6月13日(金曜)から封切りの 映画『フロントライン』。 そのあらすじは… 2020年2月3日、乗客乗員3711人を乗せたクルーズ客船「ダイヤモンドプリンセ…
3階のデッキから2階へ、 そしてこの階段を下りて1階へ。 この階段はロビーに通じている。
2つのドリームで韓国へⅡ⑤パンスター・ドリームの瀬戸内たそがれクルーズ
浪人は「さんふらわあ くろしお」の鐘がある右舷デッキ先頭から後方に移動する。 デッキには出港直後にもまして、乗客の人だかりができている。 まもなく通過する明石海峡大橋を観ようという人たちが集まっているのだ。
2つのドリームで韓国へⅡ④「さんふらわあ くろしお」の鐘は鳴る
デッキに出たのは、出港5分前の14時55分。 驚いた。 「パンスター・ドリーム」は、すでに離岸していたのだ。 パンスター・ドリームでこれまで4度、大阪から釜山まで船旅をした。 そ…
2つのドリームで韓国へⅡ③パンスター・ドリームに起きたミラクル
13時35分、コスモスクエア駅から無料シャトルバスに乗る。 乗車していたのは浪人含めて10人くらい。 乗客の多くが日本語を話しているのが、意外だった。 5分ほどで大阪港国際フェリー…
きのうは11月最後の日曜日だった。 その夜の22時30分ごろ、 眠る前にYahoo!ニュースのラインナップを何気なく眺めていた浪人、 思わず眠気も一気にぶっ飛んだ。 なんだか見覚えのある記事がそこにある! タイトルは “謎の航路”が5年ぶりに復活! 「イースタンドリーム」が見せる異国情緒と運賃倍増、 日韓関係改善の象徴になれるか?
2つのドリームで韓国へⅡ②スペクトラム・オブ・ザ・シーズがいた海
JR大阪駅の改札をくぐり終えた浪人、 この先はほぼ1年前と同じ行動をとった。 大和路快速・奈良行きに乗って西九条駅で下車し、 真向いのホームにいた電車に移動。 浪人は座席にありつくことができたが、 月曜昼間というのに、西九条を出発した車内はかなり混雑していた。 若者の顔触れが圧倒的に目立つ。 日本人だけでなく、インバウンドの姿も多い。 それらがある駅で一気に下車した。…
10月13日。 日曜は晴天である。 午前7時30分、新宿南口にいる。 バスタ新宿へ。 ここに来るのは、北限紀行の開幕日(8月26日)以来、48日ぶり。
北限紀行23(終)~実録「元ニューれいんぼうべる」ラストクルーズ<後編>
16時になったのを機に、いったん船内へ。 そしてこの船に乗った証として、記念スタンプを押した。 展望ラウンジから、針路の先に広がる海を眺める。 ここでこんな時間を過ごすことが…
北限紀行22~実録「元ニューれいんぼうべる」ラストクルーズ<中編>
「さんふらわあだいせつ」(元ニューれいんぼうらぶ)の姿が水平線の彼方に消えた。 その直後、右舷側に展開する三陸リアス式海岸の丘の上に聳え立つ白亜の巨像が現れた。 釜石大観音。 1970(昭…
北限紀行21~実録「元ニューれいんぼうべる」ラストクルーズ<前編>
再び目が覚めたのは午前6時であった。 枕元の電波時計の日付を見ると、9月1日の日曜日になっていた。 ベッドのカーテンを開けて、4人部屋のキャビンを見渡す。 浪人の使用する「2」ベッド以外は、いずれも空だった。 そして、ここにやってきたときと同じく、きれいなままだ。 「はて、昨夜ここにやってきたのは誰だろう?」 ぼうっとした起きがけの頭で考える。 やがて、その謎は解ける。 午前零時過ぎに眠りについた…
苫小牧フェリーターミナルへ。 ここで乗船手続きをおこなう。 今回は取材乗船ということで、運賃免除となった。 一番下にある船社名が「商船三井さんふらわあ」になってから、この船に乗るのは初…
稚内市樺太記念館のある2階から 1階の市場棟へ下りる。 時刻は11時20分になろうかとしていた。 ここ副港市場で樺太時間旅行を始めてから1時間をとうに過ぎていた。 それにしても、腹が、減った。 市場棟にはいくつかレストランがあるので、 ここで稚内最後の食事を取ることにした。
旧瀬戸邸を辞し、 この旅で初めて折り畳み傘を開いた。 しかし、傘をさしていたのは10分にも満たなかった。 あれほど激しく降っていた雨は次第に勢いを弱め、 稚内での最後の目的地が見えてきたころには傘を閉じていた。
「さんふらわあ しれとこ」そして「ニューれいんぼうべる」<br />長い長い旅の終わり
11月8日。 10月7日に「北限紀行16~サイプリア宗谷で稚内へ」をアップしてから1か月後、北限紀行が再び動き出した。 かくも長き空白が生じたそのわけは「クルーズ秋号2024、そしてこれから」の冒頭で触れたとおりだ。 連載再開号となった…
8月31日。 熱かった8月も、きょうで幕を閉じる。 目覚めて枕元の電波時計を覗き込むと、まだ午前6時にもなっていない。 しかし一度開いてしまった眼は、すっかり冴え切って、なかなか閉じようとはしない。 寝室の窓の外は既にほの明るくなっていた。 カーテンを横にずらし、窓を開けた。
「ブログリーダー」を活用して、超級!世界の浪人さんをフォローしませんか?
6月13日(金曜)から封切りの 映画『フロントライン』。 そのあらすじは… 2020年2月3日、乗客乗員3711人を乗せたクルーズ客船「ダイヤモンドプリンセ…
「元ニューれいんぼう べる=さんふらわあ しれとこ」に別れを告げる。 この船に乗った最大の目的を無事果たし、なんだか気が抜けたようになった。 脱力とまではいかないが、やるべきことをなし終えた安堵感で、 それまで心身を覆っていた緊張感が、どこかへ消えてしまったのは確かだ。 とりあえず、左舷側プロムナードのチェアで、 「元ニューれいんぼうべる=さんふらわあ しれとこ」連写でバッテリーをおおいに消耗した…
「その時」は確実に近づいていた。 浪人はその到来に備えて、外部デッキ左舷側へのルートをあらかじめ確認する。 まず船中央を貫く通路を後方に進む。
4月24日、木曜日。 浪人は福島県南相馬の沖で目覚めた。 昨晩、いや正確にいうとこの日の午前1時45分、 「さんふらわあ かむい」は大洗を出港し、 苫小牧港めざし北へと向かっていた…
ここを「さんふらわあ かむい」でのキャンプ地とする! キャンプ地の施錠はいまはやりのカードキーではなく、伝統的な鍵で。
18時の到来を告げる「夕焼け小焼け」のメロディーが、街に響きわたる。 空は、その歌詞とは全く対照的な雨雲に覆われていた。 夕焼け小焼けとともに、浪人はデスクのパソコンを閉じ、リュックを担いで外に出た。 近所で軽く夕食を取り、高田馬場から山手線で新宿へ。 新宿で中央線の快速列車に乗り換える。 四ツ谷、お茶の水、神田… 終点・東京駅で下りた。 19時30分の東京駅は、家路を急ぐ人と観光客でごった返して…
3月26日、水曜日。 パッと目が覚める。 枕元に置いていた電波時計をのぞき込む。 AM4:30 船旅に出ているときには、別に珍しくもない起床時刻だ。 ベッドから這い出し、下船準備を整えると、 トップデッキに出た。 4時57分である。 空はまだ闇に包まれている。 ファンネルの横に、月が浮かんでいた。
「フェリーりつりん」の姿が水平線の彼方に消えるのを見届け 浪人はオーシャンプラザに戻った。 6日ぶりの「フェリーどうご」でのランチは チャーシューまん 汁なし担々麺
9時55分、徳島駅にやってきた。 列車に乗るためではない。 25分後に駅前を発車するバスに乗るのだ。
阿波おどり会館を出て、その前の広場に立つ。 モラエス顕彰碑が建てられている。 モラエス生誕100年を記念して1954(昭和29)年に建立された。 この碑の付近は、翁(モラエス)が朝夕…
浪人は「モラエスギャラリー サウダーデ」に、 たったひとり立つ。 リスボンに生まれ、徳島で没したモラエスの生涯。 それを改めて、このギャラリーで振り返ってみたい。
おどるあほうに みるあほう 徳島駅前に到着した。 高速バスの時刻表では14時に着くことになっていたが、 大阪市内の渋滞の影響で阪急三番街発車時点で15分の遅れが発生しており さ…
松永駅を出て、浪人は再び一人旅となる。 福山駅で播州赤穂行き普通列車を下りた。 そして当駅20時16分発の山陽新幹線さくら570号 新大阪行きに乗り換える。 福山の次は岡山。 昨年10月、「2つのドリームで韓国へⅡ」の帰京の足にサンライズ瀬戸を利用した際、岡山駅から乗車した。 あれからすでに5か月が経過している。 しかし、そ…
昼下がりに再会の宴を開いた海岸通りの広場まで戻ってきた。 時刻は間もなく17時15分を過ぎようとしていた。 宴会のときは、陽射しがまぶしく、この季節にしてはかなり暖かい空気が尾…
3人は再び「おのみち芙美子通り」と名付けられるアーケード商店街に戻った。 人通りの多い、にぎやかな通りだ。 しかしそのほとんどが、他所からやってきた観光客であり、歩いている顔ぶれのなかに地元の人をまず見かけることはない。 尾道に着いてから、浪人の頭のなかには大きなクエスチョンマークが浮かんでいて、なかなか消えない。 週末ということを差し引いても、なぜこれだけのツーリストが尾道に押し寄せているのか…
尾道限定のトリオ結成となったMさん、画伯そして浪人。 まずはJR尾道駅に向かった。 大きな荷物をコインロッカーに預けるためだ。 しかし、コインロッカーは一つも空いていなかった。 尾道に降り立った時、まず思ったのが観光客の数の多さだった。 それも国内だけでなく、海外からの訪問者も目立つ。 しかもきょうは土曜日。 町に観光客がいないはずはなかった。 駅には観光案内所はあるが、手荷物一時預かり所のような…
シースピカのクルーズも残り1時間を切った。 右手に多々羅大橋が見えた。 「しまなみ海道」を構成する道路橋の一つ。 広島県尾道市の生口島(左側)と愛媛県今治市の大三島(右側)の…
シースピカが着桟したのは大久野島の南部にある第1桟橋である。 橋を渡り終えると、正面に島の案内図がある。 4年前は、これの向かって左手へ進んだ。 ウサギの写真を撮りつつ、島の西側にある「毒ガス貯蔵庫跡」まで歩き、 そこからまっすぐ引き返してシースピカに戻った。 今回は右手の方に進む。 なぜか画伯もついてくる…
シースピカは間もなく安芸灘大橋にさしかかろうとしている。 2001年に開通した、呉市と下蒲刈島(しもかまがりじま)を結ぶ橋。 安芸灘諸島を8つの橋で結ぶ、とびし…
浪人はシースピカ2階の屋外デッキにいる。 広島出港の時からずっとここにいた。 浪人にと…
5月27日、月曜日。 浪人は6時55分イスタンブール発のターキッシュエアラインズの機中にいる。 飛行機はまさにギリシャ上空を越えてアドリア海、さらに長靴型のイタリア半島にさしかか…
5月26日。 日曜日の午前6時過ぎ。 浪人は新宿・歌舞伎町タワーの前に立っている。 思えばほぼ1年前の5月28日。 その日も日曜日だった。 18年ぶりの
横浜にクルーズ客船大集合 たった4はいで夜も寝られず 詠み人浪人 4月13日、土曜日。 浪人は新宿駅から湘南新宿ラインに乗って横浜駅へ。 ここで根岸線に乗り換えて桜木町駅で降りた。 汽車道をゆく。 6日間にわたった南端紀行を終え、帰京したのは4月9日の夜。 その旅の間に、ソメイヨシノも盛りを過ぎていた。
今夜2回目のプロジェクションマッピングのショーを観賞。 ショーの終了後、気が付いた。 浪人スマホがいつの間にか圏外になっていることを。 時刻は21時過ぎ。 「さんふらわあ さつま」はいま九…
「さんふらわあ さつま」大阪行きの乗船が始まった。 ここは鹿児島県志布志市志布志町志布志3292にある志布志港。
12時20分、カゴシマシティビューは終点・鹿児島中央駅前に到着した。 雨はまだ降り続いている。 浪人は雨から逃れようと、バス停のすぐ近くにあった地下道にもぐりこむ。 目指すは、かごっまふるさと屋台村。 駅と地下道で直結しているので、傘を差さずに屋台村にたどり着けるのがありがたい。 昨晩楽しい時間を過ごした「奄美商店 ケンムン酒場」は、本日(月曜)のランチ営業はお休みのため、閉まっていた。 それを知っ…
那覇明治橋にある終点から 西郷隆盛像のある起点まで。 国道58号線をさかのぼる旅は、ここで終わる。 国道58号線の旅は、鹿児島と沖縄を訪問する際には過去何度も行っているので、今回が初めてというわけではない。 ただ、起点のそばにこういうものがあることは、初めて知った。
枕崎駅前を17時ちょうどに発車した特急バスは、18時29分に鹿児島中央駅前に停車した。 浪人はここで下車し、けさ、リュックを預けていた駅近くのホテルにチェックイン。 30分ほど休憩してから、すっかり暗くなった鹿児島の町に繰り出した。 夕食をとるところはもう決めてあった。 鹿児島中央駅の真正面にたつ鹿児島中央ターミナルへ。
西郷隆盛が枕崎で1泊したという立志清右衛門宅跡から、さらに南へ。 この通りは「えびすさん通り」と合流したところで終わる。 えびすさん通りの向こうには緑地、そしてそのさらに向こうには海が広がっている。 緑地は公園となっており、その一角に蛭子(えびす)神社がある。 通りの名はこの神社に寄るものなのだろう。
3時間近くを過ごした列車から、終着駅のホームに下り立つ。 2つの車両から吐き出された乗客は、地元の人よりも観光客といった雰囲気の者が多かった。
鹿児島新港フェリーターミナル前にはポートライナーバスが1台停車していた。 浪人は何度もこのバスを利用して、 フェリーターミナルから鹿児島中央駅に向かったり、 その逆に駅からタ…
4月25日、浪人オフィスに掲載誌が届いた。 石川県観光ガイドブック『もっと石川』(画像左)である。 こちらは石川県をすでに何度か訪問している「中および上級者(いわばリピーター)…
4月7日、日曜日。 真っ暗なシングルキャビンで目が覚めた。 枕元に置いていたデジタル電波腕時計を手探りで取り、 現在時刻を見たら午前4時30分過ぎだった。 昨夜、名瀬出港から1時間後の22時30分あたりに眠ってしまったこと そして昨日の朝が、7時那覇発のフェリー波之上に乗るため4時台に起きてしまったこともあり どうやら体内時計が陸上生活とは異なるリズムになっているようだった。 キャビンを出て、すぐ横にある左…
次は徳之島・亀徳港。 入港予定時刻は16時35分。 徳之島が近づくと、なぜか船内に貼られている徳之島関係のポスターが視界にやたらと入ってくるようになる。
フェリー波之上から沖縄本島最北端・辺戸(へど)岬を望み、沖縄に別れを告げた。 その余韻冷めやらぬうちに鹿児島県の最南端・与論島が右舷側に現れた。 供利港への接岸を試みる。 <…
フェリー波之上から眺める 瀬底島(左)、瀬底大橋(中央)、本部港(右)。 まもなく本部入港。
降りしきる雨のなか、まだ薄暗い国場川沿いの道を歩くこと5分ちょっと。 那覇港船客待合所に到着した。 時刻は6時20分になろうとしていた。 まずは乗船受付の窓口で、1か月前に電話で…
フェリー海邦は那覇へと針路をとる。 やがて右舷側には慶良間列島が現れる。
突然の雨。 アンジェーラ浜に近い公衆トイレ・シャワー室に退避する。 そこには先客がひとり。 レンタサイクルを利用していたシニア男性が、トイレの前で恨めしそうに空を眺めている…
ついに渡名喜島上陸を果たす。 久米島ゆきの便なので、乗客の多くは久米島まで向かうのかと思っていた。 しかし、この便は存外、渡名喜島で下船する者が多かった。