ちょっと体調を崩してて、ブログ投稿が滞ってました。まだまだ完全復活はしておりませんが、ほぼほぼ復調出来てきました。このところ気候変動が激しく、花粉症の季節も重なって、体がびっくりしてしまったのかもしれません。今日は1月に訪問した際に、連絡船から撮影した1枚です。出羽島は、牟岐町から連絡船で15分の沖合に浮かぶ小さな島です。車は一台も走ってない島です。明治から昭和初期に建てられた家が軒を連ねた、伝建に選定されている街並みを目にすることが出来ます。そのあたりはおいおい紹介するとして。出羽島
歴史ある建物・美しい風景・グルメ・温泉との出会いを満喫。日々感じたことを徒然なるままに綴ってます。
歴史ある建物や、美しい風景、そして美味しい食べ物との出会いを満喫しております。日々の生活の中での感動や旅先での感動をブログに綴っています。
ちょっと体調を崩してて、ブログ投稿が滞ってました。まだまだ完全復活はしておりませんが、ほぼほぼ復調出来てきました。このところ気候変動が激しく、花粉症の季節も重なって、体がびっくりしてしまったのかもしれません。今日は1月に訪問した際に、連絡船から撮影した1枚です。出羽島は、牟岐町から連絡船で15分の沖合に浮かぶ小さな島です。車は一台も走ってない島です。明治から昭和初期に建てられた家が軒を連ねた、伝建に選定されている街並みを目にすることが出来ます。そのあたりはおいおい紹介するとして。出羽島
車を運転してると、存在が気になってしまいますが、散策中に目にする路面電車が走る風景は好きです。先月出かけた熊本市内も路面電車が運行しているので、なんかウキウキします。もちろん、ホテルから会議場所まで路面電車に乗車しましたよ。熊本市内にて
高知にいけば、やっぱり食べちゃいますよね。今回も美味しくいただきました。本場は違いますよね~。塩タタキ
『かがわ木造塾』のフィールドワークで高知県に来ました。最初の見学地が大豊町だったのですが、なんと、今シーズン初の雪を目にすることになってしましました。暖冬だったので、油断してて薄着で来てしまったことを後悔しましたが、後の祭り。。。。。このあと、梼原町に移動しましたが、雪はなかったものの、気温は大豊町の比ではなく、かなり寒くて、寒さと戦いつつの見学となってしましました。高知県に来たのですが
琴平町で調査業務があり、ランチを食べに「ドライブインシラカバ」に行ってみました。久し振りの訪問です。今回は「ハンバーグ・海老フライ」のセットメニューにしてみました。ハンバーグと大きな有頭海老のフライが二つ並ぶ様は、ビジュアル的に映えますね。もちろん美味しくいただきました。ドライブインシラカバ
先週、熊本市内での会議に参加してきました。会議は午後からだったので、午前に熊本城に立ち寄ってみました。熊本地震で大きな被害が発生し、完全復旧に向けて工事が進んでいますが、石垣などまだまだ復興半ばといった状況ではありました。天守台へは空中歩廊を歩いて向かうように整備されてて、復興と観光を両立させていて、なかなかのものだな~って感じました。RC造の天守閣は、観光客でごった返してました。下の写真は、歩廊から撮影した一枚です。熊本城
思わず買ってみた「ポテトチップス6Pチーズ味」まだ食べてないですが、ブログに乗っけてみました。さて、どんな味なのか楽しみにしてます。。。ポテトチップス6Pチーズ味
明日から熊本市内で会議があるので、熊本市に前入し、水前寺公園近くのホテルに宿泊しました。夕ご飯を食べようと、リサーチしてみたら、夜は居酒屋なのだけど、定食もオーダーできるお店を発見。早速足を運んでみました。熊本なので、馬刺し定食をチョイス。これが大正解。とても美味しい馬刺しでした。ちょっと感動してしまいました。いや~、また食べたいな。。。五郎八(いろは)
明日から熊本に向かいます。出かける前のルーティンとして、前日にはうどんを食べることにしています。ということて、オーソドックスにかけうどんにちく天です。安定の組み合わせです。出かける前のルーティン
徳島県牟岐町の沖合に浮かぶ牟岐町の郷土料理である「島そうめん」は、文化庁により100年フードに認定されています。遅くとも戦前の頃から日常的・婚礼や船下ろしなどの祝いの席で提供される一品でした。そうめんを皿に盛り付け、長ネギ、かまぼこ、錦糸卵を添えて飾り付けていて、甘辛く煮付けた魚の煮汁につけていただきます。煮付ける魚は、延縄漁などで獲られたレンコダイ(キダイ)になります。島そうめん
定期的に食べたくなるカレーうどん。おさかなはコロッケをトッピングし「コロッケカレーうどん」としていただくのが常ではあります。さて、カレーうどん発祥には、複数の説があるようです。一つは、東京・早稲田にあった「三朝庵」が元祖であるという説。「三朝庵」は、「三河屋」として江戸時代に創業した老舗のそば屋で、穴八幡宮の向いに店を構えていました。現在は閉店しているようです。もう一つは、大阪・谷町にあったそば屋「東京そば」であるという説。創業は明治41年(1908)です。現在は、東京・目黒の「朝松庵」として引き継がれているようです。いずれの説も、決定的な根拠がないのが実情ではありますけども。さて、下の写真は、「こだわり麺や丸亀田村店」のものです。ここは、出汁はいれず、カレールーだけがかけられているタイプのカレーうどんで...カレーうどん
丸亀市津森町の『手打うどん龍』の「天ぷらうどん」、無性に食べたくなる時があるんです。ビジュアル的にもインパクトあります。うどんをあまり咀嚼せずに胃袋に送り込むのが讃岐スタイルとは言われていますが、ここのうどんはしっかりとした弾力で、咀嚼したくなるうどんです。これもたまに食べたくなるポイントかもです。手打うどん龍
飯山町西坂元の『一麺亭飯山店』に行ってみました。ここは、以前「風風ラーメン」でしたが、いつのころからか名前が変わってました。初訪問だったので何を食べようか迷いましたが「やみつき味噌」にしてみました。結構メニューが豊富だったので、また機会があれば行ってみようかな。一麺亭飯山店
TVで綾歌町の福成寺の讃岐寒桜が見頃だと放送されていたので、見学に行ってみました。案の定、多くの方が来られてて、渋滞になってましたが、無事目にすることが出来ました。寒桜ではありましたが、春を先取りすることが出来ました。福成寺の讃岐寒桜
久し振りに琴南町の『三嶋製麺所』に行ってみました。ここは玉子でうどんをいただくお店です。温かいのと冷たいのを選択できるのですが、冬ですから温かい方を選択。美味しくいただきました。たまには遠出もしてみないとね。三嶋製麺所
丸亀市大手町に昨年末に開店した『塩飽の漁師飯壱』に行ってみました。西本町の「塩飽の漁師飯まや」の2号店になります。刺身と天婦羅と鳥のニンニク炒めをいただきました。どれも美味しかったです。塩飽の漁師飯壱
高松中央卸売市場に店を構える『麺屋浜堂』に行ってみました。いただいたのは「はまんど」です。魚介系のスープに麺は平麺です。見た目ほどこってりはしてなくて程よい味わいでした。麺屋浜堂高松中央卸売市場店
善通寺市役所近くの食堂・朝日屋は、コロナによる行動制限があったころ店を閉めてしまってたのですが、牡蛎フライ定食限定で昨年暮れに復活していました。2月末頃までの営業みたいなので、昼食に行ってみました。とてもボリュームたっぷりで大満足のランチとなりました。朝日屋の牡蛎フライ定食
『香川丸亀国際ハーフマラソン』が開催され、東京国際大学のリチャード・エティーリさんが、大会新記録の59分32秒で優勝されました。学生新記録だそうです。下の写真右側の選手です。香川丸亀国際ハーフマラソン
霧の中の橋って、なんか幻想的できれいです。かなり前に撮影したものですが、明石海峡大橋になります。霧の中の橋
最近はあまり見かけることが少なくなった、瓦土塀です。その名のとおり、瓦を何層も積み重ねた土塀のことです。瓦を挟み込むことで耐久性とデザイン性を高めています。しかし、現在残っているものは数少ないようです。牟岐港周辺を散策しているときに見かけました。瓦土塀
牟岐町沖合に浮かぶ出羽島に向かう前、少し時間があったので周辺を散策してみました。結構大きな歴史的建造物が何軒か残ってて、なかなか楽しい散策となりました。玄関はアルミ建具に入れ替えられていましたが、横にはミセが造られていました。3間幅の出格子が設けられています。道に面する2階部分の壁には窓は設置されてなく塗りこめられていました。牟岐港周辺の風景
しばらく登場してなかった「ほまれ」です。このポーズ、遊んでほしいときのポーズみたいです。久し振りのほまれ
湖池屋のポテトチップスは、1962年創業のようです。わたしの住んでる地域では、カルビーのポテトチップスの方がメジャーなような気がしますが、日本での量産化は湖池屋の早いそうです。久し振りに湖池屋のポテトチップスを買ってみようかな。湖池屋のポテトチップス
Edgeに搭載されてるGPT-4で「丹下健三・ビル」のキーワードで作成した画像です。なんか微妙なかんじですが、AIのイメージはこうなのか。。。GPT-4で作成した画像
干潮時に現れる三日月型の砂紋と夕日が重なる時は、息をのむような美しい光景が広がるそうです。場所は、熊本県宇土市下網田町の御輿来海岸です。いけるといいな~御輿来海岸
香川県の島嶼部は、過疎化が極端に進行しています。佐柳島もかなり建物が撤去されている箇所がそこかしこにありました。下の写真は当日撮影したものの一部です。佐柳島の風景その4
佐柳島内を散策してた時に見かけた個性的な建物。周囲の建物とはかなり趣の違うテイストで異彩を放ってました。でも、調和を乱しているわけではないのですけど。佐柳島の風景その3
佐柳島港横の砂浜です。ゴミもなく綺麗な砂浜でした。砂浜から見えるおむすび形の島は小島です。小島の右側の島は高見島、左側は広島になります。佐柳島の風景その2
猫の島として知られている、佐柳島にはこんな猫さんもいますよ。佐柳島の風景
佐柳島の猫さんその5です仲良く水飲み佐柳島の猫さんシリーズはこれで最後。空き家調査の後、フェリー乗船までの短時間でしたが、たくさんの猫さんに会えてよかったです。佐柳島の猫さんその5
佐柳島の猫さんその4佐柳島の猫さんその4
佐柳島の猫さんその3青い建物の前で佐柳島の猫の猫さんその3
佐柳島の猫さんその2です。連れだってお散歩。佐柳島の猫さんその2
佐柳島で出会った猫さん佐柳島の猫さん
佐柳島へは高見島経由となります。フェリーから撮影した高見島の風景です。高見島は10年くらい前に上陸しました。高見島
先日、空き家調査のため多度津町沖合の佐柳島に初上陸。多度津港から約50分、結構時間がかかりますが、船に乗るとなんかテンションが上がります。たどつ汽船
『倉敷らーめん升家』に行ってみました。人気No.1と表示されていた「倉敷煮干しらーめん」をいただきました。煮干しの風味がしっかりしつつも、くどさがなく、とても美味しいラーメンでした。倉敷らーめん升家
倉敷美観地区内に建つ「井上家住宅」です。重要文化財に指定されています。本町通に面して建っています。2階建ての町屋で、2階部分には7つの窓が設けられていますが、すべて土扉が付けられています。井上家住宅
倉敷市東町の風景です。先日紹介した本町の東に続く町です。短い通りではありますが、歴史的建造物が軒を連ねています。倉敷市東町の風景
倉敷市本町の風景です。本町は倉敷川沿いの美観地区の東側に位置する町です。美観地区より観光客が少ないですが、歴史的建物が建ち並ぶ風景はとても綺麗です。道幅も程よい広さなのが良いですね。倉敷市本町の風景
倉敷市川西町の「魚ゆう」に行ってみました。地元の食材を使った料理を楽しむことが出来る古民家居酒屋です。当日いただいたものを何点か掲載しますね刺身盛合せ牛すじ煮込み酢牡蛎魚のあら煮建物外観岡山県倉敷市川西町6−1魚ゆう
今年も初詣は、善通寺市の善通寺に初詣にいきました。10年程前から金堂に参拝しています。それまでは御影堂だったのですが、行列が半端ないので時間がかかりすぎちゃいますから。下の写真は当日の風景です。写真左に行列が写っていますが、これは正面に見える金堂の行列ではなく、西院の御影堂の行列です。ここまで行列が続いているのを見た記憶がなく、ことしはかなりの人出があったのだろうと思います。初詣
新年二日続けて。。。大きな出来事がおきました。今日は、羽田空港にて旅客機と海上保安庁の輸送機が接触し炎上しました。旅客機の乗客乗員は全員避難できたようですが、輸送機の方は5名の方が亡くなられたようです。輸送機は、北陸の被災地に物資を輸送していたそうです。波乱の2024年になっています。連日の。。。
2024年の幕開けいきなり大きな災害。地震災害はいきなりやってくるものだから、避けることが難しい災害です。同時に津波も発生し、被災地は大混乱だったと思います。震度分布をみると、香川県も震度2・3と表示されていましたが、体に感じることはなかったような気がします。今日は一年の中でも一番リラックスしてる日なので、ほんとビックリされたのだろうと思います。時間経過とともに被災状況も判明していくのだろうとは思いますが、ひどい状況にならないことを願います。新年いきなり
2023年もあと1時間程です。今年も一年間ブログにお付き合いいただきありがとうございました。来年も引き続きごひいきによろしくお願いいたします。2023年
2023年を振り返って7月編です。7月は県外に出る機会が多くあり、広島県の三次市・庄原市、京都府京都市、兵庫県明石市、奈良県生駒市に出かけてきました。三次市は2回目の訪問で、庄原市は初訪問でした。京都市では丁度祇園祭りが開催されてて熱気の一端を感じることが出来ました。明石市では玉子焼きも堪能できました。奈良では近代建築を堪能してきました。2023年を振り返って7月
2023年を振り返って6月編です。6月は5月に続いて大阪に出かけてきました。6月は天満界隈を散策。大阪天満宮に立ち寄ってみました。大阪天満宮は、祭神は菅原道真公、大阪市民からは「天満の天神さん」と呼ばれ親しまれている神社です。2023年を振り返って6月
2023年を振り返って5月編です。大阪府に足を運びました。大阪市北区の中之島界隈を街歩きしてみました。2023年を振り返って5月
2023年を振り返って4月編です。広島県に足を運びました。訪問先は東広島市と竹原市です。東広島市では西条の酒蔵通り、竹原市では伝建地区を散策してみました。西条は4回目、竹原は2回目の訪問でした。2003年を振り返って4月
2023年を振り返って3月編です。3月は2019年以来の東京でした。赤坂迎賓館に行ってみました。迎賓館は初訪問でした。2023年を振り返って3月
2023年を振り返って2月編です。2月は、1月に続いての岡山県に訪問しました。場所は倉敷市でした。倉敷駅周辺のライトアップと美観地区周辺の街歩き。総社市・倉敷市玉島地区にも足を運んでみました。2023年を振り返って2月
もうすぐ大みそかとなる今日この頃、2023年を振り返ってみようと思います。1月の県外は、岡山県岡山市と高知県安芸市を街歩きしました。両県とも近県にはなりますが幸先よく2県訪問することが出来ました。2023年を振り返って1月
四国で一番高い山である石鎚山です。頂に向かうには少し恐怖感がありますが、上級者でなくても極めることが出来る山でもあります。100名山にも選ばれています。石鎚山
高知県を代表する観光スポットのひとつ桂浜です。弓状に広がる砂浜と松、そして水平線が見える海からの押し寄せる波が印象的です。桂浜
ゲリラ豪雨や線状降水帯の発生が多い昨今は、水際の風景は水害のことをついつい考えてしまいますが、やっぱ、水路と建物の距離が近い風景は好きです。好きな街の風景
そうそう、麻婆豆腐も好物の一つで、麻婆ラーメンも最強の逸品かもしれない。麻婆ラーメン
自分の好物は何だろうと考えてみたところ、カレー、コロッケ、ハンバーグ、ラーメン、うどんなど、俗に言うB級グルメ的なものなんだな~って思ってしまう。なので、複数が揃ってる一品は結構テンションが上がります。コロッケカレーもそのひとつです。。。コロッケカレー
江戸時代に、日野の発展に大きく寄与していたのが、日野商人が売りさばいていた合薬です。その創始者が正野法眼玄三です。医師となった玄三が医薬に恵まれない山間辺地の人や日野商人の長旅の道中薬として感応丸を作りました。この合薬を日野商人が全国に持ち歩くうちに効き目が評判となり、地元日野でも薬を製造する人も増え、地場産業として根付いていきました。「万病感応丸」の大きな看板が掲げられたつし2階切妻屋根平入の旧正野玄三薬店は、日野まちかど感応館として日野の観光案内の拠点・休憩スポットと活用されています。日野まちかど感応館(旧正野玄三薬店)
日野城の城下町として蒲生氏によって築かれた日野は、豊臣秀吉によって蒲生氏郷が伊勢松坂に諸領替えとなるまで城下町として栄えていました。城下町でなくなった町民は、日野椀や売薬による行商に活路を見いだし、商人の町として栄えていました。現在の町割りにも、城下町の面影を残しつつ、商人の家など往時の面影を残しています。長い板塀や、日野祭を眺めるためだけに設けられた桟敷窓など、歴史や文化を感じることが出来ました。日野の街並み
滋賀県日野町街歩きの際、ランチで立ち寄った「守貞カフェ」。当初の目的は「石挽そば守貞」だったのですが、かなりの人数が待ち状態だったので、奥のカフェの方に立ち寄ったのでした。何種類かランチがセットされていたのですが、カレーのセットにしてみました。子供の頃、レストランで目にした、正統派欧風カレーのようでなんか懐かしいビジュアルでした。建物は外観は和でしたが、内部はステンドグラスがそこかしこにちりばめられていて、なかなかいい雰囲気でした。カレーも美味しかったです。守貞カフェ
先日、所属団体の忘年会が高松市の「すけ成」で開催されました。今年の忘年会は昨日開催のもので終了となり、いよいよ年末モードに入りつつあります。まだまだ、年末までに会合が複数回あり、ラストスパートです。ちなみに「すけ成」、美味しかったですよ。すけ成
かなり久し振りに坂出市加茂町の『山下うどん』に行ってみました。ここのうどん釜は、いまだ薪焚きなんです。とてもやさしいうどんをいただくことができます。小海老のかき揚げをのっけてみました。香川県坂出市加茂町147−1山下うどん
冬の「ラコリーナ近江八幡」です。夏とはちがって、かなり渋めの雰囲気がただよっていますね。ラコリーナ近江八幡
重伝建に選定されている、近江八幡市新町の風景です。重要文化財に指定されている旧西川家住宅附近です。八幡は天正13年(1585)豊臣秀次によって城下町として建設され、近江商人の商業活動の中心をなす在郷町として発展しています。碁盤目状の町割と共に、江戸時代を通じて活躍した八幡商人の居宅などが今も多く保存されている。近江八幡新町通りの風景
近江八幡の八幡堀は、豊臣時代に豊臣秀次の居城であった八幡山城の麓に築かれている堀です。近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に大きな役割を果たしていました。昭和初期頃くらいまでは町の人々の経済・流通路でしたが、戦後は陸上交通の発展によって廃れ、ドブ川となり、埋め立ての予定もあったようですが、保存再生運動によって、今は優れた観光資源として維持されています。TVや映画のロケなどにも再々使われています。八幡掘の風景
新名神の宝塚北SAフードコートで提供されている「オムライス」は「元祖オムライスの北極星」監修によるものです。先日、滋賀県からの帰りにランチでいただきました。少し控えめなボリュームでしたが美味しかったです。宝塚北SA
東広島市の西条は、江戸時代に陛路の中継地として栄えていました。そのうちに、酒造りに適した気候と地下水の恩恵で、「酒都西条」と呼ばれる一大銘醸地としても知られるようになりました。今でもここには7つの蔵元(賀茂泉酒造・賀茂鶴酒造・亀齢酒造・西條鶴醸造・山陽鶴酒造・白牡丹酒造・福美人酒造)が並び、赤レンガの煙突、なまこ壁、西条格子、といった独特のまちの風景を形成しています。西条酒蔵通りの風景
現存する五重塔の中で一番高いのは東寺の五重塔になります。54.8mになります。現在の塔は5代目にあたり、寛永21年(1644)に再建されています。江戸期の五重塔は、各層の屋根の大きさが同一で、その特徴をよく表しています。国宝に指定されています。東寺五重塔
京都市東山区の祇園の一風景です。今じゃこんな風に人が写らない瞬間をとらえることが難しくなっています。。。祇園の風景
国宝に指定されている平等院鳳凰堂は、中堂・北翼廊・南翼廊・尾廊の4棟で構成されています。平安時代の天喜元年(1053)に建立されています。平等院鳳凰堂
最近、カレーうどんに少しはまってて、時々食べてます。善通寺市の「まるやうどん」でいただきました。ここは鍋焼きうどんが名物ではあるのですが、カレーうどんも名物のようです。美味しくいただきました(^^)vまるやうどん
静岡市役所静岡庁舎本館は昭和9年(1934)、浜松市出身の建築家・中村與資平の設計により建設された鉄筋コンクリート造4階建ての建物です。上部には2層の塔屋を載せ、塔頂にドームをのせています。外壁は象牙色のタイル貼りで、各所にテラコッタが用いられた、帝冠様式の建物です。国の有形文化財に登録されています。静岡市役所静岡庁舎本館
静岡県庁本館は、昭和9年(1934)の懸賞設計当選案(泰井武案)をベースに、大村巳代治ら静岡県営繕部の実施設計によって昭和12年(1937)に竣工した建物です。帝冠様式の和洋折衷の建築物で、構造は鉄筋コンクリート造です。国の有形文化財に登録されています。静岡県庁本館
静岡市駿河区にある『登呂遺跡』です。子供の頃、教科書に記載されていたので、初訪問ではありましたが、なんか再訪感がありました。弥生時代の集落遺跡・低湿地遺跡で、国の特別史跡に指定されています。安倍川の洪水によって押し流された土砂が堆積して形成された自然堤防上に造られています。集落には、北東から南西の方向に広がる微高地を利用して竪穴状平地建物12棟、高床倉庫2棟が建っていて、水田はその南につくられています。弥生時代の水田を研究する際の基準とされているようです。訪問した際には、稲刈り体験が行われていました。登呂遺跡
『静岡市立芹沢銈介美術館』は、静岡県静岡市駿河区にある美術館です。静岡出身の染色工芸家・芹沢銈介の作品約800点と、世界の工芸コレクション約4,500点を展示しています。白井晟一の設計による建物で、昭和56年(1981)に竣工しています。鉄筋コンクリート造平屋建ての建物で、外壁は石積み、屋根は銅板葺きとなっています。白井晟一最晩年の作品になります。建物内部の写真は不可の上、外観もあまりいい角度から写真が撮れませんでした。内部はエントランスホールは撮影できたので一枚だけ撮影してみました。静岡市立芹沢銈介美術館
肉を食べたくなる時ってあると思うのですが、そんな時食べるもののひとつに「ヒレカツ」があったりします。ということで、テイスティ正岡に行ってきました。良心的なお値段でいただくことができます。ヒレカツ定食
静岡市駿河区東静岡の「静岡県コンベンションアーツセンター」です。磯崎新の設計による建物で、外観は船をイメージしてて「グランシップ」という愛称が付けられています。地下2階・地上12階建てで延べ床面積は約6万㎡、全長は約200m、高さは約60mの巨大な建造物です。GRANSHIP静岡県コンベンションアーツセンター
今年は忘年会がコロナ以前に戻ったようで、いやコロナ以前より多くなったような。。。忘年会
静岡市呉服町通りには11箇所の防火建築帯があります。この防火建築帯は、昭和33年(1958)に竣工した鉄筋コンクリートの共同建築で、街路に面して隙間をつくらず、木造の大半を占めていた都市の密集市街地の延焼を止めるための防火壁としての機能を担っています。戦災と静岡大火の経験を踏まえ、火災から街や人々を守るために建築で、建築当初より改修工事やテナントの入れ替わりがありますが、当時の目的を維持しつつ、現在も静岡市中心市街地の賑わいを創出していました。静岡市防火建築帯
静岡鉄道は、静岡県静岡市葵区の新静岡駅と、同市清水区の新清水駅を結ぶ静岡清水線を運行する鉄道会社です。走っているのは下の写真のA3000形電車となります。新静岡駅で撮影しました。静岡鉄道
先日、ヘリテージ系の講座会場が白峯寺だったので参加してきました。丁度紅葉の真っ盛りで、赤く染まった中に建つ堂宇がとても綺麗でした。写真の建物は薬師堂です。江戸後期の建物で重要文化財に指定されています。白峯寺の紅葉
丸亀市中府町の桃山亭で、カレーうどんのチーズトッピングが無料期間になっていたのでいただいてきました。コロッケも加えて、カレーコロッケうどんにグレードアップ。コロッケもカレーもチーズも好物なので、大満足です。カレーうどん
三豊市仁尾町の松賀屋(旧塩田忠左衞門邸)です。明治後期から大正にかけて整備された建物になります。製塩業で財をなした塩田忠左衛門の屋敷になります。令和4年(2022)に国の有形文化財に登録されています。松賀屋(旧塩田忠左衞門邸)
三豊市仁尾町の賀茂神社の創建は、社伝によると応徳元年(1084)となっています。山城国(京都府)の上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」を御分霊し、当初は津多島(現仁尾町大蔦島)に奉祭されていました。観応二年(1351)に四国管領・細川顕氏により現在に地に移されています。本殿は、慶長13年(1608)建立となっていました。その年代だと生駒期にはなるのですが、資料には、丸亀藩主京極高或による社殿造営(元禄十二年・1699)という記載もあるようです。賀茂神社本殿
三豊市仁尾町の賀茂神社の注連柱は特異な形状をしています。注連柱とは、鳥居の原型といわれる石柱で、注連柱の内側が聖域であることを示すもので、石柱は切石が立てられていることが多いのかと思います。ここ賀茂神社の注連柱は、自然石が立てられています。もともとは詫間町の鴨の越の入江にあって、漁船の通行の邪魔になっていたものを、神社境内に運び立てられてものになるそうです。賀茂神社注連柱
三豊市仁尾町の常徳寺の裏庭にある「雌雄大ソテツ」です。かなり立派な蘇鉄で、周囲は3.5mで5枝に分かれ、高いものは5m程あるようです。記念物指定にはなってないようですが、訪問した際には裏庭ものぞいてみてください。常徳寺雌雄大ソテツ
仁尾はかつて海運業や製塩業で栄えた地域です。町の中心部には往時の名残をいまもそこかしこに残っていて、趣のある風景をいまも楽しむことができます。撮影スポットもたくさんあるのですが、まちあるき当日、カメラの調子が不安定で、あまり撮影できなかったのがちょっと残念。そんなか、数枚カメラに収めることができたので、少しのっけます。仁尾(まちの風景)
三豊市指定天然記念物である『吉祥院の万寿はく』です。はくは学術名でいうと「イブキ」になります。イブキはヒノキ科の常緑樹で、本州・四国・九州の海岸沿いに自生する木で、「ビャクシン」とも呼ばれたりしています。『吉祥院の万寿はく』は地上部分で2本に分かれていて、一つは枝張り6m、もう一つは3.5mとなっています。両方とも左右に屈曲し、巨大な盆栽のような姿をしています。樹齢は400年を越えているようです。吉祥院の万寿はく
三豊市仁尾町の古民家宿泊が体験できる『多喜屋(たきや)』です。仁尾には、江戸末から昭和初期に建てられた建物が残り歴史的景観を今も感じることができる町です。多喜屋は、その街の中に建つ商家を修復し、瓦、なまこ壁、床板、建具など残せるものは極力残し、一棟貸しの宿として再生しています。仁尾縁「多喜屋」
仁尾町での街歩きに参加してきたのですが、昼食は「長兵衛」でいただきました。長兵衛で食事するのは、かなり久し振りでした。立ち寄るたびに、今度こそはうどんにしようとは思っているものの、中華そばをチョイスしてしまいました。あ~、やっぱり美味しい。。。長兵衛の中華そば
たま~に、海を見たいな~って思う時があります。海
現地調査で観音寺市に出かけてきたのですが、終了後お昼ご飯に「かなくま餅福田」に立ち寄りました。目的は冬季限定の『白味噌餡餅雑煮うどん』です。期間中に一度は味わっておかないといけないのでね。白みそ仕立ての出汁は、うどん出汁風味の方が強いから、白味噌が苦手な方でも大丈夫だと思いますよ。未体験の方は是非一度!白味噌餡餅雑煮うどん
坂出市青海町の白峰寺に建つ重要文化財に指定されている2基の十三重石塔です。源頼朝が崇徳上皇菩提の為に建てられたと伝えられています。白峯寺十三重石塔
なんか突然に寒くなってきました。通常の11月なのだろうかとは思うのだけで、暖かい日が続いてたから、寒さが体にはきついです。こんな時は体の芯から暖めようと、昼食は鍋焼きうどんだと思い立ち善通寺市の「まるやうどん」に行ってみました。ここは鍋焼きうどんが名物の一つなんです。同じ思いの方が多いようで、かなりのお客さんが鍋焼きうどんオーダーしてましたよ。鍋焼きうどん香川県善通寺市下吉田町889−4まるやうどんで鍋焼きうどん
岩屋寺境内への入口は二か所あります。一つは山門(上の写真)で、もう一つは仁王門(下の写真)になります。参拝用駐車場が境内東側の県道近くにあり、ここから境内まではかなり登らなければたどりつけないのですが、その道中に現れるのが山門になります。昭和9年(1934)の建築になります。遍路道だと仁王門が境内入口になります。こちらは、寛政2年(1790)の建築です。岩屋寺は明治31年(1898)の火災により、ほとんどの堂宇と寺宝が焼失していますが、仁王門は焼失をまぬがれた建物のうちの一つにあたります。久万高原町指定の有形文化財となっています。山門仁王門岩屋寺山門と仁王門
岩屋寺の本堂です。竣工は昭和2年(1927)です。本堂右に梯子がかけられていて法華仙人窟跡へ登ることができます。まあまあ怖かったですが、登ってみました。本堂の屋根レベルくらいの高さになりますが、風景を楽しむことが出来ます。岩屋寺本堂
岩屋寺の大師堂は正面に向拝を設けた銅板葺きの方形屋根の建物です。竣工は大正9年(1920)です。正面向拝の角柱を二本組にして、柱身にエンタシスを付け、柱頭部にバラと組紐飾り状の装飾を付けています。基本的には伝統的な寺院建築の構成を基本としていますが、軸部の構成や細部意匠に西洋建築のデザインが取り入れられていて、一種独特な空気感を醸し出しています。かといって、調和は乱さなく自然にまとめられていて、近代寺院建築を代表するものなのかと思います。平成19年(2007)に重要文化財に指定されています。設計は大蔵省臨時議院建築局技手であった河口庄一で、大工は窪田文治郎となっています。岩屋寺大師堂
岩屋寺本堂へ向かう参道途中にある不動明王像です。寺伝によると、空海が不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊としたとあります。本堂の不動明王像は秘仏となってて見ることは出来ませんが、参道途中の不動明王像は目にすることが出来ます。なかなか迫力のある像でありつつも端正な姿をしてました。岩屋寺不動明王像
国民宿舎古岩屋荘内にある食事処「レストランやまくじら」は、キジ鍋・シシ鍋を名物としているようです。古岩屋を散策したあと、丁度お昼時だったので立ち寄ってみました。がっつりと食べたいという気分ではなかったので、名物の鍋ではなく、軽く「名物キジそば」を選択。シシも気になっていたので「シシ肉の唐揚げ」も合わせてみました。そばは甘めのお出汁でした。レストランやまくじら
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ちょっと体調を崩してて、ブログ投稿が滞ってました。まだまだ完全復活はしておりませんが、ほぼほぼ復調出来てきました。このところ気候変動が激しく、花粉症の季節も重なって、体がびっくりしてしまったのかもしれません。今日は1月に訪問した際に、連絡船から撮影した1枚です。出羽島は、牟岐町から連絡船で15分の沖合に浮かぶ小さな島です。車は一台も走ってない島です。明治から昭和初期に建てられた家が軒を連ねた、伝建に選定されている街並みを目にすることが出来ます。そのあたりはおいおい紹介するとして。出羽島
車を運転してると、存在が気になってしまいますが、散策中に目にする路面電車が走る風景は好きです。先月出かけた熊本市内も路面電車が運行しているので、なんかウキウキします。もちろん、ホテルから会議場所まで路面電車に乗車しましたよ。熊本市内にて
高知にいけば、やっぱり食べちゃいますよね。今回も美味しくいただきました。本場は違いますよね~。塩タタキ
『かがわ木造塾』のフィールドワークで高知県に来ました。最初の見学地が大豊町だったのですが、なんと、今シーズン初の雪を目にすることになってしましました。暖冬だったので、油断してて薄着で来てしまったことを後悔しましたが、後の祭り。。。。。このあと、梼原町に移動しましたが、雪はなかったものの、気温は大豊町の比ではなく、かなり寒くて、寒さと戦いつつの見学となってしましました。高知県に来たのですが
琴平町で調査業務があり、ランチを食べに「ドライブインシラカバ」に行ってみました。久し振りの訪問です。今回は「ハンバーグ・海老フライ」のセットメニューにしてみました。ハンバーグと大きな有頭海老のフライが二つ並ぶ様は、ビジュアル的に映えますね。もちろん美味しくいただきました。ドライブインシラカバ
先週、熊本市内での会議に参加してきました。会議は午後からだったので、午前に熊本城に立ち寄ってみました。熊本地震で大きな被害が発生し、完全復旧に向けて工事が進んでいますが、石垣などまだまだ復興半ばといった状況ではありました。天守台へは空中歩廊を歩いて向かうように整備されてて、復興と観光を両立させていて、なかなかのものだな~って感じました。RC造の天守閣は、観光客でごった返してました。下の写真は、歩廊から撮影した一枚です。熊本城
思わず買ってみた「ポテトチップス6Pチーズ味」まだ食べてないですが、ブログに乗っけてみました。さて、どんな味なのか楽しみにしてます。。。ポテトチップス6Pチーズ味
明日から熊本市内で会議があるので、熊本市に前入し、水前寺公園近くのホテルに宿泊しました。夕ご飯を食べようと、リサーチしてみたら、夜は居酒屋なのだけど、定食もオーダーできるお店を発見。早速足を運んでみました。熊本なので、馬刺し定食をチョイス。これが大正解。とても美味しい馬刺しでした。ちょっと感動してしまいました。いや~、また食べたいな。。。五郎八(いろは)
明日から熊本に向かいます。出かける前のルーティンとして、前日にはうどんを食べることにしています。ということて、オーソドックスにかけうどんにちく天です。安定の組み合わせです。出かける前のルーティン
徳島県牟岐町の沖合に浮かぶ牟岐町の郷土料理である「島そうめん」は、文化庁により100年フードに認定されています。遅くとも戦前の頃から日常的・婚礼や船下ろしなどの祝いの席で提供される一品でした。そうめんを皿に盛り付け、長ネギ、かまぼこ、錦糸卵を添えて飾り付けていて、甘辛く煮付けた魚の煮汁につけていただきます。煮付ける魚は、延縄漁などで獲られたレンコダイ(キダイ)になります。島そうめん
定期的に食べたくなるカレーうどん。おさかなはコロッケをトッピングし「コロッケカレーうどん」としていただくのが常ではあります。さて、カレーうどん発祥には、複数の説があるようです。一つは、東京・早稲田にあった「三朝庵」が元祖であるという説。「三朝庵」は、「三河屋」として江戸時代に創業した老舗のそば屋で、穴八幡宮の向いに店を構えていました。現在は閉店しているようです。もう一つは、大阪・谷町にあったそば屋「東京そば」であるという説。創業は明治41年(1908)です。現在は、東京・目黒の「朝松庵」として引き継がれているようです。いずれの説も、決定的な根拠がないのが実情ではありますけども。さて、下の写真は、「こだわり麺や丸亀田村店」のものです。ここは、出汁はいれず、カレールーだけがかけられているタイプのカレーうどんで...カレーうどん
丸亀市津森町の『手打うどん龍』の「天ぷらうどん」、無性に食べたくなる時があるんです。ビジュアル的にもインパクトあります。うどんをあまり咀嚼せずに胃袋に送り込むのが讃岐スタイルとは言われていますが、ここのうどんはしっかりとした弾力で、咀嚼したくなるうどんです。これもたまに食べたくなるポイントかもです。手打うどん龍
飯山町西坂元の『一麺亭飯山店』に行ってみました。ここは、以前「風風ラーメン」でしたが、いつのころからか名前が変わってました。初訪問だったので何を食べようか迷いましたが「やみつき味噌」にしてみました。結構メニューが豊富だったので、また機会があれば行ってみようかな。一麺亭飯山店
TVで綾歌町の福成寺の讃岐寒桜が見頃だと放送されていたので、見学に行ってみました。案の定、多くの方が来られてて、渋滞になってましたが、無事目にすることが出来ました。寒桜ではありましたが、春を先取りすることが出来ました。福成寺の讃岐寒桜
久し振りに琴南町の『三嶋製麺所』に行ってみました。ここは玉子でうどんをいただくお店です。温かいのと冷たいのを選択できるのですが、冬ですから温かい方を選択。美味しくいただきました。たまには遠出もしてみないとね。三嶋製麺所
丸亀市大手町に昨年末に開店した『塩飽の漁師飯壱』に行ってみました。西本町の「塩飽の漁師飯まや」の2号店になります。刺身と天婦羅と鳥のニンニク炒めをいただきました。どれも美味しかったです。塩飽の漁師飯壱
高松中央卸売市場に店を構える『麺屋浜堂』に行ってみました。いただいたのは「はまんど」です。魚介系のスープに麺は平麺です。見た目ほどこってりはしてなくて程よい味わいでした。麺屋浜堂高松中央卸売市場店
善通寺市役所近くの食堂・朝日屋は、コロナによる行動制限があったころ店を閉めてしまってたのですが、牡蛎フライ定食限定で昨年暮れに復活していました。2月末頃までの営業みたいなので、昼食に行ってみました。とてもボリュームたっぷりで大満足のランチとなりました。朝日屋の牡蛎フライ定食
『香川丸亀国際ハーフマラソン』が開催され、東京国際大学のリチャード・エティーリさんが、大会新記録の59分32秒で優勝されました。学生新記録だそうです。下の写真右側の選手です。香川丸亀国際ハーフマラソン
霧の中の橋って、なんか幻想的できれいです。かなり前に撮影したものですが、明石海峡大橋になります。霧の中の橋
和風別館「游心亭」は、谷口吉郎氏の設計により昭和49年(1974)に建てられました。迎賓館本館で執り行われる行事や接遇が洋式であるのに対し、和風の意匠と純日本のおもてなしで諸外国の賓客をお迎えするための施設として利用されています。見学は予約制となっています。先日の東京出張の際、丁度一人分の空きがあって、見学することが出来ました。内部の写真撮影は不可だったので、掲載することはできませんが、とても素晴らしいものでした。所在地:東京都港区元赤坂2丁目1−1迎賓館和風別館「游心亭」
迎賓館赤坂離宮の東門です。薬医門になります。迎賓館赤坂離宮がネオ・バロック様式の建物なので、違和感はあるとは思いますが。迎賓館が建っている場所は、もともと紀州徳川家の中屋敷があった場所で、東門は紀州徳川家藩邸の門になります。薬医門とはいえ立派な門です。迎賓館赤坂離宮東門
旧グランドプリンスホテル赤坂跡地を再開発し建てられた『東京ガーデンテラス紀尾井町』です。ホテル・事務所・商業施設・住宅等が共存する複合ビルになります。ガラスが大部分を占める外壁に、東京都認定の地域冷暖房、大規模蓄熱槽、コジェネレーションシステムなどを導入し、高効率を追求した、ある意味時代が要求する先端建築なのかもしれません。設計は日建設計で、令和元年(2019)にBCS賞を受賞しています。所在地:東京都千代田区紀尾井町1−2東京ガーデンテラス紀尾井町
東京都千代田区霞が関の外務省庁舎です。各階に設けられた水平の庇と梁、垂直の柱で構成されるシンプルな構成の建物です。庁舎建築のひな型的な建物なのかなって思います。基本設計は設計競技で選ばれた小坂秀雄で、実施設計と監理は建設省営繕課(現:国土交通省)が担当しています。北庁舎(写真下)は昭和35年(1960)に建てられ、中央南庁舎(写真上)は昭和45年(1970)に建てられています。水平に伸びる庇は、日射の遮蔽及び防火には効果的なので現代の建物でも多く採用されるようになってきています。そういった意味からすると先進的なデザインだったのかもしれませんね~。所在地:東京都千代田区霞が関2丁目2−1外務省庁舎
国立国会図書館は、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館です。ルーツは、大日本帝国憲法下の帝国議会各院に置かれていた貴族院図書館、衆議院図書館、および文部省に付属していた帝国図書館の3館にあたります。第二次世界大戦後、昭和22年(1947)に施行された日本国憲法により、国会を唯一の立法機関と定め、国会を構成する衆議院・参議院の両議院は「全国民を代表する選挙された議員」で組織されると定められました。そして、国会が民主的に運営され、国会議員が十分な立法活動を行うためには、国会議員のための調査機関として議会図書館の拡充が必要とされ、整備されたのが国立国会図書館になります。建築にあたって、建築設計競技が実施され、前川國男の案が採用となり、昭和36年(1961)年に第一期工事が完...国立国会図書館
財団法人法曹会は明治24年(1891)に法律研究の任意団体として設立された組織です。法曹会館は昭和12年(1937)に竣工した建物です。全面に薄いグレーのタイルが貼られ、中央に玄関が設けられその横の階段室を塔状に構成することでシンメトリーを少し崩すデザインがとられています。建物西側に赤れんがの法務省旧本館が建っています。法務省旧本館は明治の権威主義的な建物に対し、法曹会館は昭和らしいおとなしめのデザインとなっていますが、建物両端に尖塔屋根のある塔屋を建てることで、小さな建物にインパクトを与えているのではないかと思います。設計は三菱合資会社地所部です。所在地:東京都千代田区霞が関1丁目1法曹会館
法務省旧本館(赤れんが棟)は、明治28年(1895)に司法省の庁舎として建てられたもので、建築面積は3350㎡、煉瓦造3階建て、スレート葺きの建物になります。設計は、ドイツ人建築家ヴィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデ両氏で、実施設計と工事監理は河合浩蔵が行っています。昭和20年(1945)戦災により煉瓦壁を残すだけの姿になりましたが、昭和23年から25年(1948~50)にかけて復旧工事を行っていますが、屋根材(雄勝石のスレートから瓦)等に変更が加えられています。平成6年(1994)の改修工事において創建当時の外観に戻されています。同年に国の重要文化財に指定されています。所在地:東京都千代田区霞が関1丁目1-1法務省旧本館
東京での会議は昨日で終わりだったのですが、もう1日東京に滞在して、世田谷区駒場の重要文化財に指定されている前田家住宅の洋館と和館を見学してきました。詳しくはまた後日になると思います。ついでに、東大のキャンバスも見学。4月から入学される学生さんと親御さんが結構おられました。さて、帰路についているのですが、現在は岡崎SAで休憩中。定番のスタバと何故か気になった味噌カツのタレを買ってしまった。東京からの帰り道
高輪ゲートウェイ駅を通過するだけではなく降りてみました。立地的には品川駅からあまり離れてなくて、東京駅と有楽町駅のような距離感ですね。ここになぜ新駅なんだろうと疑問に思ってましたが、駅周辺の開発状況を目にして合点がいきました。当初の予定より駅利用客は想定よりかなり少ないようですが、数年後には景色が一変し、賑わてるのかな~って感じましたが、駅前開発が街のにぎわいにつなげるという従来のビジネスモデルが今後も成功していくのか興味深いなとは思いました。駅舎は、とにかく木質感と開放感を前面に押し出したデザインとなってて、設計は隈研吾、照明デザインは面出薫が担当しています。高輪ゲートウェイ駅
なんやかんや、東京に来ると、握りずしを食べることが多いような気がする。わりとリーズナブルな金額で美味しいお寿司を食べれるのがいいのかもしれないですね。今日はまあまあ酔ってるので、今日のブログはこのあたりで勘弁していただくとして。。。すいません東京で握り寿司
桜田濠と桜田門と高層ビル群がおさまった写真です。自分が学生時代だった頃、高層ビルは数本建ってましたが、ここまで高くもなくこんなに林立はしてなかったですが、今日改めて眺めてみると、ずいぶん変わったものだな~って思ってしまいました。桜田濠と桜田門と高層ビル
久し振りの東京に向かう途中、宝塚北SAでちょっと休憩。昼間はめちゃ混みやけど、夜はやっぱ空いてるね。でも駐車場はほぼトラックで埋まってる。もう少し東に進んでゆっくりときゅうけいしようかな。宝塚北SA
先日、旧金毘羅大芝居「金丸座」のことを紹介しましたが、今日は内部写真です。2階席から舞台を眺めた姿です。歌舞伎公演の際には、多くのお客さんで満員状態ですが、桟敷にだれもいない姿は、なんか不思議な感じがします。旧金毘羅大芝居「金丸座」内部
通行料金が少々お高めの瀬戸大橋ですが、便利さを考えると通行してしまうのですが、夜より昼間に走る方が好きです。斜張橋の部分が一番好きで、かっこいいな~って毎回思います。欲を言えば、通行料安くなってほしいです。瀬戸大橋斜張橋瀬戸大橋斜張橋
現存する中では日本最古の芝居小屋「旧金毘羅大芝居(通称:金丸座)」は、香川県琴平町の金刀比羅宮門前町にあります。建てられたのは天保6年(1835)になります。客席および木戸廻りは、木造一部2階建て、切妻造瓦葺の妻入りとなっています。正面と側面には下屋庇が設けられています。舞台および楽屋廻りは、客席北側に位置し、一部2階建て、入母屋造瓦葺となっています。舞台装置として、廻り舞台・せり・スッポン・かけすじなども当時の姿で残っています。ここ数年は、コロナの関係で開催されていませんが、毎年4月には「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が公演されています。建物としては、昭和45年(1970)に国の重要文化財に指定されています。所在地:香川県仲多度郡琴平町字川西乙1241旧金毘羅大芝居「金丸座」
初代山手村長の風早雲嶂の自宅として、旧山手村地頭片山に建てられた建物です。明治35年(1902)から昭和43年(1968)まで旧山手村役場として使用されていました。昭和47年(1972)に総社市上林に移築されています。建築面積が169㎡なので役場としてはかなりこじんまりとしたものだとは思いますが。建物は木造平屋建、入母屋造茅葺で、四周に本瓦葺の下屋を設けられています。向かって右側が土間、4間取りで田の字型の平面構成となっています。中央部の玄関には式台が設けられています。平成19年(2007)に登録有形文化財となっています。所在地:岡山県総社市上林旧山手村役場
新潟県関川村の名産「猫ちぐら」。稲わらで編まれた猫の住処であり寝床です。村内の道の駅にある観光情報センターで、地元の作り手たちが村外不出の製法で猫ちぐらを編んでいる様子を見学することができるようです。見てみたいし、欲しいです。関川村は新潟県でも北の方で、山形県とも接しているあたりなんですね。まあまあ、遠い!行く機会あるだろうかな~写真は「THINGS-NIIGATALOCALWEBMAGAZINE」からの拝借です猫ちぐら
吉備路を散策してるときに出会った風景です。皇塚池の後方、松林の向こうに見えてる茅葺の建物は、左が旧山手村役場で、見えにくいですが右が旧松井家住宅です。どちらも登録有形文化財で移築されたものになります。池と樹木と茅葺建物の要素がそろえば、綺麗な風景になってしまいますよね。吉備路の一風景
昭和59年(1984)建築の銀座一丁目交番です。署員から募集したデザインを取り入れ、大成建設の桜井凱昌氏が設計されてるそうです。明治・大正期の銀座煉瓦街をイメージしてデザインされたものだと思います。屋根の形状は、大正時代の京橋のガス灯の屋根をモチーフにしているそうです。銀座一丁目交番
神宮外苑にある美術館『聖徳記念絵画館』です。渋谷区に位置する明治神宮の管理下にある美術館ですが、所在地は新宿区になります。建築年は大正15年(1926)です。明治天皇崩御後に建築計画が持ち上がり、大喪の礼が行われた旧青山練兵場の葬場殿跡地に建てられています。設計は公募による建築設計競技(1918)で1等となった大蔵省臨時建築部技手小林正紹の案がもとになっています。佐野利器の指導のもと、明治神宮造営局の高橋貞太郎が設計をまとめ、後任の小林政一が完成させています。外観は花崗岩貼り、中央に径15mのドームを戴く左右対称の構成で、重厚感のある建物となっています。平成23年(2011)に国の重要文化財に指定されています。聖徳記念絵画館