[北魏:熙平二年 梁:天監十六年]┃人民救済 春、正月、辛未(9日)、梁の武帝(時に54歳)⑴が自ら南郊〔にて天〕を祀り、詔を下して言った。「朕は即位してより…
[北魏:熙平二年 梁:天監十六年]┃人民救済 春、正月、辛未(9日)、梁の武帝(時に54歳)⑴が自ら南郊〔にて天〕を祀り、詔を下して言った。「朕は即位してより…
▶王羆伝⑴ 『周書:王羆伝⑴ 〜天もし国家を祐けずんば、矢を額に中てよ〜』┃雍州の著姓・剛直公正の人 王羆は字を熊羆といい、京兆覇城の人で、後漢の河南尹の王遵…
https://ameblo.jp/kabadeden147/entry-12887000942.html 『周書:王羆伝⑴ 〜天もし国家を祐けずんば、矢を額…
┃雍州の著姓・剛直公正の人 王羆は字を熊羆といい、京兆覇城の人で、後漢の河南尹の王遵の後裔である。家は代々州郡の著名な一族として名を馳せた。 羆は質実剛健・公…
[北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃田益宗、東豫を乞う この年、北魏の征南将軍・金紫光禄大夫・散騎常侍・曲陽県伯の田益宗⑴が上表して東豫州刺史となり、梁にいる…
[北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃十字を過ぎず この年、梁が〔左衛将軍の〕昌義之⑴を使持節・都督湘州諸軍事・信威将軍・湘州(長沙)刺史としていたが、その年中…
[北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃新体制 6月、丙申(1日)、梁の小廟の改築が完了した。 庚子(5日)、〔侍中・中権将軍・〕尚書令〔・丹陽尹〕の王瑩⑴を左光…
[北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃淮堰完成〔これより前、梁は何度も兵を起こしては北魏の防備の手薄な所に攻めかかったが、野心に反して実力が伴わなかったため、そ…
[北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃梁、北魏の荊州に侵攻 春、正月、戊辰朔(1日)、北魏が大赦を行ない、年号を延昌から熙平に改めた。 これより前、梁の弘農⑴…
[北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃梁の北伐〔この秋、〕梁の左遊撃将軍の趙祖悦⑴が数万の兵を率いて北魏の西硤石[1]を襲撃し、占拠した。祖悦は西硤石に外城を築…
[北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃胡太妃、皇太后となる 丙子(8月6日)、胡太妃⑴を尊んで皇太后とした。太后は崇訓宮に住んだ。 また、侍中・車騎大将軍・領軍…
[北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃南秦州氐の乱 北魏の南秦州の氐族が叛乱を起こし、武興(武興鎮、或いは東益州)を包囲した。 この月(4月)、征虜将軍(従三品…
[北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃益州軍の撤退 これより前(去年の11月)、北魏は司徒の高肇⑴を大将軍・平蜀大都督とし、步騎十五万を率いて蜀を討伐するよう命…
[北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃加冠の儀 春、正月、乙巳朔(1日)、梁の武帝⑴が太極殿にて太子統⑵の加冠の儀を執り行ない、大赦を行なった。また、全国の跡継…
[北魏:正光三年 梁:普通三年]┃高車王 4月、丁卯(6日)、梁の汝陰王の劉端⑴が薨去した。劉哲が跡を継いだ。 癸酉(12日)、洛陽にて暴風雨が起こり、屋根が…
[?〜540]┃死生富貴、天に在り 念賢は字を蓋盧といい、金城枹罕(河州。天水の西北。涼州の南)の人である⑴。父の念求就は大家の子を以て武川鎮(北魏の北辺防衛…
[北魏:正光三年 梁:普通三年]┃我が任城 春、正月、庚子(7日)、梁が宣恵将軍・尚書令の袁昂⑴を中書監・丹陽尹とし、雲麾将軍・呉郡太守の王暕⑵を侍中・尚書左…
[487〜539]┃武川鎮の勇士 寇洛は、上谷昌平(北京の西北)の人である(本姓は若口引か)。代々将軍・官吏を輩出した家に生まれ、父の寇延寿は和平年間(460…
[北魏:正光二年 梁:普通二年]┃弥偶可社句可汗の亡命 これより前、阿至羅国(高車の十二姓の副伏羅の出の阿伏至羅が建てた国)主の副伏羅伊匐⑴は〔嚈噠(エフタル…
[?〜538]┃文武両道の人 梁禦は字を善通といい、本貫は安定郡(涇州の治所)烏氏県(安定の東三十三里)であったが、のちに仕事の関係でそのまま武川鎮に居住する…
[北魏:神亀二年 梁:天監十八年]┃称詔 春、正月、甲申(4日)、梁が領軍将軍の鄱陽王恢⑴を使持節・散騎常侍・都督荊湘雍梁益寧南北秦八州諸軍事・征西将軍・開府…
『羊侃伝(1)』[496~549]┃東朝に帰るべし 羊侃は字を祖忻といい、泰山郡梁甫(鉅平?)県の人で、〔後〕漢の南陽太守の羊続の末裔である。 祖父の羊規之…
[530~548]┃蠕蠕公主前史〔柔然の頭兵可汗⑴は、北魏に護送されて帰国を果たした頃(521年正月参照)は北魏に恭しく接していたが、北方に勢力を拡大してから…
┃プロフィール【生没年】天監七年(508)八月丁巳(6日)~承聖三年(554)十二月辛未(19日)・梁の武帝の第七子。・幼名は七符(官)・字は世誠・眼病により…
┃官職・都督→560年:領軍将軍・都督→武平年間(570~576):開府・王┃高家の家奴〔東魏の権臣の〕高歓⑴の蒼頭(家奴)の陳山提⑵・蓋豊楽⑶・劉郁斤・趙道…
『北斉書:安徳王延宗伝⑴ 動けるデブ』[544~577]┃衝天王にならんと欲す 安徳王延宗は〔東魏の権臣の〕高澄⑴の第五子である。母は東魏の広陽王〔湛⑵?〕…
[544~577]┃衝天王にならんと欲す 安徳王延宗は〔東魏の権臣の〕高澄⑴の第五子である。母は東魏の広陽王〔湛⑵?〕の芸妓の陳氏。〔澄が武定七年(549)に…
[北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃為仁微小 壬寅(8月24日)、北魏の孝文帝⑴が肆州(九原)に到った。この時、〔肆州〕民のうち七十歳以上の者の爵位(二十…
[?~531]┃占卜によって成り上がる 劉霊助は、燕郡(幽州の治所の薊がある郡)の人である。父は劉僧安。陰陽・占卜の事を好み、范陽の人の劉弁に師事した。ただ、…
[北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃王融策動 戊寅(7月30日)、〔病気に罹っていた〕南斉の武帝⑴が突然危篤に陥り、意識不明の状態となった。この時、帝の子…
[北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃遷都計画 北魏の首都の平城は南五十里に定襄(雁門の誤り)郡より出て海(東シナ海)に流れる桑乾水という川があり、それに因…
[北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃皇太孫昭業 夏、4月、癸未(3日)、北魏の使者が南斉に到着した(正月14日に北魏は邢巒と劉承叔を南斉に派遣していた)。…
[北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃陳顕達の静退 春、正月、壬子朔(1日)、北魏の孝文帝⑴が百官を太極殿に集めて宴会を開いた。 癸丑(2日)、南斉の武帝⑵…
┃生没年 521~549年8月○北斉文襄紀〔武定…七年(549)…八月…〕辛卯,王遇盜而殂,時年二十九。┃容姿 北史:美姿容 賈子儒:瞼が薄く、目の動き(或い…
[507~568]┃楊忠の登場 楊忠(本姓は普六茹?)は幼名を奴奴といい、武川鎮の人である。 漢の太尉の楊震の末裔という(眉唾)。 震の八代孫の楊鉉は燕(北燕…
[隋:開皇九年 陳:禎明三年]┃嶺南乱る これより前(588年)、陳は使持節・光勝将軍(六品)・平越中郎将・大都督・東衡州刺史・領始興内史の王勇⑴を鎮南大将軍…
[隋:開皇九年 陳:禎明三年]┃江州降る 癸巳(正月29日)、隋が使者を江南の各地に派して巡撫させた。 隋の〔上大将軍・蘄州総管の〕王世積⑴は蘄口にて陳が滅亡…
[隋:開皇九年 陳:禎明三年]┃逃走の機逸す 陳軍が敗北を喫すると、任忠⑴は宮殿に馳せ入って後主⑵に謁え、敗北した事を報告した。それからこう言った。「陛下、身…
[隋:開皇九年 陳:禎明三年]┃馬鞍山・磨刀澗の戦い これより前、陳の荊州(公安)刺史の宜黄侯慧紀⑴は隋軍が渡江したのを知ると、公安の留守を長史の陳文盛らに任…