静岡県袋井市鷲巣(わしず)の久野城(くのじょう)は、四方を水掘で囲まれた平山城です。別名は蔵王城。室町時代(戦国時代)の明応3年(1494年)、駿河今川氏の家臣・久野宗隆(くの むねたか)が遠江(静岡県西部)侵攻の拠点として築城したと考えられています。市指定史跡 久野城址
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
縄文時代中期 有孔鍔付土器が出土 阿僧遺跡 (静岡県静岡市清水区由比(旧庵原郡由比町)阿僧 阿蘇宇神社周辺)
静岡県静岡市清水区由比(旧庵原郡由比町)阿僧(ゆい あそう)の阿僧遺跡(あそういせき)は、昭和8年(1933年)の台風で阿蘇宇神社(あそうじんじゃ)の杉の大木が倒れ、縄文土器と石器が出土して発見されました。昭和63年(1988年)と平成8年(1996年)に、発掘調査を実施。縄文時代前
馬具,大刀,土器,装身具などが出土 段丘上に築かれた後期群集墳 団子塚古墳群H地点(団子塚B古墳群) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井字北山)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の団子塚古墳群(だんごづかこふんぐん)H地点は、団子塚(標高41.4m)周辺の段丘上に築造された後期群集墳(こうきぐんしゅうふん)です。昭和22年(1947年)の現地踏査で、団子塚古墳群H地点に密集した古墳20基以上(31基?)を確認。古い
埴輪,勾玉,須恵器など遺跡・古墳の出土品 企画展『昭和40年代の発掘調査から』菊川市中央公民館 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川6225)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の菊川市中央公民館 展示室で、企画展『昭和40年代の発掘調査から』が開催されました。企画展で展示された、菊川市内の遺跡・古墳からの出土品(埴輪(はにわ)、勾玉(まがたま)、須恵器など)を紹介します。寺ノ谷3号墳出土
戦国時代 武田勝頼,徳川家康の山城 二の曲輪の門跡を検出 『国指定史跡 諏訪原城跡 二の曲輪 発掘調査 現地説明会』 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)菊川字牧之原)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)菊川(きくがわ)の国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)は、2004年度から史跡整備のための発掘調査を実施。戦国時代の天正元年(1573年)、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)の死後に家督(かとく)を相続した息子の武田勝
戦国時代 武田勝頼,徳川家康の山城 『国指定史跡 諏訪原城跡 二の曲輪馬出 発掘調査 現地説明会』 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)菊川字牧之原)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)菊川(きくがわ)の国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)は、2004年度から史跡整備のための発掘調査を実施。戦国時代の天正元年(1573年)、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)の死後に家督(かとく)を相続した息子の武田勝頼
国指定史跡 諏訪原城跡の出土品 企画展『遺跡の整備 ―ヨーロッパと日本そして諏訪原城跡―』展 (静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町3400 島田市立金谷図書館)
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)の発掘調査で見つかった出土品や関連資料を展示した企画展『遺跡の整備 ―ヨーロッパと日本そして諏訪原城跡―』展が開催されまし
国指定史跡 諏訪原城跡の出土品 企画展『諏訪原城の姿・発掘調査の成果から』展 (静岡県島田市金谷代官町3400 島田市立金谷図書館)
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)の発掘調査で見つかった出土品や関連資料を展示した企画展『ここまでわかった!? 諏訪原城の姿・発掘調査の成果から』展が開催さ
火縄銃や発掘調査の出土品 企画展『諏訪原城の魅力―近世城郭につながる山城―』 (静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町3400 島田市立金谷図書館)
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)の発掘調査で見つかった出土品や関連資料を展示した企画展『諏訪原城の魅力―近世城郭につながる山城―』が開催されました。諏訪原城は、戦国時代の天正
国指定史跡 諏訪原城跡の企画展『これからどうなる!?諏訪原城―平成25年度の発掘調査の成果と史跡整備事業―』(静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町3400 島田市立金谷図書館)
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『これからどうなる!?諏訪原城―平成25年度の発掘調査の成果と史跡整備事業―』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の関連資
国指定史跡 諏訪原城跡の出土品,絵図 企画展『諏訪原城と史跡整備された山城写真展』 (静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町3400 島田市立金谷図書館)
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『諏訪原城(すわはらじょう)と史跡整備された山城写真展』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の出土品や、絵図・推定復元図な
遺跡,古墳の出土品を展示 静岡県埋蔵文化財センター巡回展『いつもそばに動物(きみ)がいた ~出土品から知るヒトと動物の歴史~』 (静岡県榛原郡吉田町片岡404 吉田町立図書館)
静岡県内の公共施設で開催された、静岡県埋蔵文化財センター巡回展『いつもそばに動物(きみ)がいた ~出土品から知るヒトと動物の歴史~』の様子を紹介します。県内の遺跡・古墳から出土した動物に関わりのある遺物(石器・土器・陶磁器・馬具・動物の骨)を展示する考古学展
縄文時代から鎌倉時代の集落,奈良時代 敷智郡衙の出土品 伊場遺跡資料館 (静岡県浜松市中区東伊場2-22-1)
静岡県浜松市中区東伊場(ひがしいば)の伊場遺跡(いばいせき)は、縄文時代から鎌倉時代にかけて断続的に集落が営まれてきた場所です。史跡公園として整備された伊場遺跡公園(いばいせきこうえん)には、古墳時代の竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)や律令期(奈良、平安時代
浜松の地名の由来 県指定文化財「濱津」木簡 古代(飛鳥,奈良,平安時代)の出土品 浜松市博物館 常設展示5 (静岡県浜松市中区蜆塚4-22-1)
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
人物埴輪,三角縁神獣鏡,勾玉など古墳時代の出土品 浜松市博物館 常設展示4 (静岡県浜松市中区蜆塚4-22-1)
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
日本最古のよろい 弥生時代の集落 伊場遺跡の出土品 浜松市博物館 常設展示3 (静岡県浜松市中区蜆塚4-22-1)
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
縄文時代後期~晩期の蜆塚遺跡 貝塚の出土品と人骨 浜松市博物館 常設展示2 (静岡県浜松市中区蜆塚4-22-1)
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚(かいづか)・集落(ムラ)である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は
ワニ,ナウマンゾウの化石 旧石器,縄文時代の出土品 浜松市博物館 常設展示1 (静岡県浜松市中区蜆塚4-22-1)
静岡県浜松市中区蜆塚の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺跡、弥生時代
徳川家康が鷹狩りで立ち寄った宗高代官屋敷跡 市指定史跡 徳川家康公床机据え跡 宗高権現 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)宗高)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)宗高(むねだか)の宗高権現(むねだかごんげん)は、市指定史跡 徳川家康公床机据え跡(とくがわいえやすこう しょうぎすえあと)です。安土桃山時代末期の慶長6年(1601年)と江戸時代初期の11年(1606年)、鷹狩りでこの地を訪れた徳川家康(とくが
土器棺,竪穴式住居跡,掘立柱建物跡 弥生時代から中世にかけての集落 白百合遺跡 現地説明会 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の白百合遺跡(しらゆりいせき)は、弥生・奈良時代、中世(平安時代末期から鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。 海浜平野の砂堤列上(標高約3m)に築かれた集落で、当時は今よりも海岸が近くにありました。地表から約1mの深さで
弥生時代の土器棺など展示 『白百合遺跡 出土品展』 (静岡県牧之原市静波447-1 牧之原市役所榛原庁舎2階ラウンジ)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の白百合遺跡(しらゆりいせき)は、弥生・奈良時代、中世(平安時代末期から鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。 海浜平野の砂堤列上(標高約3m)に、集落が営まれていました。発掘調査では、弥生土器(やよいどき)、胎児(たいじ)
再現された 明治時代の石造り防潮堤 (静岡県焼津市鰯ヶ島251-1)
静岡県焼津市鰯ヶ島(いわしがしま)には、再現された明治時代の石造り防潮堤(ぼうちょうてい)があります。明治時代後期まで簡単な波除けの堤しか無く、暴風雨の荒波によって民家・船が度々被害を受けていたため、静岡県へ防潮堤建設を陳情。明治32~40年(1899~1907年)、静
国内最多の短刀,折り曲げられた黒漆太刀,銅製経筒,経容器,和鏡などが出土 堂ヶ谷廃寺・堂ヶ谷経塚 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口(さかぐち)の「堂ヶ谷廃寺・堂ヶ谷経塚(堂ヶ谷遺跡)」(どうがやはいじ・どうがやきょうづか(どうがやいせき))は、富士山静岡空港建設に伴う調査で見つかりました。平成17年(2005年)5月から平成19年(2007年)3月に、発掘調査を実施。富士
東海道袋井宿の企画展 『袋井宿とまわりの風景展』 袋井市立袋井図書館 (静岡県袋井市高尾町19-1)
静岡県袋井市は、江戸時代前期の元和2年(1616年)までに東海道 袋井宿(ふくろいしゅく)が整備されました。東海道五十三次の、江戸と京都のちょうど中間にあたる27番目の宿場です。袋井市立袋井図書館で開催された、企画展『袋井宿とまわりの風景展』の様子を紹介します。浮
谷田古墳群の出土品を展示公開『文化の丘の古墳展』 静岡県立中央図書館 (静岡県静岡市駿河区谷田53-1)
静岡県静岡市駿河区谷田(やだ)の谷田古墳群(やだこふんぐん)は、静岡県立美術館がある有度丘陵(うどきゅうりょう)の谷田原に分布する古墳時代後期(6世紀)・終末期(7世紀)の大規模な後期群集墳です。昭和30年代には、静岡大学が谷田古墳群に含まれる下中林1号墳(しもなかば
三角縁神獣鏡などを展示『令和4年度 特別展 静岡に眠る弥生時代の開拓者』 静岡市立登呂博物館 (静岡県静岡市駿河区登呂5-10-5)
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の
木棺墓を初公開『令和4年度 特別展 静岡に眠る弥生時代の開拓者』 静岡市立登呂博物館 (静岡県静岡市駿河区登呂5-10-5)
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の
三角縁神獣鏡が出土 古墳時代前期(4世紀中葉)の前方後方墳 午王堂山古墳群 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)庵原町字上午王堂,中午王堂,下午王堂)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)庵原町(いはらちょう)の午王堂山古墳群(ごおうどうやまこふんぐん)は、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)1基(3号墳)、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)または円墳(えんふん)1基(1号墳)、方墳(ほうふん)1基(2号墳)で構成。午王堂山1・2号墳は
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静岡県袋井市鷲巣(わしず)の久野城(くのじょう)は、四方を水掘で囲まれた平山城です。別名は蔵王城。室町時代(戦国時代)の明応3年(1494年)、駿河今川氏の家臣・久野宗隆(くの むねたか)が遠江(静岡県西部)侵攻の拠点として築城したと考えられています。市指定史跡 久野城址
静岡県袋井市川会(かわえ)の八王子神社(はちおうじじんじゃ)参道には、征露記念(せいろきねん)の石鳥居と石燈篭があります。明治37~38年(1904~1905年)の、日露戦争での勝利を記念して建立されたものです。鳥居には、「征露紀念(せいろきねん)」「明治三十九年十月建之(こ
静岡県袋井市高尾(たかお)の大門山古墳群(だいもんやまこふんぐん)は、丘陵端部河岸段丘上(標高約30~40m)に分布する古墳13基で構成されています。大門山13号墳は前方後円墳または円墳で、他の12基は円墳です。発掘調査は行われていませんが、何基かはすでに掘られているよ
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)富田(とみた)の火剣山砦(ひつるぎさんとりで)は、安土桃山時代(戦国時代)の天正3年(1575年)に徳川家康が築きました。砦がある標高282.6mの火剣山(ひつるぎさん)山頂から、約1.5km離れた武田氏が支配する諏訪原城(すわはらじょう)の兵の動きを
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の「横岡宮の段古墳群」(よこおかみやのだんこふんぐん)は、大井川右岸の河岸段丘「宮の段」に分布する古墳3基(4基?)で構成。市指定史跡 横岡宮の段古墳(横岡宮の段1号墳、宮ノ段古墳)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃~7世紀
静岡県袋井市高尾(たかお)の県指定史跡 大門大塚古墳(だいもんおおつかこふん)は、古墳時代後期(6世紀前半)に築かれた横穴式石室を有する円墳です。市内最大級の円墳で、直径約25m、高さ約4.5mの規模。幅5~6m、深さ約1.5mの周溝が巡っています。明治16年(1883年)と昭和61
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷南横穴群(やまだがやみなみよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られたA群1基・B群2基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳
静岡県掛川市家代(いえしろ)の別所古墳(べっしょこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳と考えられています。掛川市立桜木小学校の北西にある、丘陵頂部の茶園に単独で所在。別所古墳
静岡県掛川市下西郷(しもさいごう)の天王山古墳群(てんのうざんこふんぐん)は、龍尾神社(たつおじんじゃ)境内と南側にかけての古墳5基(前方後円墳あるいは円墳の1基(1号墳)、円墳4基)で構成されています。天王山1・2号墳は、平野部との比高差23~25mの丘陵上に鎮座する龍尾
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の猿郷古墳群(さるごうこふんぐん)は、河岸段丘に築かれた前方後円墳1基と円墳8基で構成されています。猿郷1号墳(猿郷古墳)は、古墳時代後期前半(6世紀前半)の築造と考えられる前方後円墳。規模は、墳長55m・前方部幅32m・前方部高
静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の馬坂上古墳群(うまさかかみこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する22基の小円墳で構成。天竜川左岸(東岸)の磐田原台地には、古墳時代に多数の古墳が築かれました。茶園開墾・道路建設・土採り工事などで古墳が
静岡県掛川市各和(かくわ)の旗差古墳群は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳3基で構成されています。段丘上の旗差2号墳は削平され茶園になって消滅し、旗差1・3号墳が段丘端部の山林内に残存。旗差古墳群
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋(たかはし)の県指定史跡 舟久保古墳(ふなくぼこふん)は、標高約73mの丘陵上に築かれた古墳時代中期(5世紀頃)の前方後円墳です。船窪古墳、船久保古墳と表記された文献もあります。墳長は約49m、後円部の直径約26m、後円部高さ約3.5m、前方
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
静岡県島田市阪本(さかもと)の東照宮遺跡(とうしょうぐういせき)は、縄文,平安,鎌倉時代などの複合遺跡です。東洋最大の茶園が広がる、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に所在。茶園改植(茶樹の植え替え)に伴う発掘調査では、建物跡・柱穴(ちゅうけつ、はしらあな)などの遺
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
静岡県静岡市清水区(旧清水市)横砂東町(よこすなひがしちょう)の静岡市埋蔵文化財センターで、企画展『平成23年度静岡市文化財展』が開催されました。静岡市内の遺跡・古墳の平成22年度 発掘調査で見つかった、石器・土器など出土遺物を展示公開。企画展で展示された、弥生
静岡県静岡市清水区由比(旧庵原郡由比町)阿僧(ゆい あそう)の阿僧遺跡(あそういせき)は、昭和8年(1933年)の台風で阿蘇宇神社(あそうじんじゃ)の杉の大木が倒れ、縄文土器と石器が出土して発見されました。昭和63年(1988年)と平成8年(1996年)に、発掘調査を実施。縄文時代前
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の団子塚古墳群(だんごづかこふんぐん)H地点は、団子塚(標高41.4m)周辺の段丘上に築造された後期群集墳(こうきぐんしゅうふん)です。昭和22年(1947年)の現地踏査で、団子塚古墳群H地点に密集した古墳20基以上(31基?)を確認。古い
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の菊川市中央公民館 展示室で、企画展『昭和40年代の発掘調査から』が開催されました。企画展で展示された、菊川市内の遺跡・古墳からの出土品(埴輪(はにわ)、勾玉(まがたま)、須恵器など)を紹介します。寺ノ谷3号墳出土
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)菊川(きくがわ)の国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)は、2004年度から史跡整備のための発掘調査を実施。戦国時代の天正元年(1573年)、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)の死後に家督(かとく)を相続した息子の武田勝
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)菊川(きくがわ)の国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)は、2004年度から史跡整備のための発掘調査を実施。戦国時代の天正元年(1573年)、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)の死後に家督(かとく)を相続した息子の武田勝頼
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)の発掘調査で見つかった出土品や関連資料を展示した企画展『遺跡の整備 ―ヨーロッパと日本そして諏訪原城跡―』展が開催されまし
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)の発掘調査で見つかった出土品や関連資料を展示した企画展『ここまでわかった!? 諏訪原城の姿・発掘調査の成果から』展が開催さ
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)の発掘調査で見つかった出土品や関連資料を展示した企画展『諏訪原城の魅力―近世城郭につながる山城―』が開催されました。諏訪原城は、戦国時代の天正
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『これからどうなる!?諏訪原城―平成25年度の発掘調査の成果と史跡整備事業―』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の関連資
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『諏訪原城(すわはらじょう)と史跡整備された山城写真展』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の出土品や、絵図・推定復元図な
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静岡県浜松市中区東伊場(ひがしいば)の伊場遺跡(いばいせき)は、縄文時代から鎌倉時代にかけて断続的に集落が営まれてきた場所です。史跡公園として整備された伊場遺跡公園(いばいせきこうえん)には、古墳時代の竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)や律令期(奈良、平安時代
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚(かいづか)・集落(ムラ)である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は
静岡県浜松市中区蜆塚の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺跡、弥生時代
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)宗高(むねだか)の宗高権現(むねだかごんげん)は、市指定史跡 徳川家康公床机据え跡(とくがわいえやすこう しょうぎすえあと)です。安土桃山時代末期の慶長6年(1601年)と江戸時代初期の11年(1606年)、鷹狩りでこの地を訪れた徳川家康(とくが
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の白百合遺跡(しらゆりいせき)は、弥生・奈良時代、中世(平安時代末期から鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。 海浜平野の砂堤列上(標高約3m)に築かれた集落で、当時は今よりも海岸が近くにありました。地表から約1mの深さで