茨城県結城市■2025年1月19日(日)【歴史】≪戦国時代の結城~結城氏の治世~≫戦国時代の結城は結城氏が治めていた。結城氏は、藤原秀郷の末裔である小山政光の三男の朝光が所領の結城を姓として名乗ったのが始まりである。朝光は鎌倉幕府を築いた源頼朝の側近として活躍し、1235年には評定衆にも任命された。晩年は出家し、自ら称名寺を建立したことから、朝光の墓が称名寺にある。結城氏は結城城を築城し、根城とした...
茨城県結城市■2025年1月19日(日)【歴史】≪戦国時代の結城~結城氏の治世~≫戦国時代の結城は結城氏が治めていた。結城氏は、藤原秀郷の末裔である小山政光の三男の朝光が所領の結城を姓として名乗ったのが始まりである。朝光は鎌倉幕府を築いた源頼朝の側近として活躍し、1235年には評定衆にも任命された。晩年は出家し、自ら称名寺を建立したことから、朝光の墓が称名寺にある。結城氏は結城城を築城し、根城とした...
千葉県館山市■2025年1月12日(日)■2025年1月13日(祝)【歴史】≪里見氏の興亡~戦国時代から江戸時代初期までの館山~≫戦国時代の館山は安房里見氏が治めていた。里見氏は源氏の新田氏の分家と言われ、現在の群馬県高崎市榛名町の里見郷から里見氏を名乗ったと言われている。15世紀に鎌倉公方足利氏が上杉氏との戦いを有利にするため、里見義実を安房に送ったことが安房里見氏の始まりと言われている。安房里見氏...
千葉県鋸南町1:勝山■2025年1月13日(祝)【歴史】≪安房勝山藩の歴史≫江戸時代の勝山は安房勝山藩の陣屋町だった。安房勝山藩は、里見氏が伯耆国に配流されて館山藩が廃藩になってから10年後の1624年に内藤清政が勝山に封じられ、立藩した(3万石)。しかし、清政とその弟の正勝が相継いで亡くなると、正勝の嗣子の重頼がまだ2歳であったことから0.5万石に除封され、廃藩となった。なお、重頼の養子の清枚は初...
茨城県水戸市1:水戸■2015年9月27日(日)■2024年12月1日(日)■2025年1月5日(日)【歴史】≪中世の水戸から水戸徳川家の誕生まで≫鎌倉時代、大掾資幹が水戸に水戸城(詳細は史跡①を参照)を築城した。その後、15世紀前半に江戸氏(常陸国那珂郡江戸を発祥とする武士)が水戸城を奪取し根城としたが、1590年に佐竹氏が江戸氏を攻め滅ぼし、佐竹氏の本城となった。関ヶ原の戦い後に佐竹氏が出羽国秋田に...
茨城県桜川市1:真壁■2013年3月2日(土)■2025年1月4日(土)【歴史】≪中世の真壁~真壁氏と真壁城~≫中世の真壁には真壁城があり、多気氏(大掾氏の惣領家)の分家である真壁氏が真壁城を根城に真壁を治めていた。真壁氏は最終的に佐竹氏の家臣となり、関ヶ原の戦い後に佐竹氏の出羽国秋田への転封に随行した。真壁家の墓所が遍照院にあり、約40基の五輪塔が建ち並んでいる。真壁城は堀、土塁、虎口など中世の山城...
茨城県かすみがうら市1:千代田■2024年11月17日(日)【歴史】石岡市との市境に接する志筑地区は、江戸時代に志筑(しづく)陣屋があった地区である。志筑陣屋は、領主の本堂氏によって、中世に築かれた志筑城跡に築かれた。本堂氏の出自は、和賀郡(現在の岩手県西和賀町)で勢力を誇っていた和賀氏の庶流と言われているが、はっきりしない。戦国時代の本堂氏は、現在の秋田県美郷町あたり一帯を支配する小大名だった。...
茨城県石岡市1:石岡■2024年11月17日(日)【歴史】≪古代の石岡~常陸国の中心~≫古代の石岡は常陸国の中心地で、常陸国の国府が置かれていた。常陸国府跡が石岡小学校の校庭から発掘された。また、奈良時代の石岡には国分寺および国分尼寺も建てられていた。国分寺跡の説明板が現在の国分寺の山門前にある。国分尼寺跡は府中小学校の北隣にある。古代の常陸国は朝廷の勢力の及ばない陸奥国と接していたため、陸奥国の蝦...
茨城県下妻市1:下妻■2024年11月4日(祝)【歴史】≪多賀谷氏の歴史~中世の下妻~≫中世の下妻は多賀谷氏が多賀谷城を築いて治めていた。多賀谷氏は武蔵七党の1つである野与党(現在の埼玉県加須市に勢力のあった武士団)をルーツとする一族である。関東の有力な守護大名だった結城氏に仕えたが、結城氏からの独立を度々画策したと言われている。多賀谷城の本丸跡が「多賀谷城跡公園」として整備されている。下妻第一高等...
茨城県筑西市1:下館■2024年10月27日(日)【歴史】≪水谷氏と下館藩の成立≫関東の有力な守護大名だった結城氏の家臣である水谷(みずのや)氏は、1478年に結城氏から下館の地を拝領し、下館城を築城した。下館城は勤行川が流れる崖と沼に挟まれ、四方を幾重もの壕で囲んだ城だった。本丸跡は城山八幡神社になっている。下館城は後の時代に下館藩の藩庁となった。出丸跡は下館公園になっている。水谷氏は出羽国から羽...
神奈川県箱根町■2024年9月29日(日)■2024年10月5日(日)【歴史】≪古代・中世の箱根~山岳信仰・地蔵信仰の霊場~≫箱根は古くから多くの山伏が入峰し修験道の修練を行った、山岳信仰の地である。箱根神社は757年に万巻(まんがん)が箱根山中で箱根権現を感得し、箱根権現を祀る神社を創建したのが始まりと言われている。鎌倉時代後期から室町時代前期にかけて、地蔵信仰の流行を受けて精進池の周辺に数多くの石...
千葉県佐倉市1:佐倉■2015年10月31日(土)■2024年10月12日(土)【歴史】≪戦国時代から江戸時代前期の佐倉≫戦国時代の佐倉には、千葉氏の家臣である鹿島親幹が城を築いたと言われている。その関係で、馬加(千葉市幕張)にあった千葉氏の菩提寺である海隣寺が佐倉に移されている。佐倉藩がいつ立藩したかは諸説あるが、分かっていることは、1610年に佐倉藩に入封した土井利勝が鹿島親幹の築いた城を近世城郭...
千葉県市原市1:五井■2024年9月23日(祝)【歴史】市原市の中心地である五井は、古代の上総国の中心地だった。≪五井の古墳≫五井には、3世紀後半(古墳時代初期)に造られたと推定される神門古墳群があり、古くから有力な豪族がいたことが窺える。神門古墳群のうち、5号墳が県指定の史跡になっている。また、稲荷台1号墳からは「王賜」と刻印された鉄剣が出土した。稲荷台1号墳自体は宅地開発で消滅し、記念広場にミニ...
千葉県市原市4:市原■2024年9月23日(祝)【歴史】旧市原町の菊間地区は、大政奉還後に沼津藩が移封し、藩庁を構えた地である。大政奉還で江戸幕府が崩壊した後、徳川宗家は静岡藩70万石に減封された。この減封に伴い、沼津藩は玉突き状に上総国に移封となった。*沼津藩の歴史は、静岡県沼津市の記事を参照。沼津藩主の水野忠敬(ただのり)は菊間の千光院を仮陣屋にした後、近くに陣屋を構えた。1871年の廃藩置県...
千葉県市原市2:姉崎■2024年9月16日(祝)【歴史】姉崎には江戸時代末期に鶴牧藩の藩庁が置かれていた。≪鶴牧藩の歴史≫鶴牧藩は1827年に安房北条藩主の水野忠韶が領地替えにより上総国に藩庁を移したことで立藩した。忠韶の家は、水野忠清(水野忠重の四男)の四男である水野忠増を祖とする家柄である。忠増の子の忠位(ただたか)は大坂定番に出世したことで大名となり、跡継ぎの忠定の代から安房北条藩の藩主となっ...
千葉県市原市3:南総■2024年9月16日(祝)【歴史】旧南総町の鶴舞地区は、大政奉還後に浜松藩が移封し、藩庁を構えた地である。大政奉還で江戸幕府が崩壊した後、徳川宗家は静岡藩70万石に減封された。静岡藩の領地は駿河国と遠江国になったため、遠江国の浜松藩は玉突き状に上総国に移封となった。*浜松藩の歴史は、静岡県浜松市の記事を参照。藩主の井上正直は原野だった桐木原を開墾して鶴舞陣屋を構えた。鶴舞陣屋...
神奈川県相模原市2:相模湖■2024年9月14日(土)【歴史】江戸時代の旧相模湖町には、甲州街道の宿場町が2つ(小原宿、与瀬宿)があった。小原宿と与瀬宿の特徴は、両方とも片継ぎの宿場(片道しか継ぎ立てできない宿場)という点にある。江戸から甲府へ向かう場合、人や荷物は小原宿を出たら与瀬宿を飛ばして次の吉野宿に継ぎ立てられる。逆に、甲府から江戸へ向かう場合、人や荷物は与瀬宿を出たら小原宿を飛ばして次の...
神奈川県相模原市1:相模原■2024年9月14日(土)【歴史】相模原は、戦前に陸軍の兵器を製造する相模陸軍造兵廠が設置されたことを契機に発展した町である。1938年に相模原に陸軍造兵廠東京工廠相模兵器製造所が設置され、2年後の1940年に兵器製造所は相模陸軍造兵廠に昇格した。相模原に陸軍の施設が造られたのは、相模原が東京から比較的近く、土地が安価だったためである。また、相模陸軍造兵廠の南側では約1...
千葉県君津市2:上総■2013年4月13日(土)■2024年9月8日(日)【歴史】旧上総町の中心地である久留里は、江戸時代は久留里藩の城下町だった。≪中世の久留里~久留里藩の立藩~≫久留里は安房国と上総国の国境に位置していたことから、中世の久留里は大事な拠点だった。室町時代に上総武田氏が久留里城を構えた後、戦国時代には安房国から上総国、下総国へと勢力を拡大していた里見氏が久留里城を奪取した。里見氏は久...
千葉県君津市1:君津市■2024年9月8日(日)【歴史】≪上総ノリの養殖発祥の地≫君津は近江屋甚兵衛が上総ノリの養殖を始めた地で、その後、上総ノリの養殖は上総国の東京湾沿岸に広がった。近江屋甚兵衛は江戸で海苔商を営んでいたが、54歳のときに一念発起し、ノリづくりに残りの生涯を捧げる決心をした。甚兵衛は、ノリが付着する木の枝(ヒビ)を海に立てることでノリを作ることがてきると確信していた。そこで甚兵衛は...
千葉県多古町■2024年9月7日(土)【歴史】≪中世の多古~千葉氏宗家終焉の地~≫中世の多古は千田荘と呼ばれる荘園で、千葉氏が治めていた。1455年に享徳の乱が起こると、千葉氏の内部で争いが起き、千葉氏宗家で第16代当主の千葉胤直を、千葉氏重臣の原胤房が急襲した。胤直は宗家の一族や家老を引き連れ、多古の多古城や志摩城に逃れた(写真は志摩城跡)。多古城跡は多古台住宅団地として整備されているが、その南端...
1:佐原■2012年12月1日(土)■2024年8月25日(日)【歴史】≪佐原の繁栄の歴史と町並み≫香取市の中心地である佐原は、利根川に流れる小野川の舟運で江戸時代後期から昭和前期まで栄えた町である。江戸時代の利根川東遷事業により小野川が利根川とつながると、利根川は東北地方等からの物資を舟で江戸に運ぶ大動脈となった。佐原は物資の集積地として発展し、川から荷物を揚げるための「だし」と呼ばれる河岸施設が多...
千葉県香取市2:小見川■2024年8月23日(金)【歴史】≪中世の小見川~粟飯原氏~≫中世の小見川は粟飯原氏が治めていた。粟飯原氏は、千葉氏の先祖である千葉常兼の兄弟が、小見川に領地を得て粟飯原の姓を名乗ったのが始まりとされている。粟飯原氏は1199年に小見川城を築城し、戦国時代には千葉氏に与して安房国の里見氏と争った。小見川城は城山公園となり、空堀等の一部が現存する。≪近世の小見川~小見川藩~≫江戸...
東京都府中市■2024年8月15日(木)《東京都屈指の古墳群》府中市には6~7世紀に造られた古墳が多数あり、市内に3つの古墳群がある。13基から成る御嶽塚古墳群の中心的存在である御嶽塚古墳は、西府駅南口のすぐそばにある。25基から成る高倉塚古墳群の中心的存在である高倉塚古墳は、分倍河原駅から徒歩6分ほどの住宅地の中にある。武蔵府中熊野神社古墳は、上から見ると1段目と2段目が正方形で、2段目と3段目...
神奈川県寒川町■2024年8月11日(日)【歴史】≪神奈川県水道記念館~日本で初めての広域水道~≫寒川町にある寒川浄水場は、1936年に開設され、当時から今に至るまで相模川の中流から取水した水を浄水し、二宮町、平塚市、茅ヶ崎市、逗子市などの湘南地方を中心に11市4町に水を供給してきた。寒川浄水場を起点とした広域水道は、当時の上水道は市町村単位で経営されることが普通だったなか、日本で初めて県営での広域...
千葉県鎌ヶ谷市■2024年8月4日(日)【歴史】≪鎌ヶ谷宿~木下街道の宿場町~≫江戸時代の鎌ヶ谷には木下(きおろし)街道が通っており、木下街道の宿場町である鎌ヶ谷宿があった。木下街道は行徳河岸(市川市)と木下河岸(印西市)を結ぶ街道だった。下総国や常陸国の大名が参勤交代で利用したほか、銚子、鹿島灘、霞ヶ浦でとれた魚を江戸まで運ぶために利用された。鎌ヶ谷宿は鎌ヶ谷大仏駅周辺の県道59号沿いにあった。宿...
神奈川県横浜市5:神奈川■2024年5月4日(祝)《神奈川の地名の由来》神奈川の地名の由来の1つに、かつて神奈川小学校東脇に流れていた上無川(カミナシガワ)が訛ったものという説がある。上無川は水量が乏しく、水源が定かでない川だったと言われている。関東大震災後の復興計画で埋め立てられ、現在は川の姿を見ることができない。江戸時代になると、神奈川は東海道の宿場町(江戸から数えて3番目)になった。当時、中...
神奈川県横浜市4:金沢■2024年4月21日(日)【歴史】《鎌倉時代の金沢~金沢北条氏と金沢文庫~》鎌倉時代の金沢には鎌倉幕府の外港「六浦湊」があったことから、鎌倉幕府の海路を通した玄関口であったと同時に、物流の拠点だった。また、金沢には北条実時が創設した金沢文庫があり、日本や中国の本が大量に収められていた。実時は北条氏の分家の金沢(かねさわ)北条氏の家柄で、2代執権北条義時の孫に当たる。寄合衆な...
神奈川県横浜市3:戸塚■2024年3月30日(土)【歴史】《東海道の宿場町、戸塚宿》江戸時代の戸塚は、東海道の宿場町(江戸から5番目の宿場町)だった。戸塚宿は起点の日本橋から約10里(40Km)の距離にあり、朝に江戸を発った旅人の一番目の宿泊地として最適だった。さらに、戸塚には大山道との追分もあり、大山に参詣する旅人にも利用された。そのため、戸塚宿は53ある東海道の宿場の中で10番目に宿泊施設が多...
神奈川県横浜市2:保土ヶ谷■2024年3月30日(土)【歴史】江戸時代の保土ヶ谷は、東海道の宿場町(江戸から4番目の宿場町)だった。保土ヶ谷宿は1601年に設置されたが、1648年に道筋が変わり、現在の天王町、岩間町、帷子町、保土ヶ谷町が保土ケ谷宿になった。旧古町橋跡は、この道筋の変更の歴史を今に伝えるものである。保土ヶ谷宿の江戸方見附(江戸方面の宿場町の出入口)は、シルクロード天王町商店街にあっ...
神奈川県横浜市1:横浜■2024年2月3日(土)■2024年2月10日(土)【歴史】《横浜はかつて入り海だった》横浜は17世紀まで入り海だった。1656年に江戸の商人の吉田勘兵衛がこの入り海を埋め立て新田開発を行い、1667年に完成し、横浜村が成立した。当時は戸数100戸程度の農村で、村民は農業を主体に閑散期は漁業で生計を立てていた。《日米和親条約が横浜で締結された》横浜は1854年3月8日に江戸幕...
東京都武蔵野市■2024年1月20日(土)【歴史】≪中島飛行場の工場の進出≫1938年、武蔵野市には中島飛行機(SUBARU、日産自動車の前身)の工場『武蔵野製作所』が設立された。中島飛行機は1917年に中島知久平が創設した会社で、主に軍用機を製造していた。設立当初は陸軍用の軍用機を製造していたが、1941年に隣接した敷地に『多摩製作所』が設立され、海軍用の軍用機も製造するようになった。さらに、2つ...
東京都中野区■2024年1月5日(金)【史跡】①哲学堂公園1904年に井上円了が創設した公園で、2020年に国指定の名勝に指定された。井上は哲学者だったが、哲学館(後の東洋大学)を創設した教育者でもあり、生涯教育を提唱し全国を行脚し各地で講演会を実施した。哲学堂公園は哲学の世界を視覚的に表現しており、来園者が哲学について学べるような社会教育の場となっている点が大きな特徴である。なお、井上の墓が哲学堂...
東京都北区■2024年1月6日(土)【歴史】≪郡衙と豊島氏~古代から中世の北区~≫奈良時代の北区には豊島郡の郡衙が設置され、豊島郡の中心地だった。郡衙は行政の事務的な仕事を司る郡庁院、庶民から徴収した稲籾を納める正倉院から成り立つ組織だった。跡地は滝野川公園になっており、当時は武蔵国から下総国への最短ルート上にあった。11世紀頃になると、北区には平氏の一族である豊島氏が土着した。豊島氏が14世紀末頃...
東京都杉並区■2024年1月8日(祝)【歴史】江戸時代の杉並区には甲州街道が通り、宿場町(高井戸宿)があった。17世紀、高井戸宿は甲州街道の1番目の宿場町で、下高井戸宿と上高井戸宿の2つの宿場が半月交代でその勤めを果たしていた。しかし、1698年に内藤新宿が置かれると、高井戸宿を素通りする旅人も多くなり、高井戸宿の宿場町としての役割が減少した。なお、高井戸宿は半宿半農だったため、便所を旅人に開放し...
東京都江戸川区■2024年1月4日(木)【歴史】≪小岩市川の関所(渡し)~小岩地区~≫江戸川区の北東部に位置する小岩地区は、江戸川に面していることから、江戸時代に『小岩市川の渡し』と呼ばれる渡し場があった。渡し場があったことを証明するものとして、1839年に造られた常燈明が宝林寺に移され、現存する。小岩市川の渡しには江戸の防衛のため橋は架けられず、『小岩市川関所』が設置された。小岩市川関所のあたりは...
東京都墨田区1:本所■2023年12月17日(日)【歴史】≪本所の始まり≫墨田区南部の本所地区は、1657年の明暦の大火後に開発された地域である。明暦の大火では、千住大橋以外に橋が架けられていないことで多くの江戸町民が逃げ場を失い、10万人が死傷したと言われている。幕府は防災のため、武蔵国と下総国との間に橋を架け(両国橋)、徳山重政に本所の開発を命じ、江戸の町を本所に拡げた。徳山重政の屋敷跡には、徳...
東京都荒川区(南千住)1:南千住■2023年12月10日(日)【歴史】南千住と北千住を結ぶ千住大橋は1594年に架けられた橋で、徳川家康が関東に移封された後に隅田川に初めて架けられた橋だった。千住大橋が架けられてから、千住大橋より上流が隅田川、下流が荒川と区別されていた。ところが、大正時代に人工河川として開削された荒川放水路が1965年に荒川となり、千住大橋の下流も隅田川となったことで、荒川区から...
東京都国分寺市■2023年12月3日(日)国分寺市は市名の通り奈良時代に武蔵国の国分寺が建てられた地である。その他、国分寺市には武蔵国の国分尼寺跡や官道の東山道の跡が残っており、奈良時代の史跡が色濃く残っている。≪東山道武蔵路≫古代の国分寺市には、武蔵国と上野国・下野国(現在の群馬県・栃木県に相当)を結ぶ官道が通っていた。国分寺が建立された当時の武蔵国は東山道に属していたため、この官道は『東山道武蔵...
千葉県酒々井町■2023年11月23日(祝)【歴史】≪千葉氏の本拠地~中世の酒々井~≫戦国時代の酒々井には千葉氏の本拠地である本佐倉城があった。千葉氏が本拠地を本佐倉城に移すまでの歴史は≪千葉市の歴史≫を参照。1455年に鎌倉公方の足利氏と関東管領の上杉氏が対立して勃発した享徳の乱が起こると、千葉氏で内紛が勃発し、宗家の胤直は上杉氏に、分家の康胤(胤直の叔父)は足利氏に組した。この内紛では康胤が勝利し...
千葉県四街道市■2023年11月23日(祝)【歴史】四街道は古くから交通の要衝で、船橋、千葉、東金、成田の4方向への街道が交差していた。このことから「四街道」の地名が名付けられ、市名にも採用された。四街道十字路交差点には、1881年に建てられた石造の道標が現存する。1894年に四街道駅が設置されると、3年後の1897年に「陸軍野戦砲兵射撃学校」が下志津原(佐倉市)から四街道に移された。砲兵学校跡の...
13120-2 東京都練馬区東京都練馬区■2023年11月19日(日)【歴史】≪豊島氏と練馬~中世の練馬~≫平安時代後期から室町時代中期にかけて、練馬では豊島氏が勢力を誇っていた。豊島氏は秩父平氏の一派が豊島郡に土着し起こった氏族と言われている。1476年から始まった「長尾景春の乱」において、豊島氏は長尾景春に味方し、山内上杉家・扇谷上杉家と戦った。しかし、1477年に扇谷上杉家の重臣の太田道灌に敗れ、衰退...
東京都目黒区■2023年10月15日(日)■2023年11月12日(日)【歴史】江戸時代の目黒区には集落や農村が点在していた。例えば、碑文谷(ひもんや)公園にある碑文谷池はかつて碑文谷村の村人たちが共同で管理していた共有地で、下流一帯の水田灌漑の重要な水源として大切に維持・管理されていた。池の中島には、碑文谷村を知行していた旗本の神谷氏が奉献した弁財天像が安置されている、厳島神社が建てられている。ヘ...
東京都江東区2:城東■2023年11月4日(土)【史跡】①中川船番所(中川番所)江東区を横断するように、旧中川と隅田川の間を東西に直線状に流れる小名木川は、江戸時代初期に江戸幕府が開削した運河である。小名木川は近郊の農村で収穫された野菜や東北地方からの年貢米が行き交う物流の大動脈であり、また成田参詣客など人の輸送も多かった。そのため、江戸幕府は小名木川の東端に中川船番所を設置し、主に以下の業務を行っ...
東京都江東区1:深川■2023年11月3日(祝)【歴史】≪深川の起こり≫徳川家康が関東に移封され、江戸の町おこしが進められた江戸時代初期、摂津国出身の深川八郎右衛門は小名木川北岸の新田開発を進めた。その後、八郎右衛門は家康に召し抱えられることになり、開発した地域に八郎右衛門の苗字「深川」が名付けられた。以降、八郎右衛門の家は深川の名主を務めた。深川神明宮は、八郎右衛門が信仰していた伊勢神宮から分霊を...
千葉県我孫子市1:我孫子■2023年10月21日(土)【歴史】≪水戸街道の宿場町~江戸時代の我孫子~≫江戸時代の我孫子は、千住宿(現在の東京都足立区北千住)と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町だった。我孫子宿は千住宿から数えて4番目の宿場町で、本陣・脇本陣の両方を備えた規模の大きい宿場町だった。本陣跡に説明書きを付した杭が建てられている。我孫子宿に現存する史跡として、延寿院(子の神大黒天)への道標がある。≪文...
千葉県木更津市■2023年10月1日(日)【歴史】≪木更津の地名の由来≫木更津の地名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の以下の伝説に因んでいると言われている。景行天皇の命令で東方の蛮族を征伐する日本武尊は、相模国から上総国へ行くため東京湾を渡ろうとした時、にわかに強風が起こり、船が難破しそうになった。妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)は、日本武尊の命を救おうと海中に身を投じ、海神を慰めた。強風は...
東京都清瀬市■2023年7月29日(土)【歴史】≪病院街・清瀬の歴史≫清瀬駅の南口には東京病院を中心に多くの病院が密集し、病院街が形成されている。1931年、清瀬には結核療養所『清瀬病院』が設立された。当時の日本は結核が慢性的に流行しており、不死の病として恐れられていた。清瀬病院の設立に地元の人々は反対していたが、当時の清瀬には病院がなく、村の医療充実のために最終的に設立を受け入れることとなった。1...
東京都三鷹市■2023年9月24日(日)【歴史】≪山本有三と太宰治が暮らした町≫大正時代まで三鷹には農村が広がっていた。しかし、関東大震災後に被災者が三鷹に移住し、1930年に三鷹駅が設置されると、三鷹に町が発展していった。しかし、まだ自然が残り落ち着いた環境だった当時の三鷹には、2人の文人が移住した。①山本有三山本有三は1936年に吉祥寺から三鷹に移住した。三鷹への移住の理由は、落ち着いた執筆環境を...
東京都八王子市(史跡)【史跡】①八王子城■2015年11月14日(土)■2023年9月17日(日)八王子城は1587年に北条氏照が深沢山に築いた山城である。氏照は後北条氏3代当主である北条氏康の三男で、滝山城を根城としていた。滝山城は平山城であったが、平面的な広がりが大きく、各曲輪の高低差が少ないことから、少人数での籠城戦に向かなかった。そこで、氏照は豊臣秀吉の来攻に備え、根城を滝山城から八王子城へ...
東京都八王子市1:八王子■2023年9月2日(土)本記事では八王子市の市街地の歴史について述べる。【歴史】≪平安時代の八王子~横山党の根拠地~≫平安時代の八王子には横山荘があり、武蔵七党の中でも最大勢力を誇った横山党の根拠地だった。八幡八雲神社の境内に横山神社があり、横山党の根拠地と推定されている。横山党を率いた横山氏は小野篁の後衛と言われている。横山氏は鎌倉時代の和田合戦で敗北した和田義盛に味方し...
東京都東村山市■2023年8月19日(土)【特集】①全生園とハンセン病患者隔離の歴史全生園は1909年にハンセン病(らい病)の療養施設として設置された施設である。ハンセン病は神経の麻痺を引き起こす感染病で、罹患すると最終的には顔や手足が変形する。その特異な症状や国の誤った政策により、長い間、患者は差別や偏見にも苦しんできた。現在は感染してから早期に処方すれば完治する治療薬があり、現在の日本の衛生状態...
神奈川県座間市■2023年8月5日(土)【歴史】≪江戸時代の座間~内藤清成の陣屋町~≫江戸時代当初の座間は、内藤清成の所領だった。清成は高遠藩内藤家の先祖にあたる徳川家康の譜代の家臣で、1592年に座間を中心とした相模国東部に5千石の領地を与えられた。清成の屋敷は内藤陣屋と呼ばれ、陣屋のある小路は陣屋小路と呼ばれていた。陣屋小路には今でもわずかに武家屋敷の面影が残っている。清成は内藤新宿に屋敷を構え...
東京都日野市■2023年7月16日(日)【歴史】≪甲州街道の宿場町と現存する本陣≫江戸時代の日野は、江戸城と下諏訪(現在の長野県下諏訪町)を結ぶ甲州街道の宿場町(江戸から数えて10番目)だった。宿場町の規模としては、旅籠20軒、町並みは約1Kmで、比較的小さかった。また、多摩川に面しており、渡船場の管理を担っていた。宿場町の東西の出入口には、それぞれ近隣周辺の住民税たちが力を合わせて地蔵を建てた。現...
神奈川県町田市1:鶴川■2023年7月8日(土)【歴史】≪小野路~府中通り大山道の宿場町~≫鶴川地域にある小野路は、江戸時代、東京都府中市から大山へ向かう府中通り大山道の宿場町だった。この街道は駿府で死去した徳川家康の遺体が久能山から日光に運ばれる際に利用されたことから『御尊櫃御成道』とも呼ばれている。小野路には現在も宿場町の面影が多少残っている。旅籠は6軒あり、そのうちの1軒「角屋」が整備され「小...
神奈川県小田原市1:小田原■2015年12月20日(日)■2023年6月4日(日)■2023年6月10日(土)【歴史】≪戦国時代の小田原の歴史~後北条氏の栄光と衰退~≫16世紀の小田原は、関東の大部分を支配した後北条氏の根城があった地である。1500年頃、伊豆国を支配した北条早雲は大森氏から小田原城(詳細は史跡①を参照)を奪取した。早雲の出自は明らかではないが、室町幕府の政所の執事(上級役人)を務めてい...
神奈川県横須賀市特集:東京湾要塞■2023年5月1日(月)■2023年5月2日(火)■2023年5月6日(土)東京湾要塞は、海上では東京への玄関口となる東京湾周辺の防衛力を上げるために、明治時代に設置された要塞である。要塞は、東京湾で最も幅が狭い観音崎・富津岬(千葉)間を防衛線とし、その防衛線の周辺に32の砲台と海堡と呼ばれる人工島が築かれた。砲台は、水深が深く戦艦が航行できる三浦半島側に集中して築...
神奈川県横須賀市1:横須賀■2023年5月1日(月)■2023年5月2日(火)【歴史】≪横須賀製鉄所の設立≫横須賀の発展は、幕府が横須賀に製鉄所を設立したことから始まった。日米修好通商条約批准書交換のために1860年にアメリカを訪れた幕府の役人の小栗忠順は、海軍力の増強や軍艦の製造で諸外国に対応するために日本の近代化が必要と考え、様式の近代的な製鉄所の設立を進言した。小栗の進言は受け入れられ、幕府はフ...
神奈川県横須賀市2:久里浜・浦賀■2023年5月1日(月)■2023年5月6日(土)【歴史】≪奉行所が置かれた港町~江戸時代の浦賀~≫江戸時代の浦賀は鰯の産地として有名だった。当時は干した鰯(干鰯)が作物の肥料として重宝されたため、浦賀には干鰯の問屋が相次いで建てられた。干鰯の問屋の1つ「湯浅屋」の跡地(ミニストップ横須賀東浦賀店)に解説板が掲げられている。18世紀になると江戸の町が発展し、江戸に運ば...
神奈川県川崎市1:川崎■2023年4月14日(金)【歴史】≪東海道の宿場町~川崎宿~≫江戸時代の川崎は、東海道の宿場町(江戸から2番目の宿場町)だった。品川宿と神奈川宿の間は20Kmほど距離があったため、間にあった川崎は1623年に宿場町に指定された。これは、東海道の宿場町の中では最も遅かった。川崎宿には田中本陣、佐藤本陣、惣兵衛本陣の3軒の本陣があった(このうち、惣兵衛本陣は江戸時代後期に廃業)。...
千葉県成田市1:成田■2023年4月16日(日)【歴史】≪全国有数の参拝客を集める新勝寺≫成田の中心地は、新勝寺の門前町をベースに発展した。939年に関東で平将門の乱が起きると、寛朝大僧正は朱雀天皇の密勅を受けて不動明王(空海が開眼)を持参して関東に下り、成田で平和祈願の護摩を3週間修めた。その満願の日に乱は平定し、寛朝はその不動明王を本尊に新勝寺を開山した。江戸時代になると、新勝寺は江戸から近いこ...
千葉県成田市2:下総■2023年4月1日(土)【歴史】≪高岡藩の藩庁≫旧下総町は、江戸時代に高岡藩の陣屋が置かれた地である。高岡藩は、井上正就(2代将軍徳川秀忠の時代に老中を務めた)の弟の政重が大名に出世し、1640年に成立した藩である。政重はキリシタン禁教政策を推進した中心人物で、大名や朝廷を監視する大目付を務めたことで、出世した。政重は江戸に定府したが、曾孫で3代藩主の政蔽(まさあきら)の時に居...
神奈川県藤沢市■2023年3月9日(木)【歴史】≪東海道の宿場町~藤沢宿~≫江戸時代の藤沢は、東海道の宿場町(江戸から6番目の宿場町)だった。藤沢は江戸時代より前から遊行(ゆぎょう)寺の門前町として栄えていた。遊行寺は時宗の総本山で、第4代遊行上人(時宗の指導者)の呑海が創建した寺である。徳川家康が1590年の小田原征伐の後に関東に入った後、関東の各地で徳川家専用の休憩施設(御殿)が設置された。御殿...
神奈川県鎌倉市■2023年2月18日(土)■2023年2月23日(祝)■2023年3月4日(土)【歴史】《源頼朝の鎌倉入府と都市鎌倉の整備》源頼義が鎌倉を領地として譲り受けて以来、鎌倉は河内源氏のゆかりの地となった。これにより、子孫の源義朝は鎌倉に館を構えた。平治の乱で伊豆に流された源頼朝(源義朝の子)は、1180年に打倒平氏の命令を受けて挙兵し、同年鎌倉に入府した。頼朝は現在の清泉小学校の辺りに大...
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神奈川県鎌倉市(特集:鶴岡八幡宮と鎌倉五山)■2023年2月18日(土)■2023年3月4日(土)【史跡】①鶴岡八幡宮(5)鶴岡八幡宮の始まりは、源頼朝の5代前の頼義まで遡る。頼義は前九年の役で奥州を鎮定した後、そのお礼として1063年に源氏の守り神である石清水八幡宮を由比郷鶴岡(現在の材木座一丁目)に勧請した。1180年、挙兵し鎌倉に入った頼朝は祖先を崇めるため、鶴岡八幡宮を大臣山の麓(現在の場所...
神奈川県鎌倉市(特集:日蓮と鎌倉)■2023年2月26日(日)■2023年3月4日(土)日蓮は鎌倉時代に日蓮宗(法華宗)を開宗した僧である。鎌倉には日蓮に関する史跡が点在し、時系列に沿って以下に記載する。《鎌倉での活動の開始》法華宗に目覚めて念仏を間違った考え方と批判した日蓮は建長年間(1249~56)に鎌倉で活動を始めた。活動の拠点に日蓮は松葉ヶ谷を選び、そこに草庵を構えた。草庵跡は妙法寺の本堂の...
千葉県松戸市1:松戸■2023年1月9日(祝)【歴史】≪水戸街道の宿場町~江戸時代の松戸~≫江戸時代の松戸は、水戸街道の宿場町(松戸宿)だった。水戸街道は千住宿から分岐し水戸までを結ぶ街道で、松戸宿は千住宿から数えて2番目の宿場町だった。松戸宿は米が豊富であったことから、餅菓子や煎餅を販売する店が多かったと言い伝えられている。松戸宿は江戸川に面しており、渡し船で江戸川を横断していた。渡船場跡の辺りに...
千葉県流山市1:流山■2023年1月9日(祝)【歴史】≪みりん(味醂)と流山≫流山がみりんの産地で有名になったのは、安永年間(1772年~1781年)以降のことである。安永年間までみりんは関西で作られた色の濃いものが主流だったが、堀切家と秋元家が切磋琢磨し「白みりん」を開発・改良し、流山をみりんの産地にした。①堀切家堀切家は「万上味醂」と呼ばれるみりんを開発し、万上味醂株式会社となりみりんを製造し続け...
千葉県富津市1:富津■2022年12月29日(木)本稿では、高度経済成長期に富津町だったエリア(旧青堀町、旧飯野村、旧富津町)の歴史について記す。【歴史】≪内裏塚古墳群~古代の富津~≫旧青堀町および旧飯野村の地域には47の古墳が点在し、須恵国(現在の周准郡)を支配していた国造およびその一族の墓と推測されている。その中で最大規模の古墳である内裏塚古墳は、140メートル余りの前方後円墳で、国造の墓と考え...
千葉県富津市2:佐貫■2022年12月29日(木)【歴史】中世から近世の佐貫は、佐貫城を中心に歴史を紡いできた。佐貫城は戦国時代に真里谷武田氏が築城したと言われ、その後は里見氏の城になった。≪佐貫藩の成立≫豊臣秀吉の小田原征伐の後、里見氏は安房国の1国のみの大名に追いやられた。徳川家康の関東転封の後、佐貫城には内藤家長が入城し、佐貫藩が立藩(2万石)した。内藤家は古くから松平家(徳川家)に仕えていた...
千葉県千葉市1:千葉■2022年11月26日(土)【歴史】≪千葉を代表する貝塚、加曽利貝塚~縄文時代の千葉~≫台地が多く都川と鹿島川の分水界にあたる千葉市は縄文時代の貝塚が多く見られ、分かっているだけでも124ヶ所ある。その中でも代表的な貝塚が、特別史跡に指定されている加曽利貝塚である。加曽利貝塚は規模の大きい貝塚であるだけでなく、異なる年代の貝塚を一度に見ることができる貴重な遺産である。環状で直径...
千葉県千葉市2:稲毛■2022年12月3日(土)【歴史】明治時代の稲毛は半農半漁の小さな海辺の街だったが、徐々にリゾート地として開発された。1888年に千葉県で初の海水浴場が開かれ、その11年後に総武本線の駅が設置されると、稲毛は海水浴や潮干狩り客で賑わうようになった。当時の海水浴は「海気」による病気療養や健康療養の1つだったことから、稲毛には「稲毛海気療養所」が設置され、後に「海気館」という旅館...
千葉県船橋市■2022年11月12日(土)【歴史】≪炉穴が初めて見つかった貝塚~飛ノ台貝塚~≫現在より海抜の高かった縄文時代の船橋では、低地は海面下にあり、台地は海に面していた。そのため、船橋市内には多くの貝塚が見られる。中でも、海神中学校で1938年に発見された飛ノ台貝塚は、炉穴が初めて見つかった貝塚として、国指定の史跡になっている。炉穴とは、野外で調理を行うための物で、煙道部分に土器を立てて土器...
川越市■2013年4月14日(日)■2015年11月3日(祝)■2022年11月3日(祝)【歴史】≪中世の川越≫平安時代末期から南北朝時代の川越は、河越氏が治めていた。河越氏は桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族で、武蔵国でも有力な武士だった。養寿院には、河越重頼の墓と伝えられている墓石がある。重頼は武蔵国の軍事統率権を有するほどの武士で、当初は源頼朝と敵対していたが、衣笠城合戦の後に頼朝に服従し、鎌倉幕...
東京都新宿区1:新宿■2022年10月22日(土)【歴史】≪江戸時代の新宿≫江戸時代の新宿は、江戸城の西門(半蔵門)を警固するため、武家屋敷が広がっていた。新宿の武家屋敷の中には高遠藩内藤家の屋敷があり、広大な土地を有していた。高遠藩内藤家の屋敷の跡地は新宿御苑(詳細は史跡①を参照)になっている。新宿御苑の側にある「多武峰内藤神社」は、屋敷内にあった神社が移されたものである。神社には、内藤家の先祖とさ...
東京都新宿区2:牛込■2022年10月16日(日)牛込地域は新宿区の北東部に位置し、神楽坂や早稲田が該当する。【歴史】≪戦国時代の牛込≫戦国時代の牛込は、牛込氏という豪族が治めていた。牛込氏は、藤原秀郷を先祖とする大胡氏の末裔と言い伝えられている。地蔵坂にある光照寺は、牛込氏の根城である牛込城の跡に建てられた寺である。牛込氏は後北条氏に仕え、小田原征伐後は徳川氏に仕え、旗本となった。牛込氏の墓所は宗...
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東京都新宿区(特集:明治神宮外苑・防衛省市ヶ谷地区)■2022年10月11日(火)【史跡】≪明治神宮外苑≫明治時代の明治神宮外苑(以下、神宮外苑と略す)は、軍人の訓練施設「青山練兵場」だった。また、青山練兵場では明治天皇が見学する中、軍事パレード(観兵式)が数回行われた。明治天皇が見学の際に腰かけていた場所の目印となっていた榎が「御観兵榎」と名付けられ、現在は二代目が立っている。1912年に明治天皇...
埼玉県所沢市1:所沢■2022年9月23日(祝)【歴史】所沢は日本で初めて飛行場が設置された地である。日本初の飛行場「所沢飛行場」の跡地は「所沢航空記念公園」となっており、園内に「航空発祥の地」と書かれた石碑がある。1903年にライト兄弟が人類初の動力飛行に成功した(飛行機を発明した)後、先進国は競い合うように飛行機を発展させていき、航空機の軍事利用を推し進めた。日本は1909年に公的な航空機研究...
埼玉県入間市■2022年9月23日(祝)1:豊岡旧豊岡町は入間市駅周辺一帯の地域(旧豊岡町)を指し、入間市の中心地である。【歴史】≪日本有数の製糸会社、石川組製糸所≫豊岡には明治から昭和初期にかけて製糸会社「石川組製糸所」があった。創業者は地元の農家出身の石川幾太郎で、いち早く蒸気力による機械製糸を導入したことで、日本有数の製糸会社に成長させた。最盛期の石川組製糸所は全国に9軒の工場を有し、生糸出産...
東京都港区3:芝■2022年9月17日(土)芝地区はJR山手線・京浜東北線の新橋~田町駅間の西側一帯のエリアを指す。【歴史】≪徳川将軍家の菩提寺、増上寺≫芝地区には、徳川将軍家の菩提寺の増上寺がある。室町時代に聖聡という僧が、現在の紀尾井町に増上寺を創建した。聖聡の弟子や孫弟子は、徳川将軍家の先祖にあたる松平宗家が開基した寺院をいくつか開山した。この縁もあり、徳川家康は増上寺を菩提寺とし、江戸城の裏...
東京都港区4:赤坂■2022年9月17日(土)【歴史】≪江戸時代の赤坂~武家屋敷跡~≫江戸時代の赤坂は大名や旗本の屋敷が林立していた。・長州藩下屋敷跡檜町公園は長州藩下屋敷の跡地で、園内の池に大名庭園の面影が残っている。なお、明治時代から終戦までは歩兵第一連隊の駐屯地だった。公園の南東の隅に「歩一の跡」と書かれた石碑が建てられている。・三次藩浅野家下屋敷跡三次藩浅野家は1718年に跡継ぎがなくお家断...
東京都港区2:芝浦港南■2022年9月3日(土)芝浦港南地区は明治時代以降に埋め立てによりできた地区で、台場、芝浦、港南、海岸の一部が該当する。【史跡】①品川第三台場東京を代表する観光スポットとなっているお台場には、その名の由来となっている台場が江戸時代末期に建造された。ペリー来航後、江戸幕府は東京湾の海防を強化するため、台場(砲台)を東京湾に設置した。台場は11基建造する計画であったが、そのうち完...
東京都港区1:高輪■2022年9月3日(土)【歴史】≪赤穂事件ゆかりの地≫高輪は赤穂事件にゆかりのある地である。赤穂事件とは、1702年に赤穂藩士46人が吉良義央の屋敷に乱入し、主君である赤穂藩主の浅野長矩の仇をはらした事件である。浅野長矩は遺恨から江戸城内で吉良義央を切りつけたことで切腹となり、家も改易となった。しかし、吉良義央には何のお咎めもなく、赤穂藩士はこれに反発し、事件を起こした。吉良義央...
東京都足立区1:千住■2022年8月29日(月)足立区で随一の繁華街である千住は、江戸時代は日光街道・奥州街道の宿場町だった。【歴史】≪千住の町の始まり≫千住の町は、16世紀末に石出吉胤が開発した町である。吉胤は千葉氏一族の末裔と伝えられ、千住大橋の架橋工事に参加し、掃部堤と呼ばれる堤防を築いたことで、千住を水害から守った。吉胤の子孫は代々名主を務め、吉胤の墓は源長寺にある。≪日光街道・奥州街道の宿場...
東京都葛飾区1:柴又■2022年8月29日(月)【歴史】≪柴又の観光の中心、柴又帝釈天≫柴又帝釈天は、正式名称を経栄山題経寺と号する日蓮宗の寺院で、1629年に創建された。150年後の1779年、本堂の改修の際、日蓮宗の開祖である日蓮が刻んだと伝えられる帝釈天像の版木(板本尊)が見つかり、題教寺に参詣する人が急増した。柴又帝釈天の境内にある『帝釈天出現由来碑』は、この言い伝えを石碑に刻んだものである...
東京都豊島区3:長崎■2022年8月20日(土)本記事では、長崎地域(旧長崎町)の歴史について記載する。【歴史】≪昭和を代表する漫画家が集住したトキワ荘≫長崎地域の椎名町には、昭和を代表する漫画家が集住したトキワ荘があり、日本の漫画界に大きな影響を与えた。太平洋戦争後の池袋には、映画館やデパートなどの商業・歓楽施設が次々に建てられ、10代・20代の若者層向けの木造賃貸アパートが周辺の長崎地域にも相次...
東京都豊島区2:巣鴨■2022年8月20日(土)本記事では、巣鴨地域(旧巣鴨町)の歴史について記載する。【歴史】≪植木職人のムラとソメイヨシノ≫駒込六丁目・七丁目の辺りは、江戸時代に染井村と呼ばれていた。江戸時代の染井村の周辺には大名の下屋敷があり、染井村の農民が屋敷の庭園の手入れに駆り出された。染井村の農民たちは次第に園芸の技術を習得し、菊づくりで多くの見物客を集めるほどになった。中でも、伊藤政武...
東京都豊島区1:池袋■2022年8月19日(金)本記事では、高田地域(旧高田町)と西巣鴨地域(旧西巣鴨町)を合わせて池袋と称し、その歴史について記載する。【歴史】≪江戸時代から多くの人々に参拝される鬼子母神≫江戸時代の池袋は、江戸近郊の一農村だった。雑司ヶ谷の鬼子母神には、江戸時代から多くの人々が参拝した。安産の神様として人々に信仰されていた鬼子母神像が1561年に掘り出され、1578年に雑司ヶ谷に...
東京都文京区2:小石川■2022年8月11日(祝)【歴史】≪江戸時代の小石川~大名屋敷の林立する町~≫江戸時代の小石川には、大名屋敷が林立していた。・水戸藩水戸藩の屋敷(中屋敷⇒上屋敷)の庭園が小石川後楽園(詳細は史跡①を参照)として現存する。1855年の安政の大地震において、藤田東湖が母を助けるために建物の下敷きとなり圧死した。藤田は当時の藩主であった徳川斉昭の重臣で、当時は屋敷に住んでいた。藤田が...
東京都文京区1:本郷■2022年7月30日(土)【歴史】≪江戸時代の本郷≫江戸時代の当初の本郷は町はずれであったが、1657年の明暦の大火の後、多くの大名屋敷が本郷に移された。本郷にあった大名屋敷には、加賀藩上屋敷(現在の東京大学)、大聖寺藩江戸屋敷(現在の須藤公園)、柳沢家(郡山藩)下屋敷などがある。特に、柳沢家下屋敷の庭園は六義園として現存し、国の特別名勝に指定されている。本郷には中山道が通り、...
東京都中央区3:月島■2022年7月23日(土)【歴史】月島地域は佃島・石川島およびその辺りの埋立地を指す地域である。江戸時代当初は無人島や干潟が点在していたが、江戸時代に大阪の漁師が佃島を、幕府船手頭(幕府の水軍のリーダー)の石川八左衛門が石川島を拝領し、月島の歴史が始まった。明治時代には佃島・石川島の南側が埋め立てられ、現在の月島になった。≪漁業の町だった佃島≫佃島は、1644年に摂津国西成郡佃...
東京都中央区2:日本橋■2022年7月23日(土)【歴史】日本橋地域は日本橋を中心とした、中央区北部エリアである。地域の名前になっている日本橋は、徳川家康が全国の街道を整備するに当たり、日本橋川(当時は平川)に架けた橋を五街道の起点に定めた。現在でも日本橋は国道1号・4号・6号・14号・15号・17号・20号の7本の幹線国道の起点となっていることから、日本国道路元標が道路の真ん中に設置されている。...
東京都中央区1:京橋■2022年7月18日(祝)【歴史】京橋地域は銀座、築地、明石町などを有する、中央区南部エリアである。地域の名前になっている京橋は、日本橋を出て東海道で京都へ向かう際に最初に渡る橋だったことから名付けられた。京橋は京橋川に架けられていたが、戦後に京橋川が埋め立てられ、京橋も取り壊された。跡地には、1875年に石造で建て替えられた京橋の親柱が2基と、1923年の拡張工事でアール・...
東京都台東区2:下谷■2022年6月25日(土)【歴史】上野公園がある下谷地区は、大部分が寛永寺の寺域だった。戊辰戦争における上野戦争で、寛永寺は壊滅的な被害を受け、焼野原となった大部分が上野公園として整備された。また、江戸時代からの寺町である谷中や、日本最大級の共同墓地である谷中霊園があり、多くの偉人が眠っている。≪上野公園の歴史~寛永寺の創建と戦乱による衰退、公園としての再出発~≫寛永寺は162...
東京都台東区1:浅草■2022年6月20日(月)【歴史】浅草地区は、浅草寺を中心に江戸時代から歓楽街・商業地として栄え、その繁栄ぶりは現在に至るまで続いている。江戸時代は、江戸最古の古刹である浅草寺、芝居小屋が集められた猿若町、江戸最大の米蔵・問屋があった蔵前、江戸幕府公認の遊郭街の吉原が、浅草の歓楽街・商業地を構成していた。なお、明暦の大火後に形成された新寺町には、多くの歴史上の偉人が眠っている...
東京都千代田区2:神田■2022年6月4日(土)【歴史】旧神田区に当たる神田地区は、江戸城と神田川に挟まれた地域で、西側は武家地、東側は町人地に別れていた。≪神田の西側(駿河台)~旗本屋敷から学生街へ~≫神田の西側は、江戸時代に旗本屋敷が密集していた。駿河国に隠居していた徳川家康の死後、家康の家臣団が駿河から江戸に引き揚げ、神田の西側に移住した。このことから、神田の西側は駿河台とも呼ばれるようになっ...
東京都千代田区特集:江戸城跡■2014年8月16日(土)■2022年6月4日(土)【歴史】百名城に選定されている江戸城は、1457年に太田道灌によって築城された。その後、江戸城は上杉氏を経て、後北条氏の城となった。1590年の小田原征伐の後、関東に移封された徳川家康は、江戸城を大幅に増改築し、徳川将軍家の根城とした。江戸時代には、江戸城で幕府による政治が行われた。明治時代になると、明治天皇が東京に遷...
タイトルの通り、YouTubeで動画投稿もやっております。動画では、私が訪れたことのある市町村の歴史をわかりやすく紹介しております。よろしければ、YouTubeの動画も見てみてください!地域の歴史紹介チャンネル(別ウインドウでYouTubeに飛びます)...
東京都千代田区2:麹町■2022年5月22日(日)【歴史】旧麹町区に当たる麹町地区は、おおよそ皇居(江戸城跡)の外周を指す。≪江戸時代の麹町地区の概況≫地区名になっている麹町は、江戸城の裏門だった半蔵門から四谷見附の間の、甲州街道沿いの町だった。麹町には町人が住んでおり、店が建ち並んでいた。なお、見附は敵の侵入を防ぐための見張り所で、枡形の城門だった。JR四ッ谷駅の麹町口のすぐ近くに、城門の石垣が残...
東京都世田谷区1:世田谷■2022年5月7日(土)【歴史】≪中世の世田谷~吉良氏の城下町~≫中世の世田谷は武蔵吉良氏の城下町だった。武蔵吉良氏は足利義氏の四男の吉良義継を先祖とする家で、三男の吉良長氏を先祖とする三河吉良氏(赤穂事件で改易となる吉良氏)とは親戚関係にある。武蔵吉良氏は世田谷に土着し、世田谷城を築いて根城にした。世田谷城跡は公園として整備されており、堀や土塁の一部が現存する。武蔵吉良氏...
東京都世田谷区2:烏山■2022年5月7日(土)【史跡】①烏山寺町世田谷の小京都とも言われる烏山寺町は、関東大震災による寺の集団移転で形成された寺町である。≪烏山寺町の歴史~成り立ち・環境協定による保存~≫1923年の関東大震災の後、東京では被害の大きかったエリアを中心に大規模な土地区画整理事業が行われた。この事業に協力して土地を提供した寺が烏山に移り、最終的に烏山には26軒の寺院から成る寺町が形成さ...
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茨城県結城市■2025年1月19日(日)【歴史】≪戦国時代の結城~結城氏の治世~≫戦国時代の結城は結城氏が治めていた。結城氏は、藤原秀郷の末裔である小山政光の三男の朝光が所領の結城を姓として名乗ったのが始まりである。朝光は鎌倉幕府を築いた源頼朝の側近として活躍し、1235年には評定衆にも任命された。晩年は出家し、自ら称名寺を建立したことから、朝光の墓が称名寺にある。結城氏は結城城を築城し、根城とした...
千葉県館山市■2025年1月12日(日)■2025年1月13日(祝)【歴史】≪里見氏の興亡~戦国時代から江戸時代初期までの館山~≫戦国時代の館山は安房里見氏が治めていた。里見氏は源氏の新田氏の分家と言われ、現在の群馬県高崎市榛名町の里見郷から里見氏を名乗ったと言われている。15世紀に鎌倉公方足利氏が上杉氏との戦いを有利にするため、里見義実を安房に送ったことが安房里見氏の始まりと言われている。安房里見氏...
千葉県鋸南町1:勝山■2025年1月13日(祝)【歴史】≪安房勝山藩の歴史≫江戸時代の勝山は安房勝山藩の陣屋町だった。安房勝山藩は、里見氏が伯耆国に配流されて館山藩が廃藩になってから10年後の1624年に内藤清政が勝山に封じられ、立藩した(3万石)。しかし、清政とその弟の正勝が相継いで亡くなると、正勝の嗣子の重頼がまだ2歳であったことから0.5万石に除封され、廃藩となった。なお、重頼の養子の清枚は初...
茨城県水戸市1:水戸■2015年9月27日(日)■2024年12月1日(日)■2025年1月5日(日)【歴史】≪中世の水戸から水戸徳川家の誕生まで≫鎌倉時代、大掾資幹が水戸に水戸城(詳細は史跡①を参照)を築城した。その後、15世紀前半に江戸氏(常陸国那珂郡江戸を発祥とする武士)が水戸城を奪取し根城としたが、1590年に佐竹氏が江戸氏を攻め滅ぼし、佐竹氏の本城となった。関ヶ原の戦い後に佐竹氏が出羽国秋田に...
茨城県桜川市1:真壁■2013年3月2日(土)■2025年1月4日(土)【歴史】≪中世の真壁~真壁氏と真壁城~≫中世の真壁には真壁城があり、多気氏(大掾氏の惣領家)の分家である真壁氏が真壁城を根城に真壁を治めていた。真壁氏は最終的に佐竹氏の家臣となり、関ヶ原の戦い後に佐竹氏の出羽国秋田への転封に随行した。真壁家の墓所が遍照院にあり、約40基の五輪塔が建ち並んでいる。真壁城は堀、土塁、虎口など中世の山城...
茨城県かすみがうら市1:千代田■2024年11月17日(日)【歴史】石岡市との市境に接する志筑地区は、江戸時代に志筑(しづく)陣屋があった地区である。志筑陣屋は、領主の本堂氏によって、中世に築かれた志筑城跡に築かれた。本堂氏の出自は、和賀郡(現在の岩手県西和賀町)で勢力を誇っていた和賀氏の庶流と言われているが、はっきりしない。戦国時代の本堂氏は、現在の秋田県美郷町あたり一帯を支配する小大名だった。...
茨城県石岡市1:石岡■2024年11月17日(日)【歴史】≪古代の石岡~常陸国の中心~≫古代の石岡は常陸国の中心地で、常陸国の国府が置かれていた。常陸国府跡が石岡小学校の校庭から発掘された。また、奈良時代の石岡には国分寺および国分尼寺も建てられていた。国分寺跡の説明板が現在の国分寺の山門前にある。国分尼寺跡は府中小学校の北隣にある。古代の常陸国は朝廷の勢力の及ばない陸奥国と接していたため、陸奥国の蝦...
茨城県下妻市1:下妻■2024年11月4日(祝)【歴史】≪多賀谷氏の歴史~中世の下妻~≫中世の下妻は多賀谷氏が多賀谷城を築いて治めていた。多賀谷氏は武蔵七党の1つである野与党(現在の埼玉県加須市に勢力のあった武士団)をルーツとする一族である。関東の有力な守護大名だった結城氏に仕えたが、結城氏からの独立を度々画策したと言われている。多賀谷城の本丸跡が「多賀谷城跡公園」として整備されている。下妻第一高等...
茨城県筑西市1:下館■2024年10月27日(日)【歴史】≪水谷氏と下館藩の成立≫関東の有力な守護大名だった結城氏の家臣である水谷(みずのや)氏は、1478年に結城氏から下館の地を拝領し、下館城を築城した。下館城は勤行川が流れる崖と沼に挟まれ、四方を幾重もの壕で囲んだ城だった。本丸跡は城山八幡神社になっている。下館城は後の時代に下館藩の藩庁となった。出丸跡は下館公園になっている。水谷氏は出羽国から羽...
神奈川県箱根町■2024年9月29日(日)■2024年10月5日(日)【歴史】≪古代・中世の箱根~山岳信仰・地蔵信仰の霊場~≫箱根は古くから多くの山伏が入峰し修験道の修練を行った、山岳信仰の地である。箱根神社は757年に万巻(まんがん)が箱根山中で箱根権現を感得し、箱根権現を祀る神社を創建したのが始まりと言われている。鎌倉時代後期から室町時代前期にかけて、地蔵信仰の流行を受けて精進池の周辺に数多くの石...
千葉県佐倉市1:佐倉■2015年10月31日(土)■2024年10月12日(土)【歴史】≪戦国時代から江戸時代前期の佐倉≫戦国時代の佐倉には、千葉氏の家臣である鹿島親幹が城を築いたと言われている。その関係で、馬加(千葉市幕張)にあった千葉氏の菩提寺である海隣寺が佐倉に移されている。佐倉藩がいつ立藩したかは諸説あるが、分かっていることは、1610年に佐倉藩に入封した土井利勝が鹿島親幹の築いた城を近世城郭...
千葉県市原市1:五井■2024年9月23日(祝)【歴史】市原市の中心地である五井は、古代の上総国の中心地だった。≪五井の古墳≫五井には、3世紀後半(古墳時代初期)に造られたと推定される神門古墳群があり、古くから有力な豪族がいたことが窺える。神門古墳群のうち、5号墳が県指定の史跡になっている。また、稲荷台1号墳からは「王賜」と刻印された鉄剣が出土した。稲荷台1号墳自体は宅地開発で消滅し、記念広場にミニ...
千葉県市原市4:市原■2024年9月23日(祝)【歴史】旧市原町の菊間地区は、大政奉還後に沼津藩が移封し、藩庁を構えた地である。大政奉還で江戸幕府が崩壊した後、徳川宗家は静岡藩70万石に減封された。この減封に伴い、沼津藩は玉突き状に上総国に移封となった。*沼津藩の歴史は、静岡県沼津市の記事を参照。沼津藩主の水野忠敬(ただのり)は菊間の千光院を仮陣屋にした後、近くに陣屋を構えた。1871年の廃藩置県...
千葉県市原市2:姉崎■2024年9月16日(祝)【歴史】姉崎には江戸時代末期に鶴牧藩の藩庁が置かれていた。≪鶴牧藩の歴史≫鶴牧藩は1827年に安房北条藩主の水野忠韶が領地替えにより上総国に藩庁を移したことで立藩した。忠韶の家は、水野忠清(水野忠重の四男)の四男である水野忠増を祖とする家柄である。忠増の子の忠位(ただたか)は大坂定番に出世したことで大名となり、跡継ぎの忠定の代から安房北条藩の藩主となっ...
千葉県市原市3:南総■2024年9月16日(祝)【歴史】旧南総町の鶴舞地区は、大政奉還後に浜松藩が移封し、藩庁を構えた地である。大政奉還で江戸幕府が崩壊した後、徳川宗家は静岡藩70万石に減封された。静岡藩の領地は駿河国と遠江国になったため、遠江国の浜松藩は玉突き状に上総国に移封となった。*浜松藩の歴史は、静岡県浜松市の記事を参照。藩主の井上正直は原野だった桐木原を開墾して鶴舞陣屋を構えた。鶴舞陣屋...
神奈川県相模原市2:相模湖■2024年9月14日(土)【歴史】江戸時代の旧相模湖町には、甲州街道の宿場町が2つ(小原宿、与瀬宿)があった。小原宿と与瀬宿の特徴は、両方とも片継ぎの宿場(片道しか継ぎ立てできない宿場)という点にある。江戸から甲府へ向かう場合、人や荷物は小原宿を出たら与瀬宿を飛ばして次の吉野宿に継ぎ立てられる。逆に、甲府から江戸へ向かう場合、人や荷物は与瀬宿を出たら小原宿を飛ばして次の...
神奈川県相模原市1:相模原■2024年9月14日(土)【歴史】相模原は、戦前に陸軍の兵器を製造する相模陸軍造兵廠が設置されたことを契機に発展した町である。1938年に相模原に陸軍造兵廠東京工廠相模兵器製造所が設置され、2年後の1940年に兵器製造所は相模陸軍造兵廠に昇格した。相模原に陸軍の施設が造られたのは、相模原が東京から比較的近く、土地が安価だったためである。また、相模陸軍造兵廠の南側では約1...
千葉県君津市2:上総■2013年4月13日(土)■2024年9月8日(日)【歴史】旧上総町の中心地である久留里は、江戸時代は久留里藩の城下町だった。≪中世の久留里~久留里藩の立藩~≫久留里は安房国と上総国の国境に位置していたことから、中世の久留里は大事な拠点だった。室町時代に上総武田氏が久留里城を構えた後、戦国時代には安房国から上総国、下総国へと勢力を拡大していた里見氏が久留里城を奪取した。里見氏は久...
千葉県君津市1:君津市■2024年9月8日(日)【歴史】≪上総ノリの養殖発祥の地≫君津は近江屋甚兵衛が上総ノリの養殖を始めた地で、その後、上総ノリの養殖は上総国の東京湾沿岸に広がった。近江屋甚兵衛は江戸で海苔商を営んでいたが、54歳のときに一念発起し、ノリづくりに残りの生涯を捧げる決心をした。甚兵衛は、ノリが付着する木の枝(ヒビ)を海に立てることでノリを作ることがてきると確信していた。そこで甚兵衛は...
千葉県多古町■2024年9月7日(土)【歴史】≪中世の多古~千葉氏宗家終焉の地~≫中世の多古は千田荘と呼ばれる荘園で、千葉氏が治めていた。1455年に享徳の乱が起こると、千葉氏の内部で争いが起き、千葉氏宗家で第16代当主の千葉胤直を、千葉氏重臣の原胤房が急襲した。胤直は宗家の一族や家老を引き連れ、多古の多古城や志摩城に逃れた(写真は志摩城跡)。多古城跡は多古台住宅団地として整備されているが、その南端...
神奈川県横浜市4:金沢■2024年4月21日(日)【歴史】《鎌倉時代の金沢~金沢北条氏と金沢文庫~》鎌倉時代の金沢には鎌倉幕府の外港「六浦湊」があったことから、鎌倉幕府の海路を通した玄関口であったと同時に、物流の拠点だった。また、金沢には北条実時が創設した金沢文庫があり、日本や中国の本が大量に収められていた。実時は北条氏の分家の金沢(かねさわ)北条氏の家柄で、2代執権北条義時の孫に当たる。寄合衆な...
神奈川県横浜市3:戸塚■2024年3月30日(土)【歴史】《東海道の宿場町、戸塚宿》江戸時代の戸塚は、東海道の宿場町(江戸から5番目の宿場町)だった。戸塚宿は起点の日本橋から約10里(40Km)の距離にあり、朝に江戸を発った旅人の一番目の宿泊地として最適だった。さらに、戸塚には大山道との追分もあり、大山に参詣する旅人にも利用された。そのため、戸塚宿は53ある東海道の宿場の中で10番目に宿泊施設が多...
神奈川県横浜市2:保土ヶ谷■2024年3月30日(土)【歴史】江戸時代の保土ヶ谷は、東海道の宿場町(江戸から4番目の宿場町)だった。保土ヶ谷宿は1601年に設置されたが、1648年に道筋が変わり、現在の天王町、岩間町、帷子町、保土ヶ谷町が保土ケ谷宿になった。旧古町橋跡は、この道筋の変更の歴史を今に伝えるものである。保土ヶ谷宿の江戸方見附(江戸方面の宿場町の出入口)は、シルクロード天王町商店街にあっ...
神奈川県横浜市1:横浜■2024年2月3日(土)■2024年2月10日(土)【歴史】《横浜はかつて入り海だった》横浜は17世紀まで入り海だった。1656年に江戸の商人の吉田勘兵衛がこの入り海を埋め立て新田開発を行い、1667年に完成し、横浜村が成立した。当時は戸数100戸程度の農村で、村民は農業を主体に閑散期は漁業で生計を立てていた。《日米和親条約が横浜で締結された》横浜は1854年3月8日に江戸幕...
東京都武蔵野市■2024年1月20日(土)【歴史】≪中島飛行場の工場の進出≫1938年、武蔵野市には中島飛行機(SUBARU、日産自動車の前身)の工場『武蔵野製作所』が設立された。中島飛行機は1917年に中島知久平が創設した会社で、主に軍用機を製造していた。設立当初は陸軍用の軍用機を製造していたが、1941年に隣接した敷地に『多摩製作所』が設立され、海軍用の軍用機も製造するようになった。さらに、2つ...
東京都中野区■2024年1月5日(金)【史跡】①哲学堂公園1904年に井上円了が創設した公園で、2020年に国指定の名勝に指定された。井上は哲学者だったが、哲学館(後の東洋大学)を創設した教育者でもあり、生涯教育を提唱し全国を行脚し各地で講演会を実施した。哲学堂公園は哲学の世界を視覚的に表現しており、来園者が哲学について学べるような社会教育の場となっている点が大きな特徴である。なお、井上の墓が哲学堂...
東京都北区■2024年1月6日(土)【歴史】≪郡衙と豊島氏~古代から中世の北区~≫奈良時代の北区には豊島郡の郡衙が設置され、豊島郡の中心地だった。郡衙は行政の事務的な仕事を司る郡庁院、庶民から徴収した稲籾を納める正倉院から成り立つ組織だった。跡地は滝野川公園になっており、当時は武蔵国から下総国への最短ルート上にあった。11世紀頃になると、北区には平氏の一族である豊島氏が土着した。豊島氏が14世紀末頃...
東京都杉並区■2024年1月8日(祝)【歴史】江戸時代の杉並区には甲州街道が通り、宿場町(高井戸宿)があった。17世紀、高井戸宿は甲州街道の1番目の宿場町で、下高井戸宿と上高井戸宿の2つの宿場が半月交代でその勤めを果たしていた。しかし、1698年に内藤新宿が置かれると、高井戸宿を素通りする旅人も多くなり、高井戸宿の宿場町としての役割が減少した。なお、高井戸宿は半宿半農だったため、便所を旅人に開放し...
東京都江戸川区■2024年1月4日(木)【歴史】≪小岩市川の関所(渡し)~小岩地区~≫江戸川区の北東部に位置する小岩地区は、江戸川に面していることから、江戸時代に『小岩市川の渡し』と呼ばれる渡し場があった。渡し場があったことを証明するものとして、1839年に造られた常燈明が宝林寺に移され、現存する。小岩市川の渡しには江戸の防衛のため橋は架けられず、『小岩市川関所』が設置された。小岩市川関所のあたりは...
東京都墨田区1:本所■2023年12月17日(日)【歴史】≪本所の始まり≫墨田区南部の本所地区は、1657年の明暦の大火後に開発された地域である。明暦の大火では、千住大橋以外に橋が架けられていないことで多くの江戸町民が逃げ場を失い、10万人が死傷したと言われている。幕府は防災のため、武蔵国と下総国との間に橋を架け(両国橋)、徳山重政に本所の開発を命じ、江戸の町を本所に拡げた。徳山重政の屋敷跡には、徳...
東京都荒川区(南千住)1:南千住■2023年12月10日(日)【歴史】南千住と北千住を結ぶ千住大橋は1594年に架けられた橋で、徳川家康が関東に移封された後に隅田川に初めて架けられた橋だった。千住大橋が架けられてから、千住大橋より上流が隅田川、下流が荒川と区別されていた。ところが、大正時代に人工河川として開削された荒川放水路が1965年に荒川となり、千住大橋の下流も隅田川となったことで、荒川区から...
東京都国分寺市■2023年12月3日(日)国分寺市は市名の通り奈良時代に武蔵国の国分寺が建てられた地である。その他、国分寺市には武蔵国の国分尼寺跡や官道の東山道の跡が残っており、奈良時代の史跡が色濃く残っている。≪東山道武蔵路≫古代の国分寺市には、武蔵国と上野国・下野国(現在の群馬県・栃木県に相当)を結ぶ官道が通っていた。国分寺が建立された当時の武蔵国は東山道に属していたため、この官道は『東山道武蔵...
千葉県酒々井町■2023年11月23日(祝)【歴史】≪千葉氏の本拠地~中世の酒々井~≫戦国時代の酒々井には千葉氏の本拠地である本佐倉城があった。千葉氏が本拠地を本佐倉城に移すまでの歴史は≪千葉市の歴史≫を参照。1455年に鎌倉公方の足利氏と関東管領の上杉氏が対立して勃発した享徳の乱が起こると、千葉氏で内紛が勃発し、宗家の胤直は上杉氏に、分家の康胤(胤直の叔父)は足利氏に組した。この内紛では康胤が勝利し...
千葉県四街道市■2023年11月23日(祝)【歴史】四街道は古くから交通の要衝で、船橋、千葉、東金、成田の4方向への街道が交差していた。このことから「四街道」の地名が名付けられ、市名にも採用された。四街道十字路交差点には、1881年に建てられた石造の道標が現存する。1894年に四街道駅が設置されると、3年後の1897年に「陸軍野戦砲兵射撃学校」が下志津原(佐倉市)から四街道に移された。砲兵学校跡の...
13120-2 東京都練馬区東京都練馬区■2023年11月19日(日)【歴史】≪豊島氏と練馬~中世の練馬~≫平安時代後期から室町時代中期にかけて、練馬では豊島氏が勢力を誇っていた。豊島氏は秩父平氏の一派が豊島郡に土着し起こった氏族と言われている。1476年から始まった「長尾景春の乱」において、豊島氏は長尾景春に味方し、山内上杉家・扇谷上杉家と戦った。しかし、1477年に扇谷上杉家の重臣の太田道灌に敗れ、衰退...