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  • 工藤隆「大嘗祭と天皇制」<抜粋>

    全文はこちら.pdf (太字・番号・< >は引用者による/・・・・・は省略部分)<語句の定義>天皇存在を、武力王(軍事行使力)、行政王(行政権限行使力)、財政王(財政力)など現実社会的威力の面と、神話王(神話世界的神聖性)や呪術王(アニミズム系の呪術・祭祀を主宰する)など文化・精神的威力の面とに類別しながら分析する<185頁><皇室の特性> ・・・・・イギリス王室など西洋近代社会における王室の場合は、武力王・行政王・財政王(多くの私的財産を保持できた)として君臨していた過去を持っているのは普通だが、しかし、日本の皇室のように、神話世界(『古事記』『日本書紀』の高天原神話のような神話)に発する起源を語り、かつアニミズム系文化の呪術とも密接に結びついた過去を持っていて、しかもその神話王・呪術王の側面を1946年公布の民主主義憲法においてさえも継承して21世紀にまで維持している王室は無い<185頁> <万世一系>・・・・・「万世一系」は・・・・・明治政府による新たな“神話”の創出である<186頁> <男系・女系の継承/女性天皇> ・・・・・〈古代の古代〉(縄文・弥生時代、古墳時代)・・・・・の時期には、男系(父系)と女系(母系系)が併存していて、おそらく臨機応変に両者が使い分けられていて、王位継承にもその性格は及んでいたと思われる。それに対して、500年代くらいには大王位の男系優位観念が出始め、さらに・・・・・700年前後の時期の場合には、古代中国国家の皇帝制度の模倣によって男系優位観念が一段と強化されたと考えられる。国家体制の強化のためには先進国家唐の皇帝の、男系男子継承主義を模倣するのが得策と考えられたのであろう。しかしその場合でも、女性天皇は、四一代持統天皇以後も、元明天皇(四三代、即位708年)、元正天皇(四四代、即位716年)、孝謙天皇(四六代、即位749年)、称徳天皇(四八代、孝謙天皇が重祚、即位 765年)、明正天皇(一〇九代、即位1629年)、後桜町天皇(一一七代、即位1762年)と登場したのであるから、唐の皇帝制度の模倣が強化されたあとでも、 〈古代の古代 〉以来の、女性リーダー 違和感を感じない伝統は生き続けていた<186頁>・・・・・しかし、明治22年(1889) に大日本帝国憲法が発表され、同年同日に施行された旧皇室典範の第1条、に天皇の男系男子絶対主義が法律として明文化されたことによって、天皇

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