しゃきっと意識的に生きるのは大変だが
◎鈍感な人と繊細な人釈迦は、無意識を克服し意識だけになったので、平和と至福に生きている。だが余りにも意識的になったので、起こっているすべてのことを感じ続けるはめになり、そのことで人生は苦だという独特の哲学を創設した。だが、そもそも慈悲の極みとは、これ以上ないほど悲しいということである。OSHOバグワンは、誰もが至福のみに生きることはできず、そのような人は代価を払わされる。それが苦しみだなどということを言っている(究極の錬金術1/OSHOP519)。これは、彼にしては珍しく俗人からの視点で、語っている。鈍感であるということは、無意識であるということ。そうであれば、苦しみをあまり感じないから快適に過ごすことができる。つまり便利さのために、意識的であることを棄てているのだ。従って繊細であることは、この時代の苛酷な生存...しゃきっと意識的に生きるのは大変だが
2021/03/31 05:25