たまに詩を書いています。
病院のケースワーカーをしています。福祉職従事者です。 好きなものは詩や演劇、小説、映画。 学生の頃は文学研究会というサークルで、あれやこれや尽きることのない話をしてました。 昔書いていた詩を日記に載せていますのでご覧ください。
夜中二時の戦闘開始ヤツの本当の敵は眠気と好奇心だ訳わからずに泣いていた一歳半と異なり言葉のわかる悪魔の二歳児は立って抱っこしろとあっちへ連れていけと泣いて訴える向こうで姉が迷惑そうに背を向けて寝ている私の武器は夜だからあっちは行かないよと泣きやみなさいの二つだけ極めて劣勢だが私には理屈という強い味方がいて泣いてるから(嗚咽して)苦しいんでしょうと泣きやんだらお茶持ってきてあげるよと泣いてたら抱っこしないよと泣いてるから目が覚めちゃったんでしょうとあれを出しこれを引っこめしつづけること四十分ヤツは再び天使の寝顔で寝息を立て束の間の眠りへ落ちていく204-04/2019.5.29AllCopyrightwith田中霧許可のない転載を禁じます204-04
娘が咲いたと言ってチューリップが咲くのを喜ぶ赤と黄色だね、白がないねと言って娘が喜ぶお花を育てたらと母が言い今年は球根を植えようと父が微笑む我々は小さな家族だこの幸福は日々の別離に支えられ故に愛おしく尊い――国立市中にて203-03/2016.4.6AllCopyrightwith田中霧許可のない転載を禁じます203-03
北に向かっていたはずがいつのまにか東進してしまう浦和・川口私はここで東風(こち)という句集を編む俳人と出会った今日は春風の吹く日慈雨が降るその愛娘がお前はどんな詩を書くのかと問うてくれたのだ完市忌はいつか私はまたその血を継ぐ人たちに会いに来ようと思う――川口市伊刈にて202-03/2016.3.19202-03
新幹線のガード下この場末の公園で娘は滑り台をするというサラリーマンが車の中で昼寝をしている年寄り夫婦が散歩に出る小学生が下校しはじめるそんな秋の日の、昼下がり「登ってきちゃ駄目」という娘を、階段の下で宥(なだ)める私こっちの手摺りには掴まるなという娘の、下で待つ私娘は今夜泣きもせず、よく眠っている私にくっついて眠りについた「パパ、パパ」と言って少し大きめの世界小さな私が、その中にいること慈しみという感情驕(おご)らずにあること――中央区下落合で201-03/2015.10.7201-03
娘が「おそと行くよ」と言うお外には楽しいことが沢山あるから私は人によく助言を受ける私は変わり者で表より裏を覗き込むほうだからここは二つめのgroundzeroかつて数万の人が殺された原点私と連れあいと娘と祈る思いで上空500メートルを睨みつける――長崎市松山町にて200-03/2015.5.8200-03
河があると、鳥が棲んでいる一つはまず、人との棲み分けそしてそれは、流れゆくから鳥はそこで生きられそして死ぬことができる河に流され、海へ還る人は木になる木の根本に埋められて土へ還り、木が育つ巡りゆくことその一部へ還ってゆくこと人はその環(わ)から飛びだしたたかだか80年の存在――奥泉光『三つ目の鯰』より199-02/2015.4.24199-02
あなたの前からいつの日か私の去ることが決まっているのだとして私があなたにできるのはあなたの毎日が安らかに送れるよう賄い生きること向こうを見て私の膝に座るあなたの相似形に成長した姿が今ここに見えるようだあなたは一人ではない仲間がいて血を分けた人がいるのだと信じて生きられること自らの才覚と努力で自分は一人ではないと見出せる人に育ってくれること--"Contact"RobertZemeckis,JodieFoster,USA,1997198-01/2015.1.10198-01
遅ればせながら、コンタクト(ジョディ・フォスター主演)を観た
正月、何の気なしにフリーペーパーに載っていたTV番組表を眺めていたら、「コンタクト」(1997年、アメリカ、ロバート・ゼメキス監督、ジョディ・フォスター主演)がやるそうな。正月休みが明ける頃、録画したのを少しずつ観ていた。面白かった。ヨーロッパ映画にハマっていた学生の頃なら、NHK-BS2(今のBSプレミアム)でやっていても観るのを後回しにしていた映画だったけど(VHSビデオに撮っていたものの、結局観ないままになってしまった)、単なる地球外生命体との遭遇映画ではなく、地球という星に人間という生命が存在していることの意味を、周りから理解させる、もしくは浮き彫りにするという趣旨に仕上がっていて、あと味良好。それを体験した本人と、周りの人間たちの反応も斯くあるべしと納得させるものだった。時空を抜けるのにはあんなもの作...遅ればせながら、コンタクト(ジョディ・フォスター主演)を観た
1私たちは人生の主役ではない映像にならない絶望があるし青春の終わったことをこの日と定める日がいずれやってくる美しく彩(いろど)られていないものその場で感ずることしか許されないもの再現は不可能なのだ2夜その先に進むことを諦めて引き返した夜歩んできた道のりをもう一度戻らなければならなかった夜それを自ら許せなくて違う方向へ戻ろうとした私の愚行世代を連鎖する私たちの不幸死をも賭(と)して与(あずか)ろうとすることそれは再び得ることでありがちでまた、この今、でなければならぬことであるなどするどこへ向かうことも誰かに阻まれるから美しい秋の日は掛け替えのない今、でしかないのかもしれない197-02/2014.10.3197-02
川の畔(ほとり)を歩くと君を思い出すここでなら静かに暮らせると川の畔に住んでいた君信ずることを為して生きる茨の痛みを川のせせらぎが和らげてくれる友よ君が生きて働き、在ることが私を励ます君こそが水なのだ水の音に包まれて在ること私ではない君が在ること私を慰めるその信念の超越――鴻沼川でOに寄せて196-03/2014.5.23196-03
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