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  • 縄文の祭祀の再現 土偶は壊すもの

    縄文の祭祀を再現した面白い記事がありましたので、紹介します。再現,縄文の祭祀リンク==========故,殺さえし神の身に生(な)れる物は頭に蚕生り,二つの目に稲種生り,二つの耳に粟生り,鼻に小豆生り・・・故ここに神産巣日(かみむすひ)の御祖命,これを取

  • 中国史とつなげて学ぶと日本史の常識が覆る理由

    以下(リンク)引用------------------●古代の日本が目指した唐の律令体制律令国家の形成は、日本の古代史の画期です。その律令とは中国由来の法制ですから、中国・東アジアとのつながりは、つとに意識されてきました。それでも、輸入した律令・土地制度など、日本の立場か

  • 江戸時代のサステナブルな暮らしから学べること

    リンク■リサイクルが当たり前!?「持続可能な生活」を表現するとき、よく用いられるのが江戸時代の暮らし。リサイクルやリユースが生活に浸透していたためです。もちろん鎖国をしていて資源が限られていた背景もあったとはいえ、その徹底ぶりは驚くほどで、「無駄なものはな

  • 旧石器時代の女性石像の分析 妊娠出産は、神が人を生む神事か

    考古学者で国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授の春成秀爾氏。春成名誉教授の国立歴史民俗博物館研究報告第172集2012年3月「旧石器時代の女性像と線刻棒」の内容が興味深い。日本考古学では、旧石器時代~縄文、弥生、古墳時代などで、様々な研究が進め

  • 惣村と宗教~「鎮守」の引力が共同体を再生させた

    日本の農業の歴史は初期の大規模な耕作面積の拡大が大和朝廷から奈良時代の時代にあったが、その後荘園を経て、有力者や寺院を中心にした労働管理型農業がしばらく続く。ところが定着しきらず、何度も荘園制度が見直されながら結局は自ら村を自治する惣村という形が登場して

  • 土偶はエロスの塊!~性を象徴するのは顔ではなく体幹。だから人の顔は表現されていない~

    縄文時代の土偶がかわいい!1万2000年の歴史を3分で解説!リンク以下抜粋==================■【草創期】土偶の初現は、定住をはじめてから土偶の初現は今からおよそ1万3000年前、縄文草創期後半にまで遡ります。縄文時代の幕開けからおよそ2000年後、ちょ

  • 縄文人から脈々と受け継がれてきた自然への畏敬の念を東北人は色濃く残している

    自然への畏敬の念は縄文時代から脈々と日本人に受け継がれてきました。近代社会になるまでは、この自然への畏敬の念が、集団を構成する一人一人の心に浸透し、集団で作られる規範の背後に潜む統合観念となっていたと思います。東北人にはその縄文魂は今でも息づいており、東

  • 日本人は、エリアで生活する民族だった。ルーツは昔の農家。

    現在の日本人はプライバシーの保護に過剰になり、外と内のの繋がりが希薄化している。かつての農家をルーツに日本人的な家つくりとは。リンク日本人は、エリアで生活する民族だった

  • 江戸、そのしなやかなネットワーク社会――現代人は、江戸時代を超える良い社会をつくったか?

    創作活動というと独創性が求められて1人でやった方がいいといい概念もあるが、江戸時代は「関わりの中で創作活動」が行われていた。

  • 困った時はお互い様の助け合い 江戸の長屋暮らしに学ぶ

    江戸時代の庶民はどうやって暮らしていたのか?女たちはどうやってつながっていたのかを知りたい!まずは日々の暮らしを知ってみよう。長屋での暮らしはお互い様の精神が基本だった。

  • 江戸時代に学ぶ、徹底した「リサイクル」で経済・仕事がうまく循環する

    江戸時代のリサイクルのシステムが秀逸すぎる!徹底されたエコ社会リンクより引用です。・・・・・・・・・・・・・・・・・江戸は当時の世界の主要都市に比べても非常に人口の多い街だったそうです。それにも関わらず江戸の街は非常に綺麗で道にはゴミが落ちておらず、来日

  • 「講」でご近所同士の助け合い⇒江戸ではみんなの課題を自分事で追求、そのなかで子どもたちも育つ

    現代の社会においては、自分に関係ないことは他人事。江戸時代は「講」という取組みがあり、『今、身近では何が問題になっているのか、また改善策やその時々で問題になっていることを、お互いに意見を出し合いながら、江戸の町を良くするのにはどうしたら良いのかなど、常に

  • 火焔式土器は、中国紅山文化が影響?

    >■土器を飾る>縄文時代中期中葉の頃、北陸地方では、口縁部に炎あるいは動物をイメージさせる立体的な突起を持つ火炎土器が製作されるようになり371046縄文中期に突如現れる火焔式土器は、その前後の「様式」とは差異が激しい。これが何を意味するか、不明だが、中国の朝鮮

  • 「信じる」宗教と「感じる」宗教

    今の日本人にとって宗教とは一体何だろう?と考えた時に見つけた記事を紹介します。この宗教観は意識して引き継いでいく必要があります。そこには経典も神父もいないからです。・・・・・以下引用(リンク)(前略)一般に、西欧では、「信じる」宗教。そして日本には「感じ

  • 歌もいのちも継承されていく

    リンクより引用息子は、こきりこ節が大好きです。こきりこ節は富山の民謡なのですYO♪こ~きりこ~の~~たけ~は~♪と、たびたび口ずさんでる。夫もこきりこ節は一緒に口ずさんでる。普段、全く歌わない人なのに!!で、私も知っている。小学校で習ってたんだよねえ。今の

  • 縄文人に「上下意識」があまりなかった理由 ~他者も自分も区別しない、という生き方~

    リンク譽田 亜紀子=====■男だって木の実を拾う桃太郎という昔話がある。読者の多くが一度は目にしたこと、耳にしたことがある話だろう。その話の一節に、「おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました」という部分がある。これは、男女の仕事の役割分

  • 現在の日本人が学ぶべき江戸時代の人の思いやりの心

    江戸時代の人たちは支配という言葉を現在の支配とは少し違う捉え方をしていた。支配という言葉には仕事を配分し、指図し、とりしまること。物を分け与えること。分配すること。統治すること。ある者が自分の意思・命令で他の人の思考・行為に規定・束縛を加えること。そのも

  • 江戸時代の出産の裏側

    本来、充足源になるはずの子育てが、不安要素になってしまっている現代。活力ある社会を再生するために、まずはこれまでの歴史を遡ってみたい。江戸時代の子育てはどんな様子だったのだろうか?今回は江戸時代の出産について。↓江戸女子力のブログから引用。リンク江戸時代

  • 日本人の自然信仰と修験道 ⑩人々がハレに求めているもの

    修験の修行をしていて気づくことは、それまで閉じ込められていた心が解放されていくことです。身体で感じていけるようになると、心も自由になっていく。山伏修行をすると、そういうことを感じる人が多い。********************************

  • 日本人の自然信仰と修験道 ⑧仏教と悟り

    「座禅よりも畑の方が修行になる」と畑づくりに精を出し、「ついに悟りは開けなかった」と言って亡くなっていったお坊さんの話。********************************(田中) つながりという本質に帰っていくのが悟りですか。(内山) 最近

  • 日本人の自然信仰と修験道 ⑨日本仏教の代表としての修験の歴史

    仏教は宗教権力として成立する基盤をもっていない。仏教は風土とともに成立する。単なる教義の伝播ではない。********************************(田中) 自然信仰は自然の力、寛大さを身体で感じとっていくことと一体のものだった。そうい

  • 日本人と木 ヒノキは伐採後200~300年くらいは強度が増す。世代を超えて木々を対象化して来た日本人

    木の情報発信基地 よりリンク1. 日本人と木 日本人は木の中に生きてきた民族である。それは北から南へ細長くつながる国土が、豊富な緑に恵まれていたためであった。そうした風土の中で、われわれの祖先たちは、この世に「産霊神」がいて、その神が、住む土地にも眺める山川

  • 日本人の自然信仰と修験道 ⑦「存在する」ことに対する日本的考え方

    日本の神様は、いるから信じられているのではなく、信じているからいる。********************************(内山) キリスト教だと、神は確かにいるということを証明しようとしますよね。確かにいるのだから信じなさい、と。ところが日本

  • 日本人の自然信仰と修験道 ⑥共同体は制度を超えていく

    制度を帰属先にするかぎり、永遠ではない。さらに言えば、自分では帰属先だと思っていても、制度に支配されたり管理されたりするだけになってしまいかねない。現代は、そういうことが感じられはじめている時代。*****************************

  • 日本人の自然信仰と修験道 ④祈りの場と生きる場が一体

    刀狩り以前は、国家権力とは違うもうひとつの権力みたいなものが民衆側にあった。そのなかに寺や神社があった。それは修験だけのことではなかった。********************************(田中) 江戸時代になって寺檀制度、寺請制度ができた

  • 日本人の自然信仰と修験道 ③本物の帰属先を探しはじめている

    近代になって帰属先が壊れてしまったけれど、いままた本物の帰属先を探しはじめている。********************************(田中) 講をつくって、自分の居場所もつくっていく生き方に対して、いま関心をもつ人たちが増えてきている。コミ

  • 日本人の自然信仰と修験道 ②死後の世界が自然のなかにあった

    山は清浄な世界でもあり、死者の往く世界でもあった。修験道の多くは山に入るときは白装束でいくが、それは煩悩にまみれたこの世の人としてではなく、死者として山に入るということでもある。******************************** 日本では死

  • 日本人の自然信仰と修験道 ①仏教には自然信仰などない

    世界文化遺産にも登録され、注目が集まる修験の世界(リンク)。われわれ日本人の心の奥底にある自然信仰と修験道との関係を明らかにした「修験道という生き方」(2019年/新潮社/宮城・田中・内山共著)を、10回に分けて抜粋で紹介させていただきます。**********

  • だって大変なんでしょ~?縄文人がなかなか稲作をはじめない件

    リンク より引用しています。***お米一粒には8人の神様が住んでいて、一粒だって無駄にしてはいけない。「米」という字は、「八十八」からできていて、その行程の多さに由来する。米に対する日本人の思い入れはちょっと異常なんじゃないかと思うほど、凄まじいものがあり

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