今井町の寺内町としての成立は、天正年間(16世紀)此の地に今井兵部卿豊寿が「稱念寺」を建立したことに由来します。 「称念寺」は今井町の中核として発展を続け、称…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
次に「専福寺(真宗大谷派)」です。当寺には「月岡芳年」の墓があります。 「月岡芳年」は幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師。歌川国芳に師事し、その師風を継承し…
抜弁天の交差点。永福寺の道路反対側にも、寺院があります。まずは「法善寺(日蓮宗)」です。 「山ノ手七福神の寿老人」を祀る「法善寺」ですが、日護上人(15~1…
弁財天を祀る「厳島神社抜弁天」から通りを横切り、「福禄寿を祀る永福寺(曹洞宗)」へ。 きちっと整備された気持ちよく参拝出来るお寺でした。 本…
都営新宿線「東新宿」駅から東を「抜弁天通り」と呼びます。そして「抜弁天」交差点に鎮座するのが「抜弁天/厳島神社」です。 応徳3年(1086)八幡太郎源義家が後…
大久保通りと外苑東通りが交差する「市谷柳町」交差点。その少し東に「常敬寺(真宗大谷派)」があります。此の寺院は、何と、宇多天皇の次男「明頂法師」が三河国吉良で…
「牛込柳町」駅北側直ぐの「幸国寺(日蓮宗)」です。細い道を進みます。 参道が続きます。 屋根瓦に脇塀と控え小屋が付いている、趣深い山門です。御三卿筆頭の…
「牛込柳町」駅前、「経王寺」近くにあるのが「瑞光寺」です。大通りから少し入りますが、それにしても、約2000坪のゆったりした境内に格調高い建物が印象的です。 …
都営大江戸線「牛込柳町」駅前に「経王寺(日蓮宗)」があります。「新宿山の手七福神の大黒天像」を祀っています。 朱色の幟旗がはためく中、石段を上ると正面に、…
「多聞院」の隣りにある「浄輪寺(日蓮宗)」です。慶長7年(1612)江戸城付近で、近江の名門/佐々木氏の末裔により創建されました。寛永12年(1635)に現在…
弁天町の交差点を南へ。「牛込柳町」方向へ進みますと、左手に「多聞院(真言宗豊山派)」があります。寛永年間(17世紀)に法印覚賢により創建されました。 参道は…
かつては「牛込」と呼ばれていた「弁天町」交差点界隈。「宗柏寺」の奥にある「大願寺(浄土宗)」です。創建年は不詳ながら、津久戸から当地へ移転してきました。 落…
早稲田駅と神楽坂駅の中間(榎町)にある「一樹山宗柏寺(日蓮宗)」です。矢来町(神楽坂に近いため)「矢来のお釈迦さま」と呼ばれています。釈迦堂に立つ「釈迦牟尼仏…
東京メトロ東西線「早稲田」駅の東の弁天町へ。「宗参寺(曹洞宗)」がありますが、此の辺りは、「漱石山房記念館や漱石公園」などがあり、あたかも漱石の町です。 …
馬場下交差点から大隈講堂方面に向かうと、左手に「宝泉寺(天台宗)」があります。弘仁元年(810)草創といいますから、始祖「最澄」が唐から帰国して間もなく開創さ…
名刹が並ぶ馬場下界隈。「龍泉寺(真言宗智山派)」は、「法輪寺」と「宝泉寺」に挟まれるようにあります。 日賢上人が17世紀に創建したといわれています。山門を…
東京メトロ「早稲田」駅下車。「穴八幡宮」の早稲田通りの対面。「萬年山法輪寺(日蓮宗)」があります。ざわつく学生街にありながら、意外な程、閑静な寺院です。最も…
「西迎寺」の隣にある「全勝寺(曹洞宗単立寺院)」です。「全勝」とは、随分縁起が良い名称ですが、朝倉六右衛門在重という人の「法名」から名付けられています。当寺は…
「養国寺」の東隣り(新宿区舟町)にある「西迎寺(浄土宗)」です。延徳2年(1490)創建の「西光院」を前身とする由。三浦氏一族だった「西迎法師」が、江戸城紅葉…
靖国通りの南側。「暗(くらやみ)坂」という急坂があります。此処から更に南部へ、寺院が続き、樹木が茂り、うっそうとした暗闇が続くことから、「暗(くらやみ)坂」と…
靖国通りを北上すると、「善慶寺」と「自証院」があります。まずは「白鳥山善慶寺(真宗大谷派)」。寛永3年(1627)赤坂一ツ木で創建されています。 …
成覚寺の隣にある「正受院」です。やはり文禄3年(1594)創建の浄土宗の寺院です。 此処には、太宗寺にあった「奪衣婆尊」が専用のお堂に祀られています。 …
「太宗寺」を北上し靖国通りへ出ると。「成覚寺」と「正受寺」が並んでいます。共に「文禄3年(1594)に創建された浄土宗の寺院です。 まずは「成覚寺」から。当寺…
創建こそ「慶長年間初頭(16世紀末頃)」に「僧太宗が開いた草庵」とする「太宗寺」ですが、「内藤新宿の創始者」とも言える「高遠藩内藤家」の菩提寺ですから、新宿に…
「新宿花園神社」の境外社「雷電稲荷神社」です。 源 義家が奥州征伐の途中、雷雨に遭い、小祠前で休息していると、一匹の白狐が現れ、義家の前で3回頭を下げますと、…
高層ビルが建ち並ぶ「新宿三丁目」直ぐの立地でも、名刹があります。「天龍寺(曹洞宗)」。家康の側室「お愛の方(西郷の局。秀忠の母)」の実家である「戸塚忠春」が…
松月院通りを挟んで「松月院」とは反対側に「松月院大堂(阿弥陀堂)」があります。此の「大堂」こそ、南北朝時代初期の頃、如何に「松月院」が大寺院だったかという証左…
「東京大仏(乗蓮寺)」に程近い「松月院」です。天正19年(1591)には家康から「朱印地40石」を賜ったといいますから、文字とおり名刹です。その後も、将軍家か…
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今井町の寺内町としての成立は、天正年間(16世紀)此の地に今井兵部卿豊寿が「稱念寺」を建立したことに由来します。 「称念寺」は今井町の中核として発展を続け、称…
「中町筋」にある「旧米谷家住宅(重文)」です。 「米谷」の屋号をもち、広く金物商を営んでいました。 18世紀中頃の建物で、後に、内蔵や蔵前座敷を増築していま…
やはり中尊坊通りにある「河合家住宅(上品寺屋河合酒造、重文)」です。 江戸時代初期の頃上品寺村から移住し、古くから「上品寺屋」の屋号で酒造業を営んでいます。 …
今井町の街並みは、東西600m、南北310mのエリアの周囲を環濠土居で囲んだ集落で、城塞都市のように、内部の道路も、見通しを利かせず屈曲させています。 なかに…
今井町の成立は天文年間(16世紀)で、此の地に本願寺の坊/今井兵部卿豊寿が建設したとされています。 一向宗の門徒が「御坊(称念寺)」を開き、自衛上の武力を養い…
戦国時代には織田信長と戦った街、今井町。赤い橋の蘇武橋を渡ると、そこでは歴史ある街並みを散策できます。…… とパンフレット。 ワクワクする気分で、近鉄「八木西…
三条通りへ戻ると「浄教寺(浄土真宗)」の伽藍が目に入ります。 寺紋は南朝ゆかりの「九耀菊水」紋で、南朝光明院帝(後醍醐天皇)の勅願所でした。 まずは、国の登録…
近鉄奈良駅の西にあって南北に通じる賑やかな通り「やすらぎの道」に沿ってある「率川神社」です。 もともとは興福寺との関係が深い神社でしたが、明治になって、「大神…
奈良のお薦めイタリアン・レストラン「トラットリア piano」です。 近鉄奈良駅から直ぐで、繁華街にありながら店内が広く、落ち着いて食事出来るお店です。 …
「興福寺の五重塔」から52段の石段を下ると、「猿沢池」があります。 静かな池で、もとは、興福寺の「放生池(魚などを放って功徳を得る儀式のための池)」だったので…
「ならまち」を散策していると、「史跡:元興寺塔跡」碑がありました。 「元興寺」は、蘇我馬子が飛鳥に開いた日本最古の寺院「飛鳥寺」を前身とし、平城京に移されては…
ならまちにも「御霊神社」があります。やはり、桓武天皇の祈願所です。 794年、桓武天皇の即位に伴う「平安遷都」がありましたが、時代が大きく変わるときには、色々…
前身は「元興寺の子院」だったと言われている「法徳院(融通念仏宗)」です。「十輪院」の左隣りにあります。 17世紀初めに、倍巖上人が再興しました。 御本尊の「…
「ならまち」へ戻り、「興善寺(浄土宗)」です。前身は、元興寺の奥之院だったと言われる寺院です。 天正年間(16世紀)に、慶誉上人により、開創されました。 …
薬師寺から唐招提寺へ行く途中に発見した、風雅な蕎麦処です。予備知識なく散策の途中に出逢った、当に、一期一会の遭遇でした。 「蕎麦処 よしむら」です。 香…
天平宝字3年(759)に鑑真和上が、当時の新田部(にたべ)親王の旧宅地を賜り創建した「唐招提寺」です。 各伽藍を見てみましょう。 まずは「金堂(奈良時代、国…
それでは「鑑真和上」とは。 和上は688年に、中国の揚州で誕生されました。14歳のときに、揚州の「大雲寺」で出家。21歳で長安の実際寺の「戒壇」で、弘景律師に…
薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
此の辺りには大きな蔵が散在しており、江戸時代には廻船問屋街であった、当時の繁栄ぶりを偲ぶことができます。 「西叶神社」の御祭神は応神天皇で、養和元年(1181…
浦賀園と呼ばれ、明治26年に開園された、横須賀では最古の公園「愛宕山公園」です。咸臨丸出航の碑もあります。 この先の石段を上るので、浦賀港を見下ろす景勝地です…
黒船が来航し浦賀が江戸湾防衛の最前線になると、浦賀へ来る人が多くなりました。しかし浦賀は宿場ではないので、船乗り以外の旅人の宿泊は禁止。 知人宅に宿泊を依頼し…
天然の良港である浦賀港。入り江が深く入り込んでおり、東西浦賀を行き交う人々の交通手段は重要です。 浦賀に奉行所が設置された頃から、此の「浦賀の渡し舟」は続いて…
浦賀は古くから港町として栄え、大きく入り江が入り込んでいるため、東西を「渡船」で結んでいます。僅か3分の航路ですが、その渡船で結ばれている2つの「叶(かのう)…
「東耀稲荷神社」から「東叶神社」へ至る途中、浄土宗鎮西派の2寺があります。 まずは「東林寺」から。 開山は、唱阿上人です。ペリー提督の応接を一手に引受け、地元…
干鰯の交易で栄えた東浦賀の繁栄振りが偲ばれる「東耀稲荷神社」です。創建は天明2年(1782)で食保命(うけもちのかみ)を祀ります。 「東耀稲荷」の名は、隣接す…
東浦賀は、かつて、干鰯(ほしか)問屋が軒を並べる商業の街として栄えていました。干鰯(ほしか)とは、カラカラに干した鰯のことで、関西地方で綿花栽培のための肥料と…
さて舞台は、久里浜から浦賀へ。京急本線の浦賀駅が起点の散策です。 まずは「東教山乗誓寺」です。当寺は、「曽我物語」でお馴染みの曽我兄弟の兄「曽我十郎祐成の子=…
京急「汐入」駅前の再開発ビルの「メルキュールホテル横須賀」の19階にある「ビストロ・ブルゴーニュ」でのディナーです。 窓からは横須賀軍港が一望出来ます。目の前…
嘉永6年(1853)6月3日に浦賀沖が現れたペリー艦隊。武力を背景とするペリーの強硬な態度=艦隊が戦闘態勢を解かず=に、幕府は6日後の6月9日(新暦では7月1…
「久里浜天神社」から真っ直ぐに海岸方面へ。「東京湾フェリーターミナル(浜金谷との航路)」の右に、住吉神社が鎮座しています。 約1000年前の創建と伝わる古社で…
「日米和親条約」の結果、開港された下田と箱館を見てきた処で、少し遡り、ペリーが最初に訪れた浦賀と久里浜を訪問します。 歴史的事実としては、嘉永6年(1853)…
「了仙寺」から「ペリーロード」を南下すると、突き当りが「旧澤村邸」です。旧「下田ドック」の創始者で戦前に旧下田町長も務めた澤村久右衛門氏により、大正4年に建築…
「ペリーロード」の脇道を少し上ると「長楽寺(真言宗)」があります。ロシア使節海軍大尉プチャーチンとの交渉の結果、「日露和親条約」が調印された場所です。 安政元…
「日米和親条約」及び「下田条約」により開港地となった下田ですが、江戸時代、「出船入船3000艘」と言われ、東西を往復する船の「風待ちや避難の寄港地」として繁栄…
下田マイマイ通りの突き当りに、「了仙寺(日蓮宗、国史跡)」があります。此の寺で、ペリー提督と日本全権(林大学頭)により「下田条約(日米和親条約の附則13カ条)…
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…