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アヴァンギャルド精神世界 https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧

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2013/11/11

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  • 丹田を錬る-6

    ◎古神道の禊の神事-5◎雄詰(をころび)の禊前段の雄健(をたけび)の禊で、神我一体の観想が成った。雄詰という禊は、神我一体となって、悪神を調伏して、善に改心させる、気合の発声のことである。やり方のポイントは、1.雄詰は「イーエツ」という声を発すると共に、右足を左足に踏み付け、同時に脳天に振りかざした天之沼矛(あまのぬぼこ)を斜に空を斬って、2.一直線に左の腰元に打ち下すや否や、更に「エーイツ」と発声すると共に、右肘を胸側に着けたまま前臂(ひじ)を直立し、天之沼矛(あまのぬぼこ)を打ち上げ3.その後天之沼矛を脳天に構える。ここまででワン・セット。この1から3を3回繰り返す。神我一体として「イーエツ」と打ち込むのは、四囲の悪魔を威圧懲戒する作法であって、この反対に「エーイツ」と打ち上げのは、悪魔を悔悟復活させる為で...丹田を錬る-6

  • 売国者と強欲者

    ◎一億二千万総ゾンビからの脱却この現代日本の特徴は、売国者。この現代世界の特徴は、強欲者。ごくまれに金を欲しがらない政治家もいるのだろうが、利権・口ききの名のもとにコミッションやら手数料やら上納金やらを受け取ることに躊躇がない政治家が多いと聞く。受け取る金に色はついていないとばかりに、差し出される金なら何でも受け取っていくと、やがて隣接する外国や日本の“宗主国”筋の金も受け取ることになり、その政治家は売国奴と化す。有力政治家の発言がしばしばマスコミに流されるが、犬も歩けば売国政治家に当たるとばかりに、“国難国難”と騒ぎ立てるわりには、友好互恵の名目の名の下に、日本を弱め貶める媚〇、媚□政治家の多いことに啞然とする。これでは、ミャンマーばりの軍事クーデター(中ロが支援していたようだが?)を日本で構想するグループが...売国者と強欲者

  • 丹田を錬る-5

    ◎古神道の禊の神事-4◎雄健(をたけび)の禊これは、それぞれのステージで、全身に力を込めてがキーワード。だが最後は、ポーズ付の神人合一の観想(神は汝と共にあり)となる。気張ることは重要だが、神人合一してそれを日々の挙措で運用していくのだ。やり方のポイントは、1.帯を締める。2.直立して左右の両手で帯を堅く握り締め、おや指を帯に差し『生魂』(いくむすび)と唱えつつ、力を全身に充足して腹を前方へ突き出し、体躯を後方に反らせる。3.『足魂』(たるむすび)と唱えつつ、力を全身に充足して両肩を挙げ、然る後、腰、腹、両足とに充分の力を込めて両肩を下す。4.『玉留魂』(たまつめむすび)と唱えつつ、更に力を両足に充足して両の爪先にて直立し、その後、強く全身に力を込めて両の踵(かかと)を下す。5.左足を一歩斜め前方に踏み出し、左...丹田を錬る-5

  • 丹田を錬る-4

    ◎古神道の禊の神事-3◎天の鳥船TVで冬の風物詩として、神社などでの水垢離と天の鳥船がよくTVに出てくる。植芝盛平の天の鳥船の動画では、実にハイピッチで船が漕がれる。やり方のポイントは、1.古代の神々がアトランティスからユーラシアを横断し日本に天の鳥船を漕いで旅をしたことをしのびつつ2.渾身、特に臍の辺りに力を込め3.気合とともに艫(ろ)を漕ぐの動作を百千回繰り返す。気合は、最近の軟弱文化隆盛によりほとんど廃れつつあるが、「エイッ」「ヤアッ」などの全集中での気の集中発揮、発声。大喝一声で相手を委縮させるシーンなどで用いる。臨済禅では、師家が弟子を刺激するために多用されているケースがある。天の鳥船の効果としては、肉体運動の効果に加え、気合の練習ともなっている。そして丹田を強化する効果がある。以下は霊界物語での天の...丹田を錬る-4

  • 丹田を錬る-3

    ◎古神道の禊の神事-2◎振魂《ふるたま》の行事振魂の行事は、合気道開祖植芝盛平の動画https://www.aishinkankyoto.jp/aikido-religion/でも最初に一礼四拍手の後、いきなり振魂が行じられており、平素の稽古メニューに入っていたのだろう。この動画の振魂はささっと終わってしまうが、出口王仁三郎の指針では、数十分から数時間。両手のひらを臍前方で十字に組んで上下に振るのだが、この動画では、右掌が上に見える。やり方のポイントは、1.渾身の力を籠めて《あめのみなかぬしのおほかみ》の神名を称えながら、2.自己の根本精神を自覚して、3.盛んに猛烈に数十分乃至数時間連続して全身を振い動かす。これを見ると、単なる合気道の準備体操というようなものでなく、丹田を中心に激しく身体を揺らしながら、かつ全...丹田を錬る-3

  • 丹田を錬る-2

    ◎古神道の禊の神事-1日本各地の神社神域で、今でも様々な禊の神事が行われ、出口王仁三郎から分派した古神道系新興宗教でもそれが行われているものと思う。彼によると、日本には、大虚中に◎(ス)の言霊から生れ出た天之峯火夫の神(オメガでありアルファである)の聖代より今日に至るまで伝来した禊の神事がある。これは大体は次の5種のような形式で残っている。この神事は、最奥の紫微天界の神々といえども一日も怠る事なく今日に及ぶ主要な行事である。そもそも禊は、大は治国平天下、小は修身斉家の基本である、とする。1.振魂の行事2.天の鳥船3.雄健(をたけび)の禊4.雄詰(をころび)の禊5.伊吹の神事これらには、身体運動と神名マントラの念唱、気合術もあって、神我一体の観想法もありながら、いずれも腹(肚)を作る狙いも意図されているという印象...丹田を錬る-2

  • 丹田を錬る-1

    ◎生命力の強化私自身が理屈先行タイプであるため、このブログも丹田を錬ることには熱心とは言えなかった。覚醒する、光明に出会うというのは、どうしても肉体的な生命力強化とは逆の方向であるため、丹田を錬ることを優先しては考えられなかったのだ。だが、世間には意外に丹田を錬ることが必要な人間が老若問わずいるものだ。わずか6、70年昔は食事家事をこなすことで半日以上費やすのがあたりまえだったが、今やコンビニへ行きさえすれば、コンビニ弁当を代表に大概のものは手に入るようになり、いわゆる作務、作業を通じて肝を錬る場面は激減したと言ってよい。その結果、丹田を錬ることが必要な人が結構増加している。女性は丹田(肝)は生まれつきできているものであり、女性の丹田(スワジスターナ・チャクラ)は程度の差こそあれ、開いているものである(ダンテス...丹田を錬る-1

  • 阿弥陀仏

    ◎極楽浄土移住者からのメール一通世に南無阿弥陀仏のマントラが唱えられない日はない。南無阿弥陀仏のマントラを唱えさえすれば、死後に百万種類もある霊的世界(辺地浄土など)を通過して、その最奥の極楽浄土に到着して、そこで蓮華の台に載って、グルメもファッションも豪邸も思いのままになるのだから、絶対他力の安心が大切。紙に書いた南無阿弥陀仏でも円空の素朴な木像でも、それを無我無心に信じ切れれば、妙好人のようにすべてがナムアミダブツの世界に入り、何の問題もない。だが現代人は、そこまで一心一徹になれるタイプの気力や観想力がある人は少ないのではないか。時節熟して、何かわが身に死が迫るような事に出会って、そんな時にも「絶対他力だから助けてもらえる」という信心が揺るがない人はむしろ少ないのではないか。それが証拠に、「私はナムアミダブ...阿弥陀仏

  • 昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世

    ◎花屋日記から芭蕉が臨終に近いある日、支考、乙州など、弟子たちがお見舞いに集まっていた。去来が芭蕉の具合を計って、芭蕉に「古来より有名な師匠は、ほとんど臨終に際して辞世の句を残すものです。「これほどの名匠の辞世はなかったのではないか」などと、世に言う者があるものです。師匠も見事に一句を残されたならば、諸門人の願いが叶うでしょう。」これを聞いた芭蕉、「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世。私の生涯で言い捨て置いた句はいずれも辞世である」と仰った。更に『あらゆる存在は本よりこのかた、常に寂滅の相(姿)を示す』これは釈尊の辞世にして、彼一代の仏教はこの一句以外にはない。『古池や蛙とび込む水の音』この句に我が一風を興したからこそ初めて辞世がある。その後百千の句を吐いたが、このつもりでなかったものはない。ここを...昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世

  • 般若心経のラストのマントラ-3(秘密真言分)

    ◎庶民が唱えれば、疾疫・邪気(コロナも)が家中に入らない7世紀玄奘三蔵がインドからアフガニスタン経由で長安に帰朝し、大雁塔で仏典の翻訳にいそしんだ無数の経典の中に般若心経もあった。漢訳作業中に、何を思ったか、『ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか』だけ、翻訳せず音を当てただけとした。約百年の後、天平宝字2年8月淳仁天皇が御詔勅を出し、このマントラを天皇が唱えれば、兵革・災難が国内に入らない、庶民が唱えれば、疾疫・邪気が家中に入らない、だから皆さん静かに念じなさい、と。『摩訶般若波羅蜜多は、諸仏の母なり。四句の偈などを受持し読誦すれば、福寿を得ること思量すべからず。これをもって天子念ずれば、兵革・災難、国内に入らず、庶人念ずれば、疾疫・邪気、家中に入らず。惑を断ち、祥を獲ること、これに過ぎたるは...般若心経のラストのマントラ-3(秘密真言分)

  • 般若心経のラストのマントラ-2(秘密真言分)

    ◎マントラは不思議である。唱えれば無明を除くこれが、空海(般若心経秘鍵)だと、最初の往けりは声聞を超える二番目の往けりは、縁覚を超える三番目の往けりは、諸大乗で最も優れたものを超える四番目の往けりは、真言曼荼羅は世界全体だがその完璧を超えるこれに漢詩がつけてあって、『マントラは不思議である。唱えれば無明を除く、一字に千の理を含み、この身このままで覚る(即身に法如を証す)。超えて行き超えて行き、アートマンに至り(行行として円寂に至り)去って去ってニルヴァーナ(原初)に入る。迷いの世界は、ホテルのようなものだ(三界は客舎の如し)アートマンは、本来の自己である(一心はこれ本居なり)』ここで空海は、「ギャテー云々のマントラは意味がわからなくても唱えさえすれば、いつかは大悟に至る」などとことさらに述べるが、OSHOバグワ...般若心経のラストのマントラ-2(秘密真言分)

  • 般若心経のラストのマントラ-1(秘密真言分)

    ◎舎利弗に釈迦がわざわざ授けた秘密般若心経のラストのマントラと言えば、尊いとされる既に智慧を完成した舎利弗に釈迦がわざわざ授けたとされる。般若心経本文では、このマントラは霊妙不可思議であり、光明であり、この上もない、並ぶもののないマントラであると前置きがされる(是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪)。さらに一切の苦を除き、フェイクではなくリアルである、智慧の完成のマントラがこれだとする。『ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか』ここだけ漢訳せず、サンスクリット音。大意は、『往けり、往けり、超えて往けり、すべて超えて往けり、何という目覚めよ、ああ』(参照:般若心経/バグワン・シュリ・ラジネーシ/めるくまーるP496から引用)ここを彼岸に往くと訳すものもあるが、それでは個人が個人のままで霊界に進むみた...般若心経のラストのマントラ-1(秘密真言分)

  • 積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり-2

    ◎贖罪としての大祓さて大祓には3種ある(出口王仁三郎著作集第二巻P63)。大潔斎、中潔斎、小潔斎である。一身を清め一家を清めるは小潔斎。国土を潔斎するは中潔斎。天地の妖気を払い天地乾坤を清めるのは大潔斎。ところが、自分だけ小潔斎をして、国家も地球全体も潔斎を行わないのであれば、腐敗しよどんだ空気の中でいくら自分だけ小潔斎をしても、健康な生活をすることが不可能である。よって、中潔斎、大潔斎も為されて初めて、身を清め、一家を清めることが完全にできる。出口王仁三郎の説明では、大潔斎は大祓であって、天地の潔斎である。天地の潔斎とは換言すれば、天神地祇を真実に祭祀する事である。(真実の二字に留意せよ)祭祀はマツルであって、マツルは真釣るである。天神地祇の御神慮のままをこの土に真釣合すことである。真実に天地の潔斎を成就させ...積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり-2

  • 積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり-1

    ◎罪重なった積悪の清算積善といえば、ネットでは、群馬県四万温泉の積善館と長野の清酒積善が真っ先にヒットする。また積善といえば、その典型として宝くじやロトやギャンブルを思い起すのだが、高額をゲットできた者が最後まで幸福に生きるかどうかは知らない。何十年か前に四国の金比羅さんで黄金色の『幸福の黄色いお守り』を買って不審に思い、売り手の青年に「幸福とはどういう意味ですか」と問うたことを思い出す。思わぬ幸福があると言えば、この積善は、万人ののっぴきならないところ。以下は、易経の坤為地の文言に出ている文章。毎日善い行いを積み重ねている家には、思わぬ慶びがある。一方毎日不善の行いを積み重ねている家には、思わぬ災いがある。これは、そのとおりではあるが、積善には積み方の作法があることは、イエスや積善家の袁了凡が指摘するところで...積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり-1

  • 念仏の一遍の悟り

    ◎となふれば仏もわれもなかりけり昨夜半の地震は大きかった。激しかりし地震おさまり庭の面は月なく更けつつ鳴く鳥の声兵庫の宝満寺で一遍は、紀州由良の法燈国師に参禅していた。国師が、「念仏して覚醒」を公案として提示されたので、一遍は、次のように詠んだ。となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして法燈国師は、この歌を聞いて「未だ徹していない。」とおっしゃったので、一遍は、また詠じ直したところ、国師は、その歌を覚醒と認めて、手巾・薬籠を与え印可された。となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏世界の宗教統一から宗教忘詮という流れがあるように一見思われるのだが、仏教は末法時代で法滅尽経というものまである。世界の宗教統一とは、一宗一派が他の組織宗教を壊滅せしめて世界制覇するという修羅の道筋のことではあ...念仏の一遍の悟り

  • ロジックと言葉狩りの時代

    ◎トランプ追い落とし、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長辞任などマスコミもネットも発言の一部を切り取って批判するのが盛んになった。これでは、長い前置きの話や、幾つかの根拠を並べて演繹的に語る人は真意を伝えるのが困難になる。これでは臨済録、六祖壇経、OSHOバグワンの講演やダンテス・ダイジの座談などは、読めなくなってしまう。今はロジックと言葉狩りは一部の有名人に向かっているので、多くの人はそれが我が事になるなどとは夢にも思わないが、無名の自分の言葉が狩られる時代は近い。OSHOバグワンの般若心経から『論理というものが人間の堕落の根本原因だからだ絶対的に論理的な絶対的に正気の,つねに正気の自分の人生にけっして非論理を許さないような人間は狂人だ正気は狂気によってバランスされる必要がある論理は非論理によって...ロジックと言葉狩りの時代

  • 2月12日使いたち

    ◎無数にある人間の生死の見方の一つ悟っていない人は、肉体死を迎えてもまた輪廻再生する。だから欧州中世では、主星が月(月は肉体のシンボル)である蟹座は輪廻転生のサインである。カルデアの伝説に、7つの惑星が蟹座に集合するとき(大年の冬至)に世界に大洪水が起こり、7つの惑星が山羊座に集合するとき(大年の夏至)、全世界は火で焼き尽くされるというものがある。大洪水の後、世界は再生し、世界焼尽の後、世界は再生するのだから、死と再生のポイントは蟹座であり月であることは、人間と地球に内蔵された神秘的メカニズムといえる※サビアンは、審神されていないので私は信用していない。蟹座がこのように使われるように、特異な使われ方をする日がある。まずOSHOバグワンの誕生日が1931年12月11日であって、ダンテス・ダイジの命日が、1987年...2月12日使いたち

  • 安らいでいる人はリッチではなく、リッチな人は安らがない

    ◎安らぐことが軽視された狂気の時代安らいでいる人はリッチではなく、リッチな人は安らがない。また安らぐことをメインにしている文明は物質的に貧しく、物質的に繁栄している文明では安らぐことは軽視される。人間は精神と肉体・物質の両方が充足して完全だが、ルネッサンス以降、肉体・物質の豊穣と神知らぬ精神を世の中全体で盛り上げたために、現代は、『神知らぬ人間が巨富を得る』ことが人生の立派な目標の一つになってしまったという狂気の時代に成り下がった。このままの時代がさらに続けば、人類は滅亡に至るが、それを回避できる精神の方向性が未だに仮説(教義で成る組織宗教)であって、経験的に万人が正しいと言えるモデルを持ち得ていない。『次の時代は万人が神仏を知る時代』と唱えるのは易いが、その神仏とは何かについて、ほとんどの人がまともな見方をで...安らいでいる人はリッチではなく、リッチな人は安らがない

  • OSHOバグワンの七段の寺院

    ◎仮説から経験に進まないと人間に進化なしOSHOバグワンの『般若心経』に七段の寺院のことが書いてある。第一:肉体の寺院=ムラダーラ・チャクラ人間を肉体として見る。パブロフ、スキナー、共産主義、マルクス主義、行動主義、無神論。人間の尊厳を見ず、モノと見る。第二:精神身体の寺院=スワジスターナ・チャクラフロイトの夢判断レベル。人間は夢という無意識をセックスに還元できるのは、人生の一部にすぎない。何でも性欲由来ではない。第三:心理の寺院=マニピュラ・チャクラアドラー、権力欲。人間をエゴ・トリップとし、すべてを劣等感に還元するが、それは人生の一部分。第四:精神霊性の寺院:アナハタ・チャクラユング、アサジョーリ。無意識と非合理のあることを認めてはいる。OSHOバグワンは、この位置は七段あるうちのまだ真ん中、半端。そして何...OSHOバグワンの七段の寺院

  • 神の目

    ◎ここばかり神の御前とな思いそ何処も神のいます大前出口王仁三郎の歌集から、『神心いつはりの心あらじと思ふその心はやがて神にぞありける戒言報いこそ由由しかりけれ身のために人の曲事人に語らじ神前此処ばかり神の御前と勿思ひそ何処も神のいます大前神眼越えやすき人目の関も神の目の関路はかたくゆるさざるらむ斯道いにしへより説ける教は多けれどまことの神の教旨はこの教除罪なにごとも神の御教にまかすこそ罪を清むるたよりなりけれ(中略)道この道は天照る神の道なれば踏み行く人に光つき添ふ暗黒路にまよふ人のこころは天津日の誠の光知らぬ為なる偽宗ふたたびもよみがへり来て世のをはり救ふと謂へる虚言の謎宝主身の宝光らすこともしらずして朽つる宝を法師がりぞする無頼徒家やぶる人は心も荒れはてて服装ばかりを揺りたかぶる神人日本魂みがきすまして世を...神の目

  • ゲットしたがすぐ棄てられた麒麟

    ◎聖なる獣は殺され、聖人もひどい扱いとなったこれは、孔子が魯国にいた晩年に麒麟が出現した話。紀元前481年春、魯の哀公は大野で狩りをした。叔孫氏の御者・鉏商(しょしょう)が見たことがない気味の悪い獣を捕獲したので「これは不吉だ」と思った。ところが孔子は、その獣を見て「これは瑞祥の印である雌の麒麟だ」と言った。さて、死んだ麒麟を引き取って孔子は、「(本来生きた麒麟に逢うのは吉祥であるが、死んだそれに出会うとは不祥千万)、未だ黄河は天地の理を記した図を出さず、洛水は天地の理を記した書物を出さない。私はもうおしまいだ」と言った。孔子は、愛弟子・顔回が死んだ時には「天は私を殺した」と言い、今回、魯の西方の郊外・大野での狩りで死んだ麒麟を見て「私の道は行き詰まった」と言った。』『史記、孔子世家、西狩獲麟』麒麟は殺生を行わ...ゲットしたがすぐ棄てられた麒麟

  • ボン教のチャクラを開く

    ◎それが起きるにまかせ執着しない肉体上には検出されず、エーテル体からメンタル体までに検出されるチャクラ。数も七つと定まっているわけではない。世にチャクラ本は多いが、それは一体どのボディのことを語っているのか。ボン教でのチャクラを開くことについての解説。『しかし、チャクラが開く際に必ずしも何かしらの体験が起こるわけではない。特別なことが起こらないのが普通だ。チャクラを深いレベルで開くということは、感情やイメージと取り組むためではない。この認識のうえで、何か特別な体験が生じた場合は、それが起きるにまかせ、そのことに執着しないようにしなさい。起きるにまかせ、消えていくにまかせなさい。何かが起きるということは浄化の体験にほかならず、それにしがみつく必要はまったくない。』(チベッタン・ヒーリング/テンジン・ワンギェル・リ...ボン教のチャクラを開く

  • 依り代と審神者

    ◎依り代から見神へチャネリングでは、憑依される人である依り代の浄化度が真っ先に問題にされる。だが、依り代の持つ定めとして、大神が憑依している間のことは依り代本人には自覚がないという問題点がある。神を知るには、三種あり、神に憑依してもらう、神を見る、神人合一だが、大神の憑依も立派な神を知る技ではある。古神道では、冥想法を総称して鎮魂帰神と云うが、帰神の方が憑依である。そうは言うものの依り代本人には自覚がないというのは、如何にも頼りないもので、周囲の質問者にとっては、依り代本人は誤りのないご託宣を伝えてくれるありがたい人物だが、大神の憑依していない時間帯はどんな様子なのだろうと思う。そこで「そのような高級チャネラーもやがて依り代から脱皮して自ら意識しながら神とコンタクトする方向に一歩踏み出すものだ」と、出口王仁三郎...依り代と審神者

  • パドマサンバヴァがアーナンダから教えを受ける

    ◎釈迦の誹謗への対処チベット密教の開祖パドマサンバヴァは、8世紀の人物だが、紀元前の仏弟子アーナンダから仏教を学んだ。密教シーンでは、このような時代を越えた伝授はしばしば起こるもの。アストラルで学んだのか大聖ババジのように時々肉体を持ってこの世に出現したのかは知らない。極めて簡潔で、ディテールやエピソードの少ないパドマサンバヴァの伝記に、彼がアーナンダに釈迦の高弟になった経緯を尋ねるシーンがある。アーナンダは、それは戒律を忠実に守ったからだと言って、先輩高弟の善星比丘のエピソードを語った。善星比丘は、24年間釈迦の身近に仕えた人物で、12巻の戒律の経典を丸暗記していったが、実践はしていなかった。釈迦が、それでは仏教を本当に学んだとは言えないと咎めると、善星比丘は逆切れし、戒律の理解は私の方が優れているとか、聞く...パドマサンバヴァがアーナンダから教えを受ける

  • Fukushima 50

    ◎極く初期の報道に真実あり映画『Fukushima50』を見ました。パニックもの映画はわりと見ているのだが、これについては、シン・ゴジラと無意識に比較してしまうのだが、ノンフィクションを題材にした映画とフィクションの迫力の差が歴然としている。3.11については、大地震・大津波・原発事故当日もその後も、休日返上で勤労していたので、どうしてもその当日の記憶が映画の各シーンと連動する。福島原発事故は、津波による全電源喪失、1号機爆発、3号機爆発、2号機サプレッション・チェンバーの爆発と進んだものの、東日本全体が放射性物質に覆われ住めない土地になることは幸運にも避けることができた。映画では、2号機サブチャンの爆発以前に50人以外を残し全員福1サイトから撤退するのだが、日本国民にはそのような危機が知らされず、数日後関東地...Fukushima50

  • 光と沐浴

    ◎それを掘りにいくのは、気がついた人だけ光は、物質ではない。旧約聖書で神は光あれといい、OSHOバグワンは悟りのことを光明を得ると呼ぶ(エンライトゥンメント)。人は暗闇に入っていって冥想すると内なる光が見え始め、見える。人間には飛び魚型水平飛行と垂直飛行があることは、古代ギリシアの昔から知られている。水平飛行とは、カルマを漫然と消化する生き方であり、常に意識下に死の恐怖を携えて行く生き方。OSHOバグワンは、垂直飛行には二種あって、上昇と下降があるとする。上昇は、バクティ(愛と献身)の道であり、下降は知性の道だが、どの道を通っても不死の領域に到達すれば、必ず光を発見すると言う。その光の根源、光源に入ることを沐浴と呼ぶ。沐浴とは、西洋錬金術でも内丹書でも勘所に出てくる重要なキーワード。知性の道では、ロジックと散文...光と沐浴

  • われわれは抜け殻にすぎないけれど

    ◎七つの存在レベルの最高位での般若心経ものの見方には、7種あって、最初の5種は自分がある見方。最後の二種は、一つはすべてが自分である見方、一つは言葉では表現できない見方。このような七つのレベルがあることを知るのは、第七のレベルに立って後のこと。最近はIT的発想が隆盛だから、どうしても下位互換で、第五レベル(コーザル体)までいけば、第一レベル(肉体)から第五のメンタル体まで使えるだろうとか、第三レベル(アストラル体)レベルまで行けば第一(肉体)レベルと第二(エーテル体)は使えるようになるのではないかと思うが、そんなことはない。こうして何生もかけて七つのレベルを駆使できるようになるのは、第七のレベルに立って後のことだが、第七のレベルに立つと彼に残された人生はせいぜい残り一回である。その1回に満たぬ人生の残された時間...われわれは抜け殻にすぎないけれど

  • 人間は見かけは平等ではないが、平等である

    ◎平等不平等を問題にしない本物のスピリチュアルでは、人間は見かけは平等ではないが、平等である。こうした代表的な見方は、魂の成熟度あるいは精神の成熟度という考え方に見られる。人間の大悟覚醒の可能性を個人別に考えれば、そのような見かけの不平等は当然のように見える。その延長線上に社会、国家の爛熟度の相違というのはある。先進国では大衆精神の爛熟度が進み覚醒が問題になりやすいが、中国、アフリカなど発展途上国では爛熟度はさほどでもないということ。それと、チベット密教などでいう、人間は生まれる前にバルドに居て無数の男女のセックス・シーンを眺めるのだが、そこで再誕する子宮を決める。普通の人は、あっという間に決まるが、聖者と大悪人は何百年も決まらない。これも人間の不平等を当然とした見方。ただし聖者が、なべて釈迦のように王族として...人間は見かけは平等ではないが、平等である

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