本日は庭仕事に最適な曇り空。気になっていたソテツをやっつけることにしました。ソテツは葉が尖っているのでチクチクと危ないです。切った葉をゴミ袋に入れるのも大変です・・・この時期、毎日毎日庭仕事です。
大晦日は、地区の役員の仕事として、新年を気持ちよく迎えられるよう氏神様の清掃から始まりました。我が家にも、鼓の胴の松飾りを飾り新年を迎える準備ができました。今年も悲喜こもごもありましたが、来年への力に変えたいと思っています。
泣いても笑っても今年はあと一日のみ・・・お正月を気持ちよくゆっくりと過ごすために、今日は色々と頑張って疲れました・・・今年は黒豆を頂いたので、煮てみました。結構おいしく食べれます。がめ煮(筑前煮)も作ってみました。これは、お弁当のおかずにも便利で、度々作り
今朝の佐賀新聞の一面トップ記事は、佐賀市営バスの利用者増でした!全国の公営バス18事業者のうち、23年度にコロナ前(19年度)の利用者数を上回ったのは佐賀市営バスだけだったそうです。24年度の利用者数は380万人に上る見込みとのことです。最近はバスの利用者が少な
今日は寒い一日でした・・・地域消防団の年末警戒のパトロールが始まったようです。消防自動車が赤いランプを回しながら地域を回っています。私が小さなころは、「火の用心」カチカチと拍子木を鳴らしながら歩いて廻っておられたような記憶があります。地域の役員である夫
今年もあと4日となりました・・・やり残している事沢山あるのですが、じたばたしてもしょうがないと開き直っています。昨日、庭木の山茶花、伸び切った枝を高枝切ばさみで剪定したので、ボサボサ感は少しは改善・・・本当は脚立にのって剪定ばさみでチョキチョキやる方が良いの
佐賀県・日本オーストリア友好協会、発会の記事が今朝の佐賀新聞にありました!!来年前半に駐日オーストリア大使が佐賀県を訪問されるのを前に、県内の人たちにオーストリアの文化や歴史について知ってもらおうと立ち上げられたそうです。略称は佐賀県日墺協会。素晴らし
朝は寒かったのですが、午前中は穏やかに晴れました。今日は佐賀市内の公民館の講座で「大隈重信を支えた女たち」と題して話してきました。皆様、とても熱心に聞いてくださいました。大隈重信の母三井子、妻綾子、娘熊子、そして佐賀時代の妻美登を中心に話をしてきまし
今朝も寒くて、霜で真っ白でしたが、日中は良く晴れて、日向はポカポカでした。よって、しばらく外掃除です。ここ数日の霜で、ノボタンの地上部が枯れてきました。月桃もそろそろ地上部は枯れることでしょう。結局赤くなることなく葉が落ちてしまったナンキンハゼは白
今朝は氷点下となり、霜が降りた佐賀でした。昨日入手した「鼓の胴の松飾り」は藁と縄で鼓の形を作り、松の葉と橙と墨と南天で飾られています。藁はこの秋に刈り取られたもので、まだ青味があります。鼓の胴の松飾り保存会の方から、松の内が過ぎたら、飾りをとって、胴
本日は「鼓の胴の松飾り」をGETしました!!これは蓮池に伝承されている正月の松飾りです。いただいた説明書によれば、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1637年(寛永14)、島原・天草のキリシタン農民が蜂起し、原城に立て籠もると、江戸幕府は西国の大名を動員して、翌年の1638
本日も寒くて、お天気は不安定でした。今年もあと10日ばかりです。ちょっと車を走らせ、大型店へ出かけると、いつもはゆったりと止められる駐車場なのに空きスペースがなかなか見つかりません・・・やっと見つけて、あれこれ見て回りました。今や買い物は郊外型のショッピ
今日も寒い一日でした。妹に会いに背振方面の山を登って行ったら道路脇に雪が残っていました・・・昨日は不安定なお天気で、平地では突然に雨が降って来たりしていましたが、山の方は雪だったのですね。妹は福岡方面から山に登ってきたのですが、雪がたくさん残っていたと言
今日はまた一段と寒くなった佐賀です。朝から、くしゃみ、鼻水、鼻づまりで苦しんでいます・・・風邪のようです。出来るだけ安静に過ごしています。我が家のある地域の、1992年のゼンリン地図を頂いたので見ています。地域の集落には堀の多いことには驚きます。この時期
本日も、佐賀に縁ある女性たちの話をしてきました。この1週間で同じ話を三回目ですので、だいぶ調子よく話せるようになりました。今日は、青山光子さんとクーデンホーフ伯爵とが結婚に至るにはどのような出会いがあったのか?という質問がありました。う~ん・・・分かりま
本日は姪がお墓参りに来てくれたので、母の実家のお墓までお参りに行ってきました。お墓は、煎茶の祖と言われる売茶翁ゆかりの寺、黄檗宗の龍津寺(りゅうしんじ)にあります。家もお寺のすぐ近くですので、私たちの先祖は売茶翁と顔見知りだったに違いないと思っています
本日は肥前浜宿の酒蔵通りを歩きました。酒蔵が並ぶ街並みがとても素敵です。平日ですが、団体の観光客もお見えでした。肥前浜駅にはJR九州の豪華列車36ぷらす3で観光にいらっしゃるお客様も多いそうです。短い時間に3団体のお客様に出会いました。観光ガイドの方
今朝はお墓掃除でした。9月以来のお掃除です。今年はいつまでも暑かったので草の伸びもいつまでも・・・幸い2週間前に蒔かれた除草剤が効いているようで、草取りはあまり大変ではなかったのですが、ナンキンハゼの落ち葉の多いこと・・・今日は地区の人15人位の参加でした。ご
本日は佐賀近代史研究会の定例会でした。知らないことが多すぎて、毎回とても勉強になります。本日は、1921(大正10)年6月の佐賀新聞の記事から、佐賀の近代史年表を作るための検討会でした。6月25日には、「佐賀高女校、成美高女校が地久節を開催」とありました。「
今日は美味しいミカンを求めて鹿島まで行ってきました。大隈重信の妻であった江副美登さんについて調べてきたおかげで、毎年美味しいミカンを手に入れることができるようになり、なんて得をしているのだろうかと夫と話しながら行ってきました。鹿島の迎先生に美登さんの
本日も佐賀縁の女たちについてお話をしてきました。今日は時間配分もうまくいきました。休憩時間には受講生の方の会話に入っていく余裕もできました。クーデンホーフ光子さんについては、本やテレビなどで知られていたようで、夫であるクーデンホーフ伯爵が亡くなった後
本日は、佐賀縁の女性たちの話をしてきました。皆さん熱心に聞いて下さいました。鐘ヶ江録子、石井筆子、クーデンホーフ光子、江木欣々、日下部米鶴、黒田チカ、大橋リュフの7人を2時間の中で話したのですが、いつものことながら時間が足りませんでした・・・このテーマは20
今日も寒い佐賀でした。明日は、久々に人前で話さねばならないので、準備に費やす一日でした・・・幕末から明治時代に生まれた佐賀に縁のある女性7人について話します。結構人気のある話です。2018年に南里邸で初めて紹介したのですが、その後も色々と調べが進んできました
今日は冬らしい一日でした。今年も残り少なくなってきました・・・やらなければならないことは沢山あるので大変です・・・明後日に人前で話す内容を確認しておかねば・・・何回も同じテーマで話したことなのですが、調べが進んだ事についても触れ、最新情報をお伝えしたいので見
本日は12月8日。1941年12月8日未明、第二次世界大戦において大日本帝国海軍が、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争に突入した日です・・・毎年、この日はメディアで真珠湾攻撃のことが取り上げられて
今日は最高気温が12℃と、寒い一日でした。我が家の近くのナンキンハゼは、それでも緑のまま・・・反対側のナンキンハゼは、赤くなることなく枯葉のようになり散ってきています・・・大詫間幹線水路が通る我が地区の農地には麦が蒔かれ、芽が出て、冬の装いとなりました。
本日は福岡県の柳川まで買い物に行ってきました。距離的には14キロメートル。20分程度で行くことができます。水郷の街で、張り巡らされた水路には川下りの船がみえました。近いのですが県境を越え、佐賀とは文化圏が違うと感じます。柳川のひな祭りは旧暦で行われ、「さ
本日は最高気温が13℃となり、寒いと感じました。12月ですから冬なのでしょうが、秋らしい日々が無かったので、何だか調子がくるってしまいます・・・来年度のお仕事の依頼が来ました。新しい工夫をしないといけないと思いながら予定表に書き込みました。今月は人前で話す仕
本日はミニ忘年ランチ会。スケジュール帳を見ながら今年一年を振り返りました。あっという間に過ぎた月日のようで、いろいろと盛りだくさんの一年であったことを再認識しました。師走はまだ始まったばかり・・・今月も盛りだくさんです。ボチボチ頑張っていきます。
今日も晴れて暖かい一日でした。我が家の周りのナンキンハゼは、例年ならばこの時期は真っ赤に色づいているころなのに、今年は未だ緑色・・・今年は植物にとっても受難の年でした・・・暖かいまま師走に入り、年の瀬が迫っていると感じられないのですが、今年もあとわずか・・・
佐賀医学史研究会会報192号の新刊紹介に、拙著『大隈重信と江副廉蔵』の英訳版『Weaving the Past:Ōkuma Shigenobu, Ezoe Mito, and Ezoe Renzō』を取り上げていただきましたので、以下に紹介します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・拙著『大隈重信と江副廉蔵』の英訳版『Wea
本日は地区のお祭りでした。霜月まつりと言われています。お天気も素晴らしく良く、お祭り日和となりました。昭和40年代頃までは、地区に住むすべての人が参加するまつりで、施主は家回りで、二日間にわたって施主の家で食事をご馳走になっていました。料理は各家からお
「ブログリーダー」を活用して、sueさんをフォローしませんか?
本日は庭仕事に最適な曇り空。気になっていたソテツをやっつけることにしました。ソテツは葉が尖っているのでチクチクと危ないです。切った葉をゴミ袋に入れるのも大変です・・・この時期、毎日毎日庭仕事です。
今日は午前中の仕事を終えたら、庭仕事・・・家屋に接触している梅の木周辺をスッキリさせたくて、先日来取り掛かっているのですが、なかなか進みません・・・上に伸びている枝も切りたいのだけれど、1人ではなかなか難しい・・・庭師さんに頼めばピシッときれいに剪定してくださ
今日も肌寒いと感じる佐賀でした。さて、明日は佐賀の魅力について話さなくてはなりません・・・色々ありすぎて困るのだけれど、有田焼と佐賀のお菓子について話そうかと思います。改めて、焼物について調べていると、難しいです。有田焼は、朝鮮、中国から製法が伝わった
戸籍の氏名に読み仮名を記載する改正戸籍法が明日施行されます。人の名前は読み方が難しく、最近の子どもたちの名前、私はほとんど読めません・・・今の子どもたちだけでなく、昔の人の名前もどう読めばよいかわからず適当に読んでいます・・・昨年、南里邸歴史倶楽部で『幕末
今日は雨となった佐賀でした。午後からはお天気は回復するとの予報でしたが、残念ながら夕方も雨でした・・・さて、本日は佐賀近代史研究会の定例会でした。大正10年の新聞記事には徴兵検査の事が度々あります。受検者に対し甲種合格者の割合は4分の一程度です。私の親の世
明日は大雨とのことで、もう一度庭の梅の木を見上げるとまだ実が生っている・・・で、再度梅の収穫。40個、約1キログラムとれました。庭の梅の木一本で今年は合計3キロ収穫できました!!木が大きくなりすぎて屋根に接触しているので、今日は枝を伐採。少しはさっぱりとなっ
今日は雨が上がり、徐々にお天気がよくなった佐賀でした。さて、今朝の佐賀新聞によれば、江藤農相が更迭となった「コメ買ったことない」発言は、18日開催の佐賀の自民党の政治資金パーティーでのことで、会場には多くの報道関係者がいたのに、直ぐに報じたのは佐賀新聞で
今日の佐賀は雨です・・・時折激しく降りました。昨日のうちに梅を収穫したのは正解だったようです。梅はジュースにしました。梅酒よりも梅ジュースの方が、我が家では人気です。毎年つくる梅ジュースは、梅を一旦冷凍して作るのですが、今年はカリカリの梅も楽しみたいと
今日の佐賀は暑かった・・・明日からは雨が降るとのことで、今日は庭の梅を収穫しました。昨年は例年に比べとても少なかったのですが、今年は昨年よりは多く、2キロほど収穫できました。一応脚立は持ってきたのですが、何せ高齢だから、用心をして高枝切ばさみで収穫しまし
本日は、佐賀近代史研究会のメンバーと共に『佐賀近代史年表 大正8年』を持ち、佐賀新聞社にご挨拶に行ってきました。記者さんを交えて色々とお話もしてきました。大正8年は、米価をはじめとして物価の高騰が続いています。大正6年の1月には米60キロが5円80銭だったのが
女子の高等教育の歴史を調べようとして、教育機関の構成が複雑すぎて、理解できません・・・複雑であることを理解しておけば、どうしても必要な時にはきちんと調べる努力をするでしょう・・・今は未だ、理解する努力は後回しにします・・・
先日、来年の講演についての打ち合わせ会議がありました。実行委員会の方々が、会の成功に向けて綿密な準備をされています。私は「時代を拓いた佐賀ゆかりの女たち」というタイトルでお話をすることになっています。やはり、女性の話は皆さん聞きたいと思われているようで
このところ、大隈重信の事を思っていたのですが、今日は大隈重信とは親戚筋に当たり、パトロンであったろうと思われる方の縁者を訪ねてきました。家系図をはじめ色々なものを見せていただき、気になることが沢山出てきました。とても楽しい一日となりました!
2025年の大隈祭記念講演「大隈重信と女子教育」、早稲田大学歴史館 袁甲幸講師の資料を見て、思い出しながらの報告です。民間人女性教育家の叙勲について教えていただきました。民間人女性教育家叙勲の始まりは1912年で、棚橋あや(東京高等女学校)、三輪田真佐(三輪田
今朝の佐賀新聞には、5月11日に大隈重信記念館で開催された「大隈祭」の記事がありました。写真が2枚もある大きな記事なのに、記念講演については、「早稲田大学歴史館」の袁甲幸さんによる記念講演なども行われたとだけ書かれていました・・・。記念講演のタイトル「大隈重
先日の「大隈祭」の早稲田大学歴史館講師袁甲幸先生の記念講演「大隈重信と女子教育」では、近代の男女の教育格差について、非常にわかり易く纏められていました。官公立の男女ともに受けることができる初等教育の小学校を卒業後、男子は更に教育を受けようと思えば、中学
本日はお天気も回復。明日からの仕事に使うレジメづくりで、一日が終わりました・・・今年4年目の授業です。毎年、生徒さんは変わります。内容的には毎年同じですが、昨年の反省から、少しでも見やすい資料作りに努めましたが、たいして変わり映えしないです・・・明日はどう
本日は大隈重信記念館で開催された第45回大隈祭に参加してきました。早稲田大学歴史館講師の袁甲幸先生の記念講演「大隈重信と女子教育」はとても興味深いものでした!!先ず、大隈家の女性たち、母:三井子、先妻:美登、後妻:綾子、娘:熊子から始まりました。袁先生の
本日は佐賀大学農学部の同窓会総会に参加してきました。。改めて、佐賀大学の歴史を辿ってみたら、1920年(大正9年)に旧制佐賀高等学校として設立され、1949年(昭和24年)に佐賀高等学校と佐賀師範学校、佐賀青年師範学校を包括して新制佐賀大学が設立され、旧制佐高を母
久々に結構激しく雨の降る一日でした・・・運転免許証の更新に行ってきました。高齢者講習を受講していたので、受付から5分後には新しい免許証をもらうことができ、あまりの速さに驚きでした!!高齢者の運転に世間は冷たいけれど、佐賀のような地方では車を運転できないと生
今年の講座が無事に始まりました。午後からは庭仕事です。雨上がりなので土が柔らかく、草花の苗を植えました。無事に花が咲いてくれると嬉しいのですが・・・椿には虫がついていました・・・これからの季節、草と虫との闘いです・・・色々と考えながら、黙々と体を動かす庭仕
雨は上がったものの、肌寒い感じのする佐賀でした・・・明日からは今年の講座が始まり、しばらく庭仕事はお休みです。毎年、この頃までは、庭の景観はまあまあなのですが、これからの草の伸びが恐ろしいです・・・今、枇杷が生っています。10年チョット前に生えてきた枇杷が大
今日は雨が断続的に降る佐賀でした・・・一日中家の中で、これから始まる講座の準備に励みました。今年で3年目の講座です。受講生は毎年変わるので、話の内容は同じでも問題ありませんが、こちらの理解は少しずつ深くなっているので、わかり易く伝えねばと思っています。さ
今日は夕方から雨となり、夜は激しく降っています・・・台風も発生しているようで、今後の進路が気になります。それにしても今頃台風1号とは驚きです・・・我が家の辺りは海抜3~4メートルの平野で、佐賀平野特有の水路が張り巡らされています。土砂崩れの心配はありませんが、
本日は佐賀近代史研究会の例会でした。佐賀近代史年表の原稿作成に当たっての検討会です。今日、藤山常一の名前が出てきました。この人は、確か、パリ万博、ウィーン万博に参加した藤山種広の関係者だったような気がする・・・と思いつつ、思い出せなかったけれど、今調べて
佐賀新聞は創刊140年に向けて「私と佐賀新聞」を特集しています。本日、読者の声の欄に「佐賀近代史年表の制作」という投稿がありました。投稿者は、昭和53年に発足した佐賀近代史研究会の創生期のメンバーの方のようです。佐賀新聞は明治17年の創刊で、創刊当時から
今日は庭仕事にちょうど良いようなお天気の佐賀でした。7月に、佐賀市赤松公民館の「さが学講座」で、「大隈重信に関わる女たち」と題して話をします。この「女たち」とは、母の三井子、佐賀時代の妻美登、東京での妻綾子、娘の熊子・・・です。母の三井子はとてもしっかり
本日は曇り空。庭仕事にはもってこいのお天気でした。大きくなりすぎた木々の枝をバッサバッサと切り落としています。今年はいつもの年より庭仕事を頑張っていますが、広いのでなかなかさっぱりとなってくれません。今日はブラシツリーが随分と咲いてきました。この木
佐賀にUターンしてからの30年間を振り返り、色々と回想してみて、いろいろな方々に出会い、支えていただき、一緒に楽しんでいただいた事に改めて感謝しています。これから先も、何が起こるか分からないし、今までの蓄積と、どんな風につながっていくか楽しみです。さてさ
佐賀にUターンして30年の回想を、つらつらと綴って来て、やっと今年の電子書籍発行まで来ました。大隈重信の妻であった、美登さんに辿り着いて以来、幕末明治の頃の佐賀の面白さにはまってしまい、今日まで来てしまいました・・・。美登さんの実家である江副家についても随分
本日も回想です。佐賀医学史研究会で南里早智子さんと出会いました。南里さんは江戸末期の頃の佐賀について、竈帳を読みこなしておられ、佐賀の医師たちのことに詳しく、直ぐに意気投合しました。2017年秋のこと、明治維新から150年の2018年に佐賀県では、幕末明治の頃の
佐賀にUターンして30年を振り返り、色々と回想しているのですが、あまりにもいろいろな事がありすぎて、なかなか先へ進みません・・・2015年6月14日に、ブログにコメントが届きました。パリ在住の日本人の方からで、ペールラシェーズ墓地で日本人・野中元右衛門のお墓を見つけ
本日も過去の回想です・・・小出千之助についてもわかってきたことも、ドラマになりそうな展開でした。作家の山崎光夫さんから、『大隈重信青春譜』の取材中、東京で小出千之助の縁者の方と出会い、お墓がわかったと連絡を受けました。山崎さんが取材で佐賀に来られた折、妻
今日はお天気は良いのに、台風並みの風が吹く佐賀でした・・・2005年6月から綴り始めたブログ、江副廉蔵の周りから幕末明治の頃の佐賀に関わることを夢中になって調べて書いていたら、注目してくださる方も増え、いっそのこと本にまとめてみようと思い、多くの方の協力を得て
今日は一日中庭仕事・・・大変ではありますが、コツコツとした仕事は大好きです。今日は、明治期の輸出陶磁器に出会った頃のこと、回顧してみます。私は、江副廉蔵を調べているうちに、幕末の佐賀藩の事に大変興味を持ち、思うが儘に調べては毎日ブログに書き綴っていました
西村さんからは、鐘ヶ江録子の夫である鐘ヶ江晴朝についても教えていただきました。西村さんの話では夫妻のお墓が東京青山霊園にあり、明治2年東大で学び、7年には宗十郎町で医者を開業し、貧しい人たちにも医療を施していたが、志半ばで明治14年に亡くなったと書いてあると
昨日の雨から一転、今日は良いお天気の佐賀でした。今日は2008年5月の回想です。私が、鐘ヶ江録子の名を知っていたので喜ばれた方は、「あなたも佐賀のことを調べているの?何を調べているの?」と聞いて来られたので、私は大隈重信の妻であったミトさんのことを調べてい
本日は大隈重信記念館で「第44回 大隈祭」が開催されました。生憎の雨となりましたが、大勢の方が参列し、大隈重信を追想し顕彰しました。今回は初めて、早稲田大学の総長も参列されました。さて、またまた、回想です。江副廉蔵について調べ始めたことから、色々なことが
2005年11月の新宿日本語学校創立30周年記念式典に参加されていた方が、江副廉蔵の話はJT(日本たばこ)に繋ぐべきだと紹介してくださいましたので、当時は渋谷にあった、たばこと塩の博物館を訪ねました。ちょうど「梨本宮家と渋谷ーある皇族妃が見た明治・大正・昭和」が開
今日の佐賀は良く晴れ、暑くなりました・・・さて、今日も2005年の回顧からです。私が新宿日本語学校を訪ねた2005年は、学校創立30年の年でした。学校では、創立30周年記念式典を11月20日に計画され、その時に「幕末・明治の肥前こぼれ話より 江副みと、江副廉蔵の時代」と