末期の肺がんの母との闘病記録です。 治療しながら経験したこと、勉強になったことを書いてます。
母は末期の肺がんのため、現在の医療では手の施しようがありません。 でも、母も家族もあきらめていません。 どんな結果になろうと、最後まで闘うつもりです。 今、母は、家族と協力しながら食事療法を頑張っています。
肺ガンの母が亡くなって、もう1ヶ月半以上がたったでしょうか。と思ったら。今度はもうすぐ、すい臓癌で亡くなった父の3回忌だったりします。そう考えると、時がたつのは早いものですね。母が亡くなったばかりの時は、あまりの忙しさにこう思ったものです。
肺がんの母が亡くなって42日たっても、なお忙しさに追われる日々
肺がんの母が亡くなって42日がたちました。先日も書きましたが。母が亡くなって約1週間後に、弟が自殺をしてしまいました。それもあって、二重の忙しさでした。周囲の方々は、何かあるたびに私を気遣ってくださいます。「大変だけど、がんばってね。」「何
肺ガンの母が亡くなって、35日がたちました。公的機関や保険の手続きは、まだまだ完全には終わっていません。また、母の遺品の整理や。母の部屋の掃除や。その他の部屋の掃除や。そういった片付けも、あんまり進んでいません。実は、このブログでは、今まで
肺がんの母が亡くなって、今日で28日になります。まだ1ヶ月たってないんですね。なんだか自分でも時の流れがよく分からないというか。母が亡くなったのが最近のことでもあるように思えるし。一方で、もうはるか昔のことのようにも思えます。というか、今の
肺がんの母が亡くなって、今日で23日になります。正直、「まだ23日しかたってないの?」という感じです。そのくらい、この23日は長く感じるというか。相変わらず、日々、やることが多すぎるんですよね。母が亡くなったこと以外にもいろいろ事件があった
肺がんの母が亡くなって、15日がたちます。個人的にいろいろあって、まだまだ忙しい日々を過ごしています。ただ、当初よりはだいぶ余裕がでてきているのでしょうか。母の部屋の掃除や。母の遺品の整理など。最近は片づけをする時間もできてきました。母の遺
肺ガンの母が亡くなってから12日がたちます。もう12日?まだ12日?正直、自分でもどちらの気持ちなのか分かりません。通夜、葬儀の準備。その後の家の片づけ。母の友人からの電話や来客の対応。各種、公共機関への手続き。保険金の請求。などなど。やる
肺がんの母が亡くなって6日になります。早いような気もするし。一方で、「まだ6日?」という気もするし。父はすでに他界しています。また、私は未婚のため、他に家族もいません。なので、通夜、葬儀ともに、基本的には一人で準備をしなければいけませんでし
母がホスピスに転院して、昨日で29日でした。病院から私の携帯に、朝早くに電話がかかってきました。「お母さんの病状が良くなく、脈も弱くなってきているので、できるだけ早く来てください。」私は急ぎました。たしかに、主治医の先生は、その前日の8月1
肺がんの母がホスピスに転院して28日がたちます。昨日のお昼から、思うように母は食事ができませんでした。食べると息があがってしまうため、その結果、食欲が少し落ちてはいましたが。それでも、これまでは、ゆっくりであっても食事はそれなりにできていま
肺ガンの母がホスピスに転院してから27日がたちます。母はここ数日で、ある変化が起きています。それは。血痰(けったん)が出るようになってしまったこと。もともと、痰に関しては出ていました。6月までは自宅療養していましたが。その頃は、ことあるたび
肺がんの母がホスピスに転院して26日になります。早いもので、もう26日もたったんですね。ここのホスピスの平均余命は、1ヶ月〜1ヶ月半だそうです。なので、母ももうすぐその対象に入ってくることになります。まあ、余命に関しては、母の場合は何度も克
肺ガンの母がホスピスに転院して23日になります。病状に関しては、呼吸が苦しいのは相変わらずのようです。現状では、痛み止めや呼吸の苦しさを緩和するため、MSコンチンというモルヒネを投与しています。そのせいか、病状の進行はともかくとして、はた目
肺ガンの母がホスピスに転院して22日がたちます。母は最近になって、足にむくみが出るようになってしまいました。酸素不足のため、チアノーゼの症状は数か月前から出ていましたが。むくみはつい最近まで、あまり見られませんでした。なので、ホントここ数日
肺がんの母がホスピスに転院して18日がたちます。母はここ数日、また咳が出るようになりました。7月に入院して以降、咳止めの薬を飲むようになり、咳は止まっていたんですが・・・。主治医の先生が言うには、病状が進行している表れだとのことです。なので
肺がんの母がホスピスに転院して14日になります。こうしてる間にも、病状はどんどん進行してるのでしょうか。最近は、コンニャク湿布をあてるだけでも、母は息があがってしまいます。「体を温める」という行為だけでも、思った以上に体力を要しているようで
肺がんの母がホスピスに転院してから11日がたちます。母は最近、食べ物がうまく飲み込めない場合があるようです。例えば、春ウコンなどはこれまで錠剤のまま飲んでいましたが。最近では錠剤だとうまく飲み込めないようです。かといって、春ウコンをかみ砕く
肺がんの母がホスピスに転院して8日がたちました。今日はお昼にアロマテラピーをやってもらったようです。母は今までにアロマをやってもらったことはありませんでした。なので、今回が初めての経験です。そして感想を聞いてみると。「すごく気持ちがよかった
肺がんの母がホスピスに転院して7日がたちました。というか、まだ7日なんですね。もう1ヶ月くらいいる感覚でいましたが。まだ7日しかたっていないようです。でも、母は1日1日が勝負ですから。前の病院の主治医の先生からは、今月もたないだろうと言われ
肺がんの母がホスピスに転院してから5日がたちます。ホスピスでの生活にだいぶ慣れたせいでしょうか。最近では、友人とも積極的にコンタクトをとっているようです。もちろん、先が長くないのを覚悟しているのもあるのでしょうが。それでも、やはり見た目が元
肺がんの母がホスピスに転院してから3日がたちます。だんだんホスピスでの生活にも慣れてきたようで、以前よりもリラックスしているように見えます。また、以前よりも明るくなっているようにも見えます。ホスピスというのは延命を意識した治療を全くしない場
肺がんの母が入院して16日がたちます。今日は今までお世話になった病院を退院しました。そして、母が願っていたホスピスへ転院することになりました。朝すぐの退院だっため、バタバタしてせわしない状態でしたが、母はうれしそうでした。前もって介護タクシ
肺がんの母が入院して、15日がすぎました。明日は今の病院を退院して、ホスピスへ移る予定です。母もホスピスを楽しみにしているようで、気のせいか今日は少し元気だったように見えました。また、正直言うと、無事にホスピスへ移ることができるかどうかは私
肺がんの母が入院して13日が過ぎました。ここへきて呼吸にかなりの変化が出てきた気がします。普段の呼吸はさほど変わりなく、酸素ボンベを使えば95の数値はキープできています。ただ、問題なのは食事をするとき。どうも、食事をするだけで呼吸が苦しくな
肺がんの母が入院して11日がたちます。母は、昨日あたりから、食事をするのにも息があがってしまうようになってしまいました。食べたり、水を飲んだりすると、呼吸が苦しくなるらしいのです。ただし、食欲は相変わらずあるようです。それなのに、食べること
肺がんの母が入院してから10日がたちます。入院生活にもだいぶ慣れてきたようで、最近はテレビを見る元気まで出てきたようです。痛み止めや咳止めの薬が効いている影響が大きいんでしょうか。もちろん、病状は急速に進行しているとは思います。でも、母が見
肺がんの母が入院してから1週間が過ぎました。母は酸素ボンベと痛み止め薬の服用で、ある程度快適な生活を送れているようです。酸素の数値は、ボンベをしていても90まで下がってしまった時期もありました。でも、ここへきてまた95まで戻るようになりまし
肺がんの母が入院して、今日で6日目になります。母も、背中の痛みと呼吸の改善を目的に入院しています。そのための薬の投与は仕方ありません。それによってガンが急速に進行してしまった可能性もありますが、そこは母も私も覚悟をしてきましたから。つまり、
肺がんの母が入院して、今日で4日が過ぎました。その間、酸素の補給と背中の痛みを軽減することを目的に治療をしていました。とにかく、次から次へと嵐のように薬が投薬されていました。予想はしていましたが、それにしてもまさかここまで薬漬けになるとは・
肺がんの宣告を2012年8月に診断されて以降。活性NK細胞療法、食事療法、温熱療法と、母はこれまでがんばってきました。ところが、実は母は、4か月前ほど前から背中の痛みを感じ始めていたようです。当初は我慢できるレベルのものだったらしく、母もだ
末期の肺ガンの母が、ビワの葉温灸療法を始めて1ヶ月になります。ただ、母の気分によってダダをこねることが多々あり、なかなか定期的にやることができていません。なので、せっかく温灸キットを購入したのですが、1ヶ月たっても材料が残ってしまっています
肺がんの母が食事療法を始めて4か月がたとうとしています。そんな母が1ヶ月ほど前に、知人からの紹介で温熱療法の治療を受けました。正式には、「ビワの葉温灸療法」(びわのはおんきゅうりょうほう)というものです。文字通り、枇杷の葉っぱを使って行う、
肺ガンの母が食事療法を始めて4か月が過ぎようとしています。母は、最近は呼吸が苦しくなり、動くこともかなり減ってしまいました。というのも、すぐに息があがってしまうようなんですね。息があがってしまうと、母はすぐには動けません。その場で座り込んで
肺がんの母が食事療法を始めて4か月たちます。食事の味などでわがままを言う母と何度もケンカし。そして、結局、母の死を覚悟し、母のガンを真剣に治すことをあきらめた私。今では母の望むようにさせてあげています。食事療法の重要性を教えてくださったのは
肺がんの母の治療に関与するのをやめてから4日がたちました。この4日間、母の生活は乱れっぱなしでした。まず、にんじんジュースは1回も作っていない。食事はまともにとっていない。とっていても、自分の好きなものだけをとっているだけ。部屋の掃除もして
肺がんの母の治療を始めて、もう10か月以上になるでしょうか。最初は病院へ通う程度だったため、私のやることは限られていました。本やインターネットなどで治療を調べたり。その治療がはたして正しいのかどうかを常に疑ってはまた調べてみたり。あるいは、
肺ガンの母が夜寝れない状態に苦しんで、1ヶ月ほどになります。病院で、先生から睡眠剤を処方してもらってはいたものの。依存症になってしまって、睡眠剤から抜け出せなくなるのも怖いため、母はほとんど服用しないで我慢してきました。そして、それ以外の方
肺ガンの母が夜思うように寝れなくなってしまい、ここ1ヶ月間苦しんでいます。睡眠剤は長く使用すると危険なため、それ以外の方法でなんとか改善を試みています。1.夕食時に小豆茶(あずきちゃ)を飲む。2.夜寝るときは、加湿器をつけて寝る。3.寝る2
肺ガンの母が夜思うように寝れなくなってしまい、ここ1ヶ月間苦しんでいます。今日、テレビでも報道していましたが、睡眠剤に頼るのはやはり危険なようです。なぜなら、依存症になってしまうようなんですよね。そして、そこから抜け出すのが大変だ、と。それ
肺がんの母が、咳のために夜ぐっすり寝れません。睡眠剤を泣いてほしがったときもあったほどです。ただ、今はひとまず別の方法で解消することに努めています。その1つが、前回書いた小豆茶(あずきちゃ)。小豆茶を飲むことで、ストレスの解消や、心のリラッ
小豆(あずき)には、抗ガン作用だけでなく睡眠効果もあるらしい
末期の肺ガンの母がなかなか寝つけず、毎晩のように苦しんでいます。睡眠剤を飲んでぐっすり寝たい。その気持ちは痛いほど分かります。そして、睡眠をしっかりとらないと、ガンの治療にもよくない。そういう視点からも、この問題は早く解決しなければいけませ
肺ガンの母が最近困っていることがあります。それが睡眠。夜、なかなか寝れないのです。寝ると咳が出るようで、深夜3時ごろまで寝れない、といつも嘆いています。今から1ヶ月前くらいからでしょうか。それまではそういうことは言っていませんでした。ただ、
食事療法を初めて約3か月になります。この3か月で困ったことは多々あります。その中の1つがこれです。賛否両論のある療法はどう判断したらいいのか?この判断が非常に困りました。そうでないものは簡単なのです。例えば、こういう感じのものです。「ガン患
ガンの母が食事療法を初めて3か月なります。この3か月間、母は徹底しして食事療法をしてきました。・牛肉、豚肉は一切食べない。・お菓子、菓子パンは一切食べない。・牛乳を一切飲まない。・添加物が含まれる食品を一切食べない。・漬物などの塩蔵品を一切
にんじんジュースをガンの母に作り続けて3か月になります。もともと、ガンの母の食事療法のために始めたにんじんジュースでしたが、実は母だけが飲んでいたわけではありません。私も一緒に飲んでいました。なぜ私も飲むようしたのか?その理由は2つです。1
末期の肺ガンの母がにんじんジュースを飲み始めてどのくらいたつでしょうか。にんじんジュースをスタートしたのが、2013年2月末。今日が5月31日。なので、ちょうど3か月になります。朝、昼、夕、と、1日必ず3回以上。1日合計、1200ml 〜
肺ガンの母にとって、今では食事療法の柱となっているにんじんジュース。そのにんじんジュースを始めるために、まずジューサーを買いました。これがないとジュースが作れないので。ミキサーでもできないことはないんですが、1つだけ注意点があるのです。それ
食事療法を2013年2月下旬からスタートした母。そのシンボルとなっているのが、母の場合、にんじんジュースです。渋谷塚田クリニックを受診したときに、先生から言われた言葉が今でも忘れられません。「ガンの食事療法は、まず何よりも、後にも先にもにん
食事療法を2013年2月下旬から始めて今は3か月です。しかし、この3か月間、ずっと困っていることがあります。それは何かというと。母が私に文句ばかり言ってくる!ということ。理由は簡単です。食べたいものが食べられないから。これが全てだと思います
肺ガンの治療をしていくうえで、食事療法の重要性に気づいた私たちは、さっそく食事に気をつかうようになりました。2013年2月下旬のことです。肺や体に有害なものは入れないようにする。汚染された空気や、掃除してない部屋のホコリなどはもちろんそうで
ガンは生活習慣病である。そのことに目覚めてから、そういう視点で改めて勉強をしまくってきた私たち。生活習慣を変えたところで、そんなの治療じゃない。そう勘違いしていた私は、それまで気にもとめずにバカにしてきました。しかし、その重要性に目覚めて以
ガンをこれから治していくためにも、その原因となる化学物質やウイルスなどを体内に入れないようにする意識を持つよう私たちは心を改めました。2013年2月下旬のことです。それでも、すべての毒物が侵入するのを防ぐのは到底無理だと思うのです。例えば、
肺ガンの母を根本的に治療するため、ガンの原因を改めて洗い出してみたことは前のページで書きました。2013年2月下旬のことです。その結果、母の生活習慣には、考えられる原因のほとんどが該当している可能性がありました。紫外線、放射線などは日本特有
ガンの食事療法に目覚めた私たちは、とにかく勉強しました。2013年2月下旬のことです。これまでも、ガンの治療法を調べるにあたって、それなりの勉強はしてきたつもりでした。母が末期の肺ガンの宣告をされたのが、2012年8月中旬。それから6か月間
末期の肺ガンの母が、ホントに末期の状態にある。そういう事実をつきつけられたときは、本当にショックでした。しかし、だからといって、私たちには今すぐどうこうできる問題ではないのです。母が癌悪液質に蝕まれている・・・。その原因は、”ガン”。じゃあ
渋谷塚田クリニックでの診療が終わり、車で6時間ほどかけて家に帰ってきました。2013年2月中旬のことです。私は、母の後ろ姿を見たときに、あることに気づきました。なんだか母の体が激しくやせてしまっている・・・。いえ、確かに、普段からヤセてしま
食事療法に目覚めた私たちは、ガン治療に対する考え方が180度変わりました。2013年2月半ばのことです。塚田先生が勧めてくださった2冊の本は先生のクリニックでも売っていたので、その場ですぐに購入できました。斉陽高穂(わたよう たかほ)先生の
肺ガンの母が渋谷塚田クリニックを訪れたときのことです。2013年2月中旬でした。先にも書きましたが、母はこれまでの治療のいきさつを先生に伝えました。そして、抗がん剤をやらずにここまできた私たちの苦労をねぎらってくださいました。その後、続けて
肺ガンの母が渋谷塚田クリニックを訪れたときのことです。2013年2月中旬でした。母は、これまでの治療のいきさつを塚田先生に伝えました。肺腺癌の診断をされたこと。抗がん剤を断ったこと。活性NK細胞療法を3か月間やってみたこと。それと並行して、
渋谷塚田クリニックに行く前日の日のことでした。2013年2月中旬のことです。天気予報を調べると、当日はなんと「雪」でした。まいったな・・・。私たちは困りました。なぜなら、ようやくとれた予約の日だからです。キャンセル待ちで受診日が早まったとは
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