7月13日、日曜日。 それは商船三井さんふらわあ北海道航路(苫小牧~大洗)の深夜便に就航する 「さんふらわあ しれとこ」 旧名は「ニューれいんぼうべる」 ラストランでの大洗入港日だった。 この浪人ブログでは何度もこの船との関りについて触れてきた。 その詳細は昨年11月9日に更新した 「さんふらわあ しれとこ」そして「ニュー…
7月13日、日曜日。 それは商船三井さんふらわあ北海道航路(苫小牧~大洗)の深夜便に就航する 「さんふらわあ しれとこ」 旧名は「ニューれいんぼうべる」 ラストランでの大洗入港日だった。 この浪人ブログでは何度もこの船との関りについて触れてきた。 その詳細は昨年11月9日に更新した 「さんふらわあ しれとこ」そして「ニュー…
7月11日、金曜日。 前日までの最高気温35℃前後という酷暑が嘘のような、冷涼な朝を迎えた。 連日連夜稼働していたエアコンも、夜中にスイッチが切れるようにしていたが、 不快な暑さで目が覚めることもなかった。 ただ、空は久しぶりに見るどんよりとした雲に覆われている。 午前8時過ぎ、パソコンを立ち上げて、 横浜大さん橋国際クルーズターミナルのライブカメラを視聴。 それと並行して、この日に入っていた用事を…
7月9日、水曜の深夜24時30分。 7月10日の午前0時30分でもいい。 フジテレビの「いたジャン!」に浪人が出演したのだ。 この番組はアイドルのHey! Say! JUMPの冠番組で Hey! Say! JUMPのメンバーが知識を深めるために、 様々なジャンルの雑誌やウェブ媒体のライターが出演し、 今まで取材した最高のスクープやそのジャンルに関して 熱く語るとい…
日本郵船氷川丸を下りた浪人、 山下公園を海に沿って歩く。 目指すは大さん橋。 氷川丸船上から遠望した船を間近で見るために。
氷川丸Aデッキ、 左舷側屋外デッキから。 およそ20年ぶりに氷川丸に乗った理由。 それは、こ…
6月8日、日曜日。 新宿でランチを済ませ、新宿三丁目駅からFライナーに乗って終点の元町・中華街駅で下りた。 目指すは山下公園。 そして日本郵船氷川丸である。
フェリー放浪記第三部(十六・終)「ニューれいんぼう べる」の幻影
12時45分。 建物内に入って、まずこの告知に驚いた。 ええっ、こんなに初夏を思わせる陽気で、市内では吹く風の勢いも感じないのに…。 しかし改めて告知の全文に目を通して、すぐに…
フェリー放浪記第三部(十五)「ニューれいんぼう べる」が来た直江津
直江津捕虜収容所の跡地にできた平和記念公園をあとにして、 すぐそばに架かる荒川橋を渡った。 これは1時間ちょっと前に渡った直江津橋よりも関川の河口にある。 荒川橋を渡り切った…
4月27日、日曜日。 いかや旅館、いや、現在はホテルセンチュリーイカヤ最上階の一室で目覚めた。 朝食をとるため、廊下に出た。 エレベーターホールにある窓からは、 「飛鳥」を模した直江津駅舎を俯瞰できる。
前回に引き続き、『クルーズ』2025年夏号の浪人担当ページについて。 きょう取り上げるのは連載「クルーズポートを歩く」。 今号で13回目を迎えたこの連載、ついに東京港をピックアップした。
6月27日、金曜日。 「クルーズ」2025年夏号が発売された。 夏号における、浪人の担当は…
18時07分、特急「しらゆき」8号は直江津駅に到着した。 浪人はここで下車し、そのホームに降り立った。 自動改札をくぐり、駅前繁華街のある北口ではなく、南口へと左折する。
フェリー放浪記第三部(十二) 日本海が見えた、日本海が見える
これからの決まった目的地もなく とりあえずATMコーナーを出た浪人は すぐそばにあったアーケード商店街に入る。 そこはオレンジ通りと言っていいくらいに、 そのカラーを配した横断…
フェリー放浪記第三部(十一) 「らいらっく」で正午の新潟入港
昨夜、23時にもならないうちに眠ってしまったせいか、 午前5時過ぎにに目が覚めた。 廊下に出て左舷側デッキに通じる出入口の窓から外を見る。 太陽がすでに水平線より高いところにある。
フェリー放浪記第三部(十) 新日本海フェリーの臨時代走「らいらっく」
3階の中央やや船首側にある浪人キャンプ地・ツーリストS。 そこから同階の中央部ロビーに行く。 そこで、船内クイズラリーという企画が行われていることを知る。
フェリー放浪記第三部(九)消えた新日本海フェリー「あざれあ」
市立小樽文学館のカフェ。 ここでゆっくりしていきたい気もするが、 小樽で浪人に残された時間はあとわずか。 階段を下りて、文学館を辞す。
旧日本郵船株式会社小樽支店を出たのは正午近くだった。 ここに23年ぶりの入館を果たす直前から強くなっていた雨脚は 勢いを弱めることを知らなかった。 そして浪人の腹時計もにわかに騒がしくなっていた。 幸い、どこで食事を取るかはもう決めてあった。 近くに鱗友朝市があり、その屋内に朝市食堂が営業している。 正午になったということもあり、店内は混んでいた。 と言っても、行列を作って空席ができるのを待つ、と…
フェリー放浪記第三部(七) 旧日本郵船株式会社小樽支店から消えた樺太国境碑
運河公園を背にし、この建物の前に立つ。 浪人が小樽にやってきたのは、これが何度目になるだろうか。 最初が1991年9月、家族旅行で新潟から新日本海フェリー(船名は忘れた)に…
4月25日、金曜日。 苫小牧の空は一面の灰色だった。 朝食前に、ホテルの周辺を少しだけ散歩した。 昨晩、21時にホテルに入り、23時には眠ってしまった。 そしてきょうは8時09分発の列車で苫小牧を離れる。 素通りするのも何なので、ちょっと苫小牧の空気を吸いたいと思ったのだ。 向かったのはアカシア公園。 そこには王子製紙軽便鉄道の機関車と
6月14日、土曜日。 新宿は雨〓 高田馬場での用事を済ませ、 16時少し前に新宿ピカデリーに入った。 最初は西武新宿駅すぐそばのTOHOシネマズ新宿にしようと思っていたが、 前夜にこの時間帯の…
6月13日(金曜)から封切りの 映画『フロントライン』。 そのあらすじは… 2020年2月3日、乗客乗員3711人を乗せたクルーズ客船「ダイヤモンドプリンセ…
「元ニューれいんぼう べる=さんふらわあ しれとこ」に別れを告げる。 この船に乗った最大の目的を無事果たし、なんだか気が抜けたようになった。 脱力とまではいかないが、やるべきことをなし終えた安堵感で、 それまで心身を覆っていた緊張感が、どこかへ消えてしまったのは確かだ。 とりあえず、左舷側プロムナードのチェアで、 「元ニューれいんぼうべる=さんふらわあ しれとこ」連写でバッテリーをおおいに消耗した…
フェリー放浪記第三部(四) さらば、元ニューれいんぼう べる=さんふらわあ しれとこ!
「その時」は確実に近づいていた。 浪人はその到来に備えて、外部デッキ左舷側へのルートをあらかじめ確認する。 まず船中央を貫く通路を後方に進む。
4月24日、木曜日。 浪人は福島県南相馬の沖で目覚めた。 昨晩、いや正確にいうとこの日の午前1時45分、 「さんふらわあ かむい」は大洗を出港し、 苫小牧港めざし北へと向かっていた…
ここを「さんふらわあ かむい」でのキャンプ地とする! キャンプ地の施錠はいまはやりのカードキーではなく、伝統的な鍵で。
18時の到来を告げる「夕焼け小焼け」のメロディーが、街に響きわたる。 空は、その歌詞とは全く対照的な雨雲に覆われていた。 夕焼け小焼けとともに、浪人はデスクのパソコンを閉じ、リュックを担いで外に出た。 近所で軽く夕食を取り、高田馬場から山手線で新宿へ。 新宿で中央線の快速列車に乗り換える。 四ツ谷、お茶の水、神田… 終点・東京駅で下りた。 19時30分の東京駅は、家路を急ぐ人と観光客でごった返して…
3月26日、水曜日。 パッと目が覚める。 枕元に置いていた電波時計をのぞき込む。 AM4:30 船旅に出ているときには、別に珍しくもない起床時刻だ。 ベッドから這い出し、下船準備を整えると、 トップデッキに出た。 4時57分である。 空はまだ闇に包まれている。 ファンネルの横に、月が浮かんでいた。
「フェリーりつりん」の姿が水平線の彼方に消えるのを見届け 浪人はオーシャンプラザに戻った。 6日ぶりの「フェリーどうご」でのランチは チャーシューまん 汁なし担々麺
続フェリー放浪記(二十八) フェリーどうご<5日ぶり3回目>
9時55分、徳島駅にやってきた。 列車に乗るためではない。 25分後に駅前を発車するバスに乗るのだ。
阿波おどり会館を出て、その前の広場に立つ。 モラエス顕彰碑が建てられている。 モラエス生誕100年を記念して1954(昭和29)年に建立された。 この碑の付近は、翁(モラエス)が朝夕…
浪人は「モラエスギャラリー サウダーデ」に、 たったひとり立つ。 リスボンに生まれ、徳島で没したモラエスの生涯。 それを改めて、このギャラリーで振り返ってみたい。
おどるあほうに みるあほう 徳島駅前に到着した。 高速バスの時刻表では14時に着くことになっていたが、 大阪市内の渋滞の影響で阪急三番街発車時点で15分の遅れが発生しており さ…
松永駅を出て、浪人は再び一人旅となる。 福山駅で播州赤穂行き普通列車を下りた。 そして当駅20時16分発の山陽新幹線さくら570号 新大阪行きに乗り換える。 福山の次は岡山。 昨年10月、「2つのドリームで韓国へⅡ」の帰京の足にサンライズ瀬戸を利用した際、岡山駅から乗車した。 あれからすでに5か月が経過している。 しかし、そ…
昼下がりに再会の宴を開いた海岸通りの広場まで戻ってきた。 時刻は間もなく17時15分を過ぎようとしていた。 宴会のときは、陽射しがまぶしく、この季節にしてはかなり暖かい空気が尾…
3人は再び「おのみち芙美子通り」と名付けられるアーケード商店街に戻った。 人通りの多い、にぎやかな通りだ。 しかしそのほとんどが、他所からやってきた観光客であり、歩いている顔ぶれのなかに地元の人をまず見かけることはない。 尾道に着いてから、浪人の頭のなかには大きなクエスチョンマークが浮かんでいて、なかなか消えない。 週末ということを差し引いても、なぜこれだけのツーリストが尾道に押し寄せているのか…
尾道限定のトリオ結成となったMさん、画伯そして浪人。 まずはJR尾道駅に向かった。 大きな荷物をコインロッカーに預けるためだ。 しかし、コインロッカーは一つも空いていなかった。 尾道に降り立った時、まず思ったのが観光客の数の多さだった。 それも国内だけでなく、海外からの訪問者も目立つ。 しかもきょうは土曜日。 町に観光客がいないはずはなかった。 駅には観光案内所はあるが、手荷物一時預かり所のような…
シースピカのクルーズも残り1時間を切った。 右手に多々羅大橋が見えた。 「しまなみ海道」を構成する道路橋の一つ。 広島県尾道市の生口島(左側)と愛媛県今治市の大三島(右側)の…
シースピカが着桟したのは大久野島の南部にある第1桟橋である。 橋を渡り終えると、正面に島の案内図がある。 4年前は、これの向かって左手へ進んだ。 ウサギの写真を撮りつつ、島の西側にある「毒ガス貯蔵庫跡」まで歩き、 そこからまっすぐ引き返してシースピカに戻った。 今回は右手の方に進む。 なぜか画伯もついてくる…
シースピカは間もなく安芸灘大橋にさしかかろうとしている。 2001年に開通した、呉市と下蒲刈島(しもかまがりじま)を結ぶ橋。 安芸灘諸島を8つの橋で結ぶ、とびし…
浪人はシースピカ2階の屋外デッキにいる。 広島出港の時からずっとここにいた。 浪人にと…
3月22日、土曜日。 浪人は広島にいる。 きょうは早起きする必要があり、 スマホのアラームもいつもより早めに設定していたが、 その時刻よりも先に目覚めてしまった。 せっかく早く目覚めたので、 ホテルの周辺を散歩することにした。 ホテルの前を流れる猿猴(えんこう)川に架かる猿猴橋。
前回のブログ更新から ちょうど3週間がたった。 3週間前の水曜の夜 浪人は新たな旅に出た。 その旅の終着地は、浪人の実家からそれほど遠いところではなかった。 旅を終えたとき…
4月23日。 東京は朝から弱い雨が、間断なく落ちている。 横浜大さん橋ではこの日の正午、 パシフィック・ワールドが地球一周の船旅に出発する。 出航前日の正午、浪人はその大さん橋にいた。
15時56分。 旭洋丸は音戸の瀬戸にさしかかる。 瀬戸を跨ぐ音戸大橋の橋脚の下に清盛塚が見える。 <…
高浜駅から海沿いの道を歩くこと10分足らず。 松山観光港フェリーターミナルと けさ7時前に下船した「フェリーくるしま」の姿が現れ、 それは次第に大きくなっていく。 ターミナルに戻ったのは13…
乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。 ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。 道理で切符が安いと思った。たった三銭である。 漱石の『坊っちゃん』の一節である。 主人公は当時の汽船のりばがあった三津の駅から伊予鉄の蒸気機関車に乗って松山に着いた。 『坊っちゃん』発表から119年後の2025年、 浪人は松山市駅から伊予鉄で三津に向かった。 13分かかった。 交通系ICカードで350…
松山駅前から伊予鉄の路面電車に乗り、終点の松山市駅に来た。 駅近くのスターバックスで、モーニングコーヒーとしゃれこもう。 というわけではないが、とりあえずスタバに入る。
3月21日、金曜日。 午前6時50分。 浪人は松山観光港にいる。 厳密に言えば、ターミナルビルへと通じる長いボーディングブリッジを歩いている。 左手に松山・小倉フェリーの車輌切符売り場の建物が見える。
先日、浪人オフィスに今年度版の『もっと石川』が届いた。 こちらは石川県をすでに何度か訪問している「中および上級者(いわばリピーター)」向けの冊子だ。
21時40分。 「フェリーくるしま」出港15分前。 浪人はデッキに出た。
四国松山行きフェリー待合室に入る。 待合室とは言い条、このなかで乗船手続きも行われる。 21時55分出港便への乗船開始は21時。 乗船手続きは19時30分から始められる。 現在時刻が20時18分。 この時点で待合室の椅子は、乗船を待つ人々で8割がた埋まっている。 ただ、乗船受付カウンターには乗客の列はなかった。
旧門司三井倶楽部を出たのは16時過ぎであった。 入館したのが14時50分ごろだったことを考えると、 1時間以上、この2階にある記念室にいたことになる。 その半分以上を林芙美子記念室で過ごしていたのだ。 正面には門司港駅がある。 ただ、そこへは向かわず、駅に向かって左手に進む。 門司港レトロ観光線の踏切を渡り、栄町銀天街というアーケード街に入る。 その途中、細い路地が右側に枝のように伸びていた。 この看…
唐戸桟橋前にあるコンビニに立ち寄った。 昨夜、「フェリーどうご」内のテレビで目撃した大谷翔平のホームランが、酔っ払いの幻覚でないことがわかり安堵する。
小森江駅8時44分発の列車に乗った。 進行方向左手の車窓には関門海峡が見える。 この列車の旅は5分で終わった。 終点・門司港駅に到着したからである。 ここで、去年の5月末のことを…
3月20日、春分の日。 キャンプ地の中で目が覚めたのは午前5時を少し回ったところだった。 洗面所で歯を磨き、無精ひげをそり、顔を洗い キャンプ地で下船に向けた荷造りをすます。 あらかたの準備を整え、展望デッキに出る。 時刻は5時51分。 九州の夜はまだ明けていない。
12時40分過ぎ。 今回の乗船で初めて船首の方に出かけた。 こちらに腰かける。 窓の外には、四国。
3月19日、水曜日。 前夜は久しぶりに船の上で眠った。 いや、その前に乗った「…
「フェリーどうご」に乗船した。 乗船口で男女クルー3名のお迎えがあり、乗船者のキャビンやベッドの位置を案内。 それとともに、これまでにはなかったプレゼントの贈呈を受けた。
3月14日。 金曜日の正午過ぎ。 浪人はここにやってきた。 2月22日に訪れた林芙美子記念館。 約3週間ぶりに再訪した。
10日ぶりの浪人ブログ更新となる。 実は18日から、今年初の塩分補給に出かけていた。 東京に戻ってきたのは、昨日(26日)のことだ。 旅に出るときは、まだまだ肌寒く、コートを羽織っていたものだが…。 きのうは朝から異様にポカポカしており、 浪人オフィスのそばの遊歩道ではソメイヨシノがポツポツ開花していた。
3月15日、土曜日。 浪人はJR高田馬場駅から電車に乗り 新宿、横浜と2回の乗り換えをへて 11時にならぬうちに桜木町駅に降り立った。 そこから汽車道を行き、ナビオス横浜の建物をくぐり、 左折して新港サークルウォークに上がった。 ここまではほぼ、6日前の午後と同じ動きを繰り返している。 ただ、ここからが違う。 浪人はまっ…
林芙美子記念館を10数年ぶりに訪れてからというもの、 彼女の作品や、その人生についての書物を読むようになった。 浪人オフィスのそばに下落合図書館があるので、そこで何度も借り出しては、むさぼるように読む。 さすが新宿区にゆかりの深い作家ということもあり、 芙美子関連の蔵書はひと通りそろっているのがありがたい。 こんな日記や作品があったのか、と驚かせられることが多い。 浪人が借りたのは『愉快なる地図…
2020年。 世界はコロナ禍に見舞われた。 それは島国である日本も例外ではなかった。 浪人も、この年に予定していたあらゆるものが中止に追い込まれた。 2月末に実家のある富山で行われるイベント 4月に実施されるはずだったクルーズ取材 そして4月の緊急事態宣言の発出により、都外へ出ることさえままならなくなった。 当然、ゴールデンウィークに予定していた実家への帰省も取りやめた。 6月になり、その規制も少しず…
泉大津の駅から南海電車に乗る。 6時08分発の急行なんば行きだ。 まっすぐ大阪には入らず、堺で下車した。 東口の改札をくぐる。 改札口の上には、戦国の世に堺で盛んにおこな…
門司駅で列車を下りる。 駅前のロータリーを横切ったところに阪九フェリーバス乗り場が見える。 無料送迎バスの到着時刻までまだ10分ほど余裕があったが、 すでに数人の年配の方がそれを待っていた。
下関から鈍行列車に乗って関門トンネルをくぐる。 小倉駅で降りた。 この年の3月初め、つまりきょうから7か月半も前のこと。 浪人は『フェリーズ』Vol.5の企画で「ラーメンと野球場を訪ね歩くフェリー乗り継ぎ旅」(浪人ブログでは「QE2に出会った船旅2005」として収録)の途上、大阪から名門大洋フェリー「フェリーきょうと2」で新門司に上陸した。 新門司フェリーターミナルから無料送迎バ…
案内いただいたご老人にお礼を言って、釜山近代歴史館を辞す。 ロッテリアの前を通り過ぎる。 日本のプロ野球では千葉ロッテが日本シリーズ進出を決めたばかりで、 こちらでもその祝勝セールをやっているかとのぞいてみる。 やはりここは韓国、それはなかった。
10月20日(木曜) 4日ぶりに陸の上で目覚めた博多の朝。 ホテルを出て、前夜とは逆に天神から国際フェリーターミナルまでバスで向かう。
登別温泉から博多。 17年前の浪人ブログ「白い船がいた海」で その旅模様を記した。 今回は「フェリー放浪記」として、 室蘭から博多まで「ニューれいんぼうべる」の船旅と 途中寄港し、一時下船した直江津でのことを綴ろうと思う。
2005年10月18日(日曜) 東京駅に着いた。 浪人は14時20分発の高速バスに乗って東京にしばしの別れを告げた。
2025年2月22日。 土曜は空気が冷たいものの、よく晴れている。 ランチを済ませ、浪人オフィスからそれほど遠くも近くもないところにある中井という町に出かけた。 中井には西武新宿線と都営地下鉄・大江戸線と2つの駅がある。 西武新宿線は高田馬場、新宿につながる。 大江戸線は新宿、代々木、青山一丁目、六本木、そして伊豆諸島や遠く小笠原への船便が出る竹芝桟橋の最寄り駅・大門(浜松町)へとつながる。 そういう…
2月27日に発売となった『クルーズ』2025年春号。 特集は ○ミツイオーシャンフジ就航! ○フェリーで味わうクルーズ気分 の二本立て。 2002年6月にクルーズ臨時増刊として創刊された フェリー専門誌『フェリーズ』。 2020年3月末の発売を最後に休刊となり、 2021年2月末発売号の『クルーズ』誌から フェリー特集が毎年1回組み込まれることになる。 この最新号で『クルーズ』のフェリー特集も5年目。 クルーズシップ…
本日=2025年2月27日 雑誌「クルーズ」最新号(春号)が発売となった。
2025年2月11日。 祝日の午後、東京駅丸の内南口ヘ向かう。 だが、そこには浪人がめざす目的地行きのバス停留所がない。 最後にここからそのバスに乗ったのはおととしの暮れ。 この2年ちょっとで何があったのだろう? ちょっと狼狽したが、それは間もなくおさまる。 その停留所は、はとバス乗り場のそばに移転していたのだった。
2024年12月7日。 土曜日の早い日没が迫っていた。 浪人は「ゆりかもめ」を下車し、 東京国際クルーズターミナルに向かっていた。 このターミナルに来るのは、今年(2024年)はこれが初めて。 前回は2023年8月18日、停泊中のパシフィック・ワールド船上で開催された ピースボートクルーズ(PBC)創設40周年記念パーティーの出席以来で…
「ふじ丸」のエンディングが刻一刻と近づいている。 その姿に、天も微笑んだのだろう。 梅雨の最中にもかかわらず、2日間とも雨は降らず、最終日には美しい夕陽が「ふじ丸」を照らした。
「ふじ丸」に戻る通船が出る港へ戻る途中、 或る記念碑の前で歩みを止めた。 ここは「うず潮」記念碑観光広場。
2013年7月1日。 新しい月は月曜から始まる。 その7月の初日を、「ふじ丸」の上で迎えた。 このようなことは、もうないだろう。 同室の方はすでに起床して外出したらしく、キャビンにはいなかった…
晴海客船ターミナルに背を向けて、プールデッキに。 ここから、レインボーブリッジを見上げる。
1989年、「ふじ丸」の登場は日本にレジャークルーズをもたらした。 それから24年たった今年は外国船の日本発着クルーズが注目を集め、 「第二の日本のクルーズ元年」ともいわれる。 2013年7月末に発売された『クルーズ』9月号。
2005年7月も、間もなく幕を下ろそうというある夜。 浪人の携帯電話が鳴った。 「突然ですが、来月13日から始まるクルーズに乗ってほしいんですが…」 声の主は、ピースボートクルーズ(PBC)の男性スタッフ。 8月13日から27日までの15日間、PBCは日韓共催「ピース&グリーン(P&G)クルーズ」を行うことになっている。 今回が第1回となるP&Gクルーズの記録を、今後のプロモーションのためにも残しておきたい。 それで浪…
「あそこにいる連中は、ホットワインなんかを片手に、俺たちのことを見下ろしているんだろうなァ」 黄昏迫る寒空に、恨めし気な男の声が、力なく漂った。 声がする方を振り返る。 そこには齢20代後半から30代前半くらいの男性、 その傍らには同年代と思しき女性の姿。 カップルの視線の先には、まもなくデビュークルーズへと船出する客船の真っ白なボディが横たわっている。 2024年12月1日。 師走は日曜日で幕を開けた…
ようやく金曜も終わろうとしている。 2月最初の1週間は、思いもよらない展開となった。 これは今年の浪人の思いではない。 いまからちょうど5年前の2月7日、 その日に更新した浪人ブログ記事 ダイヤモンドプリンセスの衝撃2~幻の上海行の 冒頭の一文である。 2025年2月は、あのダ…
フェリーの旅1週間2016 DAY7未公開編 オーシャンドリームの記憶
新長田の大正筋商店街から「ふたば学舎」へ。 なんだかレトロ感あふれる。 昔の学校のような雰囲気。
DAY7(土曜)晴れ〓 「さんふらわあ ぱーる」は6時30分に明石海峡大橋を通過。
フェリーの旅1週間2016 DAY6/後編 「さんふらわあ ぱーる」に乗った
ランチの後は大分県立美術館(OPAM)まで歩く。 そしてアート鑑賞。 2015年4月にオープ…
去年(2024年)9月19日。 浪人を乗せたクルマは真夜中の常磐道を東京に向けて疾走していた。 この日、浪人は大洗港フェリーターミナルへ出かけた。 東京駅を午後遅くに特急列車で発ち、 下車した水戸の駅前で早めの夕食をとり 下校の学生や帰宅の社会人を満載した鹿島臨海鉄道に乗って大洗駅に。 そこから、すでに真っ暗になっていた道をフェリーターミナルへと急いだ。
フェリーの旅1週間2016 DAY6/前編 「はまゆう」で下関上陸そして大分へ
DAY6(金曜)雨☂のち晴れ〓 午前6時に目覚める。 そこはもう北九州沖であった。
フェリーの旅1週間2016 DAY5/後編 関釜フェリー「はまゆう」で釜山夜景クルーズ
釜山港国際旅客ターミナルに到着すると、 午前に預けた荷物をピックアップ。 それから…
フェリーの旅1週間2016 DAY5/前編 パンスター・ドリームで釜山7時間の旅
DAY5(木曜日) 晴れ〓 午前7時過ぎ。 「パンスター・ドリーム」は玄界灘の真っただ中にいた。 船尾からサンライズを拝み
フェリーの旅1週間2016 DAY4 パンスター・ドリームの瀬戸内パラレルクルーズ
DAY4(水曜日) 晴れ〓 名古屋から大阪へ。 この1週間の旅では唯一となる陸上の夜を、友人宅で飲みながら過ごした。 次の日、コスモスクエア駅へ。 同駅13時35分発のシャトルバスに乗って国際フェリーターミナルに。 バスを降りるとそこはもう大阪ではなかった。 ターミナル前にハングル文字の書かれた段ボール箱がいくつも積み上げられ、 そこかしこに美味しそうなキムチの香りが漂っていたからで…
フェリーの旅1週間2016 DAY3 「いしかり」で名古屋にやってきた
DAY3(火曜日) くもり〓ときどき晴れ〓 デッキに出ると伊良湖岬が見えていた。 …
フェリーの旅1週間2016 DAY2/後編 「いしかり」、「さんふらわあ だいせつ」との競演
レストランシェフのインタビューを終え、ヨットクラブの取材。 14時からの焼き立てパン販売を撮影する。 チョコチップメロンパンが美味しそう。
フェリーの旅1週間2016 DAY2/前編 「いしかり」で仙台一時下船&旧友との再会
DAY2(月曜日) 晴れ〓ときどきくもり〓 6時30分、起床。 6時47分の太平洋。 7…
フェリーの旅1週間2016 DAY1 苫小牧から太平洋フェリー「いしかり」乗船
2016年秋。 『クルーズ』臨時増刊号として2002年以来、年1~2回のペースで発行されたフェリー専門誌『フェリーズ』(海事プレス)。 2017年3月末発売のVol.16に掲載される「金丸くんが行く」の取材と称し、7日間のフェリー乗り継ぎ旅を行った。 その記録については浪人ブログ未収録のままだった。 それから8年の歳月が流れた。 2025年1月19日、商船三井さんふらわあの「さんふらわあ だいせ…
浪人が2005年横浜港初詣を行ったその日。 太平洋では1隻のフェリーがラストランを行っていた。 その船名は「さんふらわあ だいせつ」。 2001年の誕生から2006年末までは九越フェリーおよび東日本フェリーの「ニューれいんぼうらぶ」だった。 産声を上げてから足かけ6年間、博多~直江津(新潟県)~室蘭(北海道)という日本海縦断…
1月19日、日曜日。 2025年になって初めて横浜港に出かけた。 去年おととしと、2月中旬になって初めて横浜港を訪れた浪人にしては、少し早めの「横浜詣で」である。 思えば昨年(2024年)は、横浜港に足を運ぶことが少なかった。 2月17日「或るオランダ船との邂逅」で、赤レンガ倉庫からウエステルダムを眺める 4月13日「
「起きてください!テレビをつけてください!!」 ただならぬ叫び声とともに、ドンドンドンとドアをノックする音。 これらで浪人の眠りは覚まされた。 そしてまずは、家のドアを開ける。 そこにはアパートの2軒隣の部屋に暮らしていた知人が立っていた。 いつもは、どこかとぼけた感じの雰囲気を醸し出している知人が、 今朝ばかりはかなり様子が違っていた。 彼に言われるがままに、テレビのスイッチを入れた。 映し出…
2つのドリームで韓国へⅡ㉓(終)<br />エピローグ 特急やくも+サンライズ瀬戸で東京駅へ
17時29分。 浪人を乗せた「ねこ娘&ねずみ男列車」は後藤駅に停車した。 後藤。 この駅名をみて、浪人は思い出した。 進行方向左手の車窓には、まもなく後藤総合車両所が現れる。 …
2025年、浪人の仕事始めは1月6日だった。 その日、ピースボートクルーズ(PBC)公式ホームページのクルーズコレクションにおいて 東西をつなぐ時間旅行-航海作家が選ぶ歴史航海-がアップされていた。 昨年5月末から6月上旬、浪人はパシフィック・ワールド地球一周クルーズの欧州区間(リスボン~ルアーブル~ティルベリー・ロンドン…
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7月13日、日曜日。 それは商船三井さんふらわあ北海道航路(苫小牧~大洗)の深夜便に就航する 「さんふらわあ しれとこ」 旧名は「ニューれいんぼうべる」 ラストランでの大洗入港日だった。 この浪人ブログでは何度もこの船との関りについて触れてきた。 その詳細は昨年11月9日に更新した 「さんふらわあ しれとこ」そして「ニュー…
7月11日、金曜日。 前日までの最高気温35℃前後という酷暑が嘘のような、冷涼な朝を迎えた。 連日連夜稼働していたエアコンも、夜中にスイッチが切れるようにしていたが、 不快な暑さで目が覚めることもなかった。 ただ、空は久しぶりに見るどんよりとした雲に覆われている。 午前8時過ぎ、パソコンを立ち上げて、 横浜大さん橋国際クルーズターミナルのライブカメラを視聴。 それと並行して、この日に入っていた用事を…
7月9日、水曜の深夜24時30分。 7月10日の午前0時30分でもいい。 フジテレビの「いたジャン!」に浪人が出演したのだ。 この番組はアイドルのHey! Say! JUMPの冠番組で Hey! Say! JUMPのメンバーが知識を深めるために、 様々なジャンルの雑誌やウェブ媒体のライターが出演し、 今まで取材した最高のスクープやそのジャンルに関して 熱く語るとい…
日本郵船氷川丸を下りた浪人、 山下公園を海に沿って歩く。 目指すは大さん橋。 氷川丸船上から遠望した船を間近で見るために。
氷川丸Aデッキ、 左舷側屋外デッキから。 およそ20年ぶりに氷川丸に乗った理由。 それは、こ…
6月8日、日曜日。 新宿でランチを済ませ、新宿三丁目駅からFライナーに乗って終点の元町・中華街駅で下りた。 目指すは山下公園。 そして日本郵船氷川丸である。
12時45分。 建物内に入って、まずこの告知に驚いた。 ええっ、こんなに初夏を思わせる陽気で、市内では吹く風の勢いも感じないのに…。 しかし改めて告知の全文に目を通して、すぐに…
直江津捕虜収容所の跡地にできた平和記念公園をあとにして、 すぐそばに架かる荒川橋を渡った。 これは1時間ちょっと前に渡った直江津橋よりも関川の河口にある。 荒川橋を渡り切った…
4月27日、日曜日。 いかや旅館、いや、現在はホテルセンチュリーイカヤ最上階の一室で目覚めた。 朝食をとるため、廊下に出た。 エレベーターホールにある窓からは、 「飛鳥」を模した直江津駅舎を俯瞰できる。
前回に引き続き、『クルーズ』2025年夏号の浪人担当ページについて。 きょう取り上げるのは連載「クルーズポートを歩く」。 今号で13回目を迎えたこの連載、ついに東京港をピックアップした。
6月27日、金曜日。 「クルーズ」2025年夏号が発売された。 夏号における、浪人の担当は…
18時07分、特急「しらゆき」8号は直江津駅に到着した。 浪人はここで下車し、そのホームに降り立った。 自動改札をくぐり、駅前繁華街のある北口ではなく、南口へと左折する。
これからの決まった目的地もなく とりあえずATMコーナーを出た浪人は すぐそばにあったアーケード商店街に入る。 そこはオレンジ通りと言っていいくらいに、 そのカラーを配した横断…
昨夜、23時にもならないうちに眠ってしまったせいか、 午前5時過ぎにに目が覚めた。 廊下に出て左舷側デッキに通じる出入口の窓から外を見る。 太陽がすでに水平線より高いところにある。
3階の中央やや船首側にある浪人キャンプ地・ツーリストS。 そこから同階の中央部ロビーに行く。 そこで、船内クイズラリーという企画が行われていることを知る。
市立小樽文学館のカフェ。 ここでゆっくりしていきたい気もするが、 小樽で浪人に残された時間はあとわずか。 階段を下りて、文学館を辞す。
旧日本郵船株式会社小樽支店を出たのは正午近くだった。 ここに23年ぶりの入館を果たす直前から強くなっていた雨脚は 勢いを弱めることを知らなかった。 そして浪人の腹時計もにわかに騒がしくなっていた。 幸い、どこで食事を取るかはもう決めてあった。 近くに鱗友朝市があり、その屋内に朝市食堂が営業している。 正午になったということもあり、店内は混んでいた。 と言っても、行列を作って空席ができるのを待つ、と…
運河公園を背にし、この建物の前に立つ。 浪人が小樽にやってきたのは、これが何度目になるだろうか。 最初が1991年9月、家族旅行で新潟から新日本海フェリー(船名は忘れた)に…
4月25日、金曜日。 苫小牧の空は一面の灰色だった。 朝食前に、ホテルの周辺を少しだけ散歩した。 昨晩、21時にホテルに入り、23時には眠ってしまった。 そしてきょうは8時09分発の列車で苫小牧を離れる。 素通りするのも何なので、ちょっと苫小牧の空気を吸いたいと思ったのだ。 向かったのはアカシア公園。 そこには王子製紙軽便鉄道の機関車と
6月14日、土曜日。 新宿は雨〓 高田馬場での用事を済ませ、 16時少し前に新宿ピカデリーに入った。 最初は西武新宿駅すぐそばのTOHOシネマズ新宿にしようと思っていたが、 前夜にこの時間帯の…
目が覚めたのは6時過ぎだった。 キャンプ地のカーテンを開けるとそこは 北欧だった。 窓の外にはノルウェーの入江
6月4日、火曜日。 浪人は北海の上にいる。 デッキ12中央のリビエラスイミングプールでは7時から 終日航海日恒例の「おはよう太極拳」が行われている。
6月3日正午。 パシフィック・ワールドはここにいる。 まだまだ次の寄港地ベルゲンは先のように見えるが、 12時30分からプリンセスシアターで「ベルゲンのいろは」が行われる。 これ…
新しい朝が来た。 6月3日、月曜日。 新しい週の始まりは、 同時に欧州クルーズの新しいフェーズ開幕を告げていた。
ナショナルギャラリーを出たのは15時30分を過ぎたころ。 目の前のトラファルガー広場では、チャンピオンズ・フェスティバルが宴たけなわといったところだ。 フェスティバル会場に入っ…
サヴィル・ロウからピカデリーサーカスへ戻る。 前夜のUEFAチャンピオンズリーグ決勝の余韻がいまだ冷めやらぬロンドン。 今年はファイナルの舞台がウェンブリー・スタジアムだったので、勝ち上がったボルシア・ドルトムント(BVB)とレアル・マドリード その中間に勝者にのみ与えられるトロフィー(ビッグイヤー)のイラストをあしらったフラッグが、通りを気持ちよさげに舞う。
ひとりになった浪人は、まずウエストミンスター駅から地下鉄に乗り込む。 次のエンバンクメント駅でノーザンラインに乗り換え、テムズ南岸に入る。 クラッパムコモンという駅で下車し、ここにやってきた。
6月2日。 日曜の朝を迎えた。 キャンプ地の窓のカーテンを開けるとそこは、 そこには滝廉太郎と土井晩翠という 『荒城の月』作詞作曲コンビが最初で最後の出会いを果たしたティルベリー港だった。
ロンドン時間18時13分。 ウエストミンスターブリッジ。 ソウくん、Uさん、タイスケさん、そして浪人の取材班4名は、ある人たちとの待ち合わせをしている。
キャンプ地でしばし午睡を楽しんだあと、 15時30分にデッキ7後方のビスタラウンジに向かう。 ここがティルベリーのオプショナルツアーJ1/J1E/J1Z/J1Kコースの集合場所だからだ。 なおJ1のあとにあるEはEnglish(英語)、ZはZhōngwén(中文)、KはKorean(韓国語)対応の意味であり、 J1のあとに何もつかないのが日本語対応である。 ピースボートクルーズ(PBC)地球一周クルーズは、浪人が12年ぶりに取材乗船を行っ…
6月27日に発売された『クルーズ』誌の最新号。 掲載誌は発売翌日に届いた。 …
目覚めたら、6月になっていた。 6月1日、土曜日の朝。 6時過ぎに起床。 ドーバー海峡は曇り。 英仏をつなぐP&Oのフェリーが海峡を渡って行った。 朝食後、いつものようにインター…
かわいらしい建物が軒を連ねる港町オンフルール。 その旧港沿いにある店にはD-DAY80周年を祝う記念グッズがところ狭しと並び いままた我々の最終目的地アイスランドで火山噴火の報に接する。 絵本…
オンフルール旧港から古い街並へ入っていく。 まず目指したのが聖カトリーヌ教会(右)。
5月最終日。 それは31日の金曜日である。 前夜のビートルズナイトで、浪人の心はリスボンからロンドンに飛んだ。 しかしロンドンの前にフランスがある。 その寄港に、何やら不穏な影…
5月30日。 デッキ15のトップサイダーズから洋上ラジオ体操を眺めることから、一日が始まる。 これを見ていると、パシフィック・ワールドに戻ってきたなあ、と強く実感する。 6時55分…
ふと目が覚める。 あれ、ここはどこだ? 一瞬、脳が混乱をきたす。 初めてではないのに、見慣れない風景が広がる。 やがて落ち着きを取り戻した脳が、すべてを理解する。 昨日からパシフィック・ワールドの住人になったのだ。 昨晩はイスタンブール→リスボンと長距離移動とロケが続いていた疲れから、23時を待たずに眠ってしまった。 いま時計を見ると、午前6時30分になっていた。 こんなに眠ったのは久しぶりじゃな…
突然のYahoo!メール遮断と、 古い船友○○と名乗る人物からキャビンにかかってきた謎の電話。 久しぶりのパシフィック・ワールド乗船直後に浪人を襲ったもろもろが引き起こした混乱から逃れるように、デッキ14に出た。 時刻は18時を過ぎたところ。 取材班再集結は18時30分の予定だったが、キャンプ地にいると混乱を引きずりそうだったので、それを振り払うために表に出たのだ。 船尾側のふ頭では何やら工事が行われている。…
ポルトガルの国民的詩人フェルナンド・ペソアが贔屓にしたレストランを後にした我々4人はリスボン銀座のアウグスタ通りを北上する。 人々でごった返す銀座通りを左折し、バイシャ・シアード地下鉄駅を通り抜けガレット通りへ。 これまた老舗カフェの「ア・ブラジレイラ」で、ペソアに今日もご挨拶。 「きょうは一流のフォトグラファーを連れてまいりました」と。 タイスケさんの前では心なしかいいポーズをとったようにも見…
朝、目がさめたとき、自分がいまリスボンにいるというだけで、幸福な気分になった。 司馬遼太郎さんは、『街道をゆく』南蛮のみちⅡにおいてそのように書かれている。 2024年5月28日、火曜日。 浪人はリスボン市内のホテルの一室で目覚めた。 外はまだ薄暗かった。 時計を見るとまだ午前5時過ぎである。 この日のリスボンの日の出は6時15分ごろであるというから、ちょっと早起きし過ぎだ。 前日、ベレンでナッタを楽…