの聖者にして、生まれつきの身障者。彼は、母が妊娠中に子宮の中から大学者であった父親に学問的論争を挑み、怒った父親がアシュタヴァクラに呪いの言葉を投げつけた。その結果、彼は8か所がねじ曲がったラクダのような身体で出生してきた。彼の弟子ジャナクが師アシュタヴァクラに真理を問う『ジャナクは尋ねたおお、師よ人はどうしたら英知に至るのでしょう?解放はどうしたら起こるのでしょう?そして、どうしたら無執着に至るのでしょう?どうか私にお話しくださいアシュタヴァクラは答えたおお、愛する者よ解放を望むなら、情念を毒として放棄し寛容、無垢、慈悲、充足、真実を甘露として飲み干しなさいあなたは大地ではなく、風でも、火でも、水でも、精気(エーテル)でもない解放に至るには、自分はこのすべてを...アシュタヴァクラ

  • 南シナ海波高し

    ◎日米安全保障条約の実効性日経新聞(2021年3月16日版)の秋田浩之氏の署名記事『対、中国、崩れた米軍優位』という記事には、台湾有事の米軍図上演習では、ここ数年米軍チームは中国軍チームにほぼ決まって惨敗(米軍幹部などの話)。一方日本国が行った日本周辺有事の図上演習では、インド太平洋の米軍と自衛隊を合わせても中国軍に劣勢を強いられかねない結果だったという。こういう記事が大新聞に出ることを容認されるほど米国の危機感は強いのだろう。憲法9条で長年やってきた結果、アメリカは日本の安全を保障できるかどうかというところまで状況は既に逆転した。弱い鎖の環から取っていくのがゲームの基本だから、台湾を奪われた後の段階の日本周辺有事のシミュレーションでは、おそらく劣勢どころではなくなるのだろう。そこで南シナ海に数か月前から英米独...南シナ海波高し

  • 丹田禅とマントラ禅

    ◎丹田を錬る-16禅の中興の立役者白隠が座右の書としていた禅関策進。禅関策進は、禅専一ではなく、禅と念仏の併用を主張した明代の僧雲棲袾宏の手に成るもの。この書の前半は、いかに過去の古仏が禅冥想のフリークとなって大悟していったかのエッセンスを抜き書きしている。ところが後半には、念仏系の話が出て当惑させられる。これは禅家からの見方。だが、念仏浄土門の方から見れば、無字(ムー)も隻手(セキシュ)もマントラの一種にすぎない。そこでマントラを全身全霊で唱えた結果、何が起こるかというと、下丹田スワジスターナ・チャクラの開顕か、中丹田アナハタ・チャクラの開顕かということになる。ダンテス・ダイジは、中丹田アナハタ・チャクラの開顕のことをマントラ禅と称し、下丹田スワジスターナ・チャクラの開顕を丹田禅と称する(ニルヴァーナのプロセ...丹田禅とマントラ禅

  • 趙州無字の公案

    ◎丹田を錬る-15禅の代表的な公案州無門関の第一則が、趙州無字の公案。この公案を師僧からもらったら、不定期に思うところの回答を師僧に報告し、正解と言ってもらうまで、正解を求めて苦吟しなければならない。この公案は、『禅僧趙州に、ある僧が聞いた。「犬にも仏性がありますか」。趙州は答えた「無」。』と短い。ペットの犬は可愛いものだが、しつけをちゃんとしないで成長した犬は手に負えないという。そんな犬にも仏性があるのだろうか。ラーマクリシュナは、悪人にも神性を見た。それと同様にワル犬にも神性があると見るのだろうか。仏性があれば、来世では成仏できようが、仏性がなければ成仏ができないってこと?また趙州の公案の回答は、同一質問でも相手が違えば、「有」だったり、「無」だったりするので、この公案の「無」も怪しいのではないかなどといろ...趙州無字の公案

  • 肥田春充の丹田強化-7

    ◎拳の握り方と気合◎丹田を錬る-15肥田春充の拳の握り方。『食指と中指とを曲げて、その前に拇指を折り寄せつけ、そして第四第五指とを、その上に折って重ねるのである。さうすれば五指悉くが、それぞれ十分に力が這いって、しかも五指の力が掌の中に集まる様になって、最も強い拳となる。』(『川合式強健術/肥田春充』P238-239から引用)これは、パンチの拳ではなく独特である。図印大鑑をざっと見たが、第四第五指を折り重ねるというのは見当たらない。気合のかけ方は、「エイ」、「イヨウ」と交互に。『気合の発声は、型や呼吸が一致調和し、精神や力が腹部腰部即ち中心に満つるとき、自ずから声となって発するものであって、只単に口頭や咽喉から出る、呼唱、自ずから異なることを知らねばならぬ。』(『川合式強健術/肥田春充』P241-242から引用...肥田春充の丹田強化-7

  • どんな宗教教義も完璧なものはない。

    ◎君は断じて今、ここにいることはできない悟りを開いた師は、弟子たちを悟りに導くために真理の断片を集める。だが弟子を数個の断片だけにもたれかからせ続けるのは容易ではないため、できるだけ多くの断片を集める。そして集めた断片を並べて一つの体系にしようとする。断片と断片との間には隙間あるいは断絶があるので、それを埋めようとする。だが、その隙間あるいは断絶が埋められていけばいくほどに真実は失われる。最後にはバベルの塔のように体系全体が崩壊することになる。一方で修行者は、一つの冥想方法を専一にやるべきだと言われる。クンダリーニ・ヨーガ、古神道、内丹、外丹、ソーマ・ヨーガ、念仏、お題目、只管打坐、公案禅、密教、修験道、カトリック、ギリシア正教等々。どの道も体操があったり、呼吸法があったり、観想法が含まれていたり、大方冥想手法...どんな宗教教義も完璧なものはない。

  • 立替立直しと霊界物語の余白歌

    ◎立替の経綸の奥は沢あれど人に言はれぬ事の多かり肥田春充ばかり読んでいると、パワー系、マッスル系の根源が丹田であるかのように思えるが、出口王仁三郎説では、鎮魂においては、令義解に「離遊の運魂を招きて身体の中府に鎮む」とあるように冥想のrootでもある。更に言霊では、言霊を息吹くのは臍下丹田からであり、神人合一して現界霊界に活躍する根幹でもある。霊界物語の余白歌は、あまりにも分かりやす過ぎるがゆえに、出口王仁三郎が、まとめての出版を嫌っていた。だが、何だか今は余白歌集まで出ている。出口王仁三郎没後は霊界物語があまり読まれぬ時代があったので、余白歌も当然に読まれなかった時代が長かったのだろう。立替立直しを教義の軸に据えるというのは、この世の終わりが明日にでも来るように唱えるということで、イエスの幻視もそういうところ...立替立直しと霊界物語の余白歌

  • 肥田春充の丹田強化-6

    ◎爪先の踏み込み◎丹田を錬る-14踵の踏みつけとつま先の踏み込みはペア。肥田春充は、脚の働きから腰を据え、千変万化の自由を得るのがつま先の踏み込みだと唱える。これは、合気道開祖植芝盛平が、『左は発し右は之を受ける、左足は豊雲野神でありますから、これが千変万化の無量無限、神変、神秘を表す』などというように、片足が軸で、自由な運用が他の片足と言うのに似ている。『(イ)上体の力をスッカリ抜き。(ロ)両足は爪先で立つ。(ハ)右膝を曲げて、十分右側方に上げ、右足で右前に、円を描くように廻し、左足の左真横に踏み込む。(ニ)右足が地に着くや否や、左足をつま先で立ったまま、五寸ばかり後へ引く(ホ)それから右足の時と同様に、左脚を高く左側方に上げて、左前に円を描き右足の右真横に踏み込む。こうすると、足の位置はいつでももとのところ...肥田春充の丹田強化-6

  • 肥田春充の丹田強化-5

    ◎踵の踏みつけ◎丹田を錬る-13肥田春充は、実家の姓は川合。彼の『川合式強健術/肥田春充』に踵の踏みつけの詳細の記述がある。『(イ)自然体で独立(ロ)全身どの筋肉にも力を入れない。踵と踵の間は、約五寸位離して居る。(ハ)規定の如き拳(こぶし)を作り、軽く握る。(ニ)腹に力を入れ、グイと首を上げて眼光を定める。(ホ)重心が両足の中央に落ちる様に、腰を据える。(ヘ)右足で軽く地を踏み、続いて左足でも軽く踏み、すかさず右足つま先を、右側方に向けて、踵を強く踏み附ける。(ト)同時に左脚は、膝を曲げないで、左側方に上げる。その上げる程度は、右脚と直角となる位である。そして左足と右足とは直角となる様にする。(右足踵と左足爪先が直角)(チ)上体は力を入れずに、やや前に屈(かが)める。(リ)左様すると下腹部だけが、石の様に固く...肥田春充の丹田強化-5

  • 肥田春充の丹田強化-4

    ◎足の踏みつけと踏みこみ◎丹田を錬る-12肥田春充によれば、踏み込みはつま先でやり、踏みつけは踵でやる。踏み込みは敏捷を司り、踏みつけは強固を司る。彼は特に踵の踏みつけが最強として重視する。そしてつま先のアングルは正面を向くこと。踵の踏みつけの強弱は中心力(丹田)の強弱に正比例する。その上で、眼光を定め、呼吸を整え、精神を集中したのが真の気合だと説く。この修練により、頭寒足熱を実現できる。また肥田は、観劇、スポーツ観戦などで観客が感情が激して立ち上がることをして、『激烈な感情は(意図せず)足に来る』と見る。この原理から合理的な足の踏みつけは、意志力の養成となるとまで推論している。彼は、足の使役と目の支配は、面白い課題であって、禅の修行法の根幹もここに隠れているのではないかと見ている。また動作のスタートでは足は0...肥田春充の丹田強化-4

  • 火、水、東日本大震災10年

    ◎火と水と一つになりて神となり地震は火、津波は水、原発は火。出口王仁三郎の歌集言華(下巻P192)から『火は経(たて)に燃え上がるなり水は緯(横)に流れて神の経綸はなる火は水の力をかりて燃え上がり水は火により緯(横)にながるる水なくばまた火も燃えず火なければ水は凍りて動かざるべし火と水と一つになりて神となり地上一切を豊(ゆた)にはぐくむ人の身も火の魂の抜け去らばたちまち冷たくなりて動かず水なくば地上の万物ことごとく枯れてしぼみて朽ち果つるなり』これらは、いわゆる神秘生理学あるいはプラトンの言うイデア界レベルのものであって物理学の話ではない。日々刻々ご神徳をいただく身にしあれば、誠に『天地(あめつち)の自然の力に抗すべき何物もなしと省みるべし』ではあるが、その日が来ったのは、突然のことではなく、それまでの日々の積...火、水、東日本大震災10年

  • 肥田春充の丹田強化-3

    ◎丹田を錬る-11◎丹田の位置肥田春充の丹田論は、まず精神集中と気合を込めるのが前段。そこで心気なる気を足の親指まで行き渡らせる。これは、出口王仁三郎の振魂の前段が、渾身の力を込めて云々などとなっているのと同じ。そこで次に丹田の位置の話となる。丹田の位置:①臍から垂直下方に一本直線を引く。②臍から背中方向に水平な直線を引く。③その直線の背中(椎骨と仙骨の接合部)上の点から恥骨下端方向に斜めに直線を引きそれを延長すると①に交わる。この直線①②③からできる直角三角形に内接する円を描く。この円の中心が身体の重心。この円と直線①の交点が臍下丹田。振魂では臍下丹田の前で手のひらを振る。振魂では、神名マントラも同時に唱えるが、肥田流にはそれはない。『呼吸を計り、気合を込め、筋肉の緊張と共に、精神を集中することにしたから、一...肥田春充の丹田強化-3

  • 肥田春充の丹田強化-2

    ◎丹田を錬る-10◎丹田強化の効果昭和の日本人は、戦後から昭和50年頃まで、“モーレツ社員”、“エコノミック・アニマル”など、経済復興に向けて、精神よりも戦災からの復興と豊かな家電(三種の神器:白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)に囲まれた“一億総中流”への生活向上が共通目標だったことは否めない。そうした社会通念下では、生存競争を生き抜くために丹田、すなわち肥田春充の言う正中心の開発強化は、気合とか気力充実そのものであって、敢えてモチベーションを喚起する必要はなかったのだと思う。逆にそうした時代には、敢えて“優しさ”やら“知性”やら“しっくりくる”などの感性を強調することがバランスをとることにつながり、OSHOバグワン、クリシュナムルティなどもそのような傾向で出て来たところがある。さはさりながら丹田強化の効果は、健康増...肥田春充の丹田強化-2

  • 肥田春充の丹田強化-1

    ◎虚弱者から強壮者へと変貌◎丹田を錬る-9肥田春充(1883年-1956年)は、戦前軍部や皇族とも近い関係を有していた肥田式強健術の創始者。ダンテス・ダイジは彼を、悟ってはいないが、丹田のあらゆる可能性を開いたと評価している。いわゆる肉体の可能性とは肉体オンリーで単独で成るものではなく、エーテル体レベル、気レベルの連動があるもの。肥田春充は丹田を正中心と呼び、腰腹同量(腰腹に等分に力が入る)の正中心の強化を以って人が健康を獲得する道であることを確認した。特筆すべきは特定の師を持たず、多方面の書を読みながら様々な実験、研鑽を積みながら独自開発の『聖中心道肥田式強健術』を編み出したことである。曰く、腰腹同量とは、身体の重さがつま先にもかたよらず、かかとにも偏らず、腰と腹が等分の緊張をした姿勢である、と。彼の強健術メ...肥田春充の丹田強化-1

  • 登山家も冒険家も行き詰まった

    ◎未踏峰や未発見の秘境がなくなった登山家にとって、世界の14座ある8千メートル峰に登ることは、今や無酸素登頂ですら稀少価値がなくなり、より危険な登山ルートや様々な意図的制約を加えることで、もの珍しさを維持している。※8000m峰14座とはhttps://honeycom.co.jp/hirotaka-takeuchi/about-eight-thousander/アメリカ大陸を発見したコロンブス、世界一周航海を果たしたマゼラン艦隊、南極点に初めて到達したアムンゼン、アフリカ大陸を横断したリビングストンなど・・・。昔はフロンティアが多かった。もう月にまで立った人類には、この物質世界ではフロンティアは、月の先の宇宙にしかないというわけさ。フロンティアとは未知である。ダンテス・ダイジはその著書アメジスト・タブレット・...登山家も冒険家も行き詰まった

  • 全体と欠片

    ◎言葉にできない教えの伝授師事するということは、生活を共にするということで、善きにつけ悪しきにつけ、弟子は師の生活振りを目の当たりにする。それを下敷きにして師の拳骨があったり叱責があったり、アドバイスがあったりする。釈迦も臨済義玄も著作は残さなかったが、言行録を弟子たちが残した。だがそれらの言葉は生ものであり、それを与えられた時、所、シチュエイションと本人に対する言葉であって、後世の言行録の読者のために正解である言葉ではない。よって後世の読者が言行録を読むと、非常に誤解が起きやすく、その誤解によって、奇行、悪行を積み重ね人生を回り道するケースも出てくる。覚醒は言葉で表現できないが、覚者たる師匠と日常を共にすることで自ずと師の全容を感じ取り、言葉によるアドバイス以外のものを覚知することができる。師事というものは大...全体と欠片

  • 不安定な三月

    ◎心を揺さぶる歌手と地震、噴火など出口ナオ、出口王仁三郎ペアによれば、日本の転換点を三、四月か八、九月に始まれかしと祈っている。日本の立替立直は、外国の手によるが、半年の短期間で終わることもまた祈願されているバイデン大統領は、ほとんどワシントンでのメディアでの露出がないようで、メディアは先代のトランプ前大統領の批判をいまだにしているほどに、米国政治の針路ははっきり定まっていない印象がある。対中ロでは「戦略的忍耐」と宥和を発表するかと思えば、トランプ時代以来の強硬策を継続もしている。旗幟不鮮明なのだ。こうした中、対米従属、対中追随の日本メディアも、アメリカの政治動向については何をどう報道すればよいか迷っていて、あたかも首を引っ込めた亀のようである。一方中ロは、尖閣諸島への強硬姿勢は露骨であり、北方領土を発進基地と...不安定な三月

  • 丹田を錬る-8

    ◎古神道の禊の神事-7さて古神道の禊の神事でご紹介した以下五種についてネットで動画を捜してみた。1.振魂の行事2.天の鳥船3.雄健(をたけび)の禊4.雄詰(をころび)の禊5.伊吹の神事ほぼこれらがきちんとそろっているのは、『令和初の鹿島神宮【大寒禊】パート①https://www.youtube.com/watch?v=Wxm6NCCgL8s』という個人の方が挙げている動画の最後の方に出てくるシーンだけである。これは、集団で行っている禊であり動きもバラバラ、唱える神名も天之御中主之大神ではないが、ほぼ伝承されているだけでよしとせざるを得ないと思う。出口王仁三郎の武道を合気道として継承した植芝盛平の動画を捜してみたが、雄健の禊、雄詰の禊、伊吹の神事は見つからなかった。彼は神事を稽古の前に一時間半はかけてやっていた...丹田を錬る-8

  • 丹田を錬る-7

    ◎古神道の禊の神事-6◎伊吹の神事一厘の仕組は、言霊。言霊を伊吹き払う。『言霊(ことたま)の水火(いき)をこらして曲神(まがかみ)を伊吹き払へば消え失せにけり』(霊界物語第77巻第一五章笹原の邂逅)伊吹の神事は重要である。やり方のポイントは、1.両掌を臍の位に置き、勢よく十字形に組み合せ2.腹式深呼吸を三回行う。※腹式深呼吸:完全呼吸法(丹田呼吸法)①意識を丹田(へそのやや下)において腹をひっこめ、息を十分に吐きだす②1~2秒息を止めてから、腹の力をゆるめる。すると自然に鼻から息が入り、腹が少しふくれる。)③胸を広げ、まず胸の下部分に息を入れ、次に真ん中とだんだん上方に息を入れていき、最後に肩を上げ、胸の上部にまで一杯に息を入れる。息が胸に滿ちるにつれ、腹は自然に少し引っ込む。意識は、息で膨らむ部位とともに上へ...丹田を錬る-7

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