元素楼は、明治2年に玉井村の養蚕家・鯨井勘衛が屋敷内に建てた3階建て間口16間奥行き8間の養蚕研究施設です。 天保2年(1831)に幡羅群玉井村の代々名主の家に生まれた鯨井勘衛は蚕糸業の先駆者で文久3年(1863)には、蚕種の製造をはじめ、慶応2年(1866)には、荒川河原に桑園を開きました。これが埼玉県における桑園の始まりです。 勘衛は、元素楼で自然の気候を活かした「清涼育」という画期的な養蚕技術を地方人に伝習しました。この養蚕技術によって、製糸の原料が格段に増加しました。 勘衛は、富岡製糸場の設立を主導した渋沢栄一や初代場長の尾高惇忠、養蚕家の田島弥平らとも交流があり、近代産業の発展を下支えしました。また、明治6年には、昭憲皇后、英照皇太后両陛下が富岡製糸場へ行啓の折、元素楼に立ち寄られ、養蚕の状況や田植えの仕事をご覧になりました。 元素楼はその後、移築解体さ..
2月25日、江南文化財センターの屋根樋管の清掃が行われました。センターの南側には暴風保安林が広がり、落葉樹の落ち葉が屋根付近に堆積することが多く、樋管が詰まりやすくなっています。そのため定期的な清掃が必要となり、専門業者が高所作業車を用いてジェット水などを吹きかけて作業しました。江南文化財センターは北側に窓があり、北からの自然光が室内に入る「ノースライト」の構造となっています。南側の森と北側の正面風景という構図で珍しいかも知れません。そんなことからも、今回のような作業も感慨深く考えてしまうところです。
埼玉未来大学ライフデザイン科熊谷学園 江南文化財センターを学ぶ
2月20日、埼玉未来大学ライフデザイン科熊谷学園の皆様が江南文化財センターを来訪しました。所内施設の紹介と文化財の解説を通じて熊谷市の文化財保護事業の状況等についてお話ししました。通常は閉館日となる土曜日ではありましたが、特別の見学会として開催しました。展示室や収蔵庫などに対して興味を持たれた方々も多く、向学心の助力となればと考えています。
文化財公開講座「愛染堂と藍玉産業―尾高惇忠筆の奉納額と渋沢家の関わり―」と青天を衝け
講座「愛染堂と藍玉産業―尾高惇忠筆の奉納額と渋沢家の関わり―」 藍染絵馬と尾高惇忠筆奉納額、中央奥には愛染明王(いずれも市指定有形民俗文化財) 愛染堂正面と屋根上部に止まる白鷺 2021年2月21日、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の公開を記念して、熊谷市下川上の「宝乗院愛染堂」を公開し、同院で保管する熊谷市指定有形民俗文化財「藍染絵馬」(4枚)、渋沢栄一の師で義兄である尾高惇忠が揮毫した同文化財「奉納額」を特別公開しました。 日本近代資本主義の父、渋沢栄一に関連した様々な情報発信に合わせて企画されたものです。また愛染堂の本尊である「愛染明王」は藍玉の産業における祈願と深く関わることから、尾高・渋沢家の信仰を集めたといわれています。 尾高・渋沢と愛染堂との関わりについて再認識する機会の提供を目的に、文化財の公開と解説会を実施し、「愛染堂と藍玉産..
片倉シルク記念館と絹の道に関する講座 館内の解説 2021年2月18日、熊谷市本石の片倉シルク記念館で、熊谷シルクの歴史と片倉シルク記念館について学ぶ講座を開講し、15名が参加しました。この講座は、概要報告書『旧片倉工業熊谷工場・片倉シルク記念館 : 埼玉県熊谷地域における絹産業と製糸の歴史に関連した近代的建造物の概要をめぐって』(熊谷市文化遺産研究会)の刊行を記念して開催され、同報告著の編著者である熊谷市立江南文化財センターの山下祐樹主任が講師を担当しました。NHK大河ドラマ「青天を衝け」の放映が始まり、渋沢栄一や富岡製糸場初代場長の尾高惇忠に関心が集まる中、片倉工業の創設に関わった渋沢の存在と、富岡から熊谷の歴史的経過を絹産業に関連したエリアとして認定し発信を進める「上武絹の道」プロジェクトに想いを馳せる講座となりました。「片倉工業の歴史と尾高・渋沢の関わり」をテ..
市内下奈良にある集福寺は、江戸時代末期から明治時代にかけて、この地の名主として土木民生の事業につくした慈善事業家・吉田市右衛門の菩提寺として知られています。 吉田市右衛門墓 文久3年(1863)、薩英戦争でイギリスの捕虜となった五代友厚が幡羅郡四方寺村(現在の熊谷市四方寺)の吉田六左衛門家に逃れ匿われた際、吉田市右衛門とも交流しました。 五代友厚は、薩摩藩に生まれ、大阪の経済復興に貢献した実業家として有名です。1867年に開催されたパリ万国博覧会に薩摩藩として参加し、このとき幕府の一員として参加していたのが渋沢栄一でした。後に、渋沢栄一と並び「西の五代、東の渋沢」と称されました。 今後、NHK大河ドラマ「青天を衝け」での五代友厚の登場にも注目したいです。
NHK 大河ドラマ「青天を衝け」公開記念「藍染絵馬・尾高惇忠筆奉納額」特別公開
愛染明王・藍染絵馬・尾高惇忠筆奉納額(愛染堂内) 2021 年NHK 大河ドラマ「青天を衝け」公開を記念し、「藍染絵馬・尾高惇忠筆奉納額」を特別公開します。日本近代資本主義の父、渋沢栄一に関連した様々な情報発信に合わせて、熊谷市下川上の「宝乗院愛染堂」で保管する熊谷市指定有形民俗文化財「藍染絵馬」(4 枚)、渋沢栄一の師で義兄である尾高惇忠が揮毫した同文化財「奉納額」を特別公開します。また愛染堂の本尊である「愛染明王」は藍玉の産業における祈願と深く関わることから、尾高・渋沢家の信仰を集めたといわれています。尾高・渋沢と愛染堂との関わりについて再認識する機会の提供を目的に、文化財の公開と解説会を開催します。皆様のご来場をお待ちしております。 日程 2021年2月21日(日) 9:00〜13:00(一般公開) 入場無料 会場 宝乗院愛染堂(熊谷市下川上33) 記念行事(..
石蔵の美術展示室(左側) 熊谷市小八林にある長島記念館は、旧埼玉銀行頭取の故長島恭助氏の邸宅で、庭園と建物含む敷地全体が熊谷市の名勝に指定されています。現在、新型コロナウイルス対策を万全にして通常開館しています。石造の蔵や江戸時代後期に建立された母屋、収蔵展示している日本近代美術コレクションをお楽しみください。NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公の渋沢栄一が揮毫した書も収蔵されています。 〒369-0103 埼玉県熊谷市小八林1022番地 TEL・FAX:0493-39-2025 ■開館時間午前10時〜午後4時■休館日毎週月・木曜日(祝日を除く) 祝日の翌日(土・日を除く) 夏期・年末年始■入館料一般 300円(210円) 小・中学生 100円(70円) *( )内は20名以上の団体■駐車場50台収容■アクセス・JR高崎線熊谷駅南口からゆうゆうバス..
Twitter 大河ドラマ「青天を衝け」サイトより 幕末から近代日本の礎を築いた日本近代資本主義の父となる渋沢栄一の生涯を描く俳優の吉沢亮さん主演の2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合、日曜午後8時ほか)が2月14日にスタートしました。熊谷ともつながりの深い渋沢栄一。幾度も熊谷を訪れ、家業の藍玉作りは北武蔵全域の当時の産業でもあるなど関係が深いものがあります。初回を見ると、方言も馴染みのあるもので、熊谷人にとっても思い入れのある作品になりそうな予感がしています。約一年間を通じて渋沢の偉業と、北埼玉地域を発端とした躍動感ある歴史の展開を堪能できたらと感じています。 NHK大河ドラマ「青天を衝け」公式サイト https://www.nhk.or.jp/seiten/
2020年11月12日に熊谷市肥塚公民館で開催された講座「熊谷句碑歌碑物語」の様子をYouTubeの江南文化財センターサイトにおいて配信しています。講師を江南文化財センターの山下祐樹主任が担当し、熊谷市内にある句碑と歌碑に着目し、熊谷の俳人・金子兜太氏や芭蕉などの句碑について解説したほか、熊谷の文化活動を先導した石坂養平氏や棚澤慶治氏についてお話ししました。コロナウイルス対策によりステイホーム期間が長くなっていますが、市内の句碑を散策する感覚で、どうぞ配信動画をご覧いただけたら幸いです。
熊谷市名勝「星溪園」において、アルスコンピュータ専門学校の特別講義を開催しました。同専門学校は星溪園と同じく鎌倉町に位置し、日本文化を学ぶ機会として特別講義が毎年開催されています。今回は新型コロナウイルス対策もあり、2グループに分けて星溪園の庭園について学ぶほか、南に位置する石上寺本堂内の見学も実施しました。明治時代初頭に完成した当時の「池亭」が現在の星溪園になるまでの経緯などについてお話ししました。また、石上寺にはエドワード・シルヴェスター・モースの銅像があり、明治時代に当寺で行われたモースによる進化論の講義について紹介しました。例年、解説後はお茶席に実際参加する機会を設けましたが、今回は簡易的な体験に留めて実施しました。緊急事態宣言が延期されている状況で、建物内の利用は休止中ですが、庭園内の散策は可能ですのでお楽しみください。
群馬県邑楽郡板倉町にある雷電神社は、江戸時代後期を代表する神社建築です。 現存する社殿は、天保6年(1835)に建立されました。その造りは、拝殿と本殿を「石の間」と呼ばれる幣殿で繋いだ、いわゆる権現造りで、屋根は瓦棒銅板葺となっています。 大工棟梁を務めたのは、武州川俣村の三村和泉守、彫刻を手掛けたのが上州花輪村の石原常八父子(二代目・三代目)です。石原常八父子(二代目・三代目)は、三村家から妻沼の林家に養子に入った林家五代目・正道と共に妻沼聖天山の貴総門(国指定重要文化財)を造営したことでも知られています。 本殿には緻密な彫刻が施され、白木彫りの柱や長押と極彩色に彩られた見事な彫刻群が融合しています。 本殿右側胴羽目彫刻 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の大蛇退治 本殿右側胴羽目彫刻 大志王夫人 本殿背面胴羽目彫刻 神功皇后 本殿左側には「浦島太..
2月2日(火)、源宗寺本堂「地鎮式」終了後、平戸荘にて第18回源宗寺本堂保存修理委員会が開催されました。議題では仮建屋に移動した仏像の今後の修繕方法や、現在手続きを進めている建築審査等の進捗状況について話し合いました。工事の本格的な開始に向けて準備を続けていく予定です。
2月2日(火)、市内平戸の源宗寺跡地にて、地鎮式が行われました。当日は風が強く、準備中に掛軸が吹き飛ばされるハプニングもありましたが、心配されていた雨も朝のうちにあがり、無事に儀式を終えることができました。 委員会メンバーも、仏式での地鎮式ははじめてということで、寺院を兼務する東竹院の岸ご住職の指示を受けながら準備を進めました。 建設予定地の中央、1坪(1間×1間)のスペースに4本の青竹を立て四角に区切り、仏様の神聖な領域をつくります。地面には白砂をまき、穴を掘り、盛砂をつくります。 祭壇には、香炉と蝋燭を置き、洗米、塩、水、清酒、野菜と果物をお供えします。そして祭壇中央には、掛軸を掛けます。東竹院で保管されているこの掛軸は江戸時代のものだそうです。 式には、委員会メンバーをはじめ、檀家の方数名が参列し、一人ひとりお焼香をあげ、工事の安全を祈願しました。 ..
2月4日に2日目となるムサシトミヨ個体数調査が実施されました。今回の調査は、埼玉県指定文化財となる天然記念物区間が主な調査個所で、約400メートルある区間のうち4カ所で実施し、前日の調査より多くのムサシトミヨが確認されました。水中での中腰姿勢での作業は意外と大変でしたが、5年に一度の調査に参加できたことは実に感慨深いものでした。調査結果については、主催者のムサシトミヨ保全推進協議会が情報を整理し報告する予定です。
個体数調査の様子 捕獲されたムサシトミヨ 2月3日・4日の日程で、熊谷市久下・佐谷田地区に所在する埼玉県指定天然記念物「元荒川ムサシトミヨ生息地」を含む元荒川及び周辺水路においてムサシトミヨの生息数を確認する5年に1回の個体数調査が行われています。本日は生息域から下流の位置から10メートルごとにエリア化し、そのうちの12か所を2グループ体制の各5人で水路に入り、捕獲調査しました。調査では、ムサシトミヨなどの生息淡水魚などを10分から20分の時間を分けて捕獲し、その数を基本数として現状での生息数を統計的に算出する方法を採用しています。捕獲した魚はアメリカザリガニを除き再び元荒川に放流しました。また天然記念物区間での調査は、人間の水中立ち入りによる調査であることから、文化財の現状変更の許可を受けた上で実施されます。 ムサシトミヨにとって良好な環境の維持は大変難しい..
1月28日、FMクマガヤの第8回番組審議委員会が開催されました。審議委員会では、昨年12月に放送された「熊谷の星」と題した番組を議題としました。熊谷出身で活躍している人物を紹介する内容で、パーソナリティを俳優の依田哲哉さんが務め、初回のゲストはタレントの長澤茉里奈さんでした。熊谷から熊谷の魅力を発信する意義や、Twitterなどのフォロワー数が多く影響力のあるインフルエンサーをゲストに呼ぶことの可能性などについて意見交換しました。これに加えてコロナ禍における課題などについて議論しました。
源宗寺本堂保存修理事業 仏像移動の様子が「TOWN NEWS NAOZANE vol.63」の表紙を飾る
2月1日発行の熊谷地域の生活情報誌、フリーペーパー「TOWN NEWS NAOZANE vol.63」の表紙と巻頭特集において、昨年12月末に実施した熊谷市指定有形文化財 木彫大仏坐像(平戸の大ぼとけ)の仏像移動の様子が紹介されています。 特集では、源宗寺本堂保存修理事業の委員会メンバーへのインタビュー記事も掲載されています。 同紙は熊谷市内の各施設や店舗において無料配布されています。是非、お手にとってご覧ください。
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