chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 20203-7 長野県上田市(上田)

    長野県上田市1:上田■2014年9月21日(日)■2019年10月27日(日)【歴史】安土桃山時代、上田には上田城が築かれ、真田昌幸が根城としていた。上田城は1585年と1600年に徳川の軍勢に攻められたが、昌幸は二回とも徳川の軍勢を退けた。そのため、上田城は堅固な城として名声を得ている。関ヶ原の戦い後、上田城は徳川により破棄されたが、真田昌幸の長男で東軍に与した信之は所領を安堵された。信之は上野国...

  • 20219-3 長野県東御市(本海野)

    長野県東御市1:本海野■2013年4月28日(日)■2019年10月27日(日)【歴史】本海野は、日本武尊が東征した際に滞在した地と言い伝えられている。伝説では、日本武尊は病死した後、白い鳥になり、かつて滞在していた本海野にも舞い降りた。そのため、平安時代までには白い鳥が舞い降りた地に白鳥神社が創建された。平安時代末期、小県郡で兵を集めていた木曽義仲は、白鳥神社で挙兵したと言い伝えられている。このと...

  • 20213-4 長野県飯山市(飯山)

    長野県飯山市1:飯山■2014年9月20日(土)■2019年10月26日(土)【歴史】1564年頃、上杉謙信は信濃国一円に勢力を拡大してきた武田信玄に対抗するため、飯山に飯山城(詳細は史跡①を参照)を築城した。立地上、飯山は信濃国と越後国との結節点にあったため、謙信は飯山城を越後の防衛・信濃計略の前線基地とした。飯山城は安土桃山時代まで上杉氏の所領で、1582年から飯山城の城代には、家臣の岩井信能が...

  • 11231-3 埼玉県桶川市(桶川)

    埼玉県桶川市1:桶川■2019年10月20日(日)【歴史】江戸時代の桶川は、中山道の宿場町(桶川宿)だった。桶川宿には、松山(現在の東松山市)の箭弓稲荷神社に至る松山道との追分があり、箭弓稲荷神社への参拝客が多く通行した。桶川には、追分に建てられていた松山稲荷道の道標が現存する。桶川宿の本陣は府川家が務めた。府川家の本陣遺構は非公開ではあるが、一部が現存する。他の宿場町と同様に、桶川宿には飯盛女が...

  • 11202-0 埼玉県熊谷市(熊谷)

    埼玉県熊谷市1:熊谷■2019年10月20日(日)【歴史】江戸時代の熊谷は、中山道の宿場町(熊谷宿)だった。熊谷宿は館林道、行田道、桐生道など複数の街道が交差する交通の要衝だった。また、熊谷宿の外れには、秩父札所への参拝者が通る秩父往還道との追分があった。石原地区の公園には、その追分に建てられていた秩父道しるべが現存する。熊谷宿には本陣が2軒あり、そのうちの1軒を竹井家が務めた。竹井家の本陣の跡地...

  • 11206-2 埼玉県行田市

    埼玉県行田市■2019年10月19日(土)【歴史】行田市には埼玉(さきたま)という地名があり、大規模な古墳が密集している。古墳群は「さきたま古墳公園」として整備されている。古墳群の中で特筆すべき古墳は、直径100メートル以上、高さ19メートルを誇る円墳、丸墓山古墳で、日本一大きい円墳と言われている。古代に有力な豪族がいたことが推測される埼玉は、古代の国郡里制における埼玉(さいたま)郡の中心地だった...

  • 04213-7 宮城県栗原市(有壁)

    宮城県栗原市2:有壁■2016年10月10日(祝)【歴史】栗原市の北方に位置する有壁(有壁駅付近)には、江戸時代に、奥州街道の宿場町があった。現在、本陣(旧有壁宿本陣)が復元されている。...

  • 04215-3 宮城県大崎市(松山)

    宮城県大崎市2:松山■2016年10月9日(日)【歴史】JR松山町駅から西に2キロ程離れた松山は、仙台藩家老茂庭氏の城下町だった。中世の松山には千石城があり、15世紀から16世紀は遠藤氏が治めていた。遠藤氏は戦国時代に伊達氏の家臣になり、江戸時代も別の地で存続した。千石城は現在、御本丸公園として整備され(上写真は本丸跡)、堀切が現存している(下写真)。なお、三ノ丸はコスモス園となっており、開花シー...

  • 04341-9 宮城県丸森町(丸森)

    宮城県丸森町2:丸森■2016年11月26日(土)【歴史】江戸時代の丸森は佐々氏の城下町で、阿武隈川沿いに鳥屋館を構えていた。しかし、19世紀初頭に、大洪水を避けるため、城下町が全て移転された。その際から開店した齋藤家は、時代に合わせて多角的な事業を展開し、終戦まで丸森で一番の豪商だった。齋藤家の屋敷(齋理屋敷)が今も残っている。【食】丸森は猪の北限であり、猪の肉が名物の1つである。中でも、老舗の...

  • 08216-3 茨城県笠間市(友部)

    茨城県笠間市2:友部■2018年1月27日(土)【歴史】江戸時代の旧友部町は、宍戸藩の城下町だった。1602年、宍戸藩には出羽国から秋田実季が転封された(5万石)。秋田氏は宍戸城を拡張し、城下町を整備した。秋田氏は1645年に三春藩に転封され、暫くの間、友部は天領になった。1682年、松平頼雄が宍戸藩の藩主に就任した(1万石)。頼雄は、徳川頼房の五男で、徳川光圀の末弟である。そのため、宍戸藩は水戸...

  • 08216-3 茨城県笠間市(稲田)

    茨城県笠間市3:稲田■2018年1月27日(土)【名産】②稲田石 旧稲田町は、東京駅や最高裁判所などの数多くの建物に使用されている稲田石の産地である。稲田駅の駅舎には稲田石がふんだんに使用され、稲田駅の隣には、稲田石の博物館である石の百年館がある。稲田石は、明治時代に東京で石材の問屋を営んでいた鍋島彦七郎により開発された。稲田石は白く、色調がきれいで、柄・組織が均一で、耐久性がある。そして、大量に採...

  • 10212-1 群馬県みどり市(東)

    群馬県みどり市2:東  ■2018年9月29日(土) 【歴史】 旧勢多郡東村の中心地だった花輪地区は、江戸時代、銅山街道の宿場町(花輪宿)だった。銅山街道は、足尾銅山で採取した銅を利根川まで運搬するために1649年に整備された街道である。なお、利根川に運ばれた銅は水運で江戸へ運ばれた。花輪には、銅の運搬途中で花輪宿に一泊する際、銅を一時的に保管する御用銅蔵が現存する。  花...

  • 17209-0 石川県かほく市(高松)

    石川県かほく市2:高松■2018年11月18日(日)【歴史】高松は加賀国と能登国の境界線にあり、1584年には末森城の戦いがあった。当時は羽柴秀吉と徳川家康の対立に伴い、前田利家と佐々成政も対立していた。成政は加賀国と能登国を分断するため、末森城を包囲した。落城の危機に陥っていた末森城を救出するため、高松の村長だった櫻井三郎左衛門は進軍のルートを利家に進言した。この進言により、利家は敵軍の背後を突...

  • 17210-3 石川県白山市(松任)

    石川県白山市2:松任■2018年8月5日(日)【歴史】中世の松任は、松任城の城下町だった。特に、戦国時代の松任城は加賀一向一揆の旗本である松任組の本拠地だった。松任城は複数の堀に囲まれた平城であったが、現在の松任城の遺構は、本丸の跡地が公園になっているのみである。江戸時代の松任は北国街道の宿駅だった。松任は様々な街道との交差点だったため、商業が発達した。松任の町並みは、電柱を地中に埋めているため景...

  • 17210-3 石川県白山市(白峰)

    石川県白山市3:白峰■2014年7月21日(祝)白山は北陸3県と岐阜県の境界に位置する山で、山岳信仰の対象としても有名である。白山は奈良時代に泰澄大師が山頂付近に仏像を次々に安置し、開山した。以来、多くの信者が白山を崇め、登山した。ところが、明治時代になると神仏分離令により白山の仏像が取り壊されてしまった。そのような最中、白峰にある林西寺の住職は一部の仏像を保護した。この仏像は現存し、白山御本地仏...

  • 31204-5 鳥取県境港市(中浜)

    鳥取県境港市2:中浜■2018年7月14日(土)【歴史】境港市と米子市との境界線上にある米子空港は、戦時中、海軍航空隊美保基地だった。美保基地は1939年に設置され、艦上機航空隊と予科練習生が入隊した。戦後、美保基地は航空自衛隊美保基地と米子空港になった。美保基地の戦争遺跡として、米子空港の南側(県道47号線沿い)に、戦闘機を格納する掩体壕が数基現存する。...

  • 31371-8 鳥取県琴浦町(赤碕)

    鳥取県琴浦町2:赤碕■2018年3月31日(土)【歴史】江戸時代の赤碕は、北前船の寄港地として栄えた港町だった。また、赤碕は倉吉の玄関口で、赤碕から倉吉へは陸路で物資が運搬された。江戸時代において、赤碕の主要な港は菊港だった。菊港の名前は、赤碕で海運業を営んでいた堀尾弥四郎の母で、松江藩主を務めた堀尾吉晴の孫、菊姫の名に由来すると伝えられている。なお、弥四郎の父は大庄屋の河本家で、河本氏の住宅は国...

  • 32203-2 島根県出雲市(平田)

    島根県出雲市2:平田■2018年5月20日(日)【歴史】平田は木綿の集積地、および木綿の生産地として栄えた町である。平田で木綿の栽培が始まったのは、18世紀の初頭である。昔の平田は宍道湖に面していたが、埋め立てにより宍道湖から遠ざかった。なお、埋め立ては、新川を開削し、上流の奥出雲のたたら製鉄にて砂鉄から鉄を取り出す際に不要となって流れてきた砂で埋め立てられた。宍道湖は塩分を含むため、埋め立て地は...

  • 33211-9 岡山県備前市(伊里)

    岡山県備前市2:伊里■2019年2月24日(日)【史跡】①旧閑谷学校閑谷学校は、1670年に岡山藩主の池田光政が、庶民のために開いた学校である。光政は岡山藩を豊かにするために庶民向けの学校(手習所)を藩内に123ヶ所創った。しかし、すぐに手習所は廃止され、手習所は1つに統合され、閑谷学校になった。閑谷学校では陽明学を教え、岡山藩の外からも生徒を受け入れていた。また、閑谷学校は岡山藩から経営を独立させ...

  • 33214-3 岡山県真庭市(久世)

    岡山県真庭市2:久世■2018年5月1日(火)【歴史】江戸時代の久世は、出雲街道の宿場町だった。出雲街道は出雲と姫路を結ぶ街道で、久世では大山往来が交差していた。宿場町は現在の上町商店街、下町商店街で、アーケード街となっているが、一部で古民家が見られる。久世は津山藩領だったが、1726年に発生した山中一揆で津山藩が減石になると、久世は1818年に津山藩領に復帰するまで天領となった。久世には年貢米を...

  • 33212-7 岡山県瀬戸内市(牛窓)

    岡山県瀬戸内市2:牛窓◼2018年3月17日(土)【歴史】江戸時代の牛窓は、風待ち潮待ちの港町で、北前船や参勤交代の御座船などがよく寄港していた。牛窓の特筆すべき点は、朝鮮通信使の寄港地であったことである。朝鮮通信使は、往路では毎回、牛窓にて休息や宿泊をした。朝鮮通信使の代表である三使は、牛窓では本蓮寺に宿泊した。また、本蓮寺は朝鮮通信使を接待する施設としても活用された。なお、本蓮寺の建築物には、...

  • 16210-8 富山県南砺市(城端)

    富山県南砺市2:城端(じょうはな)■2014年10月12日(日)■2019年10月6日(日)【歴史】城端は善徳寺の門前町として形成された。善徳寺は浄土真宗本願寺派8世蓮如が開基し、1572年に城端城の跡地に誘致された寺である。善徳寺には彫刻がふんだんに施された山門が現存する。江戸時代の城端は五箇山との交易で繁栄した。五箇山の養蚕は城端で絹織物となり、加賀絹の名前で京や大阪、江戸へ販売された。坡場(は...

  • 16210-8 富山県南砺市(福光)

    富山県南砺市3:福光■2019年10月6日(日)【歴史】平安時代末期から15世紀後半の福光は、石黒氏の本拠地だった。石黒氏は木曽義仲の家臣として倶利伽羅峠の戦いで活躍し、福光に福光城を築き、福光城を根城としていた。しかし、1481年に瑞泉寺一向一揆衆との戦いに敗れ、石黒氏宗家は滅亡した。福光城跡には、1869年に郷学所(栖霞塾)が建てられ、現在は栖霞園として整備されている。栖霞園は郷学所の後、文人...

  • 16210-8 富山県南砺市(井波)

    富山県南砺市1:井波■2014年10月11日(土)■2019年10月5日(土)【歴史】井波は瑞泉寺(詳細は史跡①を参照)を中心に歴史を紡いできた町である。瑞泉寺は1390年に浄土真宗本願寺派5世宗主の綽如が建立した。瑞泉寺の建立については、伝説が伝えられている。当時、綽如は浄土真宗の布教で越中国を巡っていた。道中、綽如が乗っていた馬の蹄先から清水が湧出した。綽如はこれを寺院建立の趣意とし、瑞泉寺を建...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ザックさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ザックさん
ブログタイトル
休日、旅日和
フォロー
休日、旅日和

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用