3階の中央やや船首側にある浪人キャンプ地・ツーリストS。 そこから同階の中央部ロビーに行く。 そこで、船内クイズラリーという企画が行われていることを知る。
5月最終日。 それは31日の金曜日である。 前夜のビートルズナイトで、浪人の心はリスボンからロンドンに飛んだ。 しかしロンドンの前にフランスがある。 その寄港に、何やら不穏な影…
パシフィック・ワールド欧州縦断記#8~アマリア・ロドリゲスからビートルズへ
5月30日。 デッキ15のトップサイダーズから洋上ラジオ体操を眺めることから、一日が始まる。 これを見ていると、パシフィック・ワールドに戻ってきたなあ、と強く実感する。 6時55分…
ふと目が覚める。 あれ、ここはどこだ? 一瞬、脳が混乱をきたす。 初めてではないのに、見慣れない風景が広がる。 やがて落ち着きを取り戻した脳が、すべてを理解する。 昨日からパシフィック・ワールドの住人になったのだ。 昨晩はイスタンブール→リスボンと長距離移動とロケが続いていた疲れから、23時を待たずに眠ってしまった。 いま時計を見ると、午前6時30分になっていた。 こんなに眠ったのは久しぶりじゃな…
突然のYahoo!メール遮断と、 古い船友○○と名乗る人物からキャビンにかかってきた謎の電話。 久しぶりのパシフィック・ワールド乗船直後に浪人を襲ったもろもろが引き起こした混乱から逃れるように、デッキ14に出た。 時刻は18時を過ぎたところ。 取材班再集結は18時30分の予定だったが、キャンプ地にいると混乱を引きずりそうだったので、それを振り払うために表に出たのだ。 船尾側のふ頭では何やら工事が行われている。…
ポルトガルの国民的詩人フェルナンド・ペソアが贔屓にしたレストランを後にした我々4人はリスボン銀座のアウグスタ通りを北上する。 人々でごった返す銀座通りを左折し、バイシャ・シアード地下鉄駅を通り抜けガレット通りへ。 これまた老舗カフェの「ア・ブラジレイラ」で、ペソアに今日もご挨拶。 「きょうは一流のフォトグラファーを連れてまいりました」と。 タイスケさんの前では心なしかいいポーズをとったようにも見…
朝、目がさめたとき、自分がいまリスボンにいるというだけで、幸福な気分になった。 司馬遼太郎さんは、『街道をゆく』南蛮のみちⅡにおいてそのように書かれている。 2024年5月28日、火曜日。 浪人はリスボン市内のホテルの一室で目覚めた。 外はまだ薄暗かった。 時計を見るとまだ午前5時過ぎである。 この日のリスボンの日の出は6時15分ごろであるというから、ちょっと早起きし過ぎだ。 前日、ベレンでナッタを楽…
パシフィック・ワールド欧州縦断記#3~21年ぶりのリスボンにて
10時過ぎ、リスボンの国際空港に到着した。 イスタンブールを飛び立ったのが7時ごろだったが、 イスタンブールとリスボンの間には2時間の時差がある。 イスタンブール時間からマイナス2時間がリスボン時間となる。 ということで5時間のフライトとなった。 そしてこのフライトでは全くバラバラの席だったソウくんと5時間ぶりの再開を果たし、無事、ポルトガル入国となった。 ここで新たなメンバーが加わった。 Nさんとい…
パシフィック・ワールド欧州縦断記#2~浪人がリスボンに向かう理由
5月27日、月曜日。 浪人は6時55分イスタンブール発のターキッシュエアラインズの機中にいる。 飛行機はまさにギリシャ上空を越えてアドリア海、さらに長靴型のイタリア半島にさしかか…
パシフィック・ワールド欧州縦断記#1~ぶっ翔んでイスタンブール!
5月26日。 日曜日の午前6時過ぎ。 浪人は新宿・歌舞伎町タワーの前に立っている。 思えばほぼ1年前の5月28日。 その日も日曜日だった。 18年ぶりの
横浜にクルーズ客船大集合 たった4はいで夜も寝られず 詠み人浪人 4月13日、土曜日。 浪人は新宿駅から湘南新宿ラインに乗って横浜駅へ。 ここで根岸線に乗り換えて桜木町駅で降りた。 汽車道をゆく。 6日間にわたった南端紀行を終え、帰京したのは4月9日の夜。 その旅の間に、ソメイヨシノも盛りを過ぎていた。
南端紀行20(最終回)~「さんふらわあ さつま」で大阪そして…
今夜2回目のプロジェクションマッピングのショーを観賞。 ショーの終了後、気が付いた。 浪人スマホがいつの間にか圏外になっていることを。 時刻は21時過ぎ。 「さんふらわあ さつま」はいま九…
「さんふらわあ さつま」大阪行きの乗船が始まった。 ここは鹿児島県志布志市志布志町志布志3292にある志布志港。
12時20分、カゴシマシティビューは終点・鹿児島中央駅前に到着した。 雨はまだ降り続いている。 浪人は雨から逃れようと、バス停のすぐ近くにあった地下道にもぐりこむ。 目指すは、かごっまふるさと屋台村。 駅と地下道で直結しているので、傘を差さずに屋台村にたどり着けるのがありがたい。 昨晩楽しい時間を過ごした「奄美商店 ケンムン酒場」は、本日(月曜)のランチ営業はお休みのため、閉まっていた。 それを知っ…
那覇明治橋にある終点から 西郷隆盛像のある起点まで。 国道58号線をさかのぼる旅は、ここで終わる。 国道58号線の旅は、鹿児島と沖縄を訪問する際には過去何度も行っているので、今回が初めてというわけではない。 ただ、起点のそばにこういうものがあることは、初めて知った。
枕崎駅前を17時ちょうどに発車した特急バスは、18時29分に鹿児島中央駅前に停車した。 浪人はここで下車し、けさ、リュックを預けていた駅近くのホテルにチェックイン。 30分ほど休憩してから、すっかり暗くなった鹿児島の町に繰り出した。 夕食をとるところはもう決めてあった。 鹿児島中央駅の真正面にたつ鹿児島中央ターミナルへ。
西郷隆盛が枕崎で1泊したという立志清右衛門宅跡から、さらに南へ。 この通りは「えびすさん通り」と合流したところで終わる。 えびすさん通りの向こうには緑地、そしてそのさらに向こうには海が広がっている。 緑地は公園となっており、その一角に蛭子(えびす)神社がある。 通りの名はこの神社に寄るものなのだろう。
3時間近くを過ごした列車から、終着駅のホームに下り立つ。 2つの車両から吐き出された乗客は、地元の人よりも観光客といった雰囲気の者が多かった。
鹿児島新港フェリーターミナル前にはポートライナーバスが1台停車していた。 浪人は何度もこのバスを利用して、 フェリーターミナルから鹿児島中央駅に向かったり、 その逆に駅からタ…
4月25日、浪人オフィスに掲載誌が届いた。 石川県観光ガイドブック『もっと石川』(画像左)である。 こちらは石川県をすでに何度か訪問している「中および上級者(いわばリピーター)…
4月7日、日曜日。 真っ暗なシングルキャビンで目が覚めた。 枕元に置いていたデジタル電波腕時計を手探りで取り、 現在時刻を見たら午前4時30分過ぎだった。 昨夜、名瀬出港から1時間後の22時30分あたりに眠ってしまったこと そして昨日の朝が、7時那覇発のフェリー波之上に乗るため4時台に起きてしまったこともあり どうやら体内時計が陸上生活とは異なるリズムになっているようだった。 キャビンを出て、すぐ横にある左…
次は徳之島・亀徳港。 入港予定時刻は16時35分。 徳之島が近づくと、なぜか船内に貼られている徳之島関係のポスターが視界にやたらと入ってくるようになる。
フェリー波之上から沖縄本島最北端・辺戸(へど)岬を望み、沖縄に別れを告げた。 その余韻冷めやらぬうちに鹿児島県の最南端・与論島が右舷側に現れた。 供利港への接岸を試みる。 <…
フェリー波之上から眺める 瀬底島(左)、瀬底大橋(中央)、本部港(右)。 まもなく本部入港。
降りしきる雨のなか、まだ薄暗い国場川沿いの道を歩くこと5分ちょっと。 那覇港船客待合所に到着した。 時刻は6時20分になろうとしていた。 まずは乗船受付の窓口で、1か月前に電話で…
フェリー海邦は那覇へと針路をとる。 やがて右舷側には慶良間列島が現れる。
突然の雨。 アンジェーラ浜に近い公衆トイレ・シャワー室に退避する。 そこには先客がひとり。 レンタサイクルを利用していたシニア男性が、トイレの前で恨めしそうに空を眺めている…
ついに渡名喜島上陸を果たす。 久米島ゆきの便なので、乗客の多くは久米島まで向かうのかと思っていた。 しかし、この便は存外、渡名喜島で下船する者が多かった。
フェリー海邦、出港。 離岸すると、その背後に隠れていた別の船が見え始める。 大東海運の「だいとう」である。 …
4月5日、金曜日。 起床したのは6時30分過ぎ。 そのときは降っていなかった雨が、 7時あたりから那覇の路面を濡らし始めた。
日本最南端の駅・赤嶺からゆいレールで3つ目の壺川で下車した。 ここで改札をくぐるのは初めて。 ゆいレールに沿って流れる国場(こくば)川に架かる北明治橋の前に出た。 北明治橋を…
4月4日。木曜日の17時。 那覇空港にいる。 沖縄都市モノレール線、その愛称は「ゆいレール」。 那覇空港駅が今回の旅のスタート地点となる。 実はこの前日、この旅が消滅しかねな…
『クルーズ客船データブック2024-2025』にまつわるエトセトラ
『クルーズ客船データブック2024-2025』(海事プレス社)。 クルーズ5月臨時増刊である。 3月28日に発売となり、同日、浪人オフィスに「掲載誌」として届けられた。
宝福寺を出たのが14時過ぎである。 マイマイ通りをまっすぐ伊豆急下田駅には向かわず、 稲生沢川へとのびる殿小路通りを歩く。 1818年、といえばペリー浦賀来航の35年前だが その年に建てられたという雑忠(さいちゅう)家のなまこ壁の民家を通り過ぎ
長楽寺をあとにしてペリーロードに戻った。 その突き当りに位置する旧澤村邸におじゃました。 入場は無料。 正式名称は下田市旧澤村邸。 館内でいただいた案内によると 「なまこ壁」と「伊豆石…
浪人、まだ開国博物館にいる。 9時オープンと同時に入館券を買い求め、本日最初の入場者となった。 しばらくは浪人ひとりだけが博物館内を歩いていた。 おかげでこの日から開幕した記…
下田に来て3日目の朝を迎えた。 当地における浪人キャンプ地「ホテル ウラガ」を午前8時にチェックアウト。 リュックをフロントに預けて、朝のペリーロードを散策。 そしてマックスバ…
下田遠征記(六)「フェリーあぜりあ」、天気晴朗なれども浪高し
神津島三浦港。 ここでは2階からの下船となる。
本日最初の寄港地、利島。 利島と書いて「としま」と読む。 「としじま」ではない。
8時50分。 いよいよ「フェリーあぜりあ」に乗る。 下田を9時30分に出港し、利島・新島・式根島・神津島に寄港して、16時30分に下田に戻ってくる。
玉泉寺を出る。 どちらに行こうか。 こちらにやってきた。 世界ジオパークとか斜交層理とか まるでブラタモリ的な世界。
下田に黒船出現。 しかし浪人はそれを一瞥したあと、 黒船が浮かぶ海に沿ってのびる小径を歩き始めた。 その小径では、下田の歴史をイラストと簡単な解説で学べる。 1ペリーと日米…
3月の晴れた木曜日。 浪人はここに来た。 東京駅を9時ちょうどに発車した特急「踊り子」。 11時40分に終点・伊豆急下田駅に着いた。 有人改札をくぐる。 改札のかたちが黒船を模し…
2024年。 元日、帰省していた実家で大地震に遭遇した。 その4日後に上京し、今年の仕事をスタートさせた。 それ以来、都内から出ることはなかった。 2月末に発売された『クルーズ』のフェリー特集をはじめ 連載やフェリーデータページの監修…
黒船来航2023ノヴェンバー#2 「しらはま丸」黒船クルーズ同乗記
黒船「しらはま丸」は久里浜を出港した。 170年前、ペリー率いる黒船艦隊が久里浜上陸の際に錨を下ろしたポイントにきた。 千代ケ崎砲台跡地を左手に見ながら、三浦半島に沿って移動。…
黒船来航2023ノヴェンバー#1 黒船になった「しらはま丸」に密航せよ!
青森、室蘭、敦賀、大阪、北九州・相島・博多そして横須賀をへて東京に戻った フェリーで日本周遊1週間が幕を閉じてから1ヵ月が経った。 2023年11月25日。 浪人は再び久里浜に下り立った。 理由は黒船をこの目で見るために他ならない。
浜松町駅からぶらぶら歩くこと10分ちょっと。 14時20分には日の出さん橋にいた。 この扉の向こうに これから乗船する船が停泊する。 と思ったが、これではない。
立会川。 ここにやってくるのは、かれこれ10年ぶりとなる。 ひとつしかない改札口を抜け、階段を下りるとそこは商店街。
ペリー記念館に足を踏み入れた。 ここに顔をはめ込めば、ペリーと歩いている侍気分になれるようだ。
フェリーで日本周遊・23秋⑯~白い船から黒い船をたどってヨコスカ
17時になろうとしている。 パシフィック・ワールドで日本一周した2か月前は、 この時間でもまだまだ日本国中どこも明るいものだった。 しかしそれから時は流れ10月も後半にさしかかると、 日の入…
よく眠れた。 時刻は7時を過ぎていた。 思えばきのうおとといと 午前4時起き→午前5時30分下船→陸上移動および行動 と日ごろはまったく異なった時間割で動いていた。 そのハードワークの疲れが…
フェリーで日本周遊・23秋⑭~追憶・2005年10月の「ニューれいんぼうべる」
16時に相島を発ったVアイランドは 16時17分に新宮港に到着した。 渡船場ターミナル前に待機していたコミュニティバス「マリンクス」の相らんど線・第1ルート(時計回り)に乗り込む。 バス停にはもうひとつ相らんど線・第2ルート(逆回り)も停車しており、 Vアイランドから下船した観光客はどっちに乗ればいいのか分からず混乱。 「私はどっちに乗ればいいの?」と運転手に尋ねる場面が続出していた。 なお、ここで待機し…
フェリーで日本周遊・23秋⑬~明かされる「高速船ミステリー」の謎
相島に残る「古代ミステリー」に向かって、ひとり歩く。 相島漁港を過ぎると、あれほどあちこちで目撃できた猫の数も減り、 それと比例するように〓目当ての観光客の姿も見かけなくなった。 海沿…
フェリーで日本周遊・23秋⑫~相島の通信使痕跡で猫とたわむる
定員を軽くオーバーした乗客を満載し、 新宮港を11時30分に出港した謎の高速船「Vアイランド」。 なぜ謎なのかと言うと、行く先が「長崎⇔鯛ノ浦」となっており運航会社も五島産業汽船となっていたからだ。 このまま玄界灘を突っ切って、五島列島に連れていかれてしまうのか… とパニックに陥った(そんな人は浪人だけだと思うが)が、 出港から17分後の11時47分、Vアイランドは着桟した。
フェリーで日本周遊・23秋⑪~新宮発のVアイランドは五島を目指す!?
JR福工大前駅から浪人を乗せたコミュニティバス「マリンクス」。 マリンクスに乗っていたのはおよそ10分くらい。 9時30分に下車する。そのバス停は「シーオーレ新宮」である。 それは、下の画像(右下端)にあるように、福岡市の東隣・糟屋郡新宮町内にある。
フェリー・レボリューション!~「クルーズ」2024春号にまつわるエトセトラ
2月27日、 2024年最初となる 『クルーズ』春号が発売される。 2月末発売号といえば ○読者が選ぶ人気客船 クルーズシップ・オブ・ザ・イヤーの結果発表 ○フェリー特集 上記2本の…
フェリーで日本周遊・23秋⑩~フェリーきたきゅうしゅうⅡで九州上陸
目が覚めた。 起きても、まるで目をつぶったままのような真っ暗闇。 テレビをつける。 時刻はちょうど午前4時だった。 フェリーきたきゅうしゅうⅡは周防灘の真っただ中を航行中。 浪人はキャン…
フェリーで日本周遊・23秋⑨~瀬戸内の夜にBack to 1988
8階から外部デッキに出た。 同じファンネルが2つ、並んでいた。 そして、もうひとつ。 それは異なるデザインを施されている。
フェリーで日本周遊・23秋⑧~7年ぶりの「フェリーきたきゅうしゅうⅡ」探検
サンタマリア乗り場・待合室にて。 過去、大阪港にやってきた客船の写真とその楯が掲示されていた。 左から2番目は「クァンタム・オブ・ザ・シーズ」。 3番目がご存じ!「にっぽん丸」。
フェリーで日本周遊・23秋⑦~渡船でセレブリティ・ミレニアムへ
浪人最後の乗車となるであろう 金沢発の特急「サンダーバード」は 終点・大阪駅に到着した。 11時06分。 敦賀を9時39分に発ってから、1時間27分。 浪人の『ラスト・サンダーバード』は何ともあっけなく終わった。 そして大阪駅で大和路快速・奈良行きに乗り換える。 乗り換え時間は7分。大阪駅にいたのはそれだけ。 その大和路快速に乗っていたのも、たったの4分間。 西九条駅で下車し、真向いのホームにいた電車に移…
フェリーで日本周遊・23秋⑥~さらば金沢発「サンダーバード」
シンボルロードに戻ってきた。 敦賀駅から気比神宮に向かって右手のアーケード街には「銀河鉄道999」のモニュメントが並んでいたが、 気比神宮から敦賀駅に向かって右手のアーケード街には「宇宙戦…
フェリーターミナルからの連絡バスを下り、敦賀駅に。 連絡バスに乗っていた人たちは、浪人以外はみな改札をくぐって行ってしまった。 浪人ひとりだけが、敦賀に取り残されるかっこう…
「らいらっく」は信濃川に進み入る。
フェリーで日本周遊・23秋③~日曜日の日本海ミステリークルーズ
10月15日。 日曜日の朝。 「らいらっく」はすでに男鹿半島を過ぎていた。 天気予報によれば、きょうはほぼ1日、雨ということだったが。
浪人を乗せた普通列車はしばらく太平洋岸に沿って走り、 16時48分に終点・苫小牧駅に到着した。 下車した浪人は、到着ホームの真向かいに停まっていた やはり普通列車・ほしみ行きに移動する。 6分後、ほしみ行きは苫小牧駅を発車した。 そして17時13分、南千歳駅で降りる。
2023年10月。 13日の金曜日。 青森から津軽海峡フェリー「ブルーマーメイド」に乗って、室蘭に下り立った。 そして室蘭港から今夜の宿に向けて歩き始めた。 昨年10月下旬から11月2日にかけて浪人ブログに連載した「青蘭航路NEO」は、そこで終わっている。 しかし、この旅にはまだまだ続きがあった。 その模様を、これからつづって…
パシフィック・ワールドで日本一周 FINAL<br /> 【黒船編】エピローグ
恐竜が向かい合っているような特異な形状をしていることから 「恐竜橋」の異名を持つ東京ゲートブリッジ。 それがかすかに見え始めたと同時に、 パシフィック・ワールドの上空を鉄の鳥が飛び去るようになった。
パシフィック・ワールドで日本一周#43【黒船編】東京湾モーニングクルーズでまた波乱!?
8月16日、水曜日。 6時12分にデッキから朝日を拝む。 日本一周クルーズでは、船から眺める最後の朝日。 そう。 きょうの午後には、この船から去らなければならない。
パシフィック・ワールドで日本一周#42【黒船編】 8.15土佐はまぼろし~ラスト・アットシー
8月15日、火曜日。 6時49分、デッキ7外周デッキ。 いま、どの辺にいるのだろう? 西日本…
パシフィック・ワールドで日本一周#41【黒船編】8.14急転!アットシー
8月14日、月曜日。 午前6時に目が覚めた。 きょうの日の出は6時01分。 太陽だけではなく、虹も出ていた。
パシフィック・ワールドで日本一周#40【黒船編】「神隠し」の真実、そしてさらば那覇!
崇元寺石門から牧志駅に戻り「ゆいレール」に乗車。 2つ先の「おもろまち」で下車した。 ここで下りるのは初めてかもしれない。 駅からしばらく歩いて、こちらにやってきた。 沖縄県立博物館・美…
パシフィック・ワールドで日本一周#39【疾風編】ハタチの「ゆいれーる」で大交易時代へ
浪人はT夫妻とともに那覇クルーズターミナルから 国際通りの入口へとつながる若狭中通りに向かっている。 奥様が言った。 「このすぐそばに不屈館があるってご存じ?」 恥ずかしながら、浪人、そ…
パシフィック・ワールドで日本一周#38【疾風編】<br />2時間20分遅れの那覇入港
8月13日、日曜日。 午前5時40分ごろに目覚めた。 「あー、あ~~~~~」 真っ暗な部屋の中で、まず行ったのは声が出るかどうか、の確認だった。 前日の夕方、突然出た長い咳。 そしてその後、声が全く出なくなった。 浪人初めての体験で、かなり焦った。 就寝前にシャワーを浴びると、少し声が出るようになっていた。 ベットにもぐりこんだのは日付が変わる前後だったように思う。 ぐっすりと眠り、起床。 浪人は恐…
実はいま「フェリー」が再注目されている…“逆にタイパがいい”と言える意外なワケ
きのう(1月30日)、「現代ビジネス」に浪人のインタビューをもとに構成されたフェリー記事(前編後編の2本立て)が掲載された。 タイトルは 前編が 実はいま「フェリー」が再注目されている…“逆にタイパがいい”と言える意外なワケ 後編が
パシフィック・ワールドで日本一周#37【疾風編】8.12波乱のアットシー
8月12日、土曜日。 本日はアットシー(終日航海日)。 海の表情は穏やか。航跡も整っている。
パシフィック・ワールドで日本一周#36【疾風編】<br />時間旅行の終焉~釜山出港
朝鮮通信使歴史館の2階へ。 8年前(2015年)秋の訪問時、 その2階はこのような感じ↓だった。 ※2015年10月16日撮影 ところがいま(2023年8月1…
パシフィック・ワールドで日本一周#35【疾風編】<br />朝鮮通信使タイムスリップ
地下鉄、厳密に言えば釜山都市鉄道の 寿安(スアン)駅にいる。 改札をくぐると、広いホールに出た。 そこには無料のミュージアムがある。 その名は東萊邑城壬辰倭乱歴史館。
パシフィック・ワールドで日本一周#34【疾風編】釜山のウズベキスタン料理と文禄の「駅」
釜山駅前に立った途端 お腹の虫が騒ぎ出した。 そういえば今日の朝食をとったのが午前6時過ぎ。 現在時刻が午前11時30分。 たしかに腹が減ってもおかしくない頃合いである。 浪人は駅前の大通りを横切って、 1本裏に入ったテキサス通りへ。 そこからチャイナタウンにさしかかったところにある ちょっと派手めなウズベキスタン・ロシア料理店。 釜山のランチはこことする!
パシフィック・ワールドで日本一周#33【疾風編】釜山港で「おれんじ8」
8月11日、金曜日。 午前5時30分に目が覚める。 デッキ7の外周デッキに出てみると、 朝日が右舷側の後方から顔を出したところだった。 そして前方には陸地が。 それは紛れもなくユーラシア大陸の…
パシフィック・ワールドで日本一周#32【疾風編】突然のアットシーで地球一周気分
8月10日、木曜日の朝。 本来ならば博多湾にいなければならないはずのパシフィック・ワールド。 しかしそれはまだ、境港にいる。 台風6号が九州に接近していた。 博多港への入港は取りやめとなり…
実家の元日はいつも穏やかに過ぎる。 2024年1月1日もそうだった。 午前8時に起床。 8時20分に旧ツイッター(いまのX)に新年のメッセージを投稿。 その後、家族でワイン片手におせち料理をいただ…
2023年もまもなく終わろうとしている。 今年は国際クルーズの運航が復活し、 また、海外渡航もコロナ禍以前のように気軽にできるようになった。 今年最初の浪人ブログ、2023年は真の「クルーズ復活」&「船で海外渡航再開」元年だ!の締めくくりに、このように書いた。 2019年までは当たり前のよう…
パシフィック・ワールドで日本一周#31【灼熱編】境港から日本脱出!だが・・・
境港駅からロードバイクで水木しげるロードを通り抜け、 水木しげる記念館を過ぎたところにある道へと右折してひたすら南下。 16時15分に夢みなとタワーに到着した。 さっそく中へ。 1階エントラ…
パシフィック・ワールドで日本一周#30【灼熱編】パシフィック・ワールド緊急合流大作戦
「定時で岡山着、特急やくも11号に乗り継ぎました」 上の画像付きメッセ…
パシフィック・ワールドで日本一周#29【灼熱編】妖怪列車を追って鬼太郎空港へ
アジア博物館・井上靖記念館から再び弓ヶ浜サイクリングロードに戻る。 ずいぶん走ったなあ、と思ったがパシフィック・ワールドや夢みなとタワーがまだまだ肉眼でとらえられる。 鉄の鳥が一羽、ま…
パシフィック・ワールドで日本一周#28【灼熱編】境港のザ・ロング・アンド・サイクリングロード
8月9日、水曜日。 午前5時過ぎに目覚める。 5時28分、デッキ14に出たら 船尾にはすでに日が昇っていた。 本日の日の出は5時21分。 船尾にてサンライズを愛でる乗客がすでに多数。
パシフィック・ワールドで日本一周#27【灼熱編】金沢出港直前の予定変更
金沢柚子みつソーダで生き返った浪人、 ターミナル2階にある「金沢港まなび体験ルーム」へ。 金沢港60年の歴史を学ぶ。
パシフィック・ワールドで日本一周#26【灼熱編】金石大野ノスタルジックさんぽ
幕末に世界を駆けた風雲児・銭屋五兵衛を生んだ宮腰(みやのこし)。 現在の金石(かないわ)は日本遺産「北前船寄港地・船主集落」のひとつに登録されている。 浪人の本籍地も金石なのだが、五兵…
パシフィック・ワールドで日本一周#25【灼熱編】「海の百万石」をたずねて
8月8日、火曜日。 東京を出航した日本一周クルーズも 本日からいよいよ後半にさしかかる。 朝目覚めて、デッキに出た。 このクルーズ唯一のオーバーナイトステイ(1泊以上の停泊)となる金沢寄港。 眼下にはきょうも金沢港クルーズターミナルを望む。
パシフィック・ワールドで日本一周#24【灼熱編】「ニューれいんぼうべる」北前船ツアー追体験
金沢港クルーズターミナルのレストラン 「海の食堂 BAY ARCE(ベイアルセ)」に初入場。 入口右手にはBAY MARKETというコーナーがある。 女性向けのオシャレな小物を取り揃えている。
内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」にいる。 その第2展示室に足を踏み入れた。 そこは内灘闘争に関する資料が豊富だった。
パシフィック・ワールドで日本一周#22【灼熱編】「4年前の忘れ物」を求め内灘へ
2019年8月12日。 浪人は実家のある富山から北陸新幹線に乗り、午後に金沢入りした。 その同日朝、ピースボートクルーズ(PBC)のチャーター船「オーシャンドリーム」は日本一周クルーズの途上、金…
パシフィック・ワールドで日本一周#21【灼熱編】念願の金沢港クルーズターミナル
8月7日、月曜日。 日本一周クルーズ19日間の折り返し点にさしかかったこの日、 午前5時過ぎに目が覚めてしまった。 外周デッキに出ると、昇る朝日とともに北陸が見えていた。 パシフィック・ワー…
パシフィック・ワールドで日本一周#20【灼熱編】MSCベリッシマとの遭遇@日本海
8月6日。 日曜の午前6時過ぎに目覚める。 キャンプ地は窓なしインサイドなので、真っ暗闇である。 ベッドから這い出て、歯を磨き顔を洗ってから、陽光を求めてデッキ7の外周デッキに出る。 その瞬間である。 浪人の目の前に1隻の客船が現れた。
パシフィック・ワールドで日本一周#19【北海道編】函館に漂う欧州クルーズの記憶
釜谷駅を15時34分に発車。 この列車に乗っていたのは6分だけ。
パシフィック・ワールドで日本一周#18【北海道編】道南いさりび鉄道で咸臨丸の眠る岬へ
13時10分、JR函館駅に戻ってきた浪人は改札をくぐる。 この1時間ちょっと前、函館朝市からHAKOVIVAに向かう途中でホテル・JRイン函館に立ち寄っている。 フロントで販売されているこちらの切符を買…
パシフィック・ワールドで日本一周#17【北海道編】函館クルーズターミナルからの上陸
SAKURAに導かれてパシフィック・ワールドは函館港に進み入る。 左手に青函フェリー「3号はやぶさ」、そしてその奥に見ゆるは五稜郭タワー。
パシフィック・ワールドで日本一周#16【北海道編】小樽は余市、函館は朝市
15時50分過ぎ、ニッカウヰスキー余市蒸留所の正門をくぐり、リタロードに出る。 そのまままっすぐ駅には向かわずに、右手の道へと曲がる。 蒸留所を迂回するように伸びる道をゆくと、余市のノラネコと鉢合わせ。
パシフィック・ワールドで日本一周#15【北海道編】宇宙とウヰスキー
イタリアンレストランを出て、リタロードを余市駅に向けてまっすぐ歩く。 すると右手にこのような建物が。 宇宙の湯 余市川温泉 とある。 一見どこにでもある銭湯だが、源泉かけ流しの日帰り温泉…
パシフィック・ワールドで日本一周#14【北海道編】余市の幸福運巡り
浪人、初めて余市駅に下り立つ。 ソーラン武士(ぶし)!!がお出迎え。 余市町の公式キャラクターのようだ。
パシフィック・ワールドで日本一周#13【北海道編】 8週間ぶりの小樽、そして
8月4日、金曜日。 午前5時過ぎの小樽の空は青かった。 前日の大雨がまるで夢の出来事だったかの如く、 そして今後の天気予報をいい意味で大きく裏切る青空が広がる。 また、天空には白い月も浮か…
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3階の中央やや船首側にある浪人キャンプ地・ツーリストS。 そこから同階の中央部ロビーに行く。 そこで、船内クイズラリーという企画が行われていることを知る。
市立小樽文学館のカフェ。 ここでゆっくりしていきたい気もするが、 小樽で浪人に残された時間はあとわずか。 階段を下りて、文学館を辞す。
旧日本郵船株式会社小樽支店を出たのは正午近くだった。 ここに23年ぶりの入館を果たす直前から強くなっていた雨脚は 勢いを弱めることを知らなかった。 そして浪人の腹時計もにわかに騒がしくなっていた。 幸い、どこで食事を取るかはもう決めてあった。 近くに鱗友朝市があり、その屋内に朝市食堂が営業している。 正午になったということもあり、店内は混んでいた。 と言っても、行列を作って空席ができるのを待つ、と…
運河公園を背にし、この建物の前に立つ。 浪人が小樽にやってきたのは、これが何度目になるだろうか。 最初が1991年9月、家族旅行で新潟から新日本海フェリー(船名は忘れた)に…
4月25日、金曜日。 苫小牧の空は一面の灰色だった。 朝食前に、ホテルの周辺を少しだけ散歩した。 昨晩、21時にホテルに入り、23時には眠ってしまった。 そしてきょうは8時09分発の列車で苫小牧を離れる。 素通りするのも何なので、ちょっと苫小牧の空気を吸いたいと思ったのだ。 向かったのはアカシア公園。 そこには王子製紙軽便鉄道の機関車と
6月14日、土曜日。 新宿は雨〓 高田馬場での用事を済ませ、 16時少し前に新宿ピカデリーに入った。 最初は西武新宿駅すぐそばのTOHOシネマズ新宿にしようと思っていたが、 前夜にこの時間帯の…
6月13日(金曜)から封切りの 映画『フロントライン』。 そのあらすじは… 2020年2月3日、乗客乗員3711人を乗せたクルーズ客船「ダイヤモンドプリンセ…
「元ニューれいんぼう べる=さんふらわあ しれとこ」に別れを告げる。 この船に乗った最大の目的を無事果たし、なんだか気が抜けたようになった。 脱力とまではいかないが、やるべきことをなし終えた安堵感で、 それまで心身を覆っていた緊張感が、どこかへ消えてしまったのは確かだ。 とりあえず、左舷側プロムナードのチェアで、 「元ニューれいんぼうべる=さんふらわあ しれとこ」連写でバッテリーをおおいに消耗した…
「その時」は確実に近づいていた。 浪人はその到来に備えて、外部デッキ左舷側へのルートをあらかじめ確認する。 まず船中央を貫く通路を後方に進む。
4月24日、木曜日。 浪人は福島県南相馬の沖で目覚めた。 昨晩、いや正確にいうとこの日の午前1時45分、 「さんふらわあ かむい」は大洗を出港し、 苫小牧港めざし北へと向かっていた…
ここを「さんふらわあ かむい」でのキャンプ地とする! キャンプ地の施錠はいまはやりのカードキーではなく、伝統的な鍵で。
18時の到来を告げる「夕焼け小焼け」のメロディーが、街に響きわたる。 空は、その歌詞とは全く対照的な雨雲に覆われていた。 夕焼け小焼けとともに、浪人はデスクのパソコンを閉じ、リュックを担いで外に出た。 近所で軽く夕食を取り、高田馬場から山手線で新宿へ。 新宿で中央線の快速列車に乗り換える。 四ツ谷、お茶の水、神田… 終点・東京駅で下りた。 19時30分の東京駅は、家路を急ぐ人と観光客でごった返して…
3月26日、水曜日。 パッと目が覚める。 枕元に置いていた電波時計をのぞき込む。 AM4:30 船旅に出ているときには、別に珍しくもない起床時刻だ。 ベッドから這い出し、下船準備を整えると、 トップデッキに出た。 4時57分である。 空はまだ闇に包まれている。 ファンネルの横に、月が浮かんでいた。
「フェリーりつりん」の姿が水平線の彼方に消えるのを見届け 浪人はオーシャンプラザに戻った。 6日ぶりの「フェリーどうご」でのランチは チャーシューまん 汁なし担々麺
9時55分、徳島駅にやってきた。 列車に乗るためではない。 25分後に駅前を発車するバスに乗るのだ。
阿波おどり会館を出て、その前の広場に立つ。 モラエス顕彰碑が建てられている。 モラエス生誕100年を記念して1954(昭和29)年に建立された。 この碑の付近は、翁(モラエス)が朝夕…
浪人は「モラエスギャラリー サウダーデ」に、 たったひとり立つ。 リスボンに生まれ、徳島で没したモラエスの生涯。 それを改めて、このギャラリーで振り返ってみたい。
おどるあほうに みるあほう 徳島駅前に到着した。 高速バスの時刻表では14時に着くことになっていたが、 大阪市内の渋滞の影響で阪急三番街発車時点で15分の遅れが発生しており さ…
松永駅を出て、浪人は再び一人旅となる。 福山駅で播州赤穂行き普通列車を下りた。 そして当駅20時16分発の山陽新幹線さくら570号 新大阪行きに乗り換える。 福山の次は岡山。 昨年10月、「2つのドリームで韓国へⅡ」の帰京の足にサンライズ瀬戸を利用した際、岡山駅から乗車した。 あれからすでに5か月が経過している。 しかし、そ…
昼下がりに再会の宴を開いた海岸通りの広場まで戻ってきた。 時刻は間もなく17時15分を過ぎようとしていた。 宴会のときは、陽射しがまぶしく、この季節にしてはかなり暖かい空気が尾…
5月最終日。 それは31日の金曜日である。 前夜のビートルズナイトで、浪人の心はリスボンからロンドンに飛んだ。 しかしロンドンの前にフランスがある。 その寄港に、何やら不穏な影…
5月30日。 デッキ15のトップサイダーズから洋上ラジオ体操を眺めることから、一日が始まる。 これを見ていると、パシフィック・ワールドに戻ってきたなあ、と強く実感する。 6時55分…
ふと目が覚める。 あれ、ここはどこだ? 一瞬、脳が混乱をきたす。 初めてではないのに、見慣れない風景が広がる。 やがて落ち着きを取り戻した脳が、すべてを理解する。 昨日からパシフィック・ワールドの住人になったのだ。 昨晩はイスタンブール→リスボンと長距離移動とロケが続いていた疲れから、23時を待たずに眠ってしまった。 いま時計を見ると、午前6時30分になっていた。 こんなに眠ったのは久しぶりじゃな…
突然のYahoo!メール遮断と、 古い船友○○と名乗る人物からキャビンにかかってきた謎の電話。 久しぶりのパシフィック・ワールド乗船直後に浪人を襲ったもろもろが引き起こした混乱から逃れるように、デッキ14に出た。 時刻は18時を過ぎたところ。 取材班再集結は18時30分の予定だったが、キャンプ地にいると混乱を引きずりそうだったので、それを振り払うために表に出たのだ。 船尾側のふ頭では何やら工事が行われている。…
ポルトガルの国民的詩人フェルナンド・ペソアが贔屓にしたレストランを後にした我々4人はリスボン銀座のアウグスタ通りを北上する。 人々でごった返す銀座通りを左折し、バイシャ・シアード地下鉄駅を通り抜けガレット通りへ。 これまた老舗カフェの「ア・ブラジレイラ」で、ペソアに今日もご挨拶。 「きょうは一流のフォトグラファーを連れてまいりました」と。 タイスケさんの前では心なしかいいポーズをとったようにも見…
朝、目がさめたとき、自分がいまリスボンにいるというだけで、幸福な気分になった。 司馬遼太郎さんは、『街道をゆく』南蛮のみちⅡにおいてそのように書かれている。 2024年5月28日、火曜日。 浪人はリスボン市内のホテルの一室で目覚めた。 外はまだ薄暗かった。 時計を見るとまだ午前5時過ぎである。 この日のリスボンの日の出は6時15分ごろであるというから、ちょっと早起きし過ぎだ。 前日、ベレンでナッタを楽…
10時過ぎ、リスボンの国際空港に到着した。 イスタンブールを飛び立ったのが7時ごろだったが、 イスタンブールとリスボンの間には2時間の時差がある。 イスタンブール時間からマイナス2時間がリスボン時間となる。 ということで5時間のフライトとなった。 そしてこのフライトでは全くバラバラの席だったソウくんと5時間ぶりの再開を果たし、無事、ポルトガル入国となった。 ここで新たなメンバーが加わった。 Nさんとい…
5月27日、月曜日。 浪人は6時55分イスタンブール発のターキッシュエアラインズの機中にいる。 飛行機はまさにギリシャ上空を越えてアドリア海、さらに長靴型のイタリア半島にさしかか…
5月26日。 日曜日の午前6時過ぎ。 浪人は新宿・歌舞伎町タワーの前に立っている。 思えばほぼ1年前の5月28日。 その日も日曜日だった。 18年ぶりの
横浜にクルーズ客船大集合 たった4はいで夜も寝られず 詠み人浪人 4月13日、土曜日。 浪人は新宿駅から湘南新宿ラインに乗って横浜駅へ。 ここで根岸線に乗り換えて桜木町駅で降りた。 汽車道をゆく。 6日間にわたった南端紀行を終え、帰京したのは4月9日の夜。 その旅の間に、ソメイヨシノも盛りを過ぎていた。
今夜2回目のプロジェクションマッピングのショーを観賞。 ショーの終了後、気が付いた。 浪人スマホがいつの間にか圏外になっていることを。 時刻は21時過ぎ。 「さんふらわあ さつま」はいま九…
「さんふらわあ さつま」大阪行きの乗船が始まった。 ここは鹿児島県志布志市志布志町志布志3292にある志布志港。
12時20分、カゴシマシティビューは終点・鹿児島中央駅前に到着した。 雨はまだ降り続いている。 浪人は雨から逃れようと、バス停のすぐ近くにあった地下道にもぐりこむ。 目指すは、かごっまふるさと屋台村。 駅と地下道で直結しているので、傘を差さずに屋台村にたどり着けるのがありがたい。 昨晩楽しい時間を過ごした「奄美商店 ケンムン酒場」は、本日(月曜)のランチ営業はお休みのため、閉まっていた。 それを知っ…
那覇明治橋にある終点から 西郷隆盛像のある起点まで。 国道58号線をさかのぼる旅は、ここで終わる。 国道58号線の旅は、鹿児島と沖縄を訪問する際には過去何度も行っているので、今回が初めてというわけではない。 ただ、起点のそばにこういうものがあることは、初めて知った。
枕崎駅前を17時ちょうどに発車した特急バスは、18時29分に鹿児島中央駅前に停車した。 浪人はここで下車し、けさ、リュックを預けていた駅近くのホテルにチェックイン。 30分ほど休憩してから、すっかり暗くなった鹿児島の町に繰り出した。 夕食をとるところはもう決めてあった。 鹿児島中央駅の真正面にたつ鹿児島中央ターミナルへ。
西郷隆盛が枕崎で1泊したという立志清右衛門宅跡から、さらに南へ。 この通りは「えびすさん通り」と合流したところで終わる。 えびすさん通りの向こうには緑地、そしてそのさらに向こうには海が広がっている。 緑地は公園となっており、その一角に蛭子(えびす)神社がある。 通りの名はこの神社に寄るものなのだろう。
3時間近くを過ごした列車から、終着駅のホームに下り立つ。 2つの車両から吐き出された乗客は、地元の人よりも観光客といった雰囲気の者が多かった。
鹿児島新港フェリーターミナル前にはポートライナーバスが1台停車していた。 浪人は何度もこのバスを利用して、 フェリーターミナルから鹿児島中央駅に向かったり、 その逆に駅からタ…
4月25日、浪人オフィスに掲載誌が届いた。 石川県観光ガイドブック『もっと石川』(画像左)である。 こちらは石川県をすでに何度か訪問している「中および上級者(いわばリピーター)…
4月7日、日曜日。 真っ暗なシングルキャビンで目が覚めた。 枕元に置いていたデジタル電波腕時計を手探りで取り、 現在時刻を見たら午前4時30分過ぎだった。 昨夜、名瀬出港から1時間後の22時30分あたりに眠ってしまったこと そして昨日の朝が、7時那覇発のフェリー波之上に乗るため4時台に起きてしまったこともあり どうやら体内時計が陸上生活とは異なるリズムになっているようだった。 キャビンを出て、すぐ横にある左…