多くはイタリア語の歌詞がついてるヘンデルのカンタータ、どんな意味のことを歌ってるのか考えていきます。
イタリア語には弱いので、英訳された歌詞も参考にして意味内容をつかもうといています。なので和訳というのはおこがましく、あくまでも「歌詞の意味を解釈しようとする試み」です。それと取り上げた作品に関連する(もしくは無関係の)美術や文学の話題も。
バッハのブログではないのですけれど、もう一度バッハのイタリアンカンタータを取り上げて見ます。
この作品は「オラトリオ」の範疇に入っています。といってもそんなに大作ではなく、大型のカンタータ程度の規模のものです。テキストが聖書に題材を取ったものではないので、はっきり「オラトリオ」とはいえないのですね。けれど特にドラマ性もなく、「音楽劇」とするのも変です。どのように分類したらいいのか、専門家の先生方もお困りになるような作品ではあります。
J.S.バッハにもヘンデルのものと同じようなイタリアン・カンタータの作品があります。
モテット第2弾です。ソプラノ用で、弦楽合奏と通奏低音にオーボエも加わって伴奏しています。ヘンデル作曲のモテットは、前回取り上げたHWV242と当作品HWV240の他、HWV231と239が該当して合計4作品あるようですが、231と239は音源がありません。
今回の作品は宗教的な声楽曲で、カンタータではなく「モテット(Motetto)」と呼ばれるものです。ソプラノ用で弦楽とオーボエと通奏低音の伴奏が付きます。テキストはラテン語。
今回取り上げた作品は、当ブログのタイトルの範疇を逸脱するものではありますが、「ヘンデルの声楽曲 歌詞の・・・」と改題するほどのことでもないので、そのまま続けます。
前回の記事「鳴り物ならせ、、お祝いしよう」をアップした時点で、カンタータと重唱曲の歌詞すべてに目を通したことになります。「鳴り物ならせ・・・」は信頼できる歌詞が見当たらず、抜粋のものでしたが。2011年5月からのスタートなので、丸6年もが経過したことになります。われながら、テレテレやってきたものだ、とあきれている所です。
「楽の音鳴らせ、お祝いしよう」(Echeggiate, festeggiate)HWV119
新年おめでとうございます。あっという間に2017年も10日以上が過ぎてしまいました。
「コープマンが録音したカンタータ」といえば、バッハのカンタータがまず思い浮かびます。なにしろ全曲録音のCDもリリースしているくらいの人ですから。しかしこのサイトで取り上げるのは、当然のことながら、ヘンデルのカンタータです。
コンティヌオ・カンタータですが、いつも参照している三澤寿喜さんの著作「ヘンデル」によればソプラノ用ということですが、音源はありません。1706年にフィレンツェかヴェネツィアで作曲、とされています。すなわちヘンデルのイタリア時代で最初期の作品のうちのひとつ。
コンティヌオ・カンタータで、三澤寿喜さんの「ヘンデル」によればソプラノ用ということですが、音源がありません。自筆譜がなくなってしまっているので、正確な成立年代はわからないようですが、ルスポリ侯爵邸に1709年8月31日付けで筆写されたものが伝わっているそうです。作詞者は不明。
表題の「キューピッドとふしだらなクローリが」(Poiché giurano Amore e Clori infida)HWV148 を収録したCDが最近発売されたので、さっそく買い入れて聴いてみました。
例によって音源のない作品です。
今回も音源がなく申しわけないことであります(わたしの責任ではないですが)。
先日の相模原市のテロ事件については驚愕と怒りで言葉もありません。亡くなられた方々に対し哀悼の意を捧げますとともに、負傷された方々が一日も早く回復されますようお祈りしています。
この作品も残念ながら音源がありません。これまでに録音されたことがあるのでしょうか。まあ、どこかで演奏されたことくらいはあると思いますが。
ソプラノ用のコンティヌオ・カンタータということですが、残念ながら音源がありません。
この作品は音源がありません。ソプラノ用のコンティヌオ・カンタータで、1708年にローマのルスポリ侯爵邸で作曲されたということです。
この作品は音源を持っていなかったのですが、最近になってYou Tubeに載っているのを見つけました。ソプラノ用のコンティヌオ・カンタータです。
久しぶりに音源のある作品です。アマゾンのページで見つけました。CD2枚組の「エイシスとガラテア」HWV49aの余りトラックにはめ込んだ、まあ埋め草のようなものです。埋め草であろうとなんであろうと、おそらく他には録音がないと思われるので、これはとても有難いことです。
(2015年10月6日の続き)
新年おめでとうございます。イタリアの話もモタモタ書いているうちに年を越してしまいました。
ローマ滞在最後の日2015年10月6日(火)は、同時にイタリア滞在最後の日でもあります。この日は朝からバルベリーニ宮の美術館へ。この美術館の正式名称は Galleria Nazionale d'Arte Antica in Palazzo Barberini というそうで、「バルベリーニ宮の国立古典美術館」とでも訳するのでしょうか。
サンタ・マッダレーナ村の3日目(2015年10月5日 月)は朝起きるといい天気です。朝食をすますと、9時近くのバスで村よりさらに上、標高約1600mのマルガ・ザンネスMalga Zannes、(ドイツ語ではツァンザーアルムZanseralm)へ。
山のホテルでの一夜が明けると、2015年10月4日でこの日は日曜日です。
本日(2015/10/3 土曜日)はイタリア半島の北半分を縦断する大移動(て程でもないですが)、翌々日にはまた戻ってくるのですけれど、3泊したホテルをいったんチェックアウトします。
ローマ3日目は2015/10/2(金)、この日は川向うへ出かけます。ローマで川と言えばもちろんテヴェレ川。「テヴェレ川の向う」はすなわちトラステヴェレ(Trastevere)、その方面へ行ったのです。
ドーリア・パンフィーリ美術館(Galleria Doria Pamphilj)はPalazzo Doria Pamphiljの中にあります。この屋敷は代々パンフィーリ家の人々が住まってきたものです。一族から教皇(インノケンティウスX世)になる人も出した名家ですが、ヘンデルがローマにいた時代のパトロンのひとり、ベネデット・パンフィーリ枢機卿に跡継ぎの子がいなかったので、お姉さんの嫁ぎ先であるドーリア家が相続して「パラッツォ・ドーリア・パンフィーリ」となったのですね。
2000年以上も前の遺跡の上で一晩を過ごし朝になりました。朝ごはんを食べに地下の食堂へ降りていくと、
久しぶりの海外旅行で、イタリアへは8年ぶりということになります。相も変わらず古女房と二人連れの貧乏旅行です。しばらくの間、旅行ブログの様相を呈することになりますが、乞うご容赦、というところ。
指揮者のマルコ・ヴィターレ(Marco Vitale)が、ヘンデルのカンタータを全曲録音するために設立したというレーベル「Ayros」からカンタータ第02集が発売されています。
お久しぶりです。ちょっと怠けているうちに、梅雨が過ぎ、猛暑日の続いた夏も終わろうとしています。まさに「光陰矢の如し」であります。この間、2週間余り入院して「オペ」などを受けたりしました。今はもう完全に元の体調となりましたが。
2か月ほど更新をサボっておりました。また頑張っていきましょう。
今年はヘンデル生誕330年を数える年であります。日本各地でそれを祝う盛大な催しが、行われ・・・ないでしょうね。ということで、今回も音源のない作品です。
「ダーイシュ(ISIS)」に人質となっている方々のリバレイションをお祈りしています。それにしてもこの事件、謎が多いです。そもそも事の発端からしてよくわからない。ネットなどではいろいろなことが言われていますが、何が真相なのか。解決後、報道機関には内容を整理して示してもらいたいものです。
1月も半分終わろうとしているときに、やっと今年初めての記事です。本年もよろしくお願いします。
今月は何やかやと忙しく、おまけに身内の不幸が重なってバタバタしているうちに今年の残りはもう一週間を切ってしまいました。今回の作品もまた音源のない、歌詞だけが手元にあるものです。「クローリ、クローリ、どこにいる?」(Clori, Clori, ove sei?)HWV93
今回は久しぶりに本の話題です。ツイッターは自分ではやってはいませんが、ときどきいろんな方のつぶやきを見せていただいて楽しんでいます。しかし明治の昔にツイッターをやっている人がいるとは、この本を読むまで思いもよらず、びっくりしてしまいました。もちろん昔のことで電子機器などなく、リツイートはやりようない一方的な情報発信ではあるのですが。
今回はひとつ残っている二重唱曲ですが、やはりCDなどは持っていないものです。ただこの作品、ユーチューブ乗っかっていますね。それによると、かつてこれが収録されているCDが発売されていたらしいです。ソプラノのサンドリーヌ・ピオーさんとバスのJérôme Correasさん(読み方がわからない)のデュエットが入っているもので、アリオン・レーベル、2001年頃に出たということ。わたしはまったく気がつかなかったです。CDの画像も見覚えないものなので、完全に見過ごしてし...
「憲法第九条」はノーベル平和賞に届かず、残念でした。また次回のチャンスを待ちましょう。受賞されたパキスタンのマララさんは自身の危険をもかえりみず、すべての子供が教育を受けられるように、と強く訴える行動をするなど非常に勇気のある人です。見習うべきところが多々ありますね。大変立派な受賞だと思いました。おめでとうございます。
前回の記事、「フィレーノは遠くへ行ってしまった」をアップしたところで、カンタータ・重唱曲とも手持ちの音源が底をついてしまいました。もちろん歌詞の内容を解釈する作業は、すべての作品についてできたわけではありません。2011年の5月から始めて3年あまり、どこまで進行したかをこの機会に検証(というほど大層なものではないですが)して見たいと思います。
今回の作品は悲しい歌です。彼氏に遠くへ行かれてしまった女性主人公の嘆きが主題になっています。
東京・代々木公園周辺には悪いウィルスを持った蚊が飛び回っているようです。先日の新聞には、発症した人は55人、と書かれています。これらの方はすべてこの公園周辺で蚊に刺された2次感染者、ということですが、1次感染者(最初に海外からウィルスを持ってきた人)は発症しなかったのか、いまだに不明。今後3次感染者が出ないことを祈るばかりです。
暑かったこの夏もようやく終盤のようです。それにしても先日の、広島における豪雨による土砂災害で多くの方々が亡くなり、今なお行方不明の方がいらっしゃることについては心が痛みます。自然災害なので家が壊れることなどはあり得ても、最悪の場合でも人命だけは損なわれない、というシステムは作れないものでしょうか、「先進国」などと言ってエラソーにしているのだから。
毎日、これでもか、とばかりに暑い日が続いています。
今回は規模が大きく、3人の登場人物が会話する、いわゆる「ドラマティック・カンタータ」と呼ばれるものを取り上げます。ドラマティックと言っても、「ストーリーに起伏があって大きく盛り上がる」わけではなく、単に「ドラマ仕立て」というだけの意味です。
日本のワールドカップも終わりましたね。「大差の惜敗」というか、「惜しくもボロ負け」というか。まあ、スペインやイングランド、イタリアやポルトガルなど強豪チームも一次リーグ敗退ですから、日本も同じように強豪だったのだけど負けた、と考えれば腹も立たんというところですかね。
この作品の歌詞はストーカーの心理を歌っているように思えます。
この作品は通奏低音のみで伴奏される、いわゆるコンティヌオ・カンタータですが、成立の事情については諸説あるようです。三澤寿喜氏は、初稿(HWV126a)が1708年8月作曲のソプラノ用、第2稿(126b)もソプラノ用、第3稿(126c)はアルト用としています。一方エレン T. ハリス女史は、もともとアルト用だがローマのルスポリ侯爵のところでソプラノ用に移調された、これは侯爵家の専属歌手だったマルゲリータ・ドゥラスタンティのためだったのではないか、初稿は別のパトロンのところでそれ以前に...
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