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おさかな’sぶろぐ https://blog.goo.ne.jp/osakana-blog

歴史ある建物・美しい風景・グルメ・温泉との出会いを満喫。日々感じたことを徒然なるままに綴ってます。

歴史ある建物や、美しい風景、そして美味しい食べ物との出会いを満喫しております。日々の生活の中での感動や旅先での感動をブログに綴っています。

おさかな
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丸亀市
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丸亀市
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2011/09/02

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  • 大覚寺 石舞台・勅使門

    京都市右京区嵯峨大沢町にある大覚寺は真言宗大覚寺派の大本山の寺院です。大沢池を含む境内には国宝、重要文化財、史跡、名勝、登録有形文化財など豊富な文化財があります。空海にもゆかりのある寺院です。下の写真は石舞台と勅使門です。なかなか絵になる風景です。大覚寺石舞台・勅使門

  • モネの庭

    高知県安芸郡北川村には、フランスの画家クロード・モネが描いた連作「睡蓮」をモチーフにした『北川村「モネの庭」マルモッタン』があります。モネ財団から「モネ」を冠することを公式に認められている唯一の庭園でもあります。園内は、「ボルディゲラの庭」「花の庭」「水の庭」で構成されています。下の写真は「水の庭」の一風景です。モネの庭

  • 今年は、らくない梅雨だったような。。。

    今年は梅雨入りが早かったけど、あまり梅雨らしい気候じゃなかったような。。。しかもじきに明けちゃいそうな雰囲気。梅雨の花、紫陽花の時期も終わりなんだろうかな。。。下の写真は「新宮あじさいの里」の風景です。四国中央市になります。今年は、らくない梅雨だったような。。。

  • 手島の風景

    手島港でフェリーから下船後すぐに目の前に現れてくる風景です。生コンプラントの錆加減が歴史を感じさせますね。経済の勢いがあったころは、ドンドン稼働してたんだろうね。手島の風景

  • たけはら町並み保存地区

    「安芸の小京都」と呼ばれる竹原は、平安時代、京都・下鴨神社の荘園として栄えていました。飛躍的に発展したのは江戸時代で、産業としては製塩業でした。豊かな経済力を背景に頼春水・春風・杏坪の兄弟、また、頼山陽ら、多くの優秀な学者を輩出しました。また、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝の生家である「竹鶴酒造」もここ竹原で店を構えています。たけはら町並み保存地区

  • 天神寿司

    大阪市北区天神橋2丁目の『天神寿司』です。大阪天満宮の西辺りの天神橋商店街のアーケード内に店を構えています。赤酢をつかったシャリで握られた寿司になります。4500円のコースで味わってみました。とても美味しい品々でとても満足し、満腹となりました。所在地:大阪府大阪市北区天神橋2-3-27営業時間:12時~14時、17時~22時半定休日:火曜日天神寿司

  • 手打ちうどん町川

    坂出市青海町の『手打ちうどん町川』に行ってみました。名物の「天狗うどん」を食べてみました。「しょうゆてん」と「みそてん」の2種類あってしょうゆのほうを選んでみました。しょうゆてんのネーミングから醤油うどんに天ぷらがのっている姿を想像していたのですが。なんかしっぽくうどんみたいな姿にちょっと驚いてみました。牛肉と野菜が入った、ほんのりと甘いうどんでした。麺はやわらか系のタイプでした。所在地:香川県坂出市青海町870―1営業時間:10時~14時半定休日:火曜日手打ちうどん町川

  • さぬき麺匠はま弥

    坂出市高屋町の『さぬき麺匠はま弥』に行ってみました。初訪問のうどん屋さんです。人気メニューの「ちくわぶっかけ」をチョイスしてみました。弾力のしっかりしたうどんで、ちくわ天も美味しかったです。所在地:香川県坂出市高屋町1473営業時間:10時~15時定休日:月曜日(休日の場合営業)さぬき麺匠はま弥

  • 大阪天満宮

    「天満の天神さん」と呼ばれ大阪市民に親しまれている「大阪天満宮」は、天歴3年(949)の神社です。天満宮なので、もちろん祭神は菅原道真公です。そもそもは、白雉元年(650)、孝徳天皇が難波宮を造営した際、その西北に守護神として大将軍社が創建された始まりだそうです。延喜元年(901)に菅原道真が藤原時平によって九州大宰府へ左遷させられた際、当地の大将軍社に参詣し、旅の安全を祈願しています。延喜3年(903)に菅原道真が没した後に天神信仰が広まり始め天暦3年(949)に創建されたのが現在の大阪天満宮になります。本殿及び拝殿は、天保14年(1843)の再建になります。下の写真は、拝殿になります。こちらは、表大門です。大阪天満宮

  • 天満天神繁昌亭の猫

    先日の日曜日、大阪市北区の天神橋の方へ出かけたのですが、集合時間には少し時間があったので、大阪天満宮を参拝し、天満天神繁昌亭の方へ出たところ、丁度、猫さんが屋根の上を歩いてたので、パチリと一枚。天満天神繁昌亭の猫

  • 徳島丼

    徳島丼は、徳島ラーメンの具材をご飯にかけた丼です。すなわち、具材として甘辛く煮た豚ばら肉、生卵、メンマ、モヤシ、ネギなどが使われています。発祥は、フジテレビ社員食堂のメニューなのだそうです。発想は「徳島ラーメンの具材が麺よりもご飯に合うのではないか」というシンプルなものです。提供が開始されたのが、平成18年(2006)で、後に桑田佳祐が『桑田佳祐の音楽寅さん〜MUSICTIGER〜』で紹介したのがきっかけで、話題となり今に至っています。先日、淡路SA(上り)のフードコートでいただいてみました。具材は、豚バラ肉、モヤシ、ネギ、温玉で構成されていました。思ったほど味が濃くなくてちょっと想像とは違ってましたが、美味しくいただきました。ネーミング的にはご当地B級グルメのようですが、発祥が東京のB級グルメなんですね...徳島丼

  • 桂浜

    高知県を代表する景勝地の一つ「桂浜」です。弓状にひろがる海岸と松の緑と岩の風景が、好きな風景の一つです。桂浜

  • 明石海峡大橋

    大阪に出かける際には瀬戸大橋を利用することが多かったのですが、最近は明石海峡大橋を利用することが多くなってきています。というのも山陽道より淡路島経由の方が道が空いてて走りやすいというのもあります。橋が好きなもので、橋の全景を眺めることが出来るスポット好きなんです。なので、淡路SAから眺める明石海峡大橋も好きなスポットの一つなんです。明石海峡大橋

  • 旧緒方洪庵住宅(適塾)その2

    昨日の続きです。旧緒方洪庵住宅(適塾)の内部も見学させていただきました。何枚か写真撮影したので掲載します。旧緒方洪庵住宅(適塾)その2

  • 旧緒方洪庵住宅(適塾)

    旧緒方洪庵住宅(適塾)は、蘭学者である緒方洪庵が弘化二年(1845)に、住宅として移り住み、将軍侍医として17年後に江戸に行くまでの間、私塾「適塾」を開いた場所です。緒方洪庵は、足守藩士佐伯惟因の三男として生まれ、16才の元服まで足守陣屋城下(岡山県)で育ち、文政8年(1825)、足守藩大坂蔵屋敷の留守居役となった父とともに大坂に出、思々斎塾に入り、その後、江戸、長崎などで経験を積み、天保9年(1838)、大坂に戻り29歳のとき医者を開業、合わせて蘭学塾「適塾」も開いた。塾生には福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲などがいます。洪庵が江戸の移った後も、門下生が塾を守り、さらに分塾をするほどに発展しました、明治新政府の教育制度の整備と共に発展解消し、大阪医学校、府立医科大学...旧緒方洪庵住宅(適塾)

  • 大阪市立愛珠幼稚園

    明治34年(1901)に竣工の『大阪市立愛珠幼稚園』です。設計は、文部技師・久留正道の指導のもと、大阪府技手・中村竹松が行っています。敷地のまわりに高塀を巡らせ、南正面に塀重門が設けられています。入母屋大屋根(東端は切妻とする)の管理棟を置き、正面に玄関、西側を園長室(もと応接室と事務室)となっています。その北側には三方に廊下を巡らせた遊戯室の高い大入母屋が連続している。北西隅の土蔵は昭和2年(1927)に鉄筋コンクリートで新築されたものであり、資料室として使われている。平成19年(2007)に重要文化財に指定されています。大阪市立愛珠幼稚園

  • 高麗橋ビルディング

    明治45年(1912)に竣工した「高麗橋ビルディング」です。現在は、ウエディング会場「オペラドメーヌ高麗橋」として利用されていますが、建築当初は大阪教育生命保険ビルでした。赤煉瓦と白い石のボーダーが印象的な建物です。設計は辰野金吾・片岡安になります。なんか、らしい建物です。高麗橋ビルディング

  • 日本基督教団浪花教会

    大阪市中央区高麗橋の歴史的建造物『日本基督教団浪花教会』です。ゴシック様式の尖塔窓は黄色や緑色の色ガラスで飾られ、建物背部に塔屋が配置された3階建ての教会です。昭和5年(1930)に竣工しています。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計指導のもと竹中工務店が設計施工を行っています。日本基督教団浪花教会

  • 船場界隈

    大阪市中央区の船場界隈には、多くの歴史的建造物が残っていますが、その多くがコンクリートなどの不燃素材の近代建築というイメージではあるのですが、中には木造日本建築もちらほらと建っています。下の写真はほんの一例ではありますが、伏見町で見かけた建物です。船場界隈

  • 伏見ビル

    大阪市中央区伏見町の「伏見ビル」です。もともとは大阪船場地区の中心部にホテルとして建設され、現在はテナントビルとして使われています。設計は、辰野片岡事務所出身の長田岩次郎です。角地に建ち、コーナーを隅丸とし、全体的にシンプルな外観ですが、歴史的建造物として船場地区の景観の一端を担っています。シンプルな外観ではありますが、階段状に設けられているライン、コーナー部分の水平リブ、最上部の丸窓風にデザインされた部分に施された十文字の装飾といった幾何学的なデザインからアールデコの影響があるのではと思います。竣工は大正12年(1923)です。平成14年(2002)には、国の有形文化財に登録されています。伏見ビル

  • 国分寺町の風景

    今日の昼間に高松市国分寺町に出かける用事があったのですが、その際、新居宮池横の駐車場に車を駐車させていただきました。用事も終わり帰る際に、池の土手から撮影した一枚です。伽藍山と狭箱山がいい感じに見えてたもので。。。国分寺町の風景

  • 青山ビル

    大阪市中央区伏見町の「青山ビル」です。西園寺公望の渡欧に同行した野田源次郎が、その時の見聞をもとに大正10年(1921)に建てたスパニッシュスタイルの個人邸宅です。設計施工は大林組、増築部は伊東恒治の設計によります。建物は、その後青山家の邸宅となり、戦後はGHQ将校用の施設を経て、現在はテナントビルとなっています。外壁を覆っている蔦は甲子園球場より株分けされ、現在は2代目とのこと。館内のエントランス部分だけですが、入ってみました。ステンドグラスや階段手すりなど、興味深い箇所がそこかしこに散らばっていてなかなか楽しい建物でした。ちなみに、1階部分には、オムライスで有名な北極星が入ってました。平成9年(1997)に国の有形文化財に登録されています。青山ビル

  • 旧小西家住宅

    小西家は、初代儀助が安政3年(1856)に京都より大阪道修町に出て、小西屋の屋号で薬種業を創業したことに始まる商家です。1枚目の写真の主屋は、道修町通に南面して建ち、店舗の表屋と奥の居室部からなる表屋造の町家です。二代目儀助が明治33年から3年(1900~1903)の工期で建設しています。主屋裏には奥庭を挟んで衣装蔵及び二階蔵がある。写真3枚目に写っている衣装蔵は明治45年の上棟で、三階建の土蔵造です。薬品関連の商家が軒を連ねた大阪道修町でも、ひときわ大規模な商家で、主屋は良材を用いた上質なつくりで、近代大阪の町家を集大成した和風建築である。主屋と衣装蔵は平成13年(2001)に国の重要文化財に指定されています。旧小西家住宅

  • 新井ビル

    大阪市中央区今橋の「新井ビル」です。大正11年(1922)の建築になります。鉄筋コンクリート4階建で、銀行店舗として建てられています。1階正面の玄関部分に4本のドリス式オーダーを並べた重厚な外観です。内部には入ってないですが、中央部分が吹き抜けとなり、2階周囲に個室を設けているそうです。設計は河合浩蔵、施工は清水組です。平成9年(1997)に国の有形文化財に登録されています。新井ビル

  • 大阪市中央公会堂

    半月ほど前のブログで少し書いた「大阪市中央公会堂」です。平成14年(2002)に重要文化財に指定されています。竣工したのは大正7年(1918)なので約100年を越える建物になります。株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円(現在の価値で数十億円)を寄付したことにより、建設計画が持ち上がり建築設計競技により選ばれた岡田信一郎のデザイン案をベースに辰野金吾・片岡安が実施設計を行っています。建物は鉄骨煉瓦造地上3階・地下1階建ての構造で、意匠はネオ・ルネッサンス様式を基調としたものとなっています。大阪市中央公会堂

  • 日本銀行大阪支店

    日本銀行は、日本銀行法に基づき日本の中央銀行として設立された認可法人で、財務省が所管しています。日本国政府から独立した法人で、国の行政機関ではないものの、行っている金融政策は行政の範疇に属すると考えられています。その日本銀行には、東京の本店以外に、全国に32の支店があります。西日本の母店機能を持つのが大阪支店になります。所在地は大阪市北区の大阪市庁舎の道向かいにあたります。下の写真は旧本館で、本店と同じ辰野金吾が設計したネオバロック様式の洋風建築です。ドーム屋根が印象的な重厚な外観は、大阪のランドマークの一つにもなっています。日本銀行大阪支店

  • 手島制札場

    制札場とは、江戸時代に幕府代官や領主が掟、条目、禁令を板又は紙に記して掲示していた建物になります。塩飽諸島において、現存しているのは、本島・櫃石島・手島の三か所だけで、下の写真は手島制札場になります。昭和50年に丸亀市指定有形文化財となっています。手島制札場

  • 手島 あなじ浜の風景

    丸亀沖に浮かぶ有人島として、本島・牛島・広島・小手島・手島と5つの島があります。その中で一番遠方になるのが手島です。周囲7.1kmで、島民は約70名の島になります。港は島中央東側に位置してて、その港から西岸へ向かう道を15分ほど歩くと西岸・西浦の「あじな浜」にたどり着きます。下の写真は、弓形に広がる海岸風景です。小さな玉砂利が集まった浜でした。こちらは、海岸から西方を眺めた風景になります。岡山県笠岡市の北木島を望むことができます。こちらは海岸から東側を眺めた風景です。山裾に広がる平原がなんかいい感じでした。手島あなじ浜の風景

  • 普段使いのうどん屋

    うどんの本場である香川県に住んでると、お昼ご飯にうどんという場面は多々あります。そんな中でも普段使いのうどん屋さんがそれぞれの人にあるのだと思います。かくいうわたしは仕事場の近くに店を構えている『こだわり麺や丸亀田村店』がそれにあたります。かけうどんに天ぷらといなりorおむすびという組み合わせが基本になっています。ということで、下の写真は、おさかなの日常のお昼ご飯ということで掲載させていただきます。普段使いのうどん屋

  • 北浜長屋

    船場界隈を散策してた時に見かけた大阪市中央区北浜の人気カレー店「オクシモロン北浜」です。北浜長屋として国の有形文化財として登録されています。大正元年(1912)に建てられた二軒長屋で、間口5間、奥行き約5間半規模の建物です。背面が土佐堀川に面していて、かつては地下1階部分が水面に接して川から直接出入りが可能だったそうです。全面道路側は黒漆喰が塗られた2階土蔵造で、1階玄関には洋風のペディメントが設けられたデザインとなっています。北浜長屋

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