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  • 16210-8 富山県南砺市(五箇山)

    富山県南砺市4:五箇山■2014年10月12日(日)~10月13日(祝)■2019年11月24日(日)【歴史】五箇山は旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指している。五箇山の地名の由来は赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷村、利賀谷の5つの谷から成る「五箇谷間」が転じたものと言われている。五箇山は山間部の豪雪地帯に位置しているため、合掌造りの民家が発達した。茅葺きの屋根が急勾配になっているのは、雪降ろ...

  • 16208-6 富山県砺波市(砺波)

    富山県砺波市1:砺波■2019年11月23日(土)【歴史】砺波市街の出町は、江戸時代からの砺波郡(越中国の南西部)の中心地である。1649年、杉木村の二郎兵衛ら16人の農民は、加賀藩に町立ての許可を貰い、杉木出町という町を作り上げた。1664年、杉木出町に御旅屋(加賀藩直営の本陣)が設置された。杉木出町は扇状地上にあるために井戸がなかったが、加賀藩は地中深く掘ることで井戸を設置した。杉木出町には御...

  • 42201-1 長崎県長崎市(浦上)(特集:浦上と原爆)

    長崎県長崎市2:浦上(特集:浦上と原爆)◼️2014年6月28日(土)◼️2019年11月17日(日)【歴史】浦上は1584年に有馬晴信がイエズス会に寄進した土地で、住民の多くがキリスト教徒になった。1603年にはスペイン人宣教師が浦上にサンタ・クララ教会を建て、人々はキリスト教の教えの下に生活していた。しかし、幕府の禁教令によりキリシタンは弾圧され、サンタ・クララ教会は破壊された。神父を失った浦上の...

  • 42201-1_長崎県長崎市(特集:キリスト教と長崎)

    長崎県長崎市1:長崎(特集:キリスト教と長崎)■2014年6月28日(土)■2019年11月16日(土)【歴史】安土桃山時代から江戸時代初期の長崎は、日本の小ローマと呼ばれ、キリスト教の信仰が盛んだった。1567年、イエズス会の修道士のアルメイダが布教のために長崎を訪れた。アルメイダはポルトガルの貿易商人から医師に転身し、大分や天草等、九州各地で活動していた(写真は、アルメイダの渡来記念碑)。長崎は...

  • 42201-1 長崎県長崎市(長崎)

    長崎県長崎市1:長崎■2014年6月29日(日)■2019年11月9日(土)~11月10日(日)【歴史】長崎は、1570年に大村純忠が開港して以来の港町である。長崎は開港してからポルトガル船や中国船が多く来航するようになり、貿易港として町が発達した。江戸時代、長崎は幕府の鎖国政策において外国との貿易が唯一できる場所だった。1636年、幕府は長崎の町人に人工島である出島(詳細は史跡①を参照)を築造させ...

  • 20583-4 長野県信濃町

    長野県信濃町1:柏原■2019年11月5日(火)【歴史】江戸時代の柏原は、信濃国追分宿と越後国直江津を結ぶ北国街道の宿場町(柏原宿)だった。柏原宿は隣の古間宿と分担して宿場の機能を運営する合宿だった。柏原宿には戸隠へ続く道との追分があり、「従是戸隠山道」と書かれた道標がある。本陣は中村六左衛門家が務め、北国街道を参勤交代で利用する加賀藩主等の常宿となっていた。柏原宿からは、江戸時代を代表する俳人、...

  • 20205-3 長野県飯田市(飯田)

    長野県飯田市 1:飯田 ■2019年11月4日(祝) 【歴史】 江戸時代の飯田は、飯田藩の城下町で、戦国時代には既に築城されていた飯田城(詳細は史跡①を参照)に藩庁が設置された。関ヶ原の戦い後、飯田藩には小笠原秀政が入封されたが、1613年に松本藩に移封された。峯高寺には、秀政の正室の福姫の墓がある。福姫は徳川家康の孫のため、宝篋印塔には徳川家の家紋(葵の御紋)が刻まれている。 1617年、飯田藩には脇...

  • 20415-3 長野県喬木村

    長野県喬木村■2013年5月3日(祝)■2019年11月3日(日)【歴史】江戸時代の喬木村は知久(ちく)氏の陣屋町だった。知久氏は鎌倉時代から伊那郡の知久平に勢力を有する豪族だった。知久氏は1554年の武田信玄の侵攻で一家が散り散りになったが、その中で徳川家康に仕官した家系が交代寄合の旗本(3千石)として存続した。知久氏の陣屋(阿島陣屋)の跡地は喬木北保育園になっており、陣屋の石垣が一部現存する。陣...

  • 20407-2 長野県阿智村(阿智)

    長野県阿智村1:阿智■2019年11月3日(日)【歴史】阿智村の中心部である駒場は、古代の東山道が通っていたと推定され、古来から交通の要地であった。古代の駒場には、和歌に詠まれた「あふちの関」があり、複数の小さな祠のある大品坂に案内板が立てられている。1573年、武田信玄は三河国野田城を攻略中に病にかかり、甲州に帰る途中に駒場で病死したと伝えられている。信玄は長岳寺の裏山で火葬されたと伝えられてお...

  • 20209-6 長野県伊那市

    長野県伊那市1:高遠■2014年10月4日(土)■2019年11月2日(土)【歴史】高遠は古来から諏訪氏の勢力圏で、戦国時代までは諏訪氏の一族の高遠氏が治めており、高遠城(詳細は史跡①を参照)を築城していた。しかし、高遠氏は1545年に武田信玄の侵攻により滅亡した。信玄は1547年に山本勘助に命じ、高遠城を大規模に改築した。その後、高遠は武田氏が支配し、対織田・徳川の要地となったが、1582年に高遠...

  • 19209-1 山梨県北杜市(高根)

    山梨県北杜市2:高根■2019年11月1日(金)【偉人】①浅川伯教(のりたか)・巧1924年、朝鮮で朝鮮民族美術館が開館した。美術館の発起人は、民芸運動の中心人物である柳宗悦と、浅川伯教・巧兄弟だった。伯教は1884年、巧は1891年に五町田村の農民の家に生まれた。生家跡の近くの農村公園に、兄弟生誕の地を記念する石碑が建てられている。巧が生まれた年に父が死去した影響で、兄弟は祖父の小尾伝右衛門に育て...

  • 19209-1 山梨県北杜市(白州)

    山梨県北杜市1:白州(はくしゅう)■2019年11月1日(金)【歴史】江戸時代の旧白州町の台ケ原は、江戸と下諏訪を結ぶ甲州街道の宿場町(台ケ原宿)だった。台ケ原宿は、「サントリー南アルプスの天然水」の水源の尾白川に並行して町が形成されており、道の駅はくしゅうで飲むことができる。台ケ原宿はご多分に漏れず火災や水害を経験しており、本陣跡には石燈籠が建立されている。石燈籠は、秋月講を名乗る講が、防火を祈...

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