西の空の下を厚くもやって襲ってくるんです。そしてまわりは一面の黄砂で覆われてしまうんですでも、ふと流れのほとりの土筆を見つけました「つくしたれの子すぎなの子」嬉しくって黄砂を忘れてはらばって撮りましたぽかぽかとあったかい日にどてのつちそっとあげてつくしのぼうやは目がさめたつくしたれの子すぎなの子88年前私が小学校1年の最後の頃お習いした詩ですよね。土筆を見るとまるで昨日のことのように思い浮かぶんです。黄砂のこと忘れて夢中で撮りました。「つくしのぼうやがのぞいたら外はそよそよ春の風」懐かしいです。黄砂って怖い広い野をマスクしての散歩です
心惹かれてシャッターを切ったんですけどもほんとうはもっと暖かくやわらかく綺麗な空でしたけど安物のカメラと私の腕ではどうにもなりません。昨日の散歩で撮ったんですけどもあきらめます。どもなりません。それに今日はすごくもやった黄塵です。ちょっと怖くて散歩はとりやめです。投稿もね。やわらかな春のそらに
堤の土手には小さくて目立たないんですけどキバナノアマナの花があちこち綺麗に咲いています集落の道路も明るくなりました旧宮川のどてもすっかり春になりました今日の散歩はズボンを白の作業ズボンに履き替えてシャツも1枚脱ぎ捨てて軽やかな気分で農道の散歩を愉しみました。でもコロナが怖くてまったく人に会わない場所なんですよ、ワンちゃん大好きな爺いです、ほんとうはいつも2頭の秋田犬と一緒の馴染みの方にお会いして「アキタっていいですよね」とあいさつを交わしたいんですけど寂しいんです。せめて高齢者だけでも早くワクチンを打って欲しいんですけどね。河野太郎ワクチン担当大臣様頑張って頑張ってくださいよ、期待しているんですから桜の開花はまだ遠いんですけども
蕗の薹が明るく咲いていました春が来た春が来たどこに来た山に来た里に来た野にもきた藪の中の枯草の中に水仙が捨てられて水仙の球根が枯れ草の中に見事な花を咲かせていました。爺いは嬉しくてああ春だ・・と爺いが無言で叫んでいます
アズマイチゲ?・キクザキイチゲ?・アズマイチゲの花だと思うンですけどもずっとずっとこの堤の土手を何年も散歩しているんですけどこの綺麗な白い花が何輪も咲いているのを見たのは初めてなんですよ。びっくりしたんです、嬉しかったんです。私の大事な思い出の花ですから。この花を見ると幼い頃暮らした山峡(やまかい)古里小立岩(こたていわ)の春が思い浮かぶんですよ。小立岩という集落はうしろに穏やかな標高300mくらいの愛宕山があり前に険しいがんくらの標高1000mほどの険しい岩倉山があってその下を檜枝岐川が流れている幅200mくらいの狭い居平に10数軒並んでいる小さな集落なんですよ。その集落には茅葺き2教室の小さな小学校校舎があって私は1年生から5年生まで通っていたんですよ。全校児童60人同級生は私を含めて男3人女3人の6人でし...この花をみつけて嬉しくて
春3月、遠く中国のゴビ砂漠から海を越えてやってくる黄砂ですよね街の通りも黄砂でもやっています。春三月黄砂といえば80数年前小学校1年から5年まで暮らしていた尾瀬沼の福島県側からの登山口檜枝岐村の隣村の大川村小立岩(現南会津町小立岩)のことが思い浮かぶんです。10歳前後の幼い子供でしたけど1月頃の2m前後の積雪も3月末から4月始め頃には1mくらいの湿った積雪になり冷下の寒い朝は固く凍って藁靴で歩けば舗装された野山を歩くようにどこでも歩けるようになるんですよね。かた雪渡りといって洟垂れ小僧どもはみんなで1本の棒をもって山に行くんです。すると純白の雪が薄く茶色になっていたり、杉の林の中の雪が薄い緑になっていたりするんです、それを見るとああ春が近いんだなと嬉しくなるんです。今思えば黄砂と杉花粉ですよね。でも子供達いや集...春霞といえばのどかですけども
ふと心ひかれた堤の散歩道ワンちゃん好きな爺いなんです。ご免なさいあ、ご免なさい
残雪の磐梯山を200mm望遠レンズで撮りましたEOSM3ボデー(中古品2万円)に10年前購入(これも中古品)の55-200mmレンズをつけて手持ちで撮りました。貧しい爺いの機材ですけど結構写っていました、標準レンズで撮ればこんなです。私の信仰のポンプ小屋跡の桜も綺麗な空に枝を広げていました。祈る気持ちで撮りました。この桜は水田の基盤整備の時一度切り倒された株に生えた2本のひこばえが成長してこんな古木になったんですよ。今日の散歩は2時間5588歩でした。楽しかったけど少々つかれました。歳を忘れてる94歳の若爺いです。澄み切った空の散歩を愉しんで
わたし散歩を迎えてくれる雲間の空が嬉しくて私の定例の散歩、約1.5時間5600歩、私の家の裏の出発点は俳句をよくなさるNさんのお宅の庭なんです。Nさんは若くして海兵団に入団なさり海軍中尉で終戦を迎えられた方なんです。戦後は地方の県事務所を歴任なされ定年で退職なさいましたが若くして癌でお亡くなりになりましたお墓の句碑には「大川を渡れば他郷あげひばり」があります。長く勤めていらっしゃった県事務所から他地区の県事務所へご栄転になられるとき詠まれた句なんでしょうけど、馴染んだ地区を離れる惜別の思いと新しい任地への高揚した気持ちが生き生きと詠まれているように思います。「湯のたぎる音して風邪寝人を恋う」という句もありました。辞世の句なんでしょうね。Nさんの家の客間には長火鉢がおかれ炭火の上の南部鉄瓶がシェーンシェーンと静か...春はまだ浅いですけども
集落の空も野も家も穏やかな春になりました公民館の庭の桜の蕾も少し膨らんだような気もします散歩道にはオオイヌノフグリ花が咲いて綺麗です。春分過ぎて朝日は真東から上ります。もう昼頃の室内はストーブがいらなくなりました。春はどんどん進んでいます。嬉しくて。のどかな明るい春が嬉しくて
遠くの山がもやってる黄砂でしょうか今年の中国での黄砂は過去10年で歳代規模なんだそうですね。原因は、ゴビ砂漠の一部で非常に強い風が吹き、砂が大量に巻き上げられたためと言われています。日本ではのどかな春霞などといっていますけど中国では大変らしいですよね。それにしても遙かに遠いゴビ砂漠から黄砂が海を越えてやってくる、なんか春霞が尊く感じてしまいます。黄河や黄海なんてありますけどもやっぱり黄砂が関係しているんでしょかね?明るい春の春霞み
タンポポの花一輪見つけ嬉しくて明るい太陽の下ですけどまだ寒い野の道の脇の土手にちいさく咲いていました。右の脇と左上に小さなイヌノフグリの花も見えています。1時間30分ほどの散歩でタンポポの花はこの花1輪だけでした。背丈も低く小さな花ですけども最初に見つけたタンポポの花ですから嬉しかったんです。でもこのタンポポは日本古来のタンポポではなく、日本の侵略的外来種ワースト100に選定されている外来種なんすよ。宅地や道路や農道など新しく造成された土地を好み。春から雪の降るまえの晩秋まで咲きつつけます。日本古来のタンポポは昔から造成されたことのない比較的土地が豊かに肥えた場所を好みます。花期は春に一度だけ咲きます。..ですからいまでは街中や道路脇、水田の中の農道などのタンポポはほとんど西洋タンポポです。私は日本古来のタンポ...雲ひとつ見えない晴れ渡った散歩道に
暖かな水辺の流れも明るい街通りもすっかり春になりました今日のばばちゃんは金曜日のデーサービスの日です。孫の年頃の若い赤シャツの男の係りの人に優しく支えられて車に乗っていきました。外向的明るい性格のばばちゃんです。みんなに親しまれて大事にされて週二日のデーサービスを愉しんでいるみたいです。91歳のばばちゃんが明るく元気していられのはデーサービスのお陰の感謝しているんです。さて爺いはといえば無精して「東北のずんむ」みたいになってしまったので今日は理髪に行ってきました。午前9時頃早く入店したので待ち合わせの時間も少なくすぐに理髪の鏡の前の椅子に座ることができました。毎回思うンですけども自分ではまだまだ若いつもりしてるのに大きな鏡の中に枯れてしまったよぼよぼの仙人みたいな爺いが一人座ってこちらを見ているのが見えて不思議...輝いて明るい春になりました
春が嬉しくて早春の空に残雪の磐梯山が輝いて見えてました旧宮川跡の緑公園も穏やかな春の散歩道ですまだ蕗の薹も土筆のぼうやも出ていませんけど嬉しい爺いの春になりました。山辺の春も川辺の春も
可愛いひ孫の女の子がやってきたんです幼稚園の年少組なんだそうです。自分のひ孫の女の子が可愛く思うのはどこの爺婆もおなじです。可愛い可愛いと聞かされる他人は迷惑、だからほどほどに・・・それも良く分かっているんですけど、こればっかりはさんたろう爺婆もメロメロでどうにもなりません。結婚した孫娘が第二子を妊娠して実家の近くの産院に入院するため実家に帰り3週間が過ぎたのでコロナの心配も安心ということで挨拶にきたのです。コロナのエチケット家には寄らず玄関で挨拶して帰りました。今は臨月、ひ孫娘の時は帝王切開でした、今度もたぶんそだうろうと臨月の孫娘は平然というんです。女性は綺麗で優しい姿をしてるけ逞しく強いんですね。怖い第二子は男だそうです、女の子は可愛いです、でも森さんではありませんけど私は昭和と改元された10日めに生まれ...爺とばばちゃん嬉しくて
金上の集落は静かに平和ですよく見れば田んぼに薄い緑が見えています。まもなく大型ブルドーザーでの耕耘が始まります。90年も生きていれば農村の飛躍した様子に驚きます。「はね駒」私の幼かった頃の農村の春は「はね駒」で始まりました。NHKの朝ドラのことではありません。私の生まれ育った奥会津只見の農村ではどの家でも母屋に馬小屋がついていた(まがりや)でした。馬は家族の見えるところで同じ家に一緒に暮らしていました。馬は大事な家族でした、豪雪地帯ですから馬は冬を暗い馬小屋で過ごします。雪解けの春になると耕耘の準備として馬を馬小屋から出して外につなぎます。馬はしばらくぶりの外が嬉しくて蹴り上げ飛び跳ねて暴れます。これを私たちは「はね駒」といって一緒に喜んだのです。今の田んぼは大規模な基盤整備で1ヘクタールもあろうかという広い田...早春の空澄みきって
ここ金上(かながみ)集落と言うんです。明るい集落の空も雲も綺麗でした。この道で7年か8年ぶりに金上の公民館長さんだった方にお会いしました。嬉しくて二人の顔は笑顔でいっぱいになりました。私の顔も心も80歳代の若い私に帰っていました。館長さんだった方もお若くいらっしゃいました。ほんとうに嬉しかったんです。帰り道旧宮川の堤の土手の上をあるって帰りました。元の宮川は大きな流れで暴れ川でしたけど上流で流路が変更されてすっかり小さな流れになって今は洪水の危険はなくなりました。古い時代の堤防の堤です。堤には蕗の薹や野蒜(のびる)などの美味しい春の野草がいっぱい摘めるんですけど、まだ早春少しも出ていませんでした。早春の明るい散歩道愉しんで
農道の雪もすっかり解けてしばらくぶりに訪れた金上集落の遠い道です心ほのぼのと嬉しいンです集落から眺めた残雪の会津嶺(あいづね)磐梯山(1816)です手頃な山ですのでひとりでもまたいろんな人とも何度も登っています。それぞれにいろんな思い出があるんですよ94年生きた人生ですから広々と明るく遠い村の道
ふと目を惹く空が綺麗でした空にそびえる二本の木は桐の木でしょうか手入れされていませんから枝が乱雑の伸びています。幼かった頃の桐の木といえば丁寧に手入れされていて丸く太い幹がすっくと空に伸びていました。慶応二年(1866)生まれの祖父は畑で一緒している幼い私に「昔は女の子が生まれると家の裏の屋敷に桐の木を植えたんじゃ、そして娘が嫁入りするときにその桐を切って桐タンスを作って嫁入り道具にしたんじゃ」といっていました。それが心の底に残っているんです。私の子どもの頃は桐の木は裕福の人の履く軽くて美しい柾目(まさめ)の下駄の材料や桐タンスの材料として植えられすっくと空に伸びる桐の木の林があちこちにありましたけど今は見えなくなりました。なんか今の桐の材料はカナダあたりで栽培されて輸入されていると聞いたことがあるような気がし...晴れた日の散歩道
雲ひとつ見えず晴れ渡って会津嶺(あいづね)磐梯山の残雪っが輝いていました昨日の空は高気圧に覆われて
新しい散歩道堤の土手も緑してきましたししばらくぶりのポンプ小屋跡の桜の場所も明るく見えています東北大災害から10年の今日、町の放送で黙祷を捧げましょうとありました。私たちの町の被害はすくなっかったんですけどあの日はもみんな家から飛び出して台地にしがみついて耐えましたテレビで源発が水素爆発で破壊されるのを見て、若い私は水道が放射能に汚染されないうちに水を確保しておかなければと車をとばして量販店からポリタンクを購入して水を確保しました。ほんとは会津での放射能汚染少なくはそんな心配はなかったんでうけども、若かった私の反応は早かったんです。阿呆ですけどもね!でも物資輸送のトラックが途絶えて幸いスーパーの影響はほとんどなかったですけどガソリン運搬が途絶えてガソリンスタンドには長い車の列ができました。長い時間待たされて本の...どんどんどん春が春めいて
飯豊連峰の空も綺麗に澄み切って八千代橋下の流れもすっかり春めいてきましたまだ雪が消えたばかりですから野の道には小さなイヌノフグリの花が一二輪咲いているだけですけどそのうちに土筆(つくし)や蕗の薹が爽やかに姿を見せて暮れると思います。待ち遠しいです。日本列島が高気圧に覆われて春が明るく進んでいます
今年初めての雪消えの散歩道を愉しみました。すっかり雪の消えた宮川の堤の土手は穏やかな春がいっぱいでしたまだ蕗の薹などは見えないんですけども4ヶ月ぶりにポンプ小屋跡の桜が迎えてくれました。嬉しかったです。まだ蕾は固いんですけどもしっかりと目を覚まして動いているんでしょうね。今年の開花は早いんじゃなかろうかという集落の古老の話ですけども、あんれまってよ集落の古老といえば94歳の私もそうなんですよ、なにも知らないアホな古老ですけども、若い気をしてるといつのまにか古老になってしまいました、怖いです。会津の霊峰飯豊連峰(いいでれんぽう)が澄み切って見えました。例年ですと飯豊連峰の今頃はもやってみえるんですけど、まさかこんなに綺麗に澄んでみえるのはコロナ禍のせいではんかろうかとは思うンですけども?そういえば10年前の東北大...春らしい春が嬉しくて
雪消え残る会津野は広々と遠くまで春になりました昨日の白鳥はまだいたんですね。怪訝な顔で私を見ています心配ありませんよ、綺麗な姿を撮ってブログでみんなに見てもらうだけですからあんれ、なにしていらっしゃるんですか?ただお話してるだけですって!ああそうですか、ちょっと思い違いしたんです。ご免なさい明るくて嬉しい春の散歩道
集落のすぐ近く雪消えの田んぼに100羽前後と思われる白鳥の群れがおりたったのです。まもなく遠くシベリアの本拠地(繁殖地)へ旅たって行かなければなりません。10数年前までは本拠地の猪苗代湖では集められたパンのクズや農家からあつめられた不稔籾などで豊富な餌付かがなされていました。でも鳥インフルなどが問題になって餌付けは禁止されました。白鳥たちにとっては大変に困ることなんでしょうね。遠いシベリアに帰るには体力が必要でしょうね、会津平は猪苗代湖近辺にくらべれば雪消えは早いです。本拠地の猪苗代湖からはるばると群れで飛んできて雪消えの田んぼで落ち穂など食べているんでしょうね。白鳥の群れはよく見ると母の白鳥についていると思われる小さなむれの集まりなんですね。ときおりその小さな群れが集まって鳴き交わしています。一番左の白鳥はま...いやー驚きました!春ですね
オオイヌノフグリ花です、ようやっと見つけて撮りました春の始め一番先に野に咲く小さな花なんですよ。オオイヌノフグリなんて可笑し名前をつっけられて早春から秋まで野の道脇いっぱいに咲き続ける外来種であまり好かれてはいないようですけど、私は雪の消え間に一番早く咲く小さな花なのので私はずっと前から好きな花なんですよ。明るい春の陽を受けて今年初めての野の花を撮りました
爺いわくわくしているんです。雪消えの田んぼも空も集落も明るくてこの川辺も私の大事な散歩道なんですよ。まだちょっと早いですけども、そのうちコゴミもツクシノボウヤもタンポポもといろんな花々が咲くんです。中央の遠くにポンプ小屋跡の桜も見えています。3000歩・4000歩・5000歩・・私の春から夏そして秋、雪がく降るまでの私の大事な散歩道がいま雪が消えてほんとの春が明けようとしているんです嬉しいんです。春はねどんどんどんやってきます
でも、やっぱり3月八千代橋からの眺めはどこか春を感じますきょうはばばちゃんのデーサービスの日です。迎えの人に体温を測ってもらい迎えの人と明るく話などしながら車に乗っていきました。ばばちゃんの話ではとても大事にしてもらい一日を愉しんでくるようです。大勢の人の中が楽しいばばちゃんです。本当に有り難いことと感謝しております。91歳でも元気なのはデーサービスのお陰と思っております。「お世話になります」と深々とお礼を言いました。今日は天気が一転して冷たい雨が降ってます
町を通る国道49号線は買い物帰りの爺いと一緒心明るくなりました。リュックの中身と言えば「牛乳2本」と「鬼平糖2袋」それに「たけしくん」が1本です。鬼平糖は親指ほどの太さのかりんう糖です。たけしくんはぬか漬けのほんとの味がするたくあんです。爺いが食後茶を飲んでいるとばばちゃんが綺麗な紙の上に鬼平糖1個と皮を剥いたミカン1個をのせて出してくれるんです。もちろん自分のものも同じようにします買ってきたのは爺いですけども買ってくりゃそれはばばちゃんのものになります。爺いのお茶受けはなんとなくばばちゃんのおごりみたいな感じに思えて温かいんですよ。老夫婦の心の通うひとときです。ばばちゃんが薄く切ってだしてくれる「たけしくん」はほんとのぬか漬けのたくあんの味がするんです。人工甘味料で味付けした甘いつけものとは違うんですよ。老夫...3月季節は春になりました
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