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黒田裕樹の歴史講座 http://rocky96.blog10.fc2.com/

受験対策にも万全!現役高校教師による「分かりやすくて楽しい」歴史ブログです。

黒田裕樹
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2012/08/07

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  • 飛鳥文化 その2

    ところで、聖徳太子は若い頃から仏教を深く信仰していましたが、仏教を積極的に受けいれようとする崇仏派(すうぶつは)の蘇我馬子(そがのうまこ)と、禁止しようとする廃仏派(はいぶつは)の物部守屋(もののべのもりや)との間で、先述のとおり587年に大きな争いが起きてしまいました。聖徳太子(当時は厩戸皇子=うまやどのみこ)はこのときまだ14歳の少年ながら戦闘に参加しましたが、戦いは蘇我氏にとって不利な状況が続き...

  • 飛鳥文化 その1

    さて、聖徳太子(しょうとくたいし)が内政や外交に大活躍していた頃の我が国では、仏教が朝廷の篤(あつ)い保護を受けて急速に発展した時代でもありました。この時代の文化を「飛鳥(あすか)文化」といいます。飛鳥文化は仏教文化を中心として、中国の南北朝時代の文化と我が国の古墳時代の文化が融合し、当時の西アジアやエジプトあるいはギリシャにもつながる特徴をもっていました。聖徳太子は、自ら高句麗(こうくり)の高僧...

  • 聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 その6

    今回の改定により、小中学校の教科書において、少なくとも10年は「聖徳太子」の記載が守られることになりました。このこと自体は大きな前進といえるかもしれませんが、実は、高校の歴史教育において使用される有名な教科書において、既(すで)に「厩戸王」という表現が使用されているのです。私が歴史教育の世界に身を投じて、これまでに積み重ねてきた講演を振り返ってつくづく思うのは、いわゆる「プロパガンダ」は近現代史だけ...

  • 聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 その5

    今回の学習指導要領の改訂案に関して、文科省は国民の意見を「パブリックコメント(意見公募)」として平成29(2017)年3月15日まで募集しましたが、その結果として改定案の見直しが行われて「聖徳太子」の名称が「復活」することになりました。学校現場に混乱を招く恐れがあるなどとして、文科省が現行の表記に戻す方向で最終調整していることが明らかになったのです。文科省が改定案公表後にパブリックコメントを実施したところ...

  • 聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 その4

    藤岡氏が指摘した「聖徳太子抹殺計画」に続くかたちで、平成29(2017)年2月27日には、産経新聞が「主張」において、今回の改定案に疑問を呈(てい)しました。「主張」では「国民が共有する豊かな知識の継承を妨(さまた)げ、歴史への興味を削(そ)ぐことにならないだろうか。強く再考を求めたい」と最初に指摘したほか、今回の改定の理由である「聖徳太子は死後につけられた呼称で、近年の歴史学で厩戸王の表記が一般的である...

  • 聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 その3

    文科省が次期学習指導要領を発表して以来、一部の歴史学の関係者やマスコミからは、これは「聖徳太子抹殺計画」ではないか、という厳しい批判が見られるようになりました。拓殖大学客員教授を務めた藤岡信勝(ふじおかのぶかつ)氏は、平成29(2017)年2月23日付の産経新聞の「正論」欄において、今回の学習指導要領の改訂案における聖徳太子の表記について「国民として決して看過できない問題」であると指摘したほか「日本史上重...

  • 聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 その2

    平成29(2017)年2月14日、文部科学省は小中学校の次期学習指導要領の改定案を公表しました。なお学習指導要領とは、学校教育法などに基づき児童生徒に教えなくてはならない最低限の学習内容などを示した教育課程の基準であり、約10年ごとに改定されており、教科書作成や内容周知のために告示から全面実施まで3~4年程度の移行期間があります。次期指導要領は翌3月末に告示され、小学校は令和2(2020)年度、中学校は令和3(2021)...

  • 聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 その1

    ※今回より「飛鳥時代」の更新を再開します(7月31日までの予定)。さて、内政並びに外交の両面において今日の我が国を形づくった偉大な政治家である聖徳太子(しょうとくたいし)は令和4(2022)年に没後1400年を迎えましたが、彼の生涯には様々な伝説が残されていることでも有名です。例えば聖徳太子の母親が臨月の際に馬小屋の前で産気づいたため、彼が生まれた後に「厩戸皇子(うまやどのみこ)」と名付けられたという話があり...

  • 文学と芸術の動き その5

    ※「第108回歴史講座」の内容の更新は今回が最後となります。明日(7月6日)からは「飛鳥時代」の更新を再開します(7月31日までの予定)。美術では日本画の横山大観(よこやまたいかん)や下村観山(しもむらかんざん)、安田靫彦(やすだゆきひこ)らによって、大正3(1914)年にそれまで解散状態だった日本美術院が再興され、現在も続く院展(=日本美術院主催の展覧会のこと)が開催されました。なお、横山大観は「生々流転(せ...

  • 文学と芸術の動き その4

    演劇の世界では、大正13(1924)年に小山内薫(おさないかおる)や土方与志(ひじかたよし)らによって築地(つきじ)小劇場がつくられ、知識人層を中心に新劇運動が大きな反響を呼びました。音楽では、山田耕筰(やまだこうさく)が本格的な交響曲の作曲や演奏を行い、大正14(1925)年には我が国初の交響楽団である日本交響楽協会を設立しました。その後、大正15(1926)年には日本交響楽協会から近衛秀麿(このえひでまろ)が脱...

  • 文学と芸術の動き その3

    第一次世界大戦を経て、社会主義運動や労働運動が高まりを見せたのに伴ってプロレタリア文学運動がおこり、雑誌「種蒔(たねま)く人」「戦旗」などが創刊され、小林多喜二(こばやしたきじ)の「蟹工船(かにこうせん)」、徳永直(とくながすなお)の「太陽のない街」などが読まれました。大正時代には、庶民(しょみん)の娯楽としての読み物である大衆文学も流行しました。大正14(1925)年に大衆雑誌の「キング」が創刊され、...

  • 文学と芸術の動き その2

    明治43(1910)年に創刊された雑誌の「白樺(しらかば)」では、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)や志賀直哉(しがなおや)、有島武郎(ありしまたけお)らが活躍し、個人主義や人道主義あるいは理想主義を追求する作風を示して「白樺派」と呼ばれました。武者小路実篤は「その妹」、志賀直哉は「暗夜行路(あんやこうろ)」、有島武郎は「或(あ)る女」などの作品が有名です。一方、雑誌「スバル」では独自の唯美(ゆいび...

  • 文学と芸術の動き その1

    大正期の文学は、「こゝろ」や「明暗」などの作品を残した夏目漱石(なつめそうせき)や「阿部一族」などを発表した森鴎外(もりおうがい)の影響を受けた若い作家たちが次々と登場しました。人間社会の現実をありのままに描写する自然主義が、作者自身を写しとるだけの私小説へと変化していったのに対し、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)や菊池寛(きくちかん)らは雑誌「新思潮」を発刊し、知性を重視して人間の心理を鋭く...

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