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ふぁいたーず!! https://ameblo.jp/kabadeden147/

2009年から愛し始めたファイターズを、データで分析したりして応援していきたいです(*^^)v

伊勢めじろ
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住所
福井市
出身
富山市
ブログ村参加

2013/04/12

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  • 517年⑴ 戦功詐取の風潮

    [北魏:熙平二年 梁:天監十六年]┃人民救済 春、正月、辛未(9日)、梁の武帝(時に54歳)⑴が自ら南郊〔にて天〕を祀り、詔を下して言った。「朕は即位してより…

  • 周書:王羆伝⑶ 〜この城は王羆の墓なり〜

    ▶王羆伝⑴ 『周書:王羆伝⑴ 〜天もし国家を祐けずんば、矢を額に中てよ〜』┃雍州の著姓・剛直公正の人 王羆は字を熊羆といい、京兆覇城の人で、後漢の河南尹の王遵…

  • 周書:王羆伝⑵ 〜老羆死すとも、ムジナは通さぬ〜

    https://ameblo.jp/kabadeden147/entry-12887000942.html 『周書:王羆伝⑴ 〜天もし国家を祐けずんば、矢を額…

  • 周書:王羆伝⑴ 〜天もし国家を祐けずんば、矢を額に中てよ〜

    ┃雍州の著姓・剛直公正の人 王羆は字を熊羆といい、京兆覇城の人で、後漢の河南尹の王遵の後裔である。家は代々州郡の著名な一族として名を馳せた。 羆は質実剛健・公…

  • 516年⑸ 弥俄突の敗死と貨幣問題

    [北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃田益宗、東豫を乞う この年、北魏の征南将軍・金紫光禄大夫・散騎常侍・曲陽県伯の田益宗⑴が上表して東豫州刺史となり、梁にいる…

  • 516年⑷ 永寧寺建設

    [北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃十字を過ぎず この年、梁が〔左衛将軍の〕昌義之⑴を使持節・都督湘州諸軍事・信威将軍・湘州(長沙)刺史としていたが、その年中…

  • 516年⑶ 淮堰決壊

    [北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃新体制 6月、丙申(1日)、梁の小廟の改築が完了した。 庚子(5日)、〔侍中・中権将軍・〕尚書令〔・丹陽尹〕の王瑩⑴を左光…

  • 516年⑵ 淮堰の完成

    [北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃淮堰完成〔これより前、梁は何度も兵を起こしては北魏の防備の手薄な所に攻めかかったが、野心に反して実力が伴わなかったため、そ…

  • 516年⑴ 西硤石奪還

    [北魏:熙平元年 梁:天監十五年]┃梁、北魏の荊州に侵攻 春、正月、戊辰朔(1日)、北魏が大赦を行ない、年号を延昌から熙平に改めた。 これより前、梁の弘農⑴…

  • 515年⑸ 梁の北伐

    [北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃梁の北伐〔この秋、〕梁の左遊撃将軍の趙祖悦⑴が数万の兵を率いて北魏の西硤石[1]を襲撃し、占拠した。祖悦は西硤石に外城を築…

  • 515年⑷ 胡太后の摂政

    [北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃胡太妃、皇太后となる 丙子(8月6日)、胡太妃⑴を尊んで皇太后とした。太后は崇訓宮に住んだ。 また、侍中・車騎大将軍・領軍…

  • 515年⑶ 大乗の乱と漢人官僚の誅殺

    [北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃南秦州氐の乱 北魏の南秦州の氐族が叛乱を起こし、武興(武興鎮、或いは東益州)を包囲した。 この月(4月)、征虜将軍(従三品…

  • 515年⑵ 于忠専権

    [北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃益州軍の撤退 これより前(去年の11月)、北魏は司徒の高肇⑴を大将軍・平蜀大都督とし、步騎十五万を率いて蜀を討伐するよう命…

  • 515年⑴ 宣武帝の死

    [北魏:延昌四年 梁:天監十四年]┃加冠の儀 春、正月、乙巳朔(1日)、梁の武帝⑴が太極殿にて太子統⑵の加冠の儀を執り行ない、大赦を行なった。また、全国の跡継…

  • 522年⑵ 蕭正徳の出奔

    [北魏:正光三年 梁:普通三年]┃高車王 4月、丁卯(6日)、梁の汝陰王の劉端⑴が薨去した。劉哲が跡を継いだ。 癸酉(12日)、洛陽にて暴風雨が起こり、屋根が…

  • 周書:念賢伝 〜宇文泰に礼敬を受けた武川鎮閥の重鎮〜

    [?〜540]┃死生富貴、天に在り 念賢は字を蓋盧といい、金城枹罕(河州。天水の西北。涼州の南)の人である⑴。父の念求就は大家の子を以て武川鎮(北魏の北辺防衛…

  • 522年⑴ 西域取経

    [北魏:正光三年 梁:普通三年]┃我が任城 春、正月、庚子(7日)、梁が宣恵将軍・尚書令の袁昂⑴を中書監・丹陽尹とし、雲麾将軍・呉郡太守の王暕⑵を侍中・尚書左…

  • 周書:寇洛伝 〜宇文泰に遺衆を譲った男〜

    [487〜539]┃武川鎮の勇士 寇洛は、上谷昌平(北京の西北)の人である(本姓は若口引か)。代々将軍・官吏を輩出した家に生まれ、父の寇延寿は和平年間(460…

  • 521年⑶ 柔然安置

    [北魏:正光二年 梁:普通二年]┃弥偶可社句可汗の亡命 これより前、阿至羅国(高車の十二姓の副伏羅の出の阿伏至羅が建てた国)主の副伏羅伊匐⑴は〔嚈噠(エフタル…

  • 周書:梁禦伝 〜長安制圧の功労者〜

    [?〜538]┃文武両道の人 梁禦は字を善通といい、本貫は安定郡(涇州の治所)烏氏県(安定の東三十三里)であったが、のちに仕事の関係でそのまま武川鎮に居住する…

  • 521年⑵ 奚康生の死

    [北魏:正光二年 梁:普通二年]┃奚康生の死 これより前、〔北魏の侍中・領軍将軍(近衛軍総司令官)の〕元叉⑴は中山王熙の挙兵の平定(520年8月)ののち、自ら…

  • 521年⑴ 七月生児

    [北魏:正光二年 梁:普通二年]┃七月生児 春、正月、甲戌(5日)、梁が北中郎将・南徐州(建康の西北)刺史の豫章王綜(梁の武帝⑴の第二子)⑵を侍中・鎮右将軍…

  • 520年⑶ 柔然の内乱

    [北魏:神亀三年→正光元年 梁:天監十九年→普通元年]┃柔然乱る これより前、柔然の伏名敦可汗(豆崘)が死んで叔父の那蓋が候其伏代庫者可汗となった時(492年…

  • 520年⑵ 中山王熙の乱

    [北魏:神亀三年→正光元年 梁:天監十九年→普通元年]┃元服式 己卯(7月7日)、長江・淮水・東シナ海で氾濫や高潮が起こった(遠方の地震による津波?)。 辛卯…

  • 520年⑴ 神亀の変

    [北魏:神亀三年→正光元年 梁:天監十九年→普通元年]┃普通改元 春、正月、乙亥朔(1日)、梁が年号を天監から普通に改め、天下に大赦を行なった。 また、文武百…

  • 魏・周賀抜岳伝⑶ 河曲の変

    ┃宿勤明達の乱 これより前、驃騎大将軍・儀同三司・雍州刺史・広宗公の爾朱天光が平涼にて万俟醜奴を捕らえた時、夏州の人の宿勤明達⑴もこれに降伏していたが、間もな…

  • 魏・周賀抜岳伝⑵ 関隴征討

    ┃醜奴討伐軍の編成 これより前、西北方の群雄の万俟醜奴⑴は天子を自称し(528年7月)、豳・涇に割拠し、東秦州を陥として(529年9月)岐州を包囲し、関中に住…

  • 魏・周賀抜岳伝⑴ 宇文泰の上司

    ┃兵書暗合 賀抜岳は武川鎮の人で、字を阿斗泥という。 祖先は北魏皇室と同じく陰山山脈〔の北〕の出。賀抜如回という者が北魏の初めに大莫弗(酋長)とされた。祖父の…

  • 周文帝(宇文泰)紀⑵ 賀抜岳の左右手

    ┃上党の乱 この日、北魏の燕州(北京の西北)民の王慶祖が徒党を集めて上党に叛し、王を名乗った。柱国大将軍・大丞相・都督河北畿外諸軍事・太原王の爾朱栄がこれを討…

  • 周文帝(宇文泰)紀⑴ 英雄の誕生

    ┃生没年・507?509?~556○周文帝紀 太祖時年十八【[六]按卷二稱宇文泰死時年五十二,北史卷九周本紀上作「五十」。魏書卷九肅宗紀孝昌二年五二六年七月,…

  • 519年⑶ 任城王澄の死

    [北魏:神亀二年 梁:天監十八年]┃隠者趙逸 隠者の趙逸は西晋の武時の時(266~290年)の人だといい、西晋の時の出来事を多く記憶していた。正光年間の初め(…

  • 519年⑵ 洛陽伽藍記

    [北魏:神亀二年 梁:天監十八年]┃旱魃 丁丑(2月27日)、北魏が詔を下して直言を求め、意見書を密封して提出させた。 3月、壬寅(23日)、詔を下して言った…

  • 北斉文襄(高澄)紀⑵ 〜勲貴弾圧〜

     『北斉文襄(高澄)紀⑴ 女漁り系イケメン』┃生没年 521~549年8月○北斉文襄紀〔武定…七年(549)…八月…〕辛卯,王遇盜而殂,時年二十九。┃容姿 北…

  • 周書:王思政伝⑶ 〜潁川の死闘〜

    [→王思政伝⑵]┃好機逸すべからず〔大統十三年(547)、正月、丙午(8日)、東魏の丞相・勃海王の高歓が逝去した。世子の高澄⑴が跡を継いだ。 辛亥(13日)、…

  • 周書:王思政伝⑵ 〜高歓を撃退した守備の名手〜

     『周書:王思政伝⑴ 〜孝武帝の腹心〜』┃孝武帝の腹心 王思政、字は思政は、太原郡(并州の治所)祁県の人で、後漢の司徒の王允の後裔である。王氏は曹魏の太尉の王…

  • 周書:王思政伝⑴ 〜孝武帝の腹心〜

    ┃孝武帝の腹心 王思政、字は思政は、太原郡(并州の治所)祁県の人で、後漢の司徒の王允の後裔である。王氏は曹魏の太尉の王凌が誅されてより顕職に就くことが無くなっ…

  • 519年⑴ 羽林の変

    [北魏:神亀二年 梁:天監十八年]┃称詔 春、正月、甲申(4日)、梁が領軍将軍の鄱陽王恢⑴を使持節・散騎常侍・都督荊湘雍梁益寧南北秦八州諸軍事・征西将軍・開府…

  • 羊侃伝⑵ 〜折樹矟〜

     『羊侃伝(1)』[496~549]┃東朝に帰るべし 羊侃は字を祖忻といい、泰山郡梁甫(鉅平?)県の人で、〔後〕漢の南陽太守の羊続の末裔である。 祖父の羊規之…

  • 元天穆と爾朱栄

  • 北史蠕蠕公主伝 〜高歓・高澄に嫁いだ柔然の烈女〜

    [530~548]┃蠕蠕公主前史〔柔然の頭兵可汗⑴は、北魏に護送されて帰国を果たした頃(521年正月参照)は北魏に恭しく接していたが、北方に勢力を拡大してから…

  • 梁元帝紀⑴ 〜隻眼の才士〜

    ┃プロフィール【生没年】天監七年(508)八月丁巳(6日)~承聖三年(554)十二月辛未(19日)・梁の武帝の第七子。・幼名は七符(官)・字は世誠・眼病により…

  • 北斉書:劉桃枝伝 〜北斉の処刑執行人〜

    ┃官職・都督→560年:領軍将軍・都督→武平年間(570~576):開府・王┃高家の家奴〔東魏の権臣の〕高歓⑴の蒼頭(家奴)の陳山提⑵・蓋豊楽⑶・劉郁斤・趙道…

  • 北斉書:安徳王延宗伝⑵ 躍動するデブ

     『北斉書:安徳王延宗伝⑴ 動けるデブ』[544~577]┃衝天王にならんと欲す 安徳王延宗は〔東魏の権臣の〕高澄⑴の第五子である。母は東魏の広陽王〔湛⑵?〕…

  • 北斉書:安徳王延宗伝⑴ 動けるデブ

    [544~577]┃衝天王にならんと欲す 安徳王延宗は〔東魏の権臣の〕高澄⑴の第五子である。母は東魏の広陽王〔湛⑵?〕の芸妓の陳氏。〔澄が武定七年(549)に…

  • 493年⑸ 遷都の議

    [北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃為仁微小 壬寅(8月24日)、北魏の孝文帝⑴が肆州(九原)に到った。この時、〔肆州〕民のうち七十歳以上の者の爵位(二十…

  • 魏書劉霊助伝 占い師の成り上がり

    [?~531]┃占卜によって成り上がる 劉霊助は、燕郡(幽州の治所の薊がある郡)の人である。父は劉僧安。陰陽・占卜の事を好み、范陽の人の劉弁に師事した。ただ、…

  • 493年⑷ 武帝の死

    [北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃王融策動 戊寅(7月30日)、〔病気に罹っていた〕南斉の武帝⑴が突然危篤に陥り、意識不明の状態となった。この時、帝の子…

  • 493年⑶ 蕭衍の登場

    [北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃遷都計画 北魏の首都の平城は南五十里に定襄(雁門の誤り)郡より出て海(東シナ海)に流れる桑乾水という川があり、それに因…

  • 493年⑵ 皇太孫昭業

    [北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃皇太孫昭業 夏、4月、癸未(3日)、北魏の使者が南斉に到着した(正月14日に北魏は邢巒と劉承叔を南斉に派遣していた)。…

  • 493年⑴ 王奐の乱

    [北魏:太和十七年 南斉:永明十一年]┃陳顕達の静退 春、正月、壬子朔(1日)、北魏の孝文帝⑴が百官を太極殿に集めて宴会を開いた。 癸丑(2日)、南斉の武帝⑵…

  • 北斉文襄(高澄)紀⑴ 女漁り系イケメン

    ┃生没年 521~549年8月○北斉文襄紀〔武定…七年(549)…八月…〕辛卯,王遇盜而殂,時年二十九。┃容姿 北史:美姿容 賈子儒:瞼が薄く、目の動き(或い…

  • 周書楊忠伝⑴ 荊州攻略

    [507~568]┃楊忠の登場 楊忠(本姓は普六茹?)は幼名を奴奴といい、武川鎮の人である。 漢の太尉の楊震の末裔という(眉唾)。 震の八代孫の楊鉉は燕(北燕…

  • 589年⑸ 天人告げて 陳朝、三二で滅び 後主降って 三分、一統に帰す

    [隋:開皇九年 陳:禎明三年]┃嶺南乱る これより前(588年)、陳は使持節・光勝将軍(六品)・平越中郎将・大都督・東衡州刺史・領始興内史の王勇⑴を鎮南大将軍…

  • 589年⑷ 蕭瓛、三子を以て呉州に起ち 遂興、青門を忌んで臣節に死す

    [隋:開皇九年 陳:禎明三年]┃江州降る 癸巳(正月29日)、隋が使者を江南の各地に派して巡撫させた。 隋の〔上大将軍・蘄州総管の〕王世積⑴は蘄口にて陳が滅亡…

  • 589年⑶ 陳後主、井中に身を隠して隋文を驚かせ 張麗華、青渓に首を晒して晋王を怒らす

    [隋:開皇九年 陳:禎明三年]┃逃走の機逸す 陳軍が敗北を喫すると、任忠⑴は宮殿に馳せ入って後主⑵に謁え、敗北した事を報告した。それからこう言った。「陛下、身…

  • 589年⑵ 魯広達、桴鼓を執って白土岡に力戦し 蕭摩訶、妻を姦せられて賀若弼の縛に就く

    [隋:開皇九年 陳:禎明三年]┃馬鞍山・磨刀澗の戦い これより前、陳の荊州(公安)刺史の宜黄侯慧紀⑴は隋軍が渡江したのを知ると、公安の留守を長史の陳文盛らに任…

  • 589年⑴ 賀若、計策を用いて長江を済り 王頒、傷を被るも夢に薬を授かる

    [隋:開皇九年 陳:禎明三年]┃霧気四塞 春、正月、乙丑朔(1日)、陳の後主⑴が元旦に群臣を集めて朝会(元会)を挙行した。 この時、建康の周囲に深い霧が立ち込…

  • 588年(3) 楊素、水戦を制して江神と称され 後主、天塹を信じて詩酒に耽る

    [隋:開皇八年 陳:禎明二年]┃親餞 11月、丁卯(2日)、隋の文帝⑴が自ら伐陳軍を見送りに出た。 また、陳の後主⑵の身柄に上柱国・万戸公の懸賞を懸けた。 壬…

  • 588年(2)大軍隋を発って 五十一万、晋王の節度を受け 精兵江に臨んで 旌旗舟楫、数千里に亘る

    [隋:開皇八年 陳:禎明二年]┃壮行の宴 9月、丁丑(11日)、隋の文帝⑴が南征に参加する諸将を集めて宴会を開き、差をつけて下賜を行なった。 癸巳(27日)、…

  • 周書:斉王憲伝(4) 〜東伐、死闘〜

     『周書:斉王憲伝(3) 〜晋公護の死と武帝の警戒〜』『周書:斉王憲伝(1) 〜勇敢なる駁馬将軍〜』[544(545?)~578]┃原州で育つ 斉煬王憲は字を…

  • 周書:斉王憲伝(3) 〜晋公護の死と武帝の警戒〜

    『周書:斉王憲伝(1) 〜勇敢なる駁馬将軍〜』[544(545?)~578]┃原州で育つ 斉煬王憲は字を毗賀突といい、宇文泰⑴の第五子である。母は達步干妃(柔…

  • 周書:斉王憲伝(2) 〜北斉の名将たちとの激闘〜

    ┃重用 天和三年(568)、夏、4月、辛巳(17日)、北周が雍州牧の斉公憲を大司馬・治小冢宰とした。雍州牧はそのままとした。 憲は〔北周の権臣の〕晋公護から信…

  • 588年(1) 神龍騰躍して 隋文、伐陳の詔を下し 災異相継ぐも 後主、大いに酒色に耽る

    [隋:開皇八年 陳:禎明二年]┃拝礼問答 春、正月、乙亥(5日)、陳の散騎常侍の袁雅・兼通直散騎常侍の周止水が隋に到着した⑴。 この時、内史侍郎の元善が客館に…

  • 587年(2) 梁廃されて 蕭巖、部衆を率いて陳に奔り 父母を称して 隋文、一衣帯水に限らず

    [隋:開皇七年 陳:至徳五年→禎明元年 後梁:広運二年]┃後梁滅ぶ 隋が後梁の靖帝⑴に入朝を求めた。帝は臣下二百余人を引き連れて長安に赴いた。江陵の父老たちは…

  • 周書:斉王憲伝(1) 〜勇敢なる駁馬将軍〜

    [544(545?)~578]┃駁馬 斉煬王憲は字を毗賀突といい、宇文泰⑴の第五子である。母は達步干妃(柔然人)。 聡明で器が大きく、幼い頃から気高い精神を備…

  • 北斉書:広寧王孝珩伝 〜悲運の芸術の天才〜

    ┃芸術の天才 広寧王孝珩は北斉の文襄帝(高澄⑴)の第二子である。母は王氏。 孝珩は才能のある者を愛し、読書家で、作文を好み、芸術の才能があった。 ある時、役所…

  • 587年(1) 阿波擒われて 獯粥みな臣妾となり 衆鬼厲りを為して 衛王忽然と薨去す

    [隋:開皇七年 陳:至徳五年→禎明元年 後梁:広運二年]┃改元 春、正月、丙子(1日)、陳が安前将軍(三品)の衡陽王伯信⑴を鎮前将軍(二品)とした。 また、安…

  • 相関図まとめ

    ┃侯景┃宇文護┃蘭陵王┃隋の文帝

  • 地理志画像まとめ

    ┃晋書地理志↓綺麗な画像を見たい方はこちらhttps://twitter.com/Jl6kmgQnKEsXvLy/status/169744476454592…

  • 画像まとめ

    ┃勢力図

  • 586年(2) 崔仲方、歳助を論じて取陳の策を献じ 孔範、奪兵を行なって文武解体す

    [隋:開皇六年 陳:至徳四年 後梁:広運元年]┃元景山の死〔これより前、元景山⑴は司馬消難が挙兵した際その討伐に大いに貢献し、隋が建国されると上柱国・安州総管…

  • 586年(1) 李顕慶、泉に帰して封禅の光景を慕い 梁士彦、計敗れて一党誅戮に遭う

    [隋:開皇六年 陳:至徳四年 後梁:広運元年]┃広運 後梁が年号を天保から広運に改めた。 有識者は言った。「運の字は軍と走で成り立っている。我が君(靖帝⑴)は…

  • 585年(3) 隋・陳衝突して 蕭岑、徴召を受け 施・沈専制して 傅縡、獄中に死す

    [隋:開皇五年 陳:至徳三年 後梁:天保二十三年]┃河南諸州の水害 戊子(8月4日)の夜、〔建康にて〕老人星(カノープス。吉星)が観測された。 甲辰(20日)…

  • 慕容儼伝(1)

    ┃王神念を破る 慕容儼は字を恃徳といい、清都成安の人で、慕容廆(前燕の実質的な建国者。或いは単に前燕)の後裔である。父の慕容叱頭は北魏の南頓太守で、身長一丈(…

  • 585年(2) 沙鉢略、大隋の援を受けて阿波を破り 隋文帝、漠北の雄を従えて一体と為す

    [隋:開皇五年 陳:至徳三年 後梁:天保二十三年]┃義倉の設置 当時、隋では国内の大部分が水害や旱害に遭い、人々は生計が立てられなくなっていた。 そこで隋の民…

  • 585年(1) 郢国公、不遜の言辞を吐いて死を賜り 名将の子、建安に干戈を交えて勇を争う

    [隋:開皇五年 陳:至徳三年 後梁:天保二十三年]┃《隋朝儀礼》 春、正月、戊午朔(1日)、日食があった。 これより前、隋は〔大将軍・秘書監の〕牛弘⑴と〔上開…

  • 侯漢書(1)

    ┃姓名・字・出身地・侯景は字を万景といい、朔方、或いは雁門郡出身で、北魏の懐朔鎮の人である。・幼名は狗子┃生没年・503~552・548年の書状に『臣は四十六…

  • 584年(3) 周公主、仇敵に屈してその娘となるを乞い 陳後主、三閣を建てて後庭花を詠う

    [隋:開皇四年 陳:至徳二年 後梁:天保二十二年]┃沙鉢略可汗、隋に和を求める〔これより前、東突厥の沙鉢略可汗⑴は隋に大敗を喫したのち、西突厥の達頭可汗⑵の支…

  • 584年(2) 渭水の多沙を以て 宇文愷、広通渠を鑿ち 関中の飢饉を以て 隋文帝、洛陽城に赴く

    [隋:開皇四年 陳:至徳二年 後梁:天保二十二年]┃叙任〔これより前、〕陳は智武将軍(四品)・東中郎将(四品)・東揚州刺史の新蔡王叔斉⑴を侍中とし、将軍・佐史…

  • 584年(1) 梁主来朝して 隋文、旧都の回復を約し 狎客を寵して 後主、国政を頽廃せしむ

    [隋:開皇四年 陳:至徳二年 後梁:天保二十二年]┃後梁主来朝 春、正月、甲子朔(1日)、日食があった。 丁卯(4日)、陳が大使を各地に派遣して人々の様子を観…

  • 姚僧垣伝 〜梁の元帝・北周の武帝・宣帝を治した名医〜

    [499~583]┃呉興の大族 姚僧垣は字を法衛といい、呉興郡(建康の東南、呉郡の西南)武康県(呉興の南)の人で、呉の太常の姚信の八世孫である。曽祖父は劉宋の…

  • 583年(4) 大隋、州の過多を以て郡を罷め 蘇威、律の厳密を以て条を除く

    [隋:開皇三年 陳:太建十五年→至徳元年 後梁:天保二十一年]┃生真面目の人・周揺 これより前、突厥が隋の国境を侵犯し、燕・薊の大半の地域がその被害に遭い、幽…

  • 583年(3) 史万歳、一壮士を斬って勝負を決し 沙鉢略、離間の計に遭って窮地に陥る

    [隋:開皇三年 陳:太建十五年→至徳元年 後梁:天保二十一年]┃于義の死 この日(4月2日)、隋の上柱国・建平郡公の于義⑴が逝去した(享年50)。 義は潼州総…

  • 583年(2) 天子震怒して 大隋、北伐の軍を興し 胡の不意に出でて 二李、白道に大破す

    [隋:開皇三年 陳:太建十五年→至徳元年 後梁:天保二十一年]┃北斉系の不遇〔丁巳(3月19日)、隋は詔を下し、書一巻を献じた者には絹一疋を褒賞として与える事…

  • 583年(1) 酒宴を諌めんとして 毛喜、階下に仆れ 典籍を集めんとして 牛弘、文帝に奏す

    [隋:開皇三年 陳:太建十五年→至徳元年 後梁:天保二十一年]┃緩和 春、正月、庚子(1日)、隋が新都に遷る準備が整った事を祝い、天下に大赦を行なった。 また…

  • 羊侃伝(1)

    [496~549]┃東朝に帰るべし 羊侃は字を祖忻といい、泰山郡梁甫(鉅平?)県の人で、〔後〕漢の南陽太守の羊続の末裔である。 祖父の羊規之(?~473)は、…

  • 582年(4) 突厥入寇して 長儒、身に五創を被り 沙城に争って 李崇、忠を北辺に示す

    [隋:開皇二年 陳:太建十四年 後梁:天保二十年]┃突厥の侵攻 10月、隋の文帝が旧殿を撤去し、居所を東宮に移した。また、朝廷内外の官吏に俸録を支給した。 こ…

  • 582年(3) 天・人の勧めを受けて 隋文、都を大興に遷し 突厥入寇して 長儒、身に五創を被る

    [隋:開皇二年 陳:太建十四年 後梁:天保二十年]┃能吏・蘇孝慈 壬午(6月10日)、隋が太府卿の蘇孝慈を兵部尚書とした。 蘇孝慈(生年538、時に45歳)は…

  • 宋子仙伝 〜侯景配下随一の猛将〜

    [?~551]┃侯景の右腕〔548年(梁の太清二年)8月、梁の南豫州(寿陽)刺史・河南王の〕侯景が叛乱を起こし、西方の馬頭を攻めると共に、将軍の宋子仙に東方の…

  • 582年(2) 隋・陳和して 文帝、突厥の来寇に対し 才・色を以て 張妃、後主の寵愛を得る

    [隋:開皇二年 陳:太建十四年 後梁:天保二十年]●陳、隋に和を求める 戊辰(正月24日)、陳が隋に使者を派して和を求め、胡墅(石頭城の対岸)を返還した(去年…

  • 蘭陵王伝⑶ 賜死

    ┃警戒 これより前、後主⑴が蘭陵王長恭に邙山での大勝(564年)についてこう尋ねて言った。「何故敵陣に深入りしたのか。成功したからいいものの、失敗したら大惨事…

  • 蘭陵王伝(2) 汾北の攻防

    ┃河間王孝琬の死〔565年(河清四年→天統元年)、武成帝⑴が太子緯⑵に位を譲って太上皇帝となった。緯は即ち北斉の後主である。〕 北斉の〔尚書令の〕河間王孝琬⑶…

  • 蘭陵王伝(1) 蘭陵王入陣曲

    [541?~573]┃蘭陵王の登場 高長恭は本名を肅、或いは孝瓘といい、長恭は字である。高澄⑴の第四子⑵で、母の詳細は不明。 長恭は肌が白く、美女のような顔立…

  • 582年(1) 隋師江に臨んで 宣帝、宣福殿に崩じ 太子柩に哭いて 始興、切薬刀を以て斫る

    [隋:開皇二年 陳:太建十四年 後梁:天保二十年]●隋軍、長江に達す〔これより前(581年9月26日)、隋は上柱国・〔宜州刺史・〕薛国公の長孫覧⑴を東南道行軍…

  • 581年(5) 隋文帝、刑を緩くして後世に用いられ 独孤后、帝を諌めて二聖と称せらる

    [北周:大定元年→隋:開皇元年 陳:太建十三年 後梁:天保十九年]●五銖銭鋳造 これより前、北周と北斉が鋳造した貨幣は総じて四種類⑴あり、更に民間の私鋳銭⑵も…

  • 581年(4) 元諧、青海に大捷して渾賊を震わし 鄭訳、不孝を弾ぜられて除名を受く

    [北周:大定元年→隋:開皇元年 陳:太建十三年 後梁:天保十九年]●宇文闡の死 5月、丙辰(8日)、陳が前鎮西将軍の樊毅⑴を中護軍とした。 戊午(10日)、隋…

  • 581年(3) 李穆、文帝の寵を得て貴盛を極め 蘇威、亡父の志を継いで張弓を弛ます

    [北周:大定元年→隋:開皇元年 陳:太建十三年 後梁:天保十九年]●貴盛比類無し この日(2月24日)、上柱国・并州総管・申国公の李穆⑴を太師とし、上柱国・鄧…

  • 581年(2) 雄雉を射て 龐晃、能く天意に応じ 北周滅んで 竇氏、男子に非ざるを恨む

    [北周:大定元年→隋:開皇元年 陳:太建十三年 後梁:天保十九年]●官制を漢・魏に戻す 隋の〔少内史の〕崔仲方⑴が文帝⑵に六官の制度(大冢宰など古代の周の官制…

  • 581年(1) 代終の象表れて 静帝、相国に位を禅り 紫色の気表れて 楊堅、大隋の帝となる

    [北周:大定元年→隋:開皇元年 陳:太建十三年 後梁:天保十九年]●推挙令 春、正月、壬午(1日)、北周の静帝⑴が詔を下して言った。「朕は〔不徳の身であるため…

  • 580年(9) 韋孝寛、死して千古の譏りを遺し 丞相堅、王となって簒奪の意を明らかにす

    [北周:大象二年 陳:太建十二年 後梁:天保十八年]●韋孝寛の死 丁未(11月25日)、北周の上柱国・鄖国公の宇文孝寛(韋孝寛)⑴が逝去した(享年72)。 太…

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