爽やかな緑の村の道村の道はたまに車を通りますけどマスクして歩るっている人はいません、静かで平和な私の散歩道です。街に行くのはどうしても必要な買い物と3ヶ月ごとの定期診療の病院だけ、しかもスーパーも病院も丁寧なコロナ対策がとられています。しかも5月には第一回目の6月には第二回目のコロナワクチン接種が70歳以上の高齢者対象に実施されます。嬉しいです。ほっとしています。でも変異株クラスターが都内で増加!とニュースでいってました・老人対象にワクチン接種が進んでいますけど変異株コロナにも有効なんでしょう?、少し心配です。変異株のコロナは若い人にも感染力が強いらしいですね。路上飲酒の狂態などニュースで見るとなに考えているんだろうと思ってしまいます。お酒たしなむ夜の町いろんな人がいるんですね。やさしい女性のおかしな勧誘電話!...明日からは明るい五月です
落ち込んだ私を慰めてくれました、嬉しくて雨降る中のチュウリップ
賑わっていた川辺の人通りも少なくなっておちついた春になりました静かに一人釣りを愉しむ人の姿が見えました水面に影を落として流れが綺麗ですコロナが落ち着いて欲しいですけど私たちの町でも昨日新しい感染者がひとり増えたとニュースでありました。不安です。今時はほとんどの人がマスクして外出から帰るとしっかり手洗いして消毒しています。それなのに大阪1260人東京900人と各地で感染者が急増しています。どうもマスク手洗いだけでは100%感染を防いではくれない見たいです。マスクしましょう!・・手洗い消毒しましょう!・・それは当然だいじですけど、感染する危険な場所はどこなのか?・・それが知りたいんです、どこで感染したかの様子をそれぞれの地方で具体的に教えて欲しいんです。でも無理なんでしょうね、いろんな事情があってね・・・葉桜の川辺の緑
飯豊連峰の白雪が輝いて見えました。こんなに大気が澄みきって飯豊連峰がこんなに綺麗に見えたのはほんとに数年ぶりなんですよ!。60年ほど昔私がまだ30数歳昭和30数年(1960)の頃、私は奥会津只見から会津坂下町にきてお世話になっているんです。その頃は自然が豊かでしたね、夜になると満天の星星空いっぱいに天の川がながれ、北極星・北斗七星のおおぐま座こぐま座、カシオペア。スバルなどがはっきりと見えました。今は月と金星と火星くらいがやっと見えるだけです。もちろん飯豊連峰も磐梯山も澄みきって見えました。山太郎の私は近くの尾根道を歩くのが好きでした。すると頭の赤いキツツキ(あかげら)や山鳥や黒い羽の大きな蝶なども見ることが出来ました。秋の夜はコオロギやキリギリスやスズムシだって野生でいたんですよね。そうそう、冠婚葬祭は集落の...穏やかに晴れ渡った空に
広々とした空新緑の村静かです爽やかに音立てて流れる水辺が綺麗でした綺麗な花のピンクも新緑も嬉しい村の道コロナなど気にせず一人大手を振って歩きまし集落の公民館の枝垂れ桜枝いっぱいの緑です91歳のばばちゃんも94歳の爺いもようやっとコロナワクチンの予約がきまりました。5月第一回6月が第2回です。どうやらコロナでの旅立ちは心配なさそうです。晴れやかな春の散歩道
私の集落から見える白雪の飯豊連峰です今私の住んでいる集落は中政所といいます。坂下町で政所という呼び名のついた集落は下政所・中政所・上政所の三カ所があるんです。私のような学識も見識もない者でも、なんとなく政所は荘園や所領の政務や軍務や庶務をつかさどるところらしいことはおぼろに分かっていました。そして集落の政所の呼び名の由来はどうやら下政所にあるらしいと言うことを誰かに聞いたような気ががしていました。でも正直あまり関心などなく、ふーんとばかり思っていました。ところが私にとってはすごい貴重な和とじの書籍が2冊手に這い入ったのです。私たちの町には考古・歴史・民俗・動植物などの博物などまでの豊かな知識と高い見識をお持ちで研究・教育・保存・顕彰などにご活躍なさっていらしゃる古川利意(としい)先生がいらっしゃたんです。その業...私勉強しました嬉しくて
堤の道が嬉しくて綺麗なタンポポが咲いていました花弁の下の総袍ですやっぱりしっとり奥ゆかしい感じの日本古来のタンポポでした。この堤は遠い昔に構築された古い時代の堤なんですよ。鮮やかな新緑の緑
綺麗に咲いたさくらの季節は終わりました世は鮮やかな緑の季節に移っています新緑の滝谷川渓谷の橋梁が懐かしいですけども車の免許証を返納してもう5年、jr只見線を使うにもコロナが怖いですしもういけません。仕方ありません明日は晴れるようですから近くを散歩するか、読書でもするか頑張って見ましょう。毎日降り続く雨に鬱鬱しています
みんなのお顔をも真っ赤かっか94歳の爺いがふと幼かった頃の古里小立岩の夕暮れを思いました。80数年前8歳の頃でしょうか陽が落ちると赤い空にコウモリが舞いきょきょきょと「ヨタカ」が鳴きました。するとはな垂れ小僧どもははみんな茗荷の葉を1枚とって二つに折り口にくわえてきょきょきょと鳴らして「ヨタカ」になったつもりで集落の中を歩きました。ぎんぎんぎらぎらと輝いて沈む夕日を撮るのは難しいです。なんカットも撮った中の一枚です。写真になっていませんけど、素人の私の精一杯のカットです。80数年昔の山間(やまあい)の集落の夏の夕暮れには(ヨタカ)の声が聞こえてきたんですよね。薄暗い夕方ですから姿は見たことはありませんけど。古里小立岩を訪れたとき綺麗な可愛い雄のシドリの雄を飼っている人を見ました。オシドリは飼い主さんのあと追って...真っ赤かっか空の色
ばばちゃんのチュウリップが綺麗に咲きました。ババちゃんに言われた通りチュウリップの球根を買い求め、プランたに土を入れたのは94歳の爺いです。婦唱夫随は協同生活者(めおとではありません)の帰結です。ばばちゃんは70歳頃から膝の痛みで町医院の整形外科に通うようになりました。治療の様子を聞くと治療は膝関節の水をぬくことと注射によって神経の遮断を時々行うことと、普段は湿布薬の塗布の対処療法みたいな治療で完治は望めないに思えたので、息子も爺いも大きな病院で人工膝関節手術をすることを進めたのですが絶対に受け付けませんでした。ところが88歳になった頃町医院が医院を閉じることになったため、やむなく大きな病院の整形外科を受診しました。そして整形外科の先生にどんなこと言われたか知りませんが「人工膝関節手術をすることにした」というの...うちの91歳のばばちゃん元気です
農道にはタンポポの花が輝いて咲いていますでもほとんどが外来種の西洋タンポポです花弁の下の総苞を見ると下にまくれています日本古来のタンポポ花弁の下の総苞を見ると下にまくれていません春たけなわ花美しく
沈む陽の空静かです夕暮れの空遠く
さくら求めて遠く今日の散歩道会津坂下町3000本のさくら並木が輝いていました3000本は私の単なる思い込みです。この写真の倍ほど並木は続くんです。だからそのくらいあるんじゃンかろうか?と思ったんです。ごろもちょうどよいですしね!。正確な数を知りたい方は会津坂下町役場建設課に問い合わせてください。ちゃんと分かるとおもうんです。ポンプ小屋跡の桜も見える桜並木です神々しい姿のポンプ小屋跡の桜です葉桜になっても、紅葉になっても、葉の落ちた冬の姿になっても、ポンプ小屋跡の桜は老体の私をも持ってくれると信じているんです。私の神のお姿のさくらですから。晴れわあたる春の空が嬉しくて
ほのぼの嬉しくて今を盛りに咲いているタンポポはほとんど西洋タンポポです。堤の上をあるっていたらなんか風情のあるタンポポを見つけました。あれっとおもって花弁の下を見るとの総苞片が閉じています。このタンポポはは日本古来のタンポポです。嬉しかったんです。西洋タンポポは総苞片が下にまくれています。日本古来のタンポポ見つけ
緑公園の桜並木が輝いて嬉しかった今日の散歩道爺いはルンルンル春を愉しみました晴れ渡る空に
ポンプ小屋跡の桜も綺麗ですこの二本に見える桜もちょっとした因縁があってわたしの好きな、というより信仰みたいな気持ちで接している桜樹なんですよ。40年くらい前でしょうかここにポンプ小屋があって左側の流れから揚水して水田の用水堀に流していたんです。そして小屋の脇に見事な1本の桜があって毎春見事な花を咲かしていたんです。30年くらい前でしょうか町の広い水田に大掛かりな基盤整備が行われ40アールくらいの小さな水田の圃場がヘクタール単位の広い水田の圃場にかわったのです。そして用排水路も整備され揚水ポンプが必要がなくなりポンプ小屋は取り除かれました。そのとき工事の邪魔になったんでしょうね、その見事な桜は切り倒されてしまったのです。私はすごく落胆したんですけどもすぐに切り倒された幹に2本の蘖(ひこばえ)が生えてみるみるうち大...満開の桜の春が嬉しくて
でも一足早く私の家にすぐちかく公民館の枝垂れ桜が満開ですピンクの花が綺麗です。明日は私の心筋梗塞の3ヶ月ごとの定例検診日です主治医の先生はが名医でいらっしゃって患者がわんさとおしかけて予約時間以後2時間は待たなければなりません。わたしなど予約時刻は午前10ですけども診察は毎回午後0時30分頃になります。待っている患者も大変ですけど一番大変なのは先生と看護師さんです。もし急患なぞ救急車で入れば診察は翌日に回されることもあります。あの世行きの所を生かして頂いているんですから文句はいえません。ということで明日は投稿はやすみます。私の町でもあちこち桜が咲き初めました
樋口分の空は温かくおだやかでした散歩道心のどかに見る空の雲
小さなスミレに花が咲いていましたどこから種が飛んできたんでしょうね、こんなかすかな吹きだまりの土の上に一輪綺麗な花を咲かせていました。でもたれも目を止めてはくれない小さな花なんですよ、嬉しくなって爺いは恥も外聞もなく寝そべって撮りました。子供がひとり「おじさん大丈夫?」と声をかけてくれました。倒れてでもいると思ったんでしょうね。「こんな小さなスミレが綺麗に咲いているんだよ」と言うとなんだ大丈夫なんだと安心した見たいに去っていきました。ありがとね・・・これって實は私がまだ若かった5年前89歳の時国道49号線の町はずれ鶴沼橋のの歩道の縁石に咲いていたスミレを撮った時の思い出の記なんですよ。いまはそこに咲いているかどうかはわかりません。早春に道路の縁石の隅にひっそりと
会津の春をウルウル愉しんでおります会津の伝統豊かな青津集落の盆踊り歌の青津甚句に嫁に来るなら青津をやめろ藍とからしで殺されるというのがあります。藍は昔有名だった青木木綿を染める藍染めの原料の「あい」、からしは菜種油をとるための菜の花のことですよね。古い時代には「あい」や菜種油をとるための菜の花の栽培が青津では盛んだったことが分かります。私は「あい」の栽培のことは記憶にありませんが、「からし」は昭和の始め頃までは盛んに栽培されていたことを思いだします。田んぼ一面の菜の花が綺麗でした。でも今は土手に捨てられた「からし」が野生化して綺麗な菜の花を咲かしているのをみるだけです。でもそれだけに野生化した菜の花を見るのも嬉しいんです。名の花の咲く川辺の土手が綺麗です
でもスーパーのレジで嬉しいことがあって少しばかり明るく元気を取り戻したんですスーパーのレジを長くされているKさんは綺麗で明るてくて気さくな方なんですよ。それがKさんは私の息子と中学校の同級生だと言うことがふとしたことでわかって親しくしていただいてスーパーのレジはいつもKさんのところで、たわいないことなど話し合いならすましていたんです。とろがスーパーでの働き場所の変更でもあったんでしょうかKさんの姿がレジから見えなくなっていたんです。それが昨日のレジでKさんの姿が久方ぶりに見えたのです、嬉しくなってKさんのレジの前に買い物籠をもって立ちました。そのとき私はマスクをして冬もののつばのある帽子を深くかぶっていたのでたぶんKさんには私のこととは分からないだろうと思い、またレジがすごく立て込んでいることもあって言葉をかけ...近頃歳相応にボケが進んでちょっと落ち込んでいたんです
明るい春になりました晴れやかな集落金上の道も綺麗ですし春の花水仙の花も咲き誇ったいます西洋タンポポもまだ数は少ないけど明るく咲いていましたまだ開花はしませんけど桜の蕾も膨らんでいます四月の春はすごい勢いで進んでいるんです昨日の黄砂も今日は薄らいで
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