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2011/12/20

  • 芽室 (根室本線) 2015

    芽室駅から道道715号芽室東四条帯広線を帯広方向へ辿ると、直ぐに河岸段丘崖を下る坂道となって美生川に架橋の大成橋に至り、それを渡り切ったあたりに十勝バスの南2線22号停留所が置かれている。ここを歩く度に気になっているのだが、芽室駅方面行きバスをここに降りても行くところが無い。停留所の背後は美生川河川敷の樹林帯が続いているだけである。大成橋対岸には間近に市街地が見えるが、そこに行くなら次の芽室東6条停留所...

  • 東室蘭 (室蘭本線) 1970

    沼ノ端-遠浅(室蘭本線)1969 から続く古い鉄道屋にも遠い昔、「神話時代」の話を続ける。1956年11月改正時点の小樽築港区の仕業表を見ると、C57には甲組として1・2<大雪>、3・4<アカシア>に7・8<まりも>、107・108<すずらん>の急行仕業を含む全14仕業が組まれているが、肝心の<まりも>の牽引は富良野までであり、釧路に至っていたのは昼行411・412、夜行419・418の普通列車2往復牽引である。<まり...

  • 沼ノ端-遠浅 (室蘭本線) 1969

    C57型蒸機の道内への配備は、1947年9月30日付で小樽築港機関区へ新製配置された57200と57201を嚆矢とし、1975年の運転終焉まで述べ29両を数えた。新製を除く27両は内地からの転用で賄われ、全てが再び海峡を渡ることなく道内で用途廃止を迎えた。新製配置の2両と、およそ2年後の1949年の6月から7月に仙台機関区から小樽築港に配転の5757・57118は、1947年6月1日の日本国有鉄道の発足時点で9両が在籍していたC55の実質的増備と捉...

  • 大楽毛 (根室本線) 2018

    以前、八雲(函館本線)1972 に書いた覚えがあるが、めぼしい俯瞰画角がとれない地点にあっては、道路との立体交差、跨線橋は鉄道屋には貴重なポジションに違いない。大楽毛周辺では、国道38号線の大楽毛跨線橋がそれにあたり、位置的に空港に近いこともあって道内到着時や帰途前に連絡バスを大楽毛駅前で乗り降りして撮っている。この跨線橋の供用も、全国で土道砂利道ばかりだった一級国道の抜本的改良が進められた1960年代のこと...

  • 斜内 (興浜北線) 1977

    興浜北線が歴史の彼方に果てて40年近い歳月になる。1980年前後の数年間のこと、冬旅に斜内山道を必ず組み入れていたけれど、毎年に吹雪かれるばかりで定番と思える目梨泊方からの神威岬背景のカットなど手にしていない。どれも猛吹雪前提の岬直下での撮影ばかりである。この頃には夜行急行を宿代わりとした周遊行動が撮影行のスタイルであり、同一地に数日留まっての天候待ちなど考えもせず、連日夜行で移動していた。反面、再訪や...

  • 音別 (根室本線) 1986

    音別(根室本線)2018から続くかくして 「地方分権推進」の実体は、見事に「基礎自治体の合併」へとすり替えられ、2010年度まで続いた「平成の大合併」の時代の幕が開いたのだった。これは、民主主義、デモクラシーの実践にとって正反対の愚策であった。それに相応しいのは基礎自治体の細分化である。原理である「直接民主制」に鑑みれば自明であろう。単純に考えても市町村の規模が大きくなれば、住民の直接請求やリコールなどの成...

  • 音別 (根室本線) 2018

    1975年だったと記憶するが、音別には帯広に降りるはずの夜行423列車での寝過ごしの偶然で降り立って以来、それこそ幾度も訪れている。特に、道内夜行の廃止で夜間移動が困難となり、地域を絞っての撮影スタイルへの転換を強いられてからのこの方の道内行きでは、半ば慣例化している。つまりは、ここの半世紀余りを訪問者として眺め続けたことになるけれど、近年の、そう2000年代後半あたりからだろうか、駅前周辺の寂れ方はあまり...

  • 銭函 (函館本線) 1977

    随分と古くからと思うが、銭函駅の改札口ホーム側上部には、わざわざ「銭凾」と大書きされた如何にもそれらしき大箱の飾り物が吊り下げられていた。何代目の作り物かは知らぬが、今では下ろされてホーム上への展示となっているらしい。一時期、入場券が縁起物と持て囃されもしたのだが、近頃にはすっかり沙汰止みと見える。道内で最も古くに開業した停車場の一つであり、駅名は所在地名からの採取に違いないが、その起源は先住民の...

  • 稲士別 (根室本線) 2010

    道内幹線系線区であまり撮っていないのは根室本線の釧路までの区間だった。共に長大隧道を含む狩勝新線と金山ダム建設に伴う付替線の開業により富良野-池田間が1966年に、その先釧路までも69年早々には無煙化がなされ、蒸機撮影の頃に足が向かなかったのが尾を引いたものか、先の新線区間と音別周辺の他は訪れていないのだった。この線区へ通うのは近年のことで、道内夜行の全廃と、続いた均一周遊券の廃止で周遊型の撮影行が困難...

  • 新狩勝信号場-広内信号場 (根室本線) 1979

    オダッシュ山の山麓緩斜面に敷設された狩勝新線の開業時、滝川起点126K960Mに置かれた信号場には「広内」の名称が付された。落合-昭栄(信)間にCTCが施行される71年3月31日までは運転要員が配置され、無人の上落合・新狩勝・西新得の各信号場を被制御駅に進路・信号のリモートコントロール制御を行う、当時に最新の技術による狩勝新線運転の核心停車場であった。この際の「広内」とは、所在位置の地名であり、西新得方に開削の隧道...

  • 塘路 (釧網本線) 1977

    幾度もの道内通いは、勿論冬場も欠かさなかった。好んで出掛けたとしても良い。風雪や冬枯れの光景に低い斜光線の陰影もあるけれど、貧乏性の鉄道屋はポジションの選択肢が広がる撮影の実用性も感じていたからに他ならない。夏場には登れない熊笹の斜面でも、深雪を厭わなければ這い上がれたし、凍結した湖面にも河畔にも立てるのだった。表土も凍結するから湿地、湿原へも踏み込めた。雪の深い稚内サラキトマナイ原野、エノシコマ...

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"Monochromeの北海道 1966-1996"そしてEktachromeの頃
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