神奈川県横浜市4:金沢■2024年4月21日(日)【歴史】《鎌倉時代の金沢~金沢北条氏と金沢文庫~》鎌倉時代の金沢には鎌倉幕府の外港「六浦湊」があったことから、鎌倉幕府の海路を通した玄関口であったと同時に、物流の拠点だった。また、金沢には北条実時が創設した金沢文庫があり、日本や中国の本が大量に収められていた。実時は北条氏の分家の金沢(かねさわ)北条氏の家柄で、2代執権北条義時の孫に当たる。寄合衆な...
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神奈川県横浜市4:金沢■2024年4月21日(日)【歴史】《鎌倉時代の金沢~金沢北条氏と金沢文庫~》鎌倉時代の金沢には鎌倉幕府の外港「六浦湊」があったことから、鎌倉幕府の海路を通した玄関口であったと同時に、物流の拠点だった。また、金沢には北条実時が創設した金沢文庫があり、日本や中国の本が大量に収められていた。実時は北条氏の分家の金沢(かねさわ)北条氏の家柄で、2代執権北条義時の孫に当たる。寄合衆な...
神奈川県横浜市3:戸塚■2024年3月30日(土)【歴史】《東海道の宿場町、戸塚宿》江戸時代の戸塚は、東海道の宿場町(江戸から5番目の宿場町)だった。戸塚宿は起点の日本橋から約10里(40Km)の距離にあり、朝に江戸を発った旅人の一番目の宿泊地として最適だった。さらに、戸塚には大山道との追分もあり、大山に参詣する旅人にも利用された。そのため、戸塚宿は53ある東海道の宿場の中で10番目に宿泊施設が多...
神奈川県横浜市2:保土ヶ谷■2024年3月30日(土)【歴史】江戸時代の保土ヶ谷は、東海道の宿場町(江戸から4番目の宿場町)だった。保土ヶ谷宿は1601年に設置されたが、1648年に道筋が変わり、現在の天王町、岩間町、帷子町、保土ヶ谷町が保土ケ谷宿になった。旧古町橋跡は、この道筋の変更の歴史を今に伝えるものである。保土ヶ谷宿の江戸方見附(江戸方面の宿場町の出入口)は、シルクロード天王町商店街にあっ...
神奈川県横浜市1:横浜■2024年2月3日(土)■2024年2月10日(土)【歴史】《横浜はかつて入り海だった》横浜は17世紀まで入り海だった。1656年に江戸の商人の吉田勘兵衛がこの入り海を埋め立て新田開発を行い、1667年に完成し、横浜村が成立した。当時は戸数100戸程度の農村で、村民は農業を主体に閑散期は漁業で生計を立てていた。《日米和親条約が横浜で締結された》横浜は1854年3月8日に江戸幕...
東京都武蔵野市■2024年1月20日(土)【歴史】≪中島飛行場の工場の進出≫1938年、武蔵野市には中島飛行機(SUBARU、日産自動車の前身)の工場『武蔵野製作所』が設立された。中島飛行機は1917年に中島知久平が創設した会社で、主に軍用機を製造していた。設立当初は陸軍用の軍用機を製造していたが、1941年に隣接した敷地に『多摩製作所』が設立され、海軍用の軍用機も製造するようになった。さらに、2つ...
東京都中野区■2024年1月5日(金)【史跡】①哲学堂公園1904年に井上円了が創設した公園で、2020年に国指定の名勝に指定された。井上は哲学者だったが、哲学館(後の東洋大学)を創設した教育者でもあり、生涯教育を提唱し全国を行脚し各地で講演会を実施した。哲学堂公園は哲学の世界を視覚的に表現しており、来園者が哲学について学べるような社会教育の場となっている点が大きな特徴である。なお、井上の墓が哲学堂...
東京都北区■2024年1月6日(土)【歴史】≪郡衙と豊島氏~古代から中世の北区~≫奈良時代の北区には豊島郡の郡衙が設置され、豊島郡の中心地だった。郡衙は行政の事務的な仕事を司る郡庁院、庶民から徴収した稲籾を納める正倉院から成り立つ組織だった。跡地は滝野川公園になっており、当時は武蔵国から下総国への最短ルート上にあった。11世紀頃になると、北区には平氏の一族である豊島氏が土着した。豊島氏が14世紀末頃...
東京都杉並区■2024年1月8日(祝)【歴史】江戸時代の杉並区には甲州街道が通り、宿場町(高井戸宿)があった。17世紀、高井戸宿は甲州街道の1番目の宿場町で、下高井戸宿と上高井戸宿の2つの宿場が半月交代でその勤めを果たしていた。しかし、1698年に内藤新宿が置かれると、高井戸宿を素通りする旅人も多くなり、高井戸宿の宿場町としての役割が減少した。なお、高井戸宿は半宿半農だったため、便所を旅人に開放し...
東京都江戸川区■2024年1月4日(木)【歴史】≪小岩市川の関所(渡し)~小岩地区~≫江戸川区の北東部に位置する小岩地区は、江戸川に面していることから、江戸時代に『小岩市川の渡し』と呼ばれる渡し場があった。渡し場があったことを証明するものとして、1839年に造られた常燈明が宝林寺に移され、現存する。小岩市川の渡しには江戸の防衛のため橋は架けられず、『小岩市川関所』が設置された。小岩市川関所のあたりは...
東京都墨田区1:本所■2023年12月17日(日)【歴史】≪本所の始まり≫墨田区南部の本所地区は、1657年の明暦の大火後に開発された地域である。明暦の大火では、千住大橋以外に橋が架けられていないことで多くの江戸町民が逃げ場を失い、10万人が死傷したと言われている。幕府は防災のため、武蔵国と下総国との間に橋を架け(両国橋)、徳山重政に本所の開発を命じ、江戸の町を本所に拡げた。徳山重政の屋敷跡には、徳...
東京都荒川区(南千住)1:南千住■2023年12月10日(日)【歴史】南千住と北千住を結ぶ千住大橋は1594年に架けられた橋で、徳川家康が関東に移封された後に隅田川に初めて架けられた橋だった。千住大橋が架けられてから、千住大橋より上流が隅田川、下流が荒川と区別されていた。ところが、大正時代に人工河川として開削された荒川放水路が1965年に荒川となり、千住大橋の下流も隅田川となったことで、荒川区から...
東京都国分寺市■2023年12月3日(日)国分寺市は市名の通り奈良時代に武蔵国の国分寺が建てられた地である。その他、国分寺市には武蔵国の国分尼寺跡や官道の東山道の跡が残っており、奈良時代の史跡が色濃く残っている。≪東山道武蔵路≫古代の国分寺市には、武蔵国と上野国・下野国(現在の群馬県・栃木県に相当)を結ぶ官道が通っていた。国分寺が建立された当時の武蔵国は東山道に属していたため、この官道は『東山道武蔵...
千葉県酒々井町■2023年11月23日(祝)【歴史】≪千葉氏の本拠地~中世の酒々井~≫戦国時代の酒々井には千葉氏の本拠地である本佐倉城があった。千葉氏が本拠地を本佐倉城に移すまでの歴史は≪千葉市の歴史≫を参照。1455年に鎌倉公方の足利氏と関東管領の上杉氏が対立して勃発した享徳の乱が起こると、千葉氏で内紛が勃発し、宗家の胤直は上杉氏に、分家の康胤(胤直の叔父)は足利氏に組した。この内紛では康胤が勝利し...
千葉県四街道市■2023年11月23日(祝)【歴史】四街道は古くから交通の要衝で、船橋、千葉、東金、成田の4方向への街道が交差していた。このことから「四街道」の地名が名付けられ、市名にも採用された。四街道十字路交差点には、1881年に建てられた石造の道標が現存する。1894年に四街道駅が設置されると、3年後の1897年に「陸軍野戦砲兵射撃学校」が下志津原(佐倉市)から四街道に移された。砲兵学校跡の...
13120-2 東京都練馬区東京都練馬区■2023年11月19日(日)【歴史】≪豊島氏と練馬~中世の練馬~≫平安時代後期から室町時代中期にかけて、練馬では豊島氏が勢力を誇っていた。豊島氏は秩父平氏の一派が豊島郡に土着し起こった氏族と言われている。1476年から始まった「長尾景春の乱」において、豊島氏は長尾景春に味方し、山内上杉家・扇谷上杉家と戦った。しかし、1477年に扇谷上杉家の重臣の太田道灌に敗れ、衰退...
東京都目黒区■2023年10月15日(日)■2023年11月12日(日)【歴史】江戸時代の目黒区には集落や農村が点在していた。例えば、碑文谷(ひもんや)公園にある碑文谷池はかつて碑文谷村の村人たちが共同で管理していた共有地で、下流一帯の水田灌漑の重要な水源として大切に維持・管理されていた。池の中島には、碑文谷村を知行していた旗本の神谷氏が奉献した弁財天像が安置されている、厳島神社が建てられている。ヘ...
東京都江東区2:城東■2023年11月4日(土)【史跡】①中川船番所(中川番所)江東区を横断するように、旧中川と隅田川の間を東西に直線状に流れる小名木川は、江戸時代初期に江戸幕府が開削した運河である。小名木川は近郊の農村で収穫された野菜や東北地方からの年貢米が行き交う物流の大動脈であり、また成田参詣客など人の輸送も多かった。そのため、江戸幕府は小名木川の東端に中川船番所を設置し、主に以下の業務を行っ...
東京都江東区1:深川■2023年11月3日(祝)【歴史】≪深川の起こり≫徳川家康が関東に移封され、江戸の町おこしが進められた江戸時代初期、摂津国出身の深川八郎右衛門は小名木川北岸の新田開発を進めた。その後、八郎右衛門は家康に召し抱えられることになり、開発した地域に八郎右衛門の苗字「深川」が名付けられた。以降、八郎右衛門の家は深川の名主を務めた。深川神明宮は、八郎右衛門が信仰していた伊勢神宮から分霊を...
千葉県我孫子市1:我孫子■2023年10月21日(土)【歴史】≪水戸街道の宿場町~江戸時代の我孫子~≫江戸時代の我孫子は、千住宿(現在の東京都足立区北千住)と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町だった。我孫子宿は千住宿から数えて4番目の宿場町で、本陣・脇本陣の両方を備えた規模の大きい宿場町だった。本陣跡に説明書きを付した杭が建てられている。我孫子宿に現存する史跡として、延寿院(子の神大黒天)への道標がある。≪文...
千葉県木更津市■2023年10月1日(日)【歴史】≪木更津の地名の由来≫木更津の地名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の以下の伝説に因んでいると言われている。景行天皇の命令で東方の蛮族を征伐する日本武尊は、相模国から上総国へ行くため東京湾を渡ろうとした時、にわかに強風が起こり、船が難破しそうになった。妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)は、日本武尊の命を救おうと海中に身を投じ、海神を慰めた。強風は...
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神奈川県横浜市4:金沢■2024年4月21日(日)【歴史】《鎌倉時代の金沢~金沢北条氏と金沢文庫~》鎌倉時代の金沢には鎌倉幕府の外港「六浦湊」があったことから、鎌倉幕府の海路を通した玄関口であったと同時に、物流の拠点だった。また、金沢には北条実時が創設した金沢文庫があり、日本や中国の本が大量に収められていた。実時は北条氏の分家の金沢(かねさわ)北条氏の家柄で、2代執権北条義時の孫に当たる。寄合衆な...
神奈川県横浜市3:戸塚■2024年3月30日(土)【歴史】《東海道の宿場町、戸塚宿》江戸時代の戸塚は、東海道の宿場町(江戸から5番目の宿場町)だった。戸塚宿は起点の日本橋から約10里(40Km)の距離にあり、朝に江戸を発った旅人の一番目の宿泊地として最適だった。さらに、戸塚には大山道との追分もあり、大山に参詣する旅人にも利用された。そのため、戸塚宿は53ある東海道の宿場の中で10番目に宿泊施設が多...
神奈川県横浜市2:保土ヶ谷■2024年3月30日(土)【歴史】江戸時代の保土ヶ谷は、東海道の宿場町(江戸から4番目の宿場町)だった。保土ヶ谷宿は1601年に設置されたが、1648年に道筋が変わり、現在の天王町、岩間町、帷子町、保土ヶ谷町が保土ケ谷宿になった。旧古町橋跡は、この道筋の変更の歴史を今に伝えるものである。保土ヶ谷宿の江戸方見附(江戸方面の宿場町の出入口)は、シルクロード天王町商店街にあっ...
神奈川県横浜市1:横浜■2024年2月3日(土)■2024年2月10日(土)【歴史】《横浜はかつて入り海だった》横浜は17世紀まで入り海だった。1656年に江戸の商人の吉田勘兵衛がこの入り海を埋め立て新田開発を行い、1667年に完成し、横浜村が成立した。当時は戸数100戸程度の農村で、村民は農業を主体に閑散期は漁業で生計を立てていた。《日米和親条約が横浜で締結された》横浜は1854年3月8日に江戸幕...
東京都武蔵野市■2024年1月20日(土)【歴史】≪中島飛行場の工場の進出≫1938年、武蔵野市には中島飛行機(SUBARU、日産自動車の前身)の工場『武蔵野製作所』が設立された。中島飛行機は1917年に中島知久平が創設した会社で、主に軍用機を製造していた。設立当初は陸軍用の軍用機を製造していたが、1941年に隣接した敷地に『多摩製作所』が設立され、海軍用の軍用機も製造するようになった。さらに、2つ...
東京都中野区■2024年1月5日(金)【史跡】①哲学堂公園1904年に井上円了が創設した公園で、2020年に国指定の名勝に指定された。井上は哲学者だったが、哲学館(後の東洋大学)を創設した教育者でもあり、生涯教育を提唱し全国を行脚し各地で講演会を実施した。哲学堂公園は哲学の世界を視覚的に表現しており、来園者が哲学について学べるような社会教育の場となっている点が大きな特徴である。なお、井上の墓が哲学堂...
東京都北区■2024年1月6日(土)【歴史】≪郡衙と豊島氏~古代から中世の北区~≫奈良時代の北区には豊島郡の郡衙が設置され、豊島郡の中心地だった。郡衙は行政の事務的な仕事を司る郡庁院、庶民から徴収した稲籾を納める正倉院から成り立つ組織だった。跡地は滝野川公園になっており、当時は武蔵国から下総国への最短ルート上にあった。11世紀頃になると、北区には平氏の一族である豊島氏が土着した。豊島氏が14世紀末頃...
東京都杉並区■2024年1月8日(祝)【歴史】江戸時代の杉並区には甲州街道が通り、宿場町(高井戸宿)があった。17世紀、高井戸宿は甲州街道の1番目の宿場町で、下高井戸宿と上高井戸宿の2つの宿場が半月交代でその勤めを果たしていた。しかし、1698年に内藤新宿が置かれると、高井戸宿を素通りする旅人も多くなり、高井戸宿の宿場町としての役割が減少した。なお、高井戸宿は半宿半農だったため、便所を旅人に開放し...
東京都江戸川区■2024年1月4日(木)【歴史】≪小岩市川の関所(渡し)~小岩地区~≫江戸川区の北東部に位置する小岩地区は、江戸川に面していることから、江戸時代に『小岩市川の渡し』と呼ばれる渡し場があった。渡し場があったことを証明するものとして、1839年に造られた常燈明が宝林寺に移され、現存する。小岩市川の渡しには江戸の防衛のため橋は架けられず、『小岩市川関所』が設置された。小岩市川関所のあたりは...
東京都墨田区1:本所■2023年12月17日(日)【歴史】≪本所の始まり≫墨田区南部の本所地区は、1657年の明暦の大火後に開発された地域である。明暦の大火では、千住大橋以外に橋が架けられていないことで多くの江戸町民が逃げ場を失い、10万人が死傷したと言われている。幕府は防災のため、武蔵国と下総国との間に橋を架け(両国橋)、徳山重政に本所の開発を命じ、江戸の町を本所に拡げた。徳山重政の屋敷跡には、徳...
東京都荒川区(南千住)1:南千住■2023年12月10日(日)【歴史】南千住と北千住を結ぶ千住大橋は1594年に架けられた橋で、徳川家康が関東に移封された後に隅田川に初めて架けられた橋だった。千住大橋が架けられてから、千住大橋より上流が隅田川、下流が荒川と区別されていた。ところが、大正時代に人工河川として開削された荒川放水路が1965年に荒川となり、千住大橋の下流も隅田川となったことで、荒川区から...
東京都国分寺市■2023年12月3日(日)国分寺市は市名の通り奈良時代に武蔵国の国分寺が建てられた地である。その他、国分寺市には武蔵国の国分尼寺跡や官道の東山道の跡が残っており、奈良時代の史跡が色濃く残っている。≪東山道武蔵路≫古代の国分寺市には、武蔵国と上野国・下野国(現在の群馬県・栃木県に相当)を結ぶ官道が通っていた。国分寺が建立された当時の武蔵国は東山道に属していたため、この官道は『東山道武蔵...
千葉県酒々井町■2023年11月23日(祝)【歴史】≪千葉氏の本拠地~中世の酒々井~≫戦国時代の酒々井には千葉氏の本拠地である本佐倉城があった。千葉氏が本拠地を本佐倉城に移すまでの歴史は≪千葉市の歴史≫を参照。1455年に鎌倉公方の足利氏と関東管領の上杉氏が対立して勃発した享徳の乱が起こると、千葉氏で内紛が勃発し、宗家の胤直は上杉氏に、分家の康胤(胤直の叔父)は足利氏に組した。この内紛では康胤が勝利し...
千葉県四街道市■2023年11月23日(祝)【歴史】四街道は古くから交通の要衝で、船橋、千葉、東金、成田の4方向への街道が交差していた。このことから「四街道」の地名が名付けられ、市名にも採用された。四街道十字路交差点には、1881年に建てられた石造の道標が現存する。1894年に四街道駅が設置されると、3年後の1897年に「陸軍野戦砲兵射撃学校」が下志津原(佐倉市)から四街道に移された。砲兵学校跡の...
13120-2 東京都練馬区東京都練馬区■2023年11月19日(日)【歴史】≪豊島氏と練馬~中世の練馬~≫平安時代後期から室町時代中期にかけて、練馬では豊島氏が勢力を誇っていた。豊島氏は秩父平氏の一派が豊島郡に土着し起こった氏族と言われている。1476年から始まった「長尾景春の乱」において、豊島氏は長尾景春に味方し、山内上杉家・扇谷上杉家と戦った。しかし、1477年に扇谷上杉家の重臣の太田道灌に敗れ、衰退...
東京都目黒区■2023年10月15日(日)■2023年11月12日(日)【歴史】江戸時代の目黒区には集落や農村が点在していた。例えば、碑文谷(ひもんや)公園にある碑文谷池はかつて碑文谷村の村人たちが共同で管理していた共有地で、下流一帯の水田灌漑の重要な水源として大切に維持・管理されていた。池の中島には、碑文谷村を知行していた旗本の神谷氏が奉献した弁財天像が安置されている、厳島神社が建てられている。ヘ...
東京都江東区2:城東■2023年11月4日(土)【史跡】①中川船番所(中川番所)江東区を横断するように、旧中川と隅田川の間を東西に直線状に流れる小名木川は、江戸時代初期に江戸幕府が開削した運河である。小名木川は近郊の農村で収穫された野菜や東北地方からの年貢米が行き交う物流の大動脈であり、また成田参詣客など人の輸送も多かった。そのため、江戸幕府は小名木川の東端に中川船番所を設置し、主に以下の業務を行っ...
東京都江東区1:深川■2023年11月3日(祝)【歴史】≪深川の起こり≫徳川家康が関東に移封され、江戸の町おこしが進められた江戸時代初期、摂津国出身の深川八郎右衛門は小名木川北岸の新田開発を進めた。その後、八郎右衛門は家康に召し抱えられることになり、開発した地域に八郎右衛門の苗字「深川」が名付けられた。以降、八郎右衛門の家は深川の名主を務めた。深川神明宮は、八郎右衛門が信仰していた伊勢神宮から分霊を...
千葉県我孫子市1:我孫子■2023年10月21日(土)【歴史】≪水戸街道の宿場町~江戸時代の我孫子~≫江戸時代の我孫子は、千住宿(現在の東京都足立区北千住)と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町だった。我孫子宿は千住宿から数えて4番目の宿場町で、本陣・脇本陣の両方を備えた規模の大きい宿場町だった。本陣跡に説明書きを付した杭が建てられている。我孫子宿に現存する史跡として、延寿院(子の神大黒天)への道標がある。≪文...
千葉県木更津市■2023年10月1日(日)【歴史】≪木更津の地名の由来≫木更津の地名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の以下の伝説に因んでいると言われている。景行天皇の命令で東方の蛮族を征伐する日本武尊は、相模国から上総国へ行くため東京湾を渡ろうとした時、にわかに強風が起こり、船が難破しそうになった。妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)は、日本武尊の命を救おうと海中に身を投じ、海神を慰めた。強風は...
神奈川県川崎市1:川崎■2023年4月14日(金)【歴史】≪東海道の宿場町~川崎宿~≫江戸時代の川崎は、東海道の宿場町(江戸から2番目の宿場町)だった。品川宿と神奈川宿の間は20Kmほど距離があったため、間にあった川崎は1623年に宿場町に指定された。これは、東海道の宿場町の中では最も遅かった。川崎宿には田中本陣、佐藤本陣、惣兵衛本陣の3軒の本陣があった(このうち、惣兵衛本陣は江戸時代後期に廃業)。...
千葉県成田市1:成田■2023年4月16日(日)【歴史】≪全国有数の参拝客を集める新勝寺≫成田の中心地は、新勝寺の門前町をベースに発展した。939年に関東で平将門の乱が起きると、寛朝大僧正は朱雀天皇の密勅を受けて不動明王(空海が開眼)を持参して関東に下り、成田で平和祈願の護摩を3週間修めた。その満願の日に乱は平定し、寛朝はその不動明王を本尊に新勝寺を開山した。江戸時代になると、新勝寺は江戸から近いこ...
千葉県成田市2:下総■2023年4月1日(土)【歴史】≪高岡藩の藩庁≫旧下総町は、江戸時代に高岡藩の陣屋が置かれた地である。高岡藩は、井上正就(2代将軍徳川秀忠の時代に老中を務めた)の弟の政重が大名に出世し、1640年に成立した藩である。政重はキリシタン禁教政策を推進した中心人物で、大名や朝廷を監視する大目付を務めたことで、出世した。政重は江戸に定府したが、曾孫で3代藩主の政蔽(まさあきら)の時に居...
神奈川県藤沢市■2023年3月9日(木)【歴史】≪東海道の宿場町~藤沢宿~≫江戸時代の藤沢は、東海道の宿場町(江戸から6番目の宿場町)だった。藤沢は江戸時代より前から遊行(ゆぎょう)寺の門前町として栄えていた。遊行寺は時宗の総本山で、第4代遊行上人(時宗の指導者)の呑海が創建した寺である。徳川家康が1590年の小田原征伐の後に関東に入った後、関東の各地で徳川家専用の休憩施設(御殿)が設置された。御殿...
神奈川県鎌倉市■2023年2月18日(土)■2023年2月23日(祝)■2023年3月4日(土)【歴史】《源頼朝の鎌倉入府と都市鎌倉の整備》源頼義が鎌倉を領地として譲り受けて以来、鎌倉は河内源氏のゆかりの地となった。これにより、子孫の源義朝は鎌倉に館を構えた。平治の乱で伊豆に流された源頼朝(源義朝の子)は、1180年に打倒平氏の命令を受けて挙兵し、同年鎌倉に入府した。頼朝は現在の清泉小学校の辺りに大...
神奈川県鎌倉市(特集:鶴岡八幡宮と鎌倉五山)■2023年2月18日(土)■2023年3月4日(土)【史跡】①鶴岡八幡宮(5)鶴岡八幡宮の始まりは、源頼朝の5代前の頼義まで遡る。頼義は前九年の役で奥州を鎮定した後、そのお礼として1063年に源氏の守り神である石清水八幡宮を由比郷鶴岡(現在の材木座一丁目)に勧請した。1180年、挙兵し鎌倉に入った頼朝は祖先を崇めるため、鶴岡八幡宮を大臣山の麓(現在の場所...
神奈川県鎌倉市(特集:日蓮と鎌倉)■2023年2月26日(日)■2023年3月4日(土)日蓮は鎌倉時代に日蓮宗(法華宗)を開宗した僧である。鎌倉には日蓮に関する史跡が点在し、時系列に沿って以下に記載する。《鎌倉での活動の開始》法華宗に目覚めて念仏を間違った考え方と批判した日蓮は建長年間(1249~56)に鎌倉で活動を始めた。活動の拠点に日蓮は松葉ヶ谷を選び、そこに草庵を構えた。草庵跡は妙法寺の本堂の...
千葉県松戸市1:松戸■2023年1月9日(祝)【歴史】≪水戸街道の宿場町~江戸時代の松戸~≫江戸時代の松戸は、水戸街道の宿場町(松戸宿)だった。水戸街道は千住宿から分岐し水戸までを結ぶ街道で、松戸宿は千住宿から数えて2番目の宿場町だった。松戸宿は米が豊富であったことから、餅菓子や煎餅を販売する店が多かったと言い伝えられている。松戸宿は江戸川に面しており、渡し船で江戸川を横断していた。渡船場跡の辺りに...
千葉県流山市1:流山■2023年1月9日(祝)【歴史】≪みりん(味醂)と流山≫流山がみりんの産地で有名になったのは、安永年間(1772年~1781年)以降のことである。安永年間までみりんは関西で作られた色の濃いものが主流だったが、堀切家と秋元家が切磋琢磨し「白みりん」を開発・改良し、流山をみりんの産地にした。①堀切家堀切家は「万上味醂」と呼ばれるみりんを開発し、万上味醂株式会社となりみりんを製造し続け...
千葉県富津市1:富津■2022年12月29日(木)本稿では、高度経済成長期に富津町だったエリア(旧青堀町、旧飯野村、旧富津町)の歴史について記す。【歴史】≪内裏塚古墳群~古代の富津~≫旧青堀町および旧飯野村の地域には47の古墳が点在し、須恵国(現在の周准郡)を支配していた国造およびその一族の墓と推測されている。その中で最大規模の古墳である内裏塚古墳は、140メートル余りの前方後円墳で、国造の墓と考え...
千葉県富津市2:佐貫■2022年12月29日(木)【歴史】中世から近世の佐貫は、佐貫城を中心に歴史を紡いできた。佐貫城は戦国時代に真里谷武田氏が築城したと言われ、その後は里見氏の城になった。≪佐貫藩の成立≫豊臣秀吉の小田原征伐の後、里見氏は安房国の1国のみの大名に追いやられた。徳川家康の関東転封の後、佐貫城には内藤家長が入城し、佐貫藩が立藩(2万石)した。内藤家は古くから松平家(徳川家)に仕えていた...
千葉県千葉市1:千葉■2022年11月26日(土)【歴史】≪千葉を代表する貝塚、加曽利貝塚~縄文時代の千葉~≫台地が多く都川と鹿島川の分水界にあたる千葉市は縄文時代の貝塚が多く見られ、分かっているだけでも124ヶ所ある。その中でも代表的な貝塚が、特別史跡に指定されている加曽利貝塚である。加曽利貝塚は規模の大きい貝塚であるだけでなく、異なる年代の貝塚を一度に見ることができる貴重な遺産である。環状で直径...
千葉県千葉市2:稲毛■2022年12月3日(土)【歴史】明治時代の稲毛は半農半漁の小さな海辺の街だったが、徐々にリゾート地として開発された。1888年に千葉県で初の海水浴場が開かれ、その11年後に総武本線の駅が設置されると、稲毛は海水浴や潮干狩り客で賑わうようになった。当時の海水浴は「海気」による病気療養や健康療養の1つだったことから、稲毛には「稲毛海気療養所」が設置され、後に「海気館」という旅館...
千葉県船橋市■2022年11月12日(土)【歴史】≪炉穴が初めて見つかった貝塚~飛ノ台貝塚~≫現在より海抜の高かった縄文時代の船橋では、低地は海面下にあり、台地は海に面していた。そのため、船橋市内には多くの貝塚が見られる。中でも、海神中学校で1938年に発見された飛ノ台貝塚は、炉穴が初めて見つかった貝塚として、国指定の史跡になっている。炉穴とは、野外で調理を行うための物で、煙道部分に土器を立てて土器...